その日はやけに電車が混んでいた。
いつもそこそこ混んではいるのだが、今朝の混み具合は異常だ。どうやら他の線で人身事故が起こり、その影響でスザクの乗る電車に人が流れ込んでいるらしい。それがわかったところで混雑が変わるわけでもなく、すし詰め状態の車内でスザクは溜め息をついた。
あまりの人の多さに、今日はルルーシュの姿を見失ってしまった。ルルーシュらしき黒髪は見えたけれど、人々に紛れてすぐにわからなくなった。この状況では同じ車両に乗っているかどうかすら定かでない。
(今日はついてないなぁ)
ルルーシュには会えないし電車は満員だし。しかも今日は日直で、英語の小テストもある。まったく最悪な一日だ。
二度目の溜め息をついたのと同時に、電車が急停車した。耳障りなブレーキ音が響き、体勢を崩した人々が同じ方向に一気に押し寄せる。車内のあちこちで悲鳴が上がった。
「うわっ」
隣のサラリーマンに思い切り寄りかかられたスザクは、ドアに手を付いてなんとか踏ん張った。仕方のないこととはいえ、ついムッとして後ろを振り返ろうとした。が、首を90度に曲げたところでその動きを止める。
相変わらず車内は混んでいるし、背中を必要以上に押してくる見知らぬ乗客は腹立たしい。でも、今この瞬間だけは周りの状況を忘れた。
(ル…ッ、ルルーシュ!)
目の前に好きな相手がいた。それだけでスザクの心臓は早鐘を打った。
どうやらルルーシュも同じ車両に乗っていたらしい。人の波に流されて思いがけず急接近してしまったようだ。これほどの距離でルルーシュに近付いたことはなく、心臓がばくばくと音を立てている。顔が熱いのは車内の気温のせいではないだろう。
電車が発車し、人の波がまた動く。
「っ…」
ちょうどドアの真正面に立っていたルルーシュに、中年のサラリーマンが倒れ込んできた。押し潰される形となったルルーシュが小さく呻き、その声にスザクは血管が沸騰するような感覚を覚えた。自分のときもムッとしたけれど先ほどの非ではない。
足にぐっと力を込め、ルルーシュとサラリーマンの間に割り込んだ。サラリーマンの身体を押し退けると睨まれたが、スザクは一瞥するだけですぐに正面を向いた。ドアに手を付き、ルルーシュの身体を庇うように立つ。
ルルーシュが顔を上げ、驚いたような目でスザクを見てきた。それには気付かないふりをしてルルーシュの腕を引くと、一番端に移動させた。相変わらず車内は混んでいるが、スザクが踏ん張っていればルルーシュが潰されることはないだろう。
「こっちのほうがちょっとスペースあるから」
「あ、ありがとう、ございます」
びっくりした顔のまま礼を言われる。
驚いた表情も可愛いなと、思わず緩みそうになる頬を慌てて引き締めた。端正な顔を前に心臓は破裂寸前だが、表面上はなんとか平静を装った。ただでさえ暑い車内は、ルルーシュとの思わぬ接近でさらに暑くなったような気がする。
学校の最寄り駅まであと二駅。時間にしてわずか五分程度の道のりが長くも短くも感じられた。
(やっぱり綺麗な顔だなぁ。イイ匂いするし。皆と同じように汗かいてるはずなのになんでだろう。シャンプーかな。肌もすべすべしてそう……)
一歩間違えれば変態と変わらない感想を抱くが、頭の中を覗かれることはないのだからと開き直る。滅多にないチャンスなのだ。見られるときに見ておかないともったいない。そんな自分勝手な言い訳をしながら、自分の心音がルルーシュに伝わってしまうのではないかと危惧している自分がひどく可笑しかった。
いつもの駅名が耳に聞こえ、ドアが開くと同時にいっせいに乗客が車外へと出る。
友達でもないのにルルーシュと一緒に降りるのも変だよな、このまま一人で行ってしまおうかなと思ったスザクは、しかしルルーシュがほかの乗客にぶつかってふらついたのを見ると、すかさずその腕を取った。そのまま迷いなく電車を降りる。
ホームに降り立つとすぐに手を離した。初めて触れたぬくもりを名残惜しむように右手を握り締めた。
「あの……、ありがとう」
声がした方向にぱっと目を向ける。暑さのせいか、頬を微かに上気させたルルーシュがぺこりと頭を下げた。
「ごめん、勝手なことして。でも君が押し潰されているのを見たら思わず……」
「いや、助かった。情けないが、力も体力もあまりないから満員電車は苦手なんだ。本当にありがとう」
ふわりと微笑まれ、スザクは暑さのせいだけではない熱を顔中に感じた。毎日のように見てきた顔だ。だけど自分のためだけの笑顔は初めてで、その威力はとてつもなかった。ルルーシュの顔がきらきらと輝いていて、まともに目を合わせられない。
「僕はたいしたことしてないから。君が無事なら良かった」
緊張や舞い上がるような気持ちのせいでぎこちない笑みしか浮かべられなかったが、なんとか反応を返す。不審に思われなければそれでいい。
「じゃあ僕はこれで。早く行かないと遅刻するよ」
「あ、」
何か言いかけたルルーシュに背を向け、足早にホームを立ち去る。
このまま一緒に学校まで行くことも出来たけれど、何を話せばいいか正直わからなかった。まともに話せず、悪い印象を持たれたら最悪だ。ならば、電車で助けてくれた相手という良い印象のまま別れたほうがいい。
(こういうのも計算って言うんだっけ)
だって、好きな相手にはカッコいいところを見せたいではないか。
駅の階段を下り、ほかの生徒に混じって通学路を歩く。その足取りはどこかふわふわと軽い。胸はまだどきどきと鳴っていて、まるで恋を覚えたての小学生のようだと思った。
すっかり夢見心地になっているスザクの頭の中に、今日は苦手な授業があるという現実は欠片ほども残っていなかった。
(11.09.17)