ごろりと寝返りを打とうとして、何かに阻まれたのに気付いた。
カーテンの隙間から射し込む朝の陽が瞼越しにも眩しい。
「ん……」
ぐずるように声を漏らすと、先ほどの何かがルルーシュの腰を強く抱いた。向きを変えるのを諦め、ふかふかの枕に顔を埋める。
(今日の予定は珍しく午後からだから、午前中はアリエスでのんびりしてもいいな。朝食もナナリーと一緒にとろう。朝が一緒になるのは一週間ぶりか……)
夢と現実の狭間でうつらうつらと考えていたら、優しく髪を梳かれる感触がした。気持ち良さに自然と口許を緩める。
朝がこんなにゆっくりしているのは久しぶりだ。そういえば、スザクを部屋に招いたのも久しぶりだったから昨夜は随分と盛り上がってしまって――。
そこまで思ったルルーシュはぱちりと瞼を上げた。目の前には新緑の色をした柔らかい瞳があった。
「おはようございます、ルルーシュ殿下」
「……名前」
朝一番に咎めれば、童顔が苦笑いを浮かべる。
さっさと慣れてくれればいいものを。最中は散々人のことを名前で呼ぶし、意地悪なことも囁くくせに、正気に戻ったらいつもと同じ騎士の顔をするから、かえって居た堪れない気持ちになることを彼は知っているのだろうか。
「えっと……、おはよう、ルルーシュ」
その挨拶に満足して小さく笑う。
「おはよう」
「体は平気?」
「ああ」
起き上がろうとすれば背中を支えられた。同じ男の体なのだから多少のことではびくともしないとわかっているはずなのに、スザクはこうして大事に大事に扱ってくれる。こちらにも男としてのプライドはあるのにと思うけれど、大事にされて悪い気はしない。嬉しいような悔しいような、ルルーシュとしても色々複雑だった。
「今日の予定は午後からだけど、午前中はどうする?」
「ナナリーと一緒に朝食にして、そのあとは出かける時間までここでゆっくりする。読んでおきたい資料もあるし」
「じゃあ伝えておくよ。ルルーシュは先にシャワーを浴びていて」
額にキスをしたスザクは、床に落ちていたシャツとズボンを着るとベッドを離れた。そのときにルルーシュのものも枕元に置くことを忘れなかった。
新しい服はシャワーを浴びている間にスザクが用意してくれる。しかし、ベッドから浴室までの移動は裸というわけにはいかない。だから前日の服を申し訳程度に羽織って行くのだが、自分の汗の匂いが残ったものを翌日に着るという何気ない行為がいまだに恥ずかしかった。
どうして昨日の服がここに残っているのか、どうして寝衣に着替えなかったのか、そもそもどうして裸で寝ているのか、突き詰めなくてもその理由はひとつしかなく、意識してしまうとたまらない気持ちになる。
(別にスザクとのセックスが嫌なわけではないが、一夜を共にするということはそんな簡単に慣れるものではないし、簡単に慣れたいものでもないし、と言うかスザクが堂々としすぎているんだ。どうせこういうことの経験値は俺のほうが――)
浴室の中でそこまで考えてやめた。過去の経験とか体験とか、気にしたところで意味はない。
考えるならもっと楽しいことにしようと、たっぷり泡立てた泡で体を洗いながら思う。
スザクの過去の女性経験がどの程度のものかはよく知らない。聞こうとしたことがないし、聞く必要もない。聞いたところで嫉妬するだけだとわかっているからだ。
それに、自分と出会う前のことをとやかく言っても仕方ないだろう。女性の嫉妬ならまだ可愛らしいが、男の嫉妬はみっともないだけである。
過去がどうであれ、今のスザクが選んだのは自分だ。それだけを信じていればいいのだ。
泡を落とし、鏡に映った自分の体を見てルルーシュは思わず赤面した。服に完全に隠れてしまう胸や脇腹の辺りに赤い痕が散っている。
背中や足の付け根にも吸い付かれた記憶があるから、見えないだけで体中に同じような痕が残っているのだろう。だいぶ慣れたとは言え、こうして明るい場所でまじまじ見てしまうとやはり羞恥を覚える。
しかも、昨夜は熱に浮かされて自分もスザクの首に噛み付いていなかったか。最中の記憶なので曖昧だが、汗の浮かんだ肌を舐めたいと思ったのと、これは自分だけのものだと主張したいと思ったことはなんとなく覚えている。
自分が噛み付いてしまった場所は騎士服に隠れる位置だっただろうか。もし隠れなかったら包帯か絆創膏で誤魔化す必要がある。だが、そんな小細工をしたら目敏い者はかえって怪しまないだろうか。
己の失態に頭を抱えていると、浴室のドアの向こうから声をかけられた。長いシャワーに心配して様子を見に来たのだろう。
「もう出る!」
ドアに向かって叫び、火照った頬を冷ますために冷水で顔を洗った。外に出ると、すぐさま肌触りの良いタオルに包まれた。
「具合でも悪くしていたらどうしようかと思った」
「お前は心配性すぎる」
「そんなこと言って、前に湯あたりしていたのはどこの誰?」
「……あれはたまたまだ」
髪から落ちた水滴が肩に当たった。あとは自分でやると言ってタオルを奪い、スザクを追い出すと用意されていた服に袖を通した。まだ出かけないので白いシャツにズボンというラフな格好だ。
「お前もシャワーを浴びてこい」
部屋に戻って告げれば、その前に、とスザクがにっこり笑った。
「こちらにお願いいたします、ルルーシュ殿下」
わざと騎士の口調で言ったスザクの手にはドライヤーが握られていた。本当にマメだなと笑い返してルルーシュは椅子に腰掛けた。
ルルーシュの髪を乾かすのはスザクの役目だ。騎士がそこまでする必要はないし、以前は自らやっていたのだが、一年ほど前からスザクに乾かしてもらうようになった。おかげで、どうやってドライヤーを使っていたのか忘れてしまった。
(些細なことでもひとつひとつ忘れていったらそのうち自分では何もできなくなりそうだな)
親鳥がいなければ生きられない雛のように、何もかもスザクに依存したらどうなるのだろう。それはとても甘美な誘惑に思えた。
実際はそんな事態にならないだろうが、心のほうはすっかり依存しているかもしれない。
スザクがいなければ生きていけない。そう口にしたら、彼はどんな顔をするだろう。
つまらない空想をしていると、終わったよと声をかけられた。目を開ければ、鏡の向こうのスザクと目が合った。
「お前も早くシャワーを浴びて着替えてこい。今日はナナリーと一緒に朝食だからあと三十分だ。一分でも遅れたら許さないからな」
わかってるよと苦笑いしたスザクを追い立てる。準備を待つ間、ルルーシュは届けられた朝刊に目を通した。ブリタニアの全国紙をすべて取り寄せているのでかなりの数になるが、三十分もあれば充分だ。
前日までの情報を整理し、国内の世論や各紙の論調などを頭に入れておきたいので、この時間はいつもひとりにしてもらっている。スザクもそれを承知しているので、きっちり三十分かけて支度をしてくることだろう。
何気ない光景。いつもと変わらない朝。
清々しい空気と小鳥の囀る声に包まれながら過ごす時間は穏やかで、今日も一日何事もなく平和に終わればいいと思った。
朝食のために部屋を移動したルルーシュは、ドアが開いた瞬間に目を瞠った。そこにいるのはナナリーと母のマリアンヌだった。
「おはようございます、お兄様、スザクさん」
「おはようございます」
「おはようナナリー、……と母上」
家族が揃っていることは別に珍しいことではない。時間があるときは母とナナリーを交えて食事をするから、むしろこれは日常の風景だ。
「あら、お化けを見たような顔ね。そんなにビックリしなくてもいいじゃない。綺麗な顔が台無しよ」
「だって母上は私的旅行、ではなく、世界各国を外遊して回って、戻るのは来月になる予定だったじゃないですか」
マリアンヌは今月の始めから外遊に出ていた。外遊と言ってもほとんどは私的旅行である。しかし、単なる旅行では父である皇帝が良い顔をしないらしいので、無理やり公務を加えて仕事ということにしたのだ。
アクティブな母らしいし、こんなことは今までも何度かあったからさほど驚かない。ただ、アリエスに戻るのは再来週だと聞いていたため、朝食の席に母の姿があったことには驚いた。
予定を切り上げたのだろうかと首を傾げれば、とりあえず座りなさいと勧められた。
「ルルーシュ、あなた休暇が終わったらまた朝から晩まで働いているんですって? ナナリーが心配しているわよ。仕事大好き人間なのは別にいいけど、オンオフの切り替えはもっと上手くやらなきゃ。じゃないとシャルルみたいに無趣味でつまらない大人になるわよ」
「はあ……」
「スザク君も久しぶりね。元気にしてた?」
「はい」
「なら良かったわ」
にっこりと笑ったマリアンヌは、給仕に朝食を運ぶよう告げた。すぐにテーブルの上には皿が並び、久しぶりに家族三人とスザクの四人揃っての食事となる。
ほかの離宮はどうなのか知らないが、ルルーシュはスザクも同じ食卓につかせていた。それはマリアンヌもナナリーも承知の上だ。
騎士だからって遠慮しなくていいのよ、とけらけら笑っていたのは元騎士の母である。実際、母は相手が皇帝でも遠慮することはなかったらしく、あの厳めしい父が母には形無しなのも頷けた。
三週間ぶりの我が家で伸び伸びしているのか、喋るのはもっぱらマリアンヌだった。海外でのお土産話を聞かせたり、不在時の皇宮の様子を聞いてきたり、それにルルーシュとナナリーが相槌を打ったり、朝からとても賑やかだ。
やはり母上がいるとアリエスの空気が変わるなと思いながら、ルルーシュは食後の紅茶を楽しんでいた。母とナナリーの話に耳を傾けながら、頭の中では午後の案件について考える。
(今日は特に面倒くさいものは入っていなかったから、夕方も早めに帰れるかもしれない)
そんなことを考えていたので、会話の中に自分の名前が出ても気付かなかった。普段なら絶対に有り得ないのだが、家族とスザクだけという状況にすっかり気が緩んでいたのだろう。
「え……?」
「もう、聞いていなかったの? 午後からスザク君を借りるわねって話よ」
「スザク? なぜですか?」
思わず隣を見るとスザクも不思議そうな顔をしている。母に視線を戻して首を捻れば、マリアンヌはとても良い笑顔を浮かべていた。
「午後からスザク君のお見合いだからよ」
突然落とされた爆弾に、ルルーシュもスザクもすぐには反応できなかった。
これはいつものタチの悪い冗談だろうか。母はときどき突拍子もないことを言い出すから、ちゃんと真意を確かめなければ振り回されるだけだ。
「言っておくけど、冗談じゃないわよ」
「冗談じゃないお見合いとは……?」
「お見合いはお見合いよ。ルルーシュもミレイとお見合いしようとしたでしょう? 直前にキャンセルになったあのお見合いと同じよ。スザク君の年齢ではちょっと早いかもしれないけど、今後ルルーシュの騎士としてやっていくならのん気に恋愛なんてしている暇はないでしょうし、だったらその前にさっさと身を固めたほうがいいと思うの。相手はアッシュフォードと懇意にしている家で、私たちにとってもスザク君にとっても悪い話じゃないわ」
すらすらと説明される内容はやはり冗談にしか聞こえないが、一度決めたことは必ず実行するのが母である。
どうやら本気でお見合いさせるつもりらしいと気付き、ルルーシュとスザクは揃って蒼褪めた。
「ちょ…、ちょっと待ってください! 確かに、アッシュフォードと懇意なら信頼は置けますが、スザクの意志はどうなるのですか。相手だって見ず知らずのスザクといきなりお見合いなんて困るでしょう」
「見ず知らずだからお見合いするんじゃない。そこで意気投合するか喧嘩別れするかはまだわからないでしょう? スザク君も実際に会ってみたら相手が気に入るかもしれないし」
「気に入るわけがありません!」
「あら、どうして? それはスザク君の心次第でしょう? それとも、主は騎士の好みにまで口を出すのかしら」
意地悪く笑った母にルルーシュは言葉を飲み込んだ。
自分たちの関係は誰にも打ち明けていない。ナナリーやユフィといったごく一部の者にはバレているが、決してこちらから暴露したわけではない。だから、スザクは自分と付き合っているからお見合いなんてしないとはとても口にできなかった。
「……確かに、俺が口を出すことではありませんが、それにしたって話が急すぎます」
「こういうことは早いほうがいいのよ。向こうには前々から打診していたんだけど、数日前にようやく返事が返ってきたの。だからわざわざ予定を切り上げて帰ってきたんじゃない」
「そのためだけに?」
「大事な息子の騎士の結婚相手を決めるのよ? ほかの何よりも重要でしょう?」
お見合いの席にはマリアンヌも同席すると言われてしまい、これ以上は反対できなくなってしまった。
自分のお見合いならいくらでもぶち壊すが、スザクのためというお膳立てでセットされたものにあまり難癖は付けられない。しかも、話を進めたのは母だ。当日になってキャンセルすれば母の顔にもスザクの顔にも泥を塗ることになる。
勝手にお見合いを決められたことに対し、今さら文句を言っても仕方ない。そもそも、母は自分たちの関係を知らないのだから、騎士の将来に心を砕いてくれたことはむしろ感謝しなければいけないくらいだ。
ちらりとスザクを見れば、彼も困惑した表情だった。しかし、彼としても皇后が直々に決めたお見合い話を断ることはできないだろう。
(俺の一存ということで今から相手に断わりを入れに行くことも可能だが、いずれにしろ母上とスザクには迷惑をかける)
お見合いしたからと言って、即結婚という流れになるわけではない。それに、スザクには自分というれっきとした恋人がいる。お見合いは断れなくても、いざ結婚となったらしっかり断ってくれるはずだ。
ルルーシュはテーブルの下で両手を握り締めた。
「わかりました。では、スザクをお貸しします」
「殿下!」
「いきなり結婚しろと言うわけではないんだ。相手の顔を見てお茶を飲むくらいは問題ないだろう?」
「それはそうですが……」
「じゃあ決まりね。衣装は騎士服じゃないものを用意させるから、スザク君はそれに着替えておいてちょうだい」
「――はい。では、殿下の午後のご予定にはジェレミア卿についていただきます」
「ああ」
不承不承といった様子でスザクが頷いた。そのことに心が痛む。
お見合いに行けと送り出したのは自分なのに、スザクがほかの女と仲良くしている姿を想像して嫌な気分になるとはなんて身勝手なのだろう。
(今日はいい一日になると思ったんだがな)
朝の幸福な気持ちはすっかり消え去っていた。天を仰ぎたい気持ちをこらえ、ルルーシュは冷えた紅茶を無理やり流し込んだ。
「枢木が結婚するらしいな、ルルーシュ」
「結婚ではありません。見合いです。誤解を招く発言はやめてください、コーネリア姉上」
隠すことなく不機嫌な様子を見せれば、コーネリアが可笑しそうに笑った。
いつもは軍のほうにいて、宰相府にはあまり顔を出さない姉を珍しく見かけたと思ったらいきなりスザクの話を持ち出された。それだけでもルルーシュにとっては面白くないのに、結婚なんて言われたらさらに面白くない。
「どちらも似たようなものではないか」
「全然違います。多少知り合いの人間ならともかく、見たことも聞いたこともないような相手と見合いだなんて、母上は何をお考えなのか」
「マリアンヌ様らしいじゃないか」
めでたい話だからそんな仏頂面をするな、と背中をばんばん叩いてコーネリアは去って行った。
「なんで姉上がスザクの見合い話を知っているんだ……」
「コーネリア皇女殿下はマリアンヌ様とご懇意ですから、直接お話を聞いていたのかもしれませんね」
コーネリアの前にはユフィに捕まり、同じことを聞かれた。そのあとに姉のコーネリアである。
自分たちの関係を知っているユフィは「まあスザクなら大丈夫でしょうけど」と言って慰めてくれたが、顔が少し面白がっていた気がするのは考えすぎだろうか。
疲れた溜め息を吐き出して廊下を進んでいると、今度は別の方向からルルーシュの名前を呼ぶ声がした。
今日はなんなんだと胡乱な目を向ければ、手を振ってこちらに向かってくるのはクロヴィスだった。相変わらず宰相府に似つかわしくない人だなと八つ当たりのように思う。
「やあルルーシュ、今日も綺麗だね」
「なんの用ですか兄上」
「つれないなぁ。それより聞いたよ、スザク君が結婚するんだってね?」
その言葉に青筋が立つ。しかし、ルルーシュの様子に気付いていないクロヴィスは機嫌良く話し続けていた。
「まだ若いけど、早めに身を固めて一人前の大人になると言うのかな。しかし騎士の伴侶ということはルルーシュの身内も同然だから、相手はしっかり見極めなければいけないよ。マリアンヌ様が決められた話だから大丈夫だと思うけど、ルルーシュとの相性もあるだろうし、結婚前に一度は会っておいて、」
「兄上……」
「ん? なんだい? スザク君の結婚式の衣装デザインなら私に任せてくれたまえ」
「金輪際、俺の前に現れないでください」
「え? え? ええっ、ルルーシュ?」
「行くぞ、ジェレミア」
「は、はい。クロヴィス殿下、それでは失礼いたします」
わけがわからないという顔のクロヴィスを置き去りにし、かつかつと靴音を鳴らして廊下を進む。後ろからついて来るジェレミアは困り顔だが、主を慮って余計な口はきかなかった。
(どいつもこいつも結婚結婚って、なんで見合い話が結婚話になっているんだ。誰の差し金だ。だいたい俺がこの話を聞いたのは今朝のことなのになんで知っているんだ。しかも皆がスザクの結婚を喜んでいる。そりゃあ男の俺より良い家柄の可愛らしい令嬢と結婚したほうが世間体はいいだろうな。それが普通なんだから。だが、スザクと付き合っているのは俺だ。スザクが好きなのは俺なんだ。それなのに勝手に結婚だなんて――)
しばらくひとりにしてくれとジェレミアに告げて執務室に入る。ドアに凭れかかると、ルルーシュは再び盛大な溜め息をついた。
スザクを信じていないわけではない。母や周囲の声に負けて結婚を決めるような情けない男ではないと知っている。
でも、面白くないものはやはり面白くなかった。
(スザクの恋人は俺なのに)
拗ねたように思い、また溜め息をつく。
帰る頃には見合いは終わっているだろう。その結果を早く聞きたいような聞きたくないような、なんとも複雑な心境だった。
一日の仕事を終えてアリエスの離宮に戻る。普段ならホッとひと息つき、スザクやナナリーと共に寝るまでのひとときを過ごすのが楽しみなのに、今日は重い足取りで扉をくぐった。
「おかえりなさいませ、ルルーシュ様」
出迎えてくれたのは咲世子で、マリアンヌ様とスザクさんがお待ちですと伝えられた。二人が待っているということは、話の内容は十中八九、今日のお見合いのことだろう。
咲世子の先導で母の部屋へと向かえば、そこではマリアンヌがソファで優雅にお茶を飲んでいて、スザクは正面に座らされていた。
ルルーシュの顔を見てホッとした様子の彼に、朝から母と始終二人きりで相当胃が痛んだのではないかと笑いそうになる。が、今はスザクの苦労話よりもっと大事な話があると、ルルーシュは表情を引き締めた。
「おかえりなさい、ルルーシュ」
「ただいま戻りました」
「私の用事は済んだからスザク君は返してあげるわね。スザク君がいなくて寂しかったんじゃない?」
「子どもじゃあるまいし、そんなことはありません。スザク、ご苦労だったな」
「いえ」
笑いかければスザクが頬を緩めた。
「ルルーシュ、あなたも座りなさいな。お菓子はどう?」
「このあと夕食なのでいらないです」
スザクの隣に腰掛けながら断ると、マリアンヌがくすくすと笑った。
「相変わらず真面目ねぇ。だからいつまで経ってもお付き合いのひとつもできないのよ」
「……母上」
「そんなに睨まなくてもいいじゃない。だって事実でしょう? その点、スザク君は女の子の扱いが上手よね。これも一種の才能なのかしら。今日だって二人で庭に下りたとき、あちらのお嬢さんが転びそうになったらすかさず助けてあげたでしょう?」
「ご覧になっていたのですか?」
「当たり前じゃない。うちのルルーシュの大事な騎士に万が一のことがあったら大変ですもの。それにしても、女って単純よね。ああいうことをされると誰にでも好意を持っちゃうわ」
「自分はそういうつもりは……」
「そういうつもりがあってもなくても関係ないの。あのお嬢さん、ずっとスザク君のことをちらちら見ていたわよ」
「えっ、そうなのですか?」
「女の子の扱いが上手い割に、相手の視線には気付いていないのね。鈍いところはルルーシュそっくり」
「……母上」
先ほど以上に低い声で呼ぶが、マリアンヌは面白そうな顔をしただけだった。
何が楽しくてほかの女と自分の恋人とのやり取りを聞かなければいけないのだ。だいたい、転びそうになったところをスザクに助けられた経験なら自分にもある。そのお嬢さんとやらを助けたのはスザクの優しさで、彼女に対してだけ発揮されたものではない。それをスザクの好意だなんて勘違いしないでほしいと、この場にはいない見合い相手に言いたい気分だった。
「で、どうかしら、スザク君」
「どうとは……」
「あちらは結構乗り気だったし、あなたも満更ではなさそうだったし」
ルルーシュがじと目で見れば、スザクはぶんぶんと首を横に振っていた。
この浮気者が、誰彼構わず良い顔をするからそういう誤解が生まれるのだと心の中で盛大に文句を垂れる。あとで説教してやらなければいけない。
「母上、スザクに返事を聞くのは早すぎます。たった一日で将来のことを決めなければいけないなんて酷です。こんな大事なことはもっと慎重に、」
「ルルーシュは黙ってなさい。これはスザク君が決めることよ。あなたは関係ないでしょう?」
ぴしゃりと言われ、思わず口を噤む。母に叱られた経験はあまりないし、怒鳴っているところを見たこともほとんどない。だからこそ、怒ってはいないものの、こちらを試すような視線を向けられるとひやりとした。
「騎士の幸せを願うのは主として当然のことでしょう? あなたはスザク君の幸せを邪魔するの?」
「邪魔だなんて……、ただ、将来を決める大事なことだからじっくり考えてほしいだけです。俺だってスザクの幸せは願っています、だからこそ、早計な判断で道を誤ってもらいたくないんです」
半分以上は嘘だ。
スザクの幸せはもちろん願っている。彼が幸せになるためなら自分はなんだってやろう。
でも、スザクの幸せと結婚を認めることは別である。彼の恋人は自分だ。ほかの人間と一緒になるところなんて見たくもない。
スザクが自分と別れたいと言うのなら身を引く覚悟はあるが、それは今ではないのだ。
膝の上で両手を強く握り、マリアンヌをじっと見つめる。母の目が細められた。
「だったら、あなたはスザク君に一生独身のまま傍にいろと言うつもり? なんて我儘な子なんでしょう。それじゃあ単なる束縛よ。子どもが気に入ったオモチャを手放したがらないのと一緒。そんな我儘はスザク君を不幸にするだけよ。スザク君の幸せを願うのなら、今すぐ騎士なんて辞めさせなさい」
最後の言葉にカッとなった。
以前、シュナイゼルにも似たようなことを言われたことがある。あのときはただ弟の甘さをたしなめるために解任という言葉を使われただけだが、ショックの度合いは同じだ。
人がどんな気持ちでスザクを騎士にしたのか、どれだけの勇気を振り絞って彼を騎士にと誘ったのか。誰も何も知らないくせに、簡単に解任なんて言わないでほしい。
「――嫌です」
「ならば、結婚を認めてあげるの?」
「それも嫌です」
「嫌ばかりじゃない。それじゃあ駄々をこねる子どもと変わらないわ」
「違う!」
勢いよく立ち上がり、ルルーシュは母の顔を見下ろした。
「スザクの幸せは俺と一緒にいることです! 俺の幸せもスザクと一緒にいることです! だから俺たちは不幸なんかじゃない! 名前も顔も知らないような貴族の娘に俺たちの幸せをぶち壊されてたまるか!」
こんな大声を出すのは久しぶりで、言い切ったルルーシュは息を整えた。
そして、自分がうっかりとんでもないことを口走ってしまったことに気付く。
「あ……、あの、母上、つまり今のは、騎士としてという意味であって、別に変な意味では……」
しどろもどろに弁解しているところが我ながらなんとも怪しい。単なる主従関係における心構えだと平静を装って説明すればいいのに、これでは疚しいと自ら言っているようなものである。
腕を組んで息子の顔を見ていたマリアンヌは、小さく溜め息をつくと「まあいいわ」と呟いた。
「一応、合格ということにしておきましょう」
「合格……?」
「そういうことだから、先方には断りの返事をしておくわね、スザク君」
「ありがとうございます」
これまで静観していたスザクが久しぶりに口を開く。礼を言う顔はなぜかにこにこしていた。
「ひと仕事したらなんだかお腹がすいちゃった。夕食にしましょう。ナナリーを呼んでくるから、あなたたちもすぐに来るのよ」
わけがわからないルルーシュとやけに良い笑顔のスザクを残し、ひらりと手を振ったマリアンヌは部屋を出て行った。立ったまま母を見送っていたルルーシュは、袖を引かれたのに気付いて再びソファに腰を下ろした。
「なんだったんだ……」
「ありがとうございます、殿下」
「別に礼を言われるようなことは何も……」
「でも、嫉妬してくださったじゃないですか。殿下に嫉妬していただけてとても嬉しいです」
「なっ…、ち、違う! 嫉妬なんかじゃない! 理不尽な話が許せなかっただけで、断じて嫉妬はしていない!」
「では、そういうことにしておきましょうか」
にこやかな顔のスザクにムッとする。こちらは今日一日、イライラしたり心配したりでちっとも仕事が捗らなかったというのに、スザクはどうして嬉しそうな顔をしているのだ。
「危うく結婚させられるところだったのに随分のんびりしているんだな」
「マリアンヌ様は僕の反応を面白がっていただけです。本気で結婚させるおつもりはなかったと思いますよ」
「どうだか。母上のことだからノリで決めてしまうかもしれないぞ。今日の見合い話だってほとんどノリだったじゃないか。まったく……」
疲れたと力なく呟けば、二人の間の距離を縮めたスザクが肩と頭に手を当てて引き寄せた。
されるがまま体を傾け、彼の肩口に懐く。髪を梳かれる感触が気持ちいい。
「とりあえず、見合いも結婚もなくなったから良しとしておくか」
「ええ、それがいいと思います」
あんなに良い朝だったのに、プラスマイナスゼロどころか危うくマイナスになるところだった。おかげで極度のスザク不足だ。
「あと五分したら行くから、それまでこうしていてくれ」
「はい。――お疲れ様、ルルーシュ」
それは何に対する労りなのだろうと思ったけれど、何もかもが面倒になったため黙って目を閉じる。
(スザクは俺だけのものだ)
いつかその手を離さなければいけない日が来るとしても、それまでは自分だけのものだ。ほかの誰にも渡さない。
自分の幸せはスザクなしではもう叶わなくなってしまったのだから。
(そういえば、母上はなんで突然スザクの見合いなんて言い出したんだろう)
***
「だって二人だけでこそこそしているのがつまらないんですもの、というのがお母様の言い分です」
「マリアンヌ様らしいわね。おかげでルルーシュは相当イライラしていたみたいだけど」
「でも、最後にはお母様に向かって啖呵を切られたそうですよ。なんでも、スザクさんの幸せはお兄様と一緒にいることで、お兄様の幸せはスザクさんといることだって」
「その場に私もいたかったわ。それにしても、ルルーシュの本心を聞くためだけにスザクのお見合いをセットするなんて、やることが大胆なのはさすがマリアンヌ様ね」
「お相手の方には申し訳ないことをしちゃいましたけど。私たちならいいですが、無関係な方を巻き込むのはやめてくださいとお母様にはお願いしておきました」
「でも、これでスザクには相手がいるって周りにアピールできたから虫よけ効果は抜群なんじゃない? 自分には心に決めた人がいるからどなたとも結婚するつもりはありませんって、知っている人が聞いたら惚気以外の何物でもないのに、ルルーシュ本人が知らないのは残念ね」
「教えたらお兄様が喜ぶだけだからしばらく教えないってお母様がおっしゃっていました」
「しばらくってことは、マリアンヌ様のことだからいつかまたルルーシュをからかうつもりかしら。そのときは私も見たいから呼んでちょうだいね、ナナリー」
「もちろんです、ユフィ姉様」
妹二人が顔を見合わせて楽しそうに笑ったことを兄はもちろん知る由もない。
(15.11.16)