「埋め込み型チップ?」
顔を上げたルルーシュが怪訝な顔をする。ソファの後ろに立っていたスザクは、ロイドがまた変なことを言い出したとげんなりした気分になった。
今日は蜃気楼の定期メンテナンスと、ルルーシュの訓練を兼ねてロイドの研究所を訪れていた。
ルルーシュが初めて戦場に出てからすでに半年。その後、スザクとジェレミアを含む親衛隊と共に、蜃気楼もブリタニア軍の作戦にいくつか参加し、ルルーシュはシュナイゼルを満足させる結果を得た。
最近は大きな戦闘がないので作戦自体はさほど派手ではないものの、少しずつ実績を重ねていく中で、同じ作戦に参加した軍人たちはルルーシュに一目置くようになっている。そのため、上層部も第十一皇子の有能さを認めざるを得ない状況だ。
と言うより、それを狙ってまずは現場に近い人間から認めさせていったのがルルーシュの作戦である。
戦闘に加わって一緒に戦う皇族は珍しく、甘っちょろい考えの皇子様が手柄を立てたいがためにしゃしゃり出てきたのだろうと、最初の頃は良い顔をしなかった者も多い。
だが、ルルーシュの作戦通りに戦況が動いて勝利するという経験を繰り返すうちに、信仰にも似た気持ちが生まれていったようだ。根っからの武人であるコーネリアとの姉弟仲も良好で、戦女神と讃えられている彼女を蔑ろにしない姿勢も好感を持たれている。
中には、元ラウンズの枢木スザクがいれば無能でも勝てると陰口を叩く幹部もいるらしいが、ルルーシュの指示が優れていることは戦場に出ている人間ならば誰もが理解していたし、幹部たちが負け惜しみを言っているに過ぎないこともわかっていた。
次に遠征するときはルルーシュ殿下の傘下で戦いたいと密かに志願している兵も大勢いる、という噂は人づてに聞いただけなので真偽のほどは定かではないものの、これで幹部たちもこちらを無視できないだろうとルルーシュは語っていた。
もっとも、わざと彼らを刺激しているようなところがあるので、スザクとしてはその点が少々心配である。変な因縁を付けられなければいいんだけど、と休憩中のルルーシュとロイドの会話を耳にしているときに思っていたら、「埋め込み型チップ」という単語が出てきた。
ロイドはランスロットを開発した非常に優秀な科学者だが、如何せん変人すぎる。常人には理解できない研究をし、ときどき自分の趣味を全開にしたものを作ってはルルーシュに売り込んでそのたびに一蹴されていた。
ただ、たまにルルーシュと妙に意気投合してそのまま許可が出るパターンもあるので、それがスザクの悩みの種だ。天才は天才同士、話が合う部分もあるのだろう。
蜃気楼はその最たる例だと、スザクがいまだに根に持っていることをロイドは知らない。文句を言ったところで、あれはルルーシュ殿下に依頼されたものだと言われるだけである。それでも、ロイドが話に乗らなければ具体的な開発に着手することはなかったのだから、結果としてルルーシュが戦場に出る機会を作った罪は大きい。
「僕が新開発したものなんですよ。戦場において味方の位置は正確に把握したいでしょう? でも、パイロットスーツに付けていたら戦闘の最中に落ちてしまうかもしれないし、敵に見つかって奪われてしまうかもしれない」
「だからチップを体に埋め込むと? だが、いつでも自由に取り外しできるものではないのだろう? プライバシーの問題にならないか」
「ええ、ですから実験データもなかなか取れなくて」
「ちょっとロイドさん、殿下を被験者にするのはやめてください」
「大丈夫大丈夫、今回は実験だから三日もすればチップは取るから」
「そういう問題ではありません!」
「それに、たとえば誘拐とか事件とかに巻き込まれたときも、服に発信機があったら犯人に見つかってすぐに壊されちゃうけど、体内に埋め込むタイプなら絶対安心」
「ですから、実験をしたいのならご自分の体でやればいいじゃないですか」
「えー、だって僕はここからほとんど出ないからさぁ。どうせならよく動き回る人のほうがちゃんとした実験データが取れるでしょう? なんなら君が殿下の身代わりで実験体になってくれてもいいよ。あ、この間、君が壊したドアの修理代はそれでチャラにしてあげようか?」
「あのですね……」
「殿下は、殿下とスザク君のどちらがいいと思いますか?」
結論をルルーシュに委ねるロイドにムッとした。そのほうが早いと判断したのだろう。冗談ではないと口を挟もうとしたスザクだったが、ルルーシュの声によって阻まれた。
「そんなものが開発されたらすぐに私の居場所を見つけられて迷惑だ。ちょっとしたサボりもできないではないか」
「もちろんです。だから実用化するつもりはありません。ただ、今後の参考にデータを取りたいだけなんです」
「ほう。本当に参考だな?」
「ええ」
「もしも俺を謀ったら今後の研究費用は一切出さないぞ」
「殿下!」
まさかロイドの実験に乗るつもりではないかとぎょっとした。
振り返ったルルーシュは悪戯を思い付いたような顔で笑っていた。その表情のままロイドに向き直る。
「人体にチップを埋め込むのは有効ではあるが、悪用された場合を考えると実用化は難しい。それに、いつでもどこでも居場所がわかったら困る人間も多いからな。ただ、護衛対象となる皇族や潜入捜査中の捜査官に限定しての使用なら可能かもしれない。そのためには色々とクリアしなければいけない問題があるから、まずは皇族である私が自ら被験者になるというのはなかなかいい案だ」
「そうでしょう? さすがはルルーシュ殿下、話がお早い」
「殿下! ロイドさんも!」
「怪しげな薬を使われるわけではない。そう心配するな。実験中は品行方正に過ごすさ」
手をひらひらさせたルルーシュはどこか面白がっているようだ。何に興味を引かれたのかはわからないが、どうやら悪乗りスイッチが入ってしまったらしい。
スザクはわざとらしい溜め息をついてみせた。こうなったらルルーシュは頑として譲らないのである。
「くれぐれもルルーシュ殿下のお体に傷を残さないでくださいね、ロイドさん」
「過保護だなぁ。もし殿下に傷なんか付けたら、君とシュナイゼル殿下に抹殺されるってちゃんとわかっているから大丈夫。安心しなよ」
安心できないから心配しているのだと思ったけれど、ロイドには何を言っても無駄なので、スザクは代わりにもう一度溜め息を吐き出した。
それが、三日前の出来事だった。
***
天気が良く、気温もちょうどいい麗らかな午後であった。
こんな日に昼寝ができれば最高なのに、とぼやくルルーシュは次の予定の会議が憂鬱なのだろう。
文官と武官を交えた定例会議は、緊急の案件がない限りは平和に終わるもので、幹部たちのスケジュールも詰まっているからさほど時間はかからない。長くてせいぜい二十分だ。
しかし、前回の会議で幹部たちの間にちょっとした意見の相違が生まれ、溝が埋まらないまま今回を迎えてしまったことがルルーシュの頭を悩ませる原因となっていた。
会議にはシュナイゼルも出席していて、ルルーシュは宰相補佐として同席している。
皇族が口を挟めば事態は収束するし、そうするのがもっとも楽な方法だ。ただ、たしなめられたほうは自分たちが蔑ろにされたと感じるだろう。今回の件はどちらが悪いとはっきり言えない微妙な問題だった。
ならば私たちは静観して彼らが自ら解決するのを待とう、というのがシュナイゼルの意見である。皇族が絶対的な地位を占めるブリタニアでは珍しいことだが、たまにはこういうのも楽しいじゃないかと、シュナイゼルはむしろ楽しんでいる様子だった。
俺の心労の大半は兄上のせいだな、とルルーシュはいつにも増してぼやいていた。
会議なんてものに時間を取るのは無駄だと常日頃から言っている彼なので、ただでさえ無駄なものにさらに余計なオプションがついてきて若干イライラした様子だ。「きっと兄上は暇なんだ、暇だからちょっと遊んでいるのだ」と帝国宰相に対して散々な言いようである。
(でも、さすがに皇族の前でいつまでも言い争いをするわけにはいかないだろうから、今日の会議で決着するんじゃないかな)
会議室に向かう主の後ろ姿を見守りながらスザクは楽観的に思った。
皇族の不興を買えば左遷、最悪は死罪となってもおかしくないのがブリタニアである。一応、彼らもブリタニアの中枢にいる人間なのだから、そのくらいはわきまえているだろう。
「くだらない会議など早く終わらせて決裁を片付けたい……」
「そうおっしゃらないでください」
「お前も見ただろう。朝からなんなんだ、あの決裁の量は。担当者がぎりぎりまで俺に回さなかったに違いない。いや、不手際に見せかけた嫌がらせじゃないのか」
「単なる偶然です。殿下のお気持ちもわかりますが、そんなにご機嫌を損ねないでください。アリエスに戻ったらプリンをご用意しますので」
「私を子ども扱いするな」
「では、プリンはいりませんか?」
「……いる」
不機嫌そうに呟かれた返答に、あとで料理長に伝えておきますとスザクはにこりと笑った。
それから三十分後。スザクの読み通り、幹部同士の諍いはなんとか収まり、本日の会議は無事終了となった。「たまにはこういう余興も楽しいものだね」と冗談か本気かわからない異母兄の言葉に、今後は御免こうむりますとすかさずルルーシュが言い返していたのには密かに苦笑いした。よほど面倒くさかったようだ。
「もっと上手くまとめられるくせに、傍観するだけなんて兄上は趣味が悪い」
「しかし、文官側と武官側では以前から意見が衝突することもありましたから、これを機に言いたいことを言わせようという思惑もあったのでは」
「だったら私のいないところでやればいい。巻き込まれるのは迷惑だ」
ぶつぶつ言いながらも、執務室に戻ってすぐ決裁に手を付けるところはさすがルルーシュだ。一分一秒でも時間を無駄にしたくないのだろう。
次々に片付けられていく書類と、次々に舞い込んで来る書類をジェレミアと共に整理し、終わったものは順に次のところへ回す。ルルーシュに比べると単調ではあるが、如何せん量が多いので一息つく暇もない。
「そうだスザク、明後日の午後の予定を少し空けておいてくれないか」
半分ほど終わらせた頃、ふと顔を上げたルルーシュが思い出したように話しかけてきた。
「明後日の午後ですか?」
「シュナイゼル兄上からお茶に誘われた。話の内容はどうせクロヴィス兄上のことだろう。郊外にまた新しい美術館を作るらしいが、その規模がやたら大きいので無駄だと一蹴したから、恐らくシュナイゼル兄上に泣き付いたんだ。だったら最初から私のところに話を持ってこなければいいのに」
「ルルーシュ殿下に一番にお知らせして喜んでいただきたいのでしょう」
「それならそれでもっとマシな計画を立ててほしいものだ。兄上の計画は雑すぎる」
兄に対して辛辣なルルーシュに、ジェレミアが困ったように笑っていた。
決してクロヴィスを嫌っているわけではないのだが、派手なことを好む反面、細かいことは苦手らしい三番目の兄は、ルルーシュ曰く思慮が足りないらしい。おかげで、末の弟から厳しい意見を言われては落ち込むのがお約束となっていた。それでもルルーシュのことは気に入っていて、素っ気なくされてもめげずに足を運ぶのである。
クロヴィスの人の良さをルルーシュも理解しているから、どうしても邪険にしきれないのだ。
「これでまた仕事がひとつ増えそうだな。郊外の活性化に力を入れるのはいいが、そうなるとインフラ整備も検討しなければいけなくなる。まったく余計なことを……」
盛大な溜め息をつきつつ、ペンを手に取ったルルーシュは根っからの仕事人間だ。十代でこれだけやっていたら、二十代、三十代となったときに燃え尽きやしないだろうかと少し心配である。
「少し休憩されませんか? お茶をご用意いたします」
「いや、休憩はいい。お茶だけ置いておいてくれ」
「かしこまりました」
休ませるのは失敗かと思っていたら、ふとジェレミアと目が合った。お互い苦笑いを浮かべて再び仕事に戻る。
そのとき、執務室のドアを勢いよく叩く音が聞こえた。何事かと確認すれば、息を乱した兵士が廊下に立っていた。
「ご報告です。宰相府の正門前で爆弾と思われるものが爆発し、現在、犯人の捜索とほかに爆弾が仕掛けられていないかの確認作業を行っております」
「爆弾?」
腰を上げたルルーシュが眉を寄せた。
「場所は正門だけか?」
「今のところは……」
そこへ別の兵がやって来て、正門だけではなく複数箇所で同じような爆発があったと続報が入った。
「テロか?」
「まだわかりません。植え込みの中に爆弾があったようで、数人の怪我人が出ています」
「兄上への報告は?」
「すでに行っております」
「そうか……。スザク、ジェレミア、お前たちは応援に行ってくれ。武装した犯人が乗り込んでくる可能性もある。これだけ爆発の数が多いと正面の守りが手薄になっているだろう。そこを侵入されたら厄介だ」
「しかし、それでは殿下をおひとりにすることに……」
「俺はこの部屋から動かないから安心しろ。ここのドアは頑丈だ。たとえ爆弾が仕掛けられても侵入される恐れはない」
「では、残っている兵を警備に当たらせます。自分かジェレミア卿が戻るまで決してここを動かないでください」
「わかっている」
力強く頷いた主に、スザクも頷き返した。ジェレミアと一緒に廊下へ出ると、兵士に部屋の守りを固く言い付けて階下に下りる。
正門に近付くにつれ、怪我をした人間や介抱する人間を廊下のあちこちで見かけた。
「裏門も似たような状況かもしれないな」
「そうですね。二手に分かれますか?」
「ああ、私はあちらの様子を見てこよう。状況は逐一報告する」
「お願いします」
ジェレミアと別れ、走って廊下を進む。エレベーターは止まっていたので再び階段を駆け下り、一般人が立ち入れる区域にまで出た。
「枢木卿!」
駆け寄ってきたのはスザクと同い年ぐらいの兵士だった。階級はまだまだ下のようだ。
普段なら人の多いフロアは閑散としていて、見張りの兵は彼のほかは数人しかいない。それがよほど心細かったのか、ルルーシュの騎士であり元ラウンズでもあるスザクの登場に彼は安堵の表情を浮かべていた。
「ここの警備はどうした?」
「それが、爆弾の確認と訪問者の避難誘導で借り出されていまして。思いのほか数が多く、ひとつひとつがいつ爆発するかわからないため、ここも安全かどうか……」
語尾がどんどん小さくなっていったのは不安の表れだろう。
「全体の状況を把握している人間と話がしたい。隊長はどこへ行った?」
「隊長でしたら正門のほうです。最初の現場を見に行かれています」
「そこへ案内してくれないか」
「イエス、マイロード」
急ぎ足で向かいながら、現時点でわかっている状況を聞く。
爆弾の規模自体はどれも小規模で、さほど大きな被害になっていないらしい。近くにいればもちろん破片などで負傷するが、今のところ怪我の程度が深刻な者はいない。
爆弾はタイマーでセットされているようで、時間差で爆発していた。しかし順番はランダムで、正門付近で爆発したかと思えば東の植え込みで次の爆発が起こるといった感じのため、対応が後手に回っている。今のところ建物内での爆発はなく、爆弾はすべて屋外に設置されているというのが現場の見方らしい。
スザクに説明してくれた兵士は、一見、頼りない様子だったが意外と細かいところまで把握していた。おかげで大体の状況がわかってきた。
(テロにしては爆発の規模の小ささが気になるな。ただの悪質な悪戯か? そもそも、どうやって侵入したんだ。まさか手を回した者が……)
とにかく隊長と相談し、皇族と幹部を安全な場所に避難させる方法とルートを決めよう。
胸ポケットから取り出した端末の点滅は、宰相補佐の執務室からずっと動いていない。ルルーシュがそこにいるという保証は、自然とスザクを安心させていた。
あんなに反対した埋め込み型チップがまさかお守り代わりになるとは、悔しいけれど今だけはロイドに感謝である。
(建物の中も絶対に安全とは言い切れない。早くルルーシュ殿下のところに戻らないと)
はやる気持ちを抑え、スザクは足の裏に力を込めて地面を蹴った。
また爆発の音がした。爆弾騒ぎのことを聞いていなければ遠くで花火でもやっているのかと思う程度の微かな音だ。
窓から離れたルルーシュは、壁に背を預けて腕を組んでいた。
スザクとジェレミアが出て行ってかなりの時間が経つ。しかし対応に追われているのか、最初の一報以来、情報が上がってこないので現在の状況が把握できない。建物の中は安全なのか、それとも中にまで爆弾が仕掛けられているのか、それすらわからなかった。
(兄上は無事だろうか。ここは宰相府でもっとも奥まった場所にあるし、宰相専用フロアの警備は特に厳重で、特定の人間以外は通路に立ち入ることすらできないから心配はないと思うが……。それにしても、誰がなんの目的で爆弾を仕掛けたんだ)
テロか。宰相府内の誰かに恨みを持つ者の犯行か。単なる愉快犯か。複数の場所で爆発が起こっているという報告も気になる。混乱に乗じて何かするつもりなのか。
(やはり兄上のところに行こう)
プライベート回線を繋ぐとシュナイゼルはすぐに出た。異母兄の元にもまだすべての情報は届いていないらしいが、建物の中は無事という情報を得て、ルルーシュは宰相の部屋へ向かうことを決めた。
シュナイゼルにその旨を伝えてから扉を開けると、そこには兵士が三人立っていた。
「宰相室に行く」
「では、私共がお供いたします」
「頼む」
今のところ爆弾騒ぎが起こっているのは屋外だけのようだが油断は禁物だ。しかし、幹部の部屋ばかりが集まる通路は静まり返っていて、今が緊急事態だということを忘れそうになる。
相手が本気でこちらを殺そうとするならもっと大掛かりなことを仕掛けてくるだろうが、武装集団が突入してきた様子もなく、犯人の狙いがわからない。
ブーツの音を鳴らしながら通路を進む。ここを真っ直ぐ行き、奥の角を左に曲がって五十メートルほど進めば皇族専用のエレベーターがある。それに乗ってひとつ上れば宰相の部屋があるフロアだ。
そのとき、違和感を覚えた。一体何が、と目線だけで素早く周囲を見渡し、すぐに違和感の正体を悟った。
(これは……)
気付かないふりをしようかと思ったが、帝国宰相を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
覚悟を決めたルルーシュは足を止めると、壁に背を向けて身構えた。そして、三人の兵士を睨み付ける。
「どうなさいましたか? ルルーシュ殿下」
「お前たちは誰だ」
「何をおっしゃっているのですか」
「普段なら通路にいるはずの兵士の姿がない。お前たちの仕業か」
左に立っていた男がにやりと笑う。
すると、逃げる間もなく乱暴に口を塞がれ、体を壁に押し付けられた。一瞬、息が詰まる。
「――っ」
「このまま大人しくしていろ。下手な真似をしたらこの場で頭を撃ち抜くぞ」
もうひとりの男が近付き、左の側頭部に銃口が当てられた。視線を険しくするが、相手はにやにやとした笑みを浮かべるだけだった。
「こんなに早く気付かれるとは思わなかったが、誘拐するという目的に変わりはないからまあいい。おい、あれを打て」
もうひとりの男が近付き、何かが首筋に触れたと思った途端、鋭い痛みが走った。
「安心しろ、死にはしない。どうせ皇族は毒が効かないんだ」
声を出せないよう口は塞がれたまま、力の抜けた体を引きずられる。抵抗を試みようとしたけれど、手足がかろうじて動かせる程度で、犯人から逃れることは叶わなかった。
「皇子を確保した。ああ、枢木スザクとの引き離しは成功だ。すぐに下のフロアに行く」
男が通信で誰かと会話している。スザクの名前が出てきたということは、連中はスザクを恐れているのだろう。
(なるほど、そのための爆弾か)
爆弾騒ぎを起こし、皇子と騎士が離れ離れになるよう仕向けた。そうして一人になった皇子を誘拐する計画なのだ。
現場へ行って来いとスザクたちに命じたのはルルーシュ自身で、己の迂闊さに舌打ちしたい気分だった。
自分から言い出さなかったとしても連中が無理に引き離したかもしれないし、あのまま部屋で待機していたら犯人のほうから乗り込んできたのだろうが、自ら余計な手助けをしてしまったことに変わりはない。
恐らく、このフロアにいた兵士はすべて排除されている。殺されたのか、薬で眠らされているのかはわからないが、兵士さえいなくなれば警備は解かれたも同然だ。
スザクたちがいなくなったあと、犯人は兵士に成りすまし、頃合いを見計らって誘拐を実行するつもりだったに違いない。そしたら対象のほうからのこのこ出て来たのだから、彼らにとってはこれほど楽な仕事はなかっただろう。
くそっ、と心の中で悪態を吐く。誰もが爆弾に気を取られているし、幹部たちは部屋から一歩も出るなという指示が出ているから、外の兵士が入れ替わっているなんて夢にも思っていないはずだ。
唯一の頼りは、体に埋め込まれたチップだけであった。これさえあればルルーシュの位置は把握できる。まさかロイドの怪しげな実験に感謝する日が来るとはな、と力なく笑った。
薬の影響で指先が痺れるような感覚はあるものの、完全に動けないということはない。意識もはっきりしている。ここで余計な体力を使っても無意味なので、いざというときに走れるよう今はぐったりしているふりをするのが得策だと判断した。
(しかし、皇族に毒は効かないとこいつははっきり言っていたな。身分が上の者ほど毒殺を恐れて特殊な訓練をするものだが、それは世間一般に知られていることではない。なのに、なぜ断言できた? どこかの貴族か?)
そもそも、なぜ犯人たちはいとも簡単に幹部フロアに侵入できたのだ。
皇族の元へ辿り着くには特別なパスと生体認証が必要なのに、犯人全員がそれらをあっさりクリアしている。警備の兵士をすべて片付けたことと言い、あまりにも手際が良すぎないか。
事前に入念な調査を行っていたとしても、実際に建物の中に入らなければわからない部分はたくさんあるのに、移動する足は迷いがなく、目的地に向かって真っ直ぐ進んでいた。
(まさか内部の者が手引きした?)
考えられる可能性としてはそれしかない。しかも、手引きした者はかなり高貴な身分だ。
状況を考えながら連れて行かれる先を確認する。幹部フロアから階段へと移動した犯人は、ひとつ下の階で再び廊下を移動して行った。
そこで人が増えたことに気付いた。全員、ブリタニア軍の格好をしているが、一度も見かけたことのない顔ばかりだ。これだけの犯人が疑われることなく侵入したとなると、誰かが手引きした疑いが濃厚になる。
「爆弾の残りは予定通りか?」
質問された相手が何かを振った。ボタンの付いている四角い箱はどうやら起爆スイッチのようだ。
「あとは規模の大きいものだから、現場は余計に混乱するぞ」
「よし、このまま皇族専用エレベーターまで向かえ」
皇族という単語にルルーシュは反応した。皇族専用エレベーターは文字通り皇族にしか使えないものである。ルルーシュも普段使用しているが、操作できるのは限られた人間だけだ。
(となると、黒幕は皇族か)
可能性のひとつとして考えたけれど、実際に身内が関わっているとわかって嫌気が差した。
こちらに恨みを抱いてそうな皇族は大勢いるが、アリエスではなく宰相府に侵入するとはなかなか度胸がある。
その度胸をもっと別のところで使えばいいのにと思っていたら、皇子に目隠しをしろと指示が聞こえた。顔に布が当てられ、どこへ連れて行かれるのかわからなくなってしまった。
スザクと離れたことを今さらながらに後悔する。チップがあるから移動しても場所はわかるだろうが、果たしてそれまで無事に生きていられるだろうかと嗤った。
「お前たちに命令しているのは皇族か」
少しでも時間稼ぎができないかと発した声は、男の足を止めるのに充分効果があったらしい。
「当ててやろうか。第九皇子だろう?」
半分は確信を持って、あとの半分は口から出任せで言ったのだが、ルルーシュの体を拘束する腕に力がこもったことからどうやら大正解のようだと判断する。
異母兄に最後に会ったのは半年も前のことだ。中東の国境付近でテロ事件が起こり、第九皇子がその処理に当たったところ、かえってブリタニア軍に損害を出してしまった。その尻拭いのためにルルーシュは作戦を立てたのだが、自らの地位が脅かされることを恐れた異母兄に逆恨みされ、銃口を向けられた。
捕まった第九皇子は、罰として皇宮の地下に幽閉されることとなった。しかしその後、本人が深く反省し、今後は皇族の名に恥じぬ生き方をすると皇帝に訴えたことで、数ヶ月前に離宮へ戻ったと聞いている。
だから多少の警戒はしていたのだが、こんな大それたことをしでかすとは予想していなかった。俺も詰めが甘いと、思わず歯噛みする。
「おい、どうした、早く行かないと枢木スザクが」
「なぜ知っている。まさか最初からわかっていたのか?」
仲間の問いかけを遮った男に体を押し付けられる。背中に壁が当たり、押さえられた首の辺りが苦しいけれど、ルルーシュは目隠しされたまま口の端を上げた。
「私を誰だと思っている」
「ちっ、急ぐぞ。とにかく宰相府を出る」
「その前に、このフロアを無事に出られると思っているのか?」
「なんだと」
そのとき、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
周囲が一斉に息を呑み、ルルーシュを拘束する男の腕も緩んだ。その隙に目隠しをずらしたルルーシュは、犯人たちが銃を構えているのを目にした。
銃口の先で、右手に剣を持ち、白い衣装を鮮血に染めたスザクの姿を確かめる。彼の足元には犯人のひとりが血を流して倒れていた。
スザク、と呟いた声を聞いたかのように彼の顔が上がる。こちらを見たスザクは一瞬だけ微笑んだが、犯人の手がルルーシュの首元を掴んでいるのを確認してすぐに目線を険しくした。
周りにいる敵を斬りながらこちらに向かってくる姿は鬼気迫っていて、誰かが「死神だ」とぽつりと零す。枢木スザクがラウンズ時代に白き死神と呼ばれていたことを思い出したのか、それとも、騎士服を返り血で真っ赤にしている様子を見ての呟きだったのか。
「な、何をぼやぼやしている、撃て! 撃て!」
次々に銃声が響く。しかしスザクが止まることはなかった。銃弾をかわしながらこちらを目指してくる彼に、誰かが引き攣ったような声を漏らした。
「相手はひとりだ、びびるんじゃない! くそっ、こうなったら緊急用のあれを使うぞ」
「いいのか、皇子も死ぬかもしれないぞ」
「どうせ殺すつもりなんだから構わんさ。皇子を屋敷まで連れて来いという命令だが、万が一死んだ場合は体さえあればいいと言われている」
犯人のひとりが床にアルミケースを下ろした。中には装置らしきものが入っていた。
「スイッチを押したらすぐにこの場を離れるぞ」
「化け物のような相手だ。最大濃度で噴射しろ」
装置の中身が何かは知らないが、人体に有毒なものであるということだけは悟った。犯人たちは平然としているから、あらかじめ耐性をつけているか、毒を中和させる薬でも飲んでいるのだろう。
ここでそんな物騒なものをばら撒かれたら、自分たちだけでなく各フロアに残っている人間にまで被害が及ぶ。
させてたまるかと、ルルーシュは男の手を振り解いた。スザクに意識を向けていた犯人の反応が遅れる。アルミケースの前に陣取っていた男を体当たりで突き飛ばし、ケースに覆い被さるようにした。
「貴様! そこをどけ!」
体を蹴られるが、絶対に引き剥がされまいとケースを抱きかかえて必死に守った。無理やり立たされ、アルミケースを真ん中に男と揉み合う。銃口を向けられてもルルーシュは怯まなかった。
「くそ、面倒なことをしやがって!」
「お、おい、早くしないと死神が来るぞ」
「わかってる! ちくしょう…っ」
また誰かの断末魔のような叫びが聞こえた。そちらに気を取られた男の手元が一瞬狂う。
そして、一発の銃声が鳴った。
(16.03.02)
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