スターチス・前編

 目を閉じて大きく深呼吸すれば森の匂いが鼻腔を擽った。
 柔らかい風が髪を揺らす。
 夏の盛りだというのにその風は少しひんやりしていて心地よい。遠くからは鳥の囀りが聞こえてきて、それがよりいっそう静寂さを感じさせた。
 同じブリタニアとは思えないな、とルルーシュは独りごちた。日頃暮らしているペンドラゴンにも自然はあるけれど、如何せん人が多い。しかも、そこに渦巻くのは謀略に嫉妬に憎悪といった人の持つあらゆる負の感情である。
 もちろんすべての人が当てはまるわけではないが、大抵の人間は己の利益を追求することに夢中で、時に保身に走り、時に暴走する。
 ルルーシュは己の腹部にそっと手を当ててみた。
 撃たれたのはもう二ヶ月も前のことだ。傷はとっくに癒え、痛みもない。
 残っていた傷痕はブリタニアの医療技術で綺麗になった。後遺症もなく、以前と変わらぬ日常生活を送れている。だから、すべて夢だったのではないかと錯覚しそうだ。
 撃たれた直後の焼け付くような痛みは覚えているが、そのあとはずっと意識を失っていたから、事件に関わった当事者だというのになんとなく実感が湧かない。
 大勢の人を巻き込もうとした犯人への憤りや、自分を心配してくれた多くの人たちに対する申し訳なさは強く感じる一方で、自分自身が大変な目に遭ったという意識はどうにも薄かった。
 そんなことを言ったらスザクに叱られるだろうかと思ったとき、ルルーシュの名を呼ぶ声が聞こえた。
 図ったようなタイミングだなと瞼を上げ、後ろを振り返る。

「ルルーシュ殿下!」

 さほど暑くないのにスザクの顔には汗が浮かんでいた。城中を走り回ったのだろうか。
 目の前まで来た彼は、わずかに乱れた息もそのままにルルーシュの両腕をがしりと掴んだ。この男が呼吸を弾ませるのは珍しいと思っていたら、スザクの眦が上がった。

「殿下! 勝手に城を抜け出さないでくださいとあれほど言っているのに!」
「書き置きは残しておいたじゃないか」
「そういう問題ではありません!」

 大きな声に肩を竦める。くどくどとお説教をしてくるスザクに、これはこれで面倒だとルルーシュは内心溜め息をついた。
 山の奥の古城でしばらく静養することになったのは一ヶ月前のこと。
 以前、クリスマスパーティーのために訪れたこの城はペンドラゴンから一時間ほどの場所にあり、皇族たちの避暑地として使われている。
 そこでゆっくり静養してくださいと提案してきたのは、ナナリーとユフィの二人であった。
 ペンドラゴンでは何かと騒々しいし、お兄様はまた無茶をしてお仕事をなさるでしょうし、そしたらスザクさんの心労も重なってそのうち倒れてしまいそうですし、だったらお二人でゆっくりのんびりお城で過ごしてください、とにっこり笑ったナナリーを思い出す。
 妹の言うことはたしかに当たっていた。傷の治療と体力回復のためのリハビリで病室に押し込められ、一ヶ月も仕事ができなかったのはルルーシュにとってかなりのストレスだった。だから、スザクには内緒でこっそり資料を取り寄せようとしたのだが、それがばれて喧嘩になった。
 ベッドでごろごろするのは性に合わないんだ! と文句を言えば、体が本調子になるまでは職務に復帰しなくていいと陛下や宰相閣下に言われているでしょう! と返され、あとは売り言葉に買い言葉だ。
 でも、スザクは俺の体のことを心配しているだけだと思い直し、反省してすぐに謝った。
 手術から目覚めたとき、最初に見たスザクの顔が忘れられない。心配のあまり彼のほうが死にそうな顔色をしていた。
 皆を守るために取った己の行動は後悔していないけれど、たくさん心配をかけてしまったことは今でも申し訳ないと感じている。その申し訳なさも込めてすまないと謝れば、スザクも我に返って「僕のほうこそ口煩くて申し訳ありません」と頭を下げた。でも無茶をされる殿下が心配なんです、と付け加えて。
 その騒動をナナリーは知らないはずだから、二人でゆっくりのんびりと口にしたのはたまたまだろう。しかし、良いタイミングだと思った。
 ずっと病室に籠もっていてはまた喧嘩してしまいそうだし、たまにはスザクも気晴らしをしたほうがいい。人里離れた山奥ならば警備も大変ではないから、スザクの負担も少しは軽くなるだろう。そう期待した。
 (はずなんだが……)
 目の前のスザクはまだお説教を続けている。小さく溜め息を漏らすと、「本当にわかっていらっしゃるのですか」と厳しい言葉が飛んできた。

「わかったわかった。お前のいないときに勝手に部屋を出るのはやめるから」
「そのセリフ、何回目ですか」
「だが、ここの警備はお前が口を出しているんだし、咲世子やジェレミアもついて来ている。俺が完全にひとりになることはない」

 今だって、姿が見えないだけで誰かが警護のために近くにいる。スザクひとりが無理をする必要はないのだ。

「わかってます、だけど」

 さらに言い募ろうとして、しかしスザクも小さく息を吐き出した。

「すみません、取り乱しました。そうですね、ここには咲世子さんやジェレミア卿もいますから、殿下の身の安全はしっかり守られています。ただ――」

 そこでもう一度言葉を切り、スザクは首を振った。

「いえ、なんでもありません。少し冷えてきましたから中に戻りましょう」
「ああ」

 いつの間にか空には闇が迫っていた。西には沈みかけの太陽があり、間もなく一日の終わりが来ることを知らせている。
 この土地は夏でも夕方以降は気温がぐんと下がり、シャツ一枚だと少し肌寒く感じた。それを察したのか、スザクが脱いだ上着をルルーシュの肩に掛けた。冷えますのでと囁いた彼に、ルルーシュは上着をしっかり握って口元を緩めた。
 足元の草を踏み締めながら来た道を戻る。石畳から続く階段を上り、大きな門を潜ると城の中に入った。

『ただ』

 そのあとに続く言葉はなんだったのか。尋ねてもスザクはとぼけて教えてくれないだろう。だけど、なんとなく予想はついた。
 (ただ、心配だ。そういうことなんだろう?)
 どんなに警備していても、警護の人間が大勢いても、守るべき人を守れないときはある。前回の事件はスザクの不手際ではなかったのに、それでも主を守れなかった騎士に対する批判は出てきた。
 もっとも、スザクの場合は日本人だからという理由が大きいのだろう。これがブリタニア人で由緒正しい貴族の騎士ならば文句などひとつも聞こえてこなかったに違いない。
 (だからこそ俺がスザクを守らなければいけないのに、俺自身がスザクを貶めるきっかけを作ってどうする。不甲斐ない)
 スザクの上着を握り締めた手に知らず力がこもる。
 事件の後始末は帝国宰相であるシュナイゼルに任せたし、スザクへの非難を抑えてほしいと内密に頼んでおいた。非難が続くようなら直々に口を出すと言っていた異母兄を信じてのことで、これはスザクには教えていない。
 後日、「万事上手く行っているよ」という連絡があっただけで詳細は聞いていないが、優秀な異母兄のことだから言葉通り上手く取り計らってくれたのだろう。
 本来ならば自分自身でやらなければいけないことを人に任せるのは口惜しいが、まともに動けなかったため致し方ないとルルーシュは自分を納得させていた。
 (そもそも、スザクを騎士にしたのは俺の我儘だ)
 最初はほんの冗談だったとは言え、自分の不用意な一言でラウンズを辞めさせてしまったことはいまだに小さな後悔として残っている。
 もちろんスザクが傍にいてくれることは嬉しい。後悔以上に彼を騎士にできた喜びは大きかったし、両想いだとわかってからはなおさらだ。
 でも、ラウンズのままならもっと華やかで目覚しい活躍ができたのではないかという思いも心の奥底で燻ぶっている。
 スザクはきっと後悔なんかしていないと言うだろう。その思いは本心に違いない。だからこれは、ルルーシュの勝手な後悔だった。勝手な自己嫌悪と、勝手な自己満足でしかないのだ。
 (結局、俺はどこまでも自分勝手だ)
 その身勝手さがスザクへの非難を生むことに繋がったのだから、己の罪深さに反吐が出そうだ。

「ルルーシュ殿下? どうされました?」

 いつの間にか顔を下に向けて歩いていたようで、歩きながらスザクが窺ってきた。なんでもないと首を振る。

「明日は一緒に散策に行こう」

 そう伝えるとスザクは嬉しそうに笑った。はい、と応えて前を向いた彼の横顔をちらりと見やり、ルルーシュはまた目を伏せた。
 この二ヶ月でスザクはすっかり過保護になった。手術直後で傷がまだ塞がっておらず、ベッドから動けなかった頃や、体力回復のためにリハビリをしている頃ならばともかく、怪我が治って体力もほぼ元通りとなった現在もまるで赤ん坊を構うような慎重さで接してくる。ひとりでふらりと部屋を出ようものなら、先ほどのように凄い剣幕で探しに来るのだ。
 過保護だと呆れるのは簡単だが、すべてはルルーシュが銃弾に倒れたことが原因なのであまり強くは言えない。しかし、いずれはペンドラゴンに戻る以上、また危険なことだってあるかもしれない。そのたびに外に出るなとか視察に行くなとかうるさく言われるのは問題だ。
 (今すぐには無理だろうし、じっくり話して聞かせるしかないな。それと――)
 もうひとつ。
 口に出しては言えない懸念がルルーシュにはあった。

***

「お体の調子はいかがですか? お兄様」

 部屋に入ってきたナナリーに開口一番に尋ねられ、ルルーシュは笑みを浮かべた。

「見てのとおり、すっかり元気だよ」
「本当に? ルルーシュのことだから元気じゃないのに元気って言ってない?」
「あれから何ヶ月経ったと思っているんだ。我がブリタニアが誇る医療技術をもってすればあの程度の怪我なら」
「はいはい、つまりルルーシュがしばらくベッドから離れられなかったのはブリタニアの医療技術の問題ではなくルルーシュ個人の体力のなさが問題ってことね」
「ユフィ――」
「あの、ルルーシュ殿下、そろそろお茶にしませんか。ナナリー様もユーフェミア様もここにいらしてからずっと立ちっぱなしですし」

 聞き慣れた声に振り向けば、スザクが苦笑いしていた。その隣ではナナリーがくすくす笑っている。
 二人の顔を見比べ、それからユフィの顔を見て、ルルーシュはやれやれと肩を竦めた。

「それもそうだな。二人ともよく来てくれた。ユフィの嫌みはともかく、とりあえず座ってくれ」
「あら、私は嫌みじゃなくて本当のことを言っただけよ?」
「お二人とも、会うのが久しぶりだからってはしゃがないでください」
「はしゃいでなんかいないぞ、俺はただ、ナナリーに会えるのが楽しみなだけで」
「ルルーシュひどーい、私に会うのは楽しみじゃないって言うの?」
「そんなことはないが」
「もう、だからお二人とも早く座ってください」

 妹たちから「お城に遊びに行きたい」と連絡があったのは二週間前のことである。あと二週間すれば学校が休みになるから一泊させてほしいという希望に、二泊でも三泊でもすればいいと快く応じてからのルルーシュは忙しかった。
 スザクと二人きりで過ごす生活にすっかり慣れていたから、ナナリーとユフィが遊びに来るだけでもこの城にとっては大イベントだ。どうやって二人をもてなそうと考え、二人の滞在中の食事メニューを二週間前から練り、シェフたちを交えて話し合いをするという気合いの入れようだった。あまりに楽しみにしすぎてしまい、お体に触りますとスザクからやんわりたしなめられたのもたびたびである。
 そうして迎えた今日なので、逸る気持ちはどうしても抑え切れなかった。軽口を叩き合えるのも平和な証拠だ。
 ルルーシュとユフィを無理やり椅子に座らせたナナリーは、スザクに向かってにっこり笑った。それを認めたスザクが控えていた侍女たちに頷く。待ち構えていた彼女たちによって扉が開けられ、ワゴンに乗ったケーキやスコーン、サンドイッチといった菓子や軽食が運ばれてきた。
 最後にティーセットが来ると、ルルーシュはおもむろに席を立った。丁寧に紅茶を淹れ、それを侍女がひとつずつテーブルに置いていく。甘い匂いが部屋を満たし、妹たちの顔はキラキラと輝いていた。

「待たせたな。では、いただくとしよう」

 はい! と朗らかな二つの声が揃った。スザクと目が合って思わず笑みを零す。
 久方ぶりのお茶の時間は賑やかでとても楽しかった。
 ずっと執務に明け暮れ、その上、例の事件が起こったせいでお茶はもちろん、のんびり語らう時間すら取れなかった。怪我をして良かったとは言わないが、何も考えることなくゆったりとした時間を持てたのは素直に嬉しい。

「二人とも今日は泊まっていくのだろう?」
「ええ、そのつもり。迷惑じゃないかしら?」
「迷惑なわけがない。そもそも、ここは皇族の避暑地で俺の城ではないんだから」
「でも、今の主人はルルーシュみたいなものでしょう? それに、あんまりお邪魔をしたら申し訳ないから」
「別に邪魔ではないが」

 首を傾げると、ナナリーとユフィが顔を見合わせて笑った。スザクを見れば、こちらはなぜかまた苦笑いを浮かべている。どうやらわかっていないのは俺だけのようだと気付くものの、あまり突っ込んで聞いたら墓穴を掘ると本能的に察したので口を噤んだ。
 そのあとは妹たち二人のお喋りをメインに、時折相槌を打ったり、スザクを交えた三人でのやり取りを微笑ましく見守ったりと、アリエスでのお茶会と変わらない空気を楽しんだ。

「兄上や姉上たちはお元気か?」

 そんなことを尋ねたのは、ひと息入れるために紅茶のおかわりを淹れたときだった。

「ええ、いつも通りよ」

 ルルーシュが席に戻ったタイミングで、でも――、とユフィがどこか意味ありげに続けた。

「シュナイゼルお兄様はチェスの相手がいなくて寂しそうだし、クロヴィスお兄様は話し相手がいなくて寂しそうだし、コーネリアお姉様もルルーシュの声がしない宰相府は物足りないっておっしゃってたわ」
「クロヴィス兄上やコーネリア姉上はともかく、シュナイゼル兄上が寂しいなんて思うタイプか? うるさい俺がいなくてせいせいしているんじゃないか?」

 何をやらせても完璧な異母兄の顔を思い出す。あの兄に寂しいという感情はあるのだろうかと疑問が浮かんだ。

「だってシュナイゼルお兄様の相手ができるのはルルーシュだけですもの。私もコーネリアお姉様もチェスではまったく歯が立たないし、クロヴィスお兄様は全然だし」
「クロヴィス兄上では話にならないからな。と言うか、あの腕前でよくシュナイゼル兄上の相手をしようなんて思えるものだといつも感心している」
「もう、はっきり言わない。とにかく皆、ルルーシュがいなくて寂しがっているの。でも、あんまり急いで戻ってくる必要もないから、ルルーシュの気の済むまでここにいたらいいわ」
「いや、俺の気はもう済んでいるからそろそろ」

 ペンドラゴンに戻ろうと思っている、と口にするより先にユフィの「訂正するわ。今の私の発言は撤回します」という言葉が割り込んできた。

「ここに滞在するのはスザクの気が済むまで、ってことにしておきましょう」
「は?」
「だって、いくらゆっくりしろと言ってもルルーシュはすぐにお仕事に戻ろうとするでしょう? のんびりするのも飽きたから何か仕事をくれって、ここに来てすぐにシュナイゼルお兄様に頼んでいたこと知ってるのよ。ペンドラゴンにいた頃よりはだいぶセーブしているらしいから私もナナリーも口は出さなかったけど、わざわざここに滞在している理由をルルーシュはちゃんと理解してる? ねえ、どうなの?」

 ユフィの勢いに椅子の上で若干のけぞっていると、ユフィ姉様ったら、と取りなすようなナナリーの声が聞こえた。

「もっと穏便にって言ったのに」
「だってルルーシュが相変わらずのわからず屋だからよ。スザクだってそう思うでしょう?」

 突然矛先を向けられたスザクは、きょとんとした表情をしていた。余計なことを言うなよと目線で伝えるが、しばらく考え込んでいたスザクは「申し訳ありません、殿下」と口にした。

「もっとのんびりしていただきたいという気持ちは僕も同じです」
「スザク……」

 裏切り者め、と恨めしげに言えば苦笑いが返ってきた。

「ここに来てすでに一ヶ月ですし、今までこんなにゆっくりしていたことはありませんから、殿下があせるお気持ちもわかります。ただ、先の事件は解決したとは言え、まだ残党がいないか宰相閣下が調査中で、ほかの不穏分子も今のうちに一掃しようと動かれています。その最中に殿下が戻れば彼らを刺激するかもしれません」
「俺がいては足手まといだと言うのか」
「そうではありません。ここはシュナイゼル殿下にお任せすべきだと言っているだけです。この件についてルルーシュ殿下は手出しはもちろん、口も出されないほうが賢明です」

 珍しくスザクに反論され、ルルーシュは目を瞠った。
 スザクは騎士だ。しかし、騎士だから唯々諾々と従っていればいいとは思っていない。騎士だからこそ、主に対して時には厳しい意見を言うことも必要だと思っている。そのせいで言い争いや喧嘩紛いのことをしたこともあった。
 でも、それはお互いの信念をぶつけたにすぎない。二人とも譲れないものがあるから、結果として喧嘩の形になっただけである。こちらの気持ちを聞く前に一方的に意見を押し付けられたのは今回が初めてで、だからこそルルーシュは戸惑った。
 すると、視線を落としたスザクが「実は――」と切り出した。翠の目が再び上がったとき、その瞳には今まで見たことのない色があって思わず息を呑む。

「これまで殿下には隠していたのですが、こちらに移られてからの一ヶ月、殿下を狙ったものと思われる不穏な動きがいくつかありました」
「な…っ、報告を受けていないぞ」
「直接この城が狙われたわけではないので、あえて殿下にはお伝えしておりませんでした」

 申し訳ございません、とスザクが頭を下げる。ところどころ跳ねた癖っ毛をルルーシュは呆然と見つめた。

「――どういうことなのかちゃんと説明しろ」

 ようやく絞り出した声はスザクを責めたのではない。己の不甲斐なさを悔しく思っただけだ。
 それでも、スザクは自分が責められていると感じたのだろう。その表情がわずかに陰り、しかしすぐに騎士としての顔を取り戻した。

「殿下がこの城に滞在することが決まった際、シュナイゼル殿下のお考えで偽の情報を流しました。陛下のご厚意でルルーシュ殿下は一ヶ月間の静養をされることと、静養先となる城をマスコミには発表しています。ただし、その場所はここではありません」

 静養先の発表は特段珍しいことではない。役職を持つ皇族や皇位継承権の高い皇族の動向はマスコミも常に気にしているので、一週間程度の休暇ならともかく、一ヶ月にも及ぶ静養となれば公式にアナウンスされるだろう。
 特に、今回の事件で被害者となった第十一皇子のネタとなれば、どんな些細なものでも彼らは飛び付く。それを見越してのシュナイゼルの偽情報というわけだ。

「つまり、兄上の偽情報に引っ掛かった愚か者がいたということか」

 ルルーシュは苦々しく呟いた。ほかに残党がいる懸念は持っていたが、ずっと入院生活を送っていて外界の情報は遮断されていたため、第九皇子の周辺を洗うことができなかった。しかも、アリエスに戻る間もなくこの城に移ったので皇宮の様子がまったく掴めていない。
 今になって思えば、異母兄がわざとそうしていたのだろう。そして、帝国宰相の画策にスザクも一枚噛んでいた。
 ここでの過剰なまでの過保護っぷりはそういう事情もあったのかとようやく合点する。
 (人を騙す演技は苦手だとばかり思っていたが、この俺をまんまと騙すとは、スザクもやるようになったじゃないか)
 ずっと隠し事をされていたことも、シュナイゼルの意向であることも少々腹立たしいが、すべてはスザクが主の命を守るためについた嘘だ。それに、真面目で誠実で実直なだけではない騎士の一面を垣間見た気がしてなんだか嬉しい。
 気分としては子どもの成長を喜ぶ親のようなものかと思い、俺はいつスザクの親になったのだと内心可笑しくなる。

「あのとき、殿下を襲撃した犯人はもちろん、黒幕であった皇妃や皇子、その後ろ盾の貴族など、関係者はすべて逮捕しました。ただ、あの事件に直接関わっていなくても、逮捕者の口から名前を出されたら困る人間はまだほかにいるだろうというのがシュナイゼル殿下の読みで、それならルルーシュ殿下を逆恨み、もしくはなんらかの口封じのために暗殺しようとする者が出てきてもおかしくないとお考えでした」
「だから俺の滞在先を公表すれば必ず食い付く人間がいると、そういうことか」

 だったら俺に一言あってもいいじゃないかと愚痴っぽく言えば、「そんなの駄目に決まっています!」と珍しく声を荒げて反論したのはナナリーだった。

「お兄様に計画を教えたら、ご自分も一緒になって対処されたでしょう? お兄様は囮なんです。囮が最前線に立ったらなんの意味もありません」
「それはそうかもしれないが……」
「今のお兄様は静養中です。お体を休めること以外は何も考えないでください」

 その発言には有無を言わせぬ雰囲気があり、さらには怒ったような視線を向けられた。ナナリーがこんな態度を取るのは初めてで、先ほどのスザクの反論以上に戸惑う。

「ナナリーはルルーシュのことが心配なだけよ」

 言葉を探していると、いたわりを含んだ声がした。ユフィのほうを見れば、先ほどの勢いが嘘みたいに穏やかな笑みを浮かべていた。

「元気なときはお仕事お仕事で、元気じゃなくてもやっぱりじっとしていられなくて、自分のことはいつも二の次なルルーシュが心配なだけなの。私もナナリーもスザクも、お兄様やお姉様たちも皆そう。だから、今回のことをルルーシュに報告しなかったのは嫌がらせなんかじゃないわ。それと、ルルーシュとスザクの二人でここに滞在したらどうかしらと提案したのは私たちだけど、その前からシュナイゼルお兄様はルルーシュの退院後の滞在先を考えていたみたい」
「兄上が?」

 事件の後始末をしたのはシュナイゼルだ。その過程で不穏な動きを察知したとしてもおかしくはない。そこへ妹たちから静養についての提案があり、渡りに船とばかりに準備を進めたのだろう。

「そういうわけで、あと一ヶ月ぐらいはここでのんびりしていなさいというのがお兄様からの伝言よ」
「一ヶ月?」

 思わず声を上げれば、妹二人は揃ってにっこりと笑みを浮かべた。冗談じゃないと喚こうとして、しかしこの様子ではいくら文句を言っても無駄なのだろうとすぐに理解し、ルルーシュは溜め息をついた。

「兄上め、俺のためという大義名分で、ただ単に自分の政敵を蹴落としているだけなんじゃないのか。今なら俺がいないから好き放題にできるし」
「それは穿ちすぎ。お兄様だってたまには純粋にルルーシュのことを心配しているはずよ」

 さり気なく酷いことを言っているユフィに苦笑いしてから、ルルーシュは冷めた紅茶に口をつけた。一口飲んでカップを置くと、わかった――、と小さく呟く。

「今回だけは兄上に従うと、ペンドラゴンに戻ったら伝えてくれ」

 顔に満面の笑みを浮かべたナナリーが「はい!」と良い返事をした。

「さあ、お茶の続きをしよう。ああでも、二人とも今日は泊まって行くんだろう? 夕食があるからお菓子はほどほどにな」
「わかってます、お兄様」
「ルルーシュお手製のご飯、久しぶりだから楽しみね」

 はしゃいでいる妹たちに頬を緩める。何気なくスザクに目を向ければ、彼は座ったまま頭を下げた。言葉の代わりに頷き返し、ルルーシュもお喋りに加わる。
 そうして翌日になって二人がペンドラゴンに戻るまで、兄妹水入らずで貴重な休暇を楽しんだ。
 余計なことを何も考えずに過ごせたのはとてもありがたいことで、改めて妹たちの心遣いに感謝したルルーシュは、二人の乗った車が門の向こうに消えてしまうまで見送った。
 背後に控えたスザクは何も言わず、ただ静かに見守ってくれていた。
 (16.08.21)