スザクはハッと目を開いた。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなって、慌てて座り心地の良い椅子から身を起こす。そして、ここがブリタニア皇宮内、ナイトオブセブンに与えられた執務室であることを確かめてから体の力を抜いた。
「……どうかしている」
呟いた声は疲労の色が濃かった。遠征で赴いた先で四日ほど徹夜の状態が続き、ほんの二時間前にようやくブリタニア国内に戻ってきて、それから報告書を提出しようと執務室に籠もったのだ。疲れていて当然である。机を見れば、作成途中の報告書が放り出されていた。
ふう、と溜め息をつきながら椅子に背を預けた。
見上げた天井は高かった。
部屋の装飾も豪華。置かれた家具ひとつひとつも豪華。無造作に小物を収めているだけの机の引き出しに、細かな装飾を施すのは一体何の意味があるのかと思ってしまうほど、部屋のいたるところが豪華だった。
かつて住んでいた枢木の家も日本では有数の敷地を誇っており、伝統的な日本邸宅としては豪華だったかもしれないが、ここまで見た目が派手なことはなかった。奥ゆかしいもののほうが落ち着くのは、日本人に刷り込まれた性質だろうかとスザクはぼんやり考えた。
改めて、自分はここまで来たのだなと実感する。
部屋の内装にとどまらず、衣装も持ち物も、動かせる人も、すべてが一年前とは違う。まるで別世界のようだ。
たったひとりの人間を売り払うだけでこれだけのものが手に入った。感謝しなければなと皮肉げな笑みを浮かべようとして、スザクは顔を顰めた。
報告書を作っている途中でうっかり居眠りをしてしまった。約四日半も徹夜が続けばさすがに体力的にきつい。我ながら不覚だと思うけれど、幸い部屋に人は入ってきていないようだから問題ないだろう。
しかし、張り詰めていた気が緩んだせいであんな夢を見てしまったのだとしたら、やはり自分はどうかしている。
「どうして、今ごろ……」
肘掛けに腕を置き、片手で顔を覆う。
懐かしい夢を見た。内容ははっきり覚えていない。でも、ルルーシュが出てきたことだけは確かだった。
まだ幼かったルルーシュ。七年ぶりに再会したルルーシュ。夢の中のルルーシュは綺麗な笑みを浮かべていて、スザクにとっては心穏やかに思える存在のはずだったのに、今は苦々しいものしか心に生まれない。
スザクは机の端に詰まれた書類の束を取った。ルルーシュの監視報告書だった。あのいけ好かない機情の幹部は“飼育日記”なんて言っていたが、言い得て妙ではある。
監視報告書は毎週届く。人ひとりの観察ではあるが、逐一記録されているため量は膨大だ。ぱらりと捲れば、先週のルルーシュの行動がすぐさま目に入った。書かれている内容はたいしたことない。
授業をサボって屋上で本を読んでいた。
授業中に居眠りをしていた。
出席日数がぎりぎりの体育に仕方なく出たらマラソンをやらされ、バテて次の授業まで動けなくなっていた。
どれもこれも、一年ほど前にスザクがよく見た光景だ。
(相変わらず授業をサボっているのか。記憶を書き換えられてもガサツなところは変わらないんだな。日ごろからちゃんと体育に出ていればマラソンのときを狙って休めるのに、そうは考えないんだろうか。いつも完璧なくせに、こういうところはどこか抜けているんだよな)
懐かしささえ感じて思わず口許が緩んだことに、しかしスザク自身は気付いていない。
ふと、次のページを捲って手を止めた。
「弟役のロロとは仲の良い兄弟として問題なく過ごしている、か……」
いい気味だと思う。
あんなに大事にしていたナナリーのことを忘れ、偽りの弟をナナリーのように可愛がっている。これはルルーシュに対する何よりの復讐だ。そして、巨大な鳥籠の中で監視されながら餌として生きる。プライドの高いルルーシュが知ったら、激高すること間違いないだろう。
「これが君に与えられた死よりも重い罰なんだ」
意識的に浮かべたのはひどく酷薄な笑み。
次々にページを捲り、ルルーシュが記憶を取り戻していないことを確かめる。
(……でも、ナナリーは泣いていた)
皇帝やほかの兄姉たちの前では決して泣き言を言わないナナリーが、スザクの前でだけは涙を浮かべてみせた。
『お兄様は生きていらっしゃるのでしょうか。もし、もう二度とお兄様と会えなかったら、私は……』
閉ざされた瞳からはらはらと落ちた涙は、頬を伝って彼女の手に落ちた。その涙を拭ってやりながら、本当は自分にこんなことをする資格なんてないとスザクは思っていた。
彼女から最愛の兄であるルルーシュを奪ったのはスザクだ。それなのに、「ルルーシュはきっと見つかるよ」と慰める。これほど残酷な仕打ちがあるだろうか。
(違う…!すべてはルルーシュが原因なんだ!ルルーシュさえゼロになんかならなければ、ユフィもナナリーも、俺も――!)
スザクは報告書を握り締めた。紙がぎりぎりと嫌な音を立てる。
ルルーシュ。
ルルーシュ。
ルルーシュ。
普段は意図的に思い出さないようにしていた。思い出せば、目の前が真っ赤になりそうなほどの怒りに駆られるからだ。
しかし、その努力は大抵失敗する。ルルーシュの監視に関する総責任者を任されているのだから、こうして監視の報告書を読まなければいけないし、映像のチェックもしなければならない。そして、ルルーシュの姿を確認するたびに、怒りだけではない感情に振り回される。
(君は、どこまでも僕を追い詰めるんだ……)
邪念を振り払うかのように、機械的に報告書へと目を通す。
ゼロであったこと、ナナリーのこと、ブリタニアの皇子であったこと、どれも思い出した様子はない。だけど、スザクには常に焦燥感が付き纏っていた。
今日は思い出していないけれど、明日は?明後日は?
そんなことを考えても意味がないとわかっているのに、不安ばかりが募る。
最後のページを読むと、そこにはロロと一緒に夕飯を作ったことが記されていた。ご丁寧に献立まで報告されている。その内容を見て、スザクは目を見張った。
「これは……」
慌てて送られてきた監視映像を開く。目的のものを探し出し再生すれば、ルルーシュとロロの声が聞こえた。夕食を食べながら談笑する二人。食卓に並べられていたのはブリタニアの料理ではなかった。
「……こんなことは、覚えているんだな」
スザクは小さく呟いた。
二人が一緒に作り食べていたのは日本食だった。ロロは馴染みがないのだろう、ひとつひとつ確かめながら食べている。
『一年前もスザクと一緒に三人で食べたよな。あのときはお前も手伝ってくれて』
『う、うん、そうだね』
『あいつは今ブリタニアにいるから、日本食なんて食べられないだろうな』
『ラウンズなら頼めば作ってもらえるんじゃない?』
『でも、日本で食べる日本食が一番美味しいと思うんだ。あいつが帰ってきたら、また食べさせてやりたいな』
そう言ったルルーシュは朗らかに笑っていた。
とても楽しそうに。その日を心待ちにしているように。
スザクは腕を伸ばした。笑った顔に画面越しに触れようとして、しかしあと数ミリというところで我に返り、反射的に手を引っ込めた。
「僕は、一体……」
呆然と自分の手を見つめる。
自分が何をしようとしたのか、考えたくもなかった。
そのとき、シュンと音を立ててドアが開いた。ラウンズの部屋に断りもなく入ってくるという無礼を平気で働く人間は限られている。
顔を上げれば、そこには予想したとおりジノがいた。
「勝手に入ってこないでくれといつも言っているよね?」
「俺とスザクの仲だろう?気にするな」
「気にするよ」
「そんなことより、皇帝陛下からのお呼び出しだ」
「……わかった。すぐ行く」
映像を消し、報告書を元のように机の端に積む。そうして、そんなものを見ていたことなど忘れたかのように、マントを羽織ると無表情のまま部屋を出た。
夢は幻。まるで遠いまほろばのよう。
「ん?何か言ったか?」
隣を歩いていたジノがこちらを向く。
「いいや、何も」
「ブリタニア語じゃなさそうだな。イレブンの言葉か?」
スザクは笑いながら首を振った。
「まさか。ブリタニア皇宮内で植民地エリアの言葉なんて、たとえ意味が通じなくても使えるわけがないだろう?」
「それもそうだな」
特に気にしたようでもなく、あっけらかんとした表情でジノが先に歩く。その後ろについて行きながら、スザクは心の奥で呟いた。
夢なんて見るものじゃない。
(09.09.28)