白百合・後編

 窓の外の光景を凝視する。
 ここを通りかかったのは偶然だ。完成したばかりの蜃気楼に関してもう少しだけこちらの希望を聞き入れてもらおうと資料をまとめていたら、母のマリアンヌが呼んでいると咲世子から伝えられた。一体なんの話かと部屋を出たルルーシュは、そこで初めてスザクがいないことを知った。夕食の時間まで外していいと言ったのは自分だから、彼が警備をほかの誰かに任せてどこかへ行ったとしても咎めるような問題ではない。
 ただ、スザクは自分の傍から離れないだろうという気持ちがあった。どこかへ行けと言っても、自分が呼べばすぐに駆け付けられる距離にいるだろうと思っていた。だけどそれは皇族の傲慢で、完全なる驕りだったと今さらながらに気付く。
 母の部屋へ行くため庭園を見下ろせる廊下を歩いていたルルーシュは、花に囲まれながら歳若いメイドと仲良さそうに話しているスザクの姿を見つけた。何か言付けられたのか、メイドは一旦その場を離れてすぐにまた戻って来た。そしてスザクの前で転びそうになった。
 (あっ……)
 小柄な体をスザクの両手が受け止め、彼女は顔を真っ赤にして頭を下げていた。それに対してスザクが笑いかける。一連の流れはまるで映画のワンシーンのようだった。
 騎士とメイドの恋を扱った映画があったなとどうでもいいことを思い出す。身分違いの恋をした二人はメイドの休憩時間に逢瀬を重ね、最後は結ばれて幸せになる陳腐な内容だったはずだ。そういう映画に興味はないが、騎士という単語を見ただけで気になってしまう自分は相当重症である。
 確かに、皇子と騎士の恋よりもメイドと騎士の恋のほうが画になるだろう。しかも後者はちゃんとした男女だ。男同士の恋物語なんて誰が観たいものか。
 メイドが去ってもスザクは庭園に留まっていた。屈んで白い花を撫でるその横顔はとても穏やかで、誰かを想っているような表情だった。
 (あんな顔をする相手がいるのだろうか)
 スザクだって年頃だし、元ラウンズという肩書きに惹かれる人間はいまだにいる。女のひとりやふたり、関係を持っていたとしてもおかしくはない。だからこれは驚くようなことではない。
 そう言い聞かせながら心の奥底では激しく嫉妬している自分がいた。表面は平静を装いながら、本当は嫉妬で気が狂いそうだ。あんな女には優しくするくせに、と一瞬でも思ってしまった己の醜さに嫌悪した。
 結局、自分も皇族という立場に胡坐をかき、思い上がっている人間でしかないのだ。清廉潔白なんかじゃない。好きな男を盗られて誰彼構わず嫉妬するような狭量で愚かしい人間なのだ。

「ルルーシュ? 何してるの?」

 母の声にびくりとする。なかなかやって来ない息子に痺れを切らしたのか、廊下の真ん中でマリアンヌが腰に手を当てていた。

「あ……」
「なかなか来ないから心配したわよ。何かあったの?」
「いえ、なんでもありません」

 まだ庭園にいるスザクを一瞥し、ルルーシュはようやく足を動かした。その足元はどこか覚束ない。久しぶりに地面を歩いているような感覚だ。

「それで、お話とはなんですか?」

 通された部屋でソファに腰掛けると、向かいに座った母は長い足を優雅に組んだ。

「まだ少し早いかもしれないけど、今後のことを考えたら変な虫がつくまえに話をまとめちゃったほうがいいと思って。ちょうどあちらも帰国したことですし」
「なんのことですか?」

 首を傾げればマリアンヌが口の端を上げた。

「ルルーシュ、あなたお見合いなさい」
「は?」
「相手はミレイ・アッシュフォードよ。人柄も家柄もよく知っているでしょうし、幼馴染みたいなものだからどこかの令嬢を連れて来るよりはよっぽどましでしょう?」
「えっ……、ミレイって、ちょっと待ってください母上、俺はまだ十八です」
「もちろん知っているわ。でも、のんびりしていたらほかの貴族連中からどんどん見合いの話がやってくるわよ。それなら、さっさとミレイとの結婚を決めたほうがあなたにとっては平和じゃない?」
「平和って、そんなことで結婚相手を……」
「皇族の結婚なんてそんなものよ」

 突然の話に頭の中は真っ白だった。相手がミレイというのは確かに心理的負担は少ないが、だからと言って望ましいわけではない。
 ルルーシュにしては珍しく反論の言葉を思い悩んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。お客様がいらっしゃいましたという声に、入ってちょうだいとマリアンヌが応える。
 こんな話の最中に誰を呼んだのだと訝しげに顔を向けたルルーシュは、そこに立つ人物を認めて目を瞠った。

「なんで……」
「あなたを説得するより二人で話してもらったほうが早いと思って。私は隣室にいるから、正式なお見合いをセットするかどうか結論が出たら教えなさい」
「教えなさいって……、母上!」
「今ここで決めること。いいわね」
「母上!」

 息子の叫びも虚しく、マリアンヌは軽やかな足取りで部屋を出て行った。残されたのはルルーシュと、困ったような顔でドアの前に立つミレイの二人だった。

「なんなんだ一体」
「申し訳ありません。マリアンヌ様からのお呼びだと急いで伺ったのですが、まさかこんなことになるなんて」
「いや、ミレイのせいではない。大方、母上とルーベンが共謀したのだろう。まったく……」

 ミレイに椅子を勧めると、ルルーシュは組んだ両手を額に当てて重苦しい溜め息を吐き出した。

「いきなり見合いと言われても……」
「私も先ほど聞いたばかりで驚きました。父と母がやたら乗り気で困ってしまいます。殿下、私のことはお気になさらず、今回のお話はどうか断わってください」
「ああ……」

 そうだな、と答えようとして開きかけた口を閉ざす。
 あまりにも突然な見合い話だけど、母の言うとおり今後はこういう機会が増えるのだろう。日頃は人のことを馬鹿にしておきながら、皇族の縁者というステータスを得るためなら平気で娘を差し出してくるのが貴族だ。そのたびに見知らぬ人間と楽しくもない会話をし、角が立たないように断らなければいけないのかと思うと今から気が滅入る。
 そう考えれば、ミレイとならば気軽に話せるし、昔からよく知っているので遠慮もない。もし婚姻関係を結べばアッシュフォードとより強固な繋がりができ、両家にとっては間違いなくメリットだ。
 (それに……)
 先ほどの光景が脳裏に浮かんだ。
 スザクもいつか誰かと結婚するのだろう。自分の知らない女性と愛を育んで、幸せな家庭を築くのだろう。そのとき、自分は果たして耐えることができるのだろうか。妻を娶って幸せいっぱいな彼を見ながら、自分は一生報われない気持ちを抱えて死んでいくのか。
 いずれ人のものになってしまう彼を傍で見ることになるのなら、最初から諦めてしまったほうがいい。結婚という理由はきっと最大の諦めになる。
 (スザクの幸せを願っていると言いながら、結局は自分本位か)
 彼のことなんて何も考えていない。ただ、自分が一番傷付かない方法を選ぼうとしている。本当に醜く、薄汚い人間だ。

「――ミレイ」
「はい」
「君はほかに結婚したい相手はいないのか?」
「特にはおりません」
「だったら、その相手が私でも問題ないか?」

 のろのろと顔を上げてミレイを見る。彼女は驚いた様子でこちらを見ていた。

「すぐに答えを出す必要はない。一生を決める大事なことだし、私もまだ決め切れていない。ただ、可能性のひとつとして考えてもらえればと思っている」
「殿下……、本当によろしいのですか?」

 それは何に対する確認なのだろう。
 誰かと結婚することか。その相手にミレイを選ぶことか。それとも、スザクを諦めることか。
 (ミレイが俺の片想い相手を知っているわけがないのにな)
 口許に自嘲を乗せ、ルルーシュは小さく頷いた。

「しかし、いきなり見合いというのは大袈裟だ。とりあえず食事会にしてくれないかと母上に頼んでみる」
「わかりました。私はルルーシュ殿下のご決断に従うだけです」
「ありがとう」

 スザクへの想いを断ち切るためにミレイを利用しているようで申し訳ないけれど、彼女の優しさはよく知っているし、一緒にいて楽しいことは間違いない。結婚すれば少しずつ夫婦らしくなって、ちゃんと彼女のことを愛せるかもしれない。
 (スザクには気持ちを伝えない。初めからそのつもりだったじゃないか)
 告白するつもりも、ましてや関係を持つつもりもなかった。当初の予定通りで、結婚というイレギュラーが発生しただけのことだ。なんの問題もない。
 胸が苦しくなる想いも、焦がれるような気持ちも、醜い嫉妬も、これでようやく全部捨てられるのだ。

* * *

「え……?」

 何を言われたのかすぐには理解できなかった。
 目の前の少女はどこか怒ったような、今にも泣き出しそうな、いろんな感情が入り混じった表情をしていた。少なくとも嘘や冗談を言っているようには見えない。

「あの、ナナリー様、もう一度おっしゃっていただいてもよろしいですか」
「ですから、お兄様がミレイさんとお見合いされるんです」
「お見合い……」

 お見合いとはあのお見合いのことだよな、と現実逃避のようにのんびりしたことを考える。

「でも、ただのお見合いですよね? すぐに結婚するというわけでは……」
「もちろんそうですが、お兄様はもう決めていらっしゃるようです。このままだとお兄様とミレイさんは結婚されてしまいます。それでいいのですか? スザクさん」

 兄に良く似た紫の瞳に見つめられ、スザクは言葉を失った。
 ルルーシュが結婚する。その事実がにわかには信じがたい。ナナリーが勘違いしているのではないか。そもそも、見合いも結婚もルルーシュからは何も聞いていなかった。話が決まったのは二週間も前だというのに、こんな大事なことを騎士である自分だけが教えてもらっていないのだ。

「それから、お兄様は私とスザクさんを結婚させるおつもりのようです」
「まさか」
「お母様とユフィ姉様から伝わってきた話なのできっと本当です。お兄様の魂胆なんて見え見えなのに、どうしてそんなことをなさるのかしら」

 ルルーシュのシスコンぶりに負けずナナリーもかなりのブラコンだが、その彼女が珍しく兄に対して怒っている。ナナリーのことだから兄の結婚話にショックを受けているのかと思いきや、怒りの原因はどうやらそこではないらしい。

「スザクさんは本当にいいのですか?」
「僕は……」

 再び問われ、スザクは項垂れるように顔を俯けた。
 ショックではないと言えばもちろん嘘になる。相手がミレイだろうと見知らぬ誰かだろうと結婚なんかしてもらいたくない。
 自分の気持ちは一生秘めておくつもりだったのに、ルルーシュが他人のものになるかもしれないとわかって心臓が止まるような衝撃を受けた。そのときに浮かんだ感情は嫉妬、それから相手に対する憎悪だ。
 ミレイがルルーシュの結婚相手として相応しいことはわかっているのに、一瞬でも彼女に対して負の感情を抱いてしまった自分が愚かしい。
 (この気持ちは伝えない。いつか殿下が誰かを選んだらそのときはちゃんと祝福しようと、そう思っていたのに……)
 主の結婚を喜べないだなんて、これでは騎士失格だ。何があっても彼を守るという決意は砂糖菓子よりも脆かったのか。

「――殿下がミレイ様を選ばれるのなら。そもそも自分が口を出すことではありませんし。ただ、ナナリー様との結婚を勝手に進められるのはよくないと思います。その点については自分から殿下に、」
「お兄様もスザクさんも馬鹿です」

 鋭い声に遮られる。彼女はマリアンヌの娘で、ルルーシュの妹なのだと今さらながらに実感した。

「お二人とも馬鹿です。どうしてご自分の気持ちにもっと素直にならないのですか」
「しかし……」
「私が何も気付いていないとお思いですか?」

 何をですかと首を傾げれば、ナナリーがどこか疲れたような溜め息をついた。いつもにこにこしている彼女がこんな姿を見せるのは珍しい。

「散々お膳立てをしてきたつもりですし、最後はご自分で気持ちを伝えたほうがいいと思っていたから私もユフィ姉様も黙っていましたが、お二人がどうしようもないくらい鈍いということがわかりました。追い込まれたら行動に移すどころか身を引くなんて、私、悲恋は好きではないんです」
「なんのお話ですか……?」
「とぼけるのはやめてください。隠しているつもりかもしれませんが、スザクさんがお兄様のことを好きなのはばればれですよ」
「え……、ええっ!」
「ばれていないと思っていたのですか?」

 ルルーシュの結婚話以上の衝撃にスザクは茫然とした。鈍いにも程がありますと呆れたように呟く声が耳を素通りする。
 いつ、どうして、なぜ。そんな疑問が頭の中をぐるぐる回るが、ナナリーの様子ではだいぶ前から気付かれていたのではないか。

「このこと、殿下は……」
「知っていたら今回のようなことにはなっていません。今のところ私とユフィ姉様だけの秘密ですが、何か勘付いている方はほかにもいらっしゃるかもしれませんね」
「ユーフェミア様も……。なるほど、だから……」

 やけに都合がいいなと思うシチュエーションが多かった気がするけれど、それらは全部ナナリーとユフィのお膳立てだったのだ。あんなに気を遣ってもらったのに、すべてふいにしてきた自分は確かに鈍い。

「その上でももう一度同じ質問をします。スザクさんは本当にこのままでいいのですか?」
「いいということはもちろんありません。しかし、殿下のご決断を自分なんかが否定するのは……」
「もう。お兄様を連れて駆け落ちするくらいの気概はないのですか」
「駆け落ちなんかしたらすぐに連れ戻されますよ」
「現実的な話ではなく気持ちの問題です」

 ナナリーがなんだか急に逞しくなったように感じるのは気のせいだろうか。これまでは気付いていないふりをしてきたけれど、秘密を暴露したことで遠慮がなくなったのかもしれない。

「お兄様を止めることはスザクさんにしかできないのです。今回ばかりは私やユフィ姉様の言葉でも聞いてもらえないでしょう。それに、私だってまだ結婚はしたくありません。スザクさんのことは好きですが、お兄様の騎士として好きなだけで結婚相手になってもらいたいわけではありませんから」

 はっきり言われ、それはそうだろうと苦笑いする。自分だって同じだ。ナナリーへの親愛はあるけれど恋愛感情が生まれることはない。
 そこに気付かないルルーシュは、頭がいいのに人の機微には鈍感だ。
 (鈍感なのは僕も一緒か)
 周りに悟られていることも知らず、隠しているつもりでいた。ナナリーやユフィにはさぞ滑稽に見えていただろう。

「しかし、ナナリー様は嫌ではないのですか? その、僕が殿下のことを……」
「嫌だったら最初からスザクさんを遠ざけています。なんのために私たちがお兄様とスザクさんのデートをわざわざセッティングしたと思っているのですか」
「あれってやっぱりデートだったんですか……」

 誕生日のたびに二人きりにさせられたのはすべて彼女たちの意図があったのだと思うとなんだか恥ずかしい。

「それなのにお二人ともちっとも気付かなくて。その上、お兄様は勝手にお見合いしようとするし、私たちの苦労を知ってもらいたいものです。だから命令です。スザクさん、お兄様にさっさと告白してください」
「さすがにそれは……。殿下のお気持ちもありますし」

 ルルーシュの妹たちが好意的なのはありがたい。これまでは黙って見守っていたけれど、ルルーシュが本気で結婚するかもしれないという自体に発破を掛けられているのも理解している。男同士だけどいいのかという疑問は野暮に違いない。
 しかし、ルルーシュ自身の気持ちはどうなのか。自分の騎士、しかも男から懸想されていると知ってショックではないだろうか。告白を機に結婚を早めるような事態になったらと思うととても告白なんてできない。

「お兄様の気持ちは知っています。はなから可能性がなければこうしてスザクさんをけしかけたりしません」
「それって、まさか……」
「でも、私がここで何を言っても無意味でしょう? あとはご自分で確かめてください。ただし、お兄様は強情で意地っ張りで嘘つきですから簡単に諦めないように」

 散々な言われようにまた苦笑いが浮かぶ。妹からこんな風に思われていることを兄は知らないだろう。

「ありがとうございます、ナナリー様」
「私はお二人に幸せになってもらいたいだけです。それと、いつまでもじれったいままだと私たちの心労が溜まりますから早くすっきりしたいのです」

 茶化すような言い方にスザクは頬を緩めた。

「頑張ってください、スザクさん。私はハッピーエンドしか認めていないことをお忘れなく」
「イエス、ユアハイネス」

 恭しく頭を下げる。
 不安がないと言えば嘘になるが、腹は決めた。これほどの応援をもらったのだからもう諦めることはできない。
 (あなたの大事な妹たちのためにも頷いていただくしかありませんね、ルルーシュ殿下)

* * *

 部屋で蜃気楼の設計書を読んでいると来訪者があった。
 誰何を問えば騎士の名が返ってきて微かに胸がざわついた。彼とは夕食のあと別れ、今日はもういいと下がらせたのに何かあったのだろうか。
 入室を許可すれば、部屋に入ってきたスザクはどこか緊張した面持ちだった。

「何か用か?」
「はい」
「急ぎの仕事はなかったと思うが」
「個人的なことで殿下にお話があります」
「私に? なんだ、言ってみろ」
「ナナリー様から伺ったのですが、ミレイ様とお見合いされるのですか?」

 その質問に頬がぴくりと動く。見合いの件はスザクには話していないけれど、いずればれることは想定していた。そのときの受け答えもあらかじめ考えている。シミュレーション通りにやれば問題ないと己に言い聞かせ、ルルーシュは口の端を上げた。

「そうだ。いずれは結婚も視野に入れている」
「なぜ自分に教えてくださらなかったのですか」
「まだ内々だったからな。それに、もしも話が頓挫したらカッコ悪いだろう? だからちゃんと決まってからお前には話そうと思っていた。事後になってしまったことは謝る」

 そんなのは嘘だ。本当は決心が鈍るのが怖かっただけだ。
 何より、笑顔で祝福されるのが嫌だった。スザクにだけはおめでとうを言われたくなかった。

「そのお話はもう決定事項なのですか?」
「ああ。よく知っている相手だし、今さら堅苦しいことをする必要はないと思ってとりあえず食事会をすることになったが、ほとんど決まりだ」
「つまりお見合いそのものはまだ正式ではないということですね?」
「まあ、そういうことにはなるが……」
「良かった。でしたらまだ間に合いますね」
「何がだ?」
「お見合いのキャンセルです。もちろん食事会も」

 予想外の発言に目を瞠る。何を思ってスザクがキャンセルなんて言い出したのか理解ができない。

「お願いです。アッシュフォードとの食事会はキャンセルしてください」
「な…っ、馬鹿なことを言うな! お前になんの権利があって、」
「自分はルルーシュ殿下の騎士です。殿下のお望みであればなんでも叶えます。しかし、殿下が殿下ご自身を不幸にされるのなら騎士としてそれを止めるつもりです」
「ミレイとの結婚は私を不幸にすると言いたいのか」
「はい」

 ふざけるな、と低く吐き捨てた。自分がどんな思いで結婚を決めたのか、どんな気持ちでスザクを諦めたのか、何も知らないくせに勝手なことを口にする彼が腹立たしい。
 これは八つ当たりだとわかっている。好きになったのも諦めたのも自分の心なのに、すべて彼のせいにしようとしている。本当に勝手なのは自分自身だ。
 だけど、好きでもないくせに結婚をやめさせようとするスザクはなんて残酷なのだろう。

「お前の指図は受けない。見合いも結婚もやめるつもりはない。お前がなんと言おうと私の勝手にさせてもらう。話がそれだけならもう出て行け。私は疲れているんだ」
「お待ちください、ルルーシュ殿下」
「お前が出て行かないなら私が出て行くまでだ」

 これ以上、スザクと同じ空間にいたら息が詰まる。言わなくてもいいことまで口に出してしまいそうだ。醜態は晒したくないし、八つ当たりをしてスザクを無意味に傷付けたくもない。
 椅子から立ち上がったルルーシュは騎士の横を通り過ぎようとした。行くところなんてないけれど、頭を冷やすには外の空気に当たったほうがいいだろう。
 しかし、すれ違いざまに手首を取られて引き留められた。強い力に眉を寄せる。

「無礼だぞ」
「最後まで聞いてください」
「話ならもう終わった」
「いえ、まだ終わっていません。どうして僕が殿下の結婚に反対するのか、その理由をどうか聞いてください」

 なんだそれはと眉間の皺が深くなった。スザクが反対する理由なんて聞いたところでなんの意味がある。

「まさかミレイが気に入らないとでも言うつもりか? それとも家柄に文句があるのか?」
「いいえ。ミレイ様はとても素晴らしい方です。アッシュフォードも家柄としてはまったく問題ありません」
「だったらなんだ」
「自分の気持ちの問題です」
「お前の?」

 掴む手はそのままにスザクが小さく息を吸い込んだ。彼の緊張が不思議と伝わってきて、ルルーシュも無意識に身構えた。

「僕が、あなたのことを好きだからです」

 スザクの言葉は耳に届いたけれど、その意味はまったく理解できなかった。ぽかんと翡翠の瞳を見つめる。

「なんの……冗談だ」
「冗談ではありません。殿下のことが好きなんです」
「ああ、主としてという意味か。大袈裟だな、わざわざ口に出して言うことではないだろう」
「違います。もちろん主として殿下を敬愛していますが、それ以上にあなたという人を愛しているんです」

 愛している。その一言に一瞬でも期待を抱いてしまった自分に絶望した。
 これは単なる言葉の綾だ。意味なんて何もない。ましてや、自分と同じ気持ちをスザクが返してくれるはずがない。わかっているのに愚かにも期待してしまった。

「やめろ! そんなことを言うな! そんな言い方されたら…っ」

 勘違いしてしまいそうになる。スザクが自分を好きなのだと本気にしてしまいそうになる。
 ルルーシュはスザクの手を振り払って逃げ出した。
 (怖い)
 何を言い出すのかわからないスザクが怖くてたまらない。見合いをやめさせるためだけにそんなことを言っているのだとしたら、なんて酷い男だろう。

「殿下、落ち着いてください」

 早くここから逃げたいのに足が絡まって上手く動けなかった。両腕を掴まれ、無理やり正面を向かされる。

「離せ! どうせ罰ゲームか何かなのだろう、俺を騙して信じ込ませて笑いものにするつもりか。そうでなければ、お前が俺のことを、」
「好きですよ。嘘や冗談ではありません。殿下のことを愛しています、本当に」
「――ッ」

 引き攣った声が漏れた。
 スザクの視線から逃れようとするけれど、がっちり掴んだ手はびくともしない。仕方なくルルーシュは顔を背けた。

「信じていただけないのは仕方ないと思っています。自分はあなたの騎士で男です。ハードルばかりだし、信じて受け入れてくださいと言ってもすぐには無理だとわかっています。でも、あなたが結婚するかもしれないと聞いて、あなたが誰かのものになることを想像したらとても耐えられなかった。だから自分の気持ちを偽るのはやめにしたんです。僕はあなたが好きです。ミレイ様とのお見合いはやめて、どうか僕を選んでください。僕では駄目だとおっしゃるのなら、この場で騎士を解任してください」
「え……」
「邪な想いを抱えたままあなたの傍にいることはできませんから。僕は聖人君子ではありません。あなたが僕以外の人を選ぶところなんて見たくない。だから、僕の気持ちを受け入れていただくか、僕を解任するか、どちらかを選んでください」

 床を見つめながら唇を噛む。
 スザクは勝手なことばかりだ。こんなに好きにさせたくせに。スザクなしでは生きられないほど彼のことを好きになったのに。せめて自分の騎士にと望み、ようやくその願いが叶ったというのに、たった一年で解任しろと酷いことを言う。
 そんなつもりで彼を諦めたわけではないのに。

「なんで……、どうしてそんなことを言うんだ。私は、ただお前に傍にいてもらいたいだけだったのに。父上の騎士だったお前を自分の騎士にできて、それで充分だったのに。いつかお前がほかの誰かを選ぶことになってもちゃんと祝福したいから、だから先に諦めようと思ったのに、どうして騎士であるお前まで諦めなければいけないんだ。だって、私は――」

 背けていた顔を俯け、手の甲で口許を覆う。

「殿下」
「見るな…っ、頼むから見ないでくれ。こんなみっともない顔、お前にだけは見られたくない……」

 スザクは自分のことを好きだった。嘘でも冗談でもなく本当にそう言ってくれている。
 それをようやく理解して、泣けばいいのか笑えばいいのかわからなかった。
 蓋をしたはずの想いが溢れそうになる。でもそれは、嫉妬や執着にも塗れている想いだ。決して綺麗ではなく、むしろとても汚い。そんなものをスザクに見せたくなかった。彼は綺麗な部分しか知らないから、こんな自分を知られたらきっと嫌われてしまう。
 スザクに嫌われることが世界で一番恐ろしい。

「殿下、どうか顔を上げてください」
「頼むから俺のことは放っておいてくれ」
「放ってなんかおけません」
「俺はお前が思っているような人間じゃないんだ。お前に好きになってもらえるような人間じゃない。本当は嫉妬深くて、お前がほかの女と話しているだけで気が狂いそうで、でも自分が傷付くのが怖くて逃げ出して、強くなんかないし、ましてや綺麗でもない。汚いだけの人間なんだ」
「それなら僕も同じです。あなたのためと言いながら、あなたを言い訳にずっと逃げていた。今回のお見合いの話がなければ気持ちを伝えようなんて思いもしなかった」

 そういう意味ではお見合いが持ち上がったことに感謝しなければいけませんね、と悪戯っぽく言われる。

「自分の気持ちを伝えないまま相手の幸せを願うなんて出来た真似は僕には到底無理だとわかったんです。それに、殿下がこのまま望まない結婚をされることは間違いなく不幸ですし」
「俺が望んでいないとなぜわかる」
「だって、殿下は僕のことが好きでしょう? ほかの女性と話しているだけで気が狂いそうになるだなんて、これ以上の熱烈な告白がありますか?」

 自らの発言を思い返し、スザクのにこりとした顔を見て、ルルーシュは頬が一気に熱くなるのを感じた。あれは告白ではないと否定しても信じてもらえないだろう。

「ち、違う! 告白じゃない、俺はお前のことなんか少しも好きじゃない!」

 それでも往生際悪く喚けば、爽やかな笑みが返ってきた。

「ああ、あと、先ほどから一人称が俺になっているのは殿下の素ですよね?」
「えっ」
「いつも僕のほうが振り回されていますが、殿下もこんな風に混乱されることがあるのですね」

 可愛いですという感想にまた顔の温度が上がった気がした。
 どうしてこんな事態になったのだろう。一生胸に秘めておくつもりだった想いなのに、これでは何もかもだだ漏れだと心の中でぼやく。

「好きという気持ちに嫉妬は付き物ですよ。相手を独占したい、自分だけのものにしたいと思うのは当然のことで、それはちっとも汚くありません。殿下が汚いと言うのなら僕はもっと汚いです。あなたをどこかの屋敷に閉じ込めて僕だけのものにしたいと一度も思わなかったと言えば嘘になる。そんな僕でも殿下は受け入れてくださいますか?」
「俺は最初からお前を受け入れている。それに――」

 この続きを言ってもいいのだろうか。この気持ちを全部伝えても許されるのだろうか。彼の幸せを願って身を引いたはずなのに、告白されたからと都合よく決心を翻していいのだろうか。
 スザクを諦めようと決めた心がぐらぐらと揺れて、そんな自分はやっぱり卑怯だと思った。

「僕はあなたがどんな人間であろうと好きですよ。皇帝陛下の騎士という地位より、あなたの騎士という立場が欲しかった。だからあなたが僕を望まれたときはとても嬉しかったんです。僕を選んでくださってありがとうございます、ルルーシュ殿下」

 両手を持ち上げられ、スザクの唇が指先に触れた。口付けられた場所が熱を持ったように熱い。
 彼への愛しさに胸が溢れそうで、ルルーシュは顔をくしゃりとさせた。

「お前は馬鹿だ。なんでも持っているくせに、なんで俺なんかを選ぶんだ」
「殿下でなければ意味がありません。それになんでも持っているわけではないですよ。あなただけはどんなに望んでも手に入れることができなかった。ずっと殿下のことが好きだったんです。知っていましたか?」

 知らない、と首を降る。
 そんなこと知らなかった。ずっと、知らなかった。

「自分の気持ちを隠すことはもうやめにしました。うかうかしていたらほかの誰かに殿下を盗られてしまう。それがあなたの幸せなら僕は騎士としてただ祝福しようと思っていた。でも、そんなことは到底無理だったんです。だから紳士面することもやめました」

 両の手を柔らかく握り締められる。大事なものを包み込むような仕草に無性に泣きたいような気持ちになった。

「もう一度伺います。僕の気持ちを受け入れるか、僕を解任するか、どちらかを選んでください」

 スザクの指が少し震えているように感じるのは気のせいだろうか。
 表情はいつも通りの彼だけど、心の中では不安なのかもしれない。そう思った途端、急に緊張が解れた。
 (俺もスザクも不安なんだ)
 ずっと隠し続けた想いを口にするのはとても怖い。本当に受け入れてもらえるのか不安でたまらない。でも、スザクが勇気を出してきっかけをくれたのだ。ならば主として、ひとりの人間として、彼に応えなければいけないだろう。
 ルルーシュは伏せていた目を上げた。真っ直ぐに自分を見つめる翡翠をしっかり見つめ返す。

「俺も……」

 絞り出した声は掠れていた。励ますように握る手に力を込められ、息を吸い込む。

「俺も、スザクのことが好きだ。初めて出会ったときからずっとお前のことが好きだった。だから、騎士を辞めるなんて言わないでくれ」

 スザクの手を握り返す。
 温かくて武骨な手が好きだ。その顔も、声も、髪も、瞳も、全部好きだ。馬鹿みたいに真面目なくせに、ときどき天然で、でも敵には容赦しなくて、必ず自分を守ってくれる彼が好きだ。
 スザクを構成するすべてが好きだ。

「好きなんだ、スザクが」

 ずっと、ずっと好きだった。そう繰り返した唇に温かいものが触れた。
 彼の誕生日のときに一度だけ、こっそりキスをしたことがある。あれが最初で最後のつもりだった。あの一度きりを思い出に、死ぬまでスザクへの気持ちを抱えて生きていくつもりだった。
 それなのに、スザクのほうからキスをされている。そのことを実感すると胸がいっぱいになって目の奥が熱くなった。
 瞼を下ろせばキスが深くなり、背中と腰に腕が回された。

「ん……、ンっ」

 酸素を取り込むために薄く開けた唇から舌が差し入れられる。肉厚なそれはとても熱くて火傷しそうだ。

「ふぁ、ア、ッ」

 唾液の交わる音が耳に届いて恥ずかしい。でも気持ちいい。やめてほしくない。
 舌先が触れるたびにぞくぞくとしたものを感じた。スザク、とキスの合間に喘ぐように囁けば、一旦深く重なった唇が唐突に離れた。どうしたのかと尋ねる代わりに乱れた息のままスザクを見た。

「これ以上は自制がきかなくなりそうなので……。ご無礼をお許しください」

 濡れた唇と涙の伝った頬を指の腹で拭われる。ルルーシュはその手を取って指を絡めた。
 スザクに触れても目が覚めることはない。夢ではないのだと安堵するように思った。

「愛しています。ずっとあなたのお傍にいさせてください」
「お前こそ、俺の傍から離れたら許さないからな」
「わかっています」

 顔を見合わせて二人で一緒に笑う。
 皇子と騎士という立場も、男同士ということも、決して生易しい問題ではない。おとぎ話はハッピーエンドで終わるけれど、現実はハッピーエンドから先を考えなければならない。
 でも、幸せだ。今この瞬間、自分たちは間違いなく世界で一番幸せだ。
 だから今だけは世界一の幸せに浸っていたかった。

* * *

 すまないと謝罪して頭を下げれば、やめてくださいと慌てた声がした。

「どうかお顔を上げてください。私なら気にしていませんから」
「だが、私のほうから結婚を考えてくれと言っておきながらそれを反故にするなんて、君にもアッシュフォードにも失礼極まりない行為だ。本当にすまないことをした」
「反故と言っても食事会がなくなっただけです。お見合いの席すらまだセットされていなかったのですから、殿下がそのように謝られる必要はありません。それに、私はこれで良かったと思っているんですよ」

 どういうことだとミレイを見れば、彼女はにっこりと笑った。

「だって、殿下が望まない結婚をされるのはとても不幸でしょう?」
「不幸だなんてことは……」
「本当に? でも、殿下にはお心に決めた方がほかにいらっしゃるのではないですか?」

 なぜミレイがそれを、と目を瞠れば「正解ですね」と笑みを深められた。どうやら鎌をかけられたらしいと気付いて動揺する。

「ち、違う、そんな相手は、」
「お見合いの話が出たときは私との結婚まで考えていらっしゃったのに、三日前になって急に食事会がキャンセルになったということは、もともとどなたかに片想いだったけれどあのあと気持ちに変化が生まれたということですよね。もしかして、その方と結ばれたのですか? でしたら私は完全に邪魔者ですね。ご安心ください、私は殿下のファンですから殿下の恋路を邪魔するようなことはいたしません」
「だから違うと言っているだろう。そんな事実はない。適当なことを言うな」

 まさか大正解だとも言えず、ルルーシュは努めて顰めっ面をしてみせた。

「それに相手がいてもいなくても私は一生結婚するつもりはない」
「あら、どうして? 身分違いの恋でもされているのですか?」
「身分違いならまだ良かったな……」

 性別が一緒だからだ、とはますます言えない。同性である以上、スザクとの関係は公にできないし、もちろん結婚することもできない。今後は見合いの話も増えるだろうから、今のうちに対処法も考えておかなければならないだろう。
 王子様とお姫様が結婚してめでたしめでたしで都合良く終われるのは絵本の中だけだ。現実は決して甘くない。でも、スザクの手を取ったことを後悔はしていなかった。
 ようやく自分のものになったのだ。それを手放すなんて愚かな真似をするつもりはない。
 (どれだけ強欲なんだろうな、俺は)
 思わず苦く笑えば、ミレイが憂うような表情をした。

「ひとつ教えていただけますか?」
「なんだ?」
「殿下は今、幸せですか?」
「ああ」

 その質問には即答した。
 ずっと好きだった人と想いが通じて、同じ気持ちを返してもらえた。これが幸せでなければ何を幸せと呼ぶのだ。

「それなら良かったです。もし苦しいだけの恋をされているのなら、おじいさまに頼み込んで結婚まで漕ぎ着けてしまおうかと考えていたのですが、どうやら杞憂だったみたいですね」

 どうかお幸せにと微笑む顔に先ほどの憂いはない。茶化すような言葉は、本当に自分のことを心配してくれていたのだろう。ミレイにもルーベンにも、自分に関わった人すべてに迷惑をかけてしまったことを改めて申し訳なく思う。

「ミレイさえ良ければ、またお茶会に来てほしい。私の顔など二度と見たくないかもしれないが」
「もう、だから私は気にしていないと申し上げたでしょう? 私は殿下のファンなんです。今後もファンとしてお慕いさせていただきますけど、それと結婚は別ですから。私は私で自分に相応しい方を見つけます」
「ありがとう、ミレイ」
「どういたしまして。あ、最後にもうひとつ」

 ほかに何かあるのかと首を傾げれば、失礼しますと耳元に手を当てられた。子供の頃、内緒話をするときはよくこうしていたと思い出す。部屋に自分たち以外はいないのにと不思議に思いながら、懐かしさのままミレイの言葉を待った。

「とてもいい顔をされていますよ。素敵な恋をしてくださいね。でも、幸せオーラ全開だと周囲があてられてしまいますから程々に」
「な…っ、だ、だからそんな相手はいないと…!」
「幸せだって大きく頷かれた方が今さら何をおっしゃるのですか。それでは私はこれで。お茶会、必ず誘ってくださいね」

 失礼いたしますとにこやかに告げたミレイを見送ると、恥ずかしさやら居た堪れなさやらで急に疲労感に襲われた。ひとりになった部屋で行儀悪くソファに寝転がる。
 スザクと恋人になるにあたり、ミレイとの見合いを中止する必要があった。三日前にいきなりキャンセルすれば当然顰蹙を買うだろう。しかし、スザクの気持ちを受け入れておきながら、形だけだとしても見合いをするわけにはいかない。それはスザクに対してもミレイに対しても不誠実だ。
 だから、叱責も覚悟の上で母に中止を申し出た。強行されるようならミレイを味方に引き入れてとにかく食事会をぶち壊すしかないとまで考えていたのだが、母から返ってきた答えは「じゃあ仕方ないわね。ルーベンに伝えておくわ」と非常にあっさりしたものだった。あっさりし過ぎて拍子抜けしたくらいだ。
 (結局、なんのための見合いだったんだ……)
 本気で息子を結婚させるつもりはなかったのだろうか。だったら、なぜ急に見合いなんて言い出したのか。
 だけど、今回の一件がなければ自分とスザクは永遠に片想いをしていたかもしれない。そう考えれば、ミレイには悪いけれど見合いはいいきっかけだったと言える。
 どのくらいそうしていたか、ドアをノックする音に意識を戻された。寝転んだまま入れと告げれば、お行儀が悪いですよと注意される。

「お前しかいないのだから別にいいだろう」
「ミレイ様はお帰りになったのですか?」
「ああ。ミレイには本当に申し訳ないことをした」

 呟けば、さらりと髪を梳かれた。その感触が心地良くてルルーシュは瞼を下ろした。

「僕はミレイ様には感謝しているのですよ。あの方は多分……」
「多分?」
「――いえ、僕の勘違いかもしれないので。とにかく、殿下がお見合いを中止してくださって良かったです」
「不誠実なことはできないだろう。ミレイにも、お前にも」
「ナナリー様にも、ですよね」
「それはもう言うな」

 ミレイとの見合いが持ち上がったとき、ナナリーとスザクを結婚させようと企んだことを暗に指摘されて目を瞑ったまま眉を寄せた。
 あのときの自分は馬鹿だったとしか言いようがない。ナナリーはスザクのことを気に入っているし、スザクがナナリーの夫となれば安心できるし、見ず知らずの人間に盗られるよりはましだと思い、それを本当に実行しようとしたのだから。
 あのあと、二人からはこっぴどく叱られた。お兄様はなんにもわかっていないんですと言われ、二人の気持ちを蔑ろにした己の身勝手さにようやく気付いて大いに反省した。それだけ余裕がなかったということだが、ナナリーにもスザクにも迷惑な話だっただろう。
 目を開けて仰向けになれば翡翠の瞳と目が合う。ふと、視界に白いものが映って、その正体を確かめるためにルルーシュは起き上がった。

「百合?」

 スザクが抱えていたのは美しい百合の花束だった。

「庭師にいただいてきました」
「だが、今は百合の季節ではないぞ」
「特別に育てられたものだそうです。殿下に花をと思ったのですが、あまり詳しくないので何がいいのかわからなくて。それで庭師に聞いたら、殿下には白百合が似合うのではということで譲っていただきました。お嫌ではないですか?」
「いや、綺麗だな。冬の百合か」

 目許を和らげればスザクが頬を緩めた。
 手を伸ばしてその腕に触れる。花束をソファに置いたスザクが身を屈め、首に抱き付けば背中に腕が回った。

「白百合の花言葉は純潔と威厳だそうです。殿下にぴったりでしょう?」
「威厳はともかく、純潔というのは聖母マリアのような乙女に使う言葉だろう」
「僕はルルーシュ殿下にこそ相応しいと思いますよ。もっとも、その純潔はいずれ僕がいただくつもりですが」
「恥ずかしいことを言うな、馬鹿」

 意図するところに気付いて顔が赤くなった。今はまだキスしかしていないけれど、そのうちキス以上のことをするのだろうかと一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしく、ますます頬が熱くなる。くすくすと笑う声が耳を擽った。

「あなたを全部いただくつもりですから、覚悟しておいてくださいね」
「それはこちらの科白だ。私の傍から離れたら許さないと言っただろう。私を守って勝手に死ぬことも許さない。絶対にだ」
「もちろんです。交わした約束を違えるつもりはありません。僕はあなたのためだけに生きます」

 神の前で行う神聖な儀式のように恭しく唇が触れた。そして、誰にも知られることなく永遠を誓う。
 ただ、白百合だけが自分たちを見守っていた。
 (15.01.05)←←前編