薪のはぜる音がした。
日本ではあまりお目にかかれない光景は、まるでおとぎ話のようだった。こんなお城で過ごす人は、おとぎ話に出てくる登場人物のように素敵な人に違いない。
そんなことを思っていたスザクの耳に盛大な溜め息が届く。
「これは私への嫌がらせか?」
心底嫌そうな口調に思わず苦笑いを漏らした。
「嫌がらせだなんてまさか」
「人から仕事を取り上げてこんな山奥に押し込めるなんて嫌がらせ以外の何物でもない。だいたい、この城は前近代的すぎる。もっと効率良く中を変えれば良かったのに、クロヴィス兄上が変なところでこだわるからいけないんだ」
「でも、僕はこういうお城に憧れますけどね」
兄殿下をフォローすれば、美しい双眸に睨み付けられた。
「……まあ、確かに子どもの頃は楽しかった。いや、はしゃいでいたのはナナリーやユフィで、私は二人を見守っていただけだが」
自分も一緒にはしゃいでいたとは言えず、妹たちを言い訳にした主は少しだけばつが悪そうだ。その様子にこっそり笑みを浮かべ、スザクは高い天井を見上げた。
ペンドラゴンから車で一時間ほどの場所にある山奥の古城。夏は涼しく、皇族たちの避暑地として使われている場所だと知ったのは二週間前のことだ。
暖炉があったり、大きな煙突があったり、井戸水を使っていたり、扉は自動ではなく手動で開けるものだったり、確かに前近代的と言えた。もちろん最新鋭の設備も整っているのだが、それをあえて使わないようにしているらしい。
どこかノスタルジックな造りは本当に絵本の中から抜け出したみたいで、兄妹たちがはしゃぐ気持ちも良くわかった。
そんな夏の避暑地を十二月の寒いこの時期になぜ訪れているのかと言えば。
「とにかく、シュナイゼル兄上とクロヴィス兄上が悪い。私は忙しいと言ったのに、ここで少し早いクリスマスパーティーをしようだなんて」
そう、すべては兄二人による直々の誘いがルルーシュのもとに届いたことに起因する。
ルルーシュたちが幼い頃は何度か訪れていた城だが、兄のサポートをするようになってからは足を運んでいなかったそうだ。だけど、今年はここでクリスマスパーティーをするから必ず参加するようにと二週間前に命じられ、しかも昨日から仕事を取り上げられ、先に騎士と二人で城に向かってくれと半ば強制的に送り出されてしまったのだ。
当然、ルルーシュは立腹した。まだ残っている仕事があったのにとずっと文句を言っている主を宥めるのがスザクの道中での仕事だった。
(嫌がらせじゃないことは殿下もわかっているんだろうけど、こういうところは素直じゃないんだよなぁ)
本人が聞いたら怒りそうなことを心の中で呟く。
このパーティーはお兄様のためなんですよ、とこっそり教えてくれたのは彼の妹のナナリーだ。ここ最近、根を詰めて仕事をしていてゆっくりできたのは誕生日ぐらいだったから、今年は兄妹で計画してクリスマス会とルルーシュの慰労会を兼ねるのだと言う。
「お兄様がこのことを知ったら照れて嫌がられると思うんです。だから絶対に内緒ですよ。それに、ペンドラゴンに残ったままだとお兄様は無理にでも仕事を入れてしまうでしょうから、先にお城に向かわせる計画なんです。スザクさんも協力してくださいね」
絶対ですよと力を込めて念押しされたのは、クリスマスパーティーの計画が持ち上がったときのことだった。
そういうわけで、今回のスザクの役目はルルーシュが隠れて仕事をしないか、ちゃんと休暇を取っているかを監視することなのである。
「しかし、来てしまったものは仕方がない」
「殿下は仕事を詰めすぎなのです。たまにはゆっくりされてもいいでしょう」
「たまにはな」
勝手なことをする兄たちに文句を言いつつ、ルルーシュの表情は柔らかかった。彼も兄妹たちの優しさに気付いているだろうし、クリスマスぐらいは諦めて休暇を取ってくれるだろう。
「では、皆が到着するまで料理の下準備でもして待っているか」
「えっ」
が、ただで休んでくれないのがルルーシュだということを失念していた。
「だ…、ダメですよ!料理はちゃんと料理人がやってくれるのですから。殿下が厨房に入られたら皆が萎縮してしまいます。というか、料理人としての仕事がなくなってしまいます」
「言われてみればそうだな。だが、ひとりでごろごろ過ごすというのも……」
「たまにはごろごろされてもいいではないですか。ペンドラゴンに戻ればまた仕事の山が待っているのですから、せめてここではのんびりしてください」
「しかし手持ち無沙汰でな……」
眉を寄せる姿は本当に困っているようだ。しまった、と己の準備不足をスザクは早速後悔した。
皇族でありながらルルーシュは基本的に世話好きだ。身内だけのクリスマスパーティーでなんの準備もしないというのは彼の性格的に落ち着かないのだろう。
何かほかに気の紛れるものがあればいいのだが、下手なものを勧めればほかの兄妹たちに叱責される恐れがある。
(殿下の料理の腕は確かだけど、厨房に入れたら最後、料理人たちにあれこれ指示を飛ばしそうだからなぁ。じゃあ読書でも……、いや、この城にある本は読破してしまったと以前言っていた気がするからダメだ。ほかに何か……)
こんなことならペンドラゴンから退屈しのぎになるようなものをあらかじめ運んでおくんだった。自分の迂闊さを後悔するけれど後の祭りである。
何か。ほかの兄妹が到着するまでの暇つぶしになるような何か。
唸るように考えていると、ぷっ、と吹き出す声が聞こえた。声の正体はひとりしかいない。どうしたのだろうとソファに座る主を窺えば、くつくつと可笑しそうに笑っている。
「スザクの顔を見ていたら飽きないな」
「えっと……」
「お前がそんなに困った顔をする必要はないだろう。私はやることがなくて暇なだけなんだ」
「申し訳ありません」
「だからなんで謝る。この事態を想定して本の一冊も持ってこなかった私が悪い。そういうわけで、お前には私の話し相手になってもらおうか」
それは構わないが、話し相手ならいつもなっている。変わり映えのしない相手で逆につまらなくないだろうかと思っていたら、いいからここに座れと手招きされた。
「考えすぎるのがお前の悪いところだな。まあ、何も考えないやつよりはましか」
「それは褒められているのでしょうか」
「褒めているんだ。いいから座れ」
ソファをぽんぽんと叩かれ、迷った末にスザクは「失礼します」と腰掛けた。皇族の隣に座るなんてたとえ騎士であろうと皇宮では許されないことだ。
しかし、ここは雪に閉ざされた古城。いるのは使用人だけだし、用件がない限り勝手に入ってくることはない。
「先日の誕生日にもうひとつ願いを聞いてもらうべきだったな」
「どんなお願いですか?」
首を傾げれば、ルルーシュは背もたれに寄りかかって足を組んだ。
「――誰もいないときだけは少し態度を崩せ」
暖炉を見つめながらぽつりと呟かれる。
「友達のようになれと言っているわけではない。それが難しいことは私だってわかっているし、お前を困らせるつもりもない。ただ、せっかく同い年なのだから少しぐらいはいいだろう?」
「殿下……」
「強制はしたくないから嫌なら別に構わない」
小さな声はどこか自信なさげだった。
(ああ、やっぱり僕は……)
彼のこういうところが好きだと思う。
皇族ならば命令すればいい。でもルルーシュはそれをしない。ちゃんとこちらの意見を聞いて、こちらの意向を汲んでくれるのだ。
皇族らしからぬ振る舞いを皇宮の中では嫌う人もいた。母親の身分を揶揄し、所詮は庶民の子どもと陰口を叩く人間も少なくない。
しかし、こんなルルーシュだからこそ自分は好きになった。
「嫌だなんて、そんなことはありません」
人慣れしない猫に接するような慎重さで声をかければ、紫の瞳がゆっくりこちらを向いた。
「殿下が許してくださるのなら」
「本当に?お前は困らないか?」
「いいえ、ちっとも」
口許を和らげる。するとほっとしたような微笑が返ってきたので、スザクも笑みを深めた。
「では、もっと楽に座れ。そんなに背中を真っ直ぐにされたら隣で寛げない」
「これはラウンズ時代の習慣みたいなものなので……」
「お前は本当に真面目だな。まあいい。いきなり楽にしろと言われても困るだろうし、徐々に緩めていけばいい」
「はい」
また薪がはぜた。外は一面の雪で、時折、木の枝から滑り落ちる音が聞こえた。こうしていると世界に二人しかいないみたいな錯角を抱きそうだ。
「それにしてものどかだな」
「ええ」
「ここにいたら食べて飲んで寝るだけの自堕落な生活になりそうだ」
「殿下は忙しすぎますから、むしろもっとのんびりされてください」
「仕方ないだろう、私の性分なんだ」
言いながらソファの上でうんと伸びをする。本当に猫みたいだと微笑ましく思っていると、「そうだ」と何かを思い付いた声が上がった。
「暇つぶしを見つけたぞ。ナナリーやユフィたちが来る前にお菓子を作ろう。料理はさすがに諦めるがお菓子ぐらいならいいだろう?」
「お菓子ですか?」
「厨房の邪魔にならないよう時間をずらすから、少しだけ使わせてもらえないだろうか。ここでごろごろ過ごすのも悪くないが、せっかくのクリスマスだからナナリーとユフィが喜ぶものを作ってやりたいんだ」
妹の名前を口にする彼は蕩けそうな笑顔だ。そのシスコンぶりを知っているのはルルーシュに近しい人たちだけである。冷静に的確な判断をし、迷いなく命令を下している皇子殿下の顔しか知らない人間が見たら驚くに違いない。
「そういうことでしたら料理長に頼んでみます。厨房を使うのは今日がよろしいですか?」
「いや、皆が来るのは明後日だから明日借りれればいい。今日作ってもいいが、そしたらお前が全部食べることになるぞ」
それは嫌だろうと悪戯っぽく笑われた。ルルーシュが作るものなら全部もらいたいくらいだ、ということはもちろん心の中だけで呟いた。
「では料理長に話してきますので少し外します」
「ああ」
主の希望を叶えるために部屋を出る。真っ直ぐ伸びた廊下にはしんとした空気が広がっていた。使用人を呼べばすぐに駆け付けるとわかっているけれど、ルルーシュの頼みを呼び鈴ひとつで預けるのは嫌だった。
靴音を鳴らしながら厨房を目指す。
兄妹たちがやって来るのは二日後。それまでは古城に自分とルルーシュの二人だけ。
(殿下と二人きり、か)
顔がにやけそうになるのを意識して引き締める。休暇と言っても自分は任務中だ。のんきに気を抜くわけにはいかない。
それでも、二人きりのときだけは少し態度を崩せと言われたことは嬉しかった。自分との距離を縮めたいと思ってくれている、と考えるのは決して自意識過剰ではないはずだ。
厨房に到着すると、スザクは料理長を呼び出して早速交渉をした。殿下がおっしゃるならいつでもご自由に使ってくださいと恐縮されたが、それはルルーシュが望むところではないので、あくまで空いている時間帯だけ使わせてもらうことにする。
明日の午後の三時間ほどをもらい、ついでだからとルルーシュのためのお茶を淹れてもらった。我々が運びますからと言う申し出を丁重に断り、部屋まで戻る。
「戻りました、殿下」
冷めないうちにと急いで帰ったけれど返事がない。代わりに、規則正しい呼吸が微かに聞こえた。
「殿下?」
テーブルに盆を置いてソファを覗き込む。すると、横になったルルーシュが寝息を立てていた。
「寝てる……」
これは珍しい。皇宮では常に気を張っている彼がこれほど無防備なのはとても珍しかった。少しは休暇になっているようだと思えばルルーシュの兄弟たちには本当に感謝である。
右頬を下にし、まるで赤子みたいに両の手のひらをきゅっと握って眠っているルルーシュは気持ち良さそうだ。疲れも溜まっていたのだろう。
スザクは絨毯に膝を付くと、ルルーシュの寝顔を前に笑みを零した。
「ルルーシュ殿下」
小さく名前を呼んで無意識に手を伸ばした。
この指をどうするつもりだ。自問自答したのは、騎士である自分と、ただの枢木スザクである自分。
少し躊躇ったあと、スザクは勇気を振り絞って頬に触れた。触れた肌はふにっと柔らかく、口許が締まりなく緩んだ。
「僕はずっとあなたが好きなんですよ?知っていますか?」
彼が眠っている今だから声にできる想い。永遠に秘めて心の奥に仕舞っておくつもりだけれど、こんな風に毎日傍にいたらいつか気持ちが溢れてしまいそうだ。
赤く色付いた唇に人差し指で触れ、彼を起こさないようそっとなぞった。
「好きです、ルルーシュ殿下」
離した指先を己の唇に押し当てて、本人には決して告げるつもりのない気持ちを言葉にする。
また雪の落ちる音がした。同時に、使用人の訪問を知らせる呼び鈴が鳴った。
すっかり熟睡しているルルーシュは微かに笑みを浮かべていた。良い夢でも見ているのだろうか。
「メリークリスマス」
優しく囁いて、頬を緩めたスザクは立ち上がった。
今日も明日も明後日も、永遠にあなたの幸せを願っています。
(13.12.25)