扉が開けられた瞬間、華やかな空気が一気に押し寄せた。
こういう場は何度参加しても慣れないものだと思ったけれど、付き従った主の横顔には普段通りの、いや、普段以上に完璧に作られた表情が乗っていてさすがだと心の中で感嘆した。
日本でも名家と呼ばれる家の生まれだが、ブリタニアと違って日本ではこういったパーティーの類は少ない。あったとしても規模や煌びやかさが違うので、圧倒されてしまうのは国民性によるものだろう。そんなことを冷静に分析しながら、先に足を踏み出したルルーシュのあとに続いた。
ルルーシュが一歩進むたびに雑談をしていた人々の視線が集まり、「おめでとうございます」と祝いの言葉が贈られる。それに対して笑みだけを返しつつ、迷いなくホールを突き進む彼の背中はぴんと伸びて美しい。
こういうとき、彼は選ばれた人間なのだと思う。そして、その彼が自分の主であることにスザクは至上の喜びを感じていた。
帝国の騎士からルルーシュの騎士へと身分を替えたのはほんのひと月前のことだ。
どうしてそんなことになったのかと言えば、息子の功績を認めた皇帝が褒美に好きなものをやると言い出し、ルルーシュが「ラウンズをもらってもいいのか」と半ば戯れで口にした一言が実現したからである。という裏事情はもちろん人々の知るところではないが、ラウンズが一皇子の騎士になった話は噂好きな貴族たちの恰好の話題となった。
真実を知らない彼らは、外国人であるナイトオブセブンを皇子に押し付けたのだとか、ナイトオブセブンが何かやらかして降格されたのだとか、自分の騎士を与えるほど皇帝は皇子を気に入っているのだとか、好き勝手に推測しては好奇の目を向けてくる。
(人の噂も七十五日って言うから、そろそろ静かになるかなと思っていたんだけど)
おめでとうございますと口にしながら、時折聞こえてくる囁きはまさに根も葉もない噂だ。
「ほら、やっぱりナイトオブセブンを連れているわ」
「違う違う、元ナイトオブセブンだろう?」
「殿下の騎士にさせられるなんてどんな失態をやらかしたのか」
前を歩くルルーシュの耳には聞こえないくらい小さな声だが、スザクの耳にはしっかり届いていた。だいたいは自分に向けられた中傷だが、中には主に対するものもあった。
今日はルルーシュに近しい人を集めているはずなのにどうやって潜り込んだのだろう。貴族同士の集まりならともかく、皇族主催の誕生日パーティーで皇族批判とは馬鹿にするにも程がある。
しかし、ここで自分が動けば非難されるのはルルーシュだ。ラウンズならば何をしても許されるが、今の自分はルルーシュの騎士だ。騎士の恥は主の恥。軽率な言動は慎まなければいけない。
何より、今日はルルーシュの誕生日。一年でもっとも喜ばしい日である。
こうしてパーティー会場に足を踏み入れているのも、ルルーシュの兄のクロヴィス主催による誕生日パーティーが開かれているからだった。
肝心の主役が遅れたのは、直前まで帝国宰相のシュナイゼルに仕事の件で捕まったせいである。もっとも、仕事が忙しくて出席できないのを理由に誰よりも早く誕生日プレゼントを渡していたシュナイゼルは、仕事よりもそちらのほうが目的だったのではないかという疑惑がスザクの中にあった。
ともかく、ここはお祝いの場なのだ。負の感情を連れてルルーシュに付き従うわけにはいかないと己を叱咤したそのとき。
「ルルーシュ!」
ぶつかるようにルルーシュに抱き付いてきた人がいた。勢いに押された背中をさり気なく支えると、ルルーシュがスザクだけにわかる苦笑いを浮かべて衝撃の原因へと目線を戻した。
「ユフィ、はしたない行動はやめろといつも言っているだろう」
「今日はおめでたい日だからいいでしょう?それに遅刻してくるルルーシュが悪いわ」
「シュナイゼル兄上に捕まっていたのだから仕方ないだろう」
「それは聞き捨てならないね。いくら兄上でもルルーシュを独り占めするのはルール違反だ」
「また大袈裟なんですから、クロヴィス兄上は」
「いいや、私は大袈裟なんかではない。だいたい兄上はいつもいつもルルーシュを独占していてずるいんだ」
「私だってもっとルルーシュとお話がしたいのに、会いに行ったらいつもシュナイゼルお兄様とお話し中なんですよ」
「お前たち、そういう話はもっと違う場所でだな……」
「だってお姉様はずるいと思わないのですか?」
「ずるいも何も、兄上とルルーシュは仕事の話をしているのだ。お前が入ったら邪魔だろう」
「それがずるいと言っているのです!」
「あら、そういうお話でしたら私も混ぜてください。一番の被害者は私なんですから」
異母兄弟姉妹たちの賑やかな言い争いに可憐な声が加わる。
「ナナリー!」
ルルーシュが顔に喜色を浮かべて呼んだ先に、可愛らしい少女が立っていた。ルルーシュの同腹の妹のナナリーだ。
「お兄様ったらいつもお仕事お仕事で、しかも最近は口を開けばスザクさんのお名前ばかりでずるいです」
「いや、だからずるいと言われてもだな……」
ルルーシュはナナリーを目に入れても痛くないほど可愛がっている。その妹にまで責められ、さすがの彼も口籠もってしまった。ほかの異母兄弟姉妹なら相手によって対処方法を変えるのに、ナナリーに対してだけは弱いのだ。今も困ったような表情をしている。
すると、ナナリーがくすりと笑った。
「冗談ですよ。少し拗ねてみただけです。でも、たまには私やユフィ姉様たちにも構ってくださいね?」
「もちろんだ」
「ほら、話がまとまったところでいい加減今日の主役を離してやれ。これでは挨拶もできない」
コーネリアの言葉にようやくルルーシュが解放される。
「皆、お前の到着を待っていたんだ。早々で悪いが一言いいか?」
「はい」
姉に笑みを向けたあと、再び外向けの顔をしたルルーシュは一段高い場所に立った。ホールには少なくない招待客がいる。その全員の視線がルルーシュへと注がれた。
唇を開くと同時に、マイク越しに響く心地良い声。主となったばかりの人を見つめながら、スザクは彼の挨拶にじっと耳を傾けた。
ルルーシュには不思議な魅力がある。その言葉で周囲を圧倒し、多くの人間を魅了した。
もちろん、敵がまったくいないわけではない。ルルーシュのやり方は正しく的確だが、凡人には理解しがたかったり少々厳しかったりする部分もあった。それに対して陰で悪く言う人もいる。つまり、優秀すぎるが故に嫉妬されるのだ。
(いや、それだけではないか)
帝国宰相から気に入られていることも恐らく嫉妬の一因だ。第十一皇子は帝国宰相に体で取り入ったという下品な噂話はラウンズ時代にも耳にしたことがある。
何も知らない連中が好き勝手に言っているだけだとルルーシュは取り合わないけれど、一番近くで彼を見ているスザクにとって根も葉もない噂の数々は腹立たしいものでしかなかった。
(僕が殿下の力になれればいいんだけど)
しかし、実を言えば、外国出身のラウンズという色眼鏡で見られている自分の存在が彼の足を引っ張っているのではないかとも懸念していた。
(やっぱり僕なんかが騎士になったのは間違いだったのかもしれない)
柄にもなく後ろ向きなことを考えてしまい、いけないと心の中で首を振る。今日はめでたい日なのだ。晴れやかな顔をしていなければと背筋を伸ばしたとき、壇上のルルーシュと目が合った。
彼は口許に笑みを乗せ、再び正面を向いた。
「それから改めて発表するが、先月から枢木スザクが私の騎士となった」
突然、自分の名前を呼ばれてスザクは面食らった。会場にいる人々もざわついている。
そんな様子に動揺することなくルルーシュが続けた。
「皆も知ってのとおり、枢木スザクは帝国最強の騎士、ナイトオブラウンズとして皇帝陛下に仕えていた騎士だ。しかし、私が彼をぜひ騎士にと所望したところ、陛下は二つ返事で私に下賜された。つまり、枢木は陛下からの少し早い誕生日の贈り物だったというわけだ。もちろん、枢木自身も納得してのことではあるが、私が望まなければ彼を騎士にすることは叶わなかった。このような贈り物をくださった陛下と、我が騎士になってくれた枢木スザクに深く感謝している」
今日は私のために集まってくれてありがとう、と礼を言ってルルーシュの挨拶は終わった。しんと静まり返ったホールの空気など気にも留めず、壇上から下りてスザクのもとへと歩いて来る。
茫然とその美しい顔を見ていたスザクは、彼がにやりと口角を上げたのに気付いた。
「どうだ、なかなかいい脅しだっただろう?」
ぽんと肩に手を乗せられ、すれ違い様に囁かれる。
「殿下、」
「久しぶりに一緒に踊らないか、ナナリー」
「はい、お兄様」
妹の手を取り、ホールの中央へと進む主の背中を見送る。楽団員たちが慌てて楽器を構え、止まっていた時が再び動き出したかのように音楽が始まった。
「ルルーシュったら負けず嫌いなんだから」
「ユーフェミア殿下」
いつの間にか隣に並んでいたユーフェミアを見ると、彼女は可笑しそうに笑っていた。
「意外と独占欲が強いのよね。自分が本当に欲しいものは絶対に諦めないの」
「えっと……」
「じゃあ、私はクロヴィスお兄様にお相手してもらおうかしら」
言いたいことだけ言うと、ユーフェミアはもうひとりの兄のもとへ行ってしまった。残されたスザクはなんとなく手持ち無沙汰になってしまい、仕方なく飲み物を受け取るとルルーシュの姿を追った。騎士である限り、誕生日パーティーの最中でも気を抜くことは許されない。
(今の挨拶って、噂話に対する牽制だったのかな)
ナイトオブセブンが騎士になったのは、皇帝から押し付けられたわけでも降格処分の結果でもない。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが望み、その望みを皇帝陛下が聞き入れたから叶ったことなのだと、全員の前で高らかに宣言したのだ。
先ほど噂話をしていた連中を探してみると、彼らは口を噤んで大人しく料理を突付いていた。皇子自らがあれだけのことを言ったのだ。下手なことを話せばルルーシュだけでなく皇帝をも侮辱することになるとようやく気付いたのだろう。
(だから負けず嫌いってわけか)
彼の兄妹たちを窺うと、とんでもないことをと咎めるような雰囲気はない。むしろ、ルルーシュならばさもありなんといった様子だ。
(どうしよう、これはちょっと――)
いや、ちょっとどころではない。
かなり嬉しい。
主を助けなければいけない騎士が逆に主に助けられてしまうなど不甲斐ないばかりだが、それでも嬉しい。ルルーシュがそれほど自分のことを気に掛けてくれていたことも、自らの騎士であると堂々と宣言してくれたことも、すべてが嬉しくてたまらなかった。
騎士になったのは間違いだったかもしれないと一瞬でも考えたこと自体が間違いだった。
(騎士が弱音を吐いてどうする)
ルルーシュを守るのは自分の役目だ。それは誰にも譲らないと騎士就任式のときに己の心に誓った。その誓いを二度と揺らがせてはいけない。
だって、自分はルルーシュの騎士なのだから。
優しい旋律を耳にしながら主をじっと見守る。生涯を彼に捧げられる幸せをスザクは改めて噛み締めた。
「お疲れ様でした」
「まったくだ」
車がゆっくり走り出すと、ルルーシュは疲れたように座席にもたれかかった。
「誕生日を祝ってくれるのはありがたいがやはりパーティーは疲れる」
「来年はもっと盛大にやるとクロヴィス殿下が今から乗り気でしたね」
「兄上にはあとで釘を刺しておく……」
本気で嫌そうな口調に小さく笑い、「ありがとうございます」と礼を告げる。ルルーシュの顔がこちらを向き、じっと見つめられた。
「別にお前のためではない。人の誕生日にまでくだらない話をしている連中に気分が悪かっただけだ」
「聞こえていらしたのですか?」
「あれだけ大声で話していれば誰だって気付く」
ふん、と正面を向いた横顔は少しだけ不機嫌だ。お喋りの内容を思い出して怒っているのだろうか。だとしたら、不謹慎ではあるけれど少し嬉しかった。
「ルルーシュ殿下」
「なんだ」
「これを受け取っていただけませんか」
おもむろに小箱を差し出せば、苛々としていた表情が驚きを浮かべた。丸まった瞳が猫のようで可愛らしい。
「お誕生日おめでとうございます。本当はもっと早く渡したかったのですが、なかなかタイミングが合わなくて今ごろになってしまいました」
「わざわざ用意しなくたって……」
「僕が用意したかったのです。と言っても、ほかの方々のプレゼントに比べれば見劣りしてしまいますが」
「いや、もらえるだけで充分嬉しい。――開けていいか?」
恐る恐る窺われ、もちろんと頷いた。白く繊細な指が赤いリボンを解いていく。
「綺麗だな、いい色だ」
「公式の場ではもちろん無理ですが、プライベートでしたら使えると思いまして」
ルルーシュのために選んだのはラペルピンだった。細かい装飾と光り輝くアメジストが彼の黒い衣装に映えると思ったのだが、どうやら正解だったようでほっとした。
ただ、人には好みというものがある。いくらスザクが気に入ろうとルルーシュの好みでなければ意味がない。だからこれは単なる自己満足でもあるのだ。
「気に入らなければ仕舞っておいてください」
「そんなことはない!」
思いがけず強い口調で否定され、ぽかんとしてしまった。ルルーシュもハッとしたように口を噤み、受け取ったばかりの箱をぎゅっと握り締めている。
「そんなことは、ない。スザクがくれたものならなんでも嬉しい」
「ありがとうございます」
その発言のほうがよほど嬉しいと思いながら笑みを浮かべた。整った横顔が微かに染まっているように見えるのは果たして車の明かりのせいだろうか。
「本当に嬉しいんだからな」
「わかっています」
「でも、一番の贈り物はお前がこうして隣にいることだ」
頬を緩め、心の底から嬉しそうな声音でルルーシュが囁く。突然の言葉にスザクはただ目を瞠ることしかできず、ぼんやりとルルーシュを見つめた。
「――ありがとう、ございます」
夢見心地のままかろうじて礼だけを告げた。
もしかしたら本当に夢なのかもしれない。だって、これほど嬉しい言葉を彼の誕生日の日にもらうなんて出来過ぎている。
「お前が礼を言ってどうする」
「しかし……」
「礼を言うのは私のほうだ。ありがとう、スザク」
優しく名前を口にされ、やっぱり夢みたいだと思った。
美しい主と車で二人きりで、誕生日プレゼントを渡したら逆に自分のほうがありがたい言葉を贈られて。これが現実だったら怖いくらいに幸せだ。
「ちょうど気に入っていたものを失くしてしまったんだ。大事に使わせてもらう」
「ですが、殿下がお持ちのピンに比べたら見劣りしてしまいますので、アリエスの中だけで使っていただいたほうがよろしいかと」
「日本人の悪いところは謙遜し過ぎるところだな。何が見劣りするだ。値段の話をするのはいやらしいが、この贈り物がいくらぐらいするか私がわからないと思ったか」
「えっと……」
ルルーシュに渡すプレゼントなので当然そこらの安物ではない。ラウンズ時代の収入のおかげで彼に相応しいものは選べたと思っている。が、皇族である彼の持ち物に比べればたいしたものではないはずだ。
しかしそんな謙遜がルルーシュには不服のようで、唇をムッとさせている。
「とにかく私がもらったんだ。どこで使おうと私の勝手だ」
「それは……、ありがとうございます」
騎士からの贈り物を大事に握り締めている主に、スザクの中が温かい気持ちでいっぱいになる。ここまで喜んでもらえるとは予想していなかったので本当に嬉しい。
「だからなんでお前が礼を言うんだ」
可笑しそうに笑うルルーシュは普段通りで、スザクも口許を緩めた。
「お誕生日おめでとうございます、ルルーシュ殿下。あなたがこの世に生まれてきたことを、僕はほかの誰よりも嬉しく思います」
真っ直ぐルルーシュ見つめ、もう一度お祝いの言葉を伝える。
自分だけではない。彼の両親も妹も異母兄弟姉妹たちも、皆が今日の日を祝っている。パーティーでは大勢に言われた言葉だ。
それでも、ルルーシュと二人きりのときに伝えたかった。気持ちだけならば血の繋がった肉親たちにだって負けないつもりだ。
「――スザク。せっかくの誕生日なんだ、ひとつだけ私の頼みを聞いてくれないか」
「なんでしょうか」
「この先もずっと、私の隣にいてくれないか」
頼みと言うにはあまりにもささやかなお願いに、スザクは迷わず頷いた。
「自分は殿下のお傍にいます、ずっと」
リボンを握ったままの手にそっと手を重ね、誓いのように告げる。
微笑んだルルーシュに、スザクも優しく笑いかけた。
死が二人を分かつまで。
いや、死してなお、あなたの傍にいよう。
「ねえ、ナナリー」
「なんですか?ユフィ姉様」
「あの二人っていつになったらくっ付くのかしら」
「お兄様は恋愛方面にとても鈍いですし、スザクさんはスザクさんで本命にはやっぱり鈍いみたいですし、まだしばらくかかりそうですね」
「私、じれったくてたまらないわ。どうして二人ともあんなに鈍いのかしら」
「何か打開策を考えないといけませんね。でも、私はもう少しこのままでもいいかなと思っているんです」
「そうね、今のままの二人が私も嫌いじゃないわ。でも、もう少しだけよ?」
「ええ、わかっています。もう少しだけです」
くすくすと笑いながら彼の妹たちは窓の外の星空を見上げた。
大好きな人と共にどうか幸せな日を。
(13.12.05)