玄関を出てもそこには誰もいない。普段より早い時間に出たから、ルルーシュはまだ朝の準備の最中だろう。隣の家の玄関を一瞥し、彼が来るのを待たずにスザクは学校へと向かった。
ルルーシュと喧嘩をした。理由はよくわからない。ただ、気付けば口論になっていた。
(具合悪くないかって心配しただけなのに)
虫の居所が悪かったのだろうか。そうだとしても、あんなにつっけんどんな態度を取る必要はないではないか。ルルーシュがすぐに風邪を引くのは事実だし、平気なふりをして無理するから結局悪化して寝込んでしまうのも本当のことだ。
(それなのに心配すらさせてくれない。恋人なのに)
そうだ。自分たちはただの友達じゃない。恋人なのだ。恋人ならもう少し甘えてほしいと思うのはそんなに我儘なことだろうか。
(……って、恋人らしいことは何もしてないけど)
好きだと言ってもらえた。好きだと言った。キスもした。でも、あれ以来自分たちの関係は何も進展していない。
ルルーシュと恋人になれたことが嬉しくて舞い上がっていた。だからそれだけで良かったのだ。ただ一緒にいられることが嬉しかったのだ。
(そしたら一ヶ月以上経って、手を繋いだり恋人っぽいことをするのが照れくさくなったと言うか……)
今さら甘い雰囲気を出されてもルルーシュだって困るだろう。そう思ったらなおさら何もできなくなってしまった。だけど時折無性に触りたくなって、何気ないふりをしてルルーシュに触った。そしたらルルーシュが驚いたり戸惑ったりした顔をするからますます手を出せなくなってしまった。こういうのを悪循環と言うのだろう。
(そんなときに喧嘩するなんて本当に馬鹿だ)
自分から喧嘩を吹っかけたわけではない。勝手に怒ったのはルルーシュだ。
だけど、ルルーシュが作ってくれる食事を否定したのは自分だ。厚意に甘えて家事までやってもらっているのに、頼んでなんかいないと子どもみたいな反論をして彼を怒らせた。傷付いた顔を見てしまったと思ったときにはもう遅かった。
結局、昨日の夕飯はカップラーメン、朝食はコンビニの菓子パンでなんとも味気なかった。ルルーシュの毎日の手料理がどれだけ贅沢かを今頃になって実感する。
(お腹すいたな……)
食べているけど空腹が満たされないのは気のせいではないだろう。今日の昼もパンになりそうだと思うと、途端に昼休みがつまらないものに感じられた。
「枢木先輩!」
ぼんやり歩いていると後ろから声をかけられた。昨日、告白してきた後輩の女の子だと気付いたのは、振り返ってしばらく経ってからだった。
「おはようございます」
「おはよう」
「あの、お弁当食べてくれましたか?」
「え……、あ、うん」
「ホントですか?」
彼女の顔が嬉しそうに輝く。本当は食べていないとは言えず、スザクは笑って誤魔化した。
「実は今日もお弁当作ってきたんです」
「えっ」
「先輩のご両親って海外にいるんでしょう? だからお昼に困っているんじゃないかなと思って。良かったどうぞ」
お昼はパンにするから。そう答えようとして思い直した。どうせ今日もルルーシュの弁当は食べられないのだ。だったら彼女の弁当を代わりに食べてもいいではないか。そしたらパンを買いに行く手間も省ける。
「ありがとう、もらうよ」
にこりとした笑顔を見せれば彼女の頬が染まった。じゃあと背を向けて校内へ向かう。弁当はもらったものの、これ以上彼女と話したい気分ではなかった。
教室に入るとほかのクラスメートと雑談しながら朝礼までの時間を過ごした。ルルーシュは予鈴が鳴るのと同時にやって来た。こちらを見ることなく席につき、ひとり文庫本を読み始めた。やがて担任が来て授業が始まる。いつもと変わらない光景なのに、自分とルルーシュの間に厚くて頑強な壁があるようだった。
昼休みになるとルルーシュはどこかへふらりと消えてしまった。手には何も持っていなかったから昼を食べないつもりだろうか。人には食事や栄養バランスの大切さを説くくせに、自分のこととなると途端に頓着しない。思わず眉が寄ったけれど、喧嘩中では追いかけることもできず、仕方なくスザクも紙袋を持って教室を出た。階段を上り、屋上の入口の前に腰を下ろすと後輩から渡された弁当箱を開けてみる。
中を見ての感想は、可もなく不可もなくというものだった。玉子焼きの形が少々悪いのは料理を始めたばかりの女の子らしい。彼女のことを好きなら、一生懸命作ってくれたのだなと微笑ましく思ったことだろう。
(……味がしない)
試しに齧ってみた玉子焼きは味がしなかった。昨日食べたカップラーメンと同じ味だ。あんなにお腹がすいていたのに急に食欲がなくなり、ほかのおかずを食べる気にもなれない。食べ物に罪はないし、作ってくれた彼女にも罪悪感を抱くものの、これ以上は食べられずに蓋を閉じてしまう。
(ルルーシュのご飯が食べたいな)
たった一日口にしていないだけなのにその味がもう恋しかった。喧嘩なんかしなければ良かったと思い、これではまるでご飯にしか興味がないみたいではないかと首を振る。
そもそも、どうして喧嘩をしてしまったのだろう。ルルーシュのことが心配で様子を窺っただけなのに、どうしてルルーシュはあんなに冷たかったのだろう。
(でも、あそこで踏み込まなかったのは僕だ)
怒るのではなく、もっとちゃんと話を聞けば良かったのだ。
仲直りは早いほうがいいという言葉を思い出す。あのときも自分とルルーシュは少し気まずくて、一方的にルルーシュを傷付けた。それをとても後悔したはずなのに、少し時間が経てばまた同じことを繰り返している。こういうのを成長がないと言うに違いない。
(ルルーシュさんだったら早く謝って来いって言うんだろうな)
過去から未来にやって来た悪逆皇帝。
タイムスリップなんて映画やドラマに出てくる題材のひとつで、現実に起こるわけがない。だけど、自分は確かに彼と出会った。そして二週間と二日という短くも長い時間を一緒に過ごした。あの日々は今でも鮮明に思い出せる。百年前の世界で皇帝なんてやっていたのに、なぜか家事が得意で母親みたいな小言が多くて、母親以上に母親みたいな人だった。
最後に別れたときも幼馴染に謝って来いと言われた。もし今、彼がここにいたらあのときと同じことを言うだろう。
(そうだ、どっちが悪いとかそういうことじゃない。自分にも非があるならちゃんと謝らないと)
喧嘩だけではない。ここ最近の自分たちはどこかよそよそしかった。会話はするのにお互い一歩引いていて、以前よりも距離が遠くなっていた。
今さら自分のほうから手を出せなくなってしまったのも原因だし、お互い手が触れただけで意識してしまうのもきっと原因だ。キスまでしたのに、手を繋いだだけで真っ赤になるルルーシュを見たらそれ以上なんてとてもできない。
(でも、ルルーシュは恋愛方面のことが苦手だって知っていたじゃないか。知っているのに僕のほうから行動しなくてどうする)
苦手な部分はそれぞれが補い合えばいい。ルルーシュが勉強を見てくれたり食事を作ってくれたりするのなら、自分は違うところで貢献すべきだろう。恋愛と勉強は違うと言われそうだが基本は同じことだ。ただ待つだけでは何も進展しない。
(謝ろう。後悔しないために)
何も言わずに後悔するくらいなら、言いたいことを言ってしまったほうがいい。これも過去から来たあの人の言葉だ。
(もしかしたらあの人も何か後悔したのかもしれない。だから謝れって言ったのかもしれない)
百年も前に亡くなった人の言葉が今の自分を動かしていると考えるとなんだか不思議な感じがした。
悪逆皇帝で、かつて世界を恐怖に陥れた悪人なのに、本当の彼は教科書に出てくるイメージとまったく違っていた。家事が得意で、何かと細かくて、母親みたいにうるさくて、そして元の世界に好きな人がいて。自分と変わらない、普通の人だった。
右手をぎゅっと握り締める。
両想いなのにすれ違うなんて哀しいだけだ。待っているだけでは何も解決しない。後悔したくないなら努力をしなければいけない。
(ちゃんと頑張るから)
だから少しだけ応援してください、と心の中で呟く。弁当箱を片付けると教室へ戻るために階段を下った。
決意したのならあとは行動に移すのみだ。
(14.09.27)