<皇神楽耶とナナリー・ヴィ・ブリタニアとの話
「お久しぶりです、ゼロ様」
その声を聞くのは久しぶりだった。
超合衆国による全体会議にオブザーバーとして参加した僕は、ナナリーの車椅子を押して長い廊下を歩いていた。
会議が終わってしばらく経つので、辺りは閑散としていた。だから余計に彼女の声が響いた。
「神楽耶様」
その名を呼ぶのも久しぶりだ。
日本政府の要人として活躍する彼女の姿は知っているし、テレビのインタビューで観ることもある。
以前は会議の場でよく顔を合わせていたけれど、ナナリーがすっかり一人前となった昨今は彼女に同行する機会が減ったので、こうして神楽耶と会うのは約一年ぶりだった。
「お元気そうですね」
「おかげさまで」
「久しぶりにお会いしたことですし、積もる話もありますからこのあと少しお時間をいただけませんか? よろしいですよね、ナナリー様」
「ええ、もちろんです」
「しかし、このあと各国首脳との会食が……」
「出席者は私ですから、ゼロはいらっしゃらなくて大丈夫です」
にっこりと、しかしはっきりと断られ、思わず返事に詰まった。
これまでナナリーの保護者役として傍にいた身としては、彼女の成長が嬉しくあり、寂しくもある。
そもそも神楽耶と話が通じすぎていないか。まさか事前に打ち合わせしていたのではという疑惑が浮かんだけれど、問い詰めたところで二人がしらばっくれるであろうことはわかっていたので黙っておく。
「私は会場のほうに向かいますから、ゼロは二時間ほど自由時間です」
「二時間も……」
「代表命令ですよ。皇神楽耶様をしっかりおもてなししてください」
にっこりと笑みを絶やすことなく、僕にとっては嫌がらせのような命令をすらすらと告げるのはさすがはルルーシュの妹と言うべきか。
いずれにしろ、二人の代表に挟まれては世界の英雄ゼロでも断わることはできない。わかりました、と不承不承頷くとナナリーが笑みを深めた。
「では、お二人でごゆっくり」
「ありがとうございます、ナナリー様」
「またお休みのときにお茶でもいたしましょう、神楽耶様」
この二人プライベートで会っていたのか、と今さらながらに知る。
同じ年頃だし、会談で何度も顔を合わせているのだから当然なのになぜ今まで思い至らなかったのか、己の読みの甘さに溜め息が出そうになった。
「それでは私達も参りましょうか、ゼロ様」
ナナリーに向けていたものとは別の種類の笑みを浮かべ、神楽耶が先に立って歩いた。
連れて行かれたのは日本代表控え室のさらに奥の部屋だった。
茶室を模した畳敷きの和室に、初めて入室した僕は物珍しく辺りを眺めた。長らくブリタニアで暮らしているので、純和風な造りに懐かしさを抱く。
「こちらにいらっしゃるのは初めてですか?」
「ええ。日本らしい良い部屋ですね」
向かい合って正座をすると、神楽耶が政治家の顔で頬を緩めた。
「我儘を言って作ってもらいました。さすがに茶釜までは置けなかったので、形だけの茶室ですけど。でも、諸外国の皆様には人気があるのですよ? ゼロ様にもぜひ我が国のお茶を飲んでいただきたいと思いまして」
神楽耶が目配せすれば、侍女らしき女性がお茶を運んできた。茶碗の中を見ると抹茶だった。
「その仮面が邪魔でしたら外してもよろしいのですよ? 私は仮面の中身を人に言いふらすような真似はしません」
「お気遣いいただきありがとうございます。しかし、この仮面はつけたままでも飲食できる作りになっていますので」
「そうでしたわね。すっかり忘れていました」
くすくす笑ったあと、不意に彼女は真剣な目を向けてきた。
「こうして二人きりでお会いするのは久しぶりですね」
久しぶりという言葉を彼女は二度使った。しかし、一度目とは趣も重さも異なるように感じるのは気のせいではないだろう。
神楽耶は何も言わないが、ゼロレクイエム後、彼女からゼロに対して以前のようなスキンシップがなくなった。
ルルーシュがゼロだったときは妻を名乗り、いつもべたべたくっ付いていたことを知っているので、今の彼女はどこかよそよそしく感じられた。
その原因は恐らく、仮面の中が別人だと気付いているからだろう。
聡明な彼女のことだ。改めて確かめたわけではないが、その可能性は大いに有り得る。
「会議のときにお会いしていたではありませんか」
「ええ、そうですね。でも、ゼロ様の周りにはいつも人がいますから、二人きりというのはなかなか。だから、ナナリー様にお願いして時間を作っていただきました」
神楽耶の目が細められる。その物腰はすっかり大人のもので、子供の頃のお転婆ぶりは影を潜めていた。
ゼロレクイエムのときはまだ少女だった神楽耶もナナリーも成人し、今では立派な大人の女性だ。
それだけの年月が経ったのだと思えば感慨深いような、どこか物寂しいような、なんとも言い表しがたい感傷に襲われる。
「私、本当にゼロ様と結婚して妻になることを夢見ていたのですよ?」
突然なんの話なのか、神楽耶が可愛らしく首を傾けた。
「仮面の中身を知らないのに、よく結婚したいと思えましたね」
「姿形なんて関係ありません。この方なら日本を、いいえ、世界を救い、正しい方向に導いてくださると信じたし、実際にそうなった。ゼロ様には感謝してもしきれません」
だからこそ――、と目線が落とされた。
「悔しいのです。どうしてゼロ様を一度でも疑ってしまったのか。どうして最後までついて行かなかったのか。目に見えるものがすべて正しいとは限らないとよく知っていたはずなのに、どうして信じることができなかったのか。どうして周囲の意見をはね付けることができなかったのか。許せないことはたくさんありますが、私は私自身が一番許せません」
その言葉を表すように、膝の上で彼女の両手がきつく握られた。
「――怨んではいませんよ」
神楽耶の顔がぱっと上がる。
少し迷って僕は続けることにした。ゼロではない、ひとりの人間としての言葉で。
彼女は今の仮面の中身が誰であるかを知っている。ゼロとしていくら言葉をかけようと、彼女にとっては従兄の枢木スザクの声にしか聞こえないだろうし、僕の言葉なんか必要としていないはずだ。
それでも、血の繋がった従兄として伝えたい。ルルーシュを知っている僕だから、神楽耶に伝えられることがある。
それに、従妹に少しだけ甘くなることをルルーシュはきっと許してくれるだろう。
「彼は誰のことも怨んでいなかった。あなたのことはもちろん、黒の騎士団のこともほかの誰のことも、怨み言なんてひとつも言わなかった。ただ、己の罪を償うことだけを考え、それを実行したまでです」
一瞬、泣き出しそうな表情をした神楽耶は、すぐにそれを消して身を乗り出した。
「でも、この世界の罪はあの方ひとりだけのものではないでしょう? なのに、まったく関係がないことまですべてあの方のせいにされている。それでもあの方は許してくださると言うのですか?」
「それが彼の望みであり、彼の思惑でしたから。全部自分の思い通りになったと、今ごろ満足して高笑いでもしていますよ」
ルルーシュなら本当に高笑いしていそうだと思い、仮面の中で小さく笑った。
「選ぶのは生きている人間です。たとえそれがどんなに理不尽なことだとしても、選択したのは僕達なんです。彼はただ、僕達に『選択できる』という自由を与えてくれたに過ぎません」
「だとしたら、私はなおさら自分を許すことはできませんね」
僕の慰めを拒絶するように、きっぱりとした言葉が返ってきた。
僕は腹立たしく思うよりも、さすがは神楽耶だと従妹に対して誇らしいような気持ちになった。
「あの方がもし本当に私達を怨んでいなかったとしても、これから先、私は私を許すつもりはありません。だって、選ぶのは私達の自由なのでしょう? ならば、己の誤りを悔いて生きることも、その悔いを無駄にしないためにより良い世界の実現に励むことも、すべて私の自由です。そしていつかあの方に、今度こそちゃんと顔向けできるように、恥ずかしくない生き方をしたいと思います」
そう言い切った神楽耶に悲壮感はない。決して後ろ向きではなく、しっかりと前向きに進もうとする姿勢が感じられた。
とても良い顔だ。
この場にルルーシュがいたら、彼もそう評したに違いない。
「――お話ししていたらなんだかお腹が空いてきましたね。ゼロ様もいかがですか?」
ゼロ様という呼び方に戻った彼女はいつもの顔をしていた。切り替えの早さは、さすがは世界のトップとして活躍してきた人物である。
「せっかくですからいただきましょう」
「では、ちょっと失礼」
立ち上がって部屋を出て行こうとした神楽耶は、途中で足を止めて振り返った。
「そうそう、ひとつ付け加えておきます。ゼロ様のことはお慕いしておりましたが、もし普通にあの方と出会っていたとしても私はあの方を選んでいたと思います。だって、見目麗しい殿方というのはとても素敵なものですから」
冗談のような口調に、所詮は顔じゃないかと素で突っ込みを入れてしまった。
中身も大事ですが顔はもっと大事ですから、と神楽耶はころころ笑った。
「でも、あなたのことも嫌いではありませんでしたよ」
穏やかな声に息を呑む。
ゼロになって以来、神楽耶が僕個人に触れるのは初めてだった。
「がさつで思慮が足りなくて、結婚相手としては不向きでしたが、人間としては嫌っていませんでした」
褒められているのか貶されているのか、これは一体どちらなのだろう。
それでも、懐かしそうに笑った従妹に僕も笑い返した。仮面越しでもそれが伝わったのか、神楽耶の笑みが深まった。
「私は、あなたとあの方の覚悟を誇りに思います。その選択が本当に正しかったのかどうかを決めるのは後世の人間です。ただ、あなた方はこの時代にできることを精一杯やった。自分達の命と引き換えに新しい世界を創ってくださった。そのことに感謝しています」
深々と頭を下げて出て行った神楽耶を見送る。残された僕は今のやり取りを反芻した。
誰かに褒めてもらいたかったわけではない。ゼロのことは誰もが称賛するけれど、ルルーシュのやったことを褒める人間は誰もいない。
それでいいとルルーシュは言っていたし、僕もそう思ってきた。でも、初めて面と向かって「誇りに思う」と伝えられ、今まで隠してきた感情が溢れそうになった。
(僕達を褒めてくれる人がいたよ、ルルーシュ)
二人が勝手に計画し、勝手に実行したことを褒めてくれる人がいた。それはとてもありがたく、とても嬉しいことだった。
ありがとう神楽耶、と僕は仮面の中で小さく伝えた。
***
ルルーシュはゼロレクイエムの前に、俺の墓は必要ない、と遺言のような言葉を残した。
「そもそも死体は民衆の手によって跡形もなく、それこそただの肉の塊にされるだろうから埋葬するものがないだろう。墓荒らしで鬱憤を晴らさせるために形だけの張りぼては作っておく必要があるかもしれないが」
冗談か本気かわからないことを笑って話していたルルーシュ。
たったの十年前と言うべきか。十年も前と言うべきか。
「綺麗な花で溢れた場所にお墓が作られるなんて、君でも予想していなかっただろう?」
小さな墓標に向かって僕は話しかけた。
その隣にはもうひとつの墓標がある。
「俺の墓はなくていい。ただ、ロロの墓だけはたまに見てやってくれないか」
それだけを頼んだルルーシュのために、『弟』の墓の隣に彼を埋めた。
君はひとりのけ者にされることを想定していたみたいだけど、散々振り回されたんだからこのくらいの仕返しは許されるだろう? と胸のうちで語りかける。
「やっと場所を教えてくださいましたね、ゼロ」
人の気配がし、僕はゆっくり立ち上がると振り返った。
ナナリーが来るのは当然のことなので驚かないが、その車椅子を押す人物を確かめて眉を寄せた。
「君は呼んでいないはずだ」
「ナナリーの許可ならもらっている」
不機嫌さをあらわにした僕に、C.C.は飄々と答えた。相変わらずの態度である。
C.C.の手によって墓の前まで車椅子が運ばれる。名前の刻まれていない質素な墓標をじっと眺めたあと、ナナリーが口を開いた。
「一生、この場所を教えてもらえないのかと思っていました」
「十年が経ちましたから。区切りと言うには少し早いかもしれませんが、あなたも独り立ちしましたし、そろそろ区切りを付けるべきかと」
「ゼロは区切りを付けられたのですか?」
「――いいえ」
素直に返せば、ナナリーが小さく笑った。下ろしてほしいという希望に、彼女の身体を支えて草の上に座らせる。
墓を、それから周囲の景色を見渡したナナリーは、綺麗な場所ですねと呟いた。
「私の我儘を聞いてくださってありがとうございます」
「せめて穏やかに眠れるよう花に溢れた場所にしてください、それがあなたの唯一の願いでしたから」
「ええ、充分です」
「今だから打ち明けますと、彼はあなたの手によって死体を野晒しにされても構わないと考えていたようです」
「どうして私がそんな仕打ちをできると思ったのかしら。それとも、私の想いはその程度と思われていたのでしょうか。でも、仕方ないですよね。何も知らないくせに一方的に糾弾して、悪魔だと罵ってしまった最低な妹なのですから」
ナナリーが顔を覆う。
細い指の隙間から、ごめんなさいお兄様、とか細い声がすすり泣きと共に聞こえた。
僕もC.C.もナナリーを慰めはしなかった。彼女が求めているのは僕達ではないと知っているからだ。
「一年も経てばみんな俺のことは忘れる。ナナリーも俺のような兄を持ったことを忘れているさ」
以前、彼は自信たっぷりにそんなことを言っていた。どうしてあんなに自信が持てたのか、僕にはわからない。
(君は本気でそう思っていたの?)
だとしたら僕達を見くびりすぎだよ、と胸のうちでルルーシュに語りかける。
やがて泣き声がやみ、ナナリーが静かに両手を下ろした。
「あのとき――、お兄様の最期のとき、その手に触れたらお兄様が安堵されていたんです。死んでしまうであろうことはわかっていたはずなのに、安堵して、とても満足そうにされていました。だから私、全部悟ったんです。ああ、これはお兄様が意図していたものだったのだと。ゼロに討たれ、血を流して倒れたことさえも計画の内なのだと。最期のときに気付くなんて、私は馬鹿です」
ナナリーは僕とC.C.に打ち明けるように、そして、ルルーシュに語って聞かせるように続けた。
「お兄様さえいてくれれば良かったのにと、そんな甘えた考えが今でもあります。世界なんてどうでもいい、ただお兄様さえ傍にいてくれればどんなに良かっただろうと、弱い私は今でも思ってしまいます。でも、それでは駄目だとお兄様は私を突き放した。もう私だけのお兄様ではなくなってしまったのだともっと早く気付いていれば、お兄様にあんな酷いことを言わずに済んだのに。私はどうしようもない馬鹿です。どうしてもっとお兄様を信じられなかったのか、いえ、どうしてもっとちゃんと現実に目を向けられなかったのか。そしたらお兄様は、私を守るためにブリタニアを壊そうとは考えなかったのに」
白い手が墓標に触れる。
ナナリーの慟哭は、土の下に眠る彼のもとに届いているだろうか。
「お兄様にずっと傍にいてもらいたかったから、私は何もできない妹のふりをし続けたんです。綺麗なものだけを見て、綺麗なものだけを信じて……。それがお兄様の望む私の世界だったから、可愛い妹のナナリーをずっと演じていたんです。お兄様がお父様やブリタニアを憎んでいたことは知っていたのに、お兄様を止めるでもなく説得するでもなく、結果としてそれがお兄様を追い詰めてしまった。私がいなければお兄様が行動を起こすことも死んでしまうこともなかったのに、私が、お兄様を殺した……っ」
吐き出される懺悔を僕は黙って聞いていた。
神楽耶と同じように、ナナリーもずっと自分を許せなかったのだ。
(いや、二人だけじゃない)
ルルーシュと関わり、彼を知っている人達は大なり小なり悔いを抱えていた。はっきりルルーシュの名前を口にすることはないけれど、言葉の端々に後悔を滲ませている。
だって、本当の彼を知る人は彼のことが好きだったのだ。彼の死によって彼の意図に気付き、何もできなかった自分達の無力さを悔いたのだ。
そんな風に自分が愛されていたことを果たしてルルーシュは知っていただろうか。彼の死を今でも悼んでくれる人達がいることを彼は予想していただろうか。
ナナリーに何か声を掛けようとして、結局僕は何も言わなかった。ただ、彼女の肩にそっと触れた。
ルルーシュの行動はナナリーのためだったけれど、すべてがナナリーのためだったわけでもない。ナナリーを理由にして、自分自身の目的のために行動したことだってあるだろう。少なくとも、彼の最期は彼自身が望んだものである。
ただ、ナナリーがいなければルルーシュは違う方法を取っていたかもしれないし、ギアスの力を得てまで生き延びようとしたかはわからない。
ルルーシュにとって、妹の存在がひとつのきっかけとなったことは確かなのだ。そして、それはナナリーにとって充分後悔に値する事実だろう。
「私は、とっくにお兄様の年を越してしまいました」
ぽつりとした声がした。それは僕への言葉に感じられた。
「そうして初めてわかったのです。あのときのお兄様はまだ幼かったのだと。私から見ればお兄様はいつだって大人でした。それは自然と大人になったのではなく、私のために無理やり大人になったのだと思いますが、それでも十八才はまだまだ幼いものです。そんな年齢の頃に、お兄様とゼロ、――あなたは世界を相手に戦ったのですね」
ナナリーが振り向く。泣き濡れた瞳を僕に向けて。
その仮面は一生取らないおつもりなのでしょう? と、確認ではなく断言するように聞かれた。ええ、と僕は短く答えた。
何かを耐えるように微かに俯いたナナリーは、しばらくして再び顔を上げた。
「教えてください、ゼロ。お兄様は私に何を望んでいましたか?」
「――彼は、君が笑顔で当たり前の日常を過ごせることを願っていたよ」
顔をくしゃりとさせたナナリーは、ずるいですと声を震わせた。
「お兄様はずるい。お兄様がいなければどうやって笑えばいいのかわからないのに。でも、それがお兄様の望みならば、私は笑って生きます。お兄様と私を引き離したこの世界をどんなに怨んだとしても、すべて受け入れて笑います」
自らを鼓舞するように言い切り、ナナリーは物を言わぬ墓標を見つめた。
その横顔はもう泣いてはいなかった。
ただ、静かに微笑んでいた。最愛の兄の望みを叶えるために。
(ナナリーは強いね、ルルーシュ)
あの日から立ち止まったままの僕は、とても弱かった。
(17.09.26)BACK<<