「今日はスザク君に話があるんだけど、少しいいかな」
突然、ルルーシュの執務室にやって来たかと思えば開口一番そう切り出したシュナイゼルに、スザクとルルーシュは思わず顔を見合わせた。
帝国宰相でありルルーシュの兄でもある彼がルルーシュを訪ねるのはおかしなことではない。彼は出来のいい弟が可愛いらしく、世間話やチェスの勝負を口実にアリエスや宰相府の執務室にたびたび足を運んでいた。スザクが騎士に就任して以来、少なくとも週に一度はやって来る。ユーフェミアの次に訪問回数が多い異母兄弟ではないだろうか。
あまり感情を表に出さない優秀すぎる次兄が少し苦手だと言うルルーシュは、帝国宰相も存外暇なのだなとたまにぼやいている。しかし心の底から嫌っているわけではなく、シュナイゼルの政治や外交における手腕は高く評価しているようだ。母親の身分を揶揄する口さがない連中も、ルルーシュのバックに帝国宰相がついていることで表立った批判はしてこない。「これでも一応兄上には感謝しているんだ」とはふと漏れた彼の本音だろう。
だからシュナイゼルがルルーシュを訪ねてくること自体は日常で、なんら珍しいことでも目新しいことでもない。ただ、腹違いの弟ではなくその騎士が目当てなのはこれが初めてで、主従揃って首を傾げたのだった。
「私は外したほうがよろしいでしょうか」
「いや、スザク君は君の騎士だ。主であるルルーシュにも許可をもらいたい」
「許可?」
形のいい眉が寄せられる。シュナイゼルは可愛い弟の才能を認め、その能力を大いに評価していた。それ故、たまに無理難題を突き付けてくることがあった。ルルーシュに経験を積ませる目的での手厳しさだが、嫌がらせとしか思えない課題の数々のおかげで、シュナイゼルが絡むとルルーシュは必ず一度は嫌な顔をした。今回もその類かと警戒するのは致し方ない。
とりあえず座りたまえと促され、シュナイゼルの正面にルルーシュが座った。こちらに話があるとのことなので、恐縮しながらスザクもルルーシュの隣に腰掛けた。
「話というのは君のラウンズ時代に関わる内容なんだが、以前、戦争の仲裁役として中東に派遣されたことは覚えているかな。一年ほど前のことだよ」
「はい、覚えています。自分とナイトオブスリー、ナイトオブシックスの三人で向かったかと」
「そのときブリタニア貴族の命を助けたことは?」
「確か市街地の橋が壊され、外へ逃げられなくなった人々の救助をしたときにブリタニア貴族も混じっていたような……」
記憶の糸を手繰り寄せる。もともと紛争が多発していた地域だったが、派遣された土地は比較的平和でビジネスのために滞在するブリタニア人も多かった。そのため突然の開戦で逃げ遅れた人も多く、ブリタニア軍を派遣して国外へ脱出させることとなった。その一環としてスザクたちラウンズも投入され、戦争の仲裁と人命救助を行ったのである。
「実は、君に助けられたひとりがブリタニアの有力貴族で、命を救われたことにいたく感激していてね。あのときの礼がまだだからぜひ自分の別荘でもてなしたいと言っている」
「もてなし、ですか……?」
「今の君がルルーシュの騎士であることは承知している。ただ、相手はかなり上位の人間で、私としてもあまり無下にできない。もちろん、断わったからと言ってお咎めがあるわけではないが、ここは元ラウンズとして判断してもらいたい」
選択を与えられているようで、その実、初めからひとつしか選べない内容に困惑した。
正直な気持ちとしては行きたくない。礼のためとは言え、主をひとり残して行くなんてとんでもなかった。しかし、元ラウンズの立場としては、今後のブリタニア皇族と貴族の友好のためにも行くべきなのだろう。何より、自分が断ることでルルーシュの評判を落としたくなかった。
ちらりと隣を窺えば、ルルーシュはテーブルの一点をじっと見つめていた。何か考え込んでいる表情だった。
(できれば行きたくはない、けど……)
今の自分はルルーシュの騎士だ。自分の行いはすぐさま主の評価に繋がってしまう。ならば、ここは帝国宰相が満足する答えを出すべきである。
「殿下、」
「そういうことなら仕方ないですね。スザク、行ってこい」
切り出すよりも先にルルーシュが答えを出し、スザクはぽかんと口を開けた。
「なんだ、その顔は」
「いえ……、よろしいのですか?」
「先方は礼をしたいと言っているのだろう?私ならジェレミアも咲世子もいるから大丈夫だ。静養だと思ってゆっくり羽を伸ばして来い」
にこりと笑った主の顔をまじまじと見つめた末に、ようやく「はい」と短く答えた。これが最善だとわかっているのに、ルルーシュなら断わってくれるのではないかと心の奥でほんの少し期待していた自分が恥ずかしい。
「では決まりだね。相手には私のほうから連絡しておくから、また詳細が決まったら伝えよう」
「よろしくお願いいたします」
次の予定があるからと部屋を出る帝国宰相を二人で見送った。
「スザク君が不在の間、ルルーシュも手が空くだろう?今度またチェスの相手を頼むよ」
「スザクがいてもいなくても仕事の量は変わりません。むしろ用事を頼める人間がひとりいなくなるのですから困ります。チェスのお相手はしますが、兄上もしっかり仕事をしてください」
「ルルーシュは厳しいね。じゃあ、次の機会までに余計な案件はしっかり片付けておこう」
弟の額にキスを落としてシュナイゼルは踵を返した。兄弟のスキンシップで単なる親愛のキスだ。それでも、ざわりと騒いだ胸を抑えるようにスザクは手のひらを握った。この程度で嫉妬するなんてみっともないと思うけれど、自分以外の男がルルーシュに触れるのをこの目で見るのははっきり言って苦痛だった。
(駄目だな、こんなことでは)
それより今は別の問題がある。部屋に戻ると、ルルーシュは執務机の前に立って窓のほうを向いていた。なんとなく声をかけにくい雰囲気に、もしかしたら先ほどの話に腹を立てているのではないかと懸念した。
そもそも、ナイトオブセブンがルルーシュの騎士になったことは帝国では周知の事実だ。礼のため別荘に招待したいと言うのなら、相談するのはシュナイゼルではなくルルーシュであるべきだ。それなのに勝手に話を進められ、しかも初めからノーの選択肢は与えられていなかった。兄の手前、快く認めてくれたけれど、プライドをひどく傷付けられたと思っているかもしれない。
「殿下、」
「そうだ、地下の書庫から本を借りてきてくれ。タイトルは書き出しておく。ああ、その前にそこの本は返却を頼む。そのあと宰相室まで書類を届けてもらって、私が見なければいけないものがあれば預かって来てほしい」
「あの、殿下、」
「その前にお茶が飲みたいな。私から頼んでおこう」
「ルルーシュ殿下!」
呼びかけを遮るルルーシュはまるで話しかけられることを拒絶しているみたいだった。スザクからは彼の後ろ姿しか見えず、どんな表情をしているのかわからない。
「もしかして怒っていらっしゃるのですか?」
「――何をだ」
「先ほどの話です」
「別に怒ってなどいない。兄上から来た話だ。断われるわけがないだろう?」
「しかし……」
「お前がいなくなると書類運びが面倒になると思っただけで、別になんとも思っていない。気にするな」
ルルーシュが振り返る。ようやくこちらを向いた顔は静かに笑んでいた。
「留守中の護衛はジェレミアと咲世子に任せる。お前はゆっくりして来い」
「殿下……」
「子どもではないのだからひとりで大丈夫だ」
心配するな、と頬を緩めた姿はいつものルルーシュだったけれどどこか違和感を覚える。しかし、これ以上追求するのも憚られた。
「わかりました。では、二人には自分から依頼しておきます。本と書類とお茶ですね。お茶は自分がお願いしてきましょう」
「ああ」
再び背を向け、机の上の書類を整理し始めたルルーシュに一礼するとスザクは部屋を出た。
(何かおかしい)
主の態度に首を捻りながら廊下を歩く。こちらの呼びかけを遮り、捲し立てるように仕事を頼み、明らかに何かを取り繕っている様子だった。
(やはり怒っているんだろうか)
ルルーシュの騎士でありながらシュナイゼルの話を受け、貴族の別荘に招待されることを腹立たしく思っているのかもしれない。しかし、ルルーシュは的確な判断ができる人だ。シュナイゼルの事情もスザクの事情もよく理解した上で了承しただろうし、それを根に持つような人でもない。だったら様子がおかしい原因は何なのか。
「あら、スザクじゃないですか」
頭を悩ませていたスザクの耳に聞き慣れた声が届いた。振り返れば、ルルーシュの異母妹のユフィがこちらに歩いてくるところだった。スザクは姿勢を正し、皇族に対する礼を取った。
「今日はルルーシュと一緒じゃないのですね」
「殿下なら執務室にいらっしゃいます」
会いに行かれますかと尋ねれば、お仕事の邪魔になるからやめておきますと首を振られた。
「最近はいつも二人でセットになっているからスザクひとりだと変な感じね」
「そうですか?」
「スザクが来る前はジェレミアや咲世子が交代で付いていたでしょう?だからスザクとはいつも一緒なのねって、当たり前のことなのになんだかしみじみ思っちゃって」
それはつまり、自分がルルーシュの騎士と認識されている証なのだろうか。騎士になりたての頃はラウンズの枢木スザクとして接してくる人がちらほらいたから、ルルーシュとセットでいることが不自然に見えなくなったのは正直嬉しい。
「ところで、今度またナナリーとお茶をする予定なんだけどルルーシュは忙しいかしら?」
「最近は以前に比べたら落ち着かれていますし、お二人とのお茶でしたら殿下はなんとしても時間を空けられると思いますよ」
「だったらナナリーと計画を立てなきゃ。バレンタインのときはルルーシュからチョコレート尽くしのデザートを振る舞ってもらったから、今度は私がお返しするの。確か、日本にはホワイトデーっていうのがあるのよね?」
「はい」
懐かしい単語を聞いたと思った。ブリタニアに来てからはバレンタインともホワイトデーとも無縁だったから、今年はいろんな行事を経験している感覚だ。
「ブリタニアにはホワイトデーはないんですよね?」
「そうね。でも、せっかくお返しができる機会なんですもの、あれこれ理由をつけてルルーシュにはお茶会に参加してもらうわ」
「きっとお喜びになると思いますよ。僕も殿下にお返ししないといけないな」
バレンタインのときにルルーシュからチョコレートをもらった。聞けば毎年世話になっている人に贈り物をしているようで、彼の騎士になったばかりのスザクもそのご相伴にあずかったのだ。だから、ブリタニアにホワイトデーの習慣はないと知りつつ、何かお返しをしたいと思っていた。
「スザクは何を贈るの?」
「何にしようかまだ迷っていて。ルルーシュ殿下とナナリー殿下は花はお好きでしょうか?」
「花は嫌いではないと思いますが……、もしかしてナナリーにもお返しするつもり?」
「ええ、ナナリー殿下からもお菓子をいただきましたので」
「そう……」
ユーフェミアが顎に手を当ててなぜか難しい顔をする。おかしなことを言っただろうかと首を傾げた。しばらく考え込んでいた彼女は、何かを思い付いたのか顔を上げてスザクの腕をがしりと掴んだ。
「スザク、私に提案があります」
「提案?」
「お返しをするのはルルーシュだけにしてください」
「え、でも、」
「もともとブリタニアにお返しという習慣はないのです。何も渡さなかったとしてもナナリーは怒りませんし、私から事情を説明しておきます。だからスザクはルルーシュだけにお返しをしてください。わかりましたね?」
「イ、イエス、ユアハイネス」
力強く念押しされ、わけがわからないままそれでもスザクはイエスと答えた。きっと何か事情があるのだろう。そして、その事情はおそらくルルーシュに関係している。
「せっかく私が日本のバレンタインについて教えてあげたのに、揃いも揃って鈍いから……」
「なんのことですか?」
「いいえ、なんでもありません。とにかく贈り物をするのはルルーシュだけにしてくださいね。そうそう、ルルーシュはどんな花でも喜ぶと思いますよ。スザクが綺麗だと思ったものを選べばいいんです」
「わかりました」
ユーフェミアのアドバイスに頷けば、傍に控えていた彼女の侍女が声をかけた。
「ごめんなさい、そろそろ行かないと」
「いえ、こちらこそお引き留めしてしまって申し訳ありません」
じゃあまたお茶会で、と笑顔のままユーフェミアが去って行く。それを見送り、スザクも自分の仕事のために再び廊下を歩き出した
選ぶのならルルーシュに似合う花がいい。この季節に咲く花をあとで調べておこう。そんなことを考えながらの足取りはとても軽かった。
しかし、ルルーシュの様子がおかしい原因はその後もわからないまま、スザクは出立の日を迎えたのだった。
「このたびはお招きいただき、」
「いやぁ、枢木卿、ペンドラゴンからはるばるお越しいただきありがとうございました。さあ、どうぞどうぞ、中に入ってゆっくりされてください」
挨拶を途中で遮った別荘の主人は、スザクの背中をぐいぐいと押して中に進んだ。あまり人の話を聞かないタイプなのだろうかと眉をひそめつつ、一応「お邪魔します」と告げた。今日は元ラウンズとして招待されているけれど、今の自分はあくまでルルーシュの騎士である。相手がどんな人間であろうと粗相をするわけにはいかない。
「長旅でお疲れでしょう」
「いえ、ペンドラゴンからは二時間程度でしたからそれほどは」
「この辺りはブリタニア貴族の保養地なんです。空気もいいし静かだし、のんびりするにはもってこいの場所です。ああ、荷物は使用人に運ばせますからそのままで。お部屋を案内する前にお茶を一服いかがですか?」
「いただきます」
荷物と言っても長期滞在するわけではないので小さな鞄ひとつだ。招待相手からもルルーシュからも一週間ほどゆっくりしたらどうかと提案されたが、とんでもないと断わった。たった一日ルルーシュの傍を離れるだけでも気が気でないのだ。一週間も不在にするなんて到底頷けないことである。
男の案内で別荘の奥へと進み、大きな扉の前にたどり着く。その向こうには客をもてなすためのテーブルがあり、ソファの横にはひとりの女性が立っていた。
「私の娘です。実は枢木卿のファンでして、お会いできるのをとても楽しみにしていたのです」
娘を紹介され、挨拶を交わす。その後は勧められたお茶と菓子に口を付け、男の話に相槌を打った。助けてもらった礼をしたいという名目で招待されたはずだが、肝心な内容には触れられないまま時間だけが過ぎる。
その間、彼の娘の視線をずっと感じていたけれどあえて気付かないふりをした。ラウンズとして過ごしていたのは約一年半。長くはないが短くもない経験の中で、何度か遭遇したことのある視線だ。
(なるほど、そういうことか)
ただ礼がしたいだけなら向こうから出向いてくればいいのだ。それを招待という名目でわざわざ呼び出すなんて、一体自分はどれだけ偉いつもりか。しかも――。
「ところで、卿は現在おひとりでしたよね?」
ようやく切り出された内容に笑いそうになるのをこらえる。どうせ話をするなら長々と世間話などせず、単刀直入に言えばいいのだ。そのほうが余程好印象だ。
「ええ、そうですね」
「お相手はいらっしゃるのですか?」
「自分はルルーシュ殿下の騎士です。そういった相手は考えられません」
「しかし騎士が結婚してはいけない決まりはないでしょう?実を言うと、娘はあなたを慕っておりまして。ラウンズの頃はお忙しいようでしたのでなかなか声をかけられませんでしたが、シュナイゼル殿下を通じてようやくここにお呼びすることができました」
暗にルルーシュの騎士は暇だろうと言われているようで、スザクは膝の上に乗せた両手をきつく握り締めた。
「陛下には数多くの皇子と皇女がいらっしゃいます。そのうちのひとりに付いてもさしたる出世は望めません。しかし、私はシュナイゼル殿下と繋がりがあり、陛下と直接お話しができる立場でもある。私の娘との婚姻はプラスにこそなれ、決してマイナスにはなりません」
「つまり、ルルーシュ殿下の騎士を辞めろと?」
「もちろん卿にもお立場があるでしょうから今すぐにとは言いません。ですが、シュナイゼル殿下のお力添えがあればいかなることも可能かと」
悪い話ではないでしょう、と男が声を潜める。スザクが断わるとは微塵も思っていない様子だ。
(こういう話は何度かあったけど、ここまで腹が立つのは初めてだな)
やれやれと溜め息をつきそうになるのをかろうじて飲み込んだ。
シュナイゼルは有力貴族と言っていたが、皇帝や宰相の威を借りて自分を大きく見せているに過ぎない。そもそも、遠回しにルルーシュを馬鹿にしている貴族が、他国からやって来た元ラウンズを高く評価するものだろうか。大方、娘の我儘を叶えてやりたいと思っただけで、枢木スザク自体には興味など持っていないに違いない。金と名誉をちらつかせれば簡単に落ちると思われているのがいい証拠だ。
「どうやらいくつか勘違いなさっているようですので訂正させてください」
スザクはひたりと男を見据えた。
「まずひとつ目に、自分がルルーシュ殿下の騎士になったのは殿下のご希望と自分の希望が叶ったからではありますが、その裏には皇帝陛下のご意向があったからです」
「ご意向?」
「これは殿下が御存じないことですが、殿下をお守りするためならばいかなる手段を使ってもいいというのが陛下のご命令であり、自分の一存では殿下の騎士を辞することはできません。もちろん、シュナイゼル殿下が口添えをされたところで同じこと」
「まさか陛下がそのようなことをおっしゃるわけが」
「嘘だと思われるのなら陛下にお聞きすればいい。直接お話しができる立場なのでしょう?」
先ほどの自慢話を持ち出せば男が言葉に詰まった。なんだ嘘かと心の中で吐き捨てる。
「そしてもうひとつ。自分は自分の意志でルルーシュ殿下の騎士になったのです。陛下のご命令があろうとなかろうと、命に代えても殿下をお守りするのが自分の役目。結婚など有り得ませんし、今後も考えておりません」
「ですが、私は枢木卿のことを……」
ようやく声を出した娘に顔を向ける。決して器量は悪くないが、比較対象となった相手が悪い。ルルーシュという人を知った者にとってはどんな絶世の美女もただの人である。
「残念ですが、自分には心に決めた人がいるのです。あなたの気持ちに応えることはできません」
「そんな……」
悲痛な様子の娘に、男がテーブルを強く叩いた。先ほどまでの余裕綽々とした雰囲気は消えていた。
「黙って聞いていればぬけぬけと……。いいのか、私に無礼を働けばルルーシュ殿下にも累が及ぶぞ」
「あなたのほうこそよろしいのですか?申し上げたとおり、自分が殿下のお傍にいるのは陛下のご命令でもあるのです。ルルーシュ殿下を侮辱することは陛下を侮辱するも同然。それでも自分に抗議すると言うのなら、どうぞいくらでも」
返事のない男に薄っすらと笑い、スザクは立ち上がった。あれだけ皇帝や宰相との繋がりをちらつかせていたのに、皇帝陛下直々の命令を持ち出せばあっという間に大人しくなった。やはりたいした男ではなかったようだ。
これから戻れば夜にはペンドラゴンに着ける。丸一日不在という事態は回避できそうだ。
「では、自分はこれで失礼いたします。お茶とお菓子をありがとうございました」
二人を残して部屋を出る。念のため追っ手に警戒したが、別荘の中はしんとしていてその心配はないようだ。
(こんなことならロイドさんに頼んでランスロットを借りてくれば良かった)
列車で移動するよりランスロットで移動したほうが余程早いが、主の許可なく勝手にナイトメアを動かすわけにはいかない。移動時間すら惜しいと思いながら、預けていた荷物を受け取ったスザクは足早にペンドラゴンを目指した。
「もうお戻りになられたのですか?」
アリエスに到着して最初に会ったのは咲世子だった。一応、三日は滞在する予定だったから、あまりにも早い戻りに驚いている様子だ。
「先方の話が済んだので切り上げてきました。今日一日、特に問題はありませんでしたか?」
「それが実は……」
咲世子が言葉を濁す。自分が不在の間にルルーシュに何かあったのかとスザクの中で一気に緊張が高まった。
「スザク様には話すなと言われているのですが、見ればきっとすぐにわかってしまいますから」
「見ればわかる?まさかお怪我を?」
「はい。と言っても……、あっ、スザク様!」
彼女の声を無視して駆ける。目指すのはルルーシュの部屋だ。廊下の途中で何人もの使用人とすれ違ったけれど、ひとりひとりに挨拶を返す余裕はなかった。
ようやく部屋の前にたどり着くと扉を開けた。騎士という立場から特別に中に入る特権を持っているが、普段はきちんと許可を取っている。ノックすら忘れたのはそれだけ焦っていた証拠だ。
「ルルーシュ殿下!」
「スザク?」
突然の侵入者にルルーシュは目を丸めていた。
「お前、もう戻って来たのか?」
立ってこちらを向いて話しているということは、少なくとも重傷は負っていないようだ。ではどこを、と頭のてっぺんから足の先まで主の姿を確かめたスザクは、書類を持つ左手に包帯が巻かれているのに気付いた。
「それはどうなさったのですか?」
スザクの視線を追って自分の手元を見たルルーシュは、ハッとして手を後ろに隠した。が、時すでに遅し。
つかつかと歩み寄り、そっと手を持ち上げる。ただでさえ白い肌に白い包帯が痛々しい。
「どうされたのですか?」
もう一度同じことを訊けば居心地が悪そうに視線を背けられた。
「転んだ」
「転んでこんな包帯を?」
「単なる擦り傷なのにジェレミアが大袈裟すぎるのだ。別にたいした怪我じゃない」
「そもそもどうして転ばれたのですか?」
畳み掛けるように質問する。じっと答えを待っていると、はあ、と溜め息をつかれた。
「お前が戻ってくるまでに全部片付けておくつもりだったのに」
「何をです?」
「……お前を別荘に招待した貴族、そいつが私の暗殺計画を立てていたのだ」
「暗殺計画?」
予想外の内容に目を瞠る。男とは直接会ったけれどそんな素振りはなかった。まさか自分を招待したのは、娘の結婚話だけでなくルルーシュの警護を手薄にさせる目的があったのか。
「言っておくが、お前を騙したわけじゃないからな。ただ、シュナイゼル兄上がいきなりあんな話を持ってきておかしいと思ったのだ。お前に会いたいと言ってきた貴族はもともと私とは折が合わない男で、そんなやつがわざわざお前を招待するからには何か裏があるのだろうと予想した。だから咲世子に偵察させていたら不穏な動きがあったんだ。で、案の定、お前が出立した途端に行動に移してきた」
その言葉に唇を噛む。
ルルーシュの周りには敵が多い。母親が庶民出身というだけならそれほど反発もなかったのかもしれないが、マリアンヌ皇妃は皇帝に寵愛されており、息子であるルルーシュは次兄の右腕として皇宮内でも頭角を現している。それがほかの皇族や貴族には面白くないらしく、彼を暗殺しようとする動きは以前からたびたびあった。
だからこそ、スザクが騎士となったのだ。最初のきっかけこそ皇帝から息子への褒美という形であったが、正式に話を受けた際、何があってもルルーシュを守るよう厳命された。貴族の男に話して聞かせたとおり、スザクと皇帝の間だけで交わされた約束をルルーシュは知らない。知る必要はないだろう。
もともと、皇帝はルルーシュに騎士を持たせたがっていた。しかし当人にその気はなく、どうしたものかと思案しているところに「ナイトオブセブンがほしい」との希望を伝えられた。ルルーシュ自身は戯れだったようだが皇帝にとっては渡りに船で、ラウンズから皇子の騎士という異例の人事はあっという間にまとまったわけである。
元とは言え、スザクはナイトオブラウンズだった人間だ。ラウンズを敵に回す馬鹿はいない。特にナイトオブセブンのこれまでの働きは内外に広まっていて、実際、スザクがルルーシュの騎士になってから不穏な動きはぴたりと止んだ。少なくとも、枢木スザクが騎士である事実は周囲への抑制力となっているのだ。
それを知りながら、いくらシュナイゼル直々の頼みとは言えルルーシュを残してペンドラゴンを離れたことが今さらながらに悔やまれる。あの男は自分の娘と元ナイトオブセブンを結婚させたかったようだが、もしかしたら滞在中にルルーシュを暗殺し、騎士として戻る場所を失くしておこうという魂胆もあったのかもしれない。
のんきにお茶を飲んでいる間にルルーシュが殺されていたら。その可能性を思ってぞっとした。周りには咲世子やジェレミアといった優秀な人物がいると知っているけれど、ルルーシュが命を狙われる立場にある限り、どこにどんな可能性が転がっているかわからないのだ。
「お前がそんな顔をするな」
ふいに、ルルーシュがスザクの右手に触れた。包帯に巻かれた細い手はやはり痛々しかった。顔を上げれば、彼は少し苦笑いをしていた。
「申し訳ありません」
「お前のせいじゃないだろう」
「ですがお怪我を」
「これは私自身の失態だ」
「そういえば、殿下のお傍には咲世子さんやジェレミア殿がいらしたんですよね?それなのになぜ怪我をされたのですか?」
二人のことは信頼しているし能力の高さも認めている。ルルーシュが怪我をするような事態を招くとは考えにくい。
すると、ルルーシュの顔が今度はばつが悪そうなものに変わった。
「……私が囮になったのだ」
「囮?」
「私ひとりで歩いていたら向こうも襲いやすくなるから、そこをすかさず捕まえれば現行犯逮捕という何よりの証拠になる。把握していた人数から考えても一網打尽できると、」
「だから殿下が囮に?」
「あ…、安全面には充分配慮した!」
「でも怪我をされたではないですか」
「こ、これは、咲世子が庇ってくれたときに段差に躓いて転んだだけで、別に敵に襲われたとかそういうことではなく、」
「殿下」
にこりと笑う。いつも冷静沈着で、誰を相手にしても決して怯まず堂々としている主が、今はまるで悪戯がばれてびくびくする猫みたいだ。
こんな表情を自分だけが見られる。自分だけに見せてくれる。それを嬉しいと思うのは少々歪んだ優越感なのかもしれない。
「お前がいないときに勝手に動いて怒っているのだろう……」
「終わったことですし、殿下がご無事ならばそれでいいです。ただ、もう二度とこんな無茶はやめてください」
「わかった」
「本当に?」
「どうせ嘘をついてもお前にはすぐにばれるからな」
「殿下」
「冗談だ。とにかく、今回の件は片付いた。兄上もあの男を怪しいと睨んでいて、それでわざわざお前を別荘に行かせるなんて回りくどいことをしたらしい。私が気付くかどうか試していたんだな。しかし今回の騒動で実行犯は逮捕、肝心の首謀者も色々とボロを出してくれたから今ごろは捕まっているはずだ。あとの処理はすべて兄上に任せたから詳しくは知らないが」
「帝国宰相を使うなんて殿下ぐらいなものですよ」
「お前を貸し出してやったんだぞ。これくらいは当然だ」
やはり兄上が絡むと面倒だと溜め息をつく姿に小さく笑った。
「それにしても、殿下は最初から今回の件に気付かれていたのですね」
「最初から?」
「シュナイゼル殿下が話を持ってこられたとき、しばらく様子がおかしかったではありませんか。あれは相手の出方を予測しようと熱心に考えていらしたのでしょう?」
どこか上の空で、こちらの話を聞こうとしない雰囲気があった。あのときは原因がわからなかったけれど、きっと初めから兄の意図に気付いていたに違いない。
しかし、ルルーシュはなぜか視線を彷徨わせた。まだ何か隠しているのだろうかと眉を寄せれば、疚しいことはないと否定された。否定するところがまた怪しい。
「まだ何かあるのですか?」
「何もない!ただ……」
「ただ?」
聞き返せば、顔ごと背けられてしまった。黒髪に隠れた耳が赤い。予想していなかった反応に首を傾げているとルルーシュの唇が開いた。
「貴族が自分の別荘にわざわざ招待するということは、そういう話が予見されると思っただけだ」
「そういう話とは?」
「だ、だから、相手を招待して自分の娘を紹介するのが典型的なパターンではないか!」
「あ」
「紹介されたのか……?」
恐る恐るといった様子でルルーシュがこちらを向く。どうしようか一瞬迷い、スザクは仕方なく頷いた。嘘をつくなと言っておきながら自分が嘘をつくのはマナー違反だろう。
「受けたのか……?」
「まさか」
「では、断わったのか?」
「当然です。自分が殿下以外の人の手を取ることは有り得ません」
「本当に?」
先ほどから質問ばかりのルルーシュはどこか幼く見えた。母親に何度も何度も尋ねる子どもみたいな様子に頬を緩める。
「本当です。ずっと殿下のお傍にいると約束しましたよね?自分は殿下だけのものです」
真摯に告げれば、紫の瞳が一瞬泣き出しそうに潤んだ。だけどすぐに嬉しそうな笑みが浮かび、今のは錯覚だったかもしれないと思い直した。
「ところでそれは荷物か?私は大丈夫だからもう部屋に戻っていいぞ」
それ、と言われたものを目で追う。左手が紙袋をひとつ握り締めていた。
「あ……」
「どうした?」
「あの、実は、殿下にお渡ししたいものがありまして」
「私に?」
「はい。先日のバレンタインのときに贈り物をいただきましたからその御礼を……と思ったのですが」
紙袋に入っているのは花束だ。
今日は三月十四日で、ルルーシュにお返しとして花を贈ろうと決めていた。だけど今回の別荘訪問の日取りが重なり、当日に渡すのは諦めたのだ。
それが色々あったおかげで日帰りとなり、ペンドラゴンに到着して真っ先に見つけた花屋に駆け込んだ。大きな店ではなかったけれど、こぢんまりとした優しい雰囲気の店内には色とりどりの花があり、店員に勧められたマーガレットをメインに花束にしてもらった。
喜んでもらえればと大事に持って帰ってきたのだが、袋から取り出した花は不格好に潰れてしまっている。ルルーシュの部屋まで走ったときに振り回したせいかもしれない。無事な花びらもあるけれど、飾るにしては少々みすぼらしい。
「申し訳ありません。こんなに潰れてしまったらお渡しできませんので、もう一度買い直してきます」
「必要ない」
今から車を出してまだ空いている花屋に、と踵を返しかけたスザクはその一言に動きを止めた。
「それがほしい」
「ですが……」
「お前が私のために選んできてくれたのだろう?だからそれがいい」
ルルーシュの両手が差し出された。少しだけ迷ったのちに恭しく花束を渡せば、美しい顔が綻んだ。
以前にも似たようなことがあったと思い出す。記憶を手繰り寄せるまでもない。誕生日プレゼントを渡したときも、彼はこんな風に綺麗に笑って喜んでくれたのだ。
「花はお嫌いかもしれないと心配していたのですが」
「嫌いではない。スザクがくれるものならなんでも嬉しい」
それも彼の誕生日のときに告げられた科白だ。あのときも今も、こんな風に伝えられてたまらない嬉しさを感じた。
「ほかの者にも渡すのだろう?ここはもういいから、」
「いいえ、殿下だけです」
告げた言葉にルルーシュが目を瞠った。
「あの日のお返しとして贈り物をするのは殿下だけです」
何かを声にしようと薄く開いた唇は、しかしすぐに固く閉ざされた。
わずかに目を伏せ、潰さない程度の強さで花束をぎゅっと抱え込む。まるで大事なものを腕の中に閉じ込めるような仕草をしたルルーシュは、それから柔らかく微笑んだ。
とても綺麗な表情で。
「ありがとう、スザク」
「喜んでいただけて嬉しいです。よろしければ飾りましょうか?」
「ああ、頼んだ」
少し不恰好になってしまった花束を受け取る。
ルルーシュの指先が微かに触れた。愛しくて愛しくてたまらないぬくもりに、スザクも心からの笑みを浮かべた。
たとえ想いを伝えることはできなくても、僕はずっとあなただけのものです。
(14.03.14)