エンゼルランプ・後編

 細い体が崩れ落ちるのをスザクはスローモーションのように見ていた。
 何が起こったのかすぐには把握できず、ただ、自分が主を守れなかったことだけは瞬時に理解した。
 銃を撃った男が、ルルーシュの腕に抱えられていたアルミケースを取り上げて舌打ちする。そして黒髪を掴み、ぐったりとした体を乱暴に引き起こした。
 その光景を見た途端、怒りで目の前が真っ赤に染まった。
 応戦していた犯人をその場で斬り捨て、相手から奪った銃を持ったまま地面を蹴る。ほかの犯人たちには目もくれず、汚い手でルルーシュに触っている男だけを目指した。
 あとのことはよく覚えていない。気付いたときには辺りは血の海だった。
 スザクはルルーシュを抱きかかえ、死体や負傷者に構うことなく赤い廊下を進んだ。
 そこへ遅れて到着したジェレミアはあまりの惨状に思わず声を失ったと、のちに話していた。戦場を知っている彼ですら微かな戦慄を覚える光景だったが、それよりもスザクの腕の中で瞼を閉ざしているルルーシュのほうが大事と、慌てて駆け寄ってきた。
 ひと目でルルーシュの状況を把握した彼は、通信を繋ぐと緊急事態を告げた。

「殿下を処置室へお運びする。急ぐぞ」

 無言で頷いたスザクは、ルルーシュを大切に抱いたまま必死に足を動かした。鍛えた体も剣術も体術も、肝心なときに役に立たなければなんの意味があるだろう。
 言い訳をするつもりはない。騎士なのに主を守れなかった。
 それだけが事実である。

***

「奇跡と言いますか、軍人としての理性が残っていたと言うべきですか、重症を負わせながらも犯人のほとんどを生かしていた腕前はさすが元ナイトオブセブンです」

 たんたんと語るジェレミアの顔は疲労の色が濃かった。
 専任騎士ではないが、彼も兄の騎士なのだ。今回の事態を悔い、己を責めているのだろう。
 (ジェレミアさんもスザクさんも、皆そう)
 ソファに腰掛けてジェレミアの報告を聞いていたナナリーは、両足の上でドレスの生地を握り締めた。
 ルルーシュが負傷した、しかもかなりの重傷だという一報が入ったのは一昨日の午後である。
 お兄様が死んでしまうかもしれない。そう思ったら意識が遠のいた。倒れそうになったのを支えてくれたのは母だ。
 元軍人だけあって母は冷静で、ナナリーを叱咤するとすぐに現場へ向かった。学校から戻ったばかりでまだ制服姿だったけれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。
 到着したとき、宰相府はまだ騒々しい空気が残っていた。爆弾騒ぎの最中に皇子が撃たれたとの情報が入ったのだから、誰もがテロを疑っただろう。さらなる攻撃があるかもしれない、また爆発があるかもしれないと、現場は一時パニックに陥った。しかしそこにシュナイゼルが現れて、犯人を全員確保したことを伝えたという。
 犯人たちは生存者も死者も別の場所に移され、残っていた爆弾は専門チームが処理し、表面上はようやく落ち着きを取り戻した。ただ、ルルーシュの生死については続報が入らず、すでに亡くなっているのではないかとまで囁かれていた。
 実際、手術後に聞いた話では、銃弾があとほんの少しずれていたら死んでいたと言われるほど危険な状態だったらしい。
 ルルーシュ殿下が一命を取り留めたというニュースが入ったときは、宰相府のあちこちで歓声が上がったと聞く。ナナリーはその様子を直接見ていないけれど、兄の無事を祈ってくれた人々の気持ちはとても嬉しかった。
 しかし、ルルーシュを守るべき立場にあった人々は、命が助かって良かったと安堵したものの、これで一件落着と簡単に片付けるわけにはいかなかった。
 主をみすみす危険な目に遭わせたのだ。特に、ルルーシュが撃たれる瞬間を目撃したスザクの苦しみはいかほどであろう。
 手術室の前で呆然と立ち竦んでいたスザクの顔には生気がなく、あまりにも痛々しい姿にどう声をかければいいかわからなかった。

「スザクさんのせいではないのに」

 ぽつりと漏らしたナナリーに、いかなる状況にあろうと皇族をお守りするのが我々の役目なのですとジェレミアは言った。
 その皇族を同じ皇族が殺そうとしたのだから皮肉なものである。
 事件の首謀者は第九皇子。ルルーシュによって地位を追われたと思い、逆恨みしての犯行だった。
 前回の罰は幽閉だけで済み、その幽閉自体もすぐに解かれた。しかし、今回の一件で皇帝だけでなく宰相の逆鱗にも触れ、極刑は免れないだろうという話だ。

「それにしても、第九皇子は幽閉を解かれたばかりなのによく自由に動けましたね」
「彼の母である皇妃と、その後ろ盾の貴族、それから軍の幹部も数名が関わっていたようです。皇位継承レースから息子が脱落したことでルルーシュ殿下を恨んだのでしょう。幹部のほうは、殿下のご意見が軍内部で高く評価されるようになってきて、自分たちの立場が危ぶまれるのではないかと危機感を持ったという話です」
「皇族や軍の幹部であれば宰相府の構造も衛兵の配置も容易に把握できた……」
「はい。皇族の特権を使って専用エレベーターも自由に使っていたようです」

 皇族の手引きで実行犯が建物に侵入し、本物の兵士たちをガスで眠らせる。彼らを会議室に閉じ込めたあとは、犯人たちが兵士に成りすましてルルーシュの誘拐を実行する、というのがシナリオだったそうだ。監視カメラはあらかじめすり替えられていたので、部屋の中にいた幹部のほとんどはフロアが占領されていた事実にまったく気付いていなかった。
 誘拐という手間をかけたのは、これまでの恨みつらみをルルーシュにぶつけ、いたぶってから殺したいという希望が第九皇子にあったからだと、実行犯のリーダーが告白したそうだ。それを聞いたナナリーは怒りで震えそうになった。首謀者たちへの嫌悪と憎悪は、ルルーシュに近しい人ならば誰もが抱いたものだろう。
 直前の爆弾騒ぎは人々の注目を集めるためである。爆弾の対応に追われれば警備が疎かになる。その上で、なんらかの理由を付けてスザクとジェレミアを追い出すつもりが、ルルーシュ自らひとりになってくれたのだから、犯人たちにとっては好都合だったに違いない。
 彼らに誤算があったとすれば、誘拐対象の体に位置情報を知らせるチップが埋め込まれていたことだ。
 ルルーシュの居場所が変わったことにスザクが気付き、すぐ救出に向かえたのはチップのおかげである。もし建物の外に連れ出されていたら追いかけるのは難しかったし、たとえ追いつけたとしても焦った犯人がルルーシュを殺していたかもしれない。
 (スザクさんがいてくださったからお兄様は助かった。でも……)
 なぜもっと早く駆け付けられなかったのだとスザクは悔やんでいた。ジェレミアはジェレミアで、もっと早く部屋に戻るべきだったと悔いている。
 彼らは主から命じられた任務をこなしただけだ。あの時点では爆弾の意図なんてわかるはずがなく、スザクに至ってはかなりの数の敵をたったひとりで相手にしたのだ。
 スザクが敵と対峙した場所は、壁や床だけでなく天井にまで血が飛んでいたと聞く。ジェレミアですら一瞬言葉を失ったという現場の凄まじさは想像を絶するものであっただろう。
 だから、スザクが何もしなかったなんて批判は絶対に許さない。スザクのせいでルルーシュが撃たれたという非難も到底許せるものではない。
 平民出身の母を持つルルーシュの存在や、日本人であるスザクの存在を苦々しく思っている人間はもともと多かった。そういう人間がここぞとばかりに難癖を付けているだけで、そんな意見には耳を傾ける価値すらない。「どういった者が何を言っているのか今は冷静に見ておきなさい」と助言してくれたのはシュナイゼルだ。
 いちいち腹を立てるのは利口ではないよ、仕返しはあとからいくらでもできるからね、と語ったその目はまったく穏やかではなかった。ルルーシュを殺そうとした犯人はもちろん、これをきっかけにルルーシュを蹴落とそうと考えている人間に、普段は決して感情を表に出さない異母兄もさすがに腹に据えかねたらしい。
 そういうつまらない相手への対処はシュナイゼルに任せておけばいいだろう。ナナリーはルルーシュのことだけを考えていなさいと言われたとおり、まだ眠り続けている兄のことだけを今は思っていたい。
 (でも、その前にひとつ)
 ルルーシュが目覚める前にやっておかなければいけないことがある。

***

 もう三日、眠っていない。怖くて目を閉じることができない。
 このままでは倒れてしまうからと周囲の人たちに言われるけれど、目が覚めたときにルルーシュがもし死んでいたらと考えたら気が狂いそうで、眠気なんかちっとも襲ってこなかった。かろうじて食事はとっているものの、水と最低限の栄養を体内に取り込むだけの義務的な作業だ。
 この世の終わりというものがあるのだとしたら、今はきっとその寸前だろう。ルルーシュが死んだ瞬間、スザクの世界は終わりを告げるのだ。
 自分たちは特殊な環境にいる。もしもの可能性は常に考えていたし、それなりに覚悟もしているつもりだった。
 でも、ルルーシュの命が奪われるかもしれない状況を目の当たりにして、自分の覚悟は小指の先ほどもなかったことを実感した。自分が死ぬときはルルーシュを守って死ぬときだと思っていたから、その逆は想像すらしていなかった。
 スザク、と彼の唇が名前を呼んでくれた瞬間のことが脳裏に浮かび、両手で顔を覆った。
 助けられたはずだ。相手の生死など関係なく斬り込んでいればきっと無事に助けられた。大事な人をこんな目に遭わせることはなかった。
 (守れなかった)
 何度繰り返したかわからない後悔を胸のうちで吐き出す。

「ルルーシュ……」

 唇の隙間から漏れた声はひどく掠れていた。
 宰相府襲撃事件からすでに三日。スザクが実行犯のほとんどを倒したことで、事件はあっさり収束した。慌てて国外に逃亡しようとした第九皇子とその母親もすぐに捕まり、現在は処分を待っている状況らしい。
 恐らく極刑だ、と教えてくれたのはジェレミアだった。彼も己の責任を痛感しているひとりで、スザクのことを責めもしなければ慰めもしなかった。それがなんの意味もないと知っているからだ。
 撃たれたルルーシュは重傷だったが、かろうじて一命を取りとめた。しかし、三日経った今も意識は戻らない。
 体の自由を奪うために犯人が薬を使ったことと、手術での麻酔の影響、それから「殿下はいつもお忙しくて疲れが溜まっていたからお体が休息を求めているのだろう」というのが医師の説明である。だが、いつ目覚めるのかわからない状況にスザクは生きた心地がしなかった。
 どのくらいそうしていたか、遠くから聞こえてきた靴音が近くまで来て、すぐ傍で止まった。

「中に入らないのですか?」

 聞き慣れた声にハッと顔を上げれば、そこにはナナリーがいた。できれば一番会いたくなかった人だ。
 ルルーシュが運び込まれた直後はお互い動揺していたので声をかけられなかったが、今日のナナリーはしっかりとした視線でスザクを見下ろしていた。皇族を前に椅子に座り込むなど失礼極まりないとわかっているのに、スザクの足は立つことを忘れたように地面に張り付いていた。

「お兄様のお傍にいなくていいのですか?」
「――僕に、その資格はありません」
「どうしてですか。スザクさんはお兄様の騎士でしょう?」
「僕はルルーシュ殿下をお守りすることができませんでした。殿下のお命を危険に晒して、なんのための騎士ですか」
「あなたは精一杯のことをした。それに、勝手に動いたのはお兄様です。犯人は殺傷能力の高い毒ガスを持っていたそうですし、あの場でお兄様が身を挺して毒ガスを奪わなければ建物中の人が死んでいた可能性だってあったのです。お兄様が撃たれたのは不運な事故でした」
「ですが、僕がもっと早く駆け付けていれば……。本当に申し訳ありませんでした」

 ナナリーに頭を下げる。いくら謝っても許されることではない。

「主に助けられる騎士なんてなんの意味もありません。だから、僕は殿下の騎士を辞めてこの責任を――」
「枢木スザク! しっかりなさい!」

 静かな廊下にナナリーの声が響く。スザクは怒っている少女の顔をぼんやり見上げた。

「何を馬鹿なことを言っているのですか。そうやって落ち込めばお兄様の目が覚めるのですか? それとも、皆から同情されれば責任を逃れられるとでも思っているのですか?」
「そんなつもりは、」
「だったら、あなたはあなたの責任を果たしてください。騎士を辞める以外の方法で」

 ナナリーが怒っていた。こんな風に声を荒げる姿を見るのは初めてだ。
 だけど、握り締められた両手が震えているのに気付き、スザクは再び彼女の顔を見た。意志の強さを秘めた瞳はルルーシュそっくりで、その瞳が微かに潤んでいた。

「二時間待ちます」
「え?」
「二時間の間に食事と入浴と着替えを済ませてきてください。そんなボロボロの姿でお兄様とお会いするのは私が許しません」
「ナナリー様……」
「ゆっくり寝たいと言うのでしたらお兄様のお隣でどうぞ。とにかく、お兄様の前に出ても恥ずかしくない格好をしてきてください。それまでは私がお兄様の傍にいますから、スザクさんは邪魔しないでくださいね」

 ルルーシュの眠る個室へ向かったナナリーに、慌てて立ち上がったスザクは深々と頭を下げた。今度は「ありがとうございます」と伝えるために。
 扉の閉まる音が聞こえてもスザクはしばらくそのままでいた。白い床にぱたぱたと雫が落ちて、瞼をぎゅっと瞑る。
 自分自身を責める気持ちは簡単には消えてなくならない。でも、騎士を辞めるのは正しい責任の取り方ではない。ルルーシュに解任されるのならそれに従うが、勝手に騎士を辞めることは主を思ってのことではない。単なる自己満足だ。
 そんなことにも気付かず、年下の少女に叱咤されてしまった。ナナリーだってつらいのに、彼女を励ますどころか逆に活を入れられた己を恥じる。

「――ありがとうございます」

 深い感謝を込めて、スザクはもう一度呟いた。

***

 何かが額に触れる感触がした。
 気持ちいい、と思った途端にそれが離れて行ってしまう。ずっと触ってくれればいいのにと残念に感じて重い瞼を上げた。
 すると、視界に飛び込んできたのはスザクの顔だった。見るからに心配そうな表情に、迷惑をかけたという気持ちが真っ先に浮かんだ。

「ルルーシュ殿下、僕がわかりますか」
「名前……」
「え? まさかご自分の名前がわからない?」

 違う馬鹿、と胸の中で文句を言う。一体どれだけ眠っていたのか知らないけれど、口が上手く回らなくて歯痒い。

「名前、ちゃんと、呼べ」

 その意味を正確に理解したらしいスザクが、泣き出す寸前みたいな顔で笑った。

「こんなときに何を言い出すかと思えば……」
「スザク」

 右手をゆっくり上げれば、両手で大事に握り締められる。その手を額に押し当てて、スザクはまるで懺悔するように頭を垂れた。

「――ルルーシュ、良かった、本当に良かった」

 すすり泣く声を聞きながらルルーシュは口元をそっと和らげた。スザクが生きていて良かったと心の底から思って。
 目覚めた直後は医師の診察や検査、簡単な質問への回答などで何かと慌しかった。スザクとゆっくり話がしたかったのに、それが叶ったのは六時間もあとのことで、ベッドに戻されたときにはすっかり不貞腐れていた。
 機嫌が良かったのは、ナナリーとユフィが来てくれたほんの三十分ほどの間だけだ。

「そんな顔をしないでください。どれも必要なことなのですから」

 騎士になだめられて唇を尖らせる。
 先ほどまで賑やかだった病室も、学校があるからと妹たちが帰ってしまったら一気に静かになった。聞けば、二人とも授業を抜け出してきたらしい。
 ルルーシュの目が覚めたと知って居ても立っても居られなかったの、と話すユフィは涙ぐんでいた。ナナリーもルルーシュの顔を見るなり泣き出してしまい、病室にいたスタッフたちまでもらい泣きするという事態に、当のルルーシュはありがたさと申し訳なさを同時に感じた。
 そして、その申し訳なさは今はスザクに向けられている。
 ジェレミアから体に障るとやんわり制止されたけれど、自分が倒れたあとのことが気になって事件の一部始終をすべて報告させた。
 黒幕が第九皇子とその母親の皇妃だったこと。犯人が持っていた毒ガスは発生することなく、宰相府にいた人々に被害は及ばなかったこと。もしガスが噴射されていたら宰相室にいたシュナイゼルまで犠牲になっていた可能性があり、それを知った関係者全員が蒼くなったこと。残りの爆弾は回収され、さらなる被害は出なかったこと。犯人の多くは重傷だったものの、スザクがギリギリのところで理性を働かせたおかげでなんとか事情聴取はできたこと。
 それから、スザクの取った行動はやり過ぎではないかと一部の幹部が非難していること。

「緊急事態だった上に、殿下が撃たれたという状況を鑑みれば枢木卿の行動は正当なものだと擁護する者ももちろんいます」
「私を攻撃する材料としてスザクを非難しているだけか。そういうくだらない意見は聞かなくていい」
「はい。シュナイゼル殿下もそうおっしゃっていました。もし今後も続くようなら宰相閣下直々に口を出すとのことです」
「高みの見物が好きな兄上らしくないな」
「殿下に命を救われたので借りを返したいそうです」
「ならば、今後面倒なことがあれば兄上に押し付けるとしよう」

 くすくす笑えばジェレミアが苦笑いした。彼も少し顔色が悪い。大勢の人間に迷惑と心配をかけたのだと改めて思う。

「すまなかったな、ジェレミア」
「いえ、私共が不甲斐ないばかりに殿下のお命を危険に晒してしまいました。大変申し訳ございません」
「謝るな。私の読みが甘かったせいでほかの者まで巻き込んでしまった。この責任は私にあるし、不甲斐ないのは私のほうだ」
「そのようなことはおっしゃらず。どうか今はゆっくり静養なさってください」

 枢木卿を呼んでまいります、とジェレミアが立ち上がった。
 報告の間、スザクは病室の外に出していた。彼がいたら冷静に話を聞けないような気がしたし、あの現場にいたスザクには聞いてもらいたくないという身勝手な思いからだ。
 だから、ちゃんとスザクと話をしようと気合を入れて待っていたのだが、病室に入ってきたのは医師と看護師の集団で、すっかり出鼻をくじかれた。さらには検査や問診が長々と続き、ようやくすべてが終わったときにはすっかり機嫌が悪くなっていたのである。
 目が覚めたときにはまだ陽が高かったのに、窓の外はいつの間にか宵闇が迫っていた。

「しばらくは絶対安静ですから無茶はしないでください」
「わかっている」
「仕事の持ち込みは禁止ですよ。もし見つかれば入院期間を延ばしますからね」
「わかっている」
「お願いですから大人しく寝ていてください。いくらブリタニアの医療技術が素晴らしくても、殿下が無茶をされたら元も子もありません」
「それもわかっている。お前は口うるさい母親か」
「このくらい言わないと殿下はすぐに無理されますので」

 腕を取られ、毛布の中に入れられた。

「訂正だ。お前は過保護な母親だな」
「そうですね。危ないことがないように、殿下を安全な場所にずっと閉じ込めておきましょうか」

 本人は冗談に見せかけているつもりなのだろう。でも、口調はひどく真剣だった。

「俺はそんなに頼りないか?」
「いいえ。殿下は頼りがいがありすぎるほどです。――だからこそ、ただ守られるだけの弱い人だったら良かったのにとほんの少し思うことがあります」

 怒りますよね? と問われ、いや、と答えた。

「お前の言いたいことは理解できる。だが、これが俺の性分なんだ。諦めろ」
「ええ、わかっています」

 いつものように笑うスザクの顔は見ていてなぜか苦しい。昼間にナナリーから聞いた話を思い出し、ルルーシュは躊躇った末に口を開いた。

「お前、ナナリーに怒られたのか?」

 表情を微かに強張らせたスザクは、息を吐いて肩を落とした。

「ナナリー様から聞いたのですか?」
「スザクを怒鳴ってしまったから代わりに謝ってほしいと頼まれた」
「僕が悪かったんです。ナナリー様が怒るようなことを言ってしまったので」
「何を言ったんだ?」
「それは……」

 スザクが口籠もる。ルルーシュは促すことも止めることもせずにじっと見守った。

「責任を取って騎士を辞めると」
「それはナナリーでなくても怒るな」
「申し訳ありません」
「本当に申し訳ないと思っているのか?」
「はい」

 項垂れたスザクは叱られた犬に見えた。尻尾をぶんぶん振りながらいつも主人の後ろをついて来る飼い犬が、ひどくしょげて部屋の隅っこで悲しげに鳴いているみたいだ。

「スザク」

 毛布から手を伸ばせば、スザクの手が握り返してくれた。まるで昼間の再現だ。

「前に言っただろう。たとえ俺が死んでもお前は生きろと」
「はい。でも、それはやっぱり無理だと悟りました。殿下がいなければ僕は生きられません」

 何を馬鹿なことをと笑い飛ばさなければいけないのに、ほんの一瞬でも嬉しいと感じてしまった己を恥じる。スザクには生きていてほしいと願いながら、自分なしでは生きられないという言葉に喜びを抱くなんて最低だ。
 今回だって、下手をすればスザクまで殺されていたかもしれないのだ。自分の騎士を自ら危険に巻き込むなんて主としても最低である。
 俺を守るためにスザクが殺されていたら、と考えてぞっとした。
 これまでも暗殺未遂は何度かあったし、戦場に出れば常に死は隣り合わせだ。でも、スザクは強いから大丈夫だとどこかで慢心していたのかもしれない。蜃気楼で戦闘に参加することを嫌がられる理由が今頃になってわかった気がした。
 命があるからこうして言葉を交わせるのだ。ぬくもりを直接感じることも、相手に笑いかけることも、どれも生きているからできるのだ。当たり前のことを今さらながらに実感する。

「だったら」

 自由に起き上がれないことがもどかしい。腕を動かすのがやっとで、スザクを抱き締めることができなくてじれったい。
 代わりに、スザクの手を精一杯の力で握り返す。

「俺が死なないようにお前が俺を守れ。俺はお前を生かすために生きるから、お前は絶対に死ぬな。それと、勝手に騎士を辞めることは許さない。誰に何を言われようと俺の騎士はお前ひとりだけだ、スザク」
「殿下……」
「だから名前」

 いい加減に慣れろと文句を言えば、苦笑いが返ってきた。

「――僕は、ルルーシュを守れなかったことを後悔した。肝心なときに守れなくてなんのための騎士だと、そんな騎士ならいないほうがマシだと思った。でも、ほかの誰かに君を守る権利を譲るのはもっと嫌だ」
「我儘だな」
「そうだよ、僕は我儘なんだ。ルルーシュを僕ひとりのものにしておきたいし、僕だけを見ていてほしいと思っている。そんな僕でも、君は傍に置いてくれる?」

 天下のラウンズだった男が何を懇願しているのだと笑う。だって君に捨てられたら行くところがないし、と嘯くスザクはだいぶ元気になったようだ。
 手の甲に唇が触れ、愛おしそうに口付けられた。

「俺はお前を離すつもりはないし、離れるつもりもない。俺はお前以上に我儘なんだよ。だから、騎士を辞めるなんて冗談でも二度と言うな」

 最後はルルーシュからの懇願だった。
 いつか寿命が尽きて死んでしまうのだとしても、それまではずっと一緒にいたい。
 泣き出しそうな顔で笑ったスザクが腰を浮かせ、優しくキスをされた。触れるだけのキスは、自分が生きていることを強く実感させた。
 もう一回、と囁く。ルルーシュの望み通り、再びキスが降ってきた。薄く口を開けば先ほどよりも長い口付けが交わされた。微かな音を立てて離れた唇を名残惜しそうに見つめると、スザクが目元を和らげた。

「帰ったらプリンを作ってもらうから、皆で一緒に食べよう」
「ああ」

 笑みを返して瞼を下ろす。喋りすぎて少し疲れた。

「手を……」
「え?」
「しばらく、握っていてくれないか」

 以前、熱を出して寝込んだときに握ってもらったみたいに、今度はルルーシュのほうから頼む。望み通り、右の手をスザクは両手で優しく包み込んでくれた。
 そのままうとうとしていたら、ふいに鼻をすする音がした。医療機器の音に囲まれていたから気のせいだったかもしれない。

「君を守れなくて、ごめん」

 でも、スザクがそう呟いたのはきっと気のせいではない。その話はもう終わったじゃないかと夢の中で応える。
 目覚めたらまたうるさい外野の声を聞くことになるのだろう。ルルーシュの、あるいはスザクの不手際を責める声もあるかもしれない。そんなものは全部蹴散らしてやる。スザクを守るためならば父や兄の力を借りたっていい。
 (今度は俺がお前を守るから)
 お互い生きていた。生きていて良かった。今はそれだけでいいじゃないか。繋がった指先から伝わる体温に、泣き出したいような感情が込み上げる。
 触れた手があたたかい。それは何よりの幸福だった。
 (16.03.06)
 ←←前編