肩の辺りを誰かに揺さぶられている。
せっかく気持ち良く寝ているのに起こすなんて、と思う気持ちが半分。
揺すってくる手の感触が気持ち良いからもう少し触れていて欲しい、と思う気持ちが半分。
目を覚ますのが億劫で、このまま寝た振りを続けていようと決めた瞬間、しかし強い衝撃が頭を襲った。
「痛っ…!!!」
スザクはがばりと音を立てて身を起こした。
「なんだ、軍人のくせに痛いのか」
頭を押さえて上を見上げれば、声の主がひどく意地悪な笑みを浮かべて立っていた。
「訓練はしてるけど、頭を固くする訓練まではしてないよ。だいたいそれ…!そんな分厚い教科書の角っこで殴られたら誰だって痛いよ!」
「お前なら平気かと思ったんだがな」
しれっとした顔で言ったルルーシュは、手に持っていた教科書を机の上に戻した。
「それに何度呼んでも起きないお前が悪い」
辺りをぐるりと見渡せば、教室に残っているのは自分とルルーシュの二人きりで、これは一体どうしたことかとスザクは驚く。そして、自分はなぜ教室なんかで熟睡していたのだろうと疑問に思った。居眠りはルルーシュの得意分野だが、今のところスザクは一度もしたことはない。ただ、待つのが退屈でつい目を閉じてしまって――。
「ルルーシュのせいだ」
「はあ?」
いきなり責任を押し付けられ、ルルーシュが柳眉を寄せた。
「すぐ戻るって言ってたのになかなか戻ってこないから」
「仕方ないだろ、先生に引き止められたんだから。俺だって好きで長居していたわけではない」
それは間違いなく真実なのだろう。でも、自分のことを蔑ろにされたような気がしてスザクは少しだけ面白くなかった。
こんなことでへそを曲げるなんて子どもかと思ったけれど、貴重な二人きりの時間を邪魔されたのだ。面白くない気分にもなってしまう。
「それにしても、随分と気持ち良さそうに眠っていたな」
「え、本当に?」
「ああ。このまま置いて帰ろうかと思ったくらいだ」
「できれば置いて帰らないでほしいけど……。ああ、もしかしたら夢見が良かったのかも」
「夢?」
ルルーシュは側にあった椅子を引いて腰掛けた。
「内容は覚えていないんだけど、すごく懐かしい夢だったと思う」
「ふうん。俺は雑用を押し付けられていたというのに、いいご身分だな」
「そこで突っ掛かってこないでよ」
スザクは苦笑いを浮かべた。教科書の角を使って起こしてきたり、スザクが寝ていたことに文句を言ったり。ルルーシュにしては珍しく不機嫌を表に出している。先生に呼ばれて教室を出るまでは普段通りだったはずだから、呼び出されて戻ってくるまでの間に何かあったのだろうか。
自分はただ寝ていただけで何もしていないはずだと思ったことが顔に出たのか、ルルーシュがムッとしてスザクを見る。
「疲れが溜まっているんじゃないのか?お前は居眠りなんてしないだろ」
「そのつもりだったんだけど、なぜか今日は寝ちゃったなぁ」
「軍と学生の両立なんてしているからだ」
そこでルルーシュはふいと顔を背けた。眉は相変わらずひそめられたままだった。
スザクはおや?と疑問を浮かべた。
(不機嫌の理由って、もしかしたら――)
おもむろに立ち上がったルルーシュは、自分の鞄を取ると「帰る」と一言だけ告げた。そして、スザクには目もくれずに教室を出て行こうとする。スザクは慌てて追い掛けその手首を掴んだ。
「離せっ」
「僕、何かした?」
「何もしていない」
「だって不機嫌じゃないか」
「だから?」
「君が不機嫌ということは、僕に原因があるんだろう?」
「たいした自信だな」
ルルーシュが鼻で笑うが、スザクは表情を変えなかった。
「わかるよ。ルルーシュのことだもの」
その言葉にルルーシュは笑みを消し、真っ直ぐにスザクを見つめてきた。スザクも負けじと見つめ返す。スザクが怯まないとわかったのか、ルルーシュは小さな溜め息をひとつ吐くと顔をわずかに俯けた。
「……お前、軍は」
「今日はないよ。多分」
「多分?」
曖昧な答えにルルーシュが顔を上げた。不審そうな表情をしている。当然だろう。軍の仕事があるかないかという質問に「多分」なんて答えは有り得ないのだから。
ただ、スザク自身のことより軍のほうを気に掛けたルルーシュが嫌だと思い、意地悪な答え方をした。
いつも軍を優先させるスザクだから、ルルーシュとしては当たり前のように尋ねたのだろう。それを嫌がるなんて本当に子どものようだけど、独占欲にも似た気持ちをなぜか抑えることができない。
「あってもなくても関係ないってこと」
「どういう意味だ?」
「ルルーシュと一緒にいたいって意味だよ」
ルルーシュの顔が険しくなる。せっかくの綺麗な顔がもったいないなとスザクは思った。怒った顔も綺麗だけど、ルルーシュには笑っていて欲しい。
「くだらない嘘をつくな」
「嘘じゃないよ。僕はいつもルルーシュと一緒にいたいと思っている」
「だったら……」
そのあとに言葉は続かなかった。ルルーシュは唇を噛んで再び顔を俯かせた。
スザクは掴んでいた手首を離すと、そっと頬に手を伸ばした。触れた瞬間、ぴくりとルルーシュの身体が震えた。
「本当だよ。君と一緒にいたい。でも僕にとっては軍の仕事も大事なんだ」
「…………」
応えはない。
やはり、とスザクは確信を抱く。不機嫌の原因は見当をつけた通りのようだ。
軍に所属していることをルルーシュは反対している。表立って辞めろとは言わないけれど、内心苦々しく思っていることも知っている。だけど、これだけはスザクも譲れなかった。
(君の、君たちのためなんだ)
正しい方法で結果を手に入れなければなんの意味もない。
幼い自分は、父親さえ止めれば戦争はなくなると思っていた。戦争がなくなれば、ルルーシュとナナリーとずっと一緒にいられると思っていた。だから父親を殺した。しかし、間違った自分の行動は、間違った結果をもたらした。自分のせいで日本は戦争に負け、敗戦したからルルーシュとナナリーと別れなければならなくなった。
なぜスザクが軍に、それもブリタニアの軍人であることにこだわっているのか、本当の理由をルルーシュは知らない。知らないままでいいと思う。
(すべては僕のせいなんだ。だから今度は間違わない。そのためにも、僕の理想にことごとく反した行動を取るゼロを認めるわけにはいかない。ブリタニアを変えるのはゼロではなく、自分だ)
スザクはルルーシュの頬をゆっくり撫でた。
七年前に失い、再会したシンジュクの地でもう一度失ったと思ったぬくもり。ルルーシュのために世界を変えようと思ったのに、ルルーシュがいないのならばこんな世界はいらないとさえ思った。
でも、不思議な巡り合わせで再びこうしてまみえることができた。
「僕は二度と君を、……君とナナリーを失いたくないだけなんだ」
縋るように抱きしめれば、ルルーシュがわずかに身体を硬直させる。逃げられたくなくてスザクは力を込めた。
「ごめん、ルルーシュ。軍は辞められない。だけど、君と一緒にいたいという想いも本当なんだ」
ルルーシュには言い訳にしか聞こえないかもしれない。わかってくれとは言わない。それでもスザクは自分の気持ちに嘘をつくことができなかった。
「……馬鹿だな」
耳元で諦めたような溜め息が聞こえた。
「馬鹿正直に言わなくても、“軍のことは考えておく”ぐらいのことを適当に言っておけばいいのに」
「ルルーシュに嘘はつけないよ」
「だから馬鹿なんだ」
ルルーシュの手がスザクの背中に回され、ぐずる子どもにするようにぽんぽんと軽く叩いた。
「ルルーシュ。お願いだから、どこにも行かないで。僕の側にずっといて」
「当たり前だろ。俺はどこにも行かないよ」
「本当に?」
「本当だ」
スザクはルルーシュの首筋に顔を埋めた。
(だけど、本当は僕に隠れて何かをやっているんじゃないの?)
口をついて出そうになった問いは押し殺した。
ルルーシュが頻繁に外出している。
夜遅くに帰ってくることもたびたびある。
授業中は今まで以上に眠そうにしている。
時折姿が見えなくなることがあったり、どこかに内緒の電話をしていることがある。
ナナリーや咲世子、生徒会メンバーの会話の端々から、ルルーシュが何かをしているのではないかという疑いは、最近では確信に変わっている。しかし、何をしているか把握している人間はスザクを含めてひとりもいない。
何をしているの?
その一言が訊ければどれほど楽か。
(ルルーシュを繋ぎとめる何か……。なんでもいいから何かを見つけなければ、ルルーシュが離れていってしまう)
ルルーシュもナナリーも隠れることなく生きられる世界になったら、ルルーシュはずっと側にいてくれるだろうか。どこにも行かないでいてくれるだろうか。
(僕が、僕が世界を今よりもっといいものに変えるから。だから――)
制服に押し当てた鼻先からルルーシュの匂いがする。深く息を吸い込めば、肺どころか体中が満たされるようだった。
「スザク、そろそろ帰るぞ」
「うん」
「わかったら離せ」
「うん」
返事はするけれど抱きしめる腕の力は緩めようとしないスザクに、ルルーシュが苦笑いを漏らしたのがわかった。
「今日はなんだか変だぞ、お前」
「うん」
「まったく……」
呆れた声音だったけれど、ルルーシュはスザクの体を無理やり引き剥がすことなくそのままでいさせてくれた。何もかも許されているようでとても嬉しい。スザクは顔を綻ばせた。
「ずっと側にいてね、ルルーシュ」
「ああ。ずっと側にいる」
だから、お前は安心して眠っていろ。
耳には聞こえなかったはずなのに、不思議とそんなルルーシュの声がしたようだった。
(09.09.27)