麗らかな午後のひととき。
普段は執務に追われて忙しないが、たまには書類の山から解放されてのんびり過ごすのもいいものだな。そう思いながら紅茶を一口含んだルルーシュは、目の前の妹が上げた歓声に小さく笑った。
「行儀が悪いぞ、ユフィ」
「だってとっても美味しいんですもの。デザートはやっぱりルルーシュの手作りに限るわ」
「お前のところのパティシエが聞いたら怒るだろうな」
「あら、ルルーシュの腕前だったら皇宮中の料理人が負けたとしても納得しますよ。今日だってルルーシュのチョコレートケーキを食べに行くって話したら羨ましがられたくらいですもの」
「まさか」
ユフィは話が大袈裟だ。ルルーシュとて料理の腕にまったく自信がないわけではないが、所詮は趣味である。片手間で作ったものがプロの料理人に敵うはずがない。
「人の話を信じないのはルルーシュの悪いところですよ」
「人の話を大きくするのはユフィの悪いところだ」
「もう。でもいいわ、こうして午後のお茶の時間にルルーシュを独り占めできたんですから」
「ナナリーが怒っていたぞ」
「ナナリーは毎日一緒にいられるじゃない。たまには私に貸してくれてもいいでしょう?」
「それでチョコレート尽くしか」
テーブルの真ん中にはチョコレートケーキとチョコレートムースが置かれていた。もちろんすべてルルーシュの手作りだ。
食べるのはもっぱらユフィで、ルルーシュはムースをひとつ平らげただけだった。あとは紅茶を飲みながら妹のお喋りに耳を傾けている。
「ルルーシュはバレンタインになると皆にお菓子を配ってくれるでしょう?だから今年は先にリクエストしたの」
チョコレートが食べたい。ユフィからそんな要望が来たのは数週間前のことだ。
毎年バレンタインになると、普段世話になっている人に贈り物をするのがアリエスの恒例である。贈り物と言っても手作りの菓子を詰め合わせたもので、配るのも本当にごく近しい人たちだけだった。母とナナリーはもちろん、ユフィとコーネリアの姉妹、ジェレミアやほかの側近、それから親しくしている兄たちにも贈り届けていた。
今回もいつもの面々に何か贈ろうと計画していたところ、まるでタイミングを図っていたかのようにユフィから連絡があった。
「ルルーシュと一緒にルルーシュお手製のチョコレートのお菓子を食べたいの。たまには私と二人きりでお茶をしてくれてもいいでしょう?」
にっこり笑って強請られれば、妹に甘いルルーシュが断われるはずがなかった。何かと忙しいせいでユフィとは最近あまり会っていないことも理由のひとつである。それを知ったナナリーはもちろん拗ねていたけれど、彼女とは後日お茶の時間をちゃんと取るつもりだ。
「だからってひとりでワンホールは無理だろう」
「大丈夫よ。残りは包んでもらってお姉様と一緒に食べるから」
帰ってもまだ食べるつもりかと呆れてみせれば、当然ですと胸を張られた。
「あとでクロヴィスお兄様に自慢しなきゃ」
「やめてくれ。そんなことをしたら兄上が乗り込んでくる」
ユフィひとりがアリエスでお茶をしたと聞いたらどんな反応が返ってくることか。何かと気に掛けてくれるのはありがたいが、幼子を相手にするみたいにあれこれ構ってくるのは少々煩わしい。
(と直接言ったら、本気で落ち込まれたから口にはしないが)
あのあとしばらくいじけて大変だったと思い出す。
「たまにはクロヴィスお兄様にも優しくしてあげてちょうだい」
「下手に優しくすると調子に乗るだろう。兄上にもあとで菓子を届けさせるから変なことは言わないでくれ」
「しょうがないわね。じゃあ、スザクに自慢するのはいいでしょう?」
その名に指先がぴくりと動く。彼を知っている人間ならば誰もが口にする名前なのに、いちいち反応してしまうのは己の未熟さの表れだ。
スザクは元ナイトオブラウンズで、現在は自分の騎士。ただそれだけの関係である。
自分がスザクに特別な感情を抱いていることは誰も知らないし、決して知られてはいけない。
「どうしてスザクなんだ。そこはナナリーじゃないのか?」
「ナナリーにはさっき会ったんですもの。そういえばスザクは今どこへ?」
「あいつには仕事を任せている」
「一緒でも良かったのに。スザクにチョコレートは渡したの?」
「ああ、朝の挨拶のときにな」
もちろん彼にも丁寧にラッピングした箱を渡していた。一日が始まって最初に顔を合わせるのはスザクだから、そのときにさり気なく押し付けたのだ。
「スザクは何も言っていなかった?」
「何って何をだ?」
「お礼以外の何かよ」
「別に何も言わなかったが」
ありがとうございますとにこやかに言われた以外は何もない。
すると、ユフィが何やら難しい顔をした。彼女がスザクを気にするなんてどうしたのだろう。
「やっぱり鈍いのかしら。それとも、気付いていながら踏み込んだことは言わなかっただけなのかしら……」
「なんの話だ?」
「――わかったわ。ルルーシュ、いいことをひとつ教えてあげる」
「いいこと?」
それとスザクがどう関係あるのかわからない。ますます首を捻りながらも、手招きされてテーブルの上にわずかに身を乗り出す。
「あのね、日本では――」
* * *
廊下を歩いていたスザクは、ふと窓の外に目を向けた。
午後の柔らかい陽射しが降り注いでとても暖かそうだ。実際は二月の半ばでまだ気温が低く、マントなしでは外出できないが、こうして陽が当たるとそのぬくもりにほっとした。
(ユーフェミア様もお帰りになられているだろうし、そろそろ殿下のお部屋に伺うか)
ルルーシュに言い付けられた資料を所定の場所に運び終わったところだ。予定では十分ほど前にユーフェミアは帰っているはずなので、今から向かえば程よいタイミングになるだろう。
「スザクさん!」
ルルーシュの部屋に向かおうとしたスザクは、しかし呼び止める声に振り返った。
「ナナリー様」
こちらに来るのはルルーシュの妹のナナリーだった。スザクもすぐに方向転換をして彼女の前に進んだ。
「なかなか捕まらないから探しました。いつもはお兄様と一緒だからすぐに見つけられるのですね」
「どうかされましたか?」
「これをお渡ししたいと思いまして」
にこやかに差し出されたのは赤いリボンのかかった白い箱。デジャビュを感じるのは、似たようなものを今朝もらったからだろう。
「これは……?」
「今日はバレンタインでしょう?」
「えっ?」
驚きに声を上げればナナリーが首を傾げた。
「私から差し上げるのは駄目でしたか?」
「駄目ということはありませんが、皇女殿下自ら……」
「その言い方はやめてくださいと言ったでしょう。それに、お兄様の真似をして私も皆さんにお渡ししているのです。お兄様が作るお菓子に比べたらまだまだですが、私からの感謝の気持ちです」
「え……」
ナナリーの言葉にまばたきをひとつした。そして、どうやら自分は勘違いしていたようだと理解する。
「なるほど、義理チョコみたいなものでしたか」
「義理チョコ?」
「いえ、日本とブリタニアの習慣が違うことをすっかり失念していました」
「日本では義理チョコと言うのですか?」
「そういうわけではないのですが」
思わず苦笑いする。皇女殿下から愛の告白をされたと思いました、とはさすがに言えない。
バレンタインと言えば日本ではすっかり告白するためのイベントになってしまったが、本来は男女関係なくお世話になっている人へ贈り物をするらしい。贈り物の内容もチョコレートではなく花やカードではなかったか。
(あれ?ということは……)
そこでようやく自分が恥ずかしい勘違いをしていたことに気付く。恥ずかしすぎて数時間前の浮かれた自分を殴りたいくらいだ。
「スザクさん?」
「あ……、いえ、ありがとうございます。あとで美味しくいただきます」
「では私はこれで。お仕事の邪魔をしてすみません」
「とんでもございません」
可愛らしく手を振りながら背を向けたナナリーを見送ると、スザクは再びルルーシュの部屋を目指した。
(良かった、勘違いに気付いて。それにしても恥ずかしい……)
思い出すのは今朝のこと。
いつものようにルルーシュの部屋を訪ねたところ、「お前にこれを渡しておこう。中身はチョコレートだ」と小さな箱を差し出された。スザクの認識ではバレンタインのチョコレートは愛の告白とイコールだったから、まさかルルーシュがと大いに驚いた。
自分の気持ちがばれていたのだろうか。それともルルーシュも同じ気持ちを抱いてくれていたのだろうか。そんなことを思って浮かれそうになった。いや、実際浮かれていた。
(告白の割には殿下がやけにあっさりしているからおかしいとは思っていたけど……。都合のいいことがそうそうあるわけないか)
しかし、ルルーシュからチョコレートをもらった事実は事実である。ナナリーからの贈り物と一緒にありがたくいただこう、と気持ちを入れ替えたところでちょうど主の部屋に着いた。入室の許可をもらって中に入る。
「失礼いたします。殿下からご指示のあったものはすべて運び終わりました」
「あ、ああ、ご苦労」
「ユーフェミア様はもうお帰りになったのですか?」
「ユフィならもう帰ったぞ」
ふと、違和感を覚えた。
違和感の正体はルルーシュの声だ。普段に比べてどこか上擦っているように聞こえる。さらには、なんだかそわそわと落ち着きがない。
(ユーフェミア様に何か言われたのかな?)
ルルーシュは身内に甘く、特に二人の妹には弱い。今日の訪問もユーフェミアからのお願いだったらしく、「ユフィは仕方がないな」と言いながらも楽しそうにケーキを作っていた。
それにしても様子がおかしい。騎士としてここは原因を探っておくべきか、それともそっとしておくべきか。
主に不安や悩みがあれば取り除くのが騎士の役目だ。しかし、騎士だからと根掘り葉掘り聞き出すのも行儀が悪い気がする。
「ところでそれは?」
悩んでいると、自分の右手に視線が注がれているのに気付いた。
「バレンタインということでナナリー様にいただきました」
にこりと告げれば、なぜかルルーシュが眉間に皺を寄せた。もしかしてナナリーからもらいものをするのはいけないことだったのだろうか。
「スザク……」
「はい」
深刻そうに名前を呼ばれ、思わず姿勢を正した。
「――朝のあれは違うんだ」
「はい?」
「私はただ、いつも世話になっている者に渡しているだけで、もちろんお前には一番世話になっているからバレンタインには何か贈り物をと思って、別にほかの意図があったわけではなく、その……」
どんどん声が小さくなる。こんなルルーシュは珍しい。
(えっと……、これはつまり、朝の贈り物の弁解?)
なぜ恥ずかしそうに弁解をしているのかはわからないが、あの贈り物は皆に配っているのだと言いたいらしい。
ナナリーも言っていたではないか。これは感謝の気持ちだと。
臣下にまでわざわざ贈り物をしてくれる心優しい兄妹に頬を緩める。自分の勘違いは恥ずかしいけれど、こうして気遣ってくれたことがとても嬉しい。
「大丈夫ですよ。わかっていますから」
安心させるように伝えた。勘違いはしていない、という気持ちを込めて。
しかし微かに目を瞠ったルルーシュは、視線を落として一瞬だけ表情を暗くさせた。
「――そうか」
「殿下?」
「いや、なんでもない」
顔を上げた彼はいつもの顔で笑っていた。
「ユフィのためにチョコレートケーキを作ったのはいいが、少々作り過ぎてしまった。あとで一緒に食べないか?」
「よろしいのですか?」
「ああ」
美しいおもてに憂いの色はもうない。先ほどの表情の理由が気になったけれど、すでに仕事の話に移っていて口を挟める雰囲気ではなかった。
(勝手に勘違いしてしまったから、それでなんとなく後ろめたいのかもしれないな)
自分の心持ちが悪いのだろう。そう結論付けて、スザクはルルーシュの声に耳を傾けた。
皆に同じものを配っていたとしても、好きな人からチョコレートをもらえた。それで充分ではないか。
口に入れたチョコレートは、甘くて少しだけほろ苦いかもしれない。
* * *
スザクが出て行った部屋の中で、ルルーシュは小さく溜め息をついた。
「ユフィのやつ、余計なことを教えて……」
お茶の席で教えられたのは衝撃的な事実だった。曰く。
「日本ではバレンタインに好きな人にチョコレートを渡して愛の告白をするのが決まりなの。スザクは日本人だからきっとそう信じていますよ」
それを知ったとき、自分はなんてことをしてしまったのだろうと頭を抱えた。もちろんユフィの前では済ました顔をしていたけれど、ひとりだったらあまりの恥ずかしさと居た堪れなさでその場に蹲っていたかもしれない。
「でもスザクはちゃんとわかってくれていたようだし、これで一安心……」
笑ってみせようと思ったのに、上手く口角が上がらなかった。
愛を告白する日にチョコレートを渡されたのに、スザクは平気な顔をしていた。初めから気持ちは伝えないと決めているし、そもそも男同士だから望みなんてないとわかっていたのに、お前のことはなんとも思っていないと告げられたようで胸が痛かった。
来年からはバレンタインの贈り物なんてやめてしまおうか。
そうぽつりと呟いて、自分が作ったチョコレートを一粒口に入れた。
舌の上で溶けたチョコレートは、甘いはずなのに少しだけ涙の味がした。
(14.02.14)