狭くないはずの室内は、人が多くて少し息苦しいくらいだった。
目の前には円形の会議用テーブルが置かれている。それだけでも部屋の半分を占領するというのに、現在は十脚の椅子がすべて埋まっており、メイン席の後ろにも簡易椅子があって職員が腰を下ろしていた。
ルルーシュの背後に立つスザクからは人の頭ばかりがよく見える。この三ヶ月ですっかり見慣れた光景だ。
「では次」
ルルーシュの声に、「はい!」と良い返事が返ってきた。
「サクラダイト採掘権に係る国際会議の前に、我が国と事前調整を行いたいとの申し入れが日本側からありました」
「あちらのメインは?」
「首相がいらっしゃるそうです」
「そうか。ならばこちらも宰相閣下を出したほうがいいな。シュナイゼル兄上には私からご相談する」
「かしこまりました」
「本会議の出席者はオデュッセウス兄上で変更ないな?」
「はい。それから、同時開催されるナイトメア技術の先進的事例に関する会議には、コーネリア皇女殿下とユーフェミア皇女殿下のお二人がいらっしゃると正式に報告がございました」
「皇族が三人、シュナイゼル兄上を含めると四人か。これだけ集まるとなると警備面をしっかりしなければいけないし、日本側との打ち合わせも必要だな。本国から何か指示は来ているか?」
「ルルーシュ殿下のご判断に従うとのことです」
手元の書類に何かを書き込みながらルルーシュが矢継ぎ早に質問する。
二十代とおぼしき文官は今回が初めての打ち合わせで、はた目にも緊張した様子が伝わってくるけれど、それでもルルーシュの問いに淀みなく答えていた。
「会場付近にはナイトメアも配備したほうが良さそうだな。スザク」
「はい」
綺麗な面立ちがスザクを振り返った。そんな何気ない仕草ひとつにも皇族らしい洗練されたものを感じる。
「当日の警備隊長は別に任命するが、準備の間、ラウンズとして彼らに助言してほしい」
「わかりました」
「では、来週中には警備担当者との打ち合わせをセットしてくれ」
「イエス、ユアハイネス」
きびきびと答えた文官は自分の案件が終わってほっとしたのか、椅子の背もたれに寄りかかった。しかし、打ち合わせ自体はまだ続いていることに思い至ったようで、すぐさま姿勢を正す。真面目で実直そうで、悪くない人材だ。
パネルを操作して次の資料を表示させたルルーシュは、そこで不快そうに眉を寄せた。最後の議題を持ち込んだ男が慌てた様子で切り出す。
「在日中華連邦大使との面会をセッティングしてほしいと本国から要請が来ておりまして」
「中華連邦なら得意分野としている者がほかにいるだろう。わざわざ大使館に言ってくる必要性がない」
「今回はサクラダイト採掘権の国際会議と日程を合わせたいという意向があるようでして」
「それでうちに押し付けてきたのか」
「押し付けだなんてそんなことは」
「こちらは各国代表のもてなしと日本側との調整で手一杯だ。中華連邦と面会をしたければ、専門の担当者を寄越してから改めて要請しろと伝えておけ」
「し、しかしそれでは…!」
食い下がろうとした相手をルルーシュがひと睨みした。
「ここはブリタニア大使館だ。本国から全権を委ねられているのはクロヴィス大使であることを忘れるな」
一回り以上も年下の副大使に諌められたことが気に食わないのか、男は苦々しい表情を隠さない。それをいちいち咎めることはせず、ルルーシュは打ち合わせの終了を告げた。
「では、今日も一日よろしく頼む」
イエス、ユアハイネスの声が一斉に返り、文官や武官が立ち上がった。彼らが出ていくと酸素濃度が正常に戻り、執務室は普段の静けさを取り戻した。
息を吐き出したルルーシュは、椅子に寄りかかるとぐるりと半回転させてスザクを見上げてきた。
「次の移動まで何分ある?」
問われたスザクは予定表を開くことなく「十五分後です」と答えた。
「何か召し上がりますか?」
朝食がまだでしょう? と暗に伝える。
今朝は起き抜けに急ぎの案件が舞い込み、ルルーシュは朝食をとるより前に着替える羽目となった。すでに午前十時を回っているけれど、まだ紅茶しか口にしていない。
「このあと昼食会が入っているから……、いや、フルーツだけもらおうか」
「かしこまりました」
短く答えると、至急フルーツを持ってくるよう内線で伝えた。
その間、ルルーシュは終えたばかりの打ち合わせ資料を確認していた。
「移動中に今朝の新聞を読みたい」
パネルとにらめっこしたままルルーシュが口を開く。
「全紙ご用意しておきます」
「それから、昼食会での兄上の衣装に変更がないか確かめておいてほしい」
「変更があった場合はいかがいたしましょう」
「衣装係に任せる。適当に持ってくるようジェレミアに伝えておいてくれ。わかっているとは思うが、くれぐれも兄上より派手なものにはしないように」
「はい」
そこへ頼んでおいたフルーツが運ばれてくる。
テーブルに器を置くと、ルルーシュはフォークを口に運びながら、もう片方の手は相変わらず資料をめくっていた。
それをお行儀が悪いと咎めるつもりはない。物を食べる行為すら時間が惜しいと思ってしまうのが今のルルーシュだ。こうしてちゃんと食べてくれるだけマシである。
ルルーシュが日本のブリタニア大使館の副大使となって早三ヶ月。
この三ヶ月の間、ルルーシュは多忙を極めていた。
就任当初は異母兄のおまけとして遊学に来ただけのお飾りだろうという見方をされていたが、類い稀な能力の高さと指示の的確さ、さらに大使であるクロヴィスが全面的に弟を信用して仕事のほとんどを任せていることから、お飾りの副大使というレッテルは一掃された。
それ自体はいいことだ。しかし、クロヴィスがことある事に「ルルーシュに聞いてくれ」と判断を丸投げした結果、何かあればルルーシュという認識が大使館の全職員の間に広まってしまった。
いつの間にか副大使の権限を超えた案件までルルーシュに回ってくるようになり、「まずはルルーシュ副大使を通すこと」というのが在日ブリタニア大使館の暗黙の了解となっている。
こうして副大使と大使の仕事を一手に引き受けることとなったルルーシュは毎日が多忙だ。
大きな事案から小さな問題まで、片付けなければいけない案件は山ほどある。そのすべてに時間を取っている余裕はない。しかし、職員からの相談や報告を蔑ろにするわけにもいかない。
そこで講じられたのが、その日のスケジュール確認や各々が抱えている課題についてまとめて聞くという手法だった。
担当者が副大使執務室で一堂に会し、朝九時から打ち合わせを行うというやり方は前例のないもので、最初は面倒がる向きもあった。
だけど、誰がどんな案件を抱えているのか、大使館にどんな問題があるのか、本国からはどういう指示が出ているのか、それらを職員が共通認識として持つのは悪いことではないという意識になり、今ではすっかり定例となっている。
打ち合わせは役職に関係なく出席が可能で、説明できるのであれば誰が報告してもいい、とにかく話がわかるやつを出せというのがルルーシュのお達しだった。
幹部でもない一般職員が副大使に説明するだけでも一大事なのに、ブリタニア皇族と直接言葉をかわせるということで、若手の中には張り切って仕事に取り組む者も増えたと聞く。ブリタニア人にとって皇族は特別な存在で、彼らに接するのは一種の栄誉なのだろう。
そういう空気を苦々しく思う幹部もいるようだ。しかし、クロヴィスが全面的にルルーシュを支持する以上、表立っての批判や職務放棄は許されない。
クロヴィス本人は意識しているのか無自覚なのかわからないが、彼が異母弟を手放しで褒めれば褒めるほど、大使館内におけるルルーシュの評価と立場は強固なものになっていくのだから、ある意味その手腕は見事とも言える。
クロヴィス兄上は政治に関してはまったくもって頼りないと酷評するルルーシュも、弟を素直に認めて一目置いてくれるクロヴィスには感謝しているようだ。
(殿下の場合は素直じゃないから、面と向かってありがとうは言わないけど)
だが、ごく稀に弟らしい甘えを見せることがある。それはほんの一瞬だけで、対応を間違えればすぐさま普段のツンとしたルルーシュに戻ってしまうのだが、もしかしたらその一瞬のためにクロヴィスはルルーシュを構っているのかもしれない。
有り得る、とスザクは深く納得するような気持ちになった。
ルルーシュに甘えてもらいたいとか、ルルーシュを喜ばせたいとか、それらはスザクも抱く感情だ。立場や関係性はまったく違うけれど、クロヴィスとは通じ合うものがあると密かに思っていた。
(そんなことはルルーシュ殿下にもクロヴィス殿下にも絶対に言えないけど)
フルーツが入っていた器は空になっていて、ルルーシュは左手に持ったフォークを上下にゆらゆらと揺らしていた。フォークを戻すことすら手間のようだ。
スザクは小さく笑い、彼の手からフォークを取り上げた。あっ、という表情で顔を上げたルルーシュに、そろそろお時間ですと伝える。
「もう十五分経ったのか」
「正確には十二分です」
残りの三分は身支度の時間だ。
口元を拭ったルルーシュが立ち上がるのと同時に、スザクはマントを手に取った。
「朝から慌ただしくてすまないな」
「いいえ。一番お忙しいのは殿下ですから」
マントを肩にかけ、スカーフの位置を直し、ピンを留め直してから最後に髪を整えると「出来ました」と声をかけた。
「参りましょう」
扉を開けると、廊下ではジェレミアとルルーシュの親衛隊の面々が控えていた。深々と頭を下げたジェレミアが先を行く。
それにルルーシュが続き、スザクは彼の背後を守りながら歩いた。
窓から覗く空は高い。梅雨の終わりは間近で、夏の気配がすぐそこまで近付いていた。
***
(これは由々しき事態だ)
組んだ両手を口元に当てたルルーシュは、手元の書類をじっと見つめた。
その顔があまりに深刻そうだったのか、控えていたジェレミアが「何か問題がございましたか?」と恐る恐る聞いてきた。
「あ……、いや、これは問題ない。決裁だったな」
ペンを取り、書類の一番下にサインをする。
ありがとうございますと頭を下げて受け取ったジェレミアは、書類を持ったまましばらくその場に立っていた。
「どうした?」
「お疲れではないですか?」
「そんなことはないが」
「日本に来て以来、一日も休みがありませんし、そろそろ休暇を取られてはいかがでしょうか」
「国際会議の件もあるから、それが終わるまで休むわけにはいかないだろう」
「しかし……」
「休みを取りたくなったら兄上に言うから心配するな」
にこりと笑えば、複雑な顔をしつつもジェレミアは退室して行った。
ひとりになった執務室にルルーシュの溜め息が響く。
(人前で気を抜いてしまうとは、俺としたことが不甲斐ない)
こんなことでは駄目だな、と落ち込むような気分になる。
副大使として着任してからすでに三ヶ月。この三ヶ月のルルーシュはあまりに多忙だった。
今までただの学生として過ごしてきたので、徐々に仕事をこなして徐々に日本での足場固めをしていこう、うるさい貴族が日本にも大勢いるから最初はなるべく目立たず控えめに、というのがルルーシュの当初の計画であった。
しかし、その計画は異母兄のシュナイゼルによって大幅な変更を余儀なくされた。
前の大使が不正で逮捕されたこともあり、「君の役目はクロヴィスの補佐だけでなく、大使館業務と職員の意識の改善を図ることだよ」とにこやかに言われ、またとんだ無茶ぶりをとげんなりしたのは出発の一週間前だ。
俺は副大使でなんの責任も発生しないし、責任のあることはクロヴィス兄上に押し付けるつもりだったのにどうしてこうなったと頭を抱えたくなったものの、シュナイゼルの指示ならば応えないわけにはいかない。
かくして、日常業務に加えて不正の再発防止と職員の意識改革が急務の課題となり、ルルーシュは仕事に追われる毎日を送る羽目になった。
(別に仕事が嫌なわけではない。皇族として当然の責務だし、大使以外にも甘い汁を吸っていた連中がいるはずだから、ブリタニア大使館の膿を出し切らなければならない。それは俺がやるべきことだし、俺ならばできるという自信もある。だから仕事はまったく問題ないんだ。ただ……)
脇によけていた白い便箋を正面に置き、ペンを手に取った。重要な書類へのサインとは違い、インクは少し青みがかった黒だ。
この部屋に様々なインク瓶を並べたとき、黒以外のインクがあるのですねと興味深そうに見比べていたのはスザクである。
日本人は墨と墨汁のほうが馴染みがあるか? と聞けば、僕は書道はあまり好きではなかったのでと苦笑いが返ってきた。
(袴を着て書道をするパフォーマンスをテレビで観たことがあるな。スザクならきっと似合うだろうに)
和装のスザクを想像して楽しい気持ちになっている自分にハッとする。そうではなくて、とルルーシュは首を振った。
(スザクはどう思っているのだろう……)
仕事で毎日顔を合わせているものの、恋人としては三ヶ月も放ったらかしの状態だ。
もちろん甘い雰囲気が皆無だったわけではない。
スケジュールが急に空いたときに二人きりで過ごしたことはある。部屋のソファに座り、何も言わずにお互いの手を握ったこともある。
(だが、それだけだ)
手を繋いだのがもっとも親密な接触で、抱き締めたりキスしたりというスキンシップはなかった。
せめてキスぐらいは日常的にやろうとルルーシュなりに意気込んでみたものの、朝から急ぎの案件が飛び込んできたらそちらを優先しなければならない。キスどころか挨拶以上の会話もできないまま仕事に取りかかったことは一度や二度ではなかった。
これが普通の恋人ならば間違いなく怒るだろう。三ヶ月も蔑ろにしてどういう了見だと、詰め寄られても仕方のないことをしていると思っている。
しかし、スザクはいまだ何も言ってこない。毎日ルルーシュのそばに付き従い、ルルーシュの身を守ってくれていた。
(まさか愛想が尽きたなんてことは……)
最悪の事態が浮かび、それはないそれだけはない多分ない、と今度は大きく首を振った。
ペン先からインクがポタポタと落ちて真っ白な紙を汚す。また書き損じてしまったと、何度目になるかわからない溜め息をつく。ペンを置くと汚した紙を丸めた。
今日はスケジュールがゆったりしているのでようやくナナリーへの手紙が書けると楽しみにしていたのに、時間が空いて真っ先に考えるのは恋人のことだ。不届きな兄ですまないと、遠いブリタニアの地にいる妹に心の中で詫びる。
(愛想を尽かしたから俺に何も言わないという可能性はゼロではない)
現在のスザクはラウンズだ。しかし、いずれ彼はルルーシュの騎士となる予定だった。
このことはまだ非公表で、当人達を除いては、父とシュナイゼルとクロヴィスしか知らない。最愛のナナリーにすら打ち明けてなかった。
父からの正式な許可が下りていないことも原因だが、まずは副大使とラウンズとして日本で認知されたあと、しかるべきときに公表しようというのがルルーシュの腹積もりだからである。
スザクは日本人だ。十代前半でブリタニアに渡って以来、ほとんど故郷には戻っていないらしい。
今回、ルルーシュの副大使就任に伴って久しぶりの帰国となったわけだが、日本国内はスザクの凱旋帰国に沸いたと聞く。
ブリタニア皇子の護衛を日本人が務めるということで、国内ではスザクのこれまでの活躍が大々的に報道されたそうだ。ブリタニアと日本が友好な関係を保っているからこその好意的な歓迎ぶりだった。
一方で、あいつはもう日本人じゃなくてブリタニア人じゃないかという意地悪な見方をする人間もいた。人の意見は様々なので、同じ物事に対して好意的な意見もあれば悪意に満ちた意見もある。
それは仕方のないことだし、ルルーシュ自身、ブリタニア皇宮という善意と悪意の渦巻く場所で生きてきたので、何をしても文句を言う連中がいることは嫌でも知っていた。
だから、スザクを連れて行けばそういう意見も出てくるだろうと予想した。
それでも彼を同行させたのは、一緒にいたいからという個人的な感情以上に、スザクに故郷の土を踏ませたあげたいというこれまた個人的な気持ちがあったからだ。
そのことをスザク本人に伝えたことはないけれど、久しぶりの故郷に感慨深いものを感じている様子なのは見て取れた。だからこそ、ブリタニア皇族の騎士になるという選択を彼の故郷の人々に受け入れてもらいたいと思った。
歓迎されなくてもいい。手放しで喜んでほしいとも言わない。ただ、スザクの決断は間違っていないのだと、一人でもいいから感じてほしかった。
そのためにも、ルルーシュには副大使としての実績を残す必要がある。何かしらの実績がなければ、ルルーシュに対する評価はいつまで経ってもお飾りの副大使だ。騎士の件を周囲に隠しているのはそういう事情もあった。
(ということをスザクは知らないから、俺が好き好んで仕事に追われていると勘違いされていたらどうしようか)
このまま自然消滅なんてことは。
ふと浮かんだ可能性に血の気が引くような気がした。
しかし、最初の一ヶ月ならともかく、三ヶ月が過ぎてしまってはすべてが後手に感じられる。ここから挽回する方法があるのだろうか。
恋愛経験の乏しいルルーシュには恋の駆け引きなんてものはわからないし、見当も付かない。こんな状態でナナリー宛ての手紙を書くのは申し訳なく、諦めたようにペンを置いた。
(もう七月か)
初めて日本の梅雨を経験し、あまりの鬱陶しさに辟易したのはほんの数日前までのことだ。
その梅雨も昨日には終わり、カレンダーはいつの間にか七の月に入っていた。
(七月……もうすぐスザクの誕生日だな)
彼の誕生日はブリタニアにいた頃からリサーチ済みだ。しかし、スザクだけを特別扱いするわけにはいかないと、これまで彼の誕生日を祝ったことはなかった。
(でも、今年は恋人になって初めての誕生日なわけだし、表向きは俺の護衛なんだから多少の特別扱いは許される)
いや、特別扱いしなければいけない、とルルーシュは執務机の上で拳を握り締めた。
必要以上に誕生日を意識してしまうのには理由がある。もうすぐナイトオブセブン様のお誕生日よ、と大使館の女性職員や皇族専用の使用人が浮き足立った様子で話しているのを偶然聞いてしまったからだ。
息抜きにと大使館内を散策していたときのことだった。
まさかルルーシュに盗み聞きされているとは思いもしない彼女達は、隠すことなくあけすけな会話を繰り広げていた。
何を贈ろうかしらとか、一人ずつ渡したら大変なことになるから連名にしない? とか、毎日お忙しいから結局渡せないってオチになるんじゃない? とか、プレゼントに関する話がメインだったはずだ。
それがどこでどう話題が変わったのか、これを機にお近付きになってナイトオブセブン様の恋人になりたいという願望まで出てきた。
なんだなんだこの会話は、とルルーシュが動揺している間にも彼女達の話は続いていて、この光景はなんだか既視感があるなと記憶を探った。
既視感の理由はすぐに思い当たった。あれはバレンタインだ。
スザクにチョコレートを贈っていた女子生徒達と同じなのだと気付き、どの世界でもスザクを狙う女は多いということを思い知った。
(役職が低いとラウンズにお目にかかれる機会は少ないからな。もしここでスザクに見初められたら玉の輿だ)
女性達のほとんどがスザクよりも年上だが、ラウンズという絶対的な権力者の前では年齢差など関係ないのだろう。
目の色を変えるのは当然かと、ルルーシュは睨み付けるようにカレンダーを見た。
(スザクは俺のものなのに)
恋人としてだけでなく、騎士としても彼はルルーシュのものだ。
でも、恋人であることは大々的に言えることではないし、騎士の件も世間にはまだ発表できない。今の二人は副大使とその護衛でしかなく、焦るような気持ちと女性達への嫉妬が生まれる。
こんなことをしている場合ではないのにと、ルルーシュはうつ伏せになって机に懐いた。
すると、タイミングを見計らったように内線が鳴った。のろのろと身を起こして通信ボタンを押す。
「ジェレミアか。どうした」
「皇神楽耶様がいらっしゃいました」
「神楽耶様が?」
がばりと身を起こす。
それはスザクの従妹の名前だった。皇家という由緒正しい家柄の姫で、ルルーシュが副大使として来日した際には何かと世話になった人である。
スザクはあまり得意ではないのか、神楽耶が顔を見せるといつも微妙な表情をしていた。仲が悪いのか? とこっそり聞いてみたところ、子供の頃に散々苛められたもので、と苦々しい顔付きをされた。
「京都のお土産を渡してほしいとおっしゃってそのままお帰りになろうとされたのですが、私のほうでお引き止めしました。差し出がましい真似をして申し訳ございません」
「いや、構わない。お茶の一杯も出さずに神楽耶様を帰したらブリタニアの信用問題になる」
神楽耶本人が気にしなくても、彼女の御付き達が何を言うかわからなかった。
その点も神楽耶は配慮してくれるだろうが、スザクの従妹をこのまま帰すのは申し訳ない。
(それに、チャンスだ)
スザクをよく知る人物がスザクの誕生日前に現れた。これは僥倖である。
「それで今はどちらに?」
「応接の間でお待ちいただいております」
「わかった、すぐに向かう」
通信を切るとルルーシュは執務室を出た。部屋の前の衛兵に行き先を告げ、少し迷ってから「スザクが戻ってきたら兄上からの呼び出しだと言っておいてくれ」と伝えた。
嘘をつくことに若干の後ろめたさはあったが、すべては彼の誕生日のためである。
応接の間に着くと、神楽耶はソファにちょこんと座っていた。彼女ひとりで、御付きの姿はない。ほかの人間は控えの間にいるのだろう。
向かい合って座った途端、申し訳ございませんと頭を下げられた。
「ルルーシュ様はお忙しいのに、私のためにお時間を取っていただいて。近くまで来たので手土産をお持ちしたのですが、やはりほかの者に届けさせるべきでした」
「お気になさらないでください。集中できなくてぼんやりしていたときだったので、むしろ助かりました」
「まあ、ルルーシュ様でも集中できないことが?」
「もちろんありますよ」
「大使館のお仕事は本国との調整もありますし、頭を悩ませたり気を遣われたりすることが多くて大変なのでしょうね」
頭を悩ませているのは仕事のことではなくあなたの従兄のことですと答えるわけにもいかず、ルルーシュは曖昧に笑みを返した。
神楽耶は聡明な女性で、政治から芸能まで知識が幅広い。今日もルルーシュがまだ知らない日本のことを教えてもらいつつ、お茶とケーキを楽しんだ。
ケーキは大使館近くにある人気店の看板商品で、使用人がわざわざ朝から並んで買ってきてくれたものである。先日、暇潰しに女性誌を読んでいたら特集記事が載っていて、ルルーシュが「食べてみたいな」と何気なく呟いたのを覚えてくれていたらしい。
思いがけない心遣いが嬉しくてありがとうと笑顔で伝えたら、なぜか彼女は真っ赤な顔をして「め、めめめ滅相もございません! 殿下に喜んでいただけるのでしたら徹夜でもなんでもいくらでもいたします!」とひどく慌てた様子で部屋を出て行った。
(そういえば、あの反応はなんだったのか)
スザクに聞いても、「まあ年頃の女性ですから」と意味不明なことを言っていた。年頃の女性は皇族に慣れていないという意味なのか。
スザクの言うことはたまにわからないなと思ったルルーシュは、ふとカップに目を落とした。
琥珀色の水面には自分の顔が映っている。言おうかどうしようかと迷っている顔だ。
(えぇい、悩んでどうする。千載一遇のチャンスだぞ。このチャンスを逃せば次に神楽耶様に会えるのはいつになるかわからないんだ)
しっかりしろルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、と己を叱咤して目線を上げた。
「神楽耶様、実は折り入ってご相談があるのですが」
美味しそうにケーキを頬張っていた神楽耶がこてんと首を傾げた。
「その……、ご相談というほどのことではなく、私の個人的な、つまりプライベートなことで、神楽耶様のお手を煩わせるような内容ではないのですが」
「まあ、ルルーシュ様からプライベートに関するご相談を持ちかけていただけるなんて光栄ですわ。私でお役に立てることでしたらなんでもおっしゃってください」
どんと胸を叩いた神楽耶はとても頼もしく見える。さすがはスザクの従妹だと笑みを零し、ルルーシュは思い切って切り出した。
「ご相談というのはスザクに関することなのです」
「スザクの?」
「はい。もうすぐスザクの誕生日なのでお祝いをしたいと思っているのですが、私はスザクの好みをよく知らないですし、だからと言って本人から直接欲しいものを聞くというのは芸がないですし」
「なるほど、それで私に」
「子供の頃からスザクのことを知っている貴女にならアドバイスをいただけるのではないかと思いまして」
「スザクの好みですか……。スザクがブリタニアに渡ってからは交流がないので、私も最近の好みはあまり知らなくて……」
「あ……そうですよね」
従妹ならばと当然のように考えたけれど、神楽耶とはしばらく交流が途絶えていたとスザク本人が言っていたではないかと思い出す。誕生日に気を取られ、肝心なことを忘れていた。
俺は馬鹿かと思っていると、「大丈夫です」と神楽耶がぽんと両手を合わせた。
「スザクの好みを知らないのならば、これから知っていけばいいのです。ルルーシュ様とスザクはお友達ではないのですから、現時点でスザクのことを知らないのは当然のこと。それに、周りがスザクのことをどう評価しようと、それはあくまでその人の主観によるスザク像で、本当のスザクとは違いますでしょう?」
問いかけられて、ルルーシュは確かにと頷いた。
「ですから、ルルーシュ様が御自身の目と耳で確かめるのが一番かと」
「つまり、本人に直接聞いたほうがいいということですか?」
「直接聞くのは芸がないとおっしゃる気持ちもよくわかります。でも、スザクはそんなことを気にするようなタイプではありませんし、ルルーシュ様がスザクのことを気にかけてくださっていることを知ったらむしろ喜ぶと思います」
「喜ぶでしょうか?」
訝しげな声を出すと、神楽耶がにこりと笑った。
「きっと喜びます」
なんの根拠もないけれど、彼女にそう言い切ってもらえて安堵するような心地がした。
交流がなくなっていたとは言え、幼少期を共に過ごした従兄妹同士だ。血の繋がりがすべてとは思わないが、血の繋がりがあるからこそわかるものもあるのだろう。
「というわけで、私から具体的な提案をさせていただきたいのですが」
「なんでしょうか」
内緒話をするように身を乗り出した神楽耶に、ルルーシュも釣られて前のめりになった。
「スザクの生まれ育った家を見てみたいとは思いませんか?」
「枢木の実家、ということですか?」
「はい。今のスザクを知るには、まずはスザクのルーツを知るところから」
「それはとても興味深いですが、いきなり私が訪ねてもあちらの家が困るのではないでしょうか」
「おじ様には私から話を通しますのでご安心ください。ルルーシュ様は日本にいらしてまだ国内をゆっくりご覧になっていませんし、日本らしい屋敷を見学するという名目が立つでしょう? あくまでプライベートの訪問ということで、おじ様の出迎えや特別なことは必要ないと念を押しておきます」
いかがですか? と聞かれてルルーシュは返事を躊躇った。
スザクがどういう場所で育ったのか、この目で見てみたいという気持ちはある。
しかし、いくら神楽耶が気を回してくれたとしても、ブリタニアの皇子が訪問するとなればちょっとした騒動になるだろう。ルルーシュの個人的な事情のために迷惑をかけることはしたくない。
「枢木は要人の訪問に慣れていますし、過去にはブリタニア皇族の方がいらっしゃったこともあるので遠慮される必要はありません。それでも気が咎めるということでしたら、私からの招待とさせてください」
日本の姫君にここまで言わせて断るのはかえって失礼だ。ルルーシュは腹を決めた。
「その計画に乗らせてください」
ようやく承諾すると、神楽耶は「良かった」と嬉しそうな顔をした。
「万事私にお任せください」
「頼りにしています」
ルルーシュよりも年下なのに、その発言と行動力は非常に頼もしい。異国の皇子相手にここまで心を配ってくれる彼女には感謝しかなかった。
「何かお礼をさせてください」
「私はルルーシュ様のお役に立ちたいだけですから、どうぞお気になさらないでください」
「そういうわけにはいきません」
「でしたら、次回はお食事のお相手をお願いします」
「食事でしたらいくらでも」
「そのときはスザクなしで」
「わかりました」
食事の約束にはしゃぐ神楽耶は普通の少女だった。ナナリーと同い年なのだから当然かと、ルルーシュは頬を緩めた。
(とりあえず、問題のひとつはクリアだな)
訪問日や当日の計画などを相談していたらかなりの時間が経っていて、ようやく執務室に戻ったときにはスザクが大いに心配していた。
クロヴィス殿下のお話はなんだったのですか、何か問題でも発生しましたかと聞いてくる彼に、ちょっとお茶をしてついでに雑談をしてきただけだとルルーシュは答えた。
スザクの誕生日のためとは言え、彼に嘘をついてしまったことにルルーシュの胸は少しちくりと痛んだ。
***
枢木家の訪問はスザクの誕生日の三日前と決まった。
クロヴィスの発案で当日はバースデーパーティが開かれることとなり、その予定と被らないようにしたためである。
枢木家への訪問のために半日休みがほしいと異母兄に訴えようとしたところ、「実はルルーシュに相談があるんだ」と逆に切り出された。兄弟の誕生日ならともかく、兄弟の騎士予定者の誕生日を覚えてくれていたことに驚いたし、パーティーの予定まで立ててくれたことに二重で驚いた。
どういう風の吹き回しかと怪しんでいたら、「ルルーシュの騎士の誕生日なのだから兄の私が祝うのは当然のことだろう?」とクロヴィスは胸を張った。
パーティーの好きな異母兄なのでスザクの誕生日に便乗しただけという可能性もあるが、祝ってくれること自体はありがたいし、人数が多ければスザクも喜ぶだろうと、ルルーシュは異母兄の提案を快く受け入れた。
そうして、いよいよ枢木家訪問の日がやって来た。
スザクには午後から休みであることと、足を伸ばしたい場所があるから少し付き合ってほしいとしか伝えていない。
皇族の扱いに慣れている彼は、どちらへ? と不躾に質問してくることはなかった。ルルーシュに従い、黒塗りの車に乗って目的地まで向かう。
不思議そうにしていたスザクは、やがてその道が記憶にあるものだと気付いたのか、不可解そうな顔で窓の外を確かめ始めた。
二人を乗せた車は私有地の一本道を走り、大きな屋敷の前でゆっくり止まった。
「殿下、ここは」
「降りるぞ」
ルルーシュが後部ドアを開けようとすれば、お待ちくださいとスザクに制された。シートベルトを外した彼は、車外に出ると急いでルルーシュ側に回る。
ドアが開けられ、ルルーシュは地面に足を下ろした。
「お待ちしておりました、ルルーシュ様」
出迎えてくれたのは神楽耶だった。
笑みを浮かべたルルーシュに対し、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたスザクは、少し遅れて険しい視線を神楽耶に投げた。
「なんで君がここにいるんだ」
「私はただの案内役です」
「すまないスザク、お前に内緒で勝手なことをして。お願いしたのは俺だ。神楽耶様は俺の頼みを聞いてくれたんだ」
「違うんです、殿下に怒っているのではなく」
「でも怒っているのだろう?」
「怒っていません。ただ、ちょっと照れくさいだけで」
その言葉通り、スザクは少しばつの悪そうな顔をしていた。
「誤解のないように言っておきますと、ルルーシュ様を最初にお誘いしたのは私ですよ」
「そんなことだろうと思ったよ」
「ですが、この程度のことでいちいち目くじらを立てるのは心が狭い。これで帝国の騎士をちゃんと務められているのか従妹としてはとても不安ですわ。それはともかく、こんなところで長話もなんですから中に入りましょう。ご案内いたします、ルルーシュ様」
スザクからぷいと顔を背けた神楽耶は、にこやかな表情で玄関のほうに手を向けた。反論の機会を失ったスザクは不服そうな様子だ。
二人の子供っぽいやり取りに、ルルーシュは小さく吹き出す。
「スザクと仲良しなのですね」
神楽耶の隣に並んだルルーシュは、彼女にだけ聞こえるように話しかけた。
「仲良しだなんてとんでもない。子供の頃のスザクはガキ大将で、一日中野山を駆け回っているがさつな男子で、本当に迷惑したのです」
そこまで言って、神楽耶はハッと口元に手を当てた。
「申し訳ございません、スザクの悪口ばかりで。私とスザクの仲はともかく、ルルーシュ様の護衛として申し分ない人材であることは確かですから」
謝罪した彼女に、ルルーシュは肩を揺らした。
「どうかお気になさらず。昔のスザクのお話を聞けるのは嬉しいです」
「悪口でも?」
「ええ。それだけ仲がよろしいという証拠でしょう?」
「もう、ルルーシュ様ったら」
可愛らしく膨れてみせた神楽耶にルルーシュは頬を緩め、数歩後ろをついて歩くスザクをちらりと窺った。
むっとした表情の彼は、ルルーシュと目が合った途端、申し訳ありませんと言うように苦笑いを浮かべた。それに笑いかけると、ルルーシュは前を向いて神楽耶との会話に興じる。
(やはり仲が悪いとは思えないな)
二人とも相手に厳しいことを言うけれど、そこにはお互いへの温かい気持ちが通っているように感じられた。
でも、なかなか素直になれないという感情もよくわかる。ルルーシュも異母兄達に対しては素直に甘えたり接したりできないのだから、スザクと神楽耶にもっと仲良くしろと言う権利はない。
「靴を脱いでお上がりください」
言われたとおりにすると、用意されたスリッパに足を通した。
枢木家の屋敷は外観も内観も非常に日本らしい造りだった。襖や障子といったものを目にするのは初めてで、ルルーシュは興味深く見て回った。
屋敷中を案内されている間、スザクの父親である枢木ゲンブは顔を出さなかった。神楽耶がそういう約束をしてくれたのでルルーシュとしてはありがたいが、スザクは久しぶりに会いたかったのではないだろうかとちらりと思う。
ゲンブ殿はこちらに? とさり気なく神楽耶に尋ねれば、おじ様は仕事で別の場所にいらっしゃいますと返ってきた。
「私のせいで親子の対面を邪魔していないでしょうか」
「スザクとおじ様のことでしたらお気遣いは必要ありませんよ。あの二人が顔を合わせてもきっと喧嘩になるだけでしょうから」
そういえばスザクから実家の話をあまり聞かないなと思った。家を飛び出してブリタニアまで来たのだから、他人には話せない家庭の事情があるのだろうと察する。
(俺も父上とは微妙だし)
思いがけないところでスザクと似ているなとこっそり笑う。
そうしているうちに最後の部屋まで見終わった。先頭を歩いていた神楽耶が立ち止まり、くるりと振り返る。
「私の案内はここで終わりです。あとはスザクと交代します」
主従揃って「えっ?」と聞き返せば、神楽耶が可笑しそうにした。
「息がぴったりなのですね。なんだかスザクがルルーシュ様の騎士みたい」
騎士と言われ、思わずスザクと顔を見合わせる。彼女には騎士の件を打ち明けていないのに、そう指摘されたことにくすぐったいものを感じた。
「ここはスザクの部屋ですから、説明は本人にしてもらったほうが良いかと思いまして」
「ここが? そうなのか?」
隣に立つスザクは、ルルーシュの問いに「ええ、まあ」と歯切れの悪い返事をした。
「何を照れているのですか。恥ずかしいものが置いてあるわけでもないでしょうに」
「置いてるわけないだろ。だいたい、何年戻ってないと思ってるんだよ」
「でも、部屋の中は昔のままだとお手伝いさんが言っていましたわよ? とにかく、ここから先はスザクに任せます。お茶を運ばせますからどうぞごゆるりとお過ごしください、ルルーシュ様」
ありがとうございますと伝えれば、にこりと笑って神楽耶はその場を離れた。
二人きりになった途端、なんとなく照れくさくなってスザクと一緒に笑い合った。
「自分の実家を見学されるというのは恥ずかしいものですね」
「勝手なことをしてすまなかったな」
「いえ、不快という意味ではありません。ただ、昔の自分を知られるのは恥ずかしくて」
襖を開けたスザクは、どうぞとルルーシュを促した。
ほかの部屋と同じく中は畳の部屋だった。十二畳ほどの和室だが、学習机とソファのある一角だけは敷物が敷かれて洋間のようになっている。
棚には子供が好きそうなオモチャやプラモデルが飾ってあった。当時のスザクが気に入って遊んでいたのかもしれない。そう思ったらこの部屋に愛しさが湧いた。
(この部屋はずっとスザクを見てきたんだな)
丁寧に掃除がされているのか、かつての空気を残す部屋はあまり歳月を感じさせなかった。それはつまり、スザクが枢木家の人々に愛されている証拠ではないだろうか。
「何もなくてつまらないでしょう?」
「いいや、俺は楽しいぞ。ここは昔のお前を知っているんだなと思うと感慨深くもある」
横を向いて伝えると、スザクは照れたような表情をした。そこへ「失礼いたします」と使用人の声が聞こえた。
スザクが襖を開ければ、年配の女性が二人分のお茶と和菓子を運んだ。ルルーシュが礼を言うと、彼女は笑いながら口元に手を当てた。
「まさかスザク坊っちゃんがブリタニアの皇子様を連れてくるようになるなんて。昔は想像もできなかったことですよ」
その口調はしみじみとしたものだ。私は坊っちゃんが生まれる前からここにいるんですと言う彼女に、ルルーシュは興味を引かれた。
「では、スザクが生まれた頃を知っているのですか?」
「ええええ、もちろん知っていますとも。生まれたときから元気いっぱいで、小さい頃は本当にやんちゃだったんですよ」
神楽耶の話と同じだと笑う。どうやらスザクはかなりのやんちゃ坊主だったらしい。
いきなり暴露される昔話にスザクは「げっ」という表情をするが、ルルーシュの会話を遮るわけにはいかないと思ったのか、うずうずとした様子で見守るだけであった。
「そんなやんちゃ坊主が、中学生になると今度は女の子に興味を持って。坊っちゃんはおませさんでしたから、中学生になるとよく彼女を連れてきたものです」
「彼女……?」
「その話はいいから!」
いきなりスザクが声を上げた。慌てて彼女の背中を押し、部屋の外に押し出す。
「照れなくたっていいじゃないですか」
「そういう問題じゃないから! とにかくここはもういいって!」
急いで襖を閉めたので、ぴしゃりと大きな音が部屋に響いた。ルルーシュが反射的にびくりとすれば、申し訳ございません! とこれまた慌てた様子で謝られる。
「えっと、その……」
言葉を探しているスザクにルルーシュは足を動かして近付いた。それから彼の胸倉を掴み、ぐいっと引っ張る。
唇を押し当てただけのキスだったけれど、スザクは呆気に取られた顔をしていた。
「今さらな話だが」
翠の瞳を真っ直ぐ見ながら切り出す。
「お前、俺より前に付き合っていた女がいるよな?」
「それは」
「言い訳は必要ない。事実だけを話せ」
「……はい、いました」
答えは最初からわかっていたものの、スザクの口からイエスと伝えられるとやはり落胆した。正直に答えろと言いながらショックを受けるなんて身勝手なものである。
「ですが、本気で好きになったのは殿下だけです」
「遊び慣れているやつはそういうセリフをよく吐くと聞くが?」
「本当です。疑われても仕方のないことをしてきた自覚はあります。それこそ言い訳はしません。でも、ちゃんと人を好きになったのは殿下が初めてなんです」
それだけは信じてくださいと伝えられる。
腰を抱き、近い距離で覗き込むように見つめ返されたルルーシュは、彼の胸倉を掴んだまま「ならば……」と唇を動かした。
「キスをしてくれないか」
ルルーシュの頼みにスザクが目を瞠った。
彼のことだからキスぐらいすぐにしてくれるだろうと思ったのに、ルルーシュを抱き締めるばかりで何もしてこない。
その気がないならいっそ自分からと、焦れたルルーシュは自ら顔を近付けた。が、あと少しで触れるというところで彼の右手に口を塞がれてしまう。
不満いっぱいに睨み付けると、申し訳ございませんと謝られた。
「もちろんキスはしたいです。殿下からおねだりされてしたくないはずがありません」
「だったらすればいいじゃないか」
もごもごとと文句を言えば、なぜかスザクは眉を寄せた。
「僕に彼女がいたと聞いたからですか?」
「それもある」
「ほかには?」
「別に理由はない」
「本当に?」
「ああ」
「本当ですね?」
念を押すように再度問われ、ルルーシュはふいと視線を逸らした。
スザクを慕う女性達に嫉妬した、と言ったらきっと笑われる。なんだそんなことと呆れるかもしれない。
そう思って黙秘していたのに、「ルルーシュ殿下」とたしなめるように名前を呼ばれて小さな息を漏らした。
ずっと片想いだったせいか、本心を素直に吐露するのはまだ抵抗がある。スザクに嫌われたらと思ったら怖くてたらまない。だけど、彼に嘘をついたり隠し事をしたりするのも嫌だ。
我ながら難儀なものだと胸のうちで零した。
「ここでお前が誰かとキスしたかもしれないと考えたら悔しくなっただけだ」
スザクの目は見ないまま早口で言う。どんな反応があるのか怖々と待っていたが、いつまで経ってもスザクからの応えはない。
まさか呆れすぎて返す言葉がないのではと心臓が冷えるような心地になっていると、いきなり抱きすくめられた。腕の力が強くて苦しいくらいなのに不思議と安堵する。
「僕にはルルーシュ殿下だけです。昔の行いをなかったことにはできませんが、どうかそれは信じてください」
ああ、と答える代わりにルルーシュは頷いた。
スザクの言葉を本気で疑ったわけではない。これは単なる嫉妬だ。嫉妬に駆られて意地悪なことを言ってみただけである。
そのせいで本人に不快な思いをさせてしまったと反省していたら、「でも、嫉妬する殿下も可愛いですね」とスザクがにやけた顔で言う。
こいつはまったく、と胡乱な目をすれば両手で頬を包まれた。スザクの顔が近付き、ルルーシュは目を閉じた。
彼の気配を感じて胸が高鳴る。唇に吐息がかかった。
今度こそ。そう思ったとき、いきなり外から声が聞こえて飛び上がるほど驚いた。
咄嗟にスザクから離れようとしたのに、腰を抱く手はちっとも緩んでくれない。馬鹿スザク! と心の中で喚きながら胸を押し返すものの、びくともしないのがまた腹立たしい。
「昼食のご用意ができました。すぐに召し上がりますか?」
「では、十分後に向かう。殿下は僕がお連れするから案内は必要ない」
スザクがそう頼むと、襖の向こうの使用人は「かしこまりました」と答えて離れた。足音が遠ざかったのを確認し、ルルーシュはゆるゆると息を吐き出す。
「続きは公邸に戻ってからにいたしましょう?」
下唇を親指でなぞられ、頬が熱くなったのを感じる。
スザクはひどく甘ったるい顔で微笑み、ようやくルルーシュを離すとわずかな服の乱れを直してくれた。
「お茶は冷めてしまいましたが、よろしければ和菓子を召し上がってみてください。そのあと昼食に参りましょう」
そういえば菓子が手付かずだったと気付き、薦められた座布団に腰を下ろした。
隣のスザクは普段の顔で、ルルーシュひとりだけが心臓をばくばくさせているのが気恥ずかしい。こういうとき、経験の差を感じて悔しいような気分になった。
(嫉妬したり悔しさを感じたり、スザクに関することはどうしてこうもままならないのか)
恋愛とは難しいと、口の中に広がる餡子の甘さを感じながらルルーシュは思った。
***
迎えた七月十日。公務が終わったあと、有志が集まってスザクのバースデーパーティーが開かれた。
大使自らの発案で誕生日を祝ってもらえるとは考えてもいなかったのだろう。連れて行かれた会場でハッピーバースデーの声とクラッカーの音に出迎えられたスザクは、驚きに目を丸くしていた。
パーティー会場となったのは大使公邸の一階にあるフロアで、要人や大使の私的な催しの際に使われるものだ。当初、クロヴィスは大使館内のホールを使って大々的にやろうとしていたのだが、それはやめてくれとルルーシュが慌てて止めたのである。あまり大人数を集めてもスザクが困るだろうとの配慮からだった。
そうして集ったのはルルーシュやスザクに近く、普段からやり取りをしている人ばかりだ。スザクに色目を使うような相手はルルーシュの独断により除かせてもらった。
私情にまみれていて情けない限りだなと思うものの、せっかくの恋人の誕生日に余計な面倒は持ち込みたくないのが心情というものだろう。
主役はスザクなので、ルルーシュはあえて少し距離を取り、みんなに祝ってもらう彼の姿を遠くから眺めていた。
(こうして改めて見ると、ナイトオブセブンの人気はやはり相当なものだな)
本日の催しには文官だけでなく武官もいる。ナイトメアに騎乗する人間にとって、ナイトオブセブンは憧れの存在なのだろう。
初めはスザクと言葉を交わせて光栄だとひどく恐縮していた面々だが、そのうち数々の戦歴や過去の戦いに関する裏話など、やけにマニアックな話で盛り上がるようになっているのには思わず笑ってしまった。スザクはスザクで、にこやかに質問に返していて楽しそうだ。
「彼は人気者だねぇ」
隣に立った異母兄にルルーシュはちらりと目を向けた。
「それはもちろん、天下のナイトオブセブンですから」
「ルルーシュは随分と彼を買っているようだけど、ラウンズならほかにもいるだろうにどうして彼なんだい?」
「理由が必要ですか?」
「可愛い弟を守る騎士となれば気になるのは当然だろう?」
「この期に及んでスザクが日本人だから問題だなんて言わないでくださいよ」
「言わないよ。ルルーシュに嫌われるのは嫌だからね。ただ、いつの間に君達は仲良くなったんだろうと不思議なだけさ」
「学校が同じでしたから」
「なるほど。十代のひとときを一緒に過ごすというのは貴重な経験だ。一生の友を得られたのだから、君にとって学校通いは無駄ではなかったわけだね」
友と言うより一生のパートナーですけどね、とはもちろん口には出さなかった。
これから騎士になる予定の男と実は恋仲なのだと知ったらこの兄は卒倒するだろうか。あるいは、それはいいと祝福してくれるだろうか。
詮無いことを考え、ルルーシュは小さく笑った。
「さてと、そろそろパーティーもお開きの時間だし、ちょっとみんなを集めてもらうかな」
側近に何やら命じると、中央に立ったクロヴィスがスザクを呼んだ。会場のざわめきが落ち着き、二人に視線が集まる。
改めて誕生日を祝う言葉が贈られたあとに、「ここで私からプレゼントだ」とクロヴィスが言い出した。
「ルルーシュ」
異母兄に手招きをされ、なぜ俺がと不思議に思いつつルルーシュはスザクの隣に並んだ。
「発表しよう。我が弟、ルルーシュがこのたび正式に騎士を持つこととなった。その騎士の名は枢木スザクだ」
突然の発表にどよめく声が上がった。当事者である二人も揃って目を瞠る。
「ようやく父上がお許しをくださったと本国から連絡があってね。ルルーシュではなく私の口から発表することになったのは謝るよ」
「いえ、大使は兄上で、兄上が私の上司なのですから文句などありません」
「ならば良かった。枢木君、これが私から君へのバースデープレゼントだ。喜んでくれるかな?」
「はい、最高のプレゼントです」
満面の笑みを浮かべたスザクが、その顔をルルーシュに向ける。ルルーシュも思わず笑顔になった。
クロヴィスが拍手をすると、会場のあちこちから二人を祝福する声が上がった。父の戯れで浮上した話が正式に認められ、こうしてみんなの前で発表できたのだと思うと胸がいっぱいになる。
異母兄に促され、ルルーシュが真ん中に来る。
「大使が発表されたとおり、枢木スザクが私の騎士となることが決まった。彼は今も護衛として活躍してくれているが、これからは私の騎士としてそばにいてもらうことになる。前例のないことで戸惑う者も多いと思うが、体制はこれまでと同じなので特別何かが変わるわけではない。ブリタニア大使館のより良い活動のために、今後も私とスザクを助けてもらえたら嬉しい」
横を向けば、スザクは笑みのままルルーシュを見ていた。
「では、誕生日の次は騎士就任式だね。おめでたいことが続くのはいいことだ」
「就任式はまだ気が早いですよ」
「何を言っているんだい。こういうことは早くやらないと」
なぜ兄上のほうが張り切っているのだと笑うけれど、日本人の騎士に対してあれこれ難癖を付けるような兄でなくて良かったとほっとした。
「兄上、ありがとうございます」
「私は何もしていないよ」
「だとしてもです」
兄への感謝を素直に伝えれば、クロヴィスは嬉しそうな顔をした。
騎士発表の件が終わると、主役を交代してスザクを真ん中にさせる。
これからはルルーシュの騎士として精一杯励むことを誓った彼は、「今日は自分のためにこうして集まっていただき、本当にありがとうございました」と会場にいる人々に礼を伝えた。その言葉にまた拍手が起こる。
挨拶が終わるとパーティーはお開きとなった。その場は解散となるが、スザクに声をかける人は絶えない。騎士の件が発表となって色々聞きたいことがあるようだ。
どこから聞き付けてきたのか、パーティーには参加していないはずの女性達の姿もちらほらあった。諦めきれずに会場の外で待機していたのかもしれない。
スザクは優しいから誰に対してもにこやかに接しているのだと思うものの、自分の恋人がほかの女性と仲良くする姿を見て心穏やかでいられるはずがなかった。
これを避けたくてわざわざ招待客を選別したのに意味がないと、ルルーシュは零れそうになる溜め息を押し殺して背を向けた。
スザクには先に戻っていると伝言を託し、ルルーシュはジェレミアを伴って部屋に戻った。ひとりになった途端、遠慮なく溜め息を吐き出す。
(策を講じるだけ無駄だったというわけだ)
そもそも策と呼ぶほどのものでもなかったかと、スカーフを乱暴に外しながら思った。せっかくのスザクの誕生日にこんなことを考えている自分が嫌になる。
スカーフに上着にベストにベルトにと、次々と脱いではソファに放り投げた。几帳面なルルーシュなので普段は絶対にこんなことをしないのに、スザクが絡むとすぐに余裕がなくなってしまう。
どこまでも情けないと落ち込みそうになったとき、ドアをノックする音が聞こえた。来訪者はスザクだった。
こんな顔では会えないなと、頬を軽く叩いて深呼吸をしてからドアを開けた。
「なんて格好をされているのですか」
「着替えの最中にやってくるお前が悪い」
「とにかく中へ」
ルルーシュの身体をくるりと半回転させ、スザクが背中を押した。
「お部屋にお戻りになるのでしたら僕をお呼びください」
「楽しそうにしていたから邪魔をしたくなかっただけだ」
楽しそうに、の部分を強調したのは嫌味だ。
それが通じたのかどうか、スザクは困ったような顔をした。
「僕が最優先するのは殿下です」
「だが、お前にはお前の付き合いがある。それをいちいち咎めるような主にはなりたくない」
嘘だ。口では偉そうなことを言いながら、本心は嫉妬にまみれている。
みっともないし、情けない。
(今日はスザクの誕生日なのに)
優先すべきはスザクのことだ。自分自身の嫉妬や焦燥なんかどうでもいいと無理やり振り払い、ルルーシュは「スザク」と呼んだ。
そこで一つの覚悟を決める。今にも破裂しそうなほど心臓がばくばくと鳴っていた。
「誕生日おめでとう。先ほどはゆっくり言えなかったから」
「ありがとうございます。クロヴィス殿下から最高のプレゼントをいただきましたし、今年の誕生日は本当に幸せです」
それなら良かったと頬を緩める。なんとも現金なものだが、スザクが喜んでくれているのがわかってルルーシュの心も満たされる心地がした。
しかし、このあと自分が言わなければいけないセリフを思い出して一気に緊張する。
「そ、それでな、俺からもお前に渡したいものがあるんだ」
リサーチは充分だ。男女の付き合いを参考に、『男心をくすぐる言葉』とか『彼氏が喜ぶ十の方法』とか、こんなことでもなければ絶対に読まなかったであろう記事もチェックした。
シミュレーションは完璧。あとは実践あるのみだ。
「俺をもらってくれないか」
ルルーシュは思い切って声を発した。スザクの反応を待つ。
しかし、一秒、二秒、三秒と無言が続いた。
これでは枢木家でのやり取りの再現じゃないかと思い、もしかしてセリフを間違えたかと反芻してみた。
まさか「もらってくれ」の意味が伝わっていないのでは。あるいは、相手から誘われると萎えるタイプだったとか、男同士でそういうことは考えていなかったとか。そもそも、男女間で有効なセリフが男同士でも有効となる保証はない。
とんでもない間違いを犯したような気がしてルルーシュは青くなった。
三ヶ月以上も恋人を放っている状況が申し訳なく、スザクに何かお詫びをしたい気持ちと、そういえば普通の恋人は三ヶ月目ぐらいに何をしているのだろうという純粋な興味から何気なく調べたところ、セックスの文字が目に入った。
情けない話だが、これまでスザクとの行為を意識してこなかったため、そうか恋人同士はセックスをするのだと初めて気付いた。
スザクと過去の女性が抱き合っているところは想像したことがあるくせに、対自分となるとまったく想像が働かなかった。だからこそ、これは由々しき事態だと深刻に考えたのである。
優先事項の第一位は誕生日を祝うことだが、第二位として突如浮上した問題に、ルルーシュは自分なりに対処法を必死に考えた。その結果が先ほどのセリフだ。
だが、どうやら間違えたらしい。スザクが何も反応してこないのがその証拠ではないか。
「あ……っ、その、つまり、俺はお前とセックスをしてもいいと、いや違うな、してもいいではなく、セックスしたいと思って」
何を言っているのだと泣きたくなってきて、ルルーシュは顔を俯けた。
ようやく彼を騎士にできると決まったのにこんなところで躓いてしまった。
やっぱり騎士はやめますと言われたら。今後の関係がギクシャクするようになったら。
「ルルーシュ殿下」
名前を呼ばれても顔を上げられない。すると、スザクが近付いて両肩を掴んだ。
「そんな顔をしないでください」
下から覗き込まれ、掬い上げるようなキスをされた。
「ん……っ」
優しく唇が合わさり、それだけで嬉しさがこみ上げる。啄むように口付けられ、濡れた音が微かに耳に届いた。
軽く触れるだけのキスが次第にじれったくなってきて、スザクの腕に手を乗せればぐいっと抱き寄せられた。
優しいばかりのキスが一転、唇に食らい付かれる。
「ぁ、ッ、ふぁ、ァ……んんっ」
キスをしながらスザクの右手が首を後ろを辿る。うなじをなぞられ、耳朶の柔らかさを確かめるみたいに触られ、くすぐったさと気持ちよさに背筋が震えた。
「アっ……、んぅ、ン、すざ……、ッ」
舌が絡み、互いの唾液が混じり合う。恥ずかしくて顔から火が出そうなくらいなのに、スザクと繋がっているのだと思えば嬉しさのほうが勝った。
(だから、このまま身体を繋げることだって……)
未知の体験は正直怖い。キスまでは簡単に想像できたけれど、そこから先は生々しくてどうすればいいのかわからなくなる。
男女の間で行われる行為すらよく知らないのに、それを男同士の自分達ができるのだろうかとか、痛いばかりで気持ち良くなかったらどうしようとか、そしたらスザクはガッカリして愛想を尽かさないだろうかとか、考えすぎて気持ちまで悪くなるようだ。
(でも、スザクが俺を欲しいと思ってくれるのなら)
咥内を熱い舌がまさぐる。舌先が触れて、くすぐるように擦り合わされた。
「ンぅ、ん、っ、ぁ……」
身体の力が抜ける。そう思ったときには膝から落ちそうになっていて、腰をスザクに支えられていた。
ずるずると座り込むと、スザクはその場に膝をつき、なだめるように濡れた唇を舐められた。
「すざく……」
整わない息のまま恋人の顔を見上げる。
「俺は、お前になら……」
「それは今度にいたしましょう。今日は充分いただきました」
予想していなかった言葉に、胸をぎゅっと掴まれるような苦しさを感じた。
こんなキスをしておいてどうして、と目で訴えればスザクは困った顔でルルーシュの髪を撫でた。
「だって、本当は怖いのでしょう?」
「怖くなんかない」
「こういうことは無理してすることではありません」
「では、お前は無理していないのか」
「していないと言えば嘘になるでしょうね」
「だったら…!」
「でも、震えていらっしゃる殿下を無理には抱けません」
男としての矜恃ですと答えたスザクは、ルルーシュの指先を握り締めた。ルルーシュはそこで初めて自分の指が微かに震えていることに気付いた。
「違うんだ、お前が怖いとかそういうことではなくて、ただ経験がないから、それで」
「わかっています。ですから――」
スザクがルルーシュの耳元に唇を寄せた。
「いつか必ずあなたをいただきますので、覚悟しておいてくださいね」
そう囁いたあとに耳を食まれ、ほわぁ! とルルーシュは咄嗟にスザクを押し返した。ごちそうさまですとくすくす笑う彼に、ブリタニアで何度もからかわれてきたことを思い出す。
ムッとしていると、「もう遅いからそろそろ休みましょう」とスザクが両手を取ってルルーシュを立ち上がらせる。子供扱いされているのがわかり、悔しいようなほっとするような複雑な心境だった。
「入浴がまだですよね? すぐにお湯の準備をしてきますので、少しお待ちいただいて」
「スザク」
振り返ったスザクが首を傾げた。
「この三ヶ月、仕事にかまけてお前との時間を取れなかった。すまない」
「もしかして気にされていたのですか?」
「だって三ヶ月だぞ。普通ならば嫌になって別れる」
「殿下は皇族です。普通の人とは違います。それを理解した上で僕はあなたと付き合いたいと思ったし、その程度で嫌になるくらいなら最初から好きになっていません。それに約束したじゃないですか。公私はきちんと分けると」
「約束はしたが……」
「僕も自分のことで精一杯な部分がありましたから、気になどしていません」
多少の気遣いは含まれているのだろう。だけど、スザクの言葉にルルーシュは肩の力を抜いた。
「それで、先ほどの続きだ」
「続き?」
「お前に何か渡したいのは本当なんだ。だから、せ、セックス以外で、俺に何かしてもらいたいことはないか」
ルルーシュの目を見て、それからスザクは表情を和らげた。
「では、一緒に寝てくださいませんか?」
「寝るとは?」
「やらしい意味じゃないですよ。添い寝のほうです」
「それだけでいいのか?」
「ええ」
わかったと答えれば、スザクは嬉しそうに笑みを深めた。
「すぐにお湯の準備をしてまいります」
彼の後ろ姿が浴室のほうに消えると、ルルーシュはソファに座り込んだ。
「俺は何をやっているんだか……」
自己嫌悪に陥りそうで、目に付いた服を無意識に畳み始める。
せっかくのチャンスだったのに、これではスザクのほうから断るように仕向けたのと同じだ。だったら最初から何も言わずにいたほうがマシである。
(添い寝って、本当にそんなものでいいのだろうか)
お子様相手だからお子様に似つかわしい要望をしただけなのでは。そう考えたら情けないやら申し訳ないやらで頭を抱えたくなった。
(それでもスザクは俺を好きだと言ってくれた。好きと言ってもらえて俺は嬉しいと思っている)
俺もスザクを好きなんだ、と畳んだばかりの上着を握り締めた。
好きで好きで大好きで、だから彼に嫌われたくない。彼にそばにいてもらいたい。
恋が叶えば相手への気持ちは一定のラインを保ったままなのだろうと漠然と思っていた。しかし、現実は想定とまったく違った。
両想いになってもスザクをどんどん好きになっている。
(この恋が尽きることはないんだな)
それは少し苦しくて、でも、とても幸せなことのように思えた。
***
寝室を覗くと、明るい室内から穏やかな寝息が聞こえてきた。
大人二人が寝てもまだ余裕があるほど大きなベッドに近付くと、ルルーシュが横を向いてすやすやと眠っていた。
起きて待っていると言っていたのだが、連日の疲れが溜まっているのだろう。スペースの半分しか使っていないのは、スザクが寝る場所を律儀に空けてくれたからに違いない。
ベッドに乗り上げたスザクは、彼の頬にかかる黒髪をそっと梳いた。可愛いなぁと思って勝手に顔がにやける。
この三ヶ月、ずっと忙しくしていたルルーシュを知っているから、二人きりの時間を取ろうだなんて考えも及ばなかった。
確かに彼は恋人だけど、それ以前にブリタニア皇族であり、ブリタニア大使館の副大使だ。
優先すべきは公人としての彼で、振る舞うべきは公人としての枢木スザクだと意識してきたから、まさかルルーシュが気に病んでいるとは思いもしなかった。
「心配させてごめん」
柔らかな頬に指の背で触れる。それから彼の唇をゆっくりなぞった。
(勢いに任せてキスしたときは結構ぎりぎりだったかも)
俺をもらってくれないかと大胆な発言をされ、かろうじて理性を保てた自分を大いに褒めたい。
だけど、セックスしたいと言いながら緊張に震えているルルーシュに気付いたらとても手なんか出せなかった。
怖がりながらも必死にスザクを誘おうとするルルーシュがとても愛おしく、だからこそここで抱いたら男が廃ると思った。
ルルーシュに触れなくても平気だとは言わない。忙しい彼を気遣って余計なスキンシップは控えてきたが、男子なので本音を言えばつらい。
でも、それ以上にルルーシュが愛しいのだ。
無理に手を伸ばして嫌われたらと思ったら怖くてたまらない。男の矜恃だと言ったのは強がりでもなんでもなくスザクの本音だった。
「参ったな、まさかこんなにのめり込むなんて」
初めてちゃんと人を好きになった。しかも、好きというその感情はどんどん強くなっている。
「いつか君の心の準備ができたら、そのときはしっかり君をもらうからね」
覚悟しててよ、と同じセリフを告げたスザクの表情はひどく優しかった。
相槌を打つようにルルーシュが微かな吐息を漏らす。顔を近付けて触れるだけのキスをしたスザクは、彼の隣に潜り込んだ。
「ありがとう、ルルーシュ」
綺麗な指先に指を絡め、スザクも目を閉じる。
とても幸せな誕生日だった。
(18.07.10)
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