一週間 5

 <金曜日

「お、おはよう」

 どんな顔をして会おう。なんて話しかけよう。悪いことをしたわけではないから弁解するのもおかしな話だけれど、やはり何か一言くらい説明しておいたほうがいいだろうか。
 そんなことを一晩中思い悩んでいたというのに、結局、口から出てきたのはいつもと同じ朝の挨拶だった。

「おはよう」

 こちらの顔を見て一瞬びくりとしたルルーシュは、にこりと笑うと同じように挨拶を返してくれた。しかしそのあとの言葉が続かず、なんとなく気まずい雰囲気のまま揃って教室に入った。
 クラスメートと挨拶を交わしながらそれぞれの席に着くと、ルルーシュはすぐに文庫本を取って読み始めた。これは話しかけるなという無言のポーズなのだろう。

「おはよう」
「おはよう、リヴァル」
「なあ、今日の課題やってきたか?ちょっと答え合わせしたいところがあるんだけどさ」
「そういうのは僕よりルルーシュのほうがいいんじゃない?」

 答え合わせをするならルルーシュ以外に相応しい人間はいない。そう思って訊けば、リヴァルが「駄目駄目」と首を振った。

「今日のあいつは近寄るなオーラが出てるから、教えてくれって頼んでも冷たくあしらわれるのがオチ」

 小声でこっそり教えられた内容になるほどと頷いた。どうやら周囲もルルーシュの様子に気付いているらしい。
 それだけルルーシュに親しい人間が出来たのだと思えば喜ばしいことだが、同時に、自分ひとりのルルーシュではないのだと思い知って醜く嫉妬する。
 ルルーシュは物ではない。もちろん自分の所有物でもない。だけど、自分以外の誰かが彼を知ることに嫉妬を抑えられなかった。

「そういう理由なら僕の回答を見せるけど、あまり役に立たないと思うよ」
「この場合、問題なのは正解かどうかじゃなくて同じ答えかどうかってことなんだよ」
「それだと根本的な解決になっていないんじゃない?」
「戦略的判断と言ってくれ」
「あえて言うなら戦略的撤退だよね……」
「まあ気にするなって」

 すでに回答を見比べているリヴァルに苦笑いしつつ、ルルーシュをこっそり窺う。
 ルルーシュは同じ姿勢で本を読んでいた。右手はページを規則正しく捲っていて、そんな仕草にすらどこか気品を感じさせた。
 (昨日のことは気にしてない、ってわけではなさそうだけど……)
 何を訊かれても答えるつもりでいたし、訊かれなくても説明するつもりだった。しかし今朝のルルーシュは一言も聞きたくないという雰囲気で、今のところ挨拶以外の言葉すら交わせていなかった。

「どうかしたか?」

 ぼんやりしていることに気付いたのか、顔を上げたリヴァルに問われて我に返る。

「なんだかお腹すいたなぁと思って」
「まだ授業始まってないのに、それはさすがに早過ぎるだろ」

 そうだよねと一緒になって笑ったけれど、心の中は晴れなかった。
 その後、授業を受けていても昼食を食べていても体育で体を動かしていても、ふとした瞬間に思い出されるのは昨日のルルーシュの表情だった。
 ルルーシュはどうして泣きそうな顔をしていたのだろう。
 嘘をついてクラブハウスに行けないと言ったから。友達が告白されているところを見てショックだったから。実は相手の女の子が好きだったから。
 理由はいくつか考えられる。ルルーシュは恋愛方面に関しては奥手のようだから、告白の現場を初めて見てショックを受けたとしてもおかしくはない。でも、理由としてはどれも弱い気がした。
 そもそも、なぜルルーシュはあんな場所にいたのか。
 昨日はルルーシュが教室を出たあとに指定の場所へ向かったから、たまたま姿を見かけて追いかけたとは考えにくい。だからと言って、こっそりあとをつけてくる理由もわからない。
 結局、いくら考えてもしっくりくる答えは出なかった上に、ルルーシュにずっと避けられていたため話しかけるチャンスすらなく、何も出来ないまま一日が終わってしまった。
 告白の返事をもらうと宣言した日まであと三日。こんな状態ではどちらの答えをもらってももやもやした気持ちが残りそうだ。
 せめて昨日のことについてはちゃんと説明をしようと決意したスザクは、授業終了後、そそくさと教室を出て行ったルルーシュを追いかけた。

「ルルーシュ!」

 スザクの声にびくりとしたルルーシュだったけれど、立ち止まったのはほんの数秒のことで、振り向くことなくすぐに早足で歩き始めた。

「ねえ、待ってよ!」
「俺は用事があるんだ。また明日にしてくれ」
「用事なら僕にだってあるよ」
「どうせほかの女子生徒といちゃいちゃすることが用事なんだろう」
「そんな用事はないし、そもそも昨日のことだってルルーシュは誤解してる」
「誤解?俺が誤解するようなことをお前はしたのか?」
「僕はしてないけど、ルルーシュが勘違いしているみたいだからちゃんと話したいんだ」
「俺は何も聞きたくない!だいたいお前が……っ」

 そこでルルーシュがハッとしたように足を止めた。つい大声になってしまったが、ここは学校の廊下で周りにはほかの生徒がまだ大勢いると気付いたのだろう。
 ルルーシュの前に回ると、スザクは俯けられた顔を覗き込んだ。

「せめて話だけでも聞いてもらいたいんだ。お願い、ルルーシュ」

 紫の瞳が揺れた。
 放課後の喧騒が徐々に大きくなる。中には自分たちの様子を興味深げに見ている生徒もいるかもしれない。でも今は周りの視線など気にしていられなかった。

「ここだと目立つから、クラブハウスに行くぞ」

 だけどルルーシュは気にせずにはいられなかったようで、ぶっきらぼうに言うとまた足を進めた。今度はゆっくりな歩幅を追いながら、通い慣れたクラブハウスに着くとルルーシュの私室に通された。リビングで話すような内容ではないと判断したのだろう。

「――それで、お前の話というのはなんだ」

 ルルーシュにしては珍しくベッドの上に乱暴に鞄を投げ出すと、こちらはちらりとも見ないまま話を促してきた。

「昨日のこと、ルルーシュは誤解している」
「誤解?お前が女子生徒に告白されていて、それでいい雰囲気になっていたことのどこが誤解なんだ」
「確かに告白はされたけどいい雰囲気になんかなっていないし、そもそも告白自体断わったよ。なのにルルーシュは話すら聞いてくれないし、どうして僕を避けるような真似をするのか全然わからないよ」

 最後のほうは思わず愚痴になってしまった。
 気まずくなる気持ちはわかるけれど、告白されているのを見たぐらいでここまであからさまに避ける必要はないではないか。
 自分は何も悪くないという思いとちっとも理解できないルルーシュの気持ちが、スザクの中で小さな不満を燻ぶらせていた。それはただ気付かなかっただけで、実は朝からずっとそうだったのかもしれない。

「――俺だってわからない」

 しんとした静寂に包まれていた部屋に、ルルーシュの声がぽつりと落ちた。

「お前の言っていることはわかる。自分が過剰に反応しているだけだってこともわかっている。でも、どうしてこんなに気になるのかわからない。お前があんなことを言い出さなければ俺は……、俺たちは、ずっと普通でいられたのにどうして、」
「ルルーシュ?」
「好きだとか嫌いだとかそんな風に思う以前に、俺たちは友達じゃないか。どうして友達のままじゃ駄目だったんだ。昨日だって、お前がどこに行くのか気になって、悪いと思いつつあとを追いかけて、それで告白されているのを聞いてしまって……」
「ごめん、君を責めるつもりはなかったんだ。もし昨日のことをルルーシュが気にしているのなら、」

 淡々と言葉を紡ぐ声がどこか泣いているように聞こえ、それを止めたくてルルーシュの肩に触れた。しかしその手は素気無く振り払われてしまった。

「なあ、お前はどうして俺のことを好きなんて言ったんだ?」

 ようやくこちらを向いた瞳に真っ直ぐ問いかけられる。思わず息を飲むけれど、スザクは怯むことなく見返した。

「ルルーシュが好きだから」
「だってお前は女子にもてるじゃないか」
「誰にもてようと関係ないよ、僕が好きなのはルルーシュだけだ」
「だが俺たちは友達だ。友達のままでいようとは思わなかったのか」
「それは……思わなかったと言ったら嘘になる。でも最初に言っただろう。君が学園中の人気者だと知って我慢が出来なくなったって。僕は友達と恋人の両方が欲しかった」
「強欲だな。それに随分と身勝手だ」
「恋愛なんて相手を好きになったときから身勝手なものだよ。ルルーシュは違う?」

 スザクからの問いにルルーシュは答えなかった。視線を外し、無表情に床の上を眺める。

「俺は知らない。恋愛も、誰かを好きになる気持ちも、俺は何も知らない」

 そんなものは知らないと繰り返すルルーシュは、まるで帰り道がわからないと途方に暮れる子どものようだった。普段は決して見せない頼りなさに胸が詰まる。
 気付けば勝手に体が動いていた。下心とかやましさなんてない。ただ、ルルーシュを安心させてあげたかった。

「俺は、お前と友達のままで良かったんだ。友達だって充分特別な関係だろう?」

 思わず抱き寄せた体はとても細かった。
 腕の中のルルーシュは抵抗や嫌がる素振りを見せることなく静かに語りかけてきた。

「でも、お前はそれだけじゃ足りなかった。だから俺は、お前にちゃんと返事を返さなければいけないんだよな」
「ごめん」
「謝るくらいなら初めから言うな」

 微かに笑う気配がして、室内の空気がようやく和らいだ気がした。

「それに……」
「それに?」
「――いや。ところで、明日は暇か?」
「明日?うん、今のところ軍の召集はかかってないけど」
「だったら俺に付き合え。買い物に行くぞ」
「え、えっ?」

 突然の展開に目を白黒させていると、ルルーシュがにやりと口角を上げた。このほうがルルーシュらしいと心のどこかで安堵している自分に気付く。

「それってつまり、僕が荷物持ちになるって意味の買い物だよね?」
「スザクにしては理解が早いじゃないか。報酬は今夜と明日の夕飯だ。悪くないだろう?」
「悪くはないけど……」
「返事は?」
「イエス、マイロード!」

 思わず取ってしまった敬礼のポーズにお互い吹き出す。自分たちは一体何を悩んでいたのだろうと思うくらい、二人の間の凍えていた空気は柔らかくなっていた。
 どうして好きなんて言ったのだと確認してきたルルーシュは、密かに何かを決意したのかもしれない。
 それはきっと告白の返事に繋がるもので、早く聞きたいような聞きたくないような複雑な気分を抱いたまま、スザクの金曜日は終わろうとしていた。
 (13.2.15)