プラットホーム 11

 旅立ちの日までは一ヶ月ほどあった。
 一度決めてしまえばルルーシュの立ち直りは早く、早速ナナリーの荷物を準備したり必要な手続きに取りかかっていた。さらには手術について説明を受けたり、シュナイゼルとも打ち合わせを続けているらしい。
 らしいと曖昧な表現なのは、ルルーシュ本人からちゃんと話を聞けていないからだ。
 あの日以来、ルルーシュはずっと忙しそうで最近は学校を休むことも多くなった。そのため、毎朝続いていたホームでの待ち合わせもしばらく途絶えている。
 少しでも状況を知りたいと、唯一ナナリーのことを知っているカレンに思い切って尋ねてみたものの、あからさまに嫌そうな顔をされたので詳しいことはあまり聞けなかった。
 はあ、とため息をついてスザクは屋上への階段を上った。
 どうして屋上に足が向いたのかはわからない。今日がナナリーの旅立ちの日だと教えてもらったから、今ごろ飛行機が飛んでいるであろう空を見れば同じ時間を共有できると思ったからかもしれない。
 ルルーシュはナナリーに付き添ってブリタニアに渡ったはずだ。実家には決して戻らないと話していたけれど、大事な妹をひとりで向かわせるわけがないし、彼女はまだ足が悪いからいずれにしろサポート役が必要だ。
 (でも連絡なかったな……)
 ブリタニアに行くのならせめて一言でいいから教えてもらいたかった。今日、ナナリーが出立することだってカレンからようやく教えてもらったのだ。
 (まさか、あんなことしたから嫌われた……。いや、あんなことがあったから恥ずかしくて連絡できなかっただけだよ!うん、きっとそうだ!)
 自らへの叱咤がなんとも情けない。
 思い出すのは一ヶ月前の帰り道で、あのとき抱き締めた体のぬくもりをスザクは今もまだ覚えている。
 誰の手も借りずに妹を守り続けてきたルルーシュが、あのとき初めて弱ったところを見せた。本人は不本意だったかもしれないけれど、スザクは少しホッとした。泣くことは負けではないし恥ずかしいことでもない。ただ、素直になれただけなのだ。
 ルルーシュにちゃんと泣いてもらいたくて思わず抱き締めたけれど、そこに疾しい気持ちはなかった。
 もっと抱き締めたい。もっとルルーシュと触れ合っていたい。そんな願望をほんの少し抱いたのは確かに事実である。しかし告白をしたわけではないし、抱き締める以上の際どいこともしていない。
 だから嫌われる要素はないはずだと信じているのだが、ナナリーに関しての連絡が一切入らなかったことがスザクの不安を助長させる。
 (駄目だな、こんなこと考えて。ナナリーの大事なときでルルーシュもいっぱいいっぱいになっているのに、ちょっと連絡がないだけで僕のほうが不安になるなんて)
 最後の階段を上りきり、屋上のドアを開けた。涼しい風が吹き抜けて爽やかな空気を感じる。足を踏み出し、左へと曲がった。
 そして、スザクは思いがけない背中を見つけて息を飲んだ。
 屋上の手すりに腕を乗せ、遠い空を眺めている後ろ姿。顔が見えなくたってそれが誰なのかは一目でわかった。

「ルルーシュ……」

 小さく呟いた声が届いたのか、ルルーシュがゆっくり顔を向けた。

「なんだ、スザクか」
「なんだじゃないよ。ブリタニアに行ったんじゃなかったの?」
「ナナリーの付き添いはシュナイゼル兄上に任せた」
「えっ、じゃあ見送りだけ?」
「見送りはカレンにお願いした」
「なんで……」

 淡々と答えるルルーシュの顔はいつもと変わらない。
 あんなにナナリーのことを心配していたのに、見送りも付き添いもしなかったなんて本当だろうか。
 にわかには信じられず、スザクは止まっていた足を進めた。ルルーシュの隣に並べば、彼はまた空を見上げた。
 なんと声をかけていいのかわからない。もしかして自分はひとりの時間を邪魔してしまったのではないか。そうだ、ルルーシュはきっとひとりになりたくてこんな屋上に来たのだ。

「ごめん、僕、邪魔だよね」

 ひとりでいたかったのに他人がいたら邪魔だろう。そう思ってスザクは踵を返そうとした。

「……?」

 だけど、ぐいっと引かれる感覚がして振り返った。見れば、ルルーシュが顔を俯けたまま制服の裾を握っている。

「ルルーシュ?」
「――少しだけ、一緒にいてくれないか」

 頼りない声に目を瞠る。ルルーシュがこんな声を出すことも、こんな風にお願いすることも初めてだ。ナナリーのことはシュナイゼルやカレンに任せたと言っているけれど、本当は心配で心配でたまらないのかもしれない。
 だったらどうして見送りに行かなかったのか、とは訊けなかった。きっとルルーシュにはルルーシュの事情があるのだ。
 制服を掴んでいる手を上からそっと外させる。ハッと上げられた顔に笑いかけると、その手を握り締めて青い空を見上げた。

「いい天気だね」

 スザクの言葉に返事はない。でも左の手を握り返してくれたのがわかって、スザクは口許を綻ばせた。
 また風が吹いて二人の髪を揺らした。それから次の授業のチャイムが鳴るまで、二人で言葉もなく空を見上げていた。

「あ、」
「げっ」

 人の顔をみて嫌そうな声を出すのはやめて欲しい。過去に自分が原因でルルーシュを傷付けてしまったことは申し訳ないと思っているけれど、それをカレンがいつまでも根に持つことはないではないか。
 こうしてばったり出くわしたあとの彼女の反応は、声をかける間もなくスザクと反対方向に行ってしまうのが常だ。だから今回もそうなのだろうと見ていたら、逆にこちらへ近付いてきた。いつもとは違う行動をされて逆に慌ててしまう。

「何よ」
「い、いや別に」
「ホント、あんたってムカつく」
「会うたびに言われても……」
「ルルーシュはこんな男のどこがいいのかしら。まだ告白もしていない意気地なしなのに」
「意気地なしって言われても、告白にはタイミングが…………へ?」

 今、何かおかしなことを言われなかっただろうか。
 告白とか、告白とか。

「告白!?」
「その様子じゃやっぱりまだみたいね」
「え、いや、だって、なんで」

 ルルーシュを好きなことは誰にも話していない。それをなぜ天敵とも呼べるカレンが知っているのか。しかも、知っていてなぜそんなに平静でいられるのか。彼女にばれたら制裁を加えられるに違いないと思っていたので、この反応は意外だ。

「別に歓迎しているわけじゃないわよ。あんたがルルーシュを好きだなんて、もっと早く知っていたら絶対殴っていたのに」
「あ、やっぱり……」
「あんたのことは今でも嫌いよ。でもナナリーに頼まれたら断われないでしょ」
「ナナリーが?え、じゃあもしかして、僕がルルーシュを好きなことは……」
「ナナリーは気付いていたわ。それに――」
「それに?」
「いいえ、なんでもないわ。これ以上教えたらあんたが有利になり過ぎるし」
「有利?」

 何を言っているのだろうと首を捻れば、とにかく、とカレンが腕組みをして溜め息をついた。

「ナナリーに頼まれたのよ、あんたとルルーシュをお願いしますって」
「そっか、ナナリーが……」

 誰にも気付かれていないと思っていたけれど、彼女にはしっかり見られていたようだ。しかも大事な兄を任せるに足る人間と判断してくれた。そのことの嬉しさにスザクは頬を緩めた。

「言っておくけど、私はあんたを認めていないんだからね」
「うん。というか、男同士ってところは気にしないの?」
「気にするに決まっているでしょう!しかもよりにもよってスザクだなんて、殴ってやりたいけど殴ったらルルーシュもナナリーも悲しむからできないし、ああもうっ!」

 頭を抱えて髪の毛をぐしゃぐしゃにしているカレンに、女の子が道端でそんなことしていいのかなと心配になった。どうやら相当葛藤しているらしい。それでもナナリーの頼みだからと、ちゃんと約束を守ろうとする彼女は律儀でとても優しい。

「あーっ、本当にムカつく。でも、ルルーシュがナナリー以外で幸せそうな顔をするんだから仕方ないじゃない」
「え……?」
「何よ、気付いてなかったの?」

 あれだけ一緒にいて気付いていないなんて信じられない、と軽蔑したように言われた。

「そんなこと言われても」
「ナナリーの見送りを私に任せて自分は残ったのだって、あんたと知り合う前のルルーシュじゃ考えられなかったことよ」
「ルルーシュはどうして残ったの?」
「けじめのつもりだったんでしょう。ナナリーからも見送りはいいって言われてたし。そうしないと別れがつらくなって離れられなくなるとお互い思ったんじゃない?」

 ずっと二人で生きてきた兄妹が初めて離れ離れになるのだ。二人の覚悟がどれほどのものか、部外者でしかないスザクには想像することしかできなかった。

「悔しいけど、あんたと仲良くなってルルーシュは変わったわ。あんたがいなければナナリーをブリタニアに帰国させなかっただろうし、そういう意味では少しだけ感謝している」
「カレン……」

 自分を嫌っている彼女に「感謝している」と言われ、スザクは頬を緩めた。
 兄妹のため、という目的においては同じ方向を見ている自分たちだ。時間をかければいい友達になれるのかもしれない。

「だからさっさと告白しなさいよ。それで玉砕すればいいんだわ」

 しかし口にされるのはやはり辛辣な言葉で、思わず苦笑いを浮かべた。

「その応援、あんまり嬉しくないなぁ」
「だって応援してないもの。だけどルルーシュがあんたを受け入れるって言うなら、ルルーシュのことは応援するつもりよ」
「それって遠回しに僕を応援することにならない?」
「うっさいわね!とにかく少しは男らしいところ見せなさいよ。ただし、ルルーシュを泣かせるようなことがあったら絶対に許さないんだから」
「うん、わかってる。絶対に泣かさない」
「その自信満々な顔がムカつく」

 カレンが心底嫌そうな顔をするのでスザクは笑った。
 決して泣かせはしない。心の中でもう一度誓う。
 (だって、ルルーシュには笑っている顔が何よりも似合うから)
 (13.8.1)