Last Letter 5

 父親を刺したときの感触は今でも覚えている。忘れられないあの感触。
 肉を貫き、剣の根元までをその身体に収めることがどれだけ残虐な行為か、わからない人間はいない。想像するだけでも身の毛がよだつ行為だ。そんな方法を君は自ら提案し、受け入れた。
 君は痛いとも苦しいとも言わなかった。泣き喚くこともしなかった。ただ僕に語りかけ、呪詛のような言葉に紛らせて僕への救いを口にしただけ。
 本当は痛かっただろう。苦しかっただろう。
 力なく落ちていく君を掬い上げられないことに、僕は絶望した。

『引き上げる役はいつもスザク君だね』

 ふいにシャーリーの言葉が思い出された。
 そうだね。ルルーシュを引き上げるのはいつも僕の役目だった。子供のころも、再会してからも、僕はルルーシュを引き上げてばかりだった。
 でも、駄目なんだ。
 もう僕にはルルーシュを引き上げることができない。
 もう二度と、引き上げられない。
 (あぁ、どうしてだろう。視界が霞んで前が見えない――)

「魔王ルルーシュは死んだぞ!!」

 コーネリア様の声が辺りに響いた。
 恐らくそれは、ゼロである僕が言わなければならなかったセリフだ。魔王ルルーシュの死を高らかに宣言して、世界に解放を告げるセリフ。
 だけど今は声を出すことができない。下手に口を開けば嗚咽が漏れてしまいそうだった。
 肩が震えていないか。しっかり立っていられるか。そんなことばかりに意識を集中させる。
 歓声も群集のざわめきも、何も聞こえない。
 聞こえるのは、ナナリーの泣き叫ぶ声だけだ。まるで僕を責めているかのような、慟哭だけだ。
 彼女の最愛の兄を殺したのは僕だけど、それでもその傍に寄って彼女を泣き止ませてあげたい、慰めてあげたいと思った。だけど、それはもう不可能になってしまった。枢木スザクが死に、ゼロとして生きるという意味を、僕はこのときようやく理解したのかもしれない。
 どうしようもない喪失感に、足元から崩れていきそうな感覚を味わう。歓喜してゼロの名を叫ぶ声たちは、しかし僕の耳をただ通り過ぎていくだけ。
 覚悟はできていたつもりだった。
 だけどそれはただの“つもり”で、本当の意味での覚悟はできていなかったのかもしれない。
 だって、何もかも覚悟できていたのなら、どうして僕は泣いているのだろう。
 涙が止まらない。
 止まらないんだよ、ルルーシュ。
 ようやく一人になれた空間で僕は仮面を外した。
 数時間ぶりに肌に感じた外気にほっとする。これを被り慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだと思った。
 どかりとソファに身を投げ出して顔を天井へ向けると、安堵と疲れからくる溜め息が漏れた。
 成功だ。ゼロ・レクイエムは成功したんだ。すべて君の計画通りに事が運んだよ、ルルーシュ。
 心の中だけで呟く。
 目を閉じると、今まで張りつめていた気が緩むようだった。放っておけばズルズルとソファに沈みそうだ。さすがに疲れ果てている自覚はある。身体的な疲労というより、精神的な疲労のほうが大きかったけれど。
 今日で何もかもが終わったわけではないのだ。むしろこれからのほうが道は長く険しい。せめて体力だけでも温存させておかなければならない。今日はひとまず休もう。
 マントに手をかけるため両手を空けようと、手にしていた仮面を何気なく正面から見る。

「――っ!」

 僕は息を止めた。
 そこには血の跡があった。
 誰の血かなんて考えるまでもない。ルルーシュの、血だ。
 最期のとき、僕の頬を撫でるように仮面に手を伸ばしていたことを失念していた。覚えていたら、今の今まで平然と仮面を付けていられたわけがない。無意識のうちに思考から排除していたのだろうか。
 (あぁ、あのときのルルーシュの手は血に濡れていたのか)
 もう涙は枯れ果てたと思ったのに、また目の奥が熱くなる。血に塗れたルルーシュの姿がフラッシュバックしてどうしようもなかった。
 血で描かれた指の跡をなぞれば、乾ききっていてざらりとした感触がした。
 ぽたりと僕の涙が仮面の上に落ちて、ルルーシュの血の跡を辿る。だけど、その程度で血が流れるはずもなく、涙だけが物言わぬ仮面の上を滑って落ちていった。

「…ははっ、本当に、僕たちはどこまで行っても交わらないんだな……」

 やっと交わったと思ったら、あっという間にまた別れ別れになってしまった。
 そこまで考えて、いや、と考え直す。
 僕たちは離れたのではない。ルルーシュは肉体的に死に、枢木スザクは社会的に死に、ともにゼロという記号になった。僕たちはようやくひとつの存在になれたのだ。
 (だけど、ちっとも嬉しくないな……)
 どうせなら別々の存在として一緒に生きたかった。
 そんな願いが心の中に浮かんで、振り払うかのように慌てて頭を振った。
 (駄目だな、本当に)
 今さら思っても仕方のないことばかりをぐずぐずと考えてしまう。やはり疲れているのだろう。
 僕もルルーシュも、すべてを納得して今日の日を迎えたはずだ。後悔なんて意味がない。後悔するということは、ルルーシュへの裏切りと同じだ。
 僕は世界の明日のために生きると約束した。そこに僕自身の幸せはもちろん、ルルーシュ自身の幸せも含まれてはいない。
 それなのに、ルルーシュは僕にだけ「生きる」ことを残した。
 ゼロとしてこの身を世界に捧げることは罰だとわかっている。でも、世界がそんなに単純なものではないこともわかっている。この先、ルルーシュの計画とは違う方向に世界が向かうかもしれない。それがゼロである僕にとって良い方向なのか悪い方向なのか、今はまだわからない。
 ただ、生きている限り、今日より良い明日が待っているかもしれない。今日より良くなった明日を僕は生きることになるかもしれない。そうしたら、それはもう罰ではなく希望だ。
 ルルーシュは僕に「生きる」という希望を残したのだ。
 その可能性に思い至り、僕は愕然とした。
 (君って人は、どうしてそう……)
 とうとう我慢できなくなって、僕はその場に膝をついた。
 彼の頭脳をもってすれば、自分も含めて皆で幸せになる方法くらいいくらでも考えられたはずだ。だけど、ルルーシュはそうしなかった。そうすることは許せないと思ったのだろう。
 だから、自らの死と引き換えに世界の明日を望んだ。それが最善だったから。
 もしルルーシュがゼロ・レクイエムを途中で放り出そうとしたら、僕はどうしていただろうかと考える。喜んで計画を放棄しただろうか。いや、そのときはきっと、僕がルルーシュを許さなかったはずだ。
 彼を失いたくないという気持ち以上に、罪を償わなければならないと僕は思っていたから、たとえ本心では安堵したとしても、ゼロ・レクイエムをやめることを許しはしなかっただろう。
 どんな過程を辿ろうと、僕はルルーシュを殺していた。それだけは変わらない結末だ。
 (本当に、なんて厄介なんだろうな僕は)
 結局、僕はルルーシュに何も言えないままだった。
 好きだということも、本当は殺したくないということも、本心では一緒に生きたいと望んでいたということも。
 何も伝えられないまま、ルルーシュはいなくなってしまった。僕が、殺した。
 二人の願いと覚悟の末の結末。明日からはもう世界中のどこにもルルーシュがいないという現実。すべてに納得しているし、後悔もしていないのに、それらがこんなにも重く僕の心に圧し掛かる。
 (やはり僕はちっともわかっていなかったんだろうか。君がいなくなるという、本当の意味が……)
 今ごろ気付くだなんて、僕はどこまで間抜けなのか。そう思って乾いた笑みを浮かべたとき、こん、と何かが叩かれる音がした。
 部屋に響いた音にハッとする。扉の向こうに人間の気配。たった今まで涙を流していたことを忘れて、僕は息を詰めた。
 誰かがこの部屋の扉を叩いた。しかし、ここにゼロがいることを知る人間はいない。もちろん、枢木スザクを訪ねてくる人間もいるはずがない。枢木スザクはすでに死んだ人間だ。ゼロ・レクイエムを知っている者ならば可能性はあるが、その人たちは今日ようやく解放されたばかりで、僕の元を訪ねてくるような余裕があるとは思えない。そもそもここに僕が潜んでいることを教えていないのだから、どちらにしろ有り得ないことだった。
 (一体、誰が……)
 今、顔を見られるのは非常に困る。悪逆皇帝ルルーシュの死というゼロ・レクイエム最大のパフォーマンスをなしたばかりだというのに、枢木スザクが生きていることが知られれば厄介だった。
 こんな時刻だから、部屋を間違えて人が訪ねてきたとは考えにくい。居留守を使ったとしても、襲撃を受けて部屋に踏み込まれたりしたら面倒だ。
 (相手の目的はゼロか、僕自身か)
 僕は仮面に手を掛けたまま、じっと扉の向こうを窺った。外の気配は相変わらずで、動こうとする様子はない。しかし悪意も感じられず、どうしようかと迷っていると、

「私だ」

 外から小さく声が聞こえた。

「――C.C.?」
「そうだ。ここを開けろ」

 どうしてC.C.がと思ったが、逡巡したのはほんの一瞬で、僕は躊躇うことなく扉を開けた。そこには数日前に見たときと変わらぬ様子の彼女が立っていた。
 C.C.は何も言わずに堂々と中に入り込んできた。彼女の後ろで扉がしゅっと音を立てて閉まる。どさりと何か音がしたので視線を落とすと、それはトランクだった。一体何が入っているのだろうと思いつつ、僕は一番の疑問を口にする。

「C.C.、どうしてここを知っているんだ。僕もルルーシュも君には教えていなかったはずだけど」
「愚問だな。私を誰だと思っている」

 C.C.がふっと笑う。その顔がいつもの通りで、僕は知らず安心していた。
 暗がりの中なのではっきりとは見えないが、C.C.はずっと着ていた拘束服ではなく、どこかの民族衣装にも似た服を着ている。年相応の――といっても彼女の場合、実年齢と見た目はかけ離れているのだろうが――、可愛らしい服だ。

「明かりも点けずに部屋に籠もるとは、あまり健全とは言えないな」
「バレたら困るだろう」
「まさかここに世界の英雄ゼロがいて、死んだ枢木スザクまで存在しているなんて誰も想像すらしないさ」
「それでもだ。用心に越したことはない」
「今からそんなに気を張っていては、これから先もたないぞ」
「……いいんだよ。そんなことは」

 C.C.が感情の読めない瞳で僕を見つめる。その視線に耐えられず、僕はふいと顔を逸らした。

「どうするつもりだ、それを」

 問われたものがわからず、C.C.の視線の先を探る。そこには、いまだ手を掛けたままの仮面があった。

「どうするって何を……」
「血の跡だよ」

 僕はひゅっと息を飲んだ。C.C.が僕の目を見据えて、淡々と言葉を紡ぐ。

「明日もその仮面を被って人々の前に立つのだろう?まさか、血の跡を後生大事に取っておくわけではあるまい」
「っ、当たり前だ!」

 一瞬、カッとなって言い返した。ただの八つ当たりだった。でも何に対して八つ当たりをしているのか自分でもわからず、ひどく混乱した。

「何を怯えている」
「怯えてなんか……」
「だったら動揺することもあるまい」
「動揺?どうして僕が動揺する必要が、」
「ルルーシュの血の跡を拭うのは嫌か?」
「…っ」

 C.C.に問われた言葉の意味を理解し、僕は今度こそ息を止めた。
 仮面に付いた血を拭き取る。汚れたものは綺麗にしなければならない。これから多くの人々の前に出なければならないのだから、いつまでも悪逆皇帝の血を付けたままにはしておけない。ただそれだけのことだ。
 しかし、C.C.に指摘されて初めて気付く。ただそれだけのことに、僕はひどく躊躇っていると。
 原因はすぐに思い至った。ルルーシュが確かに存在したという証が、ひとつひとつこの世界から消えていくのが嫌なのだ。
 もともと彼の持ち物は少ない。子供時代を過ごしたアリエスの離宮も、皇帝として過ごしたペンドラゴンもアヴァロンも、ゼロがいた斑鳩も、クラブハウスの私室も、すべて消えてなくなった。唯一、残された場所である枢木神社の土蔵だって、彼自身が持ち込んだものは数えるほどしかなかったし、あったとしてもすでに朽ち果てているだろう。
 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
 ルルーシュ・ランペルージ。
 ゼロ。
 ブリタニア帝国第99代皇帝。
 彼にはいくつもの名前があったのに、それぞれが残したものはほとんどない。まともに残っているのは、僕が身に付けているゼロの衣装と仮面、それから彼を殺した皇帝の剣だけ。
 史上最悪の悪逆皇帝として名を残したとはいえ、その記憶すら10年、20年と時を重ねるごとに薄れていくだろう。やがては御伽噺の中の人物と変わらなくなる。
 今は鮮明に残っている僕自身の記憶だって、いずれは過去のものとして遠いものになるだろう。
 (――嫌だ。ルルーシュを忘れるなんて、そんなの絶対に嫌だ…!)
 少しずつ消えていくだろうルルーシュの痕跡を思って、自然と仮面を持つ手に力が籠もる。

「スザク」

 C.C.の声に我に返った。見れば、彼女は複雑そうな表情をしていた。

「C.C.?」

 何でもハッキリ言うのが彼女だというのに、今は珍しく言葉を発することに少し躊躇しているようだ。どうしたのだろうと首を傾げれば、

「これはルルーシュから頼まれたわけでない。私の独断でお前に告げるだけだ。だからルルーシュの意思には反しているのかもしれない。だけど……」

 一旦口を閉じたC.C.が、僕の目を見るとそっと言葉を紡いだ。

「ルルーシュは、お前の幸せを願っていたよ」
「……え?」
「自分のいなくなったあと、平和になった世界で、いずれゼロという存在が必要なくなったときには、お前がお前の人生を生きてくれることを願っていたよ」
「なにを、言っているんだ」

 彼女の口から紡がれる音を僕はぼんやりと聞いた。言葉としての意味はわかるのに、ちっとも理解できない。

「だって…、だって僕は、ルルーシュと約束したんだ。人並みの幸せも、すべて世界のために捧げると……」

 仮面を持つ手が震えた。
 ルルーシュは僕に希望を残したと、ついさっき思い至ったばかりだ。C.C.の言葉を聞き、やはりそうだったのかとひどく納得している自分がいる。
 だけど、ゼロ・レクイエムの内容を知った時点で彼女もわかっていたはずだ。たとえルルーシュが僕に希望を残してくれたとしても、世界に身を捧げると決めた僕に幸せに生きる人生などないことを。
 そんな僕に、ルルーシュが僕の幸せを願っていたとなぜ告げるのだろう。どうして今日この日に教えるのだろう。
 僕は作り物めいた彼女の顔を見た。もしかしたら縋るような目付きをしていたかもしれない。それほど僕は動揺していた。

「知っているさ。だから言っただろう?これは私の独断だと」
「どうして…」
「死ぬことは確かにつらいが、生きることがつらいことだってある。お前にはこれからまだまだ長い人生が残されているからな、生きていることを無条件で喜べないときだってあるだろう」

 生きることがつらい。ついこの間まで死にたいと願っていた僕にはよく理解できることだし、永遠に近しい年月を生きてきたC.C.が言うからこその重みがあった。しかし、それと僕のこれからの人生に何の関係があるというのか。
 彼女の意図を測りかね、僕は相槌も打たずに次の言葉を待った。

「そうだな……。ルルーシュはお前にこんなことを告げたくないと思っていたかもしれない。余計なことをするなと怒るかもな。だけどルルーシュの本心がどうであれ、私が願うことは自由だろう?」
「願う?」

 C.C.がふっと微笑む。

「これは、私のお前に対する願いだよ」
「僕への願い……?」

 C.C.がルルーシュに願うのならばわかるが、僕に対して願うことなどあるのだろうか。僕は首を傾げた。

「お前がルルーシュのことをいつか忘れたとしても、ルルーシュの想いだけは覚えていてほしい」
「僕はルルーシュを忘れたりなんか…!」
「慌てるな。話は最後まで聞け」

 思わず一歩詰め寄った僕を、C.C.は宥めるように手で制した。

「完全に忘れてしまうなんて思っていないさ。だけど、生きていくということは忘れていくということでもある。どんなに鮮やかな記憶も、いずれは薄れていって思い出になるだろう。お前はそれを嫌だと言うが、正常な人間ならばそれが当たり前だ。だから嘆くことはない」
「でも、」

 僕はぐっと唇を噛み締めた。
 いくらそれが正常だと言われても、ルルーシュを忘れるということは、僕にとってはルルーシュとの約束を忘れるということと同義だ。そんなこと、許されるわけがない。

「あぁ、そうか。お前なら死ぬまでずっと覚えているという可能性もあるかもしれないな。お前のルルーシュへの執着を忘れていたよ」

 C.C.がふふっと笑う。

「では言葉を変えようか。これから先、何があったとしても、何に絶望したとしても、ルルーシュがお前を想っていたということだけは覚えていてくれ。――これが、私の願いだ」

 願い。
 ルルーシュが僕のことを想っていたことを忘れないでほしいという、願いと言うにはとてもささやかな、しかし彼女自身には何の益にもならない願い。

「どうして僕にそんなことを……?」
「大した理由なんかないさ。あえて言うなら、お前がルルーシュの愛した人間だから。ただそれだけだ」
「へ?」

 それまでの深刻な雰囲気も忘れ、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。C.C.が何を言ったのか、一瞬で理解できなかった。

「ルルーシュはお前のことを愛していたよ。お前と同じ意味でな。なんだ、知らなかったのか?」
「知らない…、知るわけがない……」

 当然のように聞かれ、僕は呆然と返事をする。
 ルルーシュが僕の幸せを願っていたことも、ルルーシュが僕のことを愛していたことも、そんなの本人の口から聞いたことがないし、素振りすらなかったのだから知るわけがない。
 C.C.がまた何か冗談を言っているのではと思わず疑いの目を向ける。こんな日に、いくら冗談だとしてもタチが悪すぎる。
 しかし僕の視線を無視して、C.C.はわざとらしく溜め息をついた。

「あいつも大概鈍感だが、お前も相当だな」
「C.C.、冗談だったらいい加減に、」

 もう少し時間が経てば笑って受け流せたかもしれないが、今はまだ無理だ。頼むからやめてくれと、懇願の意味を込めて止めようとすれば、ふいに真顔になったC.C.の顔が向けられる。
 普段の傍若無人な態度の彼女からはあまり感じないのに、こうして感情を落とした顔をされるとその端整な顔立ちにどきりとした。

「きっとルルーシュが聞いたら怒るだろうな。勝手に全部バラすなと。でも、同じ想いを抱えていて、一方は死んで一方は生き続けるというのは不公平だと思わないか?」
「不公平って……」

 そんなことを言われたら、それこそルルーシュが怒りそうだ。勝手なルールを押し付けるなと。その姿が容易に思い浮かばれて、心の中で小さく笑う。
 (――あぁ、僕はまだ笑えたのか)
 でもそれは、ルルーシュのことを考えたからだ。ルルーシュのいなくなった世界で、僕は笑えなくなる。泣くこともできなくなる。それは確信に満ちた予感だった。だから、感情を表すのはきっと今日が最後だ。
 僕は視線を落とすと、ふるふる首を振った。

「いいんだ、僕は。自分で決めたことだから。ルルーシュにこの想いは伝えないって、僕自身が決めて何も言わなかったんだ」
「だが、後悔しているのだろう?伝えなかったことを」
「……少しだけ、だよ」

 後悔などしていない。そう嘘をつくこともできたけれど、彼女には無意味な気がして素直な気持ちを口にした。

「ねぇC.C.。さっきの言葉は、その…、本当に?」
「さっきとは?」
「ルルーシュが僕のことを……」

 そんなことは有り得ないと思うのに、真実を知りたい誘惑に勝てず問うてしまう。

「本当だよ」

 たった一言の答えに、抉られるような痛みと、体中から湧き上がる歓喜にも似た気持ちが生まれた。
 嬉しくて、哀しい。正反対の思いが同居する感覚はなんとも不思議だった。

「でもそんな様子はまったくなかったよ」
「あいつはあいつで上手く隠していたからな」
「どうして?」
「そこまで私が知るか。ルルーシュに聞け。と言いたいところだが、たとえ本人が目の前にいたとしても、のらりくらりとはぐらかされて答えはもらえないだろうな」
「うん。そんな気がする」
「まったく、お前もあいつも随分とぬるいことをしていたものだ。お互いに対する執着心だけは人一倍なくせに、手も出さなければ言葉にも態度にも表さないとは。傍で見ていた私はイライラしっぱなしだったぞ」

 正確に言うと、手を出しかけてしまったことは何度かあるので、僕は誤魔化すように笑った。

「仕方ないよ、あの距離感がきっと僕たちだったんだから」

 C.C.の言うとおり、もし本当にルルーシュが僕のことを愛してくれていたのだとしたら、きっと僕と同じことを考えていたに違いない。
 僕たちの想いは、ゼロ・レクイエムの前では不必要なものだから。余計な執着を増やしてしまえば、ルルーシュは死ぬことを、僕はルルーシュを殺すことを躊躇ってしまったかもしれない。
 僕たちに必要なのは計画の成功であって、お互いへの想いなどではない。

「でも、今ごろ教えないでほしいな。ルルーシュは隠したままだったのに」
「言っただろう?お前はその想いを抱えて生きていくのに、あいつは一人さっさと死んで、そんなのは不公平だと。だからこれは嫌がらせだ」
「ルルーシュに対して?」
「もちろん」

 C.C.は腕を組むと偉そうに笑った。それはルルーシュをからかうときに彼女がよく見せていた顔で、僕は思わず溜め息をつく。

「死んでまで遊ばないでほしいんだけど」
「死んだら遊んではいけないと誰が決めた?」
「絶対に怒るよ、ルルーシュ」
「勝手に怒っていればいいさ」

 不遜に言い捨てられた科白に、しかし彼女の瞳を見て僕は反論の言葉を飲み込んだ。

「――そうだね。怒りたければ、直接怒りに来ればいいんだ」

 彼女の瞳の奥に拭いきれない哀しみを見つけてしまったから、僕は何も言わなかった。言えなかった。
 普段どおりの態度と言葉はきっと僕を慰めるため。願いを口にしたのはきっと僕を生かすため。ルルーシュの隠していた想いを教えたのはきっと僕を救うため。
 自分で自分のことを魔女だという彼女は、僕なんかよりもずっとずっと優しかった。その優しさに応えるために、小さく微笑む。微かに目を見開いたC.C.は、一瞬の後、返事のようにふわりと優しい笑みを返してくれた。
 この世界で、枢木スザクとして最後に笑みを向けられる相手が彼女で良かったと思った。

「C.C.はこれからどうするの?」
「世界を見て回ろうかと思う。ルルーシュが壊して作り直し、お前がこれから作っていく世界をな」
「そう。それじゃあ僕は、君に呆れられないように頑張るよ」
「私は別にお前がどうしようと構わないさ。それより、せいぜいルルーシュに愛想を尽かされないようにすることだな」
「肝に銘じておくよ」

 彼女らしい励ましに苦笑いを浮かべる。

「さて、そろそろ行くか。じゃあな、スザク。元気に頑張れよ」

 C.C.は足元のトランクを持つと、ひらひら手を振って部屋を出て行った。あっという間で、来たときと同じくらいの唐突さだった。扉が閉まれば、途端に部屋はしんと静まった。

「さよなら。C.C.」

 ぽつりと別れの言葉を告げた。
 また会おうとは言わなかった。恐らく彼女と会うのもこれが最後なのだろう。でも寂しいとは感じない。彼女は生きていて、世界のどこかで僕のことも見ていてくれると思ったから。
 ぼんやり立ち尽くしていた僕は、持ったままの仮面を持ち上げた。そっとルルーシュの血の跡を撫でる。

「……必要なのは、物でも形でもない」

 僕はルルーシュのことを愛した。
 ルルーシュも僕のことを愛してくれた。
 その想いだけを抱えて、僕はこれから生きていく。それだけで十分だ。
 ふと時計を見れば、あと数分で今日という日が終わりを迎えようとしていた。もう少しで明日が始まる。

「ルルーシュ。君の望みがようやく叶うよ」

 明日が来れば、また次の日が。次の日が来れば、また次の日が。明日を何度も迎えて、そうして世界は巡り続ける。
 膨大な時間の中で、やがて今日のことも歴史の単なる一ページとして語られるだけになるのだろう。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという悪逆皇帝がいたことも、ただの記録になってしまうのだろう。
 だけど、僕は忘れない。
 ルルーシュという一人の少年が、たしかにこの世界に存在したことを。世界の明日を望みながら、精一杯生きて、そして死んでいったことを。僕は忘れない。ずっと覚えていて、いつか君に会いに行く。君に恥じないよう一生懸命頑張って、君に会いに行くから。
 また君に会える日まで待っていてほしいと言ったら、君は嫌がるだろうか。もしかしたら逃げだしてしまうかもしれない。
 (でも、僕の執着はすごいから、もし君が嫌がって逃げたとしても追いかけるけどね。まぁそのときのことはそのときに考えようか。悪いやつに捕まったと思って諦めてよ)
 いつになるかわからない、随分と先の長い話だ。僕はくすりと笑うと、テーブルの上に仮面を置いた。
 明日の朝になったらこの血は拭おう。
 そう心に決めて、身体を休めるために僕は寝室へと向かった。

「――おやすみ。ルルーシュ」

 今はただ、君の眠りが安らかなことを祈って。
 (09.05.08)