願いをひとつ

「もうすぐお前の誕生日だな。何が欲しい?」

 帰り道の途中でルルーシュに聞かれ、僕は「ルルーシュと一緒にいたい」と即答した。

「俺は物じゃないだろう」
「いいじゃん、誕生日なんだから」
「どういう理屈だ。そういうのじゃなくて欲しいものとか、してもらいたいこととかないのか」
「してもらいたいことならあるよ。ルルーシュが作ってくれるご飯とケーキでお祝いしてもらいたい。もちろん二人きりで」
「おばさんだってごちそうとケーキを用意してくれるんじゃないのか」
「母さんのご飯はご飯でちゃんと食べるよ。でも、誕生日当日はルルーシュと過ごしたいんだ。駄目?」

 顔を覗き込むようにして尋ねればルルーシュが眉を寄せた。またそういう訳のわからない我儘を、と言いたげな表情だ。でも、ルルーシュは僕に甘いからきっと許してくれるだろう。

「仕方ないな、誕生日だから特別だぞ」

 予想通りの回答に満足した僕は、満面の笑みで大きく頷いた。

「ちなみに、当日のお前の家族のスケジュールは?」
「あ……、父さんも母さんも普通に家にいるかな」

 せっかく二人きりの約束を取り付けたのに、これでは望みが叶わない。両親をどこかに追いやろうかと不穏なことを考えていたら、うちに来るか? とルルーシュが提案してくれた。

「幸い、うちはどちらも海外出張中でまだしばらく帰ってこない」
「出張長いよね。もう一ヶ月経つんじゃない? ルルーシュこそうちに来ればいいのに」
「おばさん達にあまり甘えられないだろう。それに家事はまったく苦ではないし、ひとりのほうがかえって気楽だ。で、当日はうちでいいか?」
「うん!」
「だったら、その日は一旦帰宅して準備をするから夜の七時に来てくれ」
「僕も手伝うよ」
「お前の誕生日だぞ。主役に手伝わせてどうする」

 ルルーシュが肩を揺らし、楽しみに待っていろ、と笑いながら告げる。僕は頬を緩めてもう一度頷いた。
 僕の誕生日をルルーシュは毎年祝ってくれる。
 今までは僕の家に来て、僕の家族と一緒に誕生日会をやってくれたけれど、今年は二人きりだと思えば心が浮き立つ。
 (付き合ってから初めての誕生日だし)
 色々と制限の付いた恋人ではあるが、恋人は恋人だ。誕生日自体はさほどテンションの上がるものではなく、ただ年を重ねるだけという認識しかないのに、ルルーシュと二人きりで過ごせるというだけで特別な日に思えた。このタイミングで誕生日が来ることを両親に感謝したいくらいだ。
 とにかく僕は浮かれていた。ルルーシュと一緒にいられることを喜び、子供みたいにはしゃいでいた。
 それは不安の裏返しだった。
 足元からひたひたと忍び寄ってくる焦燥を振り払いたかったのかもしれない。
 ルルーシュが眠っている僕に謝るのを聞いて以来、彼がどこかへ行ってしまいそうな不安を抱えていた。僕が追いかけられないほど遠いところに一人で行こうとするルルーシュのイメージが消えてくれない。
 (たとえば家族が海外に転勤するからそれについて行くとか、海外の大学に進学するとか、将来は海外に移住するとか……って全部海外だな)
 海外の根拠はない。遠い場所と言えば海外しか思い付かなかった。生まれ故郷のブリタニアか、あるいはまったく違う国か。
 いずれにしろ、ルルーシュが僕のもとからいなくなってしまうのではないかという不安がなぜか付き纏って離れない。だからこそ、誕生日にかこつけてルルーシュを繋ぎ止めておきたかった。
 (僕の誕生日にそこまでの効果があるとは思ってないけど)
 ルルーシュの好きな人ならばルルーシュを止められるのだろうか。ふと考えて、自分の考えに嫌気が差した。
 見知らぬ誰かに頼ることは自ら負けを認めるようなものだ。どこの誰だかわからない、顔も名前も知らない相手に頼るなんて情けない。
 あるいは、その人とどこかへ行くつもりなのでは。
 唐突に気が付き、僕は歩みを止めた。
 ルルーシュは自分の恋が叶わないと言っていた。だから僕はほっとしたのだ。たとえルルーシュの心が別の誰かにあるとしても、ルルーシュがその人と付き合うことにはならないと安心していた。
 だけど、もし状況が変わっていたら。なんらかの理由で障害がなくなり、その人と付き合えるようになったとしたら。相手のほうからルルーシュに告白していたとしたら。
 そしたらルルーシュは僕ではなくその人の手を取るだろう。僕と別れ、その人と幸せになりたいと思うだろう。二人で僕の知らない場所へ行き、二人だけで幸せになろうとするだろう。
 僕のことを置き去りにして。

「スザク?」

 僕が立ち止まっていることを怪訝に思ったのか、先を歩いていたルルーシュが戻ってきた。

「顔色が悪いぞ。具合でも悪いのか」
「……どこに行くつもりなの」
「なんのことだ」
「契約したじゃないか。身代わりでいいって僕は言ったし、君の気持ちが僕にないことは知ってるよ、でも、だからって一方的に切り捨てるのは卑怯だ」
「いきなり何を」
「今のルルーシュは僕のだろう? 勝手にどこかへ行くなんて許さない」
「お前はなんの話をしている。とにかく落ち着け」
「だって、君には好きな人がいるくせに……!」

 支離滅裂だ。自分でもわかっている。ルルーシュも呆れている。いきなり意味のわからないことを喚き出して頭がおかしいと思われたかもしれない。
 でも、一度浮かんだ不安はどんどん大きくなり、拭い切れなくなってしまった。膨張する不安に押し潰されそうだ。

「あ……、ご、ごめん、何言ってるかわからないよね。本当にごめん」

 ルルーシュは心配そうな表情を浮かべていた。
 誕生日の予定を楽しく話していたのに、いきなり喚かれたら誰だって戸惑う。いくらルルーシュが僕に甘くても興醒めしたかもしれない。これではルルーシュを引き止めるどころか、愛想を尽かされてしまうだろう。
 あまりの不甲斐なさに自分で自分を殴り付けたい気分だ。

「ごめん、ルルーシュ。先に帰ってくれないかな」

 情けなくて顔を俯かせる。今日はひとりで帰ろう。これ以上、ルルーシュを巻き込みたくない。
 そう思っていたら、視界に黒い靴が入り込んできた。ぴかぴかに磨き上げられた革靴はルルーシュのものだ。
 次の瞬間、手首を握られた。ぐいっと引っ張られて僕は慌てて足を動かした。

「えっ……」
「帰るぞ」
「でも僕は」
「お前が何を言いたいのかちっともわからないが、道のど真ん中に突っ立っていたら邪魔だ」
「だから僕ひとりで帰るから、君は先に」
「うるさい。お前と一緒に帰る」
「でも」

 歩きながらルルーシュがくるりと振り返った。

「俺が決めたんだから文句を言うな。以上だ」

 それだけを告げるとまた前を向いた。ずんずんと進んでいく背中を追いかけながら、こんなときでも僕を見捨てないルルーシュに泣き出したい気持ちになる。
 通い慣れた道を行き、僕達の町までたどり着いた頃、ようやくルルーシュの歩みが緩んだ。
 夕暮れを背に二人の影が長く伸びていた。今年の梅雨は早く終わり、いつの間にか季節はもう夏だった。
 夏になると、ルルーシュと一緒に遊んだ向日葵畑を思い出す。
 抜けるような青空に、遠くに浮かぶ入道雲。そして、一面の黄色い花。
 僕達の背丈よりも大きな位置に咲いている向日葵を初めて見たとき、ルルーシュはとても感動していた。綺麗だなと嬉しそうに呟く横顔に、連れてきて良かったと僕も嬉しくなった。
 迷路のような向日葵畑を駆け回るのはとても楽しくて、時間を忘れて遊んだ。帰るときには向日葵の花を一輪だけ拝借し、お土産にするのだとルルーシュは言っていた。
 懐かしくて温かい、遠い日の記憶。
 また行きたいなと思った僕は、ふと違和感を覚えた。何かがおかしい。
 (この近くに向日葵畑なんかあったっけ……?)
 そもそも、ルルーシュに妹はいない。僕にも兄弟はいない。
 では、ルルーシュは誰のために向日葵の花を持って帰ったのだろう。
 僕の記憶なのに、僕ではない誰かの記憶を覗き見ているような違和感。感情がざわついて思わずルルーシュの手を強く握れば、綺麗な顔が不思議そうに僕を見た。

「あのさ」
「どうした?」
「あのね、変なこと聞くけど、僕達、子供の頃に向日葵畑で遊んだことあるかな……?」

 今度はルルーシュの足がぴたりと止まった。目を見開き、恐ろしいものでも見るように僕を凝視している。
 僕は慌てて「やっぱり今の質問なし」と取り消した。

「こんなこと聞くの変だよね、ごめん、気にしないで」
「なぜ、向日葵なんだ」
「えっと、なんでかな、急に思い出して。けど、よく考えたら向日葵畑って一度も行ったことないし、昔テレビで観たのを自分の経験だと勘違いしたのかも」

 あははと笑って誤魔化してもルルーシュの表情は強張ったままだった。やはりおかしなことを聞いたのだと思い、さっきから僕は何をしているのだと後悔する。
 今日の僕はおかしい。ルルーシュと好きな人が上手くいっているのかもしれないと考えて不安になるのは仕方ないけれど、情緒不安定すぎてどうかしている。

「――そうか」

 短く言うとルルーシュは背を向けた。何を考えているのか、怒っているのか呆れているのか、華奢な後ろ姿からは何も窺えない。
 二人とも無言のまま歩き続け、ようやくルルーシュの家の前に到着するとその手が離れた。

「今度の金曜日はさっき話したとおりに準備しておく。時間になったら来るんだぞ」
「うん」
「じゃあな」

 門扉を開けたところでルルーシュが立ち止まった。

「スザク」
「何?」
「お前は間違っていない。向日葵畑には確かに行ったことがあるんだ」
「え……?」
「でも、お前は覚えていなくていいことだ」

 一度も振り向くことなくルルーシュは行ってしまった。音を立てて玄関のドアが閉まるのを呆然と眺める。
 向日葵畑には行った。でも覚えていなくていい。それはどういう意味なのだろう。ルルーシュは何を伝えたかったのだろう。
 目を閉じると黄色い向日葵の残像が浮かびそうで、切なさを孕んだ懐かしさが過ぎり、そしてすぐに消えた。
 約束の日は朝から不安が纏わり付いていた。
 誕生日なのに、せっかくルルーシュがお祝いしてくれるのに、なぜだか気持ちがちっとも晴れない。
 久しぶりにあの夢を見たせいもあるのだろう。
 夢の中の『僕』は何かを呟いていた。いつも名前を呼んでいる誰かに何かを伝えたかったのだろう。
 後悔と、深い悲しみと、溢れそうな愛しさを、『僕』はその誰かに対して抱いている。どれほどの月日が流れても、彼は誰かを想い続けているに違いない。
 それは今の僕そのもので、言い知れぬ不安を抱えながら制服に着替えた。
 家を出るとルルーシュが待っていた。

「誕生日おめでとう」

 僕を見つけて頬を緩めてくれたルルーシュに、僕も笑顔で「ありがとう」と返した。

「ルルーシュの誕生日のときは僕が盛大にお祝いするから楽しみにしてて」
「もう俺の誕生日の話か」
「そうだよ。今から欲しいもの決めておいてね」
「欲しいものは特にないな」
「駄目だって。五ヶ月の間にちゃんと決めて」
「そう言われても、俺にはお前がいれば充分だからな」

 思いがけないセリフに目をぱちくりさせれば、ルルーシュがにやりと笑った。

「誕生日特典だ」
「もう、そういうのずるいよ」

 ルルーシュが声を立てて笑う。その顔を見ていると、目覚めたときから付き纏っていた不安が和らいだ。
 今日は僕の誕生日。ルルーシュと二人きりで過ごすのだ。余計なことを考えている時間がもったいないと切り替えて歩き出す。
 学校に着くと、誕生日を知っているクラスメートからお祝いの言葉をもらった。見知らぬ女子からもプレゼントを渡され、目撃していた友人達にからかわれた。モテ期到来だなとか、付き合っちゃえばとか、適当な野次が飛んできたので「付き合わないよ」と苦笑いで返す。
 そんな一連のやり取りをルルーシュが見ていたことに気付き、「本当に付き合わないからね」と冗談抜きで弁明した。きょとんとしたルルーシュは、必死になって言わなくても、と可笑しそうに肩を揺らした。

「だって勘違いされたらやだから」
「わかってるって。でも、お前は自分がもてることをもう少し自覚したほうがいいな」
「それを言うならルルーシュだろう。僕はちっとももてないよ」
「人には色々言ってくれるくせに、自分のことは無頓着だな。とにかく、その気があればお前は誰とでも付き合えるんだ」

 だから俺ではなくほかの奴と付き合え。
 そう言われているようで、僕はルルーシュの肩を掴むと後ろに強く引いた。

「僕が好きなのはルルーシュだって言ったよね」

 バランスを崩した身体を支え、耳元で囁く。目を瞠って僕を見たルルーシュは、なんとも表現しがたい複雑そうな顔をしていた。あえて言うならば、嬉しさと落胆をごちゃ混ぜにしたような表情だろうか。
 思い切り抱き締めて腕の中に閉じ込めたいけれど、ここは学校である。ぐっと我慢して手を離した僕は、代わりにルルーシュの目を真っ直ぐに見た。

「お願いだから、それだけは忘れないで」

 懇願を込めて告げる。瞳を揺らしたルルーシュは何かを言いたそうにしていたけれど、わかった、と頷いてくれた。
 タイミング良くチャイムが鳴り、二人で教室に戻る。午後の授業を受けながら、ルルーシュは何を伝えるつもりだったのだろうと考えた。
 やはり好きな人と上手くいっているのか。単に僕と付き合うのが嫌になっただけか。忘れかけていた不安が頭をもたげそうで、僕は無理やり思考を切り替えた。今日はルルーシュと二人きりで過ごすんだから余計なことは考えるな、と自分に言い聞かせる。
 それから、斜め前の席に座るルルーシュを盗み見た。整っている横顔は真剣に先生の話を聞いていた。
 (やっぱり好きだな)
 授業の最中に何を考えているのだと苦笑いするけれど、好きなものを好きだと思って何が悪いと開き直った。
 昔から抱え続けてきた感情なので、ルルーシュのどこを好きになったのか今となっては上手く説明できない。確かに容姿は抜群である。でも、小さい頃から見慣れている顔なので惹かれた要因としては弱い。
 本人に直接言ったら怒られるけれど、性格は多少難ありだ。ルルーシュを王子様扱いしている女子達と違い、僕は彼の面倒くさいところもすべて知っている。それでも好きな気持ちは変わらないのだから、もはや執着の一種なのかもしれない。
 ルルーシュは僕のそういう感情を見抜いたのだろうか。一回付き合っておけば僕が満足すると踏んだ上で、契約なんて言い出した可能性はある。だから、僕がほかの人と付き合うことを望んでいるのだろう。
 でも、諦められない。だって好きなのだ。どうすればこの感情を捨てられるのか、僕にはもうわからなかった。
 もし僕の前からルルーシュがいなくなってしまったら、僕はきっと生きていけないだろう。そこまでの感情を誰かに抱いていることが不思議で、だけど相手がルルーシュだから仕方ないと納得する気持ちもあった。
 (どうしてこんなに好きになったのか、説明できたら楽だったのかな)
 ルルーシュがまばたきをする。僕はその一瞬を目に焼き付けた。
 このまま時間が止まってしまえばいいのに。永遠に時間が進まなければルルーシュとずっと一緒にいられるのに。
 そんな馬鹿なことを誕生日の日に思った。
 誕生日に相応しい服はどれなのか。鏡の前で小一時間ほど真剣に悩んだ。
 今までは特に気にしたこともなかったけれど、恋人と一緒に過ごすようになって、初めて迎える自分の誕生日である。少しくらいは特別な感じを出したいと思うのは当然だろう。だけど、変に格好を付けたところで笑われそうだ。
 迷った末に、僕は普段の制服姿でルルーシュの家を訪ねた。呼び鈴を鳴らせば五秒もしないうちに内側からドアが開く。
 僕の顔を見たルルーシュは嬉しそうに笑ってくれた。

「時間ぴったりだな。上がってくれ」
「お邪魔します」

 玄関先にはすでに良い匂いが漂っていた。靴を脱いで廊下を進み、ダイニングへと向かう。
 テーブルの上には豪勢な食事が並んでいて、僕は子供みたいに歓声を上げた。
 綺麗に盛り付けられた料理は高級レストランのディナーと遜色がない。僕のためにこれだけのものを用意してくれたのかと思えば、嬉しさで胸がいっぱいだった。

「すごい、これ全部ルルーシュが?」
「大したものはないぞ」
「大したものばかりだって。お肉もたくさんあるし」
「お前が食べるだろうと思ったんだが、量が多かったな。ケーキもあるから食べ過ぎるなよ」
「平気だよ。ルルーシュが作ってくれたんだから全部食べちゃう」

 満面の笑みを向けると、ルルーシュも頬を緩めた。

「誕生日おめでとう、スザク」
「ありがとう、ルルーシュ」
「食事の前にこれを渡しておこう」

 紙袋をひとつ渡される。開けていい? と聞けばルルーシュが頷いた。

「勉強しっかり頑張れよ、という俺からの願いを込めておいた」

 片手で持てるサイズの箱には一本のペンが入っていた。ペンと言っても、高校生が持つには高級すぎるペンだった。しっかりとした重量があり、磨き上げられた軸の表面はとても綺麗で、文房具が好きなタイプではないのにいつまでも眺めていたいと思える作りである。

「悪いよ、こんな高そうなもの」
「だったら、見返りはそれに見合う成績だな」
「えー」
「文句を言うな」
「それにもったいなくて使えない」
「使ってもらわないと困る。最近は学校でペンを使うことも少なくなってきたが、何か書くときに気軽に使ってくれ」
「わかった。大事にするね」

 受け取ったばかりのペンを丁寧に箱に戻すと、いよいよお待ちかねの夕食だ。
 ルルーシュが手料理を振る舞ってくれたことは何度もあるけれど、誕生日という特別感がスパイスとなって普段以上に美味しく感じる。
 食事をしながらの会話は普段通りでいつもの僕達だ。でも、ふとしたときに僕はルルーシュと付き合っているのだと自覚し、照れくささや喜びが湧き起こった。契約での交際ではなく、ルルーシュは本当に僕のことが好きなのだと錯覚しそうだ。
 メインディッシュを終えると、最後はケーキの登場だった。ろうそくの火を吹き消したのは小学生以来で、先ほどとは違う恥ずかしさがあった。

「今日からまた僕のほうが年上だね」
「五ヶ月だけだろう」
「五ヶ月でも年上は年上なの」
「では聞くが、俺より年上になった枢木スザクさんは何をしたいんですか」
「君を甘やかしたいかな」

 目を丸くしたルルーシュは視線をふいと逸らした。

「何を言うかと思えば」
「だって、僕達が同い年だからルルーシュはちゃんとしようとするだろう? だからもし僕が年上なら、年下の君をいっぱい甘やかしてあげたいんだ」
「お前が年上だったとしても誰が甘えるか」
「甘えていいんだよ。それが年下の特権じゃないか」
「たったの五ヶ月しか変わらないくせに、生意気なことを言うな」

 茶化すように言ってからルルーシュが席を立つ。ナイフや皿を用意する姿をしばらく見守ったあと、僕はケーキに立てたろうそくを一本ずつ抜き取った。
 たかが五ヶ月。されど五ヶ月、たったの五ヶ月だとしても、その五ヶ月の間、僕が年上である事実は変わらない。
 もしも僕が年上だったら、ルルーシュはもっと素直になってくれただろうか。余計な意地を張らず、弱い部分も見せてくれただろうか。
 僕とルルーシュは同い年で、いつでも対等だった。対等であることに不満を抱いたことはないし、むしろ誇りにさえ感じている。その一方で、僕達が対等でなければ結末は変わっていたのではないかと考えてしまうのだ。
 (結末って……?)
 どうしてそんなことを思い浮かべたのか、本当に僕自身が考えたことなのか、不意にわからなくなった。まるで誰かが僕の思考に入り込んできたみたいだ。
 でも、不思議と怖さはない。不快感もない。あるのは、不思議な物悲しさだけだ。

「熱心に見つめなくてもケーキは逃げないぞ」

 笑い声がしてハッと顔を上げた。いつの間にかルルーシュが正面に座っていて、丸いケーキにナイフを入れる。「だって美味しそうなんだもん」と笑いながら返し、丁寧に切り分けるルルーシュの手を眺めた。

「どうぞ」

 ケーキの乗った皿が差し出され、僕は早速頬張った。ふわふわのスポンジと甘すぎないクリームが口の中で溶けてなくなる。

「美味しい」
「それは良かった」
「ケーキ屋さんのより美味しいよ」
「褒めても何も出ないぞ」
「お世辞じゃないって。ルルーシュのご飯を毎日食べられたら幸せだろうな。なんでも作れちゃうしどれも美味しいし、絶対に幸せだよ」
「絶対は大袈裟だな。まあ、栄養バランスの取れた最高に美味しい食事を提供できる自信はあるが」
「そこで自信があるってはっきり言えちゃうところがルルーシュだよね」
「悪いか」
「ううん。自信過剰でプライドが高くて、実は負けず嫌いで意地っ張りで弱いところは人には絶対に見せたくなくて、でもちょっと抜けてるところもあって、そういうルルーシュだから僕は好きになったんだ」

 紅茶のカップを傾けていたルルーシュは、褒められているのか貶されているのかわからないな、とぼやくように言った。

「褒めてるよ」
「顔が笑ってるぞ」
「本当だって。君とどれだけの付き合いになると思ってるの。良いところも悪いところも、カッコイイところもカッコ悪いところも、可愛いところも可愛くないところも、僕は全部知ってる。もしルルーシュ以外の人だったら嫌になってたのかなって思ったこともあるけど、君のことは何があっても嫌いになれなかった。好きだったんだ、本当に、だから……」

 何かがテーブルの上に落ちた。なんだろうとまばたきをすれば、次から次にぽたぽたと落ちて小さな水たまりができる。

「あれ……? 僕、なんで……」

 頬を触れば濡れていた。泣いているのだ、と気が付いたらなぜだか涙が止まらなくなってしまった。

「ごめん、なんか急に……、っ」

 目の前でいきなり泣き出されたらルルーシュも驚くだろう。早く泣きやまなければと思うのに、拭っても拭っても雫は落ちていく。

「本当に泣き虫だな、お前は」

 テーブルを回ったルルーシュが僕の頬に優しく触れる。するとまた涙が溢れた。このままでは本当に水たまりができてしまいそうだ。

「俺のせいだな、すまない」

 なぜ謝るのだろう。勝手に泣いているのは僕なのに。
 君のせいじゃないと首を振れば、ふわりと空気が動いた。ルルーシュに抱き締められていると気付いたのは三秒ほど経ってからで、僕は泣いていることも忘れて大いに動揺した。

「少しだけ、このままでいてくれないか」

 耳元で囁かれた声に動くのをやめ、僕は身体から力を抜いた。ルルーシュの匂いと体温がさらに近くなって瞼を下ろす。
 温かいものに包み込まれる感覚。心地よくて、ずっとこのままでいたいと思った。

「――やっぱり卑怯だよな」

 ぽつりと零れたのは卑下するような声だった。

「このままいなくなってしまうのがいいと勝手に決め付けていたが、お前にはもう嘘をつかないと約束したからな」

 不穏な言葉を聞いた気がして目を開けた。ルルーシュはとても穏やかな顔をしていた。

「俺はイレギュラー、世界のノイズなんだ」
「ノイズ……?」
「この世界の人間ではない。いや、もう人間でもないと言ったほうが正しいのかもしれないな」

 ルルーシュが何を話しているのか少しも理解できない。初めて耳にする外国語みたいだ。

「わかりやすく言うと、俺は幽霊なんだ」
「ゆう、れい……?」

 出てきた単語を復唱してみる。その意味はちっとも頭に入ってこなかった。

「どういう仕組みなのかは俺にもわからない。世界の意志なのか、誰かの気まぐれなのか、とにかくこんな現象は普通に考えて有り得ないことなんだが、元の世界で意識が消えたのと同時にここにいた。死んだはずの人間がこうして存在するんだから幽霊以外の何物でもないだろう?」

 問われるけれど、僕に聞かれても答えられるはずがない。小さい頃からずっと一緒だった幼馴染が幽霊だなんて、どう信じればいいのだ。
 僕を騙すつもりで幽霊話なんて思い付いたのか。だけど、いくら僕でも簡単に信じるわけがないとルルーシュは思わなかったのか。

「死んだって言うけど、君はここにいるじゃないか。手も足もあるし、触れば温かいし、まさか生まれたときから幽霊だったなんて言わないよね」
「その認識がそもそも誤りだ。俺がここで過ごしたのは、この世界のカレンダーで数えるとわずか半年」
「そんなわけない! だって僕達は子供のときからずっと一緒で」

 必死に否定しようとする僕を哀れむように、ルルーシュはふるふると首を振った。

「俺はお前達の記憶に紛れ込んだだけだ」
「紛れ込む……?」
「俺がこの世界に存在していると思っているのは、そういう風に記憶が書き換えられているからなんだ。子供のときからずっと一緒というのも、記憶が都合良く入れ替わったに過ぎない」
「嘘だ……、だって、それなら君のお父さんとお母さんはどう説明するの? まさか二人も幽霊だなんて言わないよね」
「彼らはこの世界の人間だ。ちょうど息子が遠くに行っていて、彼の不在を少し利用させてもらった」
「嘘だ、そんなの嘘に決まってる!」
「安心しろ。俺がいなくなれば記憶は正しいものに戻る」

 ルルーシュがいなくなる。
 幽霊よりも記憶の書き換えよりも、今の言葉に一番ぞっとした。
 咄嗟に細い肩を掴めば、僕の掌にはちゃんとルルーシュの感覚があった。こうして身体があるのに、幽霊だと言われてもやはり信じることはできない。

「君が本当に幽霊かどうかはどうでもいいよ。もし本当に幽霊だったとしてそれが何? 今まで通りここにいればいいじゃないか。僕達の記憶が書き換えられているのなら何も問題ないよ」
「そういうわけにはいかないんだ」
「触っても消えないし、ちゃんとあったかいし、君が幽霊ってことは誰にもバレないだろう? どうしてこのままここにいられないの? 何が駄目なの?」
「タイムリミットだからだ」

 静かな声が落ちる。泣いているように聞こえたのは、僕が泣いているからだろうか。

「どうして俺がここに来られたのかはわからない。ただ、なぜここなのかはわかるんだ」

 僕の手を掴んだルルーシュは、僕の目を見つめて静かに笑んだ。

「ナナリーやみんなのことを思い出した。そして、最後の最後にお前の顔が浮かんだ。あの世界ではなく別の世界で出会えていたら、俺はお前につらい思いをさせずに済んだのではないかと思って、そして、そんな世界をほんの一瞬だけ夢見た。すべては今際の際の夢だったのに、俺の我儘にこの世界のお前を巻き込んでしまった。本当にすまない、スザク」

 あの世界とかつらい思いとか、僕にはどういう意味なのかわからない。きっとルルーシュはすべてを説明するつもりはないのだろう。
 ただ、謝罪の意味だけはようやく理解した。ルルーシュは何を謝っていたのかとずっと不思議だったけれど、眠っている僕への謝罪はこのことだったのだ。

「我儘でもなんでもいい。これが我儘だって言うならずっと我儘を通してよ。君と一緒にいたいって言っただろう。謝るんだったら今度は僕の我儘を聞いてよ」

 ルルーシュは困った顔をするだけだった。仕方ないな、とはもう言ってくれなかった。

「これは俺の我儘が招いた世界だ。我儘が叶った以上、残ることはできない」
「ルルーシュの我儘って、なんだったの?」

 繋がった手に力がこもり、ルルーシュが目を伏せた。照れくさそうに見えたのは決して錯覚ではないだろう。

「お前とこんな風に過ごしてみたかった」
「こんな風って、僕と君が付き合うこと?」
「まあそういうことだ」
「でも君はほかに好きな人が……」
「義理立て、というのは嘘ではないんだ。ここにいるお前と俺の知っているあいつは別人だ。ちゃんとわかっている。ただ、期限が来るそのときまではお前と一緒にいさせてほしいと、それだけを願っていた」

 嬉しいセリフのはずなのに、なぜか胸がざわついた。僕は大きなミスを犯してしまったのだと、今になって気が付く。

「ちょっと待って、僕と付き合ったことでルルーシュの我儘が叶ったってこと? それってつまり、僕が告白したせいで君は……」

 幽霊だと打ち明けられたときよりも衝撃を受けた。顔から血の気が引くとはこういう感覚のことを言うのだろう。
 もし本当にルルーシュが消えてしまうのならば、僕は僕の手でルルーシュを消す手助けをしてしまったのだから。

「お前のせいじゃない」
「僕はそんなつもりで」
「いつかは終わらせようと決めていた。それが今になったというだけの話だ。もともとお前の誕生日は区切りにするつもりでいたし」

 ルルーシュに頭を抱かれ、優しく髪を撫でられる。

「好きな奴がいると言えば諦めてくれるだろうと、そしたらお前に嫌われて潔く別れられると思ったのに、ちっとも上手くいかなくて失敗した」

 僕に責任を感じさせないためだろう。軽い口調でルルーシュがぼやく。
 鼻を啜った僕は、「諦めるわけないよ」と涙声で返した。

「君に好きな人がいたとしても付き合っている間は僕だけのものになるって、そういうずるい考えでいたんだ。だって、ほかの誰かに渡したくなかった。相手が誰だろうと、絶対に渡したくなかった」

 ルルーシュの背中に両手を回して抱き締める。
 細い身体も、規則正しく聞こえてくる心臓の鼓動も、温かいぬくもりも、どれもこれも生きているとしか思えない。僕の記憶が書き換えられているだけで、目の前のルルーシュは実際には存在しないなんて信じられない。
 幽霊の話は何かを誤魔化すための嘘ではないだろうか。僕は都合よく騙されているだけなのではないか。そういう気持ちは消えていない。
 だけど、心のどこかでは納得もしていた。まともとは思えない話なのに、ルルーシュの説明を疑うことなく受け入れている僕がいた。
 なぜだろうと考えて、いつも見てきた夢が真っ先に浮かんだ。
 ルルーシュの言う『あいつ』とは、あの『僕』のことかもしれない。
 ルルーシュのいない世界で、『僕』はずっとルルーシュのことを想っている。確証は何ひとつないけれど、きっとそうなのだと思えた。
 だとしたら、ここにいるルルーシュは返してあげなければいけない。
 (返したくないなぁ)
 また涙が浮かぶ。幽霊だとしても、本来はこの世界にいなかった存在だとしても、せっかく出会えたルルーシュと別れるのは嫌だった。
 でも、それは叶わない願いなのだ。

「ここからいなくなったらルルーシュはどうなるの?」
「どうなるんだろうな。すでに死んでいるから消えるだけだとは思うが」
「死んでるってさらっと言わないでよ。これでも色々とショックなんだから」

 愚痴っぽく言うと、ルルーシュが小さく笑った。

「お前にはちゃんと幸せになってもらいたいんだ。つらいことも悲しいことも何もない平和な世界で、普通の人生というものを送ってほしい」

 君のいない人生なんてつらくて悲しいばかりでなんの意味もないよ。
 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。ルルーシュは僕の幸せを望んでくれているのだ。その気持ちを今この場で台無しにする必要はない。

「誕生日、お祝いしてくれてありがとう。君と二人きりで過ごせて嬉しかった」
「そう思ってくれるなら俺も嬉しいな」
「ご飯もケーキも本当に美味しかった。プレゼントも大事にする。それから――」

 たくさん伝えたいことがあるのに、たくさんあり過ぎて言葉では足りない。代わりに、腕の中の身体を強く抱いた。

「好きだよ、ルルーシュ。君との思い出が全部偽物だったとしても、僕のこの気持ちは嘘じゃない。本当にルルーシュのことが好きなんだ」
「ああ、知ってる」
「君と一緒にいたい。この先もずっと、君と一緒にいたかった」

 涙を拭って顔を上げる。
 滲む視界の中でルルーシュは笑っていた。とても綺麗なその顔を、僕はまばたきをせずに見つめた。
 俺のことを想ってくれてありがとう、スザク。
 ルルーシュの声が遠くに聞こえた。
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