プラットホーム 4

 視線の先に見慣れた後ろ姿を見つけ、スザクは息を吸い込んだ。
 (落ち着け落ち着け、落ち着け心臓)
 どくんどくんといつもより心臓が鼓動を大きく響かせているのは、ホームまで急いで走ってきたせいだけではないだろう。
 思い切って足を踏み出した。朝のホームは人が慌ただしく動いていて、ぶつからないよう目的の背中を目指す。
 幸い、彼の後ろに並んだ人間はなく、スザクはもう一度息を吸い込んだ。

「おはよう、ルルーシュ」

 名前を呼ばれるとは思っていなかったらしいルルーシュが驚いたように振り返った。紫の瞳が丸まっていて可愛らしい。その表情が固いものから柔らかいものへと変わる。

「おはよう。お前もこの時間なんだな」
「うん」

 昨日、電車で助けてもらったお礼ということでカフェに誘われ、そこで二時間ほどルルーシュと話をした。
 とても楽しく、あっという間に過ぎてしまった時間。「そろそろ夕飯だから」と切り出され、引き留めたいくらいには名残惜しさを感じていた。
 そのとき、自分もルルーシュと同じ駅から通っていることをさり気なく伝えたのだ。自分の姿を見かけたことがあるのではないかという淡い期待を抱いての発言だったのだが、ほぼ毎日同じホームから同じ電車に乗っていたというのに、どうやらルルーシュはスザクを一度も見た記憶がなかったらしい。
 朝のラッシュ時だし、スザク自身、電車に乗る乗客全員の顔を覚えてはいないけれど、それほど印象に残らないタイプなのかとほんのちょっとだけ凹んだのは致し方ないだろう。
 しかし、念願叶ってまずは知り合いになれたのだから、今日から少しずつ自分の存在を植え付けていけばいいと思い直した。

「ルルーシュこそ、いつもこの時間なの?」

 わかっていることを本人に訊くのは白々しい気もしたけれど、ストーカー紛いに追いかけていたから知っていますとは口が裂けても言えない。

「ああ、俺はいつもこのくらいだな」
「そっか、僕と同じだね。じゃあさ……」

 緊張に言葉が途切れる。
 ルルーシュ的には昨日知り合ったばかりの人間。同じ学校に通う同級生というだけでほかにはなんの繋がりもない人間が、ずっと夢だったある提案を口にしていいものだろうか。
 躊躇ったものの、勇気を出さなければ何も進まないことは昨日の一件でよく理解した。
 どうせ後悔するなら当たって砕けたほうがいっそ諦めもつく。

「もっとルルーシュと話したいから、毎朝学校まで一緒に行かない?クラスが違うとなかなか顔を合わせる機会もないし……」
「俺は構わないぞ」
「……えっ、本当!?」

 予想外にあっさりともらえた答え。即答と言ってもいい言葉に、一瞬、頭の中が真っ白になって反応が遅れてしまった。

「で、でもほかの人と約束があるとか、生徒会の予定があるとか、そういうのはないの?」
「一緒に通学するような人間はいないし朝から生徒会の予定もないから大丈夫だ。でもどうしてそんなことを訊く?スザクのほうこそ、実は約束している相手がいるんじゃないのか?」

 ルルーシュの表情が微かに陰った気がしてスザクは慌てた。

「僕は大丈夫!全然大丈夫!」
「本当に?」
「本当に!」
「……それなら良かった」

 ルルーシュが微笑んだのと電車がホームに到着したのは同時だった。
 自分だけに向けられた表情に思わず見惚れてしまったが、動き出した人の流れにハッとして足を動かす。満員の車内で密着した体に緊張するけれど、よこしまな気持ちは先ほどのやり取りを思い出すことで消えた。
 良かった、と安堵したように笑ったルルーシュ。その安堵はどれに対するものだったのだろう。
 彼には学校で特別仲良くしている相手がいないようだ。生徒会メンバーとは気さくに話しているものの、特定の誰かと仲がいいという噂は聞いたことがない。嫌われるどころかむしろ男女問わず人気があるのに取り巻きが出来ることもない。
 自ら壁を作っているのか、恐れ多くて周囲が尻込みしているのか、理由があるとすればきっとどちらかだろう。
 (今のルルーシュの反応を見ると、人と話したり接したりするのはそんなに嫌そうじゃないから、ひょっとしたら後者かも)
 憧れが強すぎて話しかけられない、という心境はスザクにもよくわかる。でもルルーシュの立場になれば、自分は誰からも興味を持ってもらえず、嫌われているに違いないと勘違いしてしまうかもしれない。
 (それなら僕も反省だな……)
 憧れを抱くことは自由だ。だけど、その憧れがかえってルルーシュを孤独にさせてしまったかもしれないと思うと申し訳ない気持ちである。
 結局、混雑した車内では話しかけることが出来ず、いつもと同じ時間をかけて最寄り駅に到着した電車をいつもと同じように降りた。いつもと違ったのは、ルルーシュの後ろ姿を見送らなくていいということだ。

「大丈夫?」

 人の波をやり過ごし、ホームがだいぶ静かになったところでようやく声をかけた。

「ああ……なんとか……」

 すると切れ切れの息で答えが返ってきた。昨日もだったが、本当にルルーシュは体力がないらしい。遠目で見ているだけでは気付かなかったけれど、これでよく電車通学が出来るものだと違う意味で感心してしまうくらいだ。
 あるいは、普段は一人で周りの目もあるから平気なふりをしていたのかもしれない。でも、昨日はちょっとしたイレギュラーがあったし、今日は見知った人間が傍にいるから気が緩んでいるのかもしれない。
 (僕がいるから……?)
 自分に都合の良すぎる仮説ではあるものの、少しくらいは夢を見てもいいではないかと心の中で反論する。

「ルルーシュを一人で電車に乗せるのは心配だなぁ」
「失礼な。俺は子どもじゃないぞ」

 ようやく息を整えたルルーシュがムッとしたように言う。

「そういう意味じゃなくて、昨日みたいなことがあったら僕が困るってこと」
「どうしてスザクが困るんだ」
「君のことが心配だから。友達が毎日毎日満員電車で押し潰されているのかと思ったら不安でたまらないよ」

 “好きな人”と言いたいところを“友達”と言い直したが、間違ったことは言っていない。そもそも、昨日知り合ったばかりの仲で友達と口にしたのはかなり勇気がいることである。しかし、強引なくらいに攻めていかなければ何も進まないのだ。
 ルルーシュはどんな反応をするだろう。まだ友達じゃないと否定されたらショックだな、と思いながらこっそり窺った。
 そこには、スザクをまじまじと見つめる紫の瞳があった。

「俺は、お前の友達、でいいのか?」

 何を言われるのかと緊張して待っていたスザクは、その一言にぱちくりとまばたきをした。「友達なのか?」ではなく「友達でいいのか?」は予想外の質問だ。

「僕はルルーシュのこと友達って思ってるんだけど、ダメかな」
「駄目なわけがない、むしろ嬉しいくらいで……。でも本当にいいのか?」
「どうして?」
「スザクが嫌われるかと思って」

 予想のさらに斜め上を行く発言に、スザクは今度こそ目を白黒させた。

「皆、俺とはあまりかかわりたくないようで、こちらから話しかけても逃げられるんだ。俺が嫌われているのは俺の問題だから別に構わないんだが、俺のせいでもしスザクにまで害が及ぶようなら申し訳ないから……」
「えっ、あの、ルルーシュ、皆はそういうつもりじゃなくて、えっと、」

 何をどう弁解すればいいのか。まさかルルーシュがそこまで考えているとは思わず咄嗟に言葉が出てこない。

「君のことが好きなんだよ!」

 叫んだのと同時に電車がホームへ到着し、幸いにもスザクの声はかき消された。周囲の人々も聞こえていなかったようだ。が、目の前にいるルルーシュにはしっかり聞こえただろう。
 散々迷った末に自分は何を口走っているのだと一気に血の気が引く。

「……好き?」
「す、好きっていうか、皆、友達としてルルーシュのことが好きなんだよ。でもなかなか勇気を出せなくて、それで声もかけられないだけで嫌いってことはないんだ。嫌いなどころかちゃんと好きだから」
「そうなのか?」
「うん!」

 首を傾げているルルーシュは、自分が皆から好かれているなんて信じられないという顔をしている。一方、スザクはと言えば、ひとまず誤魔化せたことに胸を撫で下ろしていた。
 同じ男に好きと言われて恋愛の意味で受け取られることは普通はないだろうが、余計な誤解をされては困る。いずれは気持ちを知ってもらいたい願望はあるものの、今はまだ困るのだ。

「頭がいい子って憧れるけど少し取っ付きにくい印象があるって言うか。だから皆、本当はルルーシュともっと話したいんだけど、緊張して気軽に声をかけにくいんだよ」
「それはやはり俺に原因があるのでは……」
「あーっ、だからそうじゃなくて!だって、僕も勇気がなくてルルーシュを見てるばかりだったから」
「スザクが?」

 小さく頷き、正直に喋ってしまっても大丈夫だろうかと少しだけ躊躇った。でも、このままではルルーシュの不安を取り除くことが出来ない。
 (――よしっ)
 好きだから、という部分を隠せば問題ないはずだと判断し、「学校に遅刻しちゃうから歩きながら話そうか」と提案して歩を進めた。
 改札を抜けると、駅前の通りには出勤途中のサラリーマンや同じ学校の生徒たちが行き交っていた。
 朝の何気ない風景。この中からルルーシュの姿だけを探し出して見つめていた。
 仲良くしたい。でもきっかけがない。そうして何も出来ずに過ごした一年を思えば、昨日からの変化は劇的で本当に夢のようだ。
 ゼロから始まったのなら、初めから失うものなど一つもない。どうせ後悔するのなら何かをやって後悔しよう。

「実を言うと、ルルーシュのことはずっと前から知ってた。毎朝同じ電車だし、学校でもときどき見かけていたし、生徒会副会長だし、――何より綺麗だし」
「綺麗?」
「あっ、変な意味じゃないから!変じゃないって言うのもちょっとおかしいんだけど……、ルルーシュは美形だから」
「俺が?」
「もしかして自覚ない?」

 確かめると難しい顔をされてしまった。
 十人いれば十人が美人と評するであろうその人は、自分がどういう風に見られているかまったくわかっていないらしい。
 (皆に嫌われてるって勘違いしてたくらいだし無自覚にも程があるって言うか……。もしかしなくても実はかなりの天然?)
 そういえば、学校で女子たちから痛いくらいの視線を集めていてもルルーシュは平然としていて、人気者は慣れているから平気なのだろうと思っていた。しかし実際は、単に視線に気付いていなかっただけなのかもしれない。
 (これは……ルルーシュ自身が最大の関門かもしれない)
 ライバルがたくさんいるのは最初から覚悟しているし、男同士という時点で大いに不利なのに、そもそもの問題としてどんなアプローチもルルーシュには効果がないのかもしれない。
 一年かけてようやく友達になれたけれど、さらに先へと進むのは相当な困難がありそうだ。

「じゃ、じゃあさ、今までに告白された経験は?女の子にもてるでしょう?」
「告白されたことはあるが……」

 一度言葉を切ったルルーシュはまだ難しい顔をしている。

「今まで誰にも聞けなかったことなんだが、告白というのは気持ちを伝えたらそれで終わるものなのか?」
「どういうこと?」
「俺に告白する子は皆、好きだと言えただけで満足だって言うんだ。ありがとうと礼を言われたこともある。だから告白とはそういうものなのかと思っていたのだが、リヴァル……、リヴァルというのは生徒会メンバーなんだが、そいつに聞いたら変な反応をされてしまって。何がおかしいのか訊いても教えてくれないんだ」
「あー……」

 リヴァルという少年は知っている。ルルーシュについて教えてくれたクラスの情報通とは実はリヴァルのことだ。だけど、スザクは最初に教えてもらった以上のことは聞いていないし、リヴァルを介してルルーシュとお近付きになろうともしていない。
 もちろん、同じ生徒会メンバーでルルーシュとも仲が良い彼と親しくすれば何か情報がもらえるかも、という打算が働かなかったと言えば嘘になる。しかし、好意に疎いルルーシュも下心には敏感らしく、そうやって近付く人間を警戒しているとリヴァルから聞いたことがあった。何より、コネを使うのは卑怯な気がして、正々堂々と正面からルルーシュと知り合う道を選んだのだった。
 そのリヴァルが事実を教えなかったのはルルーシュを慮ってのことだろう。ひょっとしたら、少しくらいは面白がる気持ちがあったかもしれない。
 ルルーシュに告白する女の子は、きっとどの子も相当の勇気を持って伝えたに違いない。顔が良くて頭も良いルルーシュは学校中の憧れだ。そんな彼が自分と付き合ってくれるはずがない、でも気持ちは伝えたい。葛藤の結果が、「好きだと言えただけで満足だ」という言葉なのだろう。その気持ちはスザクにも理解できる気がした。
 (だけど、僕は彼女たちとは違う)
 好きだと言いたいし、出来ることなら恋人として付き合ってもらいたい。気持ちを伝えるだけで終わりになんかしたくない。
 (今までそういう子ばかりだったってことが奇跡だよ。既成事実を作ってでもルルーシュを手に入れたいと考える女子がいなくて本当に良かった)
 本気でルルーシュと恋人になりたいと思うのなら手段はいくらだってある。今までその毒牙にかからずに済んだというのは奇跡だ。
 ふと、リヴァルや生徒会メンバーあたりが手を回しているのかもしれないと思った。もしリヴァルが告白の在り方をルルーシュに教えていたら、恋愛に関して無知で無垢な彼は、告白してくれたからという理由だけで受け入れてしまうかもしれない。そんな想像をしてぞっとする。

「スザク?どうかしたのか?」

 すっかり自分の世界に入り込んでいたスザクは、不安そうな声にようやく我に返った。

「そ、そうだね、リヴァルはきっとルルーシュのことを考えて何も話さなかったんだよ」
「俺のことを考えて?ならば本当のことを教えたほうが早いじゃないか」
「でも物事には順序ってものがあるから。……ちなみに、好きな子っている?」

 質問が唐突だったのか、ルルーシュはきょとんとした表情を浮かべた。

「ルルーシュに好きな子が出来たら、そのときまた告白の本当の意味を教えてもらえばいいよ」
「いいのか?それで」
「うん」

 今はね、と心の中で呟いてスザクは笑った。その相手が自分だったらいいのに、という希望を付け加えることも忘れずに。
 顔を上げれば見慣れた校門があった。駅から十三分程度の道のり。いつもは授業が面倒くさいと思いながら歩くせいか遠いと感じるのに、今日はあっという間に着いてしまった。楽しければ楽しいほど時間が早く過ぎ去ってしまうなんてまったくひどい話だ。

「じゃあ、僕は部室に寄って教室に行くからここでお別れ」
「なあスザク、明日も……」

 言いにくそうにしたルルーシュに笑みを向けた。

「明日もホームの同じところで待ってて。あ、でも明日は僕が君を待てるようにもっと早起きするから」

 そう告げると、ルルーシュが口許を綻ばせた。この表情を思い出すだけで今日一日を乗り切れそうなほど綺麗な笑みだった。
 相変わらず数学は苦手だし、英語も好きじゃないし、化学も古文もつまらない。
 だけど、明日もルルーシュに会える。今日を頑張ればまたルルーシュに会える。そんな些細なことがスザクには何よりのパワーになった。
 ルルーシュが好きだ。
 一昨日よりも昨日よりももっと好きだ。
 溢れるくらいの気持ちという表現があるけれど、好きという気持ちはきっと無尽蔵だ。だからこそ自分はどこまでも頑張れる。
 部室へ向かう足取りはいつもの二倍も三倍も軽かった。
 (12.3.15)