ナズナ

 ドアをノックして三十秒待つ。応えはない。
 時刻は八時。普段の朝に比べればゆっくりしているほうだし、このままもう少し寝かせておきたい気持ちもあるが、惰眠のせいで朝食を取り損ねたと知ったらなんで起こさなかったと怒られてしまうだろう。拗ねたところも可愛いに違いないから見てみたいけど、と思ってスザクは笑った。
 いずれにしてもルルーシュは可愛い。それがスザクの印象だ。
 可愛いと言っても、女性や子どもに対する表現とはまた違う。彼はとても綺麗で、常に凛としていて、自分の弱い部分を決して見せない強さを持っている。面と向かって可愛いと言ったら、お前の目は節穴かと呆れられるだろう。でも惚れた欲目と言うべきか、可愛いものはやはり可愛いのだ。
 皇族という立場を意識しているときは完璧に振る舞い、時に冷酷なほどの命令を口にし、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの仮面を外すことはない。そんなときは怜悧で研ぎ澄まされた美しさを感じるけれど、ひとたび身内の人間と接すれば素の表情を見せてくれる。
 身内とは、彼が懐に入れてくれるごく一部の人間のことだ。ルルーシュの中で最上位にいるのは母のマリアンヌに、ナナリーとユーフェミアの妹たちだろう。そこに自分も入り込みたいとは思わないし、彼女らと肩を並べるだなんて恐れ多くて想像すらしたことがない。
 ただ、騎士であり恋人でもある自分の立場は彼の中でどの程度の位置付けにあるのか、ということをまったく考えなかったと言えば嘘になる。二人の妹の次ぐらいなら嬉しいけど、シュナイゼルやクロヴィスに負けていたらショックで寝込むかもしれない。
 ブリタニア皇族相手にそんな失礼なことを思いながら、もう一度ノックをした。中で人が動く気配もなく、仕方がないと勝手にドアを開けることにする。
 高級ホテルのスイートルームには寝室が二つあった。どちらもキングサイズのベッドが置かれていて、人間が三人寝てもまだ余裕があるほど大きいものだ。
 ここを手配してくれたのはルルーシュの妹たちで、「バレンタインぐらいはお兄様とお二人でゆっくり過ごしてください」とホテルの地図と部屋のナンバーが書かれた紙を渡されたのは二月になったばかりのことだった。
 なんのことかと戸惑っていると今回の作戦概要を説明され、ルルーシュにはあとで自分たちが話しておくから心配する必要はないと保証された。ルルーシュの誕生日のときにも突然デートを組み込まれたが、今回もまた急な話だとスザクは苦笑いするしかなかった。しかもルルーシュはまたも女装することになるという。
 ルルーシュはきっと嫌がるだろうなと思いつつ、長い片想いが実ったのもすべてはナナリーとユーフェミアのおかげだし、デート自体は嬉しいことなので断わる理由もなかった。ホテルに一泊することはルルーシュには当日まで黙っておくようにとの指示だったのでそれにも従った。
 そうして迎えたバレンタインのデートはとても楽しかった。些細なことに驚いたり戸惑ったり喜んだりしていたルルーシュの表情は皇宮では見られないもので、自分だけにこんな顔を見せてくれているのかと思えば嬉しさに胸が満たされた。素敵な時間をプレゼントしてくれたお姫様たちにはしっかりお礼をしなければならないだろう。
 ただ、ホテルの部屋で二人きりになった途端、手を伸ばしてしまったのは少々性急だったかもしれないと一晩かけて反省した。ずっと皇宮の中で過ごしてきたルルーシュは少々奥手で、恋愛方面にあまり免疫もない。だからこそ、そういう雰囲気を感じ取って途中までされるがままだったことは奇跡に近く、女装を思い出して止めてくれたのはむしろ良かったと感謝さえしていた。欲望のまま無理やり事を進めなかった己の自制心にも拍手を送りたい。
 心穏やかにバレンタイン翌日を迎えられたことに胸を撫で下ろしながら、薄暗い寝室を進んでベッドを覗き込む。
 同じベッドで寝るという選択肢もあったけれど、下心は封印して別々の寝室を使うことにした。あんなことのあとで一緒に寝るなんてルルーシュも嫌だろうし、自分もどこまで我慢できるか正直自信がなかった。だから、昨日の選択は正しかったと思っている。片想いをしていた頃に比べれば随分と幸せなことである。いきなり全部を望んだらばちが当たりそうだ。

「ルルーシュ殿下」

 呼びかけに返ってきたのは穏やかな寝息だった。ルルーシュの寝顔を見るのはこれが初めてではないけれど、いつもと場所が違うせいか新鮮な感動を抱いた。
 ホテルの一室であろうと自分たちにとっては非日常だ。そんな時間を過ごせるのは自分たちが恋人同士になれたからだと思えば、改めて幸福感に満たされた。幸せという単語が自然に浮かび、すっかり緩んでしまった頬を慌てて元に戻した。
 与えられた自由時間は今日の昼まで。午後からはルルーシュとシュナイゼルの勉強会を兼ねたお茶の時間が予定されている。その前に一旦アリエスまで戻らなければいけないからあまりのんびりもしていられない。ぐっすり眠っている姿はとても気持ち良さそうだけど、これも一緒に朝食をとるためだとスザクは肩の辺りを優しく揺すった。

「ルルーシュ殿下、朝ですよ」
「ん……」

 微かに呻いたルルーシュは顔を枕に埋めた。寝ている猫がむずがるような仕草は可愛いばかりで、このままずっと眺めていたい気持ちになるが、それをぐっと我慢して先ほどよりも強く肩を揺らした。

「そろそろ起きないと朝食を食べ損ねてしまいますよ」
「んー……」
「ここで食べ損ねたらシュナイゼル殿下とのお茶の時間まで何も食べられませんよ。お茶のときにゆっくり食事をされるということでしたら構いませんが」
「それは嫌だ……。スザクとがいい……」

 寝惚けているのか、発言まで可愛らしくて頬がまた緩む。

「でしたら起きてください」

 ベッドの中でもぞもぞとしたルルーシュは、まだ重そうな瞼を上げるとのろのろ起き上がった。うんと伸びをすると、おはようと眠たげな口調で呟いた。

「おはようございます。シャワーを浴びられますか?」
「いや、顔だけ洗ってくる」

 一度起きてしまえばあとはてきぱきするのがルルーシュで、スリッパに足を通すと寝室を出て行った。そのあとを追いかけてリビングルームに出ると、タイミング良く部屋のチャイムが鳴った。相手を確かめてドアを開ければ、そこにはにこやかな顔をした咲世子がいた。

「おはようございます、咲世子さん」
「おはようございます。昨夜はゆっくりできましたか?」
「はい。わざわざフロア全体を貸し切ってもらってありがとうございます」
「大したことではありませんのでお気遣いなく」

 ルルーシュが宿泊するとなると当然、警備上の問題がある。ホテル側には身分の高い人間が泊まることをあらかじめ伝えているが、警備を丸投げするわけにはいかない。そこでスイートルームのあるフロア全体を貸し切ることとなったのだが、ナナリーとユーフェミアの指示で咲世子やジェレミアが随分と協力してくれたらしい。しかも自分たちの両隣の部屋にそれぞれが泊まり込み、交代で警備をしてくれていたのだから二人には感謝しかない。ジェレミアにもあとで礼をしておかなければと思い、ふと、咲世子が抱えているものに視線を落とした。

「お着替えをお持ちしましたのでどうぞ」
「ありがとうございます」
「それと、お二人からのご伝言ですが、ルルーシュ様は必ずこちらをお召しになってくださいとのことです」

 二人とはルルーシュの妹たちのことだろう。どういう意味かわからず、クエスチョンマークを頭に浮かべながらもスザクは素直に頷いた。指示の意味を理解したのはリビングで服を広げたときで、思わず苦笑いしてしまった。

「それはなんだ?」

 ちょうどルルーシュがリビングに戻ってきて首を傾げている。どうしたものかと一瞬迷ったけれど、着替えはこれしかないのだ。ルルーシュには諦めてもらおうと腹を括った。

「ナナリー様とユーフェミア様からのお届け物です。アリエスに戻るまではこちらを着ていただきます」
「着替えまで用意してくれたのか。それなら早速……」

 そこでルルーシュの言葉が切れた。端正な顔が若干引き攣っているのは気のせいではないだろう。

「スザク……」
「はい」
「それはナナリーとユフィから届けられたんだな」
「はい」
「わかった……」

 スザクが掲げていた服を受け取り、着替えてくると言い残すとルルーシュは寝室に消えた。
 二人の妹から指定された服はまたもやワンピースだった。これまで着ていた白ではなく黒の生地を使っていて、どちらかと言えば普段のルルーシュの衣装に近い色だ。
 とは言え、これが男物ではなく女物であることは明らかで、つまり、戻ってくるまでは女装をしているようにということである。妹たちの意図を正確に受け取ったルルーシュが文句ひとつ言わずに着替えに応じてくれたのは少し驚いたけれど、散々女装をさせられて慣れたのだろう。あるいは、すっかり諦めてしまったか。
 (そういえば、自分たちがいないときは僕が殿下の髪をセットするようにって言われていたな。なるほど、こういうことか……)
 今回のデート前に何度かウィッグの使い方を教えられたことがある。彼女たちはあらかじめ計画を立てていたに違いない。
 メイク道具までは持たされていないので昨日のように完璧に女装させる必要はなさそうだ。もともと中性的で綺麗な顔立ちだから、ロングヘアにしてワンピースを着ればメイクをしなくても男とばれないだろう。
 二十分ほど経ってようやくルルーシュは出てきた。途中、お手伝いしましょうかと声をかければ「絶対入ってくるな」と返されたので、普段の着替えよりも長くかかった時間は彼の葛藤の表れかもしれない。それを考えると、ワンピース姿だけでも充分可愛いですよという感想は彼の自尊心を傷付けそうなので心の中だけに留めておいた。

「ではこちらに掛けてください」
「……何をするつもりだ」
「髪型がそのままでは殿下だとばれてしまいますから」
「まさかお前がやるのか?」
「ええ。ナナリー様とユーフェミア様の特訓を受けていますのでご安心ください」

 にっこり笑えば、信じられないとルルーシュがげんなりした表情を浮かべた。ぶつぶつ文句を言いながら、それでもドレッサーの前に座ってくれた彼は身内にとことん甘い。

「特訓の成果をお見せしますね」
「もう好きにしろ……」
「このあとは下のラウンジで朝食となりますがよろしいですか? 人目が気になるようでしたらルームサービスに変更しますが」
「ラウンジでいい。そういうのも、その、普通のデートっぽいだろう」

 デートと口にした途端、ルルーシュはわずかに視線を俯けた。何も塗っていない頬が心なし染まったのに口許を緩め、さらりとした黒髪に触れた。
 特訓の成果もあって、変身のための作業はスムーズに終わった。短い髪が腰までの長さになるだけでたちまち美少女が出来上がるのだから、鏡の向こうの彼に感嘆するしかない。

「俺の顔に何か付いているのか」

 まじまじと見ていたせいか、ルルーシュが眉を寄せた。

「殿下は本当にお綺麗だと改めて思っただけです」
「だからそういう科白は……、いや、一応褒め言葉として受け取っておくか。褒められているのが女装姿というのはやはり納得がいかないが」
「普段の殿下もお綺麗ですよ」
「男が言われても嬉しくない。いいから行くぞ」

 悪態を吐きながらもその表情は満更でもなさそうでほっとした。昨日のことがあったから女装なんてもう二度としないと拒否されることも想定していたが、心の底から嫌がってはいないようだ。妹たちの計画はやはり無下にできないのだろう。
 自分とのデートを楽しみたいという気持ちも少しだけあればいいのにな、と思いながらスザクは先を歩いた。部屋のドアを開ければ廊下には咲世子がいて、ルルーシュに恭しく頭を下げた。

「朝からすまないな。いや、昨日からか」
「いいえ、とんでもございません。ルルーシュ様の初めての外泊ですから存分に満喫されてください」
「あ、ああ……」

 初めてとか外泊とか聞きようによっては際どい言葉だが、咲世子はにこにことした笑顔のままなのでおそらく天然なのだろう。しかもルルーシュの動揺には気付いていない模様で、スザクは小さく笑った。

「殿下、参りましょうか」

 ルルーシュを促してエレベーターに乗り込む。直通で一階まで下り、ラウンジへ向かうと席は半分ほど埋まっていた。高級ホテルという場所柄、宿泊客や利用客は身分の高い人間が多いようで、平日の朝にも関わらず誰もがゆったりと朝食を楽しんでいた。
 席はあらかじめ用意してもらっており、名前を伝えればスタッフの案内で奥の窓際まで案内された。辺りを窺いながら歩いていると、こちらに視線を向けた人々がそのまま動きを止めているのに気付いた。お喋りをしたり新聞を読んだりと思い思いに過ごしていた客の時間が一斉に止まってしまったような状況に、スザクの中で優越感と独占欲がない交ぜになる。
 誰もが見惚れる人は自分の恋人なのだと自慢したい一方、ルルーシュを誰の目にも触れさせたくないと子どもみたいに独り占めしたい気持ちだ。少し前までは帝国の騎士で、今は皇族の騎士である自分がこんなに醜くて独り善がりな感情を持っていると周囲は思ってもいないだろう。きっとルルーシュも知らない。
 最初から諦めていたくせに、それを手に入れてもいいのだとわかった途端、独占欲を丸出しにして見苦しくなってしまうのは未熟者の証拠だ。好きな人の前では余裕を持った態度でいたいと思うのに、なけなしの男心も空回りしてばかりだった。
 こんなことではいつか愛想を尽かされてしまうかもしれない、と自分で思って自分で落ち込みそうになった。本当に情けない。

「どうした?」

 様子がおかしいと気付いたのか、席に着いたルルーシュが小首を傾げた。主に顔色を心配されるとは騎士失格である。何より、せっかくのデートの朝にひとりで落ち込むなんて恋人としてもあるまじき失態だ。

「いえ、こういう場所は久しぶりだと思いまして。殿下、……ルルーシュ様はこういう場所で食事をされるのも初めてですよね?」

 個室ならともかく、オープンな場所では誰が聞き耳を立てているかわからない。ほかの席と距離はあるが、殿下という単語が聞こえてどこの皇族かと興味を持つ者も皆無ではないだろう。とは言え、呼び捨てにするのは恐れ多いので、以前と同じように「ルルーシュ様」と口にした。

「メニューの見方はわかりますか?」
「馬鹿にするな。私だってそのくらいわかる」

 難しい顔で文字の羅列を見始めたルルーシュに小さく笑う。ホテルも初めてならレストランやラウンジも彼にとっては初めての場所だ。新しいところへ連れて行くたびにその表情は驚きや好奇心に満ちていて、彼が皇族という特別な立場であることを改めて実感する。同時に、ささいなことでも新鮮な反応をしてくれるルルーシュが愛しい。
 メニューを見つめる表情は真剣そのもので、国の大事な法案を考えているときと同じくらい真面目にメニュー選びに取り掛かっているのかと思うと可愛くてたまらなかった。先ほどまでの暗い感情も今はすっかり消えているのだから、自分の悩みも随分と現金なものだ。

「……スザク」
「はい」
「これはここから好きなものを選べばいいんだな?」
「はい」

 メニューの見方ぐらいわかると豪語したものの、どうやって注文すればいいのかまではわからなかったのか、ルルーシュが観念したようにぼそぼそと聞いてきた。その姿も新鮮でいいなと思ったけれど、ここで余計なことを言えば馬鹿にされたと感じてしまうだろう。いつも通りのやり取りを意識してスザクは口を開いた。

「気になるものはありますか?」
「そうだな……、卵料理ひとつでも色々あるから迷う」
「たくさん召し上がってみたければいくつか注文して僕とシェアしませんか?」
「そんなことをしても大丈夫なのか?」
「ええ」

 それなら、とルルーシュがメニューに視線を戻した。スザクはよく食べるから肉料理もあったほうがいいなとか、サラダとスープも頼もうとか、私は兄上とのお茶の時間があるからあまり食べなくても大丈夫だがスザクはしっかり食べておかなければいけないなとか、こちらに話しかけながら食事を選ぶ姿は先ほどと打って変わって楽しそうだ。一緒に食べるならちゃんと選ばなければならないと、日頃の世話好きな部分がこんなところでも発揮されているのかもしれない。
 (やっぱり可愛いなぁ)
 のん気な感想を抱けるのは平和な証拠だ。
 皇宮に戻ればまた忙しない日々が待っている。反ブリタニア勢力討伐のための遠征も近々予定されていて、戦闘となれば自分はもちろんルルーシュも参加することになるだろう。戦力ではブリタニアが勝っていても、いつどこで命を落とすかわからないのが戦争だ。
 ルルーシュの身は自分の命に変えても守るつもりだが、彼と共に生きるためには自分の身もしっかり守らなければならない。それは片手間でできることではなく、自分が騎士である限り、戦場でも日常でも死は常に隣り合わせであることを肝に銘じている。だから、たまに享受できるのんびりとした時間はかけがえのないもので、最愛の人と一緒に過ごせるのならなおさらだった。
 ひととおりメニューを決めたらしいルルーシュに笑顔を向けられ、スザクは頬を緩めた。

「飲み物はどうされますか?」

 ドリンク用のメニューを見せようとして、ふと悪戯心とも呼べる気持ちが湧き起こる。

「何があるんだ?」

 手元を覗き込んできたルルーシュに笑みを向けると、メニューを二人の顔の高さまで上げた。すると、そこだけが周囲からの死角になる。

「スザク?」

 椅子から少しだけ身を乗り出した。そして、不思議そうに名前を呼んだ唇に柔らかくキスをする。
 ぽかんとしていたルルーシュは、しばらく経ってからようやく何をされたか気付いたようで、顔を真っ赤にさせると口を開いた。おそらく、馬鹿じゃないかと叫ぶつもりだったのだろう。しかしここが公共の場だと思い出したのか、唇を引き結ぶと恨みがましい目つきをした。

「ごちそうさまでした」
「うるさいっ」

 メニューに顔だけを隠したまま小声でやり取りする自分たちはどう見られているのだろう。
 ブリタニア人にとってキスは日常茶飯事だし、街中でも恋人同士はキスをしたり必要以上に体を寄せたりしているものだ。だから挨拶代わりのような軽いキスでいちいち騒ぎ立てる人はいないだろうが、ちらりと周囲を窺えば、品のいい老夫婦があらあらというように微笑ましい顔をしていた。仲のいい初々しいカップルにでも見えているのかもしれないと思ったら、自分からやったことなのに妙な照れくささに襲われた。

「なんでお前のほうが赤くなるんだ。恥ずかしいのは私のほうだ」
「僕、赤いですか?」
「もういい、とにかく注文するぞ。いつまで経っても朝食が終わらない」

 怒ったようにドリンクメニューを押し返すと、今朝はコーヒーの気分だから適当に選んでおけと言い、ルルーシュはふいと顔を背けた。黒髪から覗く耳は赤く、言動とのギャップに胸が擽られる。くすくす笑えばむっとしたような顔をするのも今はただ可愛いとしか思えない。
 スタッフを呼ぶとルルーシュが選んだ朝食メニューを頼んでしばらく待つ。その間、むっつりと黙っていた彼も、テーブルに皿が並べば表情を綻ばせていた。お互いの分を取り分けながら、お前はしっかり食べろよと母親みたいなことを言うのはいつものルルーシュだった。
 それから一時間ほどかけてゆっくり朝の時間を過ごし、食後のコーヒーまで終わると部屋に戻ることにした。アリエスまでの道のりを考えればあと二時間は大丈夫だなと計算しながら専用のエレベーターに乗り込む。ルルーシュの着替えの時間も考慮に入れているので、シュナイゼルとのお茶会兼勉強会までは余裕があった。
 フロアに到着するとスザクが先に立って歩く。ドアを開け、部屋の中を確認してからルルーシュを促すと、彼は昨日のようにしばらく廊下に佇んでいた。ドアのロックをかけてもその状態のままで、どうしたのかと顔を覗き込んだ瞬間、二の腕を掴まれた。壁に背中が当たったのと同時に唇が触れた。
 たどたどしくキスをしながら、舌の先で強請るように下唇を舐められるとぞくりとしたものを感じた。招き入れるために口を開けば、自ら仕掛けたにもかかわらず怯えたように濡れた舌が伸ばされた。
 スザクが我慢できたのはそこまでで、腰をぐっと引き寄せると触れた舌に吸い付いた。手の甲に長い髪が当たる感触は常にはないもので、なんだか倒錯的だなと頭の隅で考える。後頭部に手を当てるとさらに深く口付け、息継ぎの暇も与えないくらい咥内を蹂躙した。
 やがてルルーシュの膝から力が抜け、崩れそうになったところを支えてようやく唇を離す。唾液に濡れた口許を舐めて拭っていると、くすぐったいのか、あるいは感じているのか、ルルーシュが微かに背を震わせた。

「苦い……」

 照れ隠しの悪態に笑い、コーヒーを飲んだばかりなのでと耳元で囁いた。まだ力の抜けている体をしっかり抱き締めると、髪の上からうなじの辺りに唇を押し当てた。昨日みたいな状況だなと思うけれど、昨日ほどの焦燥感はない。激しい劣情もなく、ルルーシュの体に触れていることがただ心地いい。

「お前だけじゃないんだからな……」
「何がです?」
「――俺だって、お前とキスしたいと思っている」

 それ以上のことも別に嫌じゃないし、ちゃんと望んでいるんだ。
 ぼそぼそと呟かれた言葉に、やっぱり昨日のことをまだ気にしているのだと思い至る。

「わかってますよ」
「ただ、恥ずかしくてたまらないだけだ。さっきみたいなことだって、本当は嫌じゃない」

 さっきとはラウンジでこっそりしたキスのことだろう。自分の振る舞いが不機嫌と取られたのではないかと、部屋に戻ってくるまでの間ずっと思い悩んでいたのだろうか。それで自らキスを仕掛けるという積極的な行動に出たのか。
 (参ったなぁ)
 そんな可愛いことをされたら毎回ルルーシュの気持ちに付け込んでしまいそうだ。

「大丈夫ですよ。全部知っていますから。でも、積極的な殿下もいいですね」

 最後はわざと茶化して言えば、うるさいとくぐもった返事が返ってきた。抱き締める腕に力を込め、その存在を体全体で感じる。
 なんて愛しいのだろう。ルルーシュのことが愛しくてたまらないと何度も思っているけれど、そのたびに愛しさが増した。

「愛してます」

 言葉にした途端、胸をいっぱいにする気持ちが陳腐なものになってしまいそうだった。でも、ほかに伝える言葉を知らなくて、結局は愛しているとしか言えない自分が情けない。

「あなただけを愛しています」

 思いの丈を告げればルルーシュがこくりと頷いた。
 アリエスに戻るまでの残り数時間。せめてその間だけはただの恋人として過ごさせてくださいと、誰に祈るわけでもなくスザクは胸のうちで呟いた。
 音のない静かな廊下で、お互いの鼓動だけが服越しに聞こえる。それはとても温かく、幸せな音色だった。
 (15.02.23)