「今日はユーフェミア様にお願いしてお茶の席を用意していただいたんです。甘いものはお嫌いでしたか?」
ふるふると首を振った彼女に破顔する。ではお茶を、とティーポットに手を伸ばせば遮られた。自分がやるとジェスチャーされ、スザクは椅子に座り直した。せっかく淹れてくれると言うのだからここは甘えてしまおう。
ユフィの暮らす離宮に通うのもすでに三日目。正確には、ユフィのもとに滞在している彼女のところに通っているわけだが。
(殿下は今日も咲世子さんとお出掛けになったけど、どこに行っているんだろう)
スザクがここへ通うようになったのと同じタイミングで、ルルーシュは毎日どこかへ出掛けるようになった。しかも伴うのは毎回咲世子だ。
お前はユフィのところへ行ってこいと言われているので問題はないものの、三日もルルーシュと離れ離れになるのは初めてだから不安になる。もちろん朝と夜には顔を合わせているのだが、ここ数日はあまり会話をしていない。
(と言うより、殿下に避けられているような気が……)
朝は自分より先に出るし、夜は自分より遅く帰ってくる。行き先を尋ねてもはぐらかされ、疲れたからもう寝るとさっさと部屋に引き篭もってしまうためゆっくり話もできない。
思い返せば、先日からルルーシュの様子はおかしかった。自分に言えないような深刻な事態が起こっていなければいいのだけれど、と考えていたらふいに影が差した。手元にソーサーとティーカップが置かれる。顔を上げれば彼女が心配そうな顔をして立っていた。
「すみません、ちょっと考え事をしていて。いただきます」
にこりと笑った彼女に笑みを返し、カップに口をつけると仄かな香りが広がった。
(あれ……?)
この感覚には覚えがある。舌に残った味はいつもルルーシュが淹れてくれるものと同じだった。親戚は紅茶の淹れ方まで似てくるものなのだろうか。
用意されたケーキやクッキーに手を伸ばしながら、スザクは改めて目の前の女性を観察した。
初めて会った日から違和感、と言うより既視感はあった。でもそれは気のせいだと思った。ルルーシュを想うあまり、彼によく似た女性が現れて無意識に重ねてしまったのだと一度は結論付けた。
でも、これほど似ている女性が果たしているだろうか。目鼻立ちはもちろん、所作のひとつひとつにもルルーシュを感じてしまうのは自分の脳が勝手に勘違いしているだけなのだろうか。
(だからって、まさか殿下本人ですかと訊くわけにもいかないし……)
仮に本人だったとして、はいそうですと答えるわけがない。そもそも、なぜ女装姿で自分と会っているのかわからない。
最初に自分を呼び出したのはユフィだ。となると彼女が大いに関わっていそうだが、いくらルルーシュが妹たちに甘いからと言って唯々諾々と女装に応じるものか。
(わからない。全然わからない)
ふいに彼女と目が合う。自然と頬を緩めれば彼女も微笑んだ。その顔がたまらなく可愛い。
(殿下はいつも厳しい表情だからな。でも身内の方には柔らかい顔をされるし、僕にだって笑ってくれるし)
いけないいけない、と思考を切り替える。目の前の女性がルルーシュ本人だなんて考えるのは荒唐無稽もいいところだ。その上、お茶をしている最中に好きな人を思い出して比べるとは失礼も甚だしかった。
約束の時間は二時間。半ば強制的に任せられた役目だが、彼女と過ごすのは楽しいし決められた時間の間はきちんと務めを果たさなければいけない。
お茶を堪能しながらいつものようにスザクが話し、彼女が相槌を打つ。女性が楽しめる話題をと思うものの、気付けばいつも敬愛する主の話になってしまうのは仕方がない。しかし彼女は退屈そうな表情は見せず、むしろ興味深そうに目を輝かせてくれるのでありがたかった。
そうしているうちにユフィが顔を出した。ちょっといいですかと呼び出され、彼女の相手をナナリーに任せてその場を離れる。お茶の席から少し離れた場所で立ち止まったユフィは、振り返るとどこか真剣な様子で口を開いた。
「実はあの子とは今日でお別れなの」
「お別れ?」
「休暇が終わったからお家に戻るのよ。スザクには無理なお願いをしてしまってごめんなさい。感謝しているわ」
「いえ、自分はたいしたことは……」
唐突に別れを告げられ、どうすればいいのかわからなくなる。もともと遊びに来ているだけと聞いていたし、自分の家に帰るのは当たり前だ。なのに、もう会えないとわかってガッカリする自分がいた。
「あの子、スザクのことが好きみたい」
「え?」
「スザクもあの子のことは嫌いではないでしょう?可愛くて美人だし、それに、ルルーシュによく似ていると思わない?」
ユフィの科白に心臓がどくりと音を立てる。気持ちを見透かされたのではと背中に冷や汗が流れた。
「ルルーシュは男の子だからもちろんスザクと結婚はできないけど、でもあの子は女の子だからなんの障害もないわ。家柄も悪くないし、相手が元ラウンズならあちらのご両親も喜んでお嫁に出してくれると思うの」
「待ってくださいユーフェミア様、自分はそのようなつもりは、」
「もしも彼女がスザクのことを好きだと言ったら、スザクは受け入れてくれますか?」
ユーフェミアの瞳に真っ直ぐ射抜かれる。何かを試すような視線は、彼女がただの少女ではなく皇族という特別な立場にあることを感じさせた。
「――それはご命令ですか」
「いいえ、スザクの意志を確認しているだけです。イエスと答えてもノーと答えても構わないわ。だから正直な気持ちを教えてちょうだい。スザクは彼女を受け入れてくれる?」
たとえばこれがシュナイゼルだったら、この質問の裏に様々な思惑があるのではないかと疑っただろう。しかしユフィは真っ直ぐで正直だ。答えはイエスかノーか、それを真剣に問うているのだ。
両手をぐっと握り締め、スザクは彼女の目を見つめ返した。
「申し訳ありませんが、その気持ちを受け入れることはできません」
「なぜ、と理由を聞いてもいいかしら」
「自分には好きな方がいるからです」
「その方とはお付き合いしているの?」
「いえ、自分の片想いです」
「それでも彼女はダメなの?」
「自分にはその方だけですから」
ルルーシュだけなのだ。
たとえ想いを伝えられなくても、苦しいだけの恋だとしても、たとえ叶ったところで世間的に受け入れてもらうことはできなくても、自分にはルルーシュだけしかいないのだ。
真剣な表情でスザクを見ていたユフィは、どこか嬉しそうに笑うと「合格よ」と告げた。
「あまりにもスザクが鈍いしちっとも動かないからとうとう諦めちゃったのかしらと心配していたけど、どうやら私とナナリーの杞憂だったみたいね」
「あの、杞憂とはどういう……」
「教えてあげません。でも良かったわ、あなたが安易に相手を選ぶ人じゃなくて」
「えっと、ありがとうございます……?」
よくわからないがどうやら褒められているらしい。しかし女性を振ったのになぜ合格なのか。疑問は尽きないけれど、ユフィはにこにこ笑うばかりで答えはくれなかった。
「さ、戻りましょう。最後の時間は彼女と二人きりで過ごしてあげて」
「はい」
女性から好意を抱いてもらうのは素直に嬉しい。あんな少女に想いを告げられたら大抵の男は迷うことなく付き合うだろう。
でも、自分は駄目なのだと改めて自覚した。どんなにルルーシュに似ていても、ルルーシュでなければ駄目なのだ。彼の綺麗な顔はもちろん好きだけど、見た目だけではなく性格や物事の考え方、すべてをひっくるめて好きなのだ
(早く殿下に会いたいな)
最後のお勤めの前になんて失礼なことを考えているのだろうと自分に呆れるが、これが正直な気持ちだと開き直る。
彼に似た人が欲しいわけではない。
ルルーシュただひとりが欲しかった。
ユフィとスザクが戻ってくるのを見つけるとルルーシュは飲みかけの紅茶をソーサーに戻した。一体なんの話をしてきたのか、スザクが妙に神妙な顔をしている。
「スザクさんとのお話はもう終わったのですか?」
「ええ。では、私たちはお部屋に戻りますから、あとは二人でゆっくり過ごしてください。頼みましたよ、スザク」
「イエス、ユアハイネス」
二人を見送るとスザクがこちらを振り返る。もともと二人きりだったから今さら緊張することもないのだが、席を立つ前とはどこか雰囲気の変わった彼に自然と背筋が伸びた。
「このままここでお茶をするのもいいですが、せっかくですから初日に行った庭まで少し歩いてみませんか?」
慣れない女装といつばれるかわからない恐怖にびくびくしながら庭を歩いたことを思い出す。あれはまだ三日前のことなのだ。
今ならもう少し余裕を持って花を見て回れるし、あのベンチでスザクとのんびり過ごすのも悪くないと頷けば笑みが返ってきた。
差し伸べられた手に手のひらを乗せるのにも慣れた。ヒールだとスザクより身長が高くなってしまうからという女性陣の会議の結果、あまり高さのない靴を履いているから歩くのもさほど苦ではない。足元をひらひらと覆うドレスの裾はどうにも落ち着かないけれど、ゆっくり歩けばお嬢様っぽく見えるからこれはこれでいい効果を発揮していると言えるだろう。
(結局、プレゼントは決められないままだったな)
妹たちは女装がプレゼントになると本気で思っているのか、ちっとも取り合ってくれない。仕方なく自分で探そうとしたのだが、ここ数日、朝から午後は着替えやスザクと過ごすために潰れたし、それが終わったら皇宮で書類整理をやって夜遅くに帰るという生活を続けていたため時間がなかった。何より、アリエスでスザクに会うのは気恥ずかしくてたまらず、なるべく顔を合わせないよう避けてしまっていたのでどこか気持ちが落ち着かなかった。
贈り物と呼ぶにはあまりに普通すぎるけれど、後日スザクが欲しがっているものを聞いて埋め合わせしようと考えていたら、先を歩く背中が止まった。
目の前には三日前に腰掛けたベンチがあった。エスコートされて座るのもあの日と同じだ。
「今日でお別れになるとユーフェミア様から伺いました」
切り出された内容にルルーシュは「ん?」と思った。そんなことは聞いていないぞと、ここにいない妹に訴える。
強制的に始まったことだし、ようやく女装から解放されるのは喜ばしいはずなのに、スザクとこんな風に過ごすこともなくなるのかと考えたら急に寂しくなった。
別に女装に目覚めたわけでも、女性として扱ってほしいわけでもない。ただ、普段の『ルルーシュ』は何かと考え事が多くて難しい顔ばかりしているから、周りの目を気にせずにいられるのは気が楽だった。
「あなたと過ごす時間はとても楽しかったです。これでお別れになるのは本当に寂しいです。もし機会がありましたら今度はぜひアリエスに、ルルーシュ殿下とナナリー皇女殿下を訪ねにいらしてください」
それはないと心の中で即座に否定する。アリエスで女装なんてしたら母や咲世子まで混ざって大いに悪乗りされるに決まっている。たとえスザクの頼みだろうとそれだけは断固阻止だ。
「それから……、最後にあなたに謝らなければいけないことがあります」
なんだ?と尋ねる代わりに首を傾げた。すると、スザクが足元で膝をついた。
「実は、あなたの顔立ちや雰囲気がルルーシュ殿下に似ていると感じ、お二人を重ねてしまうことが何度かありました」
想定外の告白にルルーシュは固まった。ユフィもナナリーも大丈夫だと言っていたとおり、目の前の人物と自分の主をイコールでは結んでいないようだ。しかし勘の鋭いスザクだから、似すぎていることに疑問は持ったかもしれない。
「あなたとルルーシュ殿下はまったく別の人間なのに、ただ顔が似ているというだけで殿下を思い出すのはあなたに対して大変失礼なことでした。何より、殿下は男性なのに女性と重ねて見てしまったことも本当に申し訳なく思っています」
何やら雲行きが怪しくなってきたのは気のせいだろうか。そもそも、こんな告白を最終日にしなくてもいいではないか。黙っておけば咎められることもないのに、なぜ自ら打ち明けるのだ。
「ユーフェミア様からのご命令はあなたの話し相手になることだったのに余計なことばかり考えてしまい、これでは騎士としても軍人としても失格です。ルルーシュ殿下にも申し訳が立たない」
この程度のことで騎士をなじるほど俺は狭量な人間ではないぞ、との反論は声にできなかった。スザクの次の言葉を固唾を呑んで待つ。
「ラウンズとして腕を磨いてきましたが、精神的な面ではまだまだ鍛錬が足りません。主とほかの女性を重ねてしまうなど不敬と言われても仕方のないことです。このことをルルーシュ殿下に正直にお話しし、許していただけないのなら自分を解任するよう進言して、」
「馬鹿かお前は! どうしてこんなことでお前を解任しなければいけないのだ!」
ベンチから立ち上がったルルーシュは我慢できずに叫んだ。そして、スザクがぽかんと顔を見上げているのに気付いた。
「あ……」
自らの失態を悟った瞬間、顔から一気に血の気が引いた。唇が戦慄く。
あんなにばれたくないと思っていたのに、最後の最後に墓穴を掘るなんて馬鹿だ。この状況について何か言い訳をしなければと思ったけれど、女装に言い訳などあるかと一蹴する。
とにかくスザクに顔を見られたくない。となれば逃げるしかないとルルーシュは足を踏み出した。が、慣れないドレスの裾を見事に踏んでしまい、逃げるより先に地面へと倒れそうになった。
「殿下!」
自分を呼ぶ声とわずかな衝撃。咄嗟に瞑った目を恐る恐る開ければ、すぐ傍にスザクの顔があった。
「お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……」
倒れたところをスザクに抱き留められたらしい。彼の腕が腰と背中に回っていて、強く抱き締められているのがどこか心地良かった。
しかしすぐに自分の恰好を思い出し、ルルーシュは再び逃げ出そうともがいた。
「は…、離せ!」
「どうしてですか?」
「こんなみっともない姿をいつまでも見られたくないからだ!」
こっちを見るなと喚いてもスザクの腕は緩まなかった。それどころか至近距離でまじまじと顔を見られて居た堪れない。恥ずかしさと情けなさに涙まで浮かんできそうだ。
「笑いたければ笑えばいいだろう……」
「笑うだなんてとんでもない。よくお似合いですよ」
「褒められてもちっとも嬉しくない……」
拗ねたように言えばスザクがくすっと笑った。
「本当に殿下だったんですね。あまりに似ているから本人じゃないかと思っていましたが、まさか本物だなんて」
スザクの口調に侮蔑や呆れの色はなく、ルルーシュは安堵してようやく肩から力を抜いた。
「――気付いていたのか」
「いえ、似ていると思っただけです。でも良かった」
「何がだ?」
「先ほど申し上げたとおり、自分はルルーシュ殿下と目の前の女性を重ねて見ていました。それはとても失礼なことだからあとで殿下にお詫びしなければと考えていたのですが、自分は初めからひとりの人しか見ていなかったのだとわかってほっとしました」
「大袈裟だな。その程度で私が怒ると思ったのか」
「いいえ。ただ、ちゃんとけじめをつけたかったのです」
よくわからないけれど、妙に生真面目なところはスザクらしい。
「では、私もひとつ懺悔しておこうか」
普段より近い翡翠の瞳を見つめる。自分を抱き締めたままなことに彼は気付いているだろうか。もう大丈夫なのに支えておかなければまた転ぶと思っているのかもしれない。それならそれでいいと、少しの間だけスザクのぬくもりを堪能することにした。
「誕生日おめでとう」
「え?」
「プレゼントは用意できなかったんだ、すまない」
「そういえば今日は僕の……」
どうやら肝心の本人が誕生日を忘れていたらしい。なんだ、だったら焦る必要はなかったのかと可笑しくなる。
「忙しくて、というのは言い訳にしかならないが、ちゃんとした贈り物を用意できなかった。私のときはお前がプレゼントを準備してくれたのに」
「殿下がお忙しいのはほかの誰よりも自分がよく知っています。誕生日を覚えていてくださっただけでも充分です。――それに、プレゼントはもらったようなものだし」
「私は何も渡していないぞ?」
小首を傾げればなぜか苦笑いが返ってきた。
「ちなみに、この恰好の原因はもしかしてナナリー様とユーフェミア様ですか?」
「そうだ。女装したらスザクが喜ぶとかわけのわからないことを言って」
憮然として言うけれど、スザクは苦笑いのままだった。こんなもののどこが嬉しいのだと訊いてもはぐらかされてしまった。
「まあいい。どうせばれてしまったのだからゲームオーバーだ。ユフィたちのところに戻るぞ」
抱き締める腕を名残惜しく感じながら離れようとしたら左の手を引かれた。どうしたのかと目線で尋ねる。
「約束の時間はあと一時間あります。もう少しだけここにいませんか?僕へのプレゼントだと思って」
「こんなことでプレゼントになるのか?」
「ええ。殿下と一緒に過ごすことが自分にとっては何よりのプレゼントです」
安上がりだなと笑えば、叶えていただけますかと握る手に力がこもった。もちろんだと告げてベンチに戻り、美しい花々を二人でのんびり眺める。雲の隙間から柔らかな陽が降り注ぎ、風が頬を撫でていった。
「のどかだな」
「はい」
「たまにはこんな時間もいいな」
「昼寝にはちょうどいいですね」
「だったら少し寝るか?」
悪戯っぽく隣を見る。
「さすがにそういうわけには」
「ここはユフィたちの暮らす離宮だ。ユフィの母親は大貴族の娘で後ろ盾もしっかりしている。そんな皇妃がいる離宮で私を暗殺するほど相手も馬鹿ではない」
だから安心して昼寝ができると言えばスザクが眉をひそめた。滅多なことを言うなと思っているのだろう。
どこまでも真面目な騎士に笑い、不意打ちでその腕を強く引いた。単純な力比べなら負けるが、構えていない場面ではさすがのスザクも咄嗟に対処できなかったようだ。バランスを崩した彼の頭がルルーシュの膝の上に乗った。
呆気に取られた顔に、してやったりと口角を上げる。
「こういうのを膝枕と言うのだろう?男の膝では嬉しくもなんともないだろうが」
「で、殿下!」
「動くな。命令だ」
命令の一言にスザクが起き上がろうとするのをやめた。くだらない命令でもちゃんと聞くところが律儀な男である。
「二十分経ったら起こしてやるから」
「しかし……」
「たまには騎士を労わらせてくれ」
微笑めば、困った表情をしていたスザクも笑みを見せて「それでは二十分後に起こしてください」と瞼を下ろす。初めのうちはただ目を瞑るだけで居心地悪そうにしていたが、眠気を誘う陽気は効果てきめんで、やがて穏やかな寝息が聞こえてきた。
スザクはいつも自分より早く起きて自分より遅く寝るため、こうして眠る姿を見るのは初めてのことかもしれない。そう思うと、見下ろす寝顔がとても貴重なもののように感じられた。
結局、女装はばれてしまったし贈り物も何も渡せなかったけれど、一緒に過ごすことが何よりのプレゼントだと言ってもらえて嬉しかった。主に対する気遣いからのお世辞だとしても、その言葉を素直に受け取りたい。
「これでは俺のほうがプレゼントをもらったようなものだな」
小さく笑んで栗色の髪に触れる。だけど手袋越しだとふわふわとした感触を確かめられない。少しだけ逡巡して手袋を外したルルーシュは、ひとしきり髪を撫でたあと指の背をスザクの頬へと伸ばした。
とくり、とくりと自分の心臓が鳴っているのを感じる。
「スザク……」
肩から落ちた長い髪が視界を覆った。世界に自分とスザクの二人だけが閉じ込められる。
今だけはこの恰好で良かったと思い、そっと顔を傾けた。
(一度だけ)
一度だけでいい。それを思い出に生きていくから、ただ一度を許してほしい。誰に祈るわけでもなく胸のうちで呟いた。
キスと呼ぶにはあまりにもささやかで、でも確かに触れた唇。吐息と吐息を感じ合える距離で、好きだ、と唇の形だけで伝えた。
誰も見ていない。スザクも知らない。この秘密は自分だけのものだ。
触れたばかりの彼の唇を中指でしずかに辿り、それを自分の下唇に押し当てるとルルーシュは目を閉じた。
あと二十分だけこの幸福に浸っていよう。彼が目を覚ましたら夢は終わるから、それまではこの想いに満たされていたい。
叶わなくていい。叶えるつもりもない。自分の傍にスザクがいてくれるだけで充分だ。
瞼を開けば気持ち良さそうな寝顔があって自然と笑みが零れた。アリエスに戻ったら彼のために大きなケーキを焼こう。たくさんのご馳走を作って、彼をたくさん喜ばせてあげたい。
「お前と出会えて良かった。ありがとう、スザク」
スザクの手に触れれば、まるで応えるように握られた。起きる気配はまだない。騎士がこんなに安心しきって寝ていいのかと小言を言いながらその手を握り返す。
大好きな人が生まれてきた日は、ただそれだけで世界がきらきらと輝いているように見えた。
今日が、そして明日からの毎日が、あなたにとって幸いでありますように。
気付けばスザクと一緒になって眠ってしまい、戻って来ない二人を探しに来たユフィとナナリーに膝枕を目撃されるのはそれから四十分後のことである。
(14.07.10)
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