いつかのさよなら 中編

 その後の僕達は、いわゆる健全なお付き合いをした。
 学校では今までのように普通の友達として過ごし、人目のないところではこっそり手を繋いだり、ときどきキスを交わしたりした。
 二人だけが共有する秘密の時間はくすぐったくて、キスをしたあとはいつも二人で笑い合った。
 週末になると必ずどちらかの家に行き、ルルーシュは欠かさず手料理を振る舞ってくれた。「さすがに毎回は悪いからたまには僕が作るよ」と最初の頃は遠慮したものの、好きでやっているんだから気にするなと言ってキッチンから追い出されることが続いたので、諦めてルルーシュの好きなようにさせた。
 誰かのために料理を作るのは好きなんだ、とルルーシュはよく口にしていた。そういうときの彼はとても優しい顔だった。
 ほんの一年。
 たった一年。
 だけどその一年の間、ルルーシュは確かに僕だけのものだった。
 ままごとみたいな恋だったのかもしれない。恋愛と呼ぶには綺麗過ぎたのかもしれない。
 だから彼が女性を抱くという場面がなかなか想像できなくて、将来彼の妻となる人に嫉妬しようにもいまいち実感が湧かなかった。
 いずれにしろ、ある意味とても高校生らしい付き合いだ。デートをして、二人で過ごして、キス以上のことは匂わせない清い交際。
 それでも僕は幸せだった。
 四六時中ルルーシュのことを考えて、ルルーシュだけを特別に想えて、ルルーシュに好きだと伝えられるのはとても幸せなことだった。
 約束の期限が来て友達に戻ったとしても、ルルーシュを好きな気持ちは大事に仕舞っておこうと決めていた。
 この想いは僕だけのもので、たとえルルーシュに捨てろと言われても絶対に離さず抱えていくつもりだった。
 そうして迎えた一年後。
 朝からルルーシュが僕の家を訪ね、一緒に課題をやったり他愛ない話をしたり、その合間に食事を作ってくれたりした。
 昼過ぎに一度買い物へ出かけたらあまりに暑かったので、途中でアイスクリームを買って店先で涼んだ。
 暑さのせいかルルーシュは動くのも億劫そうで、スーパーまで僕が走るからルルーシュはここで待っててと言えば、買い物は二人で一緒にするんじゃなかったのかと咎められた。

「無理しなくていいのに。外は暑いよ」
「俺を軟弱者扱いするな」

 だって軟弱そのものだよね? と思ったけれど飲み込んだ。

「それならやることを早くやって早く帰ろう」

 立ち上がってルルーシュの手を引いた。人前でこういうことをすると普段は嫌がるのだが、この日は珍しく振りほどかれなかった。
 暑いとだけ言って、人目がないところまで手を繋いで歩いた。
 思えば、ルルーシュに触れたのはそれが最後だ。
 別れるときに握手でもすれば良かったなと、あとになって少し後悔した。
 最後の挨拶も、最後の抱擁も、最後のキスも、ルルーシュは何ひとつさせてくれなかった。ただ、誕生日おめでとうという言葉だけを贈られた。
 この先、誕生日がトラウマになったらどうしてくれるんだよと言えば良かった。
 何も僕の誕生日に別れなくてもいいだろと文句を言えば良かった。
 (好きだって、最後にもう一度だけ言いたかった)
 そうして、本格的な夏を迎える直前に、一年限りの僕達の関係は終わりを迎えたのだった。

***

 ルルーシュと別れた翌日、学校に行くとなぜか教室がざわめいていた。
 自分の席に着く前にクラスの女子達に捕まり、「ねえ、スザク君は知ってた?」と問い詰められる。

「何が?」
「ルルーシュ君のことよ」

 その名前にどきりとした。僕達の関係は誰にも打ち明けていないし、バレるようなヘマはしてこなかったはずだ。
 まさか別れた直後になって周囲に知られたのだろうかと一気に緊張が生まれる。
 しかし、それなら女子達にこうして捕まるのは腑に落ちない。何か別のことだろうかと、動揺を抑えて「何があったの?」と尋ねた。

「ルルーシュ君、学校辞めちゃうって」
「え……?」

 それは想定していた内容とは違うけれど、僕の息を止めるには充分効果のある内容だった。

「さっき先生が話してるのを誰かが聞いたんだって。まさかと思ったけど、ルルーシュ君、今日はまだ来てないみたいだし……」

 釣られるようにルルーシュの席を見る。
 普段なら僕より早く登校するルルーシュがそこにいた。
 本を読んでいたり、窓の外を見ていたり、無闇に触れてはいけないような雰囲気の彼に、ひと呼吸置いてから「おはよう」と声をかければ、穏やかな顔で笑って「おはよう」と返してくれるはずだった。
 でも、今日は空席だ。
 僕は入ってきたばかりのドアを開けて廊下に出た。クラスの誰かが僕の名前を呼んでいたけれど、無視して職員室に向かう。
 登校途中の生徒達の間を抜け、担任教師の顔を見つけると「先生!」と呼んだ。

「どうした、もうすぐホームルームだぞ」
「ルルーシュが学校を辞めるって本当ですか」

 担任の顔にしまったという色が一瞬浮かんだ。

「本当なんですね」
「そのことはあとでみんなに……」
「みんなより先に教えてください。僕はルルーシュの友達なんです」

 別の教師がそろそろ朝礼ですよと声をかけてきた。それに手を挙げ、ちょっと遅れますと答えた担任は、僕の腕を引くと廊下の隅に移動した。

「確かに、お前らは一番の友達だったもんな。ホームルームでも同じことを話すから、みんなにはまだ内緒にしておいてくれよ」

 僕は大きく頷いた。ルルーシュに関する重大なことをぺらぺら人に話すわけがない。

「俺もいきなり聞かされて驚いたんだが、なんでも急にブリタニアに帰らなければならなくなったらしい。高校三年生ももうすぐ半分終わる時期だし、本人としてもちゃんと卒業したかったそうだが、実家の意向ならば仕方ないということだ」
「急な話だったんですか? 先生はどのくらい前に知ったんですか?」
「先週末だから四日前かな」

 僕は昨日、ルルーシュに会ったばかりだ。
 つまり、ルルーシュは先生やクラスメート達だけでなく、僕にも退学の件を秘密にしていたということである。
 (なんで僕にまで……)
 体の横で両手を握り締める。
 悔しいのか悲しいのかよくわからなかった。 ルルーシュとは友達で、恋人で、ほかの誰よりも近くにいる存在だと自負してきたのに、所詮は僕の独り善がりだったのか。

「とにかく、このことはあとでまた話す。とりあえず教室に戻るんだ」

 担任に促され、僕はのろのろと足を動かした。 遅刻ギリギリに駆け込んできた生徒達が慌ただしく廊下を行き交う。
 その波に逆らって、僕は教室ではなく屋上を目指した。
 外に繋がる扉を開けると、むわっとした蒸し暑い空気が入り込んできた。七月の初旬だと言うのに、もう真夏のようだ。
 照り返しに目を眇めながら、初めてここに来たときのように景色を眺める。
 あの日は隣にルルーシュがいた。友達になってくれといきなり言い出した僕に呆れたり笑ったりすることなく、いいぞと言ってくれた。
 付き合ってほしいと言ったときも、いいぞと返事をしてくれた。
 (君は本当に僕のことを好きでいてくれた?)
 ルルーシュは優しいから、転入してきたばかりの僕に気を遣ったのかもしれない。
 情けで男同士の恋人を受け入れてくれたのかもしれない。
 セックスはしないという条件も、キスまでなら男が相手でも許せるけれど、さすがにその先は無理だったからかもしれない。
 そんなことを考えるのはルルーシュに対する冒涜だ。いくら彼が優しくても、僕の言うことをなんでも無条件に聞いてくれる理由がない。
 でも、それを確かめることはもう叶わない。初めから彼は何もかも終わらせるつもりだったのだ。
 一年の期限が終了したら恋人から友達に戻るのだろうと漠然と考えていたけれど、僕の認識は甘かったと思い知る。
 恋人だけじゃない。友達としての僕達も、クラスメートとしての僕達も、ルルーシュは僕に関わるすべての関係を断ち切った。
 恋人であるルルーシュを失ったときに、僕は友達であるルルーシュも失ったのだ。
 (ルルーシュはもういない)
 改めて現実を考えたら、無性に泣きたくなった。
 屋上の囲いに腕を乗せて顔を埋めると、小さく鼻を啜る。
 夏の始まりの蒸し暑さと、十八歳になってしまった自分が恨めしかった。
 そうして、ルルーシュは何ひとつ残してくれずに僕の前から姿を消した。
 誕生日の翌日のことだった。

***

 木製の扉を開けると、店内にはクラシックのBGMと程よいざわめきが満ちていた。
 きょろきょろと首を回していると、店員が近付いてきて「ご予約ですか?」と尋ねられた。

「はい、十九時に予約している…」
「スザク! こっちこっち!」

 右側から名前を呼ばれ、そこに見知った顔を見つけた。店員に頭を下げてテーブルに向かう。

「ごめん、遅れて」
「いや、俺達もさっき来たとこ。とりあえずドリンク頼めよ」

 未成年なのでアルコールはまだ飲めない。外は湿気が酷かったのでさっぱりしたものがほしいなと思い、あまり甘くなさそうな炭酸飲料を選んだ。

「料理は適当に注文してるけど、食べたいものがあれば追加してくれよな」
「うん」

 お待たせいたしましたと店員の声がし、ちょうどいいタイミングで料理がテーブルに並んだ。肉系が多いのはいかにも男子大学生である。
 すぐにドリンクも来たので早速乾杯をした。

「さてと、じゃあまずは近況報告といきますか」

 口火を切った友人から、高校卒業後のことを話し始めた。
 大学生活が始まってすでに三ヶ月。
 新しい環境にもすっかり慣れ、大学生という肩書きも馴染んだ頃、友人から同窓会をやらないかと声がかかった。
 同窓会と言っても高校時代に仲の良かったメンバーで集まるだけだが、ちょうど高校生活を懐かしんでいたので「行く」と返事をした。
 久しぶりの再会に会話は弾んだ。それぞれ違う大学に進学していて、こうでもしないと顔を合わせる機会がないのだと思うと少し哀しい気もする。
 あの頃にはもう戻れないのだという一抹の寂しさは、ある意味では大人になったということでもあるのだろうか。

「そういえば懐かしいやつを見かけたぞ」

 食べて飲んで二時間が過ぎた頃、最後に何か締めのメニューを頼むか、別の店に行ってラーメンでも食べるかと相談していた最中、友人のひとりがぽんと手を打った。全員が一斉に彼のほうを向く。

「誰に会ったんだよ」
「高校のときの同級生。みんな絶対覚えてるって。会ったわけじゃなくて遠くから見かけただけなんだけどさ、すぐにわかったね。やっぱあいつ目立つわ」
「だから誰だよ」

 焦れる面々に、彼は自慢げな表情で「聞いて驚くなよ」ともったいぶった。

「ルルーシュだよ、ルルーシュ」

 その名前を耳にした瞬間、心臓が止まるような感覚がした。
 マジで? 本当にルルーシュ? と騒いでいる周囲の声がどこか遠い。

「退学したのって三年のときだよな。ブリタニアに帰ったんじゃなかったっけ? なんで日本にいるんだ?」
「俺の情報によると、日本の大学に通うために戻ってきてるらしい。親御さんや兄貴達はずっとブリタニアにいろって引き止めたけど、それを押し切って来たんだって」
「なんでそこまで知ってるんだよ」
「ま、うちの実家も色々つてがあるからさ」
「ああ、なるほど、元貴族の情報網ってことか。でも、よく戻ってこられたよな。ルルーシュの親、めちゃくちゃ厳しいって有名だろ? 経済系の雑誌にまで載ってたぞ」
「それがルルーシュにはかなり甘いらしいよ。だから一旦は呼び戻したけどルルーシュの我儘を聞いたんじゃない? 末っ子で優秀で、兄貴達には鬼のような親がデレデレで、そんな弟がいたら普通は兄弟で嫉妬しそうなものだけど、ルルーシュはあの家の跡継ぎにはならないと公言しているからか、競い合ってる兄貴達もルルーシュのことは可愛がってるって聞くな。むしろ、ルルーシュに味方してもらいたくて必死に気を引いてるらしい。あ、もしかしたらそれが嫌で日本に戻ったのかも」
「金持ちは金持ちで色々大変なんだなぁ。俺、庶民で良かったよ」
「どこでルルーシュを見かけたの?」

 動揺と逸る気持ちを極力抑えたつもりだったけれど、思いのほか声が低くなっていたのかもしれない。全員が驚いたように一瞬止まり、それからルルーシュを目撃したと言う友人へ目を向けた。

「あ……っと、そうそう、大学の近くだよ、スザクの大学」
「僕の?」
「噂だとルルーシュはT大に行ってるそうだから、たまたま近くを通っただけだと思うけど。あそこってお前の大学と近いよな?」
「うん……」
「日本で通うならやっぱT大か。ルルーシュ頭良かったもんなぁ」
「そうそう、高三の模試のときだって――」

 友人達の話題は高校時代の思い出話へと変わっていた。その間に「ちょっとトイレ」と僕は席を立った。
 男子トイレに入ってひとりになると急に気が抜けた。洗面台に手を付き、鏡に映った自分の顔をぼんやり眺める。
 (ルルーシュが、日本に)
 何も言わずに僕の前から消えて以来、ルルーシュからの連絡はない。
 ないのが当然だと思っていたし、疑問を抱くこともなかった。でも、日本に戻っているという話を聞いてわけがわからなくなってしまった。
 急に学校を辞めたのは、ブリタニアに帰らなければいけなかったからではないのか。
 僕と別れたのは、親に決められた相手とお見合いをして結婚するからではなかったのか。
 帰国後に事情が変わったのか。それとも結婚した上で日本に来ているのか。そもそもなぜ日本なのか。親の言葉に逆らってまで日本に来る意味があるのか。
 ルルーシュと別れて約一年。付き合う条件として約束したから、物分かりのいいふりをして納得してきた。
 彼のことは過去の思い出として心の中に留めておこうと、出来た恋人のふりをし続けてきた。
 だけど、もしかしたら僕はルルーシュに嘘をつかれていたのかもしれない、お見合い以外のなんらかの理由があって一年という期限を作ったのかもしれないという可能性に気付いた。
 (だったらなんで僕と付き合うことを決めたんだろう)
 もしお見合いが嘘だったとしたら、なぜそんな嘘をつく必要があったのか。そんなに僕と別れたかったのか。ならば、そもそも付き合わなければ良かったじゃないか。告白されたから仕方なく頷いたのだとしても、ルルーシュ自らキスを仕掛けてきたことの説明が付かない。
 何がなんだかさっぱりわからないなと盛大な溜め息をついたとき、トイレのドアが開いた。
 びくりとした僕は、客の不審そうな視線を誤魔化すために蛇口から水を出した。意味もなく手をごしごし洗い、平静を装って席に戻る。

「お、戻って来た。このあとラーメンにしようってことに決まったんだけど、スザクはどうする?」
「ごめん、まだレポートが残ってるから僕は先に帰るよ」
「そっかー、残念だな。じゃあ三人か」
「悪い、俺もやっぱ帰る。明日、朝からバイトなんだよ」
「なんだよ、この裏切り者!」

 裏切り者という単語がやけに響く。
 ルルーシュは僕を裏切った。そう言い切るのはまだ早いのに、僕の心はそう決め付けていた。
 店を出て友人達と別れると駅に向かった。金曜日の夜ということもあり、繁華街はたくさんの人がいて賑やかだ。
 そんなざわめきの中、僕の心は不自然なほど凪いでいた。
 何も考えたくないのか、考えることがありすぎて容量オーバーになっているのか。自分の感情なのに上手く把握できない。
 ただ、ひとつだけわかることがある。
 ルルーシュへの怒りや恨みがないと言えば嘘になるけれど、それを圧倒するほどの気持ちが僕の中には存在していた。
 ルルーシュに会いたい。
 今、確かなのはそれだけだった。
 (17.07.09)