隣で一緒に電車待ちをしている友人にそろりと視線を向ける。
現在、絶賛片想い中の彼はいつ見ても溜め息をつきたくなるほど綺麗で、今日も朝からどきどきしていた。そんな彼だから物思いに耽る様子すら美しく、ほんの盗み見のつもりが目を奪われてしまう。
(って、そうじゃなくて)
自分自身に突っ込んだスザクは、改めてルルーシュの様子を窺った。
(具合でも悪いのかな……?)
今朝も普段のように駅のホームで待ち合わせた。そのときからどこか様子がおかしくて、おやと思ったのだ。
見たところ顔色は普通だ。呼吸も乱れていないから風邪や体調不良ではなさそうだ。しかしその視線はどこか遠くを見ていて、いつもの凛とした姿からは想像できないくらいぼんやりとしている。
やがて電車がホームに進入してきた。
「ルルーシュ」
立ち尽くす彼を呼ぶけれど反応はない。動かないと後ろの乗客に文句を言われてしまうだろう。スザクは細い腕を取った。
「スザク?」
「電車来たよ」
そのまま足を進める。すぐにぎゅうぎゅうとなった車内で二人の体が密着した。ルルーシュの体温と感触に心臓が跳ねるが、憂い顔を目にすると一気に下心が萎んだ。
結局、電車の中ではお互い一言も口をきかないまま最寄り駅に着いた。同じ学校の生徒たちが一気にホームへと吐き出される。
「ルルーシュ、大丈夫?」
「え……?」
ようやく声を掛けたのは改札を抜けたときだった。
「気分悪い?」
「そんなことはないぞ」
「でもずっと暗い顔してるから」
指摘するとルルーシュの顔に動揺の色が走った。気付かれていないと思っていたようだ。
「それとも何か心配事でもある?」
「心配事……か」
それきりルルーシュはまた黙ってしまった。通学路を歩く生徒はたくさんいるけれど、こんなに重い空気を背負っているのは自分たちだけかもしれない。
(本当にどうしたんだろう。ルルーシュがこんな暗い顔をしているのを見るのは初めてだな。もしかしてナナリーに何か……?)
ルルーシュが世界で一番大事にしている妹のナナリー。彼女に何かあったのだとしたら様子のおかしさにも納得が出来る。
思い返してみれば、ここ数日のルルーシュはずっとどこか上の空かもしれない。ぼうっとしていたり落ち込んでいたり、かと思えば何かに対して苛々していたり。
日頃の彼は常に冷静沈着で無闇に感情を荒げるタイプではなかったから、情緒不安定とも呼べる姿はとても珍しかった。
(聞かないほうがいいのかな。でもこのまま放っておけないし……)
ようやく友達になれたばかりで親友にはまだ遠い。片思い中なので当然恋人でもなければ家族でもない。そんな自分が気軽に悩みを聞いていいものか。
そもそも、聞いたところでルルーシュが悩みを打ち明けてくれるかどうか。
友達として付き合っていても、腹を割って話せる相手かどうかはまた別だ。実はあまり信用されていない可能性もある。もし拒絶されたらショックを受けない自信はない。でも、憂い顔のルルーシュを放っておくことも出来ない。
悩んだ末に、スザクは大きく息を吸った。
「ねえ、ルルーシュ」
当たって砕けろ。当たってみたからこうして友達になれたのだ。行動しなければ何も始まらないことは学習したばかりではないか。駄目なときは駄目なときだと腹を括る。
「僕で良ければ相談に乗るよ?僕なんかじゃ頼りないと思うけど、話を聞くくらいは出来るから。もちろん余計な詮索をするなって言うなら黙ってる」
ルルーシュの歩みがわずかに遅くなる。その歩幅に合わせてスザクもペースを落とした。学生たちがどんどん二人を追い抜いていくけれど、スザクはルルーシュだけを見ていた。
「……兄が、」
「え?お兄さん?」
こくりと首が動く。
「今まで話していなかったが、俺たちには腹違いの兄がいるんだ。兄と言っても一緒に住んでいるわけではないし、たまに顔を合わせる程度だから兄弟という感覚も薄いし、俺にとってはナナリーだけが家族だから今さら家族面をされても困るし」
「えっと、そのお兄さんがどうしたの?」
異母兄を快く思っていないような発言に慌てて口を挟む。
ルルーシュの兄という人がどういう人物で、家族にどういう事情があるのかはまったく知らないが、彼に家族の悪口なんて言ってもらいたくないと思った。独り善がりな考えだけど、ルルーシュには誰かを憎んだり罵ったりしてもらいたくない。
「一週間前に、俺のところに来たんだ」
兄と弟が会うのはなんら不思議なことではなかった。普通はこれほど深刻な顔をして打ち明ける話題ではないだろう。
「ルルーシュの家に?」
「いや、病院だ」
「じゃあナナリーのお見舞い?」
「一応ナナリーにも会って行ったが、本当の目的は――」
そこで言葉が途切れた。気付けば校門は目の前だった。駅から学校までゆっくり歩いたため、急がなければ朝のホームルームに遅刻してしまう。
でもスザクは急かさなかった。きっとルルーシュもいろんなことに迷っているのだ。
「スザク……、あとで少し時間をくれないか」
「うん、いいよ」
了承の言葉を伝えれば、ルルーシュが少しだけ表情を緩めた。
「ありがとう」
「友達の悩みを聞くのは当たり前のことだよ」
「そうか……。お前が友達で良かった」
どこか安堵したような声に、自分が友達として認められたのだと知る。悩みを打ち明けてもらえる友達のポジションに立てたことは嬉しい。
でも所詮は友達。結局、その域は抜けられないのだと複雑な気持ちになった。
が、今はルルーシュの悩みのほうが重大な問題だと思考を切り替える。
顔も名前も知られていなかった頃に比べたら大した進歩だ。贅沢を言ったらばちが当たる。
それに、ルルーシュに悲しい顔は似合わなかった。
昼休み。いつものように校舎裏で昼食を終えると、ルルーシュがぽつりぽつりと話を始めた。
異母兄――シュナイゼルと言うらしい――が日本に来た目的は、ナナリーの足のことだった。
彼女の足は治らないと言われていたが、ブリタニアの最新医療でなら治る見込みがある。ただし、少々難しい手術になるので数年は日本を離れなければいけないし、何より莫大な費用がかかる。だから兄妹揃ってブリタニアに戻って治療に専念しないかと、わざわざ日本まで来て伝えたそうだ。
その話を聞いたとき、スザクは複雑な気持ちを抱いた。
ナナリーの足が治るのはもちろん嬉しい。そのために日本を離れるのなら仕方がない。でも、ナナリーがブリタニアに帰るのなら当然ルルーシュもついて行くだろう。そうなればルルーシュと別れなければならない。
ナナリーの心配をしながらルルーシュとの別れを嫌だと思うなんて、自分は我儘な人間だ。
「この話は断わるつもりだ」
「えっ、どうして?」
意外な言葉に目を瞠った。ルルーシュはナナリーの足が治ることを誰よりも望んでいる。その彼が手術を断わると口にするのは信じられなかった。
「言っただろう、手術には莫大な費用がかかるって。もちろんナナリーの足は治したい。だがそんな金、俺は持っていないんだ」
「でも、それはお兄さんがなんとかしてくれるんじゃないの?だからブリタニアに戻れって言っているんでしょう?」
「それならなおさら断わる。あの家の援助は絶対に受けない。だいたい、今さら帰って来いという話自体おかしいんだ。どうせあの男の差し金に決まっている。ナナリーの手術を餌に俺たちを自分の目の届く場所に置いてあの家に縛り付けるつもりだ。それが嫌で逃げ出したのにここで帰ったらなんの意味もない」
常にはない口調で誰かを罵るルルーシュの顔はどこか悲痛だった。人気者の副会長が胸の内にこれほど激しいものを抱いているなんて学園の人間はきっと誰も知らない。
「あの男ってお兄さんのこと?」
「いや、」
否定したルルーシュは、少しだけ躊躇ったあと口を開いた。
「父親だ。母さんを見捨てた、最低な父親だ」
彼の母は五年前に交通事故で亡くなったと聞いている。そのときのルルーシュが暗い表情をしたので詳しくは聞かなかったけれど、父親が母親を見捨てたとはどういうことなのだろう。
部外者である自分があまり込み入ったことを訊くのは不快に思われるかもしれない。でも、ルルーシュが抱えているものを少しでも軽くしてあげたいと思ったし、こんな彼を放っておくことは出来なかった。
ルルーシュの手をそっと握り締める。彼は少しだけ肩を揺らしたけれど拒絶はされなかった。
「お父さんのこと嫌いなの?」
「大嫌いだ」
「どうして?」
「――ナナリーが事故に遭ったことは話しただろう?」
「うん」
「実はそのとき母さんも一緒だったんだ」
「じゃあ、もしかしてお母さんは……」
視線を落としたルルーシュが小さく頷く。
「母さんは即死だった。ナナリーも重傷で、異母兄姉たちは励ましてくれたけど俺は生きた心地がしなくて……。でも、そんなときだというのに父親は一度も見舞いに来なかった。母さんの葬儀にも出なかったんだ。そのくらいのことでって思われるかもしれないが、俺はどうしても許せなかった。憎んでいると言ってもいい」
五年前と言えばルルーシュはまだ子どもだ。母親を失くし、妹も瀕死の重傷で、生きた心地がしなかったというのは言葉以上の重みがある。たとえ兄姉が周りにいたとしても幼いルルーシュは心細かったに違いない。父親という絶対的な存在に頼りたかったのかもしれない。それなのに父親は一度も現れなかった。
愛と憎しみが表裏一体だとしたら、幼いルルーシュは父親のことを愛していたのではないだろうか。
もし父親が最初から酷い人間なら見舞いなんて期待しないし、来なかったとしても予想の範囲内だ。しかし、見舞いにも葬儀にも顔を出さなかった父親をルルーシュは憎んだ。期待していたからこそ裏切られたと思い、幼い心は傷付いたのかもしれない。
(家の援助を受けたくないというのは、父親の手を借りたくないということなんだろうな)
せっかく妹の足が治るチャンスなのに馬鹿だと他人は言うかもしれない。だけど、人にはどうしても譲れないものがある。それが愚かなことだと自分自身でわかっていたとしても譲りたくない、譲れないのだ。
「でも、今回の話を持ってきたのはお兄さんだよね?お兄さんの手を借りるのも嫌なの?」
「兄上には今でも助けてもらっている。でも、これ以上の援助は俺自身が嫌なんだ。ブリタニアは一夫多妻制で、父親には母さんのほかにも大勢の妻がいるんだが、誰が自分の子どもを後継者にするかでいつも争っているような家だ。そんな家に俺とナナリーが帰っても面倒事に巻き込まれるだけだ」
実家はブリタニアでそこそこ名の知れた家なのだと教えられ、ルルーシュが頑なになっているのは父親だけが理由ではないのかもしれないと気付いた。そんなのは小説やドラマの中の話だと思っていたけれど、現実でも家族同士で醜い争いがあるらしい。
「俺がナナリーと一緒に日本にやって来たのは父親や家から離れたかったからなんだ。ちょうど母さんの知り合いが日本にいて何かと助けてもらった」
「それじゃあ日本に頼りになる知り合いがいるんだね」
「ああ。実は会長の実家だけどな」
「え……会長って、あの会長!?」
予想外の繋がりに思わず素っ頓狂な声を上げれば、ようやくルルーシュが小さく笑った。
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
「だって聞いたことがなかったから……」
「話さなかったからな」
教えてくれたら良かったのにと不満を漏らすと、会長に迷惑をかけたくなかったんだと返事が返ってきた。自分は周囲からあまり好かれていないと勘違いしていたルルーシュらしい配慮だ。
笑みが出たことで固かった空気が少し緩む。
「すまない、つまらない話をして」
「つまらなくないよ。僕のほうこそ、話を聞くことくらいしか出来なくてごめん」
「そんなことない。スザクに話せてすっきりした、ありがとう」
どういたしましてと答えながら、スザクは密かに落胆していた。自分ではルルーシュの気持ちを変えられないのだ。
これはルルーシュと家族の問題である。部外者が口出しすることではない。でも、いつまでも父親を憎み続けるだけでは何も変わらないし、このままではルルーシュもナナリーも救われない。
(ルルーシュの気持ちを変えることが出来るとすれば、それは――)
彼の最愛の妹の顔が浮かぶ。彼女ならきっとルルーシュに意見できるだろう。
しかし他人でしかない自分が、ルルーシュを差し置いて援助や手術の話をするわけにはいかない。そんなことをすればルルーシュは信頼していた友達に裏切られたと思い、父親と同じように憎むかもしれない。
(結局、僕は何も出来ないんだな)
隣で弁当箱を片付けるルルーシュを窺いながら、スザクは心の中で溜め息をついた。
ただ見守ることしか出来ない自分がひどく歯痒かった。
(13.4.21)