ラベンダー・前編

 いつもと変わらない一日だった。
 宰相補佐の決裁が必要な書類の山を片付け、途中で何件かの面談をこなし、昼休憩のあとはここ最近の懸念事項について話し合い、また書類を片付け、宰相閣下からのお茶の誘いに嫌そうな顔をしつつも応じ、執務室に戻って残っていた案件を終わらせ、夕方頃にようやくひと息ついた主の様子はいつも通りだったはずだ。少なくとも一日中一緒にいたスザクにはそう見えた。

「あっ……、あああ!」

 だから、突然叫んだかと思えば椅子から勢いよく立ち上がったルルーシュにスザクもジェレミアもびくりとし、一瞬反応を忘れた。

「で、殿下? 何かございましたか?」

 先に我に返ったのはジェレミアで、よからぬことでもあったかと身構えていた。

「え……、あ、いや、なんでもない、大丈夫だ」
「しかし」
「本当に大丈夫だ。個人的な用事を思い出しただけでお前たちが心配するようなことではない」
「それならば良いのですが」

 主が大丈夫だと言うのにいつまでも食い下がるわけにはいかない。首を傾げていたジェレミアだが、「では決裁が終わったものを運んでまいります」とすぐに自分の仕事に戻った。
 残ったのはスザクとルルーシュの二人。椅子に座り直したルルーシュはどこかばつの悪そうな顔で、やはり何か懸念があるのではないかと不安になる。

「――スザク」
「はい」
「お前、何か……、いや、やっぱりいい」
「どうされたのですか?もしかしてご気分でも、」
「本当になんでもないのだ!私の個人的な問題でお前には関係ない!」

 関係ない、と言われて思わず眉をひそめた。主と騎士は一心同体と言っても過言ではない関係だ。主に何かあれば助けるのが騎士だし、心配事や不安の種があれば排除するのも騎士の役目である。それを関係ないと言われてしまってはなんのための騎士なのか。
 自分はまだ信頼するに足りないのかと落ち込みかけたとき、「それも違う!」という声が飛んできた。どうやら心の中を読まれたらしい。

「今のは私が悪かった。すまない」
「殿下が謝らないでください。自分の力が足りないのが悪いのです」
「だからそういうことではなくて、――この話はやめだ。堂々巡りになる」

 とにかく忘れてくれ、と言われる。確かにこれでは堂々巡りだ。しつこく詮索されては迷惑だろうとスザクも自分の仕事に戻るが、やはり先ほどの発言は気になった。
 (殿下の懸念で僕には関係のない話ってなんだろう……)
 真っ先に浮かんだのは彼の最愛の妹に関わることだった。ルルーシュは妹のナナリーを溺愛している。もし何か起こればほかの何よりも彼女を最優先させるだろう。しかし、それなら「ナナリーのことだ」の一言で話を終わらせればいい。下手に誤魔化すのは普段のルルーシュらしくなかった。
 (もしかしてまたシュナイゼル殿下が無理難題を言ってきたとか、クロヴィス殿下から無茶なお願いが来たとか、ユーフェミア皇女殿下が困った我儘を言い出したとか)
 どれもこれも皇族相手に失礼極まりないことだが、スザクにとっての最優先はルルーシュである。
 だけど、異母兄姉たちが原因だとしたらやはりルルーシュの態度が腑に落ちない。一体何があったのだろうと悶々と考え事をしているうちにジェレミアが戻ってきた。夕食の時間も近いし、今日はもう切り上げようと執務室をあとにして帰路についた。
 車の中のルルーシュはいつも通りで、夕食のときも就寝前の挨拶のときも変わらない様子だった。本人が言うようにたいしたことではなかったようだと、心配性すぎる自分に少し反省してスザクは自室のベッドに潜り込んだ。
 そうしてその日は終わった。
 気付いたときには叫んでいた。
 ここにはスザクもジェレミアもいることに思い至ったのはその三秒後で、二人を見ればぽかんと呆気に取られた顔をしていた。なんでもないとすぐに誤魔化したものの、心配性な騎士と臣下に余計な不安を抱かせてしまったことは大いなる反省点だ。
 (迂闊だ。すべてにおいて迂闊だ)
 自分の部屋のデスクに座り、じっと見つめる先には卓上型のカレンダーがあった。何度見ても数字の配置は変わらない。

「あと三日……」

 組んだ両手を口許に当て、神妙に呟く。次いで盛大な溜め息を吐き出した。
 (俺としたことがどうして気付かなかったんだ。いや、意識の端にはずっと引っ掛かっていた。俺の誕生日のあとにすぐに調べて今月だということは事前に把握していたのにどうして今頃になって気付いた。これは失態だ、大失態だ)
 はあ、ともう一度溜め息をつく。

「スザクの誕生日まであと三日……」

 懸念事項と言うにはあまりにも個人的すぎる内容。それは、スザクの誕生日をすっかり忘れていたということである。
 忙しい一日の終わり間際、ふと息をついたときに目に入ったカレンダーにルルーシュは首を傾げた。何かを忘れているような気がするとしばらく考え込み、ようやく思い出した重大な行事に人目も憚らず叫び声を上げてしまったのは不覚としか言いようがない。
 そもそも、大切な騎士であり想い人でもある相手の誕生日を忘れていたことが有り得ない。記憶力には自信があるのに、よりにもよってナナリーや母の誕生日と同じくらい大事な日をどうして忘れてしまったのか。
 (中東での作戦が成功して遠征関係はひと段落したとは言え、事務的な処理はまだ残っていたからつい先週までそれに忙殺され続けていた……というのは単なる言い訳だな)
 とりあえず、今は自分の失態を嘆くより何を贈るかを考えるほうが先決だ。権力を私的なことで使うのは好きではないが、時間がなさすぎるのでここは皇族の力を大いに利用しよう。そうすれば多少のものは数日で手に入る。
 (問題は、スザクが何を欲しがっているかということだ)
 何が欲しいかと思わず本人に尋ねそうになったのも失態のひとつだった。驚かせたいわけではないものの、それではあまりにストレートすぎる。贈る相手のことを考えてプレゼントを選ぶのも贈り物の醍醐味で、そのプロセスをすっ飛ばして直接訊くのは芸がない。
 (しかしスザクは元ラウンズだし、欲しいものは大抵手に入れているだろう。今さら欲しいものなんてなさそうだし、となれば俺がスザクに贈りたいものを考えるしかないか)
 一見簡単なようで、同性の友達というものを持ったことがないルルーシュにとってはかなりの難題である。仲のいい兄姉や愛すべき妹たちには毎年贈り物をしているが、それらをスザクが喜ぶとは限らないだろう。こんなものをもらっても困ると思われるのは嫌だ。
 端末を開いて一般的な誕生日プレゼントをリサーチしてみるけれど、どれもなんとなくしっくりこない。いっそ兄たちに尋ねるのも手かと思い、ここで借りを作ったらあとが怖いとすぐに考えを改める。

「ナナリーとユフィに聞いてみるか……」

 二人ならばスザクのこともよく知っているし、何かいいアイデアをくれるかもしれない。
 そうと決まれば早速明日にでもユフィに連絡を取ろうという結論に至り、ルルーシュはようやく寝室のベッドに潜り込んだ。
 そうして次の日を迎えた。

***

 スザクに紹介したい人がいるのです、とにこにこ笑った皇女殿下に招待されたのは彼女の暮らす離宮だった。
 自分の主も朝からここにいるはずなのに、城の中にその姿は見当たらない。異母妹と一緒だとばかり思っていたがもう帰ったのだろうか。

「ルルーシュ殿下はもうお帰りになられたのですか?」
「ルルーシュなら皇宮に用事があるからとついさっき帰ったばかりです。咲世子がついているからスザクは追いかけてこなくていいと言っていたわ」
「そうですか」

 ユフィについて歩きながら、なんだか変なシチュエーションだと思った。いつもはルルーシュに付き従っているから、同じ皇族でルルーシュの大事な妹のひとりで顔見知りでもある彼女だけど、二人きりというのは不思議な感じだ。

「それで、本日はどのようなご用件で?」
「部屋に着くまで秘密です」

 ふふっと笑うユフィはとても上機嫌だ。
 城まで来てくれないかとの連絡があったのは今日の昼前のこと。ルルーシュは朝からユフィのところに行ってくると言って不在だった。スザクも同行するつもりだったのだが、ちょっとした私用だからお前は留守番だと命じられてしまい、仕方なくアリエスでひとり居残りとなったため少々拗ねてしまった自覚はある。自分は留守番なのに、その代わりとして咲世子を連れて行ったことも納得がいかない。しかし駄々をこねる子どもではないので、主の命ならばと黙って見送った。
 ユフィから連絡があったのはそれから数時間後だ。

「これからお城まで来てくださいませんか?スザクを借りることはルルーシュにはちゃんと伝えていますので安心してください」

 皇族たってのお願いで、しかもルルーシュの許可も下りているのに断わる理由はない。あとのことはジェレミアに任せ、スザクはユフィや姉のコーネリアが住まう離宮へと赴いた。
 出迎えたユフィはずっと機嫌が良く、何やら楽しそうだ。何がそんなに楽しいのかと尋ねてみるけれど、先ほどのように秘密にされてなかなか教えてくれない。首を捻りつつ、いずれ種明かしがされるのだろうとふかふかの絨毯を進んだ先でユフィの足が止まった。

「実は、私のお友達が遊びに来ているの。とっても可愛い子で、ぜひ紹介したいと思ってあなたを呼んだのです」
「自分に、ですか?」
「ナナリーも中にいるわ」
「ナナリー様も?」

 どういうことだとますます首を傾げる。ユフィやナナリーに友達がいるのは特別珍しいことではない。その友達を城に呼んで遊ぶのも普通だろう。
 だが、なぜその友達をわざわざ一介の騎士である自分に紹介するのか。紹介する相手はどちらかと言えば兄のルルーシュのほうではないのか。
 頭の中に疑問符を浮かべていると、ユフィが扉のパネルに指を伸ばした。

「驚かないでくださいね」

 何を?と尋ねる前に扉が開いた。部屋は広く、家具や調度品の数々はひと目で上質とわかるものばかりだ。ユフィの母に与えられた離宮を訪ねるのはこれが初めてなので、アリエスとはまた違った趣の室内に興味を引かれる。
 だけど、この部屋の中でもっとも目を奪われたのは高級家具や有名画家の作品ではない。
 白いテーブルと四脚の白い椅子。そこにはナナリーが座ってにこにこと笑っている。そして、彼女の隣には見知らぬ少女がいた。
 美しいと表現するだけでは足りないくらい、美しい少女が。

「私とナナリーのお友達です」

 突然現れた人間に驚いたのか、彼女は切れ長の目を瞠っていた。硝子玉のような紫の瞳が今にも零れ落ちそうだと思い、おや、と思う。

「私たちの遠縁にあたる子なの。皇族ではないけど貴族の家の子よ」

 スザクの疑問に答えるようにユフィが教える。遠縁ならば瞳が皇族と同じ色なのも納得だ。

「それから、これはあまり大っぴらにしてもらいたくないのですが、彼女は声を出すことができないの。でも、私たちの話を聞きたいそうだから、スザクが知っていることをたくさんお話ししてくれないかしら」
「自分の話でよろしければいくらでも」
「良かったですね、お姉様」

 ナナリーにお姉様と呼ばれた彼女はどこか複雑そうな顔でこくりと頷いた。

「そういうことですので、ではスザク、早速この子と一緒にお庭のお散歩に行ってくださらないかしら」
「えっ、自分が?」
「私とナナリーはこれからピアノのお稽古があるの。その間ひとりにさせてしまうから、私たちが戻るまで話し相手になってあげてください」
「戻るまでって、時間はどのくらい……」
「二時間ぐらいかしら」
「二時間……」
「よろしくお願いします、スザクさん}
「いや、でも、」
「お茶やお菓子が必要なら侍女に頼んでください」
「そうではなくて、」
「お二人とも、仲良くしてくださいね」
「だから、」
「二時間したら戻るから大丈夫よ」

 焦るスザクの訴えに耳を貸すことなく、お姫様二人はにこやかに部屋を出て行った。残されたのはスザクと見ず知らずのお友達。
 思わず溜め息をつきそうになり、女性を前にそんな失礼なことはできないと慌てて飲み込む。テーブルのほうを振り返れば、彼女も困っているのか膝の上でドレスをぎゅっと握り締めていた。
 (話し相手と言われても、今日初めて会うような男が相手でいいのかな……)
 ユフィとナナリーの真意はわからないが、友達を預けるに足る人物と認められたのだ。ここは彼女たちの信頼に応えるしかないと腹をくくり、ようやく扉の前から離れた。少女の前で膝をつくと頭を下げる。

「ご挨拶が遅れました。ルルーシュ殿下の騎士を務めております、枢木スザクと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 顔を上げ、彼女の顔を間近で目にする。白い肌と赤い唇、頬はほんのりとピンクがかっていて、濡れ羽色の長い髪と紫の瞳とのコントラストが絶妙だ。見れば見るほど美しい顔はいっそ芸術品のようで感嘆の息が漏れそうになる。見ず知らずの男を前に緊張しているのか、戸惑ったように瞳を揺らしているのがいじらしい。
 (誰かに似ていると思ったら、ルルーシュ殿下に似ているんだ。殿下が女性ならきっとこんな感じなんだろうな)
 無意識に主と目の前の女性を比べてしまい、これでは両方に失礼だとくだらない空想をすぐに打ち消す。

「ユーフェミア様がおっしゃっていたように庭に出てみましょうか。それとも、部屋の中で過ごされるほうがよろしいですか?」

 優しく尋ねれば、思案した彼女は窓の外を指した。外に出たいということだろう。

「では、お供しますので参りましょう」

 手を差し出すと彼女は一瞬だけ躊躇った様子を見せた。高貴な身分の人間は使用人を当たり前のように使うから、その反応はどこか新鮮でもあった。最初にスザクの姿を見たときも驚いていたし、文字通り深窓の令嬢なのかもしれない。ドレスから手を離し、白い手袋に包まれた右手を伸ばすのもどこか恐る恐るだ。可愛いという感想が自然と浮かび、今は仕事中だと思い直す。
 扉を開けて廊下に出ると、そういえば庭はどちらの方向かと足が止まってしまった。他人の城をうろつくわけにはいかないし、だからと言って引き返すわけにもいかない。どうしたものかと考え込んでいたら、左腕を小さく引かれた。左を指し示した彼女は、そのままスザクの手を引っ張ると歩き出した。
 庭まで連れて行ってくれるらしいと気付き、ありがとうございますと告げた。すると、彼女がはにかんだ笑みを浮かべた。それはやはり可愛いと表現できるもので、スザクも笑顔になっていた。
 いくつか角を曲がって廊下を下り、さらに進んだ先に外へと繋がるドアがあった。慣れた様子でロックを解除した彼女に続けば、麗らかな陽射しの溢れる場所に出る。どうやらここがユフィの言っていた庭のようだ。
 花壇と花壇の間を進んでさらに行くと、花々に囲まれた可愛らしいベンチを見つけた。その前で彼女が立ち止まり、スザクの顔を見た。ここに座れと言っているらしい。彼女を座らせ、スザクも隣に腰掛ける。
 辺りは静かで、時折小鳥の囀る声が聞こえた。のどかという言葉が相応しい雰囲気だ。
 (それにしても……)
 こっそり彼女の横顔を盗み見る。改めて見ると、やはり顔立ちがルルーシュによく似ていた。ユフィの遠縁ということは当然ルルーシュの遠縁にもあたるわけで、だからこんなに似ているのだろうか。
 もしかしたら、ルルーシュの用事というのは彼女に関することなのかもしれない。自分はアリエスに来てまだ日が浅い。皇族の顔と名前くらいはラウンズ時代に覚えたが、さらにその親戚筋となると正確には把握していなかった。しかも彼女は声を出せないらしいから、そんな事情のある人間と見知らぬ他人とを会わせるのはよくないと判断したに違いない。ユフィの呼び出しにより、結局はルルーシュの配慮も無駄になってしまったわけだが。
 (これってなんだかルルーシュ殿下とデートしているみたいだな)
 無意識に浮かんだ想像があまりに願望を表していて、我に返ったスザクは愕然とした。片想い相手とのデートを夢見ることはあるけれど、ただ似ているというだけで他人に姿を重ねるとは何事か。
 自分はそんなに欲求不満なのかと思わず溜め息を零せば、彼女の視線がこちらを向いたのに気付いた。

「あ……っと、いい天気ですね」

 咄嗟に出てきたのは天気の話で、自分は何を言っているのだと呆れてしまう。慌てて次の話題を探した。

「ユーフェミア様とナナリー様とは仲がよろしいのですか?」

 彼女がこくりと頷く。

「いつも三人で遊ばれるのですか?」

 これにもイエスと返ってきた。

「ルルーシュ殿下とは?」

 少し考えたあと、首が縦に動いた。どうやらルルーシュとはそれほど親交がないらしい。歳は近そうだが、やはり女の子同士のほうが気安いのだろう。

「アリエスにいらしたことはありますか?」

 今度は頭を横に振った彼女に笑いかける。

「ここの庭も素晴らしいですが、アリエスの庭も美しいですよ。城主のマリアンヌ様やナナリー様の意向でたくさんの花が植えられているし、季節によって咲く花が違うし、最初に見たときはあまりの美しさに驚いたくらいです。ルルーシュ殿下にとってもアリエスの庭はご自慢で、息抜きをされるときにはよく庭へ下りるんです。自分もお供をさせてもらいますが、あの庭を歩いていると心が洗われるような気分になるのでぜひ一度いらしてみてください。あ、もちろん自分が勝手にお誘いするわけにはいかないのですが、もし機会があれば」

 わかったと言うように彼女は笑みを浮かべた。その顔はどこか嬉しそうで、スザクの胸も温かくなる。
 それからユーフェミアたちが迎えに来るまで時間を忘れて話し続けた。彼女は声を出せないので喋るのはスザクひとりだったけれど、頷いたり首を振ったりして相槌を打ってくれたし、笑ってくれる彼女の表情を見るだけでとても楽しかった。役目が終わり、彼女と別れたときは少し寂しさを感じたほどだ。

「明日も来ますか?」
「え?」

 アリエスに戻るためユフィに挨拶を告げたとき、さらりと聞かれた内容に目を瞠った。

「あの子、しばらくここに滞在しているから良かったらまた来てくれないかしら」
「しかし自分はルルーシュ殿下の騎士なので、あまり頻繁に殿下のお傍を離れるわけには」
「ルルーシュなら大丈夫よ。私からちゃんと説明しておきますから」
「殿下の許可が下りるのでしたら……」
「だったら決まりね! 早速ルルーシュに伝えます!」

 ではまた明日と言うや否や、ユフィは部屋のほうへ戻って行った。どこか軽やかな足取りは楽しそうだ。今日のユフィは最初から最後までご機嫌だったけれど、そんなに楽しいことがあったのだろうか。
 首を傾げつつ、ルルーシュが戻る前にアリエスに帰らなければと待たせていた車に乗り込む。
 明日も彼女に会えるかもしれない。そう考えたらわくわくともそわそわとも呼べる気持ちに満たされた。
 それなら良い案があります、とにっこり笑った妹の言葉をどうして信じてしまったのだろうと何度目になるかわからない溜め息をつく。

「もう、ルルーシュったらまた溜め息。あんまり溜め息ばかりだとせっかくの綺麗な顔が台無しよ」
「そうですよお兄様。溜め息をついたら幸せが逃げて行ってしまいます」
「二人とも面白がっているだろう……」
「あら、私たちはルルーシュのお願いを聞いてあげているだけなのに」

 そもそもどうしてこんなことになったのか、今までの流れを思い出してみるけれどまったく理解できない。
 スザクの誕生日に何を贈ればいいのかわからなくて、今日は朝からユフィを訪ねた。スザクに関する話なのでもちろん彼は同行させなかった。
 (お前は留守番だと言ったときのスザクはしょげた犬みたいで可愛かったな。……ではなくて)
 もうすぐスザクの誕生日なのだが、こういうとき普通は何を贈るものなのかと訊いたところまでは良かったはずだ。私も男の子に贈り物をしたことはありませんから、と何やら考え込んだユフィは突然ぽんと手を打った。そうして出てきたのが冒頭の科白である。

「スザクを喜ばせてあげたいのでしょう? それならこれが一番です」
「だから! それがなぜ女装なんだ!」
「お兄様、動いてはダメです」

 とうとう声を荒げたものの、ナナリーにたしなめられて浮かしかけた腰を下ろす。
 (まったくわからない。どうして俺が女装したらスザクが喜ぶんだ)
 ルルーシュの現在の恰好。それは、ユフィのドレスとメイクによって完璧に仕上げられた女装姿だった。
 ルルーシュが女装をするなら皆で協力しなければいけませんねとナナリーを呼び出し、二人で嬉々としてドレスを選び、私のサイズが入るなんてずるいですと文句を言われながら裾だけを簡単に直され、メイクや髪の飾り付けなどは妹二人と侍女たちに好き勝手にやられた。さすがに着替えを妹たちに手伝ってもらうわけにはいかないので年上の侍女に任せたものの、ほとんど着せ替え人形状態である。

「ほら、せっかく綺麗にできたんだから笑顔笑顔」
「この状況で笑顔になれるか……」
「ダメよ、スザクが来たらちゃんと笑わなきゃ」

 スザクの名前にいちいち胸を鳴らすのをいい加減なんとかしたい。着替えの最中だって何度逃げ出そうかと思ったのに、スザクの誕生日を持ち出されて留まってしまった自分は本当にどうしようもない。
 やはりユフィに訊いたのがまずかったかと己の判断を後悔したとき、侍女がスザクの来訪を告げに来た。そこでまた心臓が鼓動を早める。

「時間ぴったりね。では、私はスザクを迎えに行ってきますから、あとは予定通りお願いね」
「ユ、ユフィ、やはりこの恰好では、」
「大丈夫よ、いくらスザクがルルーシュの顔を見慣れていても、まさかここで女装しているなんて思わないでしょう?」

 当たり前だ。主に女装癖があるなんて思っていないだろうし思われていたら心外である。

「とにかくルルーシュは黙っていれば大丈夫ですから」
「ユフィ!」

 呼び止めに応じることなく部屋を出て行った妹にルルーシュはがくりと肩を落とした。

「大丈夫ですよお兄様。お兄様に似ていることに気付いたとしても、お兄様本人だとは思いません」
「いや、だから大丈夫と言われてもだな……」
「お兄様はとっても美人ですから自信を持ってください!」

 それは何に対する自信なのだろうと思ったけれど確認する気力がない。何より、刻一刻と迫ってくるスザクとの対面に否が応でも緊張が高まる。
 (だいたい、予定通りとは何が予定通りなんだ。俺が聞かされたのは、声を出したらばれるからずっと黙っておくということと、スザクの話にただ相槌を打つということだけだぞ。これをどう予定通りにこなせと言うんだ)
 計画が雑過ぎると声を上げようとしたそのとき、前置きもなく扉が開いてびくりとした。せめて一言言ってから入ってきてくれと心の中でユフィに訴えたルルーシュは、妹の後ろにいるスザクを見つけて固まった。
 どうせすぐにばれると思っていたが、実際にこの恰好を目撃された今、ばれたくないという気持ちのほうが上回った。もしばれて笑い者にされたら一生立ち直れない。いや、笑われるだけならまだいい。軽蔑されてこれまでの信用も信頼も何もかも失ってしまったら。女装癖のある主の騎士など辞めたいと言い出されたら。考えていたらどんどんマイナスなことが浮かんでしまい、顔から血の気が引くようだった。
 ルルーシュがひとり思い悩んでいる間も会話は進み、ナナリーに「良かったですね、お姉様」と告げられた。まったく話を聞いていなかったので何が良かったのかわからないがとりあえず頷いておく。

「そういうことですので、ではスザク、早速この子と一緒にお庭のお散歩に行ってくださらないかしら」

 しかし、その科白にはぎょっとした。二人きりになるなんて聞いていないと文句を言いたかったけれど、声を出せないので仕方なくドレスの生地を握ってスザクとユフィのやり取りを見守る。結果は言うまでもなかった。
 ユフィのナナリーの勢いに押されて見ず知らずの人間の話し相手を命じられたスザクは、戸惑いながらも務めを果たそうとしていた。そんなスザクに、仕方がないとルルーシュも諦める。正体を明かせない以上、せめてスザクを困らせることはしないでおこうと決めて、ユフィの提案のとおりに庭へと赴いた。
 そして現在、ルルーシュはスザクと隣り合ってベンチに座っていた。
 (見られている……)
 隣から感じるのは視線だ。やはり何か不審を抱いたのではないか。それとも別のことを考えているのか。スザクが何を思っているのかまったくわからず、ばれているかもしれないという恐れが余計に鼓動を早めた。
 しかも溜め息まで聞こえてきてさらに緊張が増す。耐え切れず、ルルーシュはそっとスザクを窺った。その目に侮蔑の色がないか、怖いのに確認せずにはいられない。

「あ……っと、いい天気ですね」

 だけど、スザクの口から出てきたのはひどく間の抜けた言葉で笑ってしまいそうになった。その後も会話は続いたけれど、どうやらばれてはいないらしいと確信を持った途端、なんだか肩の力が抜けた。
 正体に気付かれていないのなら深窓の令嬢らしく振る舞えばいい。妹たちの意図は相変わらずわからないものの、自分がこうしていればスザクが喜ぶらしいので間違った対応ではないだろう。
 それからユフィとナナリーが来るまでの二時間、ルルーシュはスザクとのお喋りに興じた。お喋りと言ってもこちらはただ頷いたり笑みを見せたりするだけなのだが、それでもスザクは楽しそうな様子だった。

「では、自分はアリエスに戻ります。今日はありがとうございました」

 深々と頭を下げたスザクに声をかけそうになり、すぐに唇を引き結ぶ。最後の最後に自分からばらしてどうすると己を叱咤して、言葉の代わりにルルーシュは頬を緩めてみせた。スザクがじっとこちらを見ているのに気付いて首を傾げれば、なぜか慌てて「失礼いたします」と背を向けられてしまった。
 その姿がユフィと共に廊下の向こうに消えたのを確認して、ようやく安堵の息を吐き出した。

「終わった……」
「お疲れ様です、お兄様」
「本当にこれで良かったのか?」
「はい」

 ナナリーは可愛らしく頷くけれど、やはりどうにも解せない。一体スザクは何を喜んだのだ。
 (まあいいか。女装なんてもう二度とやらないし)
 そういえば誕生日プレゼントは何にすればいいのか。最初の目的を思い出し、今日一日が女装だけで終わったことにルルーシュは頭を抱えそうになった。
 戻って来たユフィから、明日もスザクのお相手をお願いしますねと半ば強要されて再び頭を抱えるのは五分後のことである。
 (14.07.06)
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