いつかのさよなら 前編

 ルルーシュを家まで送るために一緒に夜道を歩く。
 女性じゃないんだからいちいち送ってもらわなくていいとルルーシュは言うけれど、僕がそうしたかった。
 ルルーシュの身に何かあったら死んでも死に切れない。そう思い、何を大袈裟なと自分で自分を笑う。
 好きな人の身を案じるのは普通だ。でも、僕のその心配は普通の人が恋人を心配するのとは少し違うような気がした。
 何が違うのか言葉では表現できない。僕自身、どうして不安になるほど心配をしてしまうのかわからない。
 ただ、ひとつだけわかるのは、失いたくないということだ。
 好きな人を、ルルーシュを失うのはもう嫌だ。
 (って、まるで一度失ったみたいだな)
 縁起でもないとそっと首を振り、隣を歩くルルーシュを窺った。
 高校二年生の春に出会った僕達は、現在高校三年生だ。
 名門と呼ばれている学校に通い、生徒達はいわゆる良家の子女ばかりだけど、その中でもルルーシュは飛び抜けて品がある。華もある。
 何より、とても綺麗だ。
 同性の男子に綺麗という言葉を使うのは可笑しいのかもしれないが、ルルーシュは本当に綺麗なのだから仕方ない。
 いつ見ても惚れ惚れする顔の造形は、神様の最高傑作だと言われても驚かなかった。ルルーシュが出来上がったとき、神様はその出来栄えにさぞかし満足しただろうと思うほどである。
 遠くで虫が鳴いていた。平年よりも早い梅雨明けは、早々と夏の蒸し暑さを運んできた。
 夕方になってもムッとした熱が残っていて辟易するのに、隣のルルーシュは涼しい顔だ。
 あまりに涼しげな様子に、生まれて一度も汗をかいたことがないのではと馬鹿なことを思ってしまう。
 (そういえば、また首周りが細くなったかも)
 シャツの首の辺りが若干緩くなっているようだ。と言っても、せいぜい数ミリメートルのことで誤差の範囲である。
 ルルーシュ本人も自覚していないであろうわずかな変化だけど、僕の目は気付いた。
 夏の暑さに弱い彼は、また食欲が落ちているのかもしれない。僕の前ではいつもと変わらない様子だが、ひとりのときにどう過ごしているのかまではわからない。
 ちゃんと食べているのだろうか。夜は眠っているのだろうか。
 そこまで考えて、詰めていた息をこっそり吐き出した。
 帰り道の途中でどうでもいいことを考えている。ルルーシュの体調の心配をするならもっと前にすればいいのに、どうして今ごろ思い浮かぶのか。
 (理由ならわかってる)
 わかっているけれど、それを意識したくなかった。
 四つ角を曲がり、三分ほど真っ直ぐ進んだ先にあるのがルルーシュの暮らす高層マンションだ。
 高校生の一人暮らしには贅沢な住まいだが、彼の実家を考えればむしろ慎ましいくらいである。
 僕も一人暮らしで似たような状況だけど、僕の場合は単なる父親の見栄でしかない。政治家の息子に相応しい住みかを提供しただけで、息子のことを考えてのものではなかった。
 (本当にどうでもいいことばかり考えているな)
 零れそうになった溜め息を押し殺す。
 遠くに見えていたマンションがだんだん近付き、とうとうエントランスまで辿り着いてしまった。
 結局、帰り道は一言も話さなかった。このまま口を開かなければいつものように別れ、「また明日」で今日一日を終われるかもしれないという期待、あるいは願望が心のどこかにあったのだろう。
 ぴたりと足を止めたルルーシュは、くるりと振り返って僕の顔を正面から見つめた。

「じゃあ、ここで」
「うん。また明日」

 僕がお決まりの言葉を口にしたその刹那、ルルーシュが表情を消した。一秒にも満たない、微かな変化だ。
 どうしたのだろうと思ったときには、彼は優しく微笑んでいた。

「誕生日おめでとう、スザク」

 僕はすぐには反応できず、しばらくしてから「ありがとう」と小さく返した。
 誕生日おめでとう。
 ルルーシュの声が耳の奥で木霊する。
 この世に生まれてきたことを祝福する言葉は、別離の言葉でもあった。

***

 見つけた。
 それが、初めてルルーシュと出会ったときに抱いた感想だ。
 そう思った自分に、何を見つけたんだ? と首を傾げた。
 どこかで彼に会った記憶はない。転入先であるアッシュフォード学園理事長室が彼との初対面の場所で、これまでの人生に彼が登場したことは一度もないはずだ。
 なのに、懐かしい気持ちがした。初めて会ったとは思えないくらい、彼の空気は僕と馴染んだ。
 出会って三日目にそのことを話したら、「そういうのは好きな女子に言え」と素っ気なく返された。口説き文句かとも呆れられた。
 運命なのか偶然なのか、いずれにしろ僕とルルーシュの波長が合ったことは確かだ。
 人種も生まれた国も見た目も性格も違う。得意分野も違う。考え方も違う。何もかもが違う僕達は、ほかの誰よりも気が合った。
 その出会いは高校二年生の春まで遡る。
 父親の命令で地元の高校から都心の名門校へと転校させられた僕は、高校二年生という中途半端な時期にアッシュフォード学園の門をくぐった。
 政治家の息子を丁重にもてなした理事長は、学園の案内役としてひとりの同級生を紹介してくれた。それがルルーシュだった。
 わからないことがあれば彼を頼ってくださいと言われるほど教師に信頼されていた彼は、綺麗な顔に完璧な笑顔を浮かべ、完璧な立ち振る舞いで僕に接した。
 建物の中を案内し、必要な手続きや部活動のこと、学園独自の行事から個性的な生徒会長のことまで学園に関する様々なことを教えてくれて、最後に僕達は屋上へと上がった。
 どうして屋上? と尋ねた僕に、ここは景色がいいんだとルルーシュは答えた。

「トウキョウを一望とまでは言わないが、結構遠くまで見渡せるんだ」
「いつもここで景色を見てるの?」
「ああ」

 風が吹くとルルーシュの髪が揺れた。それを少し鬱陶しそうに耳にかける仕草が色気を感じさせ、僕はしばし見惚れた。

「それにしても、政治家の息子というのも大変だな」

 隣から聞こえた声に我に返る。
 そうでもないよと笑った。

「父さんの見栄に付き合わされることもあるけど、別に将来を期待されているわけじゃないし。僕よりもっと有能な秘書がいるから、父さんの跡はその人に継がせるんじゃないかな」

 でも、政治家の息子だったおかげで君に会えた。
 そう思ったことはさすがに心に留めた。

「それに、アッシュフォードには有名人やお金持ちの子供が多いんだろ? 僕程度じゃ珍しくないんじゃない? 君だって僕よりずっと凄いし」

 理事長に紹介されたとき、ルルーシュはブリタニアの名門一族の末っ子だと教えられた。
 世界的企業の御曹司で、理事長に信頼され、生徒会副会長までやっているのだからその身分は相当なものである。

「俺のほうこそそうでもないさ。生まれた家がたまたま金持ちだったというだけだ。家は兄弟が継ぐことになっているから俺に期待する人間もいない。のんびり気ままに学生生活を送れるのは末っ子の特権だな」

 その口調に自分を卑下したり自虐したりするような雰囲気は感じられなかった。
 僕と似たような立場なのかなと思ったら、一気にルルーシュへの親近感が湧いた。

「じゃあそろそろ戻るか。君の紹介は午後だと聞いているから、それまでは理事長室の隣の――」

 踵を返しかけたルルーシュの手を咄嗟に取った。
 ルルーシュはきょとんとしている。引き止めた僕自身も、どうして自分がこんな行動に出たのかわからず口をパクパクさせていた。

「あの……、えっと……」
「なんだ? ほかに見たい場所があるのか?」
「そうじゃなくて、つまりその……、僕と友達になってくれないかな」

 ようやく言葉を発したあと、僕は何を言っているんだと頭を抱えたくなった。
 友達とは気付いたらなっているもので、お願いしますと頼み込むものではない。これではまるで告白だ。
 おかしなことを言う人間だと思われて引かれているかも、と怖くなった僕は視線を落とした。
 どう対処するのが正解か。今のは冗談だと笑ったほうがいいだろうか。
 うん、そうだ、冗談にしてしまおうと決めた僕だけど、「いいぞ」という幻聴を聞いた気がして顔を上げた。

「今、何か言った?」
「いいぞと言った。俺と友達になりたいんだろう?」
「え……、いいの?」
「嫌なのか?」
「嫌じゃない!」

 ぶんぶんと首を振る。頭が抜けるのではないかと思うくらい勢いよく。

「変なやつだな」

 くすくす笑ったルルーシュは、とにかく行くぞと手を引いた。僕が彼の手を握ったままであることに気付いたけれど、振りほどかれないのをいいことにそのまま歩き出した。
 友達になってほしい。
 その言葉が出てきたのはどうしてだろうと歩きながら考えた。
 不思議な懐かしさを覚えたからだろうか。失くしていた半身をようやく見つけたような感覚を抱いたからだろうか。
 (ドラマじゃあるまいし)
 屋上から階段を下りていく途中で僕達の手は離れた。その途端、不安にも似た気持ちになった。
 ルルーシュを離したくないという感情に、どうして初対面の彼のことがこれほど気になるのか自分でもわからなくて戸惑った。
 ただ、ルルーシュと一緒にいると息がしやすいのは事実だ。
 生まれてから今年で十七年、いつも政治家の息子として見られてきた。
 地元では誰もが僕のことを知っていたし、『先生の息子』というフィルターを通してでしか僕に接してくれなかった。それは大人だけでなく子供もだ。
 そんな環境の中で、僕はずっと息苦しさを感じていた。このまま僕は大人になって、いつまでも先生の息子でいなければいけないのかと思ったら絶望するようだった。
 だから、転校を命じられたときは父親の身勝手さにげんなりした反面、今の生活から抜け出せることへの期待も大きかった。
 そうして出会ったのがルルーシュだ。
 最初に紹介された同級生だから特別感を抱いたのかもしれない。でも、彼となら本当に良い友人関係を築けるかもしれないという予感があった。
 その後、ルルーシュとは本当に仲良くなれた。生まれたときから一緒だったのではと思うほど彼とは馴染み、傍にいると落ち着いた。
 転入してしばらく経つと学園内の状況もわかるようになり、ルルーシュの友達というポジションを周りが羨んでいることも知った。
 ルルーシュはその見た目と生徒会副会長という立場、そしてブリタニア有数の名家の一族という身分から必然的に学園の有名人で、女子はもちろん男子からの人気も高かった。
 本人はそれを鼻に掛けることなく、誰に対しても優しかったし、分け隔てなく接していた。
 その反面、誰に対しても一線を引き、あと一歩を踏み込ませないようにしているところもあった。
 一定の距離を保ち、必要以上に関係を深めようとしないルルーシュが、「友達になって」という僕のストレートなお願いにあっさり頷いたのは奇跡に近い。
 何を思って頷いてくれたのかはわからないけれど、僕だけがルルーシュの友達になれたことはとても嬉しかった。
 初めて出来た友達。生まれて初めての親友。
 僕の中のルルーシュという存在は、あくまで『友達』だったはずだ。そこに余計な関係は挟まず、不純な感情もなく、唯一無二の友情を得られた。ただそれだけのはずなのだ。
 その友情の中に、不穏なものが混じるようになったのはいつからだろう。
 毎日ルルーシュと過ごす中で、彼の些細な仕草や表情に目を奪われるようになったのはいつの頃からだろう。
 はっきりと自覚したのは、放課後の生徒会室で居残り作業をしていたときのことである。
 何かと理由を付けて生徒会の活動をサボるルルーシュと、それを止めることなく一緒にサボっていた僕に、会長がとうとう怒って書類の片付けを命じた。
 ルルーシュは「そもそも会長が日頃から書類を溜め込まなければこんなことにはならないのに、俺達だけに押し付けるのは不公平だ」と文句を言っていた。それをなだめつつ、僕は積み上がっている書類を仕分けた。
 ルルーシュのサボりの大半は本当にサボってもいいときだけだと知っていたけれど、会長もそのことはわかっているようだし、ルルーシュも言い訳や反論をしなかったからお互い承知の上なのだろう。だから、僕は口を挟まなかった。
 要は、有名一族のルルーシュが特別扱いされていないことをアピールするためのパフォーマンスだ。
 だったら最初から真面目に生徒会に出ればいいのに、と言うのは野暮なのだろう。

「ルルーシュ、こっちは中身のチェックだけでいい?」
「いや、それは計算が必要になるからお前はこっちを見てくれ。日付に齟齬がないかだけ確認すればいい」
「わかった」

 書類のやり取りをするたびに、ルルーシュの手と手が触れた。
 作業を始めてすでに一時間。どこか緊張するような気持ちをずっと押し殺していた僕は、なんとなく隣を窺った。
 ルルーシュは頬にかかる髪を耳にかけていた。
 それはルルーシュと出会った日にも見た仕草で、あれ以来、ときどき目にするものだ。決して珍しくはない。でも、その日に限って妙に胸がざわついた。
 女の子が髪を耳にかけても何も感じないのに、ルルーシュだと一気に色気が増す。形の良い耳がこのときだけは露わになるからドキドキするのだろうか。
 (触ってみたいな)
 髪を。耳を。首を。頬を。唇を。
 触って舐めてみたい。ルルーシュはきっとどこもかしこも甘いだろう。
 そこまで考えて、僕はハッと我に返った。己の思考の変態さに気付いて動揺するのと同時に、下半身に覚えのある感覚がしてぎょっとした。

「どうした?」

 僕の様子のおかしさにルルーシュが顔を覗き込んできて、さらに熱が溜まる。

「えっ、いや、な、なんでもない! ちょ、ちょっとトイレ!」

 慌てて立ち上がった僕は急いでトイレの個室に駆け込んだ。こんなことは生まれて初めてで、恥ずかしさと情けなさで涙が出てきそうだった。
 制服のベルトを外し、ジッパーを下げ、下着を下ろす一連の流れがひどくみっともない。

「うわぁ……」

 そこは目視するまでもなく反応していた。
 いつまでも自分のものをまじまじと見ているわけにはいかないし、戻りが遅くなればルルーシュに不審がられる。
 溜め息を零した僕は、余計なことを考えないようにしながら自慰に集中した。
 女の子と付き合ったことはあるけれど、これほどダイレクトに反応したことは一度もなかった。最中だって興奮はしなかったし、男の性として欲を解放させていたに過ぎない。
 (なのに、ルルーシュのことを考えただけで勃つなんて……)
 もしルルーシュが僕のを触ったり舐めたりしてくれたら。
 一瞬だけ浮かんだ馬鹿な妄想は、僕のものをあっという間に高める材料にしかならなかった。トイレットペーパーを引き千切って醜い欲望を包み、熱を吐き出す。
 解放感に満足感はなく、ただただ申し訳なさだけが残った。
 (ごめん、ルルーシュ……)
 己の罪深さに頭を抱えたくなったけれど、そこでようやく別の欲を自覚した。
 (もしかして、僕はルルーシュを抱きたいのか?)
 ふと浮かんだ内容に今度は崩れ落ちそうになった。友達を、しかも男を抱きたいなんて思うのは間違っている。
 制服を直した僕はよろよろと個室を出て洗面所に向かった。汚いものを洗い落とすようにハンドソープで念入りに手を洗う。
 (抱きたいってことは、つまり僕はルルーシュを好きってことだよな)
 そう考えたら妙に納得する心地にもなった。
 思い返してみれば、最初からルルーシュのことは気になっていた。
 男相手に綺麗だと感じたり、何気ない仕草にドキドキしたり、あれは一目惚れのようなものだったのではないか。「見つけた」と運命的なことを思ったのも、一目惚れによる作用のひとつに違いない。
 同性愛者の自覚はなかったのにどうしようと混乱する気持ちと、ルルーシュならば好きになっても仕方ないと開き直る気持ちが混在したままトイレを出た。
 生徒会室の前まで来ると、平常心平常心、と言い聞かせてドアを開ける。テーブルで黙々と作業をしていたルルーシュは、顔を上げるとほっとしたような表情を浮かべた。

「大丈夫か? 具合が悪いんじゃないのか?」
「ただのトイレだって。ルルーシュは心配性だなぁ」

 笑いながら先ほどと同じ席に座る。ただし、ほんの少しだけ椅子をずらし、ルルーシュから若干の距離を取って。
 疚しさと気まずさと罪悪感を覚えながら作業の続きに取りかかった。会話はなく、ペンを走らせる音と書類を捲る音だけが部屋に響く。
 隣の気配を極力意識しないようにしていると、自然に集中していたのか思いのほか仕事が捗り、日が暮れる前にノルマを達成できた。
 お前がいてくれて助かったと感謝を伝えてくれたルルーシュに罪悪感が募る。どういたしましてと笑った僕の顔は、申し訳なさそうな色を浮かべていたかもしれない。
 二人で書類を片付け、いらないものはゴミに捨てる。綺麗になったテーブルの上には本がいくつか残っていて、これは? とルルーシュに聞いた。
 書類の山に埋まっていて気付かなかったけれど、誰かが置いていたものだろうか。

「多分、会長だな。読み終わったと言っていたのにまだ返してなかったのか。仕方ない、俺が図書館に戻しておくよ」
「僕も一緒に行く」
「遅いからお前はもう帰っていいぞ」
「何、水くさいこと言ってるの。遅いのはルルーシュも同じでしょ。それに結構量があるし、ルルーシュひとりじゃ持てないんじゃない?」
「そこまで非力じゃない」
「はいはい、行くよ」

 僕のほうが少し多めに本を持つと、二人並んで図書館に向かう。あんなに気まずさを覚えていたのに、ここでルルーシュと別れるという選択肢はなかった。
 だってひとりにさせるのは心配だし、と思った自分に早速恋人気取りかと苦く笑う。
 放課後の学校は静かで、体育館のほうから微かな歓声が聞こえてくるだけだ。まだ部活が終わっていないのだろう。
 一方、図書館のある建物はひっそりとした静寂が広がっていて、学校の怪談にはぴったりの雰囲気だった。
 図書館に辿り着くと、ドアにはロックがかかっていた。ここまで来て回れ右するのは面倒だなと思っていたら、ルルーシュが電子キーを操作して難なく開けてしまった。それは先生しか知らないはずの暗証番号だ。
 まさかいつもこういうことしてないよね? と聞けば、ルルーシュは「まさか」と笑ったけれど怪しい。
 三ヶ月の付き合いでわかったことだが、ルルーシュは優等生のように見えて意外とがさつなところもある。
 先生やその他大勢の生徒の前では真面目にしているのに、僕や生徒会メンバーといった気心の知れた相手の前では日頃の真面目さがどこかへ行ってしまうのだ。
 もっとも、それはルルーシュが心を許してくれている証拠で、一応お小言を言ったり呆れて見せたりするけれど、内心ではルルーシュの特別枠に入れてもらえたことを嬉しく感じていた。その中でもさらに特別になりたいと思うのは過ぎた願いなのかもしれない。
 ドアを閉めると図書館の奥へ進む。しんとしたフロアは息遣いどころか心臓の鼓動まで響きそうで、僕は無意識に息を詰めていた。

「ここだ」

 目的の書架を探し出すと、ルルーシュは足場となるステップを運んできてさっさと上ってしまった。

「僕がやろうか?」
「いつもやっていることだ。そっちの本も貸してくれ」
「うん」

 言われたとおりに本を渡した。すると、ルルーシュの手が僕の手の甲に触れた。
 何気ない接触だ。さっきだって何度も触れていたし、どきりとするものの殊更驚くことはない。
 だけど、なぜかルルーシュは勢いよく手を払った。え? と思ったのと、ルルーシュの体がバランスを崩したのは同じタイミングだった。

「ルルーシュ!」

 ステップから足を踏み外した体を迷わず抱き留めた。手から離れた本がばらばらと音を立てて床に散らばる。
 咄嗟のことで僕も一緒に倒れてしまったけれど、ちゃんと受け身は取ったし、ルルーシュの下敷きになれたので良かったとほっとした。

「大丈夫? だから僕がやってあげるって言ったのに」
「…っ、今のはたまたまだ」
「たまたまで落っこちてきたら僕の心臓に悪いんだけど。それより怪我はない?」
「俺は大丈夫だ」

 すまない、と謝ったルルーシュを無意識に抱き締める。
 この体が無事で良かったと心の底から安堵した。ルルーシュに傷を付けるなんて真っ平だ。

「お前のほうこそ大丈夫か? どこか打ってないか?」
「僕は丈夫だからへーき」
「そうか。……ところで、そろそろ起きたいんだが」
「うん」
「本当に怪我してないのか?」
「うん」
「だったら……」
「もうちょっとだけ」

 両手にぎゅっと力を込める。
 ルルーシュの心臓がどくどくと音を立てていた。微かな息遣いが耳元で聞こえる。
 (生きてる)
 ルルーシュも僕も生きている。当たり前のことが泣きたいくらい嬉しかった。
 どうしてそう思うのかわからない。ルルーシュを好きだと自覚したからだろうか。それにしては我ながら大袈裟だ。
 ルルーシュ、と愛しい名前を口にする。
 僕はずっとこの名前を呼びたかったんだ。唐突にそんなことを思った。
 ずっと探していた。
 ずっと会いたかった。
 ずっと君の名前を呼びたかった。
 ルルーシュ、僕は――。

「好きだ」

 気付いたときには言葉にしていた。
 静かな図書館に僕の声がやけに大きく木霊した気がする。

「ルルーシュが、好きだ」

 言ってしまったという後悔と、このあとどうするつもりだという動転と、でも言えて良かったという不思議な安心感と。自分でも理解できない感情が胸の中をぐるぐるしていた。
 ルルーシュからの返事はない。それはそうだろう。いきなり男から、しかもこんな状況で告白されて理解できるわけがない。
 ただ単に戸惑っているのか、男に好きだと言われて気持ち悪いと感じているのか。いずれにしろ、この先の展開は想像するまでもなく絶望的だ。

「――離してくれないか」

 告げられた一言に心臓が止まりそうになった。開き直ったつもりでいたけれど、いざルルーシュに拒絶されるとやはり堪えた。
 両手を外せば、ルルーシュはのろのろと起き上がった。僕は寝転がったまま彼の綺麗な顔を下から見上げた。

「なんの冗談だ」
「冗談じゃないよ」

 ルルーシュは冗談にしたいのだなと気付いたけれど、僕はその逃げ道を選ばなかった。
 せっかく得た友情をここで失うのはつらい。今の告白をなかったことにすればまた元の友達に戻れるとわかっている。
 でも、これから先、ルルーシュへの想いを押し殺したまま学生生活を送るのもつらい。
 それは僕の事情で、ルルーシュのことなど何も考えていなかった。僕の我儘にルルーシュを巻き込むのは申し訳ないとも思う。
 だけど、僕の中のルルーシュはただの友達ではなくなってしまったのだ。
 だったら洗いざらい告白し、徹底的に嫌われ、そうしてルルーシュから離れよう。
 彼がまだ友情の続きを望んでいるのだとしたら、それはもう出来ないのだと伝えよう。

「僕はルルーシュが好きなんだ。友達としてではなく、恋人になりたいって意味で」

 ルルーシュは僕の両足に跨ったまま凪いだ表情で僕を見ていた。はたから見ればなんとも滑稽な体勢だ。

「もちろん、受け入れてくれなんて言わないよ。男に告白されて気持ち悪いだろう? 友達を続けてほしいとは言わないし、君が嫌なら生徒会も、学校だって辞めていい。君の前から消えろと言われればそのとおりに――」
「一年だ」
「……へ?」

 ぽつりと呟かれた単語の意味がわからなくて首を傾げた。感情の読めない瞳が相変わらず僕をじっと見つめている。

「一年なら付き合ってやる」
「一年……?」

 付き合ってもいいと言われたことより、一年という期限のほうが気になった。

「来年になったら俺はブリタニアに帰国してどこかの令嬢と見合いをすることになっている」
「お見合い……?」
「見合いと言うより、両家の顔合わせと言ったほうが正しいか。俺の意思とは関係なくほとんど決まっている話だからな。だから、それまでならお前と付き合ってもいい。ただし、セックスはしない。キスまでなら許すが、その先は駄目だ。そういう条件でもいいのなら俺を恋人にすればいい」

 口元に浮かべられた笑みを茫然と見返すことしかできなかった。
 一年間限定。キスはいいけどセックスは禁止。それでも良ければ恋人になるとルルーシュは言っている。
 これは告白を受け入れてくれたということなのか。あるいは、来年になると結婚相手が決まるからその前に遊んでおきたいということなのか。
 すると、ルルーシュの笑みが深まった。
 古今東西、男を惑わす悪女がいるけれど、それはこんな顔をして微笑んでいたのかもしれない。この先に足を踏み入れたら身を滅ぼすとわかっていても、彼らは女を選ばずにはいられなかったのだろう。今の僕も似たような心境だった。
 腹の上に乗せられたルルーシュの手を掴むと、僕は勢いをつけて身を起こした。

「セックスするだけが恋人じゃないよ」
「真っ先に言うことがそれか」
「だって、それだけが目的だと思われるのは嫌だから」

 体が目的で告白したと誤解されるのは御免だ。もっとも、ついさっきトイレでルルーシュを思い浮かべて自慰をしてしまったことは口が裂けても言えないが。

「ルルーシュのほうこそなんで受け入れてくれるの? 僕を哀れんだり遊びのつもりなら……」
「哀れみや遊びで男を選ぶと思うか? 言っておくが、俺は別に同性が好きなわけじゃない。まだ顔も知らない相手ではあるが、将来の妻と幸せな家庭を築きたいという希望もある。お前とセックスしないのは男同士が嫌だとかそういうことではなく、無責任なことはしたくないからだ。体を繋げるのは生涯を共にすると決めた相手だけだ。でも――」

 不意にルルーシュが身を寄せた。そして、僕の肩に手を乗せると躊躇うことなくキスをしてきた。
 何が起こったのかすぐに理解できなかった僕は、しかしルルーシュからのキスという現実に思い至り、全身が一気に熱を持ったような感覚になった。
 ほとんど無意識にルルーシュの腰を抱き寄せる。

「ン……、っ、んぅ」

 口を開き、ルルーシュの唇を軽く食んでキスを交わす。
 放課後の図書館での口付けはいけないことをしているという気分を煽り、背徳感にぞくぞくするものを感じた。
 微かに漏れる吐息が僕の熱をさらに高め、触れた舌に吸い付いた。
 キスだけでこんなに夢中になったのも、キスだけでこんなに気持ち良いと感じたのも初めてだ。
 ルルーシュの腕が首に回り、自ら体を寄せてくれたことも僕の欲情を募らせた。
 いっそここでルルーシュを抱きたい。だけど、「セックスはしない」と言われたばかりであることを思い出して、下半身に溜まる熱を無理やり意識から逸らした。

「ぁ……」

 理性を総動員して唇を離すと、名残惜しそうな声がした。また欲が高まりそうになるのをなんとかこらえ、掌で目の前の頬に触れる。
 あんなに触りたいと思っていたルルーシュに堂々と触っているのが不思議な気分だ。
 目を閉じたルルーシュは、自分の頬をすり寄せるような仕草をした。それはまるで猫で、可愛らしさに口元が緩んだ。

「初めてした」
「何が?」
「キス」
「えっ」

 瞼が開き、紫の瞳が現れる。

「不服か?」
「不服どころかむしろ嬉しいけど……初めてが僕で良かったの?」

 不思議なことを聞かれたと言うように瞳が丸くなった。本当に猫みたいだ。

「嫌ならするわけがないだろう」
「そうだけど……」
「好きな相手とキスをしたいと思うのは普通じゃないのか?」
「好きな相手って僕のこと?」
「ほかに誰がいる」
「だって君はお見合い……」
「見合いはするが別に相手が好きなわけではない」

 結婚と恋愛は別物という考え方なのか。ルルーシュにとって結婚前に付き合うのは本気で好きな相手だけ、と言い切ってしまっていいのだろうか。

「じゃあ、本当に僕と付き合ってくれるの?」
「お前、俺が遊びで告白に応えたと思ったのか?」
「一年なんて言われたらどういうことか疑うに決まってるよ」
「心外だな」

 言葉ほど心外そうな様子ではないルルーシュは、頬に当てたままだった僕の手を上から柔らかく掴んだ。

「誕生日おめでとう」
「へ?」
「今日はお前の誕生日だろう?」
「あ……そうだった」

 すっかり忘れていた。
 今朝、家を出る前に一度思い出したのだが、どうせ帰ってもひとりだし、誕生日のことは誰にも伝えていないので祝ってくれる人はいないと思っていたため、頭の中から抜け落ちていたのだ。

「お前らしいな」

 肩を揺らしたルルーシュが、握る手に緩く力を込めた。

「なんで知ってたの?」
「転入してきたときにプロフィールを見せてもらったからな」

 ああなるほど、と納得する。それにしても、わざわざ祝ってくれるのは律儀だ。

「おめでとう、スザク」
「ありがとう」
「そういうわけで、今日から一年だ。来年のお前の誕生日に別れるという前提で構わないのなら、俺と付き合うか?」

 すぐには頷けなかった。
 おめでとうのあとにどれほど残酷な選択を与えているのか、果たしてルルーシュは気付いているのだろうか。
 両想いだとわかったのに、付き合い始めた瞬間から別れのカウントダウンをするというのは普通に考えればおかしい。
 彼には結婚相手がいるから仕方ないのだと頭では理解していても、感情はそう簡単に納得できるものではなかった。
 それに、付き合ってもセックスはしないという約束だ。セックスだけが恋人になる目的ではないと言ったものの、これでも多感な時期である。
 好きな人が目の前にいるのに一年間お預け、しかもその後は永遠に触れることができないなんて、苦行どころか拷問に近い。いくらキスは許されても、性欲という火にかえって油を注ぐようなものでなんの慰めにもならないだろう。
 ルルーシュと付き合ってもさっきのようにひとりでオナニーしなきゃいけないのか、と現実的なことを考えたら情けない気持ちになった。

「――わかった」

 色々と考えた末に、それでも僕は頷いた。
 好きだと言ってもらえて、期間限定だとしても付き合うことを許されたのだ。夢のような機会をみすみす逃せるほど僕は出来た人間ではない。
 ルルーシュの心の中に僕という人間を刻めるのならばたとえ一年間でもいいじゃないか。僕は自分自身に言い聞かせた。

「ルルーシュのことが好きだ。だから、僕と付き合ってください」

 改めて交際を申し込めば、ルルーシュがふわりと笑んだ。蕾が綻ぶような笑みとはこういうものを言うのだろうと、彼の綺麗な顔に見惚れながら思った。

「はい。よろしくお願いします」

 恭しく告げられた了承の返事に、顔を見合わせた僕達は小さく吹き出した。両手でルルーシュの頬を包み直し、触れるだけのキスをする。
 出来ることならこの幸せをもっと感じていたい。
 だけど、与えられた時間は一年だ。ならば、この一年を大事に過ごそうと僕は心の中で誓った。

「本がばらばらだな」
「ああ、そういえば」
「早く片付けて帰ろう。お前の誕生日だからな、なんでも好きなものを作ってやるぞ」
「ルルーシュが作ってくれるの?」
「ほかの人間がいいと言うのなら辞退するが」
「いないよ! そんな人いないから!」
「それは良かった」

 ルルーシュが立ち上がる。一気に重みが消えて、なんだか物寂しいような気がした。

「お前の家と俺の家、どっちがいい?」

 手を差し伸べられたのと同時に問われ、僕は「ルルーシュの家」と迷わず答えた。
 僕の家にはこれから何度も帰るけれど、ルルーシュの家には頻繁に行けないかもしれない。だったら、貴重なほうを選ばなければもったいない。
 ルルーシュの手に掴まるとようやく床から離れた。散乱した本を片付け、生徒会室へと戻る。
 その途中、僕は思い切って手を繋いでみた。ちらりと僕を見たルルーシュは、口元を緩めただけで文句は言わなかった。
 僕達、付き合っているんだ。そう実感してたまらなく幸せな心地になった。
 だから、後ろからひたひたと近付いてくる別れの時には気付かないふりをしていた。
 (17.07.08)