この恋が涙するまで

 ルルーシュの部屋の棚にはいくつもの写真が飾られていた。
 愛する母と妹の三人で映った写真。
 仲の良い兄弟姉妹で集った写真。
 副大使就任が決まったとき、記念だからと言って妹達がルルーシュを無理やり引っ張り出して撮った肖像写真。
 その中でも一番大きく立派な写真立てに入っているのは、ルルーシュとスザクの二人が並ぶ写真だった。
 皇族服に身を包んで椅子に腰かけるルルーシュ。そんな主の側に控えるスザクは、写真を撮ったこの日に正式な騎士となった。あの日からすでに四ヶ月が経っている。
 もともとは皇帝の騎士ナイトオブラウンズだった男が、ラウンズを辞めて皇子の騎士になるということで、二人の組み合わせはブリタニア本国のニュースでも海外在住者向けの番組でも大々的に取り上げられた。
 ルルーシュとしては静かに就任式を行いたかったのだが、周囲が騒ぐであろうことはスザクを騎士にすると決めたときから覚悟していたので、内心辟易しながらも我慢した。
 父に認められ、就任式も行い、これでようやくスザクが自分のものになったのだ。一時は彼を諦めようとしていたのだから、その頃に比べたら今はとても幸せである。
 (それに、スザクは恋人でもあるわけだし)
 棚の前に立って写真を眺めていたルルーシュは、口元が勝手に緩むのを感じていた。
 本当にスザクが俺の騎士になったのだな、と写真を目にするたびに実感する。ほんの一年前までは皇子とラウンズという関係でしかなかった。
 学校の中で言葉を交わすことはあったし、ほかのラウンズよりも親しくしていたけれど、当時は友達になることすら望めなかった。それはお互いの立場を考えてのことで、好きだからこそスザクは一定の距離を保っていたのだと今ならわかるけれど、片想いをしていた頃はもちろんそんなことは知らなかった。
 だから、この恋はいつか終わらせるつもりでいた。ルルーシュはブリタニアの皇子として、スザクは帝国最強の騎士として、それぞれの人生を歩んでいくのだと思っていた。
 (スザクの隣に俺はいない。そう思っていたはずなのにな)
 指を伸ばし、写真立ての中のスザクに触れる。
 そこへノックの音が響き、びくりとしたルルーシュは「ほわぁっ!」と声を上げた。

「どうされましたか! 殿下!」

 いきなりドアが開き、今度は声のない悲鳴を上げた。
 部屋に飛び込んできたのはスザクだった。

「か、か、勝手に入ってくるな!」
「しかし声が聞こえましたので」
「ノ、ノックの音に驚いただけだ、なんでもない。それより何かあったのか?」

 定例となっている朝の打ち合わせを終えたあと、今日は珍しく午前の予定がないので自室に戻っていた。
 数日後に行われる大使館主催のニューイヤーパーティーの最終チェックをしようと思っていたのに、ついつい写真を眺めながら思い出に耽ってしまった。そこにスザクがやって来たため飛び上がるほど驚いたわけだが、ルルーシュは努めて平静を装った。

「クロヴィス殿下がお呼びです」
「兄上が? 兄上は衣装選びの最中じゃなかったのか」

 あからさまに嫌な顔をすれば、スザクが苦笑いを浮かべた。

「そういうお顔をされるとクロヴィス殿下が泣いてしまいますよ」
「泣かせておけばいいのだ。こちらは忙しいのに次から次へと面倒事を……」

 ぶつぶつ文句を言うと、まあまあとたしなめられる。いつものやり取りだ。

「パーティーの件でご相談があるようです」
「それなら担当者がいるだろう。俺は通常案件で手一杯だからとわざわざ理由を付けて外してもらったのに」
「やはり最終確認は殿下となさりたいのではないですか」
「まったく……」

 ぼやきながらもルルーシュは足を動かした。ソファの背に掛けていた上着をスザクが手に取る。

「そもそもパーティーが面倒だ。何がニューイヤーだ。新年が始まって何日が経っているんだ。そんなものに出るくらいなら引きこもっていたい」
「それは無理なご相談ですね。殿下もホストの一人なのですから」
「パーティー好きな奴だけが参加すればいいんだ。家族と過ごすのならともかく、見ず知らずの人間を招いてにこにこしていなければいけないなんてただの苦行だ」
「ホストも立派なお仕事ですよ」
「ホストは大使だろう。なぜ俺を引っ張り出す」
「副大使あってのブリタニア大使館だとクロヴィス殿下がおっしゃっていたではないですか。きっとルルーシュ殿下を自慢したいんです。とにかく、あと三日で本番なのですから諦めてください」
「俺の騎士のくせに俺に嫌な仕事をさせるのか」
「騎士ですから、主のわがままをたしなめるのも仕事です」

 唇を尖らせればスザクがにっこり笑った。
 会話の間も手は止めず、ルルーシュに上着を羽織らせ、髪を直し、身支度を整えてくれた。一連の流れはすっかり慣れたもので、これは特別なことではなく日常なのだと感じるたびに嬉しさが溢れそうになる。
 参りましょうと促され、スザクが扉を開けた。
 廊下に出て大使部屋まで歩いていると、すれ違う職員に頭を下げられる。さり気なく周囲に視線を向けたルルーシュは、複数の女性職員がうっとりとスザクを見ていることに気付いた。またかとうんざりするけれど、もちろん顔には出さなかった。
 スザクがルルーシュの騎士となってからも彼の人気は相変わらずだ。ルルーシュの護衛中に声をかける不届き者はさすがにいないけれど、スザクがひとりだと話しかけてくる女性が多いとの報告をジェレミアから受けていた。女性に優しいスザクはそれにいちいち応え、彼女達を舞い上がらせているようだ。
 (これだから、もてているという自覚のない奴は)
 心の中でスザクに八つ当たりする。彼が騎士であることは大きな声で言えるが、恋人であることは言えない。主従関係の二人が恋愛関係にあることを周囲は想像すらしていないだろう。
 誰にも打ち明けられないことは付き合い始めたときからわかっていたし、たとえ男同士の関係が当たり前の世界だったとしても大っぴらに公言する趣味はない。
 ただ、スザクが絡むと嫉妬心を抑えられない自分が情けなかった。
 この嫉妬は副大使として日本に来たときからずっと付き纏っていて、いい加減慣れればいいのにと思うものの、こればかりはどうしようもない感情だった。
 (自分自身の心が一番ままならないな)
 溜め息を押し殺し、ふと隣のスザクを窺った。なぜか難しい顔をしている騎士に気が付く。

「どうかしたか?」

 声をかければ、スザクがぱっと顔を向けてきた。その勢いにルルーシュのほうが驚いた。

「ど、どうした」
「あ……、いえ、大したことではないのですが……」

 歩きながら首を傾げると、なぜかスザクはばつの悪そうな顔をした。

「本当に大したことではないのです」
「ほう。この私に隠し事をするのか」

 わざと居丈高に問えば、苦笑いが返ってきた。

「殿下が高嶺の花で良かったなと思っただけです」
「どういう意味だ」
「高嶺の花すぎると滅多なことでは声をかけられませんからね」

 ますます意味がわからないでいると、殿下は人気ですからと付け加えられた。

「人気なのはお前のほうだろう」
「僕は声をかけやすいというだけの話です。もしくは、僕を通じてあわよくば殿下とお近付きになろうという魂胆ですよ」
「なるほど、スパイの可能性は考えていなかったな」

 スザクに近付くのは好意のある女性とばかり考えていたが、その可能性に思い至っていなかったと反省した。すると、隣で笑い声が上がった。

「何が可笑しい」
「いえ、まさかそういう心配をされるとは思わなかったので。どうか殿下はそのままの殿下がいらっしゃってください」

 何やら馬鹿にされているらしいと眉をひそめるけれど、スザクの顔はずっと笑っている。そのうち大使部屋に到着し、話はうやむやになってしまった。

「あとでじっくり話を聞くからな」
「ええ。夜に二人きりでじっくりと」

 やけに含みを持たせた言い方をされ、その意図に気付いたルルーシュは動揺を露わにした。にこにこ笑っている騎士が憎らしい。

「夜を楽しみにしています」
「っ、うるさい!」

 そっぽを向くと部屋の前に進み出た。
 スザクの誕生日以来、夜は同じベッドで眠るようにしている。
 もっとも、キス以上のことはまだしていない。相変わらず清い関係のままだ。
 だから、スザクの思わせぶりな言葉や態度にいちいち動揺してしまう。
 (誕生日の日に『いつか必ず』と言われたが、いつかっていつなんだ……)
 あれからもう五ヶ月が経つ。こちらの心の準備が整うのを待ってくれているのは大事にされている証のようで嬉しいけれど、少しじれったくもある。何より、スザクに無理をさせていることが申し訳ない。
 (今度のパーティーが終われば俺もようやく休みをもらえるし、そのときには……)
 密かな決意を固めたところでクロヴィス自らが登場し、弟の手をぐいぐい引っ張ってくる。一体なんの相談をされるのだろうとげんなりしながらも、ルルーシュは副大使としての頭に切り替えた。
 まずは目の前の仕事を片付けろ。我が騎士のことを考えるのはそのあとだと己に言い聞かせて。

***

「皇神楽耶様がお見えです。枢木卿との面会をご希望されていらっしゃいますが、いかがいたしましょうか」

 副大使付きの職員にお伺いを立てられ、スザクは眉を寄せた。
 従妹の神楽耶はどうにも苦手だ。そして、神楽耶のほうもスザクを毛嫌いしている。
 犬猿の仲と言うほど仲が悪いわけではないけれど、どうにも苦手意識は拭えない。間にルルーシュがいれば別だが、二人きりでお喋りをしようとは考え付きもしない相手だ。
 それは神楽耶も同じだと思っていたのだが、当の本人がルルーシュではなくスザクとの面会を希望していると聞き、思わず自分の耳を窺った。

「本当に皇神楽耶様がそうおっしゃっているのか?」
「はい。別室でお待たせしておりますが、お忙しいようでしたらお断りいたしましょうか」
「いや、すぐに行く」

 神楽耶は外交上の大事な相手だ。スザクの私情で無下にしていい相手ではない。
 (でも、なんで僕を指名するんだろう)
 あの従妹ならば真っ先にルルーシュとの面会を望むはずだ。スザクの存在はおまけ程度としか思っていない彼女が、ルルーシュ抜きでの面会を要求してきたということは、ルルーシュに聞かせたくない話でもあるのかもしれない。
 あまり良い話ではなさそうだと胸のうちでぼやき、彼女のいる部屋のドアをノックする。応えがあって中に入ると、そこには神楽耶ひとりだけがいた。御付きの者は誰もいない。

「僕に何か?」

 敬語を抜きに話しかければ、神楽耶は妙に神妙な顔をして書類を差し出した。

「前置きはなしです。ルルーシュ様にはまだ内密にお願いします」
「どういう意味だ」

 神楽耶の正面に腰かける。従妹はちらりとスザクを見上げた。

「これは日本の恥です。できることなら日本側だけで処理しておきたい問題。しかし、ブリタニア大使館とも関わってくるお話ですので、まずはあなたに打診しておきたいのです」
「僕はルルーシュ殿下の騎士だ。必要とあらば殿下にご報告する」
「もちろん、騎士としてのあなたの役割を止める権利は私にはありません。それに、これはまだ不確定情報でもありますから」

 テーブルに置かれた書類をぱらりとめくった。中には顔写真とその人物の経歴と思しき情報が載っていた。

「これは?」
「ブリタニア前大使による不正、それに関わっていたと思われるものの、現在までにまだ逮捕されていない日本人のリストです」

 ページの最初に乗っていたのは桐原という人物だった。
 スザクも神楽耶も幼い頃から知っている老人で、日本国内の裏も表も牛耳っていると言われる政財界の重鎮だ。
 皇家や枢木家との縁もあるため表立っては批判できないが、裏であくどいことをやっているという噂は以前から耳にしていた。むしろ周知の事実と言ってもいい。だから、クロヴィスとルルーシュが着任する前のブリタニア大使館不正事件に桐原が関わっていたと言われてもあまり驚きはない。

「ルルーシュ様の大使館改革により、それまで私腹を肥やしていた人間の大部分は処分されています。しかし、それらは主にブリタニアの関係者で、日本人の中には上手く逃げた者が多い。日本人の処分は日本で行いますが、ブリタニア貴族を隠れ蓑にされてなかなか手を出せない部分もある。そこで、可能ならば情報提供していただきたいのです」
「ブリタニアから日本に情報を渡せということか」
「タダでとは言いません。今回の処分から逃れたブリタニア貴族もいるでしょうから、日本側の追及で炙り出せた者については逐次情報を差し上げます」

 要は情報の交換です、と神楽耶がにっこり笑う。

「それならわざわざ僕を通さなくても、殿下に直接お願いすればいいじゃないか」
「不確定情報だと言ったでしょう。疑いはあるものの、確証はない者ばかりです。そんな情報をお忙しいルルーシュ様にお伝えするわけにはいきません」
「つまり、ルルーシュ殿下の心証を悪くしたくないということだろう?」
「スザクに乙女心はわからないでしょうね」
「何が乙女心だよ。それにしても桐原さんはともかく、日本政府の重要メンバーまでいるとは」

 リストには政府関係者の名前もあった。政治家も高級官僚もいる。

「このことを父さんは?」
「すべてご存知です。しかし、現時点では証拠がないため泳がせている状態です」
「政府の中枢にいる人間まで関わっているとは嘆かわしい限りだな」
「だから日本の恥なのです。せめて情報が確定したところでルルーシュ様にお伝えしたいという私の気持ちがわかるでしょう?」
「まあね。で、君が希望する情報って?」
「こちらのブリタニア貴族について教えてください」

 別のリストを渡され、スザクはざっと目を通した。

「いただいた情報をもとに日本側で調べを進めますから、日本関係者との繋がりが見つかったところでまたご相談します」
「僕の権限で可能な限りは協力する。でも、それ以上となると殿下のお力を借りなければならない」
「承知の上です」
「わかった。まずは諜報機関に頼んでみるよ。殿下付きのジェレミア卿とも情報を共有するけど、それは問題ないだろう?」
「ええ」

 ありがとうございますと礼を言った神楽耶は、スザクの顔を見てくすくす笑った。何が可笑しいのかと眉を寄せる。

「まさかあのスザクと仕事のお話をすることになるなんて思ってもいませんでした」
「僕も君から礼を言われることがあるなんて思ってもいなかったよ」
「しかも、今ではルルーシュ様の騎士ですし。一報を聞いたときは耳を疑いましたのに」

 神楽耶に限らず、誰もが耳を疑ったことだろう。日本人のラウンズも前例のないことだったが、そこから皇子の騎士になるという前代未聞の事態に一時は大騒ぎとなった。
 騒ぎは覚悟していたし、己の選択に後悔はない。ただ、生粋のブリタニア人ならばルルーシュを煩わせることもなかったのだろうと思い、申し訳ないような気持ちになる。
 すると、そんな心情を見抜いたように神楽耶が「しっかりなさい」と活を入れた。

「ルルーシュ様をお守りするのはあなたなのですから」
「わかってるよ」
「だったら、外野が何を言おうと堂々としていなさい」
「君が励ましてくれるなんて珍しいね」
「ルルーシュ様の騎士がしょぼくれた顔をしていたらルルーシュ様の顔に泥を塗ることになるでしょう。そんなことはこの私が許しません」
「肝に銘じておくよ」

 神楽耶にとって大事なのはルルーシュで、スザクはただのおまけである。相変わらずの扱いに苦笑いするものの、彼女の言葉は正しいので反論はしなかった。
 誰がなんと言おうと枢木スザクがルルーシュの騎士なのだ。
 ルルーシュの騎士であることも、ルルーシュの恋人であることも、スザクだけに与えられた特権だ。
 それを誰にも譲るつもりはなかった。

***

 ホールには大勢の人が集まっていた。
 ブリタニアらしいオードブルやドリンクが振る舞われ、参加者同士で楽しそうに談笑している。
 そんな中、ホストであるルルーシュは主要な招待客の一人一人に挨拶をして回っていた。日本の政財界の関係者はもちろん、各国の大使館からも大使やその使者がやって来て、パーティー開始から一時間が経った今も忙しない。
 同じくホストとして来客をもてなしている異母兄はと見れば、クロヴィスは実に楽しそうに歓談している最中だった。
 さすがはクロヴィス兄上、と感心する。普段の仕事はサボりがちだが、こういうときのクロヴィスはまさに水を得た魚。適材適所とはこのことを言うのだろう。
 年長の兄であろうと負けるのが嫌いで、幼少の頃から異母兄達に何かと張り合ってきたルルーシュだが、こういうことに関してはクロヴィスのほうが上だと密かに認めていた。

「殿下、お飲み物はいかがですか」

 人波が途絶えたところで、横からカクテルグラスが差し出された。中身はオレンジジュースですと添えられる。
 ルルーシュはグラスを受け取って一気に空にした。

「暑いな。暖房が効きすぎていないか?」
「これだけの人がいますし、殿下はずっと歩いていらっしゃいますから」
「そういうお前は涼しい顔をしているな」

 ルルーシュに付き従っているスザクも同じ運動量のはずなのに、若干疲労の色が見えるルルーシュに比べてけろりとした様子だ。
 さすがは元ラウンズと褒めれば、殿下の体力がないだけですよとにっこり笑われた。

「いちいち言われなくてもわかっている」

 むっとしてグラスを返す。笑いながら受け取ったスザクは、それをそのまま近くの給仕に渡した。

「ひとまず主要なお客様へのご挨拶は終わりましたから、あとはクロヴィス殿下にお任せしましょう。別室で休まれますか?」
「いや、不測の事態があるといけないから、私はここで――、っ」

 突然覆い被さるようにしてスザクが肩を抱いてきた。驚いて息を止める。
 何が起こったのかすぐには理解できなかったけれど、側にいた女性の身体が崩れるようにして倒れてきたのを見て、暗殺を警戒したスザクが咄嗟にルルーシュを庇ったらしいとようやくわかった。
 女性はスザクにぶつかったようで、縋るように騎士服を掴んでいる。

「大丈夫ですか」

 スザクの問いかけに反応はない。騎士服を掴む手は震えていて、スザクが彼女を支える。

「お加減が悪いようですね。スザク、救護室にお連れしろ」
「しかし」
「病人の手を無理に外させるわけにはいかないだろう。ほかにも護衛がいるんだ。私のことは心配いらない」

 一時的でもルルーシュの側を離れることにスザクは難色を示したが、体調不良の女性を引き剥がすのは忍びない。護衛はスザク以外にもいるし、大使館の職員も周りに配置されているので大丈夫だと安心させ、ほかの者にも手を貸すよう伝えた。

「僕が戻るまであまり動き回らず、なるべく壁際でお待ちください。間違っても護衛を撒くことがないように。それから――」
「わかっているから早く救護室へ行け」

 スザクはまだ何か言いたそうだった。しかし、ルルーシュが「早くしろ」と命じれば、職員と共に女性を支えてホールを出て行った。
 一行を見送ったルルーシュは、指示されたとおりに壁のほうへと移動する。挨拶もひと段落したし、言われなくてもひとりでうろつくつもりはないので、スザクが戻ってくるまで大人しく時間を潰すことにした。

「こんなところにいらっしゃったのですね、ルルーシュ殿下」

 そこへ恰幅のいい男がやって来た。見覚えのある顔に頭の中のリストを呼び出し、この男はブリタニア貴族だと瞬時に思い出す。
 (長年、日本を拠点に活動している貴族だったな)
 ルルーシュとクロヴィスの就任パーティーにも出席していた男で、日本の政財界と繋がりがあることをアピールしていた。なんでも自慢げに話すところが苦手で早々に話を切り上げたのだったということもついでに思い出した。

「本日はお招きいただきありがとうございます。華やかで実に素晴らしいニューイヤーパーティーです。ほかの大使館のパーティーにもいくつか参加させていただきましたが、やはり我が国が一番素晴らしい」
「大使の趣味が大いに反映されているからな。今の言葉を聞けば大使もお喜びになるだろう」
「ええ、クロヴィス殿下の芸術的センスは我が国の宝です。ですが、ブリタニア大使館の風通しが良くなり、不正も一掃されたのはルルーシュ殿下のご尽力でございます」
「私は特に何もしていない」
「ご謙遜を。ルルーシュ殿下の手腕は国内外に広く知られているのですよ。次の宰相は殿下だと期待され、いずれは皇帝陛下にという声も多い」
「それは皇帝陛下と宰相閣下への不敬と取られるぞ?」

 ひと睨みすれば、男が肩を竦めた。いちいち大仰な仕草をする相手である。

「ところで、私は長らく日本に住んでいるので日本の財界人とは繋がりがあるのですが、ブリタニアのほうはすっかり疎くなってしまいまして。殿下のお口添えをいただければ大変ありがたく思います」

 本題はそれか、と内心舌打ちをする。人を持ち上げて気分良くさせたところでビジネスの話をしようという魂胆なのだろう。
 適当に話をそらして追い払うかと考えていると、「実は枢木家とも何度かやり取りをしているのです」と打ち明けられた。つい顔を向ければ、男はにこにこ笑っていた。

「ですから、幼少の頃の枢木卿もよく存じ上げておりまして」
「幼少の頃?」

 反応してしまった己を恥じるように視線を背けると、男は聞いてもいないのにスザクの幼いときのエピソードを披露し始めた。
 一時期、叔母のいる分家に預けられていたこと、そこで皇家の神楽耶としばらく一緒に過ごしていたこと、子供の頃はとにかくやんちゃで、そのエネルギーを少しでもほかに向けさせようと道場に通わされたことなど、どれもルルーシュの知らない話ばかりで、ついつい聞き入ってしまった。

「やんちゃというのは本当で、大人達は随分と手こずらされましたよ。おっと、私ばかり話をして失礼しました。喉が乾きましたね。殿下も一杯どうですか。お誕生日を迎えられたのですからアルコールはもうよろしいのでしょう?」
「いや、まだパーティーが終わっていないからアルコールはやめておこう」
「そうですか。では、オレンジジュースでよろしいですか?」

 給仕に目配せするとグラスを運んできた。先ほどのオレンジジュース以外は何も口にしていないせいか、急に喉の渇きを覚えた。
 グラスの半分ほどを飲み干すと、男は話の続きを始める。スザクが戻ってくるまで待っていると言ったし、もうしばらくは付き合ってもいいかと耳を傾けた。
 そうしてしばらく立ち話をしていたら、不意に身体の熱さを感じた。空調のせいかと思ったけれど、この熱は自分の身体の奥から感じるものだとすぐに気付く。
 眩暈までしてきて、これはまずいとグラスを持つ手に力がこもった。

「おや、どうされましたか? お顔が赤いですよ?」
「空調が少し効き過ぎているだけだ……」
「しかし、身体がふらついていらっしゃいます。殿下に何かあっては大事です。どこかでお休みになったほうがよろしい」

 男が護衛に声をかけると、彼らはすぐに駆け寄ってきた。

「殿下をお部屋まで。クロヴィス殿下と枢木卿には私のほうからお伝えしておきましょう」
「すまない、頼む」

 二人の護衛に抱えられ、ルルーシュはふらふらとした足取りでホールを出た。
 体調管理には気を付けているし、ここのところあまり無茶はしていないのにどうして急に気分が悪くなったのだろう。そう思っている間も、身体はどんどん言うことをきかなくなっていた。
 通路の角を曲がったところで膝からがくりと力が抜ける。咄嗟に護衛の腕を掴むと、何かが口元に押し当てられた。
 (しまっ――!)
 これは罠だ。
 ぐらぐらとする頭を無理やり上げると、護衛だった二人が無表情にルルーシュを見下ろしていた。
 まずいと気付いたときには遅く、ルルーシュの意識は黒く塗り潰されて何もわからなくなってしまった。

「ルルーシュ殿下は?」

 スザクの問いかけに大使館の職員は首を傾げた。

「先ほどまであちらにいらっしゃったと思うのですが……。クロヴィス殿下のところではないのですか?」
「クロヴィス殿下は皆様とずっとお話し中のようだ。近くの者に聞いても殿下は見かけなかったと」
「おかしいですね。おい、ルルーシュ殿下をお見かけしなかったか」

 ほかの職員も集まってきたけれど、ルルーシュを見たという者はひとりもいない。
 スザクはぐるりと首を回した。
 広いようで狭いホールは、隅々まで見渡すことができる。ルルーシュの姿はどこにいても目立つし、ブリタニア皇子の周りには自然と人が集まるものだ。
 何より、彼には物々しい護衛が付いている。しかし、黒服に身を包んだ護衛達の姿すら認められないというのは明らかにおかしい。
 (どこへ行ったんだ、ルルーシュ)
 スザクの中で焦りが生まれる。
 酷く嫌な予感がした。

「受付に連絡を。招待客の出入りを調べるから参加者名簿を用意してくれ。いやその前に、招待客を決して建物から出すな。ひとりもだ。客だけでなく、その護衛や秘書も全員足止めしろ。それと、この三十分の客の出入りを知りたい」
「え、しかし」
「すぐにジェレミア卿を呼んでくれ」
「間もなくパーティーも終わりますし、お帰りになる方も」
「早くしろ!」

 一喝されてびくりとした職員は、しかしスザクの形相に事態の深刻さを感じ取ったようで一斉に動き出した。

「殿下に付いていた護衛は?」

 残った者に尋ねると、慌てた様子できょろきょろ見回した。

「あ……、そういえば姿を見ていません」
「ひとりも?」

 ルルーシュには護衛が四人付いていた。それがひとりもいないというのはやはり異常だ。

「護衛を探してくれ。それから、殿下のお姿を見た者が本当にいないか徹底的に調べろ。給仕でも誰でもいい」
「イエス、マイロード!」

 ホールを出るとちょうどジェレミアが到着したところだった。彼は警備の全体責任者なので、今日はルルーシュの護衛から外れている。そのことが今さらながらに悔やまれた。

「ルルーシュ殿下がいらっしゃらないというのは本当か」
「はい。殿下の護衛も姿が見えません」
「護衛が? ひとりも?」
「そうです」
「なぜそのようなことが……」
「僕のせいです。殿下のご命令であろうとお側を離れるべきじゃなかった、なのに……っ」
「悔やむのはあとだ。今は殿下をお探しするのが先だろう」

 ジェレミアに背中を強く叩かれる。そこへ参加者名簿を持った職員が駆けてきた。
 警備に当たっている関係者と一部の職員だけを空き部屋に集め、名簿を確かめていく。ふと、スザクの中で引っかかるものがあった。

「どうかしたか」
「いえ、この名前に見覚えがあるような……」

 どこで見たのか思い出そうとして、あっ、と声を漏らした。

「神楽耶の持ってきたリスト……」
「皇神楽耶様? もしかして例のブリタニア貴族の調査か?」
「はい。リストに直接載っている人物ではありませんが、調査の中で貴族に関係するブリタニア人も報告されています。その中にいた男です」
「偶然かもしれないが、不正事件が関係している可能性は大いに有り得るな。しかし、今はまだ疑わしいというだけだ。殿下のご不在を大っぴらにするわけにもいかない」

 ジェレミアの言わんとしていることは理解できた。
 現時点ではルルーシュの姿が見えないというだけで、誘拐が確定したわけではない。仮に誘拐だったとしても、すぐさま事件を公にすれば大問題となる。
 ここは日本だ。事はブリタニア本国にも関わってくる。スザク達だけの判断でどうにかなることではなかった。

「クロヴィス殿下にもまだお伝えするな。とにかく今はルルーシュ殿下の行方をお探ししよう」
「そうですね。招待客の出入りのほうはどうだ」

 スザクの質問に、控えていた職員が一時間以内の状況を報告した。監視カメラが同時に流され、この三十分で出入りした人間をすべてチェックする。
 駐車場の様子も確認するが、車が出て行く様子や不審者の姿は認められず、少なくともルルーシュが外に出た形跡はなかった。

「調べたところ、業者の出入りもありませんでした」
「もし誘拐だったとして、人ひとり連れ出すとなると大きな荷物を装うか、車に押し込めることになりますね」
「しかし、そういうものは見当たらないか……。殿下はまだ中にいらっしゃる可能性が高いな。だが、念のため車も当たったほうがいい。招待客の車も業者の車もすべて確認させよう」
「僕は中を徹底的に探します」
「ああ、頼む。それにしても、犯人はなぜ今日を狙ったんだ。人が多い分、警備が手薄になる面はあるが、殿下がおひとりになることは滅多にないというのに」
「それは僕が殿下のお側を離れてしまったせいです」

 今ここで己の失態を悔いても仕方ないとわかっている。それでも、スザクは自分を責めずにいられなかった。
 なぜあのときルルーシュの側を離れてしまったのだろうと、後悔ばかりが浮かぶ。

「病人ならば仕方がないが、運の悪い偶然だな」
「ええ、そんな偶然はそうそう――」

 ハッとしてジェレミアと顔を見合わせる。彼も同じことを考えたのか、部屋を飛び出したのはほとんど同時だった。
 救護室へ向かうと、先ほどの女性はまだベッドにいた。二人の鬼気迫る様子に恐れおののいた様子で、倒れたのは偶然だったのか、スザクにもたれかかってきたのはなぜかと問いただせば、事情はわからないながらも己の行いの重大さを悟ったらしい。涙ぐみながらすぐに事実を打ち明けた。

「侯爵と名乗る男性とここで知り合ったんです。その方から枢木卿との仲を取り持ってくれると言われて、倒れたふりをすればいいだけだからとお願いされて、だから私……」
「頼んできたのは誰だ。この中にいるか?」

 関係者の写真を並べる。彼女が指したのは、スザク達が怪しいと踏んでいた男だった。
 侯爵という位は嘘で、彼女に名乗ったファーストネームも偽名を使っていたが、これで例の不正事件が関係していることがほぼ確定となった。

「警備の者がしらみつぶしに部屋を当たっている。ただ、主賓の部屋となると時間がかかるな」
「主賓……、そうか、もしかしたら……」
「何か思い付いたのか?」
「今日の出席者でブリタニア貴族と日本の政府関係者だけを抜き出してもらえますか」
「なるほど。さらに、個別に部屋が用意されている者をリストアップすればいいんだな」

 説明する前に理解してくれたジェレミアに、スザクは大きく頷いた。

「例のブリタニア貴族以外で不正事件への関与が疑われている者を優先的に探しましょう」

 神楽耶に渡されたリストの名前は記憶している。いずれルルーシュに報告するつもりで調査していたが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
 (いや、そもそもルルーシュに相談していればもっと警戒できたかもしれないのに)
 今さら後悔しても意味はないと、余計な感情は振り払った。
 出席者のデータから該当者が洗い出されるのを待つ。数分にも満たない時間がとてつもなく長く感じられた。

「ヒットしました」

 表示された一覧を覗き込む。該当者は三人だった。
 そのうち日本人は一人。見知った名前にスザクは目を瞠り、唇を噛んだ。

「急ごう。部屋の中は理由を付けて調べるぞ」
「――はい」

 拳を握り締めて身を翻す。
 今はルルーシュの無事を祈ることしかできない自分が歯痒くてたまらなかった。
 SP達に見守られながらドアをノックをすると、知っている声が返事をした。

「枢木スザクです」

 スザクが名乗ればドアはすぐに開いた。現れたのは現政権の官房長官、澤崎敦だった。

「これはこれは。珍しい客人だ」
「お久しぶりです。澤崎さんがこちらに招待されていると聞きまして、ご挨拶で伺いました」
「忙しいのにわざわざすまないな。警備のほうはいいのかい?」
「はい。許可をいただきましたので」
「ルルーシュ殿下は外国人の部下にも寛容な方というわけか」

 表情の変化を決して見逃すまいと、スザクは澤崎から視線を外さなかった。しかし、スザクの訪問を喜ぶ様子や、ルルーシュの名前を出したときの反応に違和感はない。
 (違うのか? いや、官房長官を務めるほどの人だ。腹の内はそう簡単に見せないだろう。それに、神楽耶の情報が正しければ……)
 神楽耶からもたらされた不正関係者のリストには、現政権の中枢にいる人物も複数いた。そのひとりが澤崎だ。
 彼は中華連邦との関わりが深い。そんな人物がブリタニア貴族と繋がっているのは意外だが、裏事情を探るのは後回しだ。
 軽く世間話をしながら、スザクの目は部屋の中を確かめた。主賓用の応接間でそれなりの広さはあるものの、椅子とテーブルとソファが置かれているだけの質素な空間だ。少なくとも人を隠すスペースはない。
 やはり澤崎はルルーシュの行方不明と無関係なのか。だけど、スザクの直感がここを立ち去ることを拒んでいた。
 証拠も確証もない。あるのは、ラウンズ時代に培った軍人の勘だけだった。

「ところで、君は最近のブリタニア大使館の改革をどう思っているかね」

 突飛な質問にスザクは首を傾げた。

「どうとは?」
「君はブリタニア皇族の騎士という立場があるからあまり声を上げにくいだろうが、ルルーシュ副大使の改革は少々やり過ぎだ。不正を働いた大使のほか、大使館職員やブリタニア貴族も大勢処分されている。おかげで、地道に築いてきたブリタニアとのパイプが切れてしまった」
「……つまり?」
「我が国にとっては大きな損失ということだよ。新しい担当者と新たに関係を築いていくことがどれほど大変かは君もわかるだろう?」
「しかし、不正は不正です。犯罪者を処罰するのは日本も同じでしょう?」
「政治は正義や正論だけでやっていけないものだよ」
「官房長官の澤崎さんがそんなことをおっしゃっていいのですか」

 思わず険しい視線を向ければ、澤崎は小さく首を振った。

「老婆心で言っているのだよ」
「何をですか」
「ルルーシュ副大使の改革は一部の者の反発を買っている。当然、騎士である君にも同じ目が向けられているということだ。スザク君、君は日本人だろう。そして、父親は我が国の首相、枢木ゲンブだ。父親のためにも、もっと日本のためになることをしないか?」

 なんとなく意図が見えてきた。
 澤崎は自分達の陣営にスザクを引き込もうとしている。それはルルーシュを裏切るという意味でもあった。
 恐らく、スザクが日本人だからと甘く見ているに違いない。日本人で父親が枢木ゲンブならば、日本の肩を持つのは当たり前だと決め付けているような口調だ。
 冗談じゃない、とスザクは膝の上の両手を握り締めた。

「おっしゃっている意味がわかりません」
「そうか。では、単刀直入に言おう。日本のために働いてほしい」
「お断りします。僕はルルーシュ殿下の騎士です。たとえ父親から頭を下げられたとしても、殿下を裏切るような真似はしません。どうしてもお話をということでしたら、まずはルルーシュ殿下を通していただきたい。ルルーシュ殿下にご相談できない内容ならばお断りです」
「しかし、その皇子は今ここにいない。違うかな?」

 澤崎がにやりと口の端を上げる。スザクは身構えた。

「わかっているよ。君は主人を探しているのだろう? さて、どこにいるのかな」
「やはりあなたが関わっているのですか」
「君が協力してくれるのなら命だけはと思っていたが、断るのなら交渉は決裂だ。皇子には消えてもらうしかないな」
「殿下はどこだ」
「そう焦るな。皇子は生きているよ。今はまだ」
「どこだと聞いている!」

 澤崎がテーブルの上の端末を開いた。映し出された映像に目を向けたスザクは大きく目を見開いた。

「君さえ協力してくれたら命は助かったのに、残念だよ」
「貴様っ!」

 ソファから立ち上がったのと同時に腰の剣に手をかける。だが、澤崎の余裕ぶった態度は変わらない。
 スザクはぐっと奥歯を噛んだ。剣と澤崎を意識しつつ、視界の端ではカメラの映像を捉えていた。
 そこにはルルーシュの姿がある。画面は暗いが、大使館内であることは背景に映っている建物の様子や景色でわかった。
 (いや、それよりも――)
 背筋に汗が伝う。顔には出さないようかろうじて平静さを保っているけれど、必死になだめていないとこの場で澤崎に斬りかかってしまいそうだった。
 そんなスザクの心中を見透かすように、澤崎がくつくつと笑う。

「君の大事な主人の危機だ。どうするかな」

 画面の中のルルーシュは両手両足を縛られ、その上、猿ぐつわをかまされた状態で横たわっていた。眠らされているようで、瞼を閉じた顔が穏やかなのは唯一の救いである。
 (これは屋外か)
 背後に映る建物の窓の位置から、ルルーシュがいるのはかなりの高さと推測された。身体の下には芝生が見えるので、ブリタニア大使館の屋上に設けられた天空庭園であることは確かだ。

「どうやって屋上に入ったんですか」
「ほう、もう場所がわかったのか」
「ここはブリタニアの領土です。こんなことをして無事でいられると思っているのですか。いや、あなたひとりの責任でどうにかなる問題ではない、このままではブリタニアと日本が戦争になります」
「いいんだよ。ブリタニアとの戦争、大いに結構」
「なんですって?」
「我々はむしろ戦争がしたい」
「ブリタニア貴族と繋がっていたのにブリタニアと戦争を?」
「彼らのバックには武器商人がいてね。簡単に言うと、ビジネスにおいては我々もブリタニアも中華も利害が一致しているということだ」
「自分達の利益のためだけに戦争を起こすつもりですか」
「戦争は莫大な利益になる。開戦すれば中華連邦に亡命する準備も整っているから、安全面でも問題ない」
「その安全はあなただけの安全でしょう。巻き込まれるのは大勢の民間人だ」
「だからどうした」
「っ、それが日本をあずかる官房長官の言葉か!」
「威勢がいいところはさすが枢木ゲンブの息子だな。だが、日本男児でありながらブリタニアに魂を売るとは嘆かわしい。君とはここでお別れだ」

 澤崎が合図をすると、外に控えていた男達が出入り口を塞いだ。銃を持つ構えと言い、その威圧感と言い、ただのSPではないと察する。

「ここはブリタニアの領土だと言いましたよね。僕に危害を加えたところであなた達に逃げ場はない」
「残念ながら、ブリタニアの領土の中にも仲間がいてね。ここを見張っているのは君の仲間だし、私が逃げるルートも完璧だ。丸腰でブリタニアの皇子を攫い、その騎士を殺すわけがないだろう?」

 その言葉にハッとする。

「まさかルルーシュ殿下の護衛も」
「言っただろう、皇子に反発する者は多いと。護衛のうち二人は我々の仲間だ。残りの二人には少々眠ってもらっている。さてと、お喋りはここまでだ。君には皇子と共に死んでもらおう」

 澤崎が携帯を取り出してどこかに連絡をする。銃口は相変わらずスザクに向けられたままで、澤崎に手を出せば即座に撃ち殺せるよう照準が合わされていた。

「ああ、そうだ。計画はこのまま進める。もういいぞ、皇子を落とせ」
「な……っ」

 勢いよく振り返って外を確かめる。この部屋の窓からは屋上庭園がなんとか目視できた。
 その突き出し部分から黒い影が覗いた。ルルーシュの頭だった。

「ブリタニアの皇子が屋上から突き落とされたら実にセンセーショナルだろう?」
「やめろ……」
「そこからよく見ておくがいい。すぐに君もあとを追わせてやるから心配するな」
「やめろっ!」

 助走を付けたスザクは、躊躇うことなく窓に飛び込んだ。追いかけてきた銃弾が腕を掠める。しかし、気にすることなく突き破った窓から地上へ飛び降りた。
 ここが建物の三階であることなど頭になかった。ただ、ルルーシュのところへ向かうことしか考えていなかった。
 直線距離で五十メートル。邪魔な障害物を飛び越え、ルルーシュがいるであろう真下を目指す。十秒にも満たない時間は恐ろしくゆっくり感じられた。
 ルルーシュの頭が見えた位置に到着し、屋上を仰ぎ見たのと同じタイミングで黒い塊が落ちてきた。
 地上までの落下スピードと着地点を悠長に計算している暇はない。
 与えられた時間はわずか二秒。スザクはルルーシュだけに意識を集中させた。
 両手を伸ばし、全身を使って受け止める。落下の衝撃に思わず倒れ込むが、自分の身体を盾にしてルルーシュを庇った。
 腕の中のルルーシュを強く抱き締めてしばらく動けないでいると、ホールのほうから音楽が微かに聞こえてきた。現実と非現実が混じり合っているかのようだ。

「ルルーシュ……、ルルーシュ、っ」

 あちこち痛む身体を起こし、瞼を閉ざしたままのルルーシュを軽く揺する。口元の布を取って手を当てると、吐息が掌に当たった。
 拘束していたロープを引きちぎって身体に異常がないかも確かめた。意識が戻ってみないと完全に安心はできないが、確認できる範囲ではひとまず無事なようだとようやく安堵の息を吐く。
 袖をめくるとロープの痕が残っていて、その痛ましさにスザクは眉を寄せた。拳をぐっと握り締めたあと、騎士服の袖に付けていた通信機に応える。

「ジェレミア卿、聞こえていますか。殿下はご無事です。中庭にいますので救護チームをお願いします」

 何かあったときのために通信機器のスイッチはずっと入れたままだった。当然、澤崎との会話も録音されている。今回の件で澤崎を追及してもシラを通すだろうが、彼自身の音声が何よりの証拠だ。
 通信を切ると、何かがはらはらと舞っていることに気付いた。雨混じりの雪だった。
 冷えるはずだと、ルルーシュの身体を温めるために抱き締めた。先ほどから左の肩から腕にかけてずきずきと痛く、もしかしたら外れたかなと思うものの、スザクは腕の力を緩めなかった。

「ごめん、ルルーシュ……。君を守れなくて、ごめん」

 意識のないルルーシュに声は届かない。それでもスザクは「ごめん」と何度も伝えた。
 騎士としての自分がなんの役にも立たなかったことをまざまざと実感する。胸の中には苦い後悔ばかりが広がっていた。

***

 水の底から浮き上がるように目が覚めた。
 まだ夢の中にいるみたいな感覚でぼんやりしていたらいきなり何かが覆い被さってきて、その苦しさに「うっ」と声が漏れる。

「良かった、良かったよルルーシュ、目が覚めて本当に良かった」
「兄上……苦しいからどいてください」
「もし君の目が覚めなかったらと思うと生きた心地がしなくて、マリアンヌ様にもナナリーにも申し訳が立たないところだった……」
「わかったから早くそこをどけ」

 冷たく言い放てば、側に控えていたジェレミアがクロヴィスをなだめて引き剥がす。ようやく離れた異母兄は、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。

「なぜそんな顔をしているんですか」
「なぜって、君が心配だったからだよ! 丸一日、目が覚めないんだから兄として心配するのは当然だろう!」
「丸一日……?」

 ベッドの上で首を傾げれば、説明のためにジェレミアが進み出た。

「事件に巻き込まれたことは覚えていらっしゃいますか?」
「ホールを出たところで薬を嗅がされたのは記憶しているが、そのあとのことは……」

 みすみす罠にかかったことも、薬で意識を失くしたことも不覚だった。自分の失態だと悔やめば、ジェレミアが首を振った。

「チェックが甘かった我々の責任です。そのせいで殿下を危険な目に……。誠に申し訳ございません」

 深々と頭を下げた彼も目が充血していることに気付き、大勢の人に迷惑をかけてしまったのだなとまた後悔が浮かぶ。そこでルルーシュはようやく違和感に気付いた。
 部屋の中にはクロヴィスとジェレミアのほかに、医師と看護師も控えていた。しかし、己の騎士がどこにもいない。

「スザクは?」

 短い質問に、なぜか異母兄達は気まずそうに顔を見合わせた。その様子を見たルルーシュの中に嫌な予感が広がる。

「スザクに何かあったのですか」
「いや、彼はなんの問題もないよ。多少怪我はしているが、日常生活に影響が出るようなものではない。ただね……」

 言葉を切ったクロヴィスは、意を決したように弟の顔を見た。

「今は自主的に謹慎しているんだ」
「謹慎?」
「君を危険に晒し、危うく殺されかけたことの責任を感じていて、自分は騎士として相応しくない、罰してもらいたいと訴えてきたんだ。もちろん、そんな権限は私にはない。彼はルルーシュの騎士だからね。犯罪を犯したのならともかく、それ以外で私がとやかく言うような権利もなければ立場でもない。それに、彼がいなければルルーシュは本当に死んでいたわけだし、むしろ彼には感謝しているんだよ」

 とにかくルルーシュが無事で良かったと、クロヴィスがまた涙を浮かべる。

「死んでいたとは? 私はどういう状況だったのですか?」
「覚えていないのなら何も気にしなくていいのだよ」
「そういうわけにはいきません。私に関わることは私が知っていなければ」

 兄上、と迫ればクロヴィスが溜め息をつく。強情な弟だと思っているのだろう。しかし、副大使という立場にある人間が何も知らないままでいることはできない。
 引こうとしないルルーシュに、根負けしたのはクロヴィスのほうだった。

「犯人は意識のない君を空中庭園から突き落として殺そうとしたんだ。それをすんでのところでスザク君が助けた」
「まさか、スザクが怪我をしたというのはそのときに……?」
「地上で君を受け止めたわけだからね。ああ、心配いらないと言っただろう。重傷ではないからそんな顔をしないでおくれ」

 異母兄の手がルルーシュの頭を撫でる。幼子に言い聞かせるような口調に、今の自分がどんな顔をしているのか想像できるような気がした。
 空中庭園は建物の屋上で、十階程度の高さがある。そこから人が落ちれば、単純計算でも相当な衝撃が想像できた。普通はそう簡単に受け止められないし、運良く受け止めたとしても骨折や打撲などの重傷を負うだろう。
 それを生身で助けたスザクの身体能力に驚くと同時に、彼にかなりの負担をかけたことに対して申し訳なさが募る。
 本音としてはスザクの状況をもっと詳しく聞きたいけれど、今はそれより事件の概要が先だと、ルルーシュはスザクのことを頭から追い出して口を開いた。

「それで、事件のほうはどうなったんですか。俺を誘拐したのはどこの誰ですか」

 話をしようと身を起こせば、ジェレミアが背中を支えた。重ねられた枕に身体を預ける。

「主犯は日本の官房長官の澤崎敦です」
「官房長官が?」
「はい。彼も大使館の不正に関係していた人物で、殿下が改革を進められたことで痛手を負った連中が今回の事件を仕組んだようです」
「俺も嫌われたものだな。厳しく処罰したつもりだが、やはり手ぬるかったか。不正に関与した全員を炙り出せなかったのも痛い。ちなみに、澤崎の後ろには誰もいないのか?」
「実は……」

 言葉を濁したジェレミアがまた勢いよく頭を下げた。

「殿下に謝罪しなければいけないことがございます。このことは枢木卿から報告するのが相応しいのですが、私の口から弁明させてください」
「なんだ」
「不正事件に関与しながら逮捕を免れた者がいることは殿下もご承知のことですが、その件に関して皇神楽耶様から枢木卿に情報提供がありました」
「神楽耶様から?」
「提供されたのは日本側の容疑者リストです。そのリストの人物と関わりのあるブリタニア貴族を教えてほしいというのが神楽耶様からの交換条件でした。ただ、どの人物も疑いがあるという段階でまだ確証がなかったため、ルルーシュ殿下には証拠が揃ってからお知らせしようと考えていたのですが、そのことが結果として殿下を巻き込む形となってしまい大変申し訳なく思っております。いくら謝罪しても許されることではありません。処分は覚悟の上です」
「お前とスザクが中心になって動いていたということか。いや、私を通さず事務レベルで話を進めるのは当たり前のことだ。その程度で罰することはしない。それより、神楽耶様からのリストを見せてくれないか」

 ルルーシュがそう言い出すと予測していたのか、ジェレミアはすぐに一枚のペーパーを差し出した。赤い印はすでに逮捕された者だと説明される。
 ざっと目を通したあと、ルルーシュはリストの一番目に載っている名前に戻った。

「主犯は澤崎だと言っていたな」
「はい」
「私を狙ったのは例の不正事件だけが原因か?」
「きっかけは不正事件ですが、実際のところは殿下を殺害することで日本とブリタニアの戦争を画策していたようです。日本とブリタニアの武器商人と密約を交わし、利益の一部をもらう予定だったのでしょう。澤崎は中華連邦と繋がりがあり、開戦すれば中華に逃げ込む算段だったと供述しています。また、殿下を手に掛ければその騎士である枢木卿の責任は大きい。そうすれば、政敵である枢木家を追い落とせると考えたようです」
「俺を殺せば利益を得られ、政敵も倒せて一石二鳥ということか。浅はかだな」
「ちなみに、澤崎と一緒に逮捕したブリタニア貴族も仲間でした。護衛のほかに、給仕の中にも紛れ込んでいたようです」
「つまり、警備がまったく機能していなかったということか。それでは攫ってくれと言っているようなものだ。全職員の洗い出しを行う必要があるな」
「そちらはすでに進めております」

 さすがは仕事が早いと笑ったあと、ルルーシュは表情を改めた。俺も平和ボケしていたかと、こっそり嘆息する。
 話しかけてきた貴族がスザクのエピソードに詳しかった時点で怪しむべきだった。あれはルルーシュを油断させるために日本側から聞き出した情報だろう。そんなものに引っかかった自分に腹が立つ。

「しかし、澤崎は小物だ。あいつひとりでここまで大それたことを仕出かすとは考えにくい」
「では、やはり黒幕がいるとお考えで?」
「この老人が出てこなければむしろおかしいだろう」

 リストを指先で叩く。そこには桐原泰三の名前があった。

「ですが、桐原についてはまったく証拠がありません。日本側も政財界の重鎮にはなかなか手が出せないようで」
「日本が手を出せないからブリタニアが脅しをかけるんだ。兄上、桐原との面会をセットしてくれませんか」

 ルルーシュの頼みに、それまで黙って話を聞いていたクロヴィスが色めき立った。

「そんなことは大使として認められない! 相手は君を殺そうとしたかもしれないんだよ。第一、君だって怪我をしている。無茶はいけないよ、ルルーシュ」
「だからですよ。怪我をしたと大袈裟にアピールするんです」
「駄目だ駄目だ! 絶対に駄目だ!」
「兄上」

 クロヴィスをじっと見る。異母兄はたじろいだ様子を見せたものの、なかなか首を縦に振ってくれなかった。

「危険があるかもしれない」
「そのために騎士がいるんです」
「しかし彼は……」
「今すぐ引きずり出してきます。それに、私の命を助けてくれたスザクならばどんなときも絶対に私を守ってくれます」
「あちらに出向くことは認められないよ。会うなら大使館の中だ」
「それでは警戒してやってこないでしょう。場所は神楽耶様に提供してもらいます。神楽耶様は日本でもっとも信頼しているビジネスパートナーですから安心です」
「しかし……」
「兄上。兄上は大使でしょう。何が本国にとってベストかを選んでください」

 異母兄の手を取って握り締めれば、しばらくして強く握り返された。

「危険なことは絶対にしちゃいけないよ」
「もちろんです。自分の身があっての改革ですから」

 にこりと笑えばクロヴィスが泣き出しそうな顔をした。が、すぐに大使らしい顔付きで椅子から立ち上がった。

「わかった。すぐに面会の席を用意しよう。今年の初仕事だ」

 待っていてくれと言い、異母兄は部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ったルルーシュは、ドアが閉まるとにやりと口の端を上げた。

「さすがはクロヴィス兄上。シュナイゼル兄上と違って扱いやすくていい」
「クロヴィス様を弄ぶのはいかがかと思いますが」
「人聞きの悪いことを言うな。私は弟として兄上にお願いしただけだ。さて、次は我が騎士だな」

 着替えを持ってくるよう頼んでベッドから下りる。

「スザクはそんなに落ち込んでいるのか」
「ルルーシュ殿下のお側を離れた自分の責任だと後悔していまして……。枢木卿が殿下から離れるきっかけを作った女ですが、その者に犯人に使われていたので余計に責任を感じているようです」
「あの女か。そういえば、護衛も犯人側だったな」
「二名はそうです。人事を担当していた幹部が事件に関わっていたため、護衛がまったく意味をなさない状況となっていました。申し訳ございません」
「謝罪はもういいと言っている。しかし、膿を出し切ったつもりでいたが、とんだ自惚れだったというわけだ。シュナイゼル兄上なら事件を完璧に片付けただろうに、私の経験のなさを痛感するな」
「それだけ不正の根が深かったということです」
「慰めはいらない。どう言い訳しても自業自得なのだから」

 服が届けられ、ルルーシュは寝衣を脱ぎ捨てた。ふと見れば腕のあちこちに青痣や縛られたような痕があり、思わず眉を寄せた。
 スザクはこれを見たのだろうか。もし見たのならば、必要以上に彼が責任を感じている理由にも頷けた。そこまで考えて、心配するのは自分の身体よりもスザクのことかとルルーシュは小さく笑った。
 ジェレミアに上着を着せてもらうと部屋を出る。彼の先導でスザクの部屋に向かうと、断りもなくドアを開けて中に入った。
 ソファに沈み込んでいたスザクは、突然現れたルルーシュに目を瞠っていた。

「ルルーシュ、殿下」
「何をぼんやりしている。俺はこれから仕事だが、お前はここでずっと引きこもっているつもりか」
「――申し訳ございません」
「それは何に対する謝罪だ」
「僕のせいであなたの命を危険に晒してしまいました。僕は、殿下の騎士に相応しくありません」
「つまり、俺の騎士を辞めたいと?」

 スザクは答えなかったけれど、俯けられた顔がイエスと言っていた。

「俺がどんな気持ちでお前を騎士にしたのかわかっているのか」
「申し訳ございません」
「騎士を辞めたあとは? ラウンズに戻るのか? 俺とお前の関係は?」
「本当に申し訳ございません」

 謝罪しかしないスザクに、ルルーシュは足を踏み出した。彼の前に立ち、その胸倉を掴む。

「お前が俺の騎士を辞めると言うのなら好きにしろ。だが、今お前が辞めれば、俺は人を見る目がなかったということになる。たった四ヶ月で騎士に辞められた皇子としていい笑いものになるだろうな。人質になって命を落としかけただけでもすでに本国では格好のネタになっているだろうに、そこへさらなるネタを提供するわけだ」
「殿下に恥をかかせるようなことは……!」
「だったら違う責任の取り方があるだろう。俺を危険に晒したと後悔するのなら、これ以上、俺に恥をかかせるな」
「殿下……」
「今から言うことは恋人としてではない、お前の主として伝える。よく聞いておけ」

 胸倉を掴んだままの手に力を込め、ルルーシュはすっと息を吸い込んだ。

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる。枢木スザク、お前は一生、俺の側にいろ。俺がもういいと言うまで俺の側から離れるな。もし命令を聞けないのならば、この場でお前の首を刎ねてやるからそのつもりでいろ」

 呆気に取られたようにルルーシュを見ていたスザクが、不意に表情を緩めた。

「随分と熱烈な告白ですね」
「俺は必要があれば俺の持っているものすべてを手放す覚悟がある。だが、人に強制されて手放すのは許せない」
「しかもわがままだ」
「俺がわがままなことは知っていただろう?」
「ええ、よく存じ上げています」

 スザクの手が伸び、ルルーシュの頬に触れる。

「では、僕からもひとつ申し上げてよろしいですか」
「なんだ」
「あなたは僕のものです。ほかの誰かがあなたに触れることも、ましてや命を奪うことも許せない。あなたを好きにしていいのは僕だけだ」
「騎士の分際でよく言う」
「僕は独占欲が強いんです。ご存知ありませんでしたか?」
「そんなこと知っている」

 下からルルーシュを覗き込んだスザクの口元が弧を描く。

「殿下が悪いんですからね。あなたが僕に離れるなと言うから、僕は一生あなたを自分の手元に置いておけることになってしまった。こんな不甲斐ない騎士で本当によろしいのですか?」
「後悔があれば最初からお前を騎士にはしない」
「――ありがとうございます」

 スザクに手を取られる。好きにさせていたら、掌に唇を押し当てられた。
 愛おしそうに、慈しむように、大事に触れられてたまらない気持ちになった。

「もう二度と騎士を辞めるなんて言うな」
「はい。申し訳ありませんでした」

 ルルーシュ、と名前を呼ばれる。翠の瞳にはルルーシュの姿が映っていた。

「君を傷付けてごめん。でも、間に合って本当に良かった……」

 今度はルルーシュのほうからスザクの頬に触れた。
 涙は流していないけれど、彼が泣いているように見えたから拭ってあげなければいけないと思った。

「俺を守ってくれてありがとう、スザク」

 首に腕を回せば背中を強く抱かれた。二人分の心臓の鼓動が聞こえる。
 この心臓が止まらなくて良かったと心の底から安堵し、ルルーシュはスザクのぬくもりを確かめた。

***

 ルルーシュの願いを聞き入れたクロヴィスは、事件から二日後に桐原との面会をセットしてくれた。
 当初は一対一でと希望したが、これには弟に甘いクロヴィスも大いに反対し、護衛を付けるということで妥協した。面会の場にはブリタニア側からルルーシュとスザクが、日本側は桐原と藤堂という軍人の四名が集まった。
 会場は神楽耶が用意し、窓の外には見事な日本庭園が広がっている。こんなときでなければゆっくり庭を見せてもらうのに、と思いながらルルーシュは桐原と対峙した。
 長年、日本政財界の重鎮として君臨している桐原は見た目はただの老人だが、並みの者ではない存在感があった。後ろに控える藤堂からもプレッシャーを感じる。
 藤堂はスザクの師で、日本軍の中でも特に優れていると評判の男だ。そんな二人からすれば、ルルーシュもスザクも小童でしかないのだろう。今日の面会も子供をあやすつもりで来ているのかもしれない。
 せいぜい馬鹿にしていろ、と心の中で笑う。
 身体の見える場所に包帯を巻き、目には眼帯を付け、スザクに支えられながらわざとらしく足を引きずって登場したルルーシュは、畳の上に正座をすると日本式の挨拶をした。

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです。本日は急なご依頼に応じていただき、感謝しております」
「いや、まずはこちらの非礼を詫びなければなりません。このたびは澤崎が無礼を働き、殿下に怪我を負わせたことを大変申し訳なく思っております。官房長官という立場にありながら私利私欲のために殿下を亡き者にしようなどと、嘆かわしい限りです」

 事件を詫びた桐原に、ルルーシュは薄く笑みを浮かべた。

「私が死んでいなくて落胆しましたか?」

 桐原は眉ひとつ動かすことなく、「滅相もない」と否定した。

「殿下がご無事と聞いて胸を撫で下ろしたのですよ」
「それはありがとうございます。澤崎が言うには、私を殺して戦争を起こし、それにより利益を得るつもりだったそうですから、戦争を期待していた者はさぞかしがっかりしたでしょうね。日本と戦争になることは私の本意ではありませんが、万が一私が死んでいたら父は間違いなく日本に攻め込んでいましたので、スザクは私だけでなく日本の同胞をも救ったことになります」
「彼の活躍は同じ日本人として鼻が高いことです。何より、戦争を回避できたことは喜ばしい」
「おや、意外ですね。桐原公は戦争推進派かと思っていました」

 にこやかに告げたルルーシュに、相変わらず桐原は表情を変えなかった。

「殿下がなぜそのような認識を持たれているのかはわかりませんが、私は常に日本のことを考えています。この地が戦場となることを回避するのは当然でしょう」
「そうですか。あなたが希望するなら父にお願いして日本を攻めてもらおうかと思ったのですが、余計なことでしたか」
「お言葉ですが、ブリタニアの皇子でいらっしゃる殿下がそのようなことを口にされるのはいかがかと」
「ブリタニア皇帝である父の一番のお気に入りは私で、私の望みはなんでも叶うのです。ラウンズだったスザクを騎士にできたのもそのおかげですから、戦争なんて簡単に起こせる」
「まさか」
「信じる信じないはあなたの勝手。ですが、たとえば今ここで私が父に連絡を取り、キョウト六家を潰すよう進言することも可能なのですよ」

 そのお年で無一文になるのはお嫌でしょう? と口の端を上げる。難しい顔をした桐原は、ルルーシュを見据えて声をひそめた。

「腹を割ってお話ししましょう。殿下のご要求はなんですか」
「今後、私のやることを邪魔しないでいただきたい。もちろん日本の不利益になることはしません。ブリタニア大使館の改革に対して邪魔をしない、それをお約束してください」
「それだけですか?」
「ええ。お約束していただけるのなら、現在計画しているサクラダイト関連産業での共同開発において桐原グループを推薦しましょう。また、私が所有しているサクラダイト採掘権の何パーセントかをあなたにお譲りします」
「ルルーシュ殿下! 何をおっしゃって……!」

 ルルーシュの提案に意見したのはスザクだった。しかし、ルルーシュは振り返ることなく桐原に視線を向けた。

「あなたは中華連邦やそこに属するインド軍区とのお付き合いがあるでしょう? ブリタニアも中華とのチャンネルはありますが、それは私のあずかり知ることではない。そこで、あなたを通じて中華連邦と独自の繋がりを得たいのです」
「そのためにわざわざ取引を?」

 疑っているような問いかけに、ルルーシュは笑みを深めた。

「使えるものはなんでも使うというのが私のスタンスなのです。幸いなことに、こちらは日本人の枢木スザクがいます。彼の名前を出してくださっても構いません。ブリタニア人だけで交渉するよりはあちらの警戒も緩むでしょう」
「だが、この条件はあまりに我々に有利だ。殿下の利になることが少ない」
「それだけの価値があると思っているからです。ただし、あなた方が私を裏切った場合の報復は覚悟しておいてください。私と枢木スザクの身に何かあればブリタニアは容赦しない。日本の豊かな国土を焼け野原にはしたくないでしょう?」

 表面上はにこやかなまま、しかし目の奥には底冷えするような色を宿して告げると桐原が唸った。

「なるほど……仕事のできる副大使というお噂は聞いていましたが、あの第二皇子が改革を任せるだけあって、その手腕も実力も本物ということですか」
「買いかぶり過ぎです。私は自国の利益のために動いているに過ぎません。ただ、そのための手段を選ばないというだけで」

 ですから――、とルルーシュは続けた。

「私の邪魔をしないという一点を必ず守っていただきたい。それが叶わない場合の結果は、わざわざ口にしなくてもあなたなら正確に理解されているでしょう? 桐原公」
「逆に言うと、殿下の条件さえ守れば我々は良きビジネスパートナーになれる、ということですな」
「そのような未来が訪れることを願っています。最初に申し上げたとおり、日本と戦争になることは私の本意ではないのです。我が騎士と同胞を殺し合わせるだなんて、そんな悪趣味な真似はしたくない。その気持ち、桐原公ならばわかってくださいますよね?」
「もちろんです。彼のことは私もここにいる藤堂も幼少の頃よりよく知っています。彼と戦うのはこちらにとっても本意ではない。今のお話についてはお受けしますが、正式なお返事は共同開発の内容を確認してからでもよろしいでしょうか」
「構いません。ですが、私はせっかちなものでして、もしあなたが断るようでしたらこのお話は別のしかるべき相手に持ち込みますので、そのおつもりで」
「一両日中にはお返事いたします」
「良い返事をお待ちしています」

 最後も日本式の礼をとり、桐原達を見送る。
 襖が閉められ、二人の足音が遠ざかったのを確認すると、ルルーシュはようやく肩から力を抜いて足を投げ出した。

「お行儀が悪いですよ」
「正座は苦手なんだ。足が痺れた」

 じんじんと痺れる両足をさすっていると、スザクの手が添えられた。

「で、この包帯はいつまで?」
「公邸に戻るまではこのままだ。元気に歩き回っているところを目撃されたら厄介だからな」
「では、桐原さん達が出た頃にこちらの車を表に回します」
「ああ」
「ところで、本当によろしかったのですか。日本側にとってあまりに都合のいい条件ではないでしょうか。よくクロヴィス殿下やシュナイゼル殿下がお許しになりましたね」
「兄上達には何も言っていない」
「えっ」

 スザクが呆気に取られた顔をする。ルルーシュは口の端を上げた。

「言う必要がないだろう?」
「え、いや、ですが」
「クロヴィス兄上は芸術方面にしか興味がない。今日の交渉内容を話しても居眠りするだけだ。シュナイゼル兄上からは大使館改革をすべて任されている。俺のやることに今さら文句を言われても困る」
「しかし……」
「桐原を黙らせることができればそれでいいんだ」
「どうして殿下がここまでされるのですか。今日の面会だって代理の者で良かったでしょう」
「代理ではこちらの本気が伝わらないだろう。日本との争いの種はなるべく潰しておきたいからな。桐原さえ押さえればあとは有象無象の者ばかり。相手にするまでもない」

 どういうことかとスザクが首を傾げる。ルルーシュはちらりと視線を上げたあと、スザクの手に目を向けた。

「もし本当にブリタニアと日本が戦争になれば犠牲になるのは国民だ。せっかくサクラダイトを巡っての争いが回避できたのに、今さら戦争になってお前の母国を踏みにじるようなことはしたくない」
「殿下……」
「勘違いするなよ。お前のためではない、これは俺のためだ」

 力強く言えば、スザクはどこか誇らしそうな顔で「はい」と頷いた。
 俺のため。
 いかにも皇子らしいわがままだが、その中にはスザクのことが含まれていると彼は気付いているだろう。
 愛する人の生まれ育った国を守りたいと思うのは自然なことだし、自国のこともちゃんと守りたい。わがままだらけな願いは、それを叶えられるという自信があるからこその希望でもあった。

「そもそも、俺の脅しがわからないほど桐原は馬鹿ではない。日本にばかり都合のいい条件は、俺の機嫌を損ねるなという無言のメッセージだと理解しているだろう。今回のようなことが再び起こればブリタニアは日本に攻め込むというアピールができれば充分だ。今回の一件、桐原はもちろん容認していただろうが、積極的に関わっていたとは考えにくい。澤崎が先走ったか、桐原を出し抜こうと動いたか、いずれにしろ桐原はそこまで関与していないはずだ」
「なぜそう思われるのですか」
「俺を殺しても得をしないからだ。確かに、俺の改革のせいで不利益は被っただろうが、俺を殺してブリタニアと戦争になることは望んでいないはずだ」
「戦争になれば桐原グループは確実に儲かるのでは?」
「これまでの桐原の公演や会合での発言を読んでみたが、あいつは少なくとも売国奴ではない。もちろん利益は追及するし、そのためにブリタニアだけでなく中華連邦とも繋がりを持つというしたたかさもある。だが、日本という国のことを第一に考えているのは間違いないはず。その点が澤崎との大きな違いだ。だからこそ、あの藤堂が桐原に付いているのだろうし、恐らく枢木首相とも通じるところがあるのだろう」

 スザクを見れば、父親の名前を出された彼は複雑そうな顔をしていた。

「俺は父親としての枢木ゲンブはよく知らない。だが、政治家としての枢木ゲンブは評価している」
「それは……ありがとうございます」

 礼を告げながらもどこか不満げなスザクに、ルルーシュは肩を揺らした。

「そういえば、実家への新年の挨拶がまだだろう? せっかく日本にいるのだから、俺に遠慮せず休暇を取って行ってこい」
「殿下のご好意は大変嬉しいのですが、こんなときに殿下のお側を離れるなんて有り得ません」
「しばらくは残務処理だけで俺はそこまで忙しくない。もともと休暇の予定だったし、兄上にしばらく静養しろと言われたからむしろ暇だ」
「そういう問題ではないのです」

 畳に付いていた手にスザクの手が重なった。労わるように手の甲を撫でられる。

「僕が、殿下のお側にいたいだけです」

 ぽつりと呟かれた言葉に頬を緩める。
 スザクの心情を思えば嬉しいなんて感情は間違っているのだろう。でも、嬉しいと思ってしまった。
 彼にここまで心配されることが。彼にここまで想われていることが。
 (怪我の功名だな、と言ったら叱られるか)
 指を動かし、スザクの手を握り締める。それから騎士服を掴んで引き寄せると、腰を浮かせてキスをした。
 こんな場所でルルーシュのほうからキスをしてくるとは思わなかったのか、翠の目は丸くなっていた。

「お前の責任ではない、といくら言ってもお前は自分を責めるんだろうな」
「はい」
「ならば、好きなだけ側にいさせてやる」

 笑みを向ければ、スザクが表情を緩ませた。

「どこへでもついて行きますよ? そのうち鬱陶しいと思われるかもしれません」
「お前が俺の考えも及ばないことをするのはブリタニアにいたときから知っている。校舎から飛び降りたり屋根の上を走ったりするよりはよっぽどマシだし、それに……一緒にいたいのは俺も同じだし」

 顔を隠すように肩へと額を当てれば、スザクの手が背中に回った。
 ルルーシュ、と耳元で呼ばれる。そのくすぐったさに、胸の中が仄かに温かくなった。

「でも、実家へ新年の挨拶ぐらいは行ったほうがいいんじゃないか。ひとりでは行きにくいということなら俺も一緒に行ってやる」
「それは本当にいいから」
「どうして」
「父さんと顔を合わせたくないよ。親戚や父さんの支援者に囲まれるのも嫌だ」
「まあ、その気持ちはわかる」
「でしょう?」

 くすくす笑って身を起こす。目の前には愛しい人の顔があった。
 生きているからこうして彼を感じられる。生きているからこうして彼に触れられる。触れてもらえる。
 それは何よりも幸せなことなのだろう。

「帰ろう、スザク」
「そうだね」

 再び唇が触れる。
 温かくて優しいキスは、幸せの味がした。

***

「スザク」

 ベッドの端に腰かけていたルルーシュは、思い切って名前を呼んだ。
 入浴を済ませ、寝衣に着替え、あとは寝るだけという状態である。スザクが部屋の明かりを落として行って、最後に残ったのは寝室のランプだけだった。
 ベッドに潜り込み、おやすみの挨拶を交わせばランプの明かりも消され、抱き締められてスザクと一緒に眠る。彼の誕生日以来の習慣だ。
 しかし今日は違うと、ルルーシュは膝の上の両手を握り締めた。

「話がある」

 常にはない雰囲気に気付いたのか、スザクが神妙な面持ちで近付いてきた。
 顔を上げたルルーシュは、目の前の手を取るとぐいっと引っ張った。

「うわっ」

 スザクと共にベッドに倒れ込む。ルルーシュを押し潰さないよう、スザクはぎりぎりのところでベッドに手を付いていた。

「何してるの、危ないよ」
「スザク」

 腕を伸ばして首の後ろに回すと彼を抱き寄せた。身体から力を抜いたスザクはどこか戸惑った様子で、それでも抱き返してくれた。

「どうしたの?」
「俺は、お前が俺の側からいなくなるのが怖い」

 ぽつりと言えば、微かに息を呑む気配がした。

「ずっと片想いのつもりだったから、今こうしてお前が側にいてくれることが夢みたいで、だからいまだに信じられないときがある」

 俺は臆病なんだ。
 そう伝えると抱き締める腕が強くなった。

「僕も同じだよ。君が僕の前からいなくなったらと考えるだけで怖くなる。もしそんなことになれば気が狂ってしまうかもしれない」
「だったら、俺の前からいなくなろうとするな。騎士を辞めるなんて戯れでも二度と口にするな。わかったか」

 身を起こしたスザクがルルーシュの瞳を覗き込み、それから笑った。

「イエス、ユアハイネス。殿下のご命令のままに」

 ルルーシュも口元に笑みを乗せるとスザクの頬を両手で包み、唇を押し当てるようにして口付けた。
 合わせるだけのキスはすぐに深くなった。口を開けばスザクの舌がするりと入ってきて、舌先が触れただけで背筋に痺れが走る。

「ふ……っン、んぅ……」

 夢中になってキスをしているうちに、無意識に互いの腰を押し付けていた。どちらも熱を帯びていることに気付き、ルルーシュはわずかに顔を離した。

「んッ、すざく、このまま……」

 吐息がかかる距離で伝えると、スザクが迷うような顔をした。以前、ルルーシュが行為を怖がったことを思い出しているのかもしれない。
 あのときは「いつか必ず」と強気なことを言ってきたけれど、スザクが無理強いしてくることは決してなかった。毎晩ただ一緒に寝るだけで、キス以上のことはしてこない。それが男としてどれほどつらいことなのか、性的なことに疎いルルーシュでもさすがに理解できる。
 だから、スザクが欲しがってくれるのならキスから先のことをしたい。申し訳なさからの気持ちではなく、ルルーシュ自身もスザクが欲しいと思うからこそ身体を繋げたかった。

「もしあのまま俺が死んでいたら、俺は死んだあとも後悔したと思う。俺達はいつ死んでもおかしくない立場にある。ここで先延ばしにしてまた次の機会にしようだなんて、そんな悠長なことは言っていられないんだと思い知った。それはお前だって同じだろう? だから――、お前を俺にくれないか、スザク」

 ルルーシュの言葉にスザクが泣き笑いのような表情を浮かべた。

「うん、そうだね」

 白い手を取ったスザクが、寝衣から覗く腕に唇を寄せた。そこにはロープで縛られた痕が残っていた。
 幾重にも残る痕は痛々しい。もう痛くないから大丈夫だと説明しても、この痕を目にする者は誰もが眉をひそめた。スザクはその筆頭だ。
 気にするなといくら言い聞かせても、彼はずっと気に病むのだろう。もしかしたら、今回のことを生涯悔いるかもしれない。
 (そんなことのために俺はお前を騎士にしたわけではないのに)
 スザクを騎士にしなければ良かった。そしたら彼を苦しめることはなかった。
 だけど、この手を離すことはできない。スザクに想われ、スザクが側にいることの幸せを知ってしまったから。
 やっぱり俺はわがままだと小さく笑い、栗色の髪に手を伸ばす。ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でれば癖毛がひどいことになったので、今度は声を出して笑った。
 唇を尖らせたスザクが「もう」と言ってその手も取ってしまった。

「やるのかやらないのか、さっさと答えろ」
「言葉が悪いですよ、殿下」
「こんなときだけ殊勝な態度になる奴が悪い。ラウンズだったときは散々俺をからかってきたくせに」
「君の反応が可愛かったからつい意地悪をしていただけだよ」
「何が意地悪だ」
「ずっと君が欲しかった。やめろと言われても止めてあげられないけど、本当にいいの?」
「しつこい」
「じゃあ、お喋りはもう終わり」

 両手をシーツに縫い付けられ、唇を塞がれる。キスをしながら腰を押し付けられると、先ほどよりもスザクのものが硬いような気がして身体の熱が上がった。

「ンっ、ン……」

 互いの欲望が下着越しに擦れていることがたまらなく恥ずかしかった。自分の腰が無意識に動いてしまうことにも羞恥が募る。
 だけど、初めて経験する気持ち良さを振り払うことができない。

「ぁ……っすざ、く」
「あんまり余裕がないから一回出すね」
「えっ、出すって……」

 質問する前に下着をずり下ろされ、外気の冷たさを感じた。
 これは空気が冷たいのではなく性器が熱くなっているから冷たさを感じるのだなと現実逃避のように思っていたら、下に目を向けたスザクが「ルルーシュの可愛いね」とへらっとした顔で言う。その途端、ルルーシュの頬の温度が上がった。

「み、見るな! だいたい可愛いってなんだ!」
「見ないとできないし。いいから、ルルーシュは黙ってて」
「なんだその言いぐさは――、ッ、アア!」

 自分の口から信じられないような高い声が出て、咄嗟に両手で口を塞いだ。
 半ばパニックになっていると、スザクがまた嬉しそうに笑う。

「本当に可愛いな。滅茶苦茶にしたい」
「ヒっ! あっ、ヤ、あぁ……!」

 不穏なセリフが聞こえた気がするけれど、緩く勃ち上がっているものを握り込まれ、スザクのものと一緒に擦られ、すぐにわけがわからなくなる。
 やっていることは自慰と同じなのに、どうしてこんなにも感じ方が違うのだろう。どうしてこんなにも気持ちがいいのだろう。

「ア……っ、なん、で」
「何が?」
「きもち、い」

 不意に声ごと閉じ込めるように口付けられた。
 咥内を犯され、飲み込み切れなかった唾液が零れ落ちる。それをスザクの舌が追いかけ、白い肌をねっとりと舐め上げた。

「あ、あ……ッぁ、すざく、すざ、っ、だめ、だめ……ッ」
「駄目? どうして?」
「だって、出る、ッ、出ちゃう、から……」

 顔を上げたスザクがルルーシュの顔を覗き込んで笑った。
 その姿が舌なめずりする獣に見えたのは目の錯覚だろうか。だけど、喰われそうな感覚は決して錯覚ではない。
 このままスザクに喰われるのだ、と思ってぞくぞくした。

「出していいよ。ルルーシュがイクとこ見たい」
「やっ、見るな、見……ッ、ア、あぁっ」

 こいつは何を言っているんだと思うものの、残念ながら文句を口にする余裕もなく、ルルーシュはスザクの手に翻弄された。
 勝手に腰が揺れるのも、自身の先端から先走りが溢れるのも、みっともない声を出すのも、どれも死にたくなるほど恥ずかしいのに、スザクに触られているのだと考えるだけで体温が上がった。

「ア……、っすざく、もう……」
「うん、僕もそろそろ……」

 一緒にね、と囁いたスザクが先端に爪を立てる。ルルーシュは自分の寝衣の胸元を握り締め、悲鳴を上げて熱を滾らせた。
 心臓がばくばくと音を立てている。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返し、気持ち良さと息苦しさにひどく疲れたような感覚で瞼を閉じたルルーシュは、しかし次の瞬間、ぱちりと目を開けた。
 あらぬ場所に何かが触れている。それが指だと気付いたときには、ぬるりとした感触が引っ掻くようにして縁をなぞった。

「スザク……」

 口から心もとない声が出てしまった。顔を上げたスザクの瞳には仄暗い色が宿っている。彼にしては余裕のない表情に、ルルーシュはぞくりとして息を呑んだ。

「ゆっくりするから、多分」
「た、多分って……!」
「やっぱり全然余裕ないや……、ごめん」
「――ッア! あぁっ」

 濡れた指が入り込む。
 初めは気遣うように浅い場所を行き来していたけれど、徐々に奥まで押し込めて抜き差しを繰り返すようになった。そのたびにぐちゅぐちゅと音が漏れ、信じられない思いでルルーシュはシーツに掴まった。
 (こんな……俺が、こんなこと、スザクと)
 スザクに身体の外だけでなく中まで触れられているのだと考えたら、それだけでたまらない気持ちになった。

「今、何か考えた?」
「なっ、何も……ッ」
「そう? だってここ、こんなに僕の指に吸い付いてきて、可愛い反応してる」
「アアっ! や、ア――っ」

 一気に指を突き入れられ、奥を掻き回される。すると、今まで経験したことのない衝撃を感じ、ルルーシュはぶるぶると身体を震わせた。

「ここ?」
「――ッ、や、やだ、そこ、やめ……っ」
「ルルーシュの悦いとこ、見つけた」

 スザクの喜んでいる声にまでぞくぞくして、シーツを掴む手に力がこもる。
 何が起こったのかわからない。強烈な快感に意識がついて行かない。
 達したばかりでただでさえ感じやすくなっていて、初めての感覚が気持ちいいのに怖くて、泣きたくないのに勝手に涙がぼろりと零れた。

「ふぁ、あ、ア……」
「きつい? やっぱり嫌?」

 スザクの舌が頬を舐める。気遣っているのか、指の動きはいつの間にか止まっていた。

「あ……」
「怖い? やめる?」

 怖い。
 未知の感覚が怖い。身体を繋げることの生々しさが怖い。自分の知らない自分がスザクによって引き出されそうで怖い。でも、スザクに離れられることが一番怖い。

「や、だ、やめる、な」

 手を伸ばしてスザクにしがみ付く。

「続けろ」
「でも無理は……」
「お前に触ってもらったら怖くなくなる、だから、続けてくれ」

 無意識に自分の頬をスザクの頬に押し当てる。
 こんな近くにスザクがいて、こんな風に触ってもらえるなんて夢みたいだ。そう思ったら、怖いなんて気持ちはなくなった。

「それ、反則すぎ。優しくしてあげられないかもしれないよ?」
「お前がすることならなんだって平気だ」
「っ、本当に知らないからね」
「アっ、馬鹿、急に……っ」

 指が抜かれる感覚に耐えていると、膝の裏に手を当てられた。そのまま胸に付くほど曲げられ、片足はスザクの肩にかけるような格好となる。
 恥ずかしい場所がスザクの眼前に晒されている状態に、先ほどまでの怖さも忘れてルルーシュは真っ赤になった。

「ば、ばか、やめろ」
「やめるなって言ったよね?」
「そうじゃなくて……っひ!」

 指でいじられていた場所に何かを擦り付けられる。いつの間に準備していたのか、下着からスザクの屹立が顔を出していた。
 初めて目にする他人の性器にルルーシュは息を飲み込んだ。
 これが今から自分の中に入るのだと想像し、逃げ出したいような気持ちが生まれる。同時に、期待とも高揚とも言いがたいものが身体の底から湧き起こった。

「力、抜いて」
「あ……」
「大丈夫、ゆっくりするから」
「多分って、言ったくせに」

 こんなときなのに悪態をつけばスザクが笑った。

「最初はちゃんとゆっくりするよ」
「何が最初はだ、最後まで――、ッ」
「挿れるね」

 まだ話は終わっていない、と言いたかったけれど、中に入り込んできた質量に息を止める。

「息吐いて。力が入ると苦しいだけだから、っ」
「は……ッぁ、あ……」
「そう、上手だね」
「ア、アぁ……」

 熱い。火傷しそうなくらい熱い。少しずつ犯され、身体の内側から焼かれそうだ。
 (これが……スザクの)
 スザクが俺の中にいる。
 そう実感したらまた涙が溢れた。

「痛い?」

 ふるふると首を振る。違うのだと伝える代わりに、手を伸ばしてスザクの背中にしがみ付いた。

「アっ……、スザク……」
「ん、もう少し我慢して」

 こめかみに唇を押し当て、スザクが腰を進めた。ぐぐ、とゆっくり入ってくる彼の熱を強く感じてどうにかなりそうだ。

「あと半分だよ」
「え……ッ、ア……んぅっ」

 入口を押し広げられ、想定よりもさらに奥へと侵入されてもう限界だと思うのに、まだ半分もあるのかとぎょっとした。
 もっと奥まで擦られたらどうなってしまうのか。
 そんなことを想像しているとスザクのものを締め付けてしまった。

「また何か想像したの?」
「ちがっ」
「仕方ないな、奥まであげるから、ね」
「や、だから違うって、ッ、ああ――ッ」

 一気に突き入れられて目の前がちかちかした。あまりの衝撃に身体は痙攣のように震え、声を出すこともできない。
 息を整えていると、ふと下肢にスザクの下生えが当たっていることに気が付いた。気付いた途端、行為の生々しさを再認識して顔どころか全身の温度が上がった。

「ん? 今度は何?」
「な、いや、ち、違っ」

 動揺するルルーシュに、スザクが楽しそうに笑う。

「想像だけでここをこんなにされて、随分といやらしいんですね、ルルーシュ殿下は」
「あッ、ばか……!」

 勃ち上がっているものを握られ、ゆるゆると擦られた。緩慢な動きがもどかしく、もっと刺激が欲しくて腰が勝手に揺れる。

「ほら、ご自分で腰を動かして気持ち良くなって、いけない皇子様だ」
「も……っ、その口調、やめろッ」
「でも、殿下の中は嬉しそうに僕のに絡み付いてきますよ」
「ひぁあっ」

 前を扱きながら軽く揺さぶられる。過ぎた快楽に止まったはずの涙がぽろぽろ落ちた。

「お、お前なんか、もう知るか……ッ」
「泣かないで。意地悪はやめるから」
「泣いてない!」
「うん、ごめんごめん」
「お前に誠意はないのか!」
「ルルーシュが可愛いから仕方ないの」

 スザクが身体を倒し、額に口付けられる。中で当たる角度が微妙に変わって声を漏らすと、ごめんねとまた謝ってきた。

「ずっと好きだった君を抱いてるなんて夢みたいで」
「俺だって……お前とこうしているなんて嘘みたいだ」
「夢でも嘘でもないんだって、もっと実感していい?」

 指の背で頬を拭うスザクの顔は、甘ったれの小犬のようだった。

「……好きにしろ」

 ぼそりと言えば、小犬がますます嬉しそうな顔をする。見ているほうが照れくさくなる笑顔だ。

「掴まってて」

 言われたとおりに肩に掴まると、それを合図にスザクが律動を開始した。初めはルルーシュの様子を見ながらゆるゆると、次第に大胆な動きになっていった。

「あッ、ん、ッ、ア、ぁあ」
「ルルーシュ……、っ」

 剛直をぎりぎりまで引き抜き、一気に貫かれる。奥を何度も擦られてルルーシュは嬌声を上げた。
 感じるところを抉るように突かれると、もう何も考えることができなかった。
 必死にしがみ付き、喘ぎ、自らも腰を揺らす。

「あ……っスザク、好き……」
「僕も、愛してる」

 唇が合わさり、唾液が混じり合う。キスをしている間も腰を動かされ、くぐもった声が漏れた。
 (中から溶けてしまいそうだ)
 いっそお互いの境界がわからないほど溶け合ってしまえればいいのに。そしたら何があっても二人が離れることはないのに。

「ンぅ、んっ、あ、ぁんッ」
「ルルー、シュ」

 荒い息を近くに感じる。あのスザクが息を乱しているのかと思えば嬉しいような、優越感に満たされるような心地がした。
 (俺のものなんだ)
 思わず後ろを締め付けるとスザクが苦しそうに呻いた。一矢を報いたような気分で笑えば、仕返しのつもりなのか腰を強く打ち付けられた。

「ヤぁっ、ア、あぁ!」

 ルルーシュが背中をのけ反らせると、首筋に歯を立てられた。そのままきつく吸い上げられて、今度はルルーシュが呻く羽目となった。

「いっ……」
「痛いだけ? ここはさっきよりもきつく締まったけど」

 スザクのものを咥え込んでいる場所を指先でなぞられ、背筋にぞくぞくとしたものが走る。

「一生懸命飲み込んでて、可愛い」
「も、触る、な……」
「ルルーシュの気持ち良さそうな顔も可愛い」
「アっ、んぅ、ンっ」
「もうイキたい?」
「や、まだ……」
「まだ? イキたくないの?」

 駄々をこねるように首を振り、スザクの寝衣を握り締める。

「なか、もう少し、いてほしい」

 一瞬きょとんとしたスザクが、抑え切れない嬉しさを無理やりこらえるような顔をした。男前が台無しだ。

「大丈夫、これで終わりじゃないよ。いっぱいあげるから、君の中で一度イかせて?」

 それならいい、と答えて彼の腰に両足を絡めた。どこもかしこもスザクに触れていることに安堵する。

「んッ、あ、あっ……あぁ」
「可愛すぎて、僕のほうがどうにかなりそう」

 腰を掴まれていっそう強く穿たれる。
 激しい抽送にベッドが揺れていた。薄く目を開ければ、天蓋も上下に揺れている。
 自分達がとてもいけないことをしているようで、でも、これはスザクと二人だけの秘め事なのだと思ったら何もかもが満たされる気がした。

「ア……、すざく、すざ、……ッ」

 言葉もなく獣のように抱き合う。やがて身体の奥に熱を感じ、同じタイミングでルルーシュも己を吐き出した。
 必死に息を繰り返しながら、ぐったりと瞼を下ろす。
 このまま眠ってしまいそうだと思っていたら、何かが落ちてくるのを感じた。無理やり目を開ければ、スザクが泣いているのが見えた。
 腕を上げて頬に触れると、その手をぎゅっと掴まれる。

「どうしてお前が泣いているんだ」
「ルルーシュのことが好きだなと思って」
「なんだそれは」
「愛してる、ルルーシュ」

 口元を緩めたルルーシュはスザクの手を引き寄せた。顔が近付き、触れるだけのキスをする。

「これで終わりじゃないんだろう?」
「僕としては問題ないけど、ルルーシュはきついんじゃない?」
「馬鹿にするな」
「でもまあ、明日から休暇なわけだし」

 いきなり抱き起されてぎょっとした。深々と突き立てられる衝撃に、ルルーシュは声のない悲鳴を上げた。
 お前は馬鹿かと言いたいのに、じんじんと痺れるような感覚を耐えることしかできない。

「朝までたっぷりあげるから」
「いや、朝まではちょっと……」
「覚悟してくださいね、ルルーシュ殿下」

 今の今まで泣いていたくせにとか、可愛い顔で笑っても誤魔化されないぞとか、こういうときだけ敬語になるなとか、最中に殿下と呼ぶなとか、色々と喚きたいことはあったのに、スザクの熱にかき消されてそれらがルルーシュの口から出ることはなかった。
 (でも、スザクに求められるのならば悪くない)
 そう思い、ルルーシュは唇に笑みを乗せた。

***

 カーテンの向こう側が仄かに明るい。陽はだいぶ高いようだ。

「――ええ、殿下はまだお目覚めにならないので朝食は昼食と一緒に。ご支度が整う頃にまた連絡する」

 受話器を下ろしたスザクは大きく伸びをした。それから、枕に顔を埋めている小さな頭をそっと撫でた。

「寝たのが遅かったし、あと二時間くらいかな」

 それまで一緒に惰眠を貪ってもいいけれど、寝顔をじっくり堪能できるひとときを無駄にするのはもったいない。

「ルルーシュ」

 黒髪を掬ったあと、指先で頬に触れた。
 一年前はまだ片想いをしていたのに、こうして同じベッドで眠り、こうして彼に触れている。夢のようだと何度も思い、夢ではないのだと実感した。

「僕を好きになってくれてありがとう」

 スザクの言葉に応えるようにルルーシュが吐息を零す。
 日頃は完璧な皇子様が、スザクの前では無防備な姿を見せてくれることがたまらなく嬉しい。

「君の騎士として、もう二度と弱音は吐かない。何があっても君を守るよ、ルルーシュ」

 自ら手放そうとしたこの立場をルルーシュが繋ぎとめてくれた。
 だから、この身とこの命は彼のもの。
 ルルーシュのために存在し、ルルーシュのために生きるのだ。
 薄い瞼が微かに動いた。朝陽の眩しさから隠れようとしているのか、顔を枕に押し付ける仕草が子供みたいだ。
 可愛らしさに微笑み、美しい紫がスザクの姿を映し出してくれる瞬間を待つ。

「おはよう、ルルーシュ」

 幸せな今日の始まりだった。
 (19.01.06)
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