Last Letter 3

 ルルーシュが皇帝に即位する一週間前。
 いよいよだという高揚感と、とうとう来てしまったという失望感とが、僕の中で同じくらいの大きさで同居していた。
 もう後戻りすることは出来ない。引き返すのなら今のうちだ。
 そんな考えが何度も頭の中に浮かんでは消える。
 計画を実行に移す前からこれなのだ。果たしてゼロ・レクイエムの仕上げのときに自分は平静でいられるのか、正直自信がなかった。でも、そんな胸中をルルーシュには告げられなかった。
 もし吐露していれば、ルルーシュはどうしただろう。一笑に付したか、僕の代わりになる人間を探したか。
 ――それとも、計画を中断してくれたか。
 歴史にifはない。同じく、人生にもifはない。
 だけど、もし過去を変えることが出来るのなら、僕には変えたい過去が山ほどある。そうやって後悔ばかりをして、過去に囚われている。前だけを見て、明日を望んだルルーシュとは大違いだ。
 平凡で穏やかとは決して言えない人生を送ってきて、どうしてルルーシュは明日を諦めないのだろう。その強さが羨ましいと同時に、その強さがあったからゼロ・レクイエムという壮大な計画を立てられたのだと思うと、何ともやるせなかった。
 彼が弱い人間だったら。僕に守られていてくれる弱い人間だったなら、僕たちはこんな道を選ばなくて済んだかもしれないのに。
 そこまで考えて、僕は自嘲の笑みを浮かべた。
 ゼロ・レクイエムを開始する間近に一体何を考えているのだ。これは僕とルルーシュが決めたこと。
 僕たちは前に進むしかないのだ。
 世界の明日を迎えるために。
 気付けばルルーシュの部屋の前にいた。
 思考が堂々巡りしていて、一人でいたらますます余計なことを考えてしまいそうだった。
 すいっと右手を上げて、数秒の逡巡の後、静かにノックをすると中からいらえがあった。
 丑の刻も過ぎた時刻。ルルーシュならば起きているだろうと思いつつ、寝ていてくれればという矛盾した気持ちもあったので、応えがあったことに少しだけ落胆した。ルルーシュが聞いたら自分勝手すぎると怒るだろう。
 その姿を想像して少しだけ笑い、ドアを静かに開けた。電気は付いておらず、月明かりだけが部屋を照らしていた。
 ルルーシュは窓辺に立って外の様子を眺めている。

「どうした?」

 顔を外に向けたまま尋ねられる。

「君ならまだ起きているかなと思って」
「何だそれは」
「君は夜更かししてばかりだろう?」
「まぁ間違ってはいないな」

 くくっと笑う声が聞こえた。そこでようやくルルーシュが僕のほうを見た。逆光になってその表情ははっきりとは窺えないが、とても穏やかな顔をしているのは雰囲気でわかった。
 あと一週間。皇帝に即位してしまえばあとはひたすら突き進み、最後には“死”が待ち構えているというのに、どうしてこんなにも穏やかでいられるのだろう。
 先ほどまで支配されていた思考に再び囚われそうになって、ぎゅっと両手を握り締めた。
 ルルーシュが窓辺から離れ、僕の前まで来る。手を伸ばせば捕まえられる距離だった。

「スザク?」

 彼の瞳が僕の瞳を見る。とても高貴な紫水晶の瞳。今は部屋が暗くてその色がはっきりわからないのが残念だった。

「計画は順調?」

 いつまでも瞳を見ているわけにもいかなくて、そんな曖昧なことを聞いてしまう。計画の進捗状況についてはC.C.も交えて話したばかりだというのに。案の定、ルルーシュが首を傾げながら「あぁ、夕方説明したとおり順調だ」と答えた。

「心配なことでもあったか?」
「いや。もう一度確認したかっただけだ」
「何かあればすぐに言えよ。どんな瑣末なことでも、計画に支障をきたすようなことがあると厄介だからな」
「うん、わかっているよ」

 ルルーシュの言葉に頷く。
 そうだ、僕たちに間違いは許されない。だから余計なことを考えている暇なんてないはずなのに。

「――ルルーシュ」

 それなのに、どうしようもない衝動を抑えられないのはどうしてだろう。
 部屋の前に立っていたときと同じように、気付けば僕は行動を起こしていた。

「っっ、スザク…?」

 ルルーシュの腕を掴んで引き寄せ、抱き締める。
 さらさらとした髪が頬に当たる。首筋に鼻を当てると、清潔な石鹸の匂いがした。

「どうした?スザク?」

 ルルーシュの戸惑った声が聞こえる。
 当然だろう。何の前触れもなくいきなり抱き締められたら誰だって戸惑う。わかっていながら、その細い身体を離すことが出来なかった。
 頭の中で警鐘が鳴っている。
 (駄目だ。このままだと、僕は、ルルーシュを)
 数週間前、寝ているルルーシュにキスをした記憶が蘇る。じわりと身体が熱くなった。
 ベッドは目の前だ。
 このまま押し倒して、その身体を暴くことなんて簡単に出来る。
 もう一度やわらかい唇に触れたい。身体の隅々まで愛撫して、啼かせて、喘がせて、それから。
 いずれ僕自身の手で壊してしまう身体だ。一度だけ。せめて一度だけでも抱いたって―――。
 (だめだ……!!)
 抱き締めている腕にさらに力を込める。
 自分は一体なんてことを考えてしまったのだろう。寝込みを襲ってのキスも褒められたものではないけれど、ルルーシュの意志を無視して無理やり抱くだなんて、彼を侮辱しているとしか思えない。思えないのに、次から次へと湧き上がる欲求が抑えられない。

「いたいっ、スザク!いい加減、離せ!」

 ルルーシュから非難の声が上がったけれど、ここで力を緩めてしまうと自分が何をしでかすかわからなくて、どうにも身動きが取れなかった。
 ルルーシュ。
 ルルーシュ。
 ルルーシュ。
 ルルーシュ。
 呪文のように心の中で何度も繰り返す。まるでルルーシュという名前しか言葉を知らないかのように。
 切羽詰った感情に支配されていた。が、突然頭に衝撃が走って、思わず腕の中の身体を離した。

「痛っ、お前、石頭すぎるだろ!」

 見れば、ルルーシュが側頭部を押さえている。どうやら今のは頭突きをされた衝撃らしい。僕の頭の右側もじんじんと痛かった。

「まったく…。本当にどうしたっていうんだ」
「あ…」
「言いたくないなら言わなくてもいいが、一週間後までには万全にしておけよ」
「えっと」
「落ち着いたか?」

 僕を安心させるような笑みを浮かべて、ルルーシュが顔を覗き込んでくる。
 欲望という名の衝動は、今の一撃ですっかり霧散していた。

「……ごめん」
「謝るくらいなら最初からするな。と言いたいところだが、こんな生活が続いて一週間後にはナイトオブゼロになるんだ。まだいろいろと心の準備が出来ていなくても仕方ないか」
「いや、心の準備は出来ているよ。ただ少し……、そう、眠くて少し頭が回っていないだけだ」
「眠くてって……」

 言った瞬間、自己嫌悪に陥った。誤魔化すためとはいえ、もう少しまともな言い訳はできないのか。
 ぽかんと僕を見ていたルルーシュは、ぷっと吹き出すと「子供じゃないんだから」と笑った。

「じゃあ、ぐっすり眠ってしっかり頭を回してもらわなければな。騎士様」
「頭というより、私の場合は身体を動かすのが一番の仕事ですけどね。皇帝陛下」
「それだけ自信があるのなら、馬車馬のように働いてもらうぞ」
「言われずとも働かせていただきますよ。馬車馬や働き蜂や働きアリの如く、陛下のために」

 ごっこ遊びに、僕たちは顔を見合わせるとくすくす笑い合った。
 皇帝と騎士。幼いころに交わした他愛もない約束は、所詮は夢見物語で決して叶わない夢だと思っていた。それがあと一週間で叶うのだ。
 (だけど、こんなにも喜ばしくない)
 こんな形で叶うのならば、叶わなければ良かった。その言葉は僕の胸の中にだけ収められた。口には出せない。そんなこと、ルルーシュには絶対に言えない。
 目の前で、ルルーシュが柔らかい笑みを浮かべていた。手を伸ばせばその温もりに触れられる。
 (―――それは、あとどれくらい?)
 今この瞬間にも、ルルーシュの死へのカウントダウンは始まっている。あと何ヶ月、あと何週間、あと何日、あと何時間。残された時間を僕は数えながら過ごすのだろう。そうして、カウントがゼロになったときに、
 (この温もりが、失われる。永遠に)
 胸がつきりと痛んだ。こんなことはやめようと喚き散らせたらどんなに良かっただろうか。でも、僕にはそんなこと許されない。
 痛みを奥に隠して、僕はルルーシュに笑いかけた。

「ルルーシュ。ひとつだけお願いを聞いてくれないかな」
「お願い?」

 ルルーシュが首を傾げた。

「俺の叶えてやれることなら聞いてやるが」
「簡単なことだよ。誰にだって出来る」
「なんだ?」
「一緒に眠って欲しいんだ」

 僕のお願いにルルーシュは固まる。たっぷり十秒の間を置いて、「……は?」とようやく反応が返ってきた。

「誰にでも出来ることだろう?」
「いや、たしかに誰にでも出来るが、出来るからといって…」
「叶えられることなら聞いてくれるんでしょう?」
「聞くとは言ったが、」
「ぐっすり眠ってしっかり頭を回してもらわないと困るんじゃないの?」
「困るが、しかし……」
「ダメなの?」
「ダメというか……」
「あーもう、じゃあいいや」

 色よい返事が返ってこないことに痺れを切らした僕は、ルルーシュの腕を掴んで引っ張ると、そのまま一緒にベッドに倒れこんだ。

「す、すざく!」

 慌てて起き上がろうとする身体を、押さえ込むことで阻止する。

「一緒に寝るだけだよ。昔はよく川の字になって寝たじゃないか」
「それは昔の話だ!ベッドだって狭いのに」
「君の寝相が良ければ問題ない」
「お前の寝相はどうなる」
「もう、いいから寝るよ」

 そのまま寝る体勢になった僕に、ルルーシュはそれ以上反論せず、小さく溜め息をつくと渋々といった感じで目を閉じた。そして僕の腕を外し、もそもそと動いて背を向ける。
 顔が見られないのが寂しいと思ったけれど、あまりちょっかいを出すと猫みたいに逃げ出してしまうのでしばらく放っておくことにした。
 それからどれだけ時間が経っただろう。
 聞こえてくるルルーシュの呼吸が穏やかになったころ、僕はそっと身体を近付けると、背中からルルーシュを抱き締めた。腕の中の身体がぴくりと反応するが、寝たフリをすることにしたのか、文句は出てこなかった。
 先ほどまでの欲望はすっかり消え失せていたから、こんな状況になってもルルーシュを抱きたいだなんて考えは浮かばなかった。ただ、彼を抱き締めて一緒に眠りたかった。その温もりを腕の中に閉じ込めておきたかった。
 鼻先で髪をかき分け、触れるか触れないかの距離でうなじの辺りにそっと唇を寄せる。ルルーシュの匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。やはりとても清潔な匂いがする。今は同じシャンプーと石鹸を使っているはずなのに、自分とは違う匂い。違う存在なのだから、それが当たり前なのだろうか。
 (いずれ壊してしまう。僕が、僕の手が―――)
 ぎゅっときつく抱き締める。埋めるように首筋に顔を押し当てた。
 ルルーシュは何も言わない。
 何も言ってくれないことがありがたく、だけど哀しくもあった。
 どれくらいそうしていただろう。もう離さなければと力を緩めた僕の手に、微かに触れるものがあった。ややあってしっかりとした温もりを感じた。
 ルルーシュの手が、僕の手を上から包んでいる。
 認識した途端、身体が硬直して動かなくなってしまっていた。あれほど自分から触りに行っていたというのに、ルルーシュから触れられることにひどく緊張していた。
 僕は恐る恐る手を動かすと、指を絡めるようにしてルルーシュの手を握った。
 ルルーシュは何も言わない。僕も何も言わない。
 胸と背中をぴたりとくっ付け、手を握り合い、二人でベッドに横たわる。会話も何もない。真っ暗な部屋の中で、ただ時間だけが過ぎて行く。
 ルルーシュは何を思っているのだろう。その心のうちが気になったけれど、嫌がる素振りも見せず、僕と一緒に大人しく横になってくれているルルーシュが今はとてもありがたかった。
 この時間が永遠に続けばいいのに、なんて陳腐なことは思わない。
 僕はルルーシュの罪を、ルルーシュは僕の罪を、僕たちはそれぞれ罰しなければならない。この先にある結末を思い描くたびにどうしようもなく胸が軋もうと、僕たちは計画を完遂させなければならない。
 止めたい。
 止められない。
 止めてはいけない。
 やめようとは言えない。
 それを口にするには、僕たちは罪を犯しすぎた。どちらかが逃げ出すことは、どちらかが許さないだろう。
 もう後戻りは出来ない。
 僕は顔の位置をずらして、唇をルルーシュの首筋にそっと触れさせる。腕の中の身体が一瞬だけ強張ったが抵抗はなかった。
 悪いことをしているという意識はあったけれど、どうしても離すことができない。
 (ごめん、ルルーシュ)
 心の中だけで謝罪すると、まるでその声が聞こえたかのように、絡まっていた指に少しだけ力が込められた。
 たったそれだけのことに、泣きたくなるほど感情が揺さぶられる。
 残り一週間。
 僕たちが、ただのルルーシュとただのスザクでいられる最後の時間だった。
 (09.03.28)