「これは由々しき事態だと思うんです。毎日毎日仕事仕事、仕事のない日はナイトメアの調整だシュナイゼルお兄様とのチェスだお父様との食事会だ、挙句にいつもと代わり映えしないバレンタインでしょう? 雰囲気なんてまったくないじゃないですか」
ナナリーに何やら力説しているユフィの声に耳を傾けながら、ルルーシュはサンドイッチを咀嚼した。朝から何も食べていなかったので空腹なのだ。
例によってアリエスに突撃訪問してきたユフィを出迎え、ナナリーと三人でお茶をすることとなった。午前中はシュナイゼルとの打ち合わせや新しい法案についての意見交換などで忙しかったものの、午後は予定が一切入っておらず、珍しく書類仕事もなかったので早々にアリエスに戻って来た。
いつまでも残っていたらまた余計な仕事を押し付けられるだけなので、その判断自体は間違っていなかったと思う。が、ゆっくり本でも読もうという計画は残念ながら叶いそうにない。
(本はいつでも読めるし、今日は二人に付き合うか)
先ほどから熱弁をふるっているユフィとそれに同意しているナナリーは楽しそうな様子である。
サンドイッチを食べ終わったルルーシュは口許を拭うと紅茶を飲んだ。ようやく人心地ついたと椅子の背もたれに寄りかかると、妹たちの視線が自分に向けられていることに気付いた。なんだ、と首を傾げる。
「ルルーシュの話をしているんですよ。もっと真剣に聞いてください」
「俺の? まさか、ずっと俺の話をしていたのか?」
「ほかに誰がいるんですか。もう、ルルーシュの鈍さは相変わらずね。そんなことだとスザクに愛想を尽かされますよ」
「スザクは関係ないだろ」
「関係あります。ね? ナナリー」
ナナリーが大きく頷く。何がどうスザクと関係あるのかわからないが、この二人に言われるとルルーシュは何も反論ができなくなるのだ。
「二人がお付き合いするきっかけを作ったのはナナリーだし、私だって散々お膳立てしてきたんですからね? だいたい、ルルーシュがスザクを好きなこともスザクがルルーシュを好きなことも最初からばればれだったのに、二人だけが気付いていないなんて有り得ないです。どうしてお互い片想いのつもりだったのか、」
「わかった! わかったからその話はもういい!」
これまでの苦労を語り始めたユフィを慌てて止める。
いまだに信じられないことだが、長い片想いの末にルルーシュはスザクと付き合うこととなった。
気持ちを伝えるつもりはまったくなかったし、片想いのまま一生を終えるつもりでいた。それなのにスザクから告白され、自分たちは両想いだったのだと知り、主と騎士という関係に恋人という関係が加わったのが一ヶ月ほど前のこと。
スザクと想いが通じたのは夢のようだ。傍に控える彼を見て、自分の恋人なんだと実感するたびにふわふわとした幸福感に包まれる。
そんな幸せは妹たちがいなかったら叶わなかったかもしれないと教えてくれたのはスザクだ。二人とも兄とその騎士の気持ちに気付いていて、ずっと応援してくれていたのだと聞かされたときは赤くなったり青くなったりした。隠していたつもりがすべてばれていたとわかれば恥ずかしくてたまらない。しかも、よりによって妹たちに知られていたということが居た堪れなさを助長した。
でも、「良かったですね」と笑顔でユフィに言われたときは素直にありがとうを返せた。誰かに認めてもらいたいとは思わないけれど、彼女たちの祝福はやはり嬉しかった。自分とスザクが上手くいくよう密かに応援してくれていたことも嬉しい。
(しかし……)
妹たち公認の仲とは言え、男同士ということを周囲に言いふらす趣味はない。たまたまナナリーとユフィが協力的なだけで、同性の恋人なんて普通は受け入れてもらえないだろう。
ましてや自分は皇族だ。このことが露見すればスキャンダルになり、スザクまで白い目で見られてしまう。自分が悪く言われるのは構わないが、スザクには迷惑をかけたくなかった。
「お前たちには感謝しているが、頼むからこのことは外であまり口にしないでくれ」
「もちろんです。ルルーシュったらそんな心配をしていたの?」
「私たちはお兄様とスザクさんの味方ですから。お二人のご迷惑になることは絶対にしません」
「ナナリー……、ユフィも、ありがとう」
二人の心配りにルルーシュが感激していると、それでですね、とナナリーが切り出した。
「せっかくお付き合いすることになったのに、お兄様は相変わらずお忙しいし、スザクさんは騎士としてお兄様をお守りするばかりでちっとも恋人らしくないでしょう?」
「俺もスザクも自分の仕事をしているだけなんだが……」
「だから、それだと今までと変わらないじゃない。せっかく恋人になったんだからルルーシュはもっと積極的になるべきです」
恋人を連呼されるのはどうしても慣れない。当たり前のように恋人と呼ばれるのは照れくさくて、ルルーシュはぎこちない笑みを浮かべるだけだった。
「そういうわけで、私とユフィ姉様でお兄様たちのデートプランを作ってみました」
「普通の恋人みたいに街中でデートとはいかないけど、いつもと違ったシチュエーションもいいかと思って。せっかくのバレンタインですから」
「バレンタインとデートは関係ないだろ」
「あら、日本のバレンタインは恋人同士がデートをするみたいですよ。ここはスザクの故郷のイベントを取り入れたほうが喜ばれるんじゃないですか?」
ねー、と二人が顔を見合わせる光景には既視感があった。なんとなく、いや、確実に嫌な予感がするのは虫の知らせというやつか。
「だから、お誕生日のときに贈ったワンピースを着てスザクとデートしてきてください」
「またか!」
一度ならともかく、二度も三度も女装をする趣味はない。いくら褒められようが変装のためだろうが、自分にだって男としてのプライドがあるのだ。
「似合うんだからいいじゃない」
「そういう問題ではない」
「ルルーシュはスザクとデートしたくないの?」
「それとこれとは話が別だ」
「だって普通の恰好だとばれちゃいますよ?」
「だったらデートなんかしなければいい」
「……お兄様」
呼ばれてルルーシュは口を噤んだ。にっこりと笑ったナナリーの顔はいつもと変わらないのに、どこか怖く感じるのはなぜだろう。
「お兄様が私とスザクさんを結婚させようと企んでいたことが発覚したとき、お詫びに私のお願いをなんでも聞くとおっしゃってくださいましたよね?」
「あ、ああ……」
「では、そのお願いを今ここで聞いてくださいますか?」
「聞くとは言ったが、俺の想定していたお願いというのはだな、」
「往生際が悪いですよ、お兄様。とにかく先日の白のワンピースを着てスザクさんとデートしてきてください。叶えてくださらないならお兄様とは今後一切口をききませんので」
笑顔でさらりとお願いするナナリーにルルーシュは相槌すら打てなかった。自分のプライドとナナリー、どちらが大事かなんて考えるまでもない。
(ナナリー、いつの間にか母上に似てきたな……)
妹の成長は喜ばしいが、逞しすぎるところは兄として複雑である。
「では、決まりですね」
ルルーシュの返答を待たずにユフィが決定を下した。ぽんと手を打つ姿は見るからに楽しそうだ。
「詳しいプランはスザクに教えておくので、ルルーシュはついて行くだけでいいですよ。あ、せっかくだからチョコレートも持って行ったらどうですか?」
「もう好きにしてくれ……」
「あとから文句は言わないでくださいね」
協力ではなく面白がっているだけなのではないかという疑惑が浮かんだけれど、もはや反抗する気力もない。冷えた紅茶を行儀悪く飲み干せば口の中に苦味が広がった。
周囲に女装がばれるのではないかと冷や冷やするのも嫌だし、スザクにまた女装かと呆れられるのも嫌だ。
でも堂々とデートできることだけは感謝だな、と少しだけ思ったことは誰にも打ち明けられないルルーシュだけの秘密だった。
鏡の前に座っているとノックの音が聞こえた。ルルーシュの代わりにナナリーがどうぞと応える。部屋に入ってきたスザクの恰好にルルーシュは目を丸くした。
街に出るからラフな服を着てくるのだろうと思っていたから、黒のジャケットに同色のパンツというかっちりとした出で立ちは意外だ。
「ご準備はよろしいですか? 下で車が――」
そこで言葉が止まったのを訝しむ。見れば、スザクは惚けたように突っ立っていた。小首を傾げると彼の顔が心なし赤くなった。
「お兄様がとっても綺麗だから照れていらっしゃるんですよね、スザクさん」
ルルーシュの首にネックレスをつけていたナナリーがくすくす笑う。
「殿下のこのお姿を見るのは三回目ですが、どうしても慣れなくて」
「別にいつもと同じ顔だろう」
ナナリーに礼を言い、ルルーシュは椅子から立ち上がった。白いワンピースの裾がふわりと揺れるのも、両肩から長い髪が落ちるのもやはり違和感しかない。
「ユフィ姉様も一緒にお見送りするはずだったのに、来られなくて残念です」
「俺はそのほうがありがたい……」
妹たちによって指定されたデート当日。準備の手伝いに行くと言っていたユフィは急遽予定が入ってしまったと朝から連絡があった。電話の向こうで随分と悔しがっていたが、兄の女装姿を見て何が楽しいのかルルーシュにはちっともわからない。
私のお菓子を残しておいてくださいね、とのおねだりにはあとで届けさせるから安心しろと笑って答えた。毎年、バレンタインは世話になっている人たちに菓子を渡している。今年は焼き菓子を作って贈ったが、スザクにはデートのときに渡すつもりなので包みはまだ鞄の中だ。
ちなみに、彼の分だけ特別にチョコレートを詰めているのは、決して妹たちに唆されたからではない。ただ、日本ではチョコレートがバレンタインのオーソドックスな贈り物だと聞いたからチョコレートにしただけである。
「では、そろそろ参りましょうか」
「ああ」
ナナリーと共に階下へ向かう。後ろからついて来るスザクの視線を感じるのは、これが正式なデートだということを意識しているからかもしれない。
妹たちの画策でデートに似たことは何度かしたけれど、あのときは片想いのつもりだったから気持ちに少し余裕があった。でも、今日は恋人になって初めての外出なのだ。
告白から一ヶ月が経ったものの、宰相補佐としての仕事やナイトメアの調整などで何かと忙殺される日々で恋人らしい時間を過ごす暇がなかった。時折キスを交わしても、おはようやおやすみの挨拶代わりみたいなものだからあまり特別感はない。だから、いざデートをするとなるとやけに緊張した。
(女装という余計なオプションはついているが、スザクと二人きりで食事をするだけだ。別に緊張するようなことではないだろう)
歩きながら己を叱咤した。今日は警備の都合で食事ぐらいしかできないと聞いている。妹たちはもっといろんな場所で遊んでもらいたかったようだが、ルルーシュにとっては充分すぎるデートだ。自分だったら一緒に食事をしようなんて提案はできなかったから、二人には感謝しなければいけない。
玄関に到着すると、では行ってくるとナナリーに声をかけた。
「いってらっしゃいませ、お兄様。スザクさん、くれぐれもお兄様をお願いしますね」
「はい」
車に乗り込み、アリエスを離れて街の方角へと向かう。車内ではお互い無言だったのも、降りるときにスザクがエスコートしてくれたのも、先日の誕生日と同じなのにどこか緊張感が抜けない。
「少し歩きますね」
そう言ってスザクが手を繋いできた。咄嗟に離そうとしたけれど、はぐれてはいけないので、との言葉にそれもそうだと納得しておずおずと握り返した。普段ならとても頷けなかったから女装姿で良かったと思い、あんなに嫌がっていたのに現金なものだと苦く笑う。
ナナリーとユフィが手配してくれた店はすぐに見つかり、ドアをくぐると個室へ案内された。ほかの客の視線や話し声を意識しなくていい状況にほっとする。恭しく礼をしたギャルソンが一旦外に出ると、ルルーシュは詰めていた息を吐き出した。
「そんなに緊張されなくても」
可笑しそうに笑う声に唇を尖らせてみせる。
「お前は女装していないから気楽でいいな」
「とても良くお似合いですよ」
「褒められても嬉しくない」
「本当です。どんな恰好をされても殿下の美しさが損なわれることはありません」
「また歯が浮くような科白を……。そういうのは女に言え」
「僕が美しいと思うのは殿下だけですから、ほかの人に伝えても意味はないです。それに、デートのときぐらいはちょっと雰囲気を出してみてもいいでしょう?」
少し照れくさそうな顔をしたスザクに、ルルーシュも頬を緩める。
もしかしたら彼も緊張していたのかもしれない。今日は自分たちにとって初めてのデートで、しかも恋人であることをアピールしても許されるのだ。まさか皇子とその騎士が手を繋いで歩いているとは誰も思わないだろう。
(……そういえば、護衛はどうなっているんだ?)
ふと疑問を抱き、思い至った可能性にルルーシュの顔が蒼褪めた。どうされましたかと尋ねる声に応えることもできなくて、情けないくらい動揺した視線をスザクに向けてしまった。
「殿下? お加減でも、」
「スザク、やっぱり戻ろう! デートなんかしている場合ではない!」
「へ……?」
「車の中はともかく、街中での俺たちを護衛が見ているんだぞ? いくら女装がばれないように振る舞う必要があるからって、男同士で手を繋いだりべたべたしていたらおかしいと気付かれてしまう、いや、とっくに気付かれているのではないか」
「大丈夫ですから落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!」
椅子から腰を浮かせれば、テーブルを回り込んだスザクが両肩に手を乗せた。
「その点はご心配いりません」
「心配いらないって……」
「殿下のお傍には僕がいますし、街を歩いている間はジェレミア卿と咲世子さんがついています。そのほかにも護衛を配置していますが、彼らは周囲に異変がないか見張るのが役目ですから僕たちを直接見ることはありません。それに、これは罰ゲームなので殿下のお姿を見ても驚かないようにとあらかじめナナリー様から説明されています。ですから、万が一ほかの護衛に見られたとしても問題ないです」
「本当か……?」
「ええ」
にこりとした笑みに体から力が抜ける。安心した途端、己の醜態が情けなくて今度は顔を上げられなくなってしまった。思わず膝の上でスカートの裾を握り締めた。
(この程度で取り乱すなんてみっともない)
そもそも、こんな心配は最初にデートもどきをしたときに気付くべきことだ。今ごろ不安になるとは、どれだけデートに気を取られていたのだろう。スザクのことしか考えられないほど浮かれていた自分が恥ずかしくてたまらない。
「僕としては残念ですけどね。殿下は僕の恋人だと正々堂々お披露目して自慢する絶好の機会だったのに」
ひとり煩悶している恋人を慰めるためか、おどけた口調でスザクが言う。
「……馬鹿じゃないか」
照れ隠しに可愛くないことを呟けば額に唇を当てられた。あやすようなキスは優しい。
「ナナリー様とユーフェミア様がプレゼントしてくださった時間ですから、アリエスに戻るまではどうか余計なことは考えずにいてください」
「善処する……」
スザクと一緒にいられて嬉しいくせに、やはり可愛くないことしか言えない自分が恨めしい。それでもスザクにはちゃんと伝わったようで、にこにことした顔はどこか幸せそうにも見える。
椅子に座り直したタイミングで個室のドアがノックされた。日頃から給仕され慣れているけれど、使用人以外の人間が飲み物や食事を運んでくるのはなんだか新鮮で不思議な感じだった。
「何に乾杯するんだ?」
悪戯っぽく聞けば、少し考えたスザクが「では、二人の姫君に」と答えた。
「何もかもお膳立てしていただきましたから」
「戻ったら今日の感想を根掘り葉掘り聞かれそうだな」
「確かに」
顔を見合わせて笑うと乾杯をする。
二人きりでグラスを傾けるのは照れくさいけれど、ふわふわとしたあたたかい空気はとても心地良くて、ルルーシュは心の中で妹たちに感謝を伝えた。
食事が終わり、さて帰ろうと店を出たところで「もうひとつ付き合っていただけますか」とスザクに手を引かれた。どこへ行くのか尋ねても内緒ですと返ってくるだけで、行き先も目的もわからない。これもナナリーたちの計画かとルルーシュは素直について行った。
五分ほど歩いてたどり着いたのは重厚でレトロな造りの建物だった。皇宮にもこんな雰囲気を残している一角があるなと思いながら、連れられるままにエレベーターへ乗り込んだ。押されたボタンは最上階で、軽い浮遊感と共にぐんぐん上がっていく。
「ここはどういう場所なんだ?」
「少し説明が必要ですので着いたらお話しします」
奥歯に物の挟まったような言い方に首を傾げるが、エレベーターの表示ランプを真っ直ぐ見つめる横顔と強く握られた右手が質問を拒んでいるみたいで、ルルーシュもそれ以上は何も聞かなかった。
軽やかな音が鳴るとドアが開く。降り立ったフロアは床一面にふかふかの絨毯が敷き詰められていて、通路に飾られた絵画や調度品は皇宮に負けず劣らず高級なものばかりだ。
やがてひとつの扉の前で止まると、スザクがキーを操作してロックを解除した。
「こちらへどうぞ」
促されて中へと入る。廊下の先には部屋があるようだが、ここがどういう場所なのかまだわからない。戸惑いながら立ち止まっていると背後でドアの閉まる音がした。思わずびくりとすれば、再び手を取られて奥に連れて行かれた。
「スザク、ここは……」
「ホテルです。殿下は初めてですか?」
「あ、ああ……」
外泊する機会なんてないし、兄のお供で外遊したときも滞在するのは迎賓館や王族の住まう城だったから、ホテルというものをこの目で見るのは初めてだ。足を踏み入れたこともない。
物珍しく周囲を見渡していると、ここから夜景が見えるんですよとカーテンが引かれた。大きなガラス窓の向こうには綺麗な夜の景色が広がっていた。
「この間より光が近くに見えるな」
「あそこほどの高さはありませんからね」
誕生日の日に訪れたのは世界一の高さを誇るビルで、スザクに寄り添いながら夜景を見たことを思い出した。あのときはカップルを演じるためという理由を口実に思い切ったことをしてしまったと、今さらながらに自分の行動を省みて恥ずかしくなる。
あれからまだ二ヶ月。再び夜景を、しかも今度は恋人としてスザクと一緒に見られるとは想像すらしていなかった。
夢みたいだ。そう思ったとき、背中にぬくもりを感じてルルーシュは色気のない悲鳴を上げた。
「そんなに驚かないでください」
くすくすと笑う声が耳を擽り、反射的に身を竦める。
「ス、スザク、」
「やっと二人きりになれましたね。ここなら誰にも見られませんよ」
「だ、誰にもって、そういえば、なんでこんな部屋を……」
心臓がうるさく鳴っていた。抱き締められたことは何度もあるのに、ひどく緊張しているのはいつもと違うシチュエーションのせいだろうか。
「これもナナリー様とユーフェミア様からの贈り物です」
「え?」
「今日は二人で泊まってきてください、とのことです。殿下を驚かせたいからずっと内緒にしていました」
詳しいプランはスザクに教えるからついて行くだけでいいとか、あとで文句を言わないようにとか、そういうことをユフィが口にしていたような気がする。投げやりになってすべて任せてしまったが、こんなことならちゃんと詳細を聞き出しておけば良かったと後悔しても時すでに遅し。
後ろからスザクに抱き締められたままルルーシュは固まっていた。ここに泊まるということは、一晩スザクと二人きりということだ。
今まで二人きりになる機会がなかったわけではないが、普段はどこかに必ず人の気配があったし、恋人らしい甘い雰囲気になったこともあまりないため、今の状況にどう対処すればいいのかわからない。
しかし、スザクの手付きは明らかに恋人に対するもので、何を求められているのかは鈍いルルーシュも悟った。
「ルルーシュ殿下」
低く囁いた唇が耳元に押し当てられる。変な声が出そうになるのをルルーシュは慌てて飲み込んだ。
偽物の長い髪を掻き分け、耳から首へとキスをされる感触にぞくぞくとしたものを感じた。無意識にスザクの腕を掴むと抱き寄せる力が強くなり、体と体がさらに密着した。
ワンピースのホックが外され、唇がうなじから背中を辿った。時折肌を味わうように舐められて羞恥と未知の感覚に頬が熱くなった。
「ア……」
背後から回った手が腰の辺りをいやらしく撫でる。ただそれだけのことがたまらなく気持ちいいと思うのは相手がスザクだからなのか。
(このまま流されてもいい)
ずっとスザクに触れたかった。触れてもらいたかった。
片想い中はいろんなことを我慢してきたけれど、晴れて恋人となったのだから何をしてもいいし、何をされても構わない。ここまで想定の上で妹たちはお泊りなんてプランを立てたのだろうかと思うと色々居た堪れないが、せっかくの機会をふいにする必要はないだろう。
スザクの体温を感じながら目を閉じたルルーシュは、このまま身を任せようと思った。しかし、彼の手がワンピースの裾をたくし上げようとするのにふと違和感を覚え、それから血の気が引くような感覚を抱いた。
「や、やっぱり駄目だ!」
スザクの手を押さえ、涙目のまま後ろを振り返る。突然の中断にスザクは目を丸くしていた。
「駄目だ、こんなの」
「殿下……」
「すまない、でも駄目なんだ」
「僕が相手ではやはり気持ち悪いですか?」
陰りを帯びた顔に違うと首を振る。スザクは何も悪くない。でも、自分の気持ちが駄目なのだ。
「ではどうして?」
「だって、こんな恰好で……」
「どんな恰好だろうと僕は問題ありません。それに、男の殿下にこんなことを申し上げるのはおかしいのかもしれませんが、本当に良くお似合いですよ」
「だが……、違う、だろ」
「違う?」
無意識にスカートを握り締める。スザクは急かすことなく次の言葉を待ってくれた。
「だから、その、女物がどんなに似合おうと中身は男だ。たとえ見た目が女性でも、触れば違うとわかるし、それでガッカリしてしまうかもしれないし、だから、この恰好じゃ駄目なんだ」
流されてもいいと思ったくせに、現実を意識したら急に怖くなった。
男同士であることは最初からわかっている。スザクだって承知の上で自分に告白してくれたはずだ。裸だって着替えのときに見ているだろうから今さらすぎる心配である。
でも、いざ行為に及ぶとなったら幻滅するかもしれない。ましてや今はスカート姿だ。いくら女性に見えると褒められても中身が男であることに違いはない。
そのギャップを感じて、一気に興ざめする可能性だってなくはないだろう。だったらせめて、男の恰好をしているときにちゃんと触ってもらいたい。幻滅されるなら男の姿のときがいい。
どちらも服を脱いでしまえば変わらないではないかと言われそうだが、ルルーシュにとっては大きな違いだった。だから、今は駄目なのだ。
「そんなことを気にされていたのですね。僕が至らなくて申し訳ありません」
「スザクが悪いのではない」
「いいえ、僕はあなたの騎士であり恋人です。殿下のお気持ちにもっと早く気付くべきでした。あなたと一緒にいられると思ったらつい浮かれてしまい、殿下の不安にまで思い至りませんでした」
「すまない……」
「謝らないでください」
途中まで下ろしていた背中のファスナーを戻される。こんなことで雰囲気を壊されたら普通は呆れて腹を立てるだろう。だけど、スザクは相変わらず優しい表情をしていた。
すまない、と心の中でもう一度謝罪する。
「先にお湯に入られますか? 慣れない恰好でお疲れでしょう?」
「あ、ああ」
「では準備をして参りますのでしばらくお待ちください」
にこりと笑ったスザクは部屋を出て行った。おそらく隣がバスルームなのだろう。
彼が消えたドアをしばらくぼんやり見つめていたルルーシュは、近くのソファに腰を下ろすとぱたりと体を倒した。
背中を唇で辿られた感覚を思い出す。瞼を下ろして体の奥に燻っている熱をやり過ごした。
やっぱりあのまま流されていれば良かったと今になって思うのは卑怯だろう。でも、あのときは熱も血の気も引いてしまい、スザクに触られているという状況が怖くてたまらなくなってしまった。
(馬鹿じゃないのか、俺は。せっかくのチャンスをふいにして)
あんな風に拒絶したのだ。きっとスザクは今日のことを気にしてしまう。もう二度と手を伸ばしてくれないかもしれない。女装なんて今さらなのに、些細なことを気にして逃げ出した自分に愛想を尽かすかもしれない。
自分の愚かさを思うと悔しくなるけれど、途中でお預けされたスザクはもっと腹立たしいだろう。
意気地なし、と小さく呟いてソファの上で丸まる。せっかくのお膳立てを全部台無しにしてしまった自分が情けなくてたまらなかった。
「殿下、お風呂の準備が……」
部屋に戻るとルルーシュの姿がなかった。まさか帰ってしまったのではと一瞬不安になったけれど、ソファで猫のように体を丸めているのを発見してほっと息を吐き出した。
慣れない状況に疲れたんだなとソファの前に膝をつく。薄く開いた唇は穏やかな呼吸を繰り返していて、気持ち良さそうに眠っていた。
顔にかかって邪魔だろうと長い髪を払う。それから柔らかな頬を指の背でそっと撫でた。いつもと感触が少し違うように感じるのはメイクのせいに違いない。
女装をするならと妹や侍女たちの手によってメイクを施されるのはすっかり恒例行事になってしまったが、何度見てもその美しさには驚いてしまう。今日だって思わず見惚れてしまったほどだ。
もちろんメイクなんかしなくてもルルーシュは綺麗だし、本人が聞いたら怒るかもしれないけれど、スカートに長い髪という出で立ちだけでも充分女性に見える。
(だけど、やっぱりいつもの殿下がいいな)
せっかく気持ち良さそうに眠っているが、このままでは肌に悪そうだ。とりあえずシャワーだけでも浴びてもらおうとルルーシュの肩に手をかけたスザクは、閉ざされた眦から涙が一筋零れたのにぎょっとした。
しばらく様子を窺ってみる。うなされたり目を覚ましたりする気配はなく、詰めていた息を静かに吐くと指先で涙を拭った。
「気にしないでください、って言っても気にするんだろうな……」
二人きりのお泊まりという状況に浮かれ、思い切って手を伸ばしたことは後悔していない。ただ、ルルーシュの気持ちに気付けなかったのは迂闊だった。
ずっと片想いを続け、我慢することには慣れていたはずだったのに、目の前にルルーシュがいて、しかも今は自分の恋人なのだと思うと箍が外れてしまった。制止の声に耳を傾けられるだけの理性が残っていたのは奇跡かもしれない。
あそこでルルーシュをなだめ、行為を続けることも可能だっただろう。でも、顔を青くして怖がっている恋人に無理強いをしたいわけではないのだ。紳士面はもうしないと宣言したけれど、相手の気持ちを考えずに自分勝手に振る舞うつもりもなかった。
(情けないって思われるかもしれないけど、あなたに嫌われることが僕は一番怖いんです)
戦場で強敵と対峙するより、ルルーシュから侮蔑と嫌悪の目を向けられることのほうがよっぽど恐ろしい。
だから、ルルーシュの心の準備ができるまではちゃんと待ちたいと思う。自分も健全な青少年なのでまったくつらくないと言えば嘘になるけれど、恋人の気持ちを蔑ろにはしたくない。
でも、優しい彼はせっかくの雰囲気を壊し、恋人に我慢させてしまったことを気にしているかもしれない。眠りながら静かに泣いている姿が痛々しくて、大丈夫ですよと伝える代わりに濡れた睫毛にそっと口付けた。
そういえば以前もこんなことがあったなと思い出す。あれは初めてのクリスマスだ。あのときもルルーシュの寝顔を見ながらソファの前に座り込んでいた。
あれから一年と少し。自分の中だけで温めていた恋心がまさか叶うとは誰が想像しただろう。
「こうして殿下と一緒にいられるだけで僕は幸せなんですよ?」
赤ん坊のようにぎゅっと握られた手に手を重ね、顔を近付ける。口紅を塗った唇に触れるだけのキスをした。やはりいつもとは違う感触だった。
あとでちゃんとキスさせてくださいねと囁けば、まるで応えるように握った手に力が込められる。それに頬を緩めたスザクは、愛しさを込めてルルーシュの寝顔を見つめていた。
スザクに起こされてぼんやりした頭のままお湯に入り、そのままふかふかのベッドで眠ったルルーシュが、せっかく用意していたチョコレートを渡しそびれたことに気付いたのは翌朝のことである。
昨夜の醜態とも相俟って情けなさと申し訳なさにすっかり気落ちしたけれど、一日遅れのチョコレートにスザクはなぜか上機嫌だった。
殿下は殿下のままでいいんです。そう言ってくれた彼の心遣いが嬉しくてルルーシュは目を細めた。スザクも優しく笑っていた。
「続きはまた今度しましょう」
耳元で囁かれた言葉に頬を染めていると、約束ですよとキスをされた。
舌に残ったのは甘いチョコレートの味だった。
(15.02.14)