「枢木」
教室を出たところで自分を呼び止めた声にまさかと思い、これは幻聴だと言い聞かせながら振り返って、そしてスザクは固まった。
「突然すまない。今、急いでいるか?」
目の前に立っていたのはルルーシュだった。
「え、いや、そっ、そんなことは」
「じゃあ少しいいか?」
問われてこくこくと頷く。すると、ルルーシュがふわりと笑った。惚れ惚れする、とはこのことだと頭の片隅で他人事のように思う。
廊下の端で立ち止まった二人を好奇の目で見てくる生徒がいて、ルルーシュに気付かれないよう睨みを利かす。前を向き直ると人懐こい笑みを浮かべてみせた。
「えっと、それで僕に何か?」
「今朝のお礼を改めてしたいと思って。助かった、本当にありがとう」
「そんなのわざわざいいのに。困ってる同級生を助けただけだよ。……あれ?でもよく僕のクラスがわかったね」
ルルーシュは目立つ存在だからちょっと調べればクラスも名前もすぐにわかるけど、自分はごく普通の高校生男子だ。制服が同じだから同じ学校だとわかっても、顔だけで学年やクラスまで知るのは難しい。
すると、ルルーシュがはにかむように口許を緩めた。
「あのあと知り合いに会って、そいつが枢木のことを知っていたから色々と聞いたんだ。勝手に調べてすまない」
「ううん、全然気にしないから大丈夫」
自分もルルーシュのことを勝手に、しかも下心付きで調べているのだから彼を責めるようなことは出来ない。むしろ、彼のほうから自分を知ろうとしてくれたのかと嬉しささえ感じる。
「それで、わざわざお礼を言いに来てくれたの?」
「ああ。枢木はこのあと部活か何かあるか?」
「剣道部には入ってるけど今日は休み」
「そうか……。ならば少し付き合ってくれないか?」
「えっ!?」
突然の告白にスザクは変な声を上げた。まさかルルーシュも自分のことが好きなのか?と期待に胸が膨らむ。
「お礼と言ってはなんだが、帰りにお茶でもご馳走させてもらえないかと思って。俺の好きなカフェがあるから良ければどうだろう?」
「あ……、そ、そうだよね、そういう意味だよね」
「どういう意味だと思ったんだ?」
「いや!気にしないで!」
恋愛の意味での付き合ってが浮かぶなんて自分も相当重症だ。勘違いしたことを気付かれなくて良かったと安堵する。
「なんだかよくわからないが……、付き合ってくれるか?」
「うん、いいよ」
「本当か?」
ルルーシュがほっとしたような顔をする。断られるかもしれないと内心では緊張していたのかもしれない。今まで顔も名前も知らなかった同級生に声をかけるのだ。誰だって少しはどきどきするものである。
(なのに僕をお茶に誘おうとしてくれた……)
いくらお礼でも嫌いな相手ならここまでしないはずだ。ならば、少なくとも好意は持たれていると解釈してもいいだろう。
(それは事実なんだから別に自惚れてはいないよね)
自分自身に確認する。そうでもしないと勘違いしてしまいそうだった。
「十分後ぐらいに出られるか?俺も鞄を取ってくるから」
「わかった。待ってる」
じゃあ、と背を向けたルルーシュをスザクはぼんやりと見送った。
数秒前のやり取りがまるで夢のようだ。いや、夢なのではないか。実は夢でしたと言われたほうが安心するかもしれないくらい現実味がない。
「待ってる、か……」
まるで彼女に対する科白みたいだ。そもそも、男子高校生がカフェでお茶をするなんて発想がなかった。友達と行くのはファーストフード店やファミレスで、デートでもなければカフェに行くようなことはスザクの日常ではないのだから。
(ルルーシュってカッコいいなぁ)
たかがカフェ、されどカフェ。スザクにとっては馴染みのない場所なのでルルーシュがひどく大人びて見えた。
教室に戻り、鞄の中に荷物を詰める。これでもしルルーシュが来なければ笑い話だが、きっちり十分後、教室の外には彼がちゃんと待っていた。どきどきと高鳴る胸を抑えながら「お待たせ」と声をかける。
「じゃあ行くか」
「うん」
珍しいツーショットに通り過ぎる生徒たちは誰もが驚いた顔をしていた。ルルーシュには特定の友人がいないようで、こうしてほかの人間と一緒に校内を歩く姿をスザクも目にしたことがない。なんだか自分がひどく特別な存在になったようで、意識していないと顔が締まりなく緩みそうだった。
しかし、いざ二人きりで帰り道を歩いていると何を話せばいいかわからず、続く沈黙に気まずさを感じ始める。
隣のルルーシュはごく普通に歩いているから気にしていないようだが、カフェに行くまでの間につまらない男だと判断され、誘ったのはやっぱり間違いだったと思われたらと急に不安になった。ほかの生徒ならそんなことは考え付きもしないのに、ルルーシュ相手となると何もかもが緊張してしまい、悪い想像に身が竦みそうになる。
せめて何か世間話でも、とスザクは思い切って口を開いた。
「ランペルージはさ、その、生徒会なんだよね。今日は大丈夫だったの?」
ルルーシュが生徒会に入っていることは知っているが、一般の学生にとって生徒会室は少し近付きにくい場所である。興味があっても訪ねることは難しく、実際に何をしているのかはわからなかった。
「生徒会は毎週水曜だからな」
「そうなんだ。生徒会って何やってるの?今まで一度も行ったことがないから未知の世界なんだ」
「別にたいしたことはやってないぞ」
「でもランペルージは副会長なんだよね」
「名前だけさ。皆、人使いが荒いから会計も書記もなんでもやらされる。会長は有名だから知ってるだろう?」
うん、とスザクは頷いた。会長と言えばこの学園の理事長の孫で、お祭り好きとしても有名だ。学園祭や体育祭でも率先して楽しいことを実行している人であり、割と自由な校風の中でもっとも自由に振る舞っている人でもある。
「面白い会長さんだよね」
「面白いのは本人だけだ。付き合わされる俺たちは毎回毎回いい迷惑さ」
文句を言いながらもルルーシュの顔は嫌そうではなかった。なんだかんだ言いつつ、付き合わされることを楽しんでいるのかもしれない。
(なんだか意外だな)
普段のルルーシュは良く言えば高貴とも呼べる雰囲気、悪く言えばつんとしてお高く止まっているという印象を抱かれるタイプだ。その彼が、お祭り好きで有名な会長のことをそこまで嫌っていないのは意外なことに思えた。
(毎日彼を見ているつもりだったけど、僕は何も見ていなかったんだな)
頭が良くて顔が綺麗という認識はほかの皆と一緒で、ルルーシュ・ランペルージ個人については何も興味を持っていないのと同じだ。ルルーシュを好きだと思う気持ちは流行りに乗っているのと似たようなものだと言われても反論は出来ない。
(もっと知りたいな、ルルーシュのこと)
足を進めるたびに濡れ羽色の髪が揺れる。
触れたい、と思った。さらさらと手触りの良さそうな髪にも、ひんやりしていそうな肌にも、艶やかな唇にも――。
(って、それじゃあ変態だろう!)
好きだから触れたい気持ちは自然かもしれないが、恋人どころかまだ友達にすらなれてもいないのに肌や唇に触れたいというのはいきなりすぎる。しかも思わず浮かんだ妄想はどこか変態じみていた気がする。
「枢木?どうかしたのか?」
よこしまな空想を振り払うために首を振っているとルルーシュがこちらを窺ってきた。
「えっ、あ、いや!なんでもない!」
頭の中を覗き込まれたみたいでさらにぶんぶんと首を横に振る。ルルーシュは首を傾げて「ならいいが」と前を向いた。不思議そうな表情を浮かべつつ、何も疑っていない様子にほっと胸を撫で下ろす。もしルルーシュが心を読めたら、今この瞬間に間違いなくスザクに幻滅しただろう。
「それにしても暑いね」
「日本は湿気が多いからな、余計に暑く感じる」
「ルルーシュ……あっ、ごめん、ランペルージは、」
つい名前で呼んでしまい慌てて言い直す。心の中では名字ではなく名前だからいつもの癖が出てしまった。親しくもないのに突然名前で呼ばれたら引かれてしまうだろう。
「名前でいいぞ」
しかし、スザクの懸念はルルーシュ自身によって打ち消された。隣を見れば、その口許には笑みが浮かんでいた。
「その代わり、俺も枢木のことは名前で呼ばせてもらうからな」
想定もしていなかった提案に目を丸める。
「いいの?」
「ああ、俺は構わない。枢木のほうは何か問題があるか?」
尋ねるルルーシュの顔に少しだけ不安の影が差し、スザクは大きく首を振った。今日は首を振ってばかりだと、頭の片隅でもう一人の自分が苦笑いする。
「ない!全然ない!」
「そんなに勢いよく答えなくても」
ルルーシュがくすくすと笑った。スザクの口許にも自然と笑みが浮かぶ。
今日はルルーシュの笑う顔をよく見ると思った。普段は駅のホームや電車の中、学校ですれ違うときに見かける程度だから、こんな風に笑う姿も話している姿も滅多に目にしたことがなかった。
(知らないことが本当にたくさんあるな)
ルルーシュは何が好きなのだろう。好きな食べ物とか芸能人とか動物とか、どんな些細なことでも知りたい。その中に自分も好きなものが含まれていれば嬉しいし、まったく違うものを好きだとしたらそれについても色々聞いてみたい。
「じゃあ……、ルルーシュは」
初めて本人に向けて声に出した名前は特別な響きを持っている気がした。ほんのりと胸があたたかくなる。今までこんな気持ちを抱いたことはなかった。
「……えっと、何を聞きたかったか忘れちゃった」
名前を呼べたことに舞い上がってしまい、本当に頭の中が真っ白になってしまった。誤魔化すように頭を掻けばルルーシュが吹き出す。
「面白いんだな、スザクって」
「面白いことをしたつもりはないんだけど……」
夢にまで見たルルーシュとの会話。しかも「ルルーシュ」と呼べたし、「スザク」と呼んでくれた。
このまま死んだとしても後悔はないと大袈裟に思えるくらいには幸せだ。
「ところで、スザクは紅茶は好きか?」
「嫌い……ではないかな」
正直、紅茶はあまり飲んだことがないので好き嫌いすら判断が出来ない。が、ルルーシュに好きかと訊かれてわからないなんて恥ずかしい発言はもっと出来ない。
「無理しなくていいんだぞ。これから行くつもりの店は紅茶が美味しくて気に入っているんだが、カフェオレとか普通のジュースもおすすめだから好きなのを頼んでくれ」
しかしどうやらスザクの嘘はバレバレだったらしく、ルルーシュは馬鹿にすることなくさり気なくフォローを入れてくれた。
「それにケーキも美味しいんだ。特にパウンドケーキは妹の大好物で、一ヶ月に一度は買いに行っている」
「妹さんは甘いものが好きなんだね」
「甘いものには目がないからな。……あ、そういえば俺に妹がいることは話していなかったな」
妹さんがいることは知ってるよ、とはもちろん口にしなかった。なぜ知っているのかと追求されれば答えられないし、下手に答えて単なる噂好きと誤解されてしまったら泣くに泣けない。
普段はもっと大雑把なはずなのに、ルルーシュ相手だと臆病で慎重になる自分が少し滑稽であり、こういうのが恋をしているってことなのかなと少しくすぐったくもあった。
「兄妹は妹さんだけ?」
「ああ、中学生の妹が一人いる」
「可愛い?」
「もちろんだ!」
そう答えたルルーシュの声は今まで聞いた中で一番力強く、スザクは目をぱちくりとさせた。
「ルルーシュってさ……」
「なんだ?」
「ううん、なんでもない」
見た目からは想像できないけれど、ルルーシュはもしかしたらシスコンなのかもしれないと今の反応を見て思った。
「じゃあ妹さんお気に入りのパウンドケーキを頼んでみようかな」
「絶対に美味しいからぜひ食べてみてくれ」
やっぱりシスコンだ。そんなことをこっそり思いながらスザクは笑って頷いた。
綺麗で頭が良くて凛とした雰囲気を持っていて、生徒会のことも会長さんのことも嫌いじゃなくて、妹思いでシスコンで。どれもルルーシュと話さなければわからなかったことばかりである。
(勇気を振り絞って本当に良かった)
今朝の電車での行動がなければ、高校を終えるまでルルーシュのことを何も知らないままでいたかもしれない。こうして会話をすることもなかっただろう。遠くからただ見つめるだけで、行き場のない恋心を抱えたまま卒業しただろう。でも、勇気を振り絞ったことで運命が大きく変わったのだ。
チャンスの神様がほんの少しだけ自分に微笑みかけてくれているような気がした。
(11.11.20)