「ちょっと」
最初はそれが自分を呼び止める声だと気付かなかった。しかし、「待ちなさいよ枢木スザク!」とフルネームで呼ばれて振り返った。
「カレンじゃないか。こんなところで何してるの」
ロビーの壁にもたれてスザクを見ていたのは、同級生の紅月カレンだった。
彼女とは幼い頃から同じ道場に通っていて、高校では共に剣道部に所属している。友達ではないし、彼女からはあまり好かれていないと薄々感じているのでお世辞にも仲が良いとは言えないが、ある意味では腐れ縁と呼べた。
「私が病院にいるのは似合わないって言いたいの」
棘のある声に思わず苦笑いする。
「そういうことじゃなくて……。君も誰かのお見舞い?」
「そのことであんたに釘を刺しておきたいことがあるんだけど」
スザクは首を傾げた。学校や道場ならともかく、この病院に関しては彼女との接点はない。なのに、なぜ怖い顔で釘を刺される必要があるのか。
「ここじゃうるさくできないから外に出ましょう」
「え、でも僕はもう帰るつもりで、」
「いいから来なさい。すぐに終わるわ」
有無を言わせぬ雰囲気に、小さく溜め息をつくと足を進めた。嫌われているとわかっていてもここまであからさまだとさすがに少々へこんでしまう。
病院の出入り口を抜けて裏の駐車場に出た。まさか決闘でも申し込まれるのではと思っていると、カレンが立ち止まった。そしてスザクのほうを振り向いてきつく睨み付ける。
しばらく言葉はなかった。葉と葉の擦れる音が聞こえるほどの静寂の中、カレンの言葉を固唾を飲んで待つ。
「ルルーシュとナナリーに近付くのはやめてちょうだい」
「へ……?」
じりじりと待った末に告げられたのはまったく予想していなかったことで、スザクはぽかんと口を開けた。
「あんたが近くにいるのはあの兄妹にとって害だわ。今後一切の接触をやめることね」
「ちょっ…、え、待って、なんでカレンがルルーシュとナナリーのことを?ルルーシュは同級生だからともかく、どうしてナナリーのことまで知っているんだ」
「軽々しく二人の名前を呼ばないで!だからあんたなんて大嫌いなのよ。とにかく、ルルーシュたちにはもう近付かないで」
何がどう繋がって「だから大嫌い」なのかわからない。ただ、彼女はランペルージ兄妹のことを知っていて、彼らと仲良くするなと言っている。事情も背景もまったく理解できないが、スザクの中ではすぐにひとつの答えが浮かんだ。
「嫌だ」
「なんですって?」
カレンが眉間に皺を寄せた。
「ルルーシュは僕の友達だ。そして、ナナリーは友達の大事な妹だ。彼らが僕から離れることはあっても、僕のほうから彼らと離れるつもりはない。だいたい、どうしてカレンがそんなことを言うんだ」
「私は親戚よ。昔から二人をよく知っているし、ルルーシュとナナリーは私が守りたいと思っている。だからスザク、あんたがルルーシュと友達だってことが許せない」
「僕、君から恨まれるようなことをしたつもりはないんだけど……」
思わず愚痴っぽく言えば、カレンが視線を険しくした。
「ええ、そうね。あんたから何かされたことはないわ。でも私はあんたが大っ嫌い」
女の子から大嫌いとはっきり言われるのはさすがに傷付く。自分がもてるなんて自信を持っているわけではないけれど、嫌われていると知って喜ぶ男はいないだろう。いたら余程の変態だ。
「あんたって今は博愛主義を気取って誰にでも優しくしてるけど、小学生の頃は随分と乱暴だったわよね。道場の帰りに近所のガキ大将や上級生と喧嘩してるのを何度も見たことがあるわ」
「あれは若気の至りと言うか、まだ子どもだったし……」
「じゃあ最近は?道場の外にいっつも女子が待ってて、練習が終わったら毎日のように差し入れ攻撃されて、それをあんたは嫌がる素振りも見せずに嬉しそうにもらってるじゃない。うちの学校だけじゃなく、他校の生徒にも手を出してるって噂が流れても仕方ないわよね」
「えっ、何その噂!?」
カレンの口から飛び出した話に目を剥いた。中学時代は彼女がいたけれど、高校に入ってからは誰とも付き合っていない。だいたい、自分は一年のときからルルーシュに片想いをしているのだ。ほかの女の子に手を出す暇なんてないし、そんな不誠実なことはしない。
剣道部の練習が終わると差し入れをもらうのは事実だが、彼女たちの好意を無碍にすることが出来ないだけで変な下心も持っていなかった。
「嘘だよ、それ嘘だから!」
焦って否定するスザクをカレンは冷ややかに見ていた。
「まあ、噂に関しては予想通りね」
「へ?」
「あんたの場合、単に天然で優しくしているだけで、あの子たちにはなんの関心も持っていないんだろうなとは思っていたのよ。だからうちの学校の子も他校の子も、勘違いして浮かれて馬鹿みたいと思ってた」
「カレンは噂を信じていないの……?じゃあ、僕を嫌いな理由って?」
「私があんたを嫌いな理由はその前よ」
その前とはどのことだろう。ほんの十数秒前の会話を記憶の中から手繰り寄せる。
「まさか、乱暴者だったから?」
どうやら正解だったらしく、腕を組んだカレンはスザクを睨み付けた。もし視線で人を殺せるなら間違いなく殺されていただろうと思えるほど、その瞳にはスザクに対する怒りが籠もっていた。
「昔も今も、力であんたに敵う奴はいない。悔しいけどそれだけは認めるわ。でもね、あんたが乱暴者だったせいでなんの関係もない人間に害が及ぶことを私は絶対に許さない」
「それってどういう……」
「五人ぐらいの近所の悪ガキと喧嘩して圧勝したことを覚えている?」
「えっと……なんとなく」
覚えているような、覚えていないような、子どものときの出来事なので記憶が曖昧だ。
当時は少々喧嘩っ早いところがあり、口より先に手が出ていたかもしれない。でも理不尽な弱い者いじめをしたことはなく、むしろ弱い者をいじめる強い人間に対してひとりで挑んでいた。
それがカレンの嫌悪とどう繋がるのか、話の先が見えない。
「悪ガキを懲らしめたこと自体は別にどうでもいいわ。だけど、あんたに負けた連中が腹いせにルルーシュに手を出したって教えてあげたら、私があんたを嫌っている理由を理解してくれるかしら」
初めて知った事実に目を見開く。
数年前はまだブリタニア人が珍しく、異分子を排除しようとする風潮が子どもたちの間にも蔓延していた。子どもの頃から日本に住んでいるルルーシュが同じ目に遭っていた可能性は充分ある。しかし間接的な原因が自分だったなんて、そんな悪い偶然があるものだろうか。
眉間に皺を寄せたカレンが、当時を思い出すように表情を曇らせた。
「ルルーシュへの嫌がらせはよくあったけど、五対一はさすがに酷かったわ。あいつら、はっきりあんたの名前を口にしていたのよ。ルルーシュはあの頃まだあんたのことを知らなかったけど、一緒に道場に通っていた私はすぐにわかった。だから私はあんたが嫌いよ、スザク」
「僕は……」
何も言い返せなかった。
子どもの頃の話だ。そんなのはカレンの言いがかりだと切り捨てることは簡単だ。
だけど、たとえ間接的だったとは言え、自分のせいでルルーシュを傷付けてしまった。彼を好きだからこそ、カレンが自分を嫌いだと公言する理由がわかった
「ルルーシュに、あんたとの友人関係をやめろって言ったわ」
「え!?」
ルルーシュに良からぬことを吹き込んだのではないかと青褪める。自分のことを嫌っている彼女のことだ、過去の出来事を誇張して聞かせたのではないか。
しかしカレンの顔に勝ち誇った色はなく、代わりに溜め息をつかれた。
「でも断わられた。どんなに頼んでも私の頼みは聞けないって言われたわ」
「え……」
「何よその顔、すっごくむかつく」
ぎろりと睨まれ、ぶんぶんと首を振った。どんな表情をしているのかなんて自分ではわからないのだから文句を言われても困る。
「良かったわね、友達として認めてもらえて。あーあ、ルルーシュはなんでこんな男を友達に選んだのかしら」
「そう言われても……」
「ルルーシュにとっては初めての友達だから仕方なく許すけど、私はあんたを認めたわけじゃないんだからね。勘違いしないでちょうだい。それに、悔しいけどナナリーもあんたのことを好きみたいだし、許さないわけにはいかないじゃない。でもね、もしあの兄妹を泣かすようなことをしたら私があんたを殴ってやるんだから覚悟しておきなさい!」
「は、はい!」
殊勝な返事をすると、言いたいことを言い切ってひとまず落ち着いたのか、カレンがもう一度溜め息をついた。
「もしあんたが私の脅しに負けて友達を辞めるなんて言い出したらぼこぼこにしてやろうと思っていたのに」
「それってつまり、どれを選択しても僕はぼこぼこにされるってことじゃ……」
「当たり前じゃない。どんな形でもルルーシュを傷付けるのは許さないわ」
それこそ酷い言いがかりである。が、余計な口を挟むとまた睨まれて罵詈雑言を浴びせられそうなので黙っておいた。
「とにかく、私が言いたかったのはそれだけ。目的は達せなかったからもう帰るわ」
「カレン!今度、皆で一緒にお茶をしようよ。多分、ルルーシュもナナリーも喜ぶ」
兄妹の名前にカレンの表情が一瞬だけ和らいだが、すぐに眉を寄せられた。
「あんたと一緒にお茶なんて御免よ」
言い捨てた彼女はくるりと背を向けた。断わられてしまったけれど、その雰囲気は最初よりずっと柔らかくてスザクは小さく笑った。兄妹が強く押したら渋々ながらも了承してくれるかもしれない。
「僕も帰ろう」
カレンの姿も見えなくなり、今度こそ家路につく。
ルルーシュが自分のことを友達だと言ってくれた。そのことがひどく嬉しい。同時に、過去の行いで彼を傷付けてしまって申し訳ないと思う。
ルルーシュに話せば、そんな昔のことと笑い飛ばしてくれるかもしれない。でも、傷付けたのは事実なのだ。
(守りたい、ルルーシュを)
二度と傷付けたくない。傷付いて欲しくない。だから、自分が守るのだ。
その役目をカレンには譲りたくなかった。
(会いたいな)
別れたばかりなのにもうルルーシュの顔を見たくなっている。
好きな気持ちは日増しに大きくなっていて、気付けばルルーシュのことばかり考えていた。過去に女の子と付き合った経験はあるけれど、身を焦がすような想いを抱いたことはなかったから、これが人を好きになるということなのかと初めて知ったような気持ちだ。
(早く明日にならないかな)
いつものプラットホームに立ち、笑顔で自分を迎えてくれるルルーシュの姿を想像する。それだけでスザクの心はあたたかさに溢れた。
* * *
「俺はもう帰るけど、もし何かあったらすぐにナースコールで看護師さんを呼ぶんだよ。いいね?ナナリー」
「はい、お兄様もお気を付けて」
「じゃあ、また明日」
にこやかな笑みを浮かべたまま病室のドアを閉めると、面会者用の出口へ向かった。面会時間の終了間際だからか廊下に人の姿はなく、ルルーシュの靴音だけがこつこつと響いていた。
「ナナリーちゃんのお兄さん!」
呼び止める声に振り返れば、いつもナナリーに付いてくれている看護師がいた。どうしたのだろうと、方向転換をして彼女のもとに向かう。
「お帰りのところを申し訳ないのですが、先生がお呼びです。一緒に来てもらってもいいですか?」
緊張に心臓がどくりと鳴った。これまで医者に呼び出されて良い知らせがあったためしがない。
最近のナナリーは調子がいいと思っていたが、もしかしてどこか悪いところが見つかったのだろうか、それとも――。
ともすれば嫌な想像ばかりの思考を振り払いながら、ルルーシュは看護師に連れられた部屋に入った。
「先生、お連れしました」
「ありがとう。ルルーシュ君、こちらに来てくれるかな」
「はい、失礼します」
声の主はナナリーの主治医で、パーテーションに遮られているため姿は見えない。ルルーシュは迷うことなく足を進め、向こう側へと顔を覗かせた。
そして、大きく目を見開いた。
「やあ、ルルーシュ。久しぶりだね」
思わず絶句する。
主治医ではないもうひとりの人間。ここにいても不思議ではない人物だけど、彼は仕事で忙しいはずだからどうしてここにという疑問を抱く。第一、ナナリーの病室ではなく主治医のところにいるのはなぜなのだ。
「シュナイゼル、兄上……」
呆然としたまま名前を漏らせば、腹違いの兄がにこやかな笑みを浮かべた。
彼に会うのは三ヶ月ぶりだった。
(12.7.1)