シロツメクサ

「トリックオアトリート!」

 開口一番、そんなことを言ってきた異母妹にルルーシュはまばたきをし、微かに眉を寄せた。彼女の隣でナナリーが笑っている。

「……ハロウィンは半年先の話だぞ、ユフィ」
「あら、ルルーシュは知っているのですね。せっかくお菓子をおねだりしようと思ったのに」
「知っているに決まっているだろう」
「じゃあ、今日はハロウィンですって嘘をつけば良かったかしら」
「エイプリルフールなら半月前に終わった」
「エイプリルフールも知っているの?ルルーシュは物知りだからつまらないわ」
「それくらい常識だろう」
「私はこの間、お友達に教えてもらったばかりよ」

 エイプリルフールもハロウィンも特別珍しいものではない。それをついこの間まで知らなかったとは、さすがはお姫様である。
 ルルーシュは学校に通わず、勉強は家庭教師をつけて見てもらった。もっとも、教師を必要としたのは中学が終わる年頃までで、その後はすべて独学だった。そんな自分でも世間の一般的な行事や風習は知っているのだから、やはりユフィは箱入りのお姫様だ。

「で、時期を逃したエイプリルフールがどうした?」
「もう、ルルーシュったら意地悪なんだから。確かに私はルルーシュに比べたら勉強が苦手だし知識だって足りないわ。でもちゃんと学校に通って勉強しているんですからね」
「それはもちろん知っている。欠席せずに頑張っているのだろう?」

 さりげなく褒めればユフィが頬を緩めた。
 彼女とは腹違いの兄妹だが、ナナリーと同じくらい大事に思っている。学校で何か問題が起こっていないか気に掛けるのは兄として当然のことだ。

「皇族だからって学校に行けないのは嫌ですもの。ね、ナナリー」
「はい」

 その返事に今度はルルーシュが顔を綻ばせた。ユフィとはバレンタインのときにおねだりされてお茶をしたが、こうして三人揃うのは久しぶりである。
 本当なら先月、日本で言うところのホワイトデーの日に会う予定だったのに、馬鹿な貴族による暗殺未遂事件が発生したため延期になってしまった。その仕切り直しということで、今日はルルーシュとナナリー、ユフィの三人でお茶会を開いたのだった。

「学校は楽しいかい?」
「ええ、とっても。お兄様もいらっしゃればいいのに」
「俺はシュナイゼル兄上の手伝いで忙しいから通っている暇はないよ」
「学校に行きたいって言えば少しはお仕事を減らしてもらえるんじゃないですか?」
「まさか。それに必要な勉強はもう終わらせている。今さら学校に行ってもやることがない」
「そんなこと言って、本当はスザクと離れるのが嫌なのでしょう?」
「……なんでそこにスザクの名前が出てくるんだ」

 にこにこと邪気のない笑みを浮かべているユフィを軽くねめつける。しかし彼女が気にした様子はなく、さらに笑みを深めた。

「だって騎士はずっと傍にいるものじゃない?でも学校に行ったらその時間はスザクと離れ離れになってしまうわ」
「それではまるで母親と離れたがらない子どもみたいじゃないか。だいたい、騎士が主の傍にいるのは当たり前だ」
「じゃあどうしてここにはいないの?」
「兄妹のお茶会と言っても、傍から見れば皇族の集まりに違いはない。そんなところにスザクをぽつんと置いたら気が休まらないだろう」
「つまりスザクのためにスザクを外したってことなのね」
「ユフィ」

 わざと声を低めてもやはり彼女はどこ吹く風だった。ナナリーは先ほどからずっと苦笑いのままである。

「だってあまりに鈍いんですもの。見せつけられている私たちとしてはちょっとくらい仕返しをしたっていいでしょう?」
「ユフィ姉様ったら」
「なんの話だ?」

 どうやらユフィとナナリーの間では話が繋がっているようだが、ルルーシュにはさっぱりわからない。そもそも、鈍いとは何が鈍いのだ。政治情勢や国内事情には常にアンテナを張っているし、父や兄の動向も絶えず探っている。これ以上どこに目を向けろと言うのか。

「本当に鈍いんですから。お勉強のほうはルルーシュが得意だけど、恋愛関係については私やナナリーのほうがよっぽど上ね」
「れん、あい……?」

 まったく予想していなかった単語にぽかんとする。自分より年下の妹の口から出てきたなんてすぐには信じられない。

「ほらナナリー、私の言ったとおりでしょう?ルルーシュは全然わかってないのよ」
「お兄様はお忙しいですから」
「忙しいを理由にしていたら進展するものも進展しないわ。恋愛にも試験があったらルルーシュは間違いなく落ちこぼれよ」
「だってお兄様は今までずっと勉強かお仕事ばかりでしたもの。仕方ないです」
「だからってさすがに鈍すぎよ」

 二人が何やら話しているけれど、ルルーシュの脳内では上手く処理ができない。試験とか落ちこぼれとか言葉の意味はわかるけれど、どうも自分の知っている意味とは違う気がする。

「ねえ、ルルーシュは知ってますか?スザクって皇宮の女性に意外と人気があるのよ」
「へ?」
「日本人って童顔だから眼中にない人もいますけど、スザクは元ラウンズでしょう?その能力は折り紙付きだし、ラウンズ時代の活躍は広く知られているし、ラウンズを辞めてルルーシュの騎士になったのも忠誠心と一途さの表れって好意的に評価されているし、何より、ラウンズよりも皇族の騎士のほうがまだ近付きやすいから若干ハードルが下がったって、これをチャンスに狙っている女性も多いのよ」
「なんの話をしているんだ……」

 ユフィの言うことがまるで異国の言葉のようだ。すると「やっぱり鈍いんだから」と何度になるかわからない科白をもらった。

「だから、スザクとお付き合いしたいと思う女性が多いってことよ」
「え……」
「地位もあるし、あわよくば結婚と思っている人もいるんじゃない?」
「結婚……」
「ぼやぼやしていたら盗られてしまうかもしれませんよ」

 なぜ突然スザクの話題になったのかは知らないが、盗られるの意味ぐらいは理解した。それはつまり、スザクがほかの女性のものになるということだ。
 途端に胸が冷えて、心臓をぎゅっと握られたような息苦しさを感じた。

「いや待て、盗られるって、スザクはもともと誰のものでもないのだから盗られるという表現はおかしいだろう」
「気にするのはそこですか?」
「それに、皇族の騎士だからと言って恋愛が禁止されているわけではない。もし意中の女性がいていずれ結婚したいと考えているのなら俺は主として祝福を、」
「本当にいいのですか?」

 初めて聞く鋭い声音に、ルルーシュはユフィのほうを見た。そこには真剣な表情と瞳があった。

「ルルーシュは本当にそれでいいのですか?」
「あ……当たり前だ、自分の騎士の幸せを願うのは、」
「ルルーシュの幸せは?」

 その質問に応えようとして、しかし何を言葉にすればいいのかわからず結局口を噤んでしまった。父の前ですら言い淀むことはないのに、二人の妹にじっと見つめられて声が出ない。そんな自分の反応に戸惑った。

「お兄様はもっとご自分のことを考えるべきだと思います」
「ナナリー?」
「私やユフィ姉様のことを大事に想ってくださるのはとても嬉しいです。スザクさんの幸せを考えるのもお兄様らしいと思います。でも、ご自分の幸せだって考えてもいいのですよ」
「ルルーシュはもっと我儘になるべきなんです。もちろん、いつも我儘でいろなんてことは言わないわ。皇族の責務は私だってちゃんと理解していますもの。でも、自分の騎士に対してはもっと我儘になっていいんじゃないかしら」
「我儘と言われても」
「自分の気持ちに素直になりなさいってことです」

 それはできない、と反論しかけた言葉は飲み込んだ。
 スザクに対して密かな恋心を抱いていることは誰にも言えない秘密だ。素直になれと言われても、それを正直に打ち明けるわけにはいかない。
 彼が女性に人気という話の真偽は定かではないが、それだけもてるのなら付き合う相手はよりどりみどりだろう。何も同じ男を選ぶ必要はないのだ。スザクにはスザクの人生と幸せがあるのだから、自分のつまらない想いで引っ掻き回してはいけない。

「ユフィとナナリーには嘘のない気持ちを正直に口にしている。だからその心配は無用だよ」

 微かに笑ったルルーシュは、「お茶のおかわりを淹れよう」と席を立った。
 妹たちの心遣いはありがたくとても嬉しい。でも、世の中には決して口にしてはいけない気持ちもあるのだ。
 やっぱり鈍いんだから、と妹たちがそっと嘆息したことにルルーシュは気付かなかった。

* * *

「時間でしたら気にしなくても大丈夫ですよ。ユーフェミア様の滞在時間はあと一時間ありますから。もし急にお帰りになられるようでしたら外で待機している者がすぐに参ります」
「はあ……」

 気のない相槌を打って、仕方なくスザクは淹れてもらったお茶に口をつけた。
 兄妹だけのお茶会だからお前がついている必要はないと部屋を追い出されたのが三十分前。やることがなくて暇だとアリエスの中を歩いていたら咲世子に捕まったのが二十分前。ちょうど休憩時間なので少し付き合ってくれないかと連れられたのが休憩室で、そこでなぜかお茶とケーキをいただくこととなった。
 しかし、やはりどうにも落ち着かない。咲世子のことが嫌いとか苦手とかそういうことではなく、ルルーシュの傍を離れてのん気にお茶を飲んでいる状況にどうしても気もそぞろになってしまうのだ。

「ルルーシュ様のことが心配ですか?」
「あ……、すみません」
「いいえ、騎士のお勤めを果たすことはとても大事なことですから。でも、今後はこういった機会が増えるかもしれませんね。騎士とは言え、プライベートまで一緒なのは嫌う方もいらっしゃいますし」
「どういう意味ですか?」

 首を傾げれば、咲世子の静かな視線に見つめられた。

「ルルーシュ様にもそろそろお見合いの話があるかもしれない、ということです」
「え……」
「もちろん、すぐにご結婚という話にはならないでしょうけど」
「結婚……」

 その二文字を茫然と呟く。
 考えなかったことではない。ルルーシュが皇族ならばいずれ勧められる話で、それは当然のことだろうと思っていた。
 しかし具体的な話題として出てくるとやはり軽い衝撃を受けた。騎士と主として、ずっと二人で過ごせるものと心のどこかで思い込んでいたのかもしれない。

「ルルーシュ様のことを妬む輩も多いですが、シュナイゼル殿下の右腕として着実に評価を上げていらっしゃる点を無視できないのも事実です。ルルーシュ様とお近付きになれたらシュナイゼル殿下との繋がりもできるし、いずれ皇帝の后という立場も得られるかもしれない。そんな不届きなことを考える人間は一人や二人ではありません」
「それじゃあ殿下はただの道具ではないですか」
「皇宮において結婚とはいつでもただの道具です。仲睦まじい陛下とマリアンヌ様のほうがむしろ珍しいくらいです」

 その指摘にスザクは押し黙った。元ラウンズとして皇宮のことはそれなりに知っているつもりだ。結婚に夢見る子どもでもあるまいし、政略結婚でない例を探すほうが難しいことは理解している。
 だけど、それにルルーシュが巻き込まれるのはどうにも許しがたい。自分は気持ちをひたすら隠しているのに、不純な動機で結婚できる相手が妬ましい。
 (……って今から心配してどうする)
 ルルーシュの結婚が決まったわけでもないのに、将来の相手に嫉妬と憎悪を抱いてしまいそうになる自分が情けなかった。醜い独占欲に心の中で自嘲する。

「ところで、スザク様にそういったお話はないのですか?」
「僕、ですか?」
「元ラウンズという実績があり、今はルルーシュ様の騎士ということで女性から大人気と聞いておりますが」
「大人気だなんてまさか。仮に女性から人気があったとしても、それは僕の肩書きに釣られた人たちばかりでしょう?そんな相手に興味はありません」

 ラウンズのときも今も言い寄ってくる女性はいた。先日のように娘を紹介してくる貴族も少なくない。しかし、所詮はラウンズや皇族の騎士という肩書きがあるからこそ。ただの枢木スザクに興味を持つ人間はひとりもいないだろう。

「では、スザク様のタイプはどういう方ですか?」
「タイプですか?」

 物珍しい質問ではないが、咲世子から訊かれているというのがなんとも不思議な感覚だ。彼女もこういう話題に興味があったのかと新鮮な気分である。

「そうですね、僕のタイプは……」

* * *

「お前が好きなのはどういうタイプなんだ?」

 それは兄妹たちのお茶会が終わり、再び仕事に戻ったルルーシュを手伝っている最中のことだった。

「へ?」

 数時間前にも同じ質問をされたけれど今よりは驚かなかった。ぽかんとルルーシュを見ていたら、視線に気付いた彼が慌てたように「あ、いや、違う、そうじゃなくて」としどろもどろに否定した。何がどう違うのかわからない。

「ユ、ユフィとナナリーがそういうことに興味を持っていて、俺も聞かれたんだが、お前はどういうタイプが好きなのかと思って……」
「ああ、なるほど」

 ルルーシュはとても優秀なのに恋愛関係となると小学生みたいな反応をする。世界で一番大事な女性は妹のナナリーで、好きなタイプはと聞かれたら真っ先にナナリーを思い浮かべるようなシスコンぶりだ。そんな彼が妹たちに質問され、慌てふためく様が容易に想像できた。

「好きなタイプがいるのか……?」

 上目遣いに訊かれ、スザクは笑った。

「そうですね。黒髪の綺麗な人は好きです」

 当たり障りのない、しかしスザクにとっては秘密を打ち明けたも同然の答えだ。ブリタニアに黒髪の人は滅多にいない。ルルーシュのような髪の色はむしろ珍しいくらいである。

「黒髪……、まさかスザクのタイプは母上か!?」
「なんでそうなるんですか!」

 が、予想外の勘違いをされ、思わず突っ込んでしまった。

「違うのか?」
「確かにマリアンヌ様はとても美しい方ですが、さすがに皇妃に懸想する騎士はいません」
「そうか」

 あからさまにほっとした様子のルルーシュに苦笑いする。いくら恋愛方面に疎いからと言って、とんだ方向に勘違いされたものだ。

「しかし黒髪の人間はたくさんいるぞ」
「あくまで好みのひとつです。黒髪なら誰でもいいわけではありません」
「そう、か……」

 呟いたルルーシュが目線を落とした。

「殿下?」
「――いや」

 表情が微かに翳ったように見えたのは目の錯覚だったのかもしれない。顔を上げたルルーシュはいつもの笑みを浮かべていた。
 こんなやり取りを以前にもしたような気がする。あれはバレンタインだっただろうか。でも、どうして彼が表情を曇らせるのかその原因が思い当たらない。

「エイプリルフールがずっと続けばいいのにな」
「え?」
「なんでもない」

 くるりと背を向けてルルーシュは執務机に座った。積み上がった書類の一番上を手に取るとそれに目を通し始める。もう話しかけるなと雰囲気が言っていたので、一礼したスザクも自分の仕事に戻った。
 (エイプリルフールか……)
 四月馬鹿と呼ばれる風習は半月前に終わった。ルルーシュが口にするまですっかり忘れていたが、そういえばそんなものもあったと思い出す。
 (嘘でもいいから、好きだと言えたらいいのに)
 でも、嘘をついたあとは虚しくなるだけだろう。嘘は所詮嘘。決して真実にはならないのだから。
 (いつか彼が誰かのものになったときに、祝福できる自分でいたい)
 だから、そのときまではあなたのことを想っていてもいいですか。
 (14.04.20)