「トリックオアトリート!」
ドアが開くのと同時に可愛らしい声が響き、以前にも同じ科白を言われたなと思い出す。
あれは確か半年前のことだ。あのときのユフィはハロウィンという行事があることを知ったばかりで、今年は必ずハロウィンをするのだと意気込んでいた。
「はいはい、お菓子だな」
バスケットの中から包みのひとつを差し出せば、ユフィがむうっと頬を膨らませた。
「ここはもっと盛り上がるところじゃないんですか?」
「お菓子を渡せと言われたからこうして作ったのに、渡し方まで指定されたくないな」
「もう、つまらない」
そう言いつつも、包みの中を見て「美味しそう」と笑顔になった妹にルルーシュも口許を緩めた。
ハロウィンをやってみたいと彼女が遠慮がちに言ってきたのは二週間前のことだ。
仮装してお城でお祭り騒ぎをするつもりはない、ただお菓子をもらったり配ったりしてみたいのだと説明され、「なんだそれでいいのか、だったらやろう。ナナリーもきっと喜ぶ」とルルーシュは笑ってみせた。
兄の補佐として働くルルーシュの忙しさは皆が知るところだ。今月はシュナイゼルが外遊に出ていることから輪をかけて忙しく、アリエスに戻ってもすぐにまた出て行く日々が続いていた。そんな相手にハロウィンをしようと言うのはさすがのユフィも気が引けたようだ。それでも誘ってきたのは、少しでも休んでもらいたいという思いがあったからだろう。だからこそ、ルルーシュも妹の意を汲んだのだった。
後ろをちらりと見れば、控えていたスザクが微笑んだ。それに笑い返してユフィに向き直る。
「それにしても、ハロウィンをやりたければ自分の城でやれば良かったのに。そしたら仮装でもなんでもできたんじゃないか?」
「だって、あんまり騒々しくするとお姉様に怒られるから」
「ほう、つまり俺が怒るのは怖くないと」
「違うの、そういう意味じゃなくて、ルルーシュは忙しいから私のところまで遊びに来る暇はないでしょう? でもアリエスなら移動はないし、お仕事しながらルルーシュも参加できるかなと思ったの」
慌てて弁解する妹に小さく笑う。
「冗談だ。お菓子を作るのは気分転換になったし、アリエスの中で配るのならお咎めも受けないからな。心遣いありがとう、ユフィ」
感謝の言葉を伝えると、ユフィが照れくさそうな顔をした。
離宮という場所柄、仮装をすることは難しい。しかし、お菓子を配るだけならバレンタインのときにもやっているし、使用人たちにそれほど迷惑をかけない。何より、気分転換になったというのも事実だ。ユフィの一声がなければ根を詰めすぎて参っていたかもしれない。スザクからも休めと口煩く言われていたのでハロウィンはちょうど良いきっかけだった。
「まだ書類整理が残っているから今日はそれだけしか用意できなかったが、兄上が戻ってきたらまたゆっくりお茶でもしよう」
「はい!」
元気のいい返事をしたユフィは、ナナリーのところに行ってくると言って部屋を出た。入れ違いで入ってきたのはジェレミアで、いつものように生真面目な顔で一礼すると執務机の前まで来た。
「殿下、こちらの決裁ですが、」
「違う」
「え?」
「今日はハロウィンだと言っただろう?」
「あ……」
にっこり笑えばジェレミアが固まった。
「ジェレミア卿、諦めてください」
「し、しかし、殿下に向かって失礼なことは」
「今日はそういう趣旨ですから大丈夫ですよ」
スザクからの援護にうんうんと頷く。大いに躊躇っていたジェレミアは、笑顔の主とその騎士に見つめられてようやく観念したのか、覚悟を決めたように大きく息を吸い込んだ。
「では……、トリックオアトリート!」
渾身の一声に思わず吹き出し、バスケットから包みをひとつ取ると彼に手渡した。
「ありがとうございます! 殿下からこのようなものをいただけるとは感激です。保管していつまでも大事に仕舞っておきます」
「腐るからすぐに食べろ」
「し、しかし、殿下からのいただきものをすぐに食べてしまうのは非常にもったいなく」
「またすぐに作ってやるから」
「はっ、ではこちらはありがたく頂戴いたします」
「それで用件は書類だったな。決裁か?」
「はい、こちらにサインをお願いいたします」
書類に目を通し、サインをすると彼に返す。ありがとうございますともう一度頭を下げたジェレミアは、大事そうに包みと書類を抱えて出て行った。
「まったく、あいつは真面目だな」
「ジェレミア卿らしいと思います」
ハロウィンにあたり、家臣や使用人たちにはひとつ条件を出した。それは、お菓子をもらうときに「トリックオアトリート」と言うことだ。お菓子を配るのはルルーシュとナナリー、ユフィの兄妹である。
最初はジェレミアのように恐縮する者もいたが、三人が気さくにお菓子を配り歩くのでだんだん慣れたようで、今ではあちこちからトリックオアトリートの声が聞こえてきた。庶民の行事を馬鹿にする皇族や貴族が見れば下賎なことと嗤うに違いない。しかし楽しそうな笑い声や雰囲気はルルーシュが好むものであり、これからも大事にしたいと思うものだった。
「それにしても、殿下は相変わらず器用ですね」
「お菓子のことか? このくらい普通だろう」
「いえ、自分にはとても。しかもこれだけの大人数です。楽しいことをなさるのは構いませんが、睡眠時間をこれ以上削ったら本当に倒れてしまいますからくれぐれもご自愛ください」
「わかっている。だから今日はアリエスでのんびり過ごすことにしたんだ」
「などとおっしゃって、しっかり書類を持ち帰っているのはどなたですか」
「サインをすれば済むような仕事ばかりだ。頭を悩ませるものはないから問題ない」
「熱心なところは殿下のいいところですが、あまり根は詰めないでくださいね」
「わかっている。スザクは本当に心配性だな」
「殿下がご自分のことに無頓着なだけです」
まだまだ続きそうな小言にどうしたものかと思っていると、タイミングよくノックが聞こえた。これ幸いとばかりにルルーシュは入室を許可した。後ろで聞こえた溜め息には気付かないふりをしておく。
「どうした、咲世子」
「ミレイ様がいらっしゃっています。約束のお時間より少し早いので客室で待たせていただきますとのことですが、いかがいたしましょう」
「早いと言っても十五分ほどではないか。すぐに行くからお茶を用意しておいてくれ」
「かしこまりました」
途中だった書類を片付け、机から離れる。スザクが広げた上着に袖を通し、留め具がすべて嵌められていくのを見守った。
「ミレイに会うのは久しぶりだな。スザクはこれが初対面だったか?」
「はい。アッシュフォード家のご令嬢のお名前はかねがね伺っておりますが、直接お会いするのは初めてです」
「お祭り好きで貴族らしからぬ令嬢という噂でも聞いたか?」
「楽しいことと賑やかなことが好きな方という情報しか聞いていません」
「オブラートに包めばそういうことになるな」
ミレイの数々の武勇伝を思い出して小さく笑う。
母のマリアンヌはラウンズから皇妃になった異色の経歴の持ち主だが、そんな彼女を全面的にバックアップしたのがアッシュフォード家だ。当時はまだ試作段階だったナイトメアの開発にも力を入れ、それがきっかけで母はラウンズにまで上り詰めた。もしアッシュフォードの援助がなければ母がラウンズになることも皇妃になることもなく、自分やナナリーがこうして生まれることもなかったのだから、人の縁とはなんとも不思議なものだ。
自分とスザクが出会ったのも縁のひとつならば、その縁にはきっと何か意味があるのだろう。
(そう思うのはおこがましいか?)
顔を上げたスザクと目が合う。翡翠の瞳はいつ見ても真っ直ぐで、とても美しい。
「では行くか。資料と一緒にバスケットも持ってきてくれ。自分だけお菓子がもらえなかったとわかれば文句を言われるからな」
イベント好きの彼女は今日がハロウィンであることもアリエスでちょっとした催しが開かれていることも知っているだろう。お菓子を持っていかなかったらどんな悪戯をされることやらとこっそり笑い、ルルーシュはスザクを伴って書斎を出た。廊下には誰もいなかったけれど、どことなく楽しげな空気が満ちているのは気のせいではないだろう。ハロウィンを提案してくれたユフィにも、それに賛同してくれた母やナナリーにも感謝しなければと独りごちる。
客室の前では咲世子が待っていた。こちらの姿を認めると一礼し、中に声をかけてからドアを開ける。白を基調とした部屋の中にはひとりの女性がいて、懐かしそうな笑みを浮かべると深々と頭を下げた。
「久しいな、ミレイ」
「ご無沙汰しております、ルルーシュ殿下」
アッシュフォード家の一人娘であるミレイとは一歳違いだが、しばらく会わないうちに随分と大人びた印象だ。そういえば一年以上も会っていなかったのかとどこか感慨深く思えば、ミレイが笑みを深めた。
「殿下とはしばらくお会いしておりませんでしたが、すっかり大人びていらして驚きました」
「それはミレイのほうだろう? 日本に行ったのは去年の春だったな」
「はい。おかげで大変有意義な時間を過ごせました」
「他国で見聞を広げるのはいいことだ。で、帰国して早々に私に会いに来たのはまさかハロウィン目当てではないだろう?」
「あら、私にはお菓子をくださらないのですか?」
「用件が済んだらな。とりあえず座ろう」
ソファに腰掛ければ当然のようにスザクが後ろに立った。
「そちらが噂の騎士殿ですね。はじめまして、ミレイ・アッシュフォードと申します」
「枢木スザクです。よろしくお願いいたします」
「ラウンズを騎士にするなんてさすがは殿下、お目が高い」
「父上のものを奪い取った強欲な皇子という声もあるがな」
「あら、ブリタニアは実力主義なのにおかしなことを言う人もいるものですね」
「毎日そういう話ばかりしている暇な連中がいるんだ。それで、どんな土産話があるんだ?」
促せばミレイが笑みを深めた。どうぞと差し出された書類を手に取る。
「ご依頼のありました殿下専用のナイトメアですが、ラクシャータ博士に手がけていただけることになりました」
「えっ?」
スザクの驚いたような声は無視してミレイに視線を向ける。
「ラクシャータ博士はロイドと犬猿の仲と聞いていたが、よく引き受けてくれたな」
「そこは交渉の成果ということで。ロイド博士のガウェインを基礎に、殿下専用機としてより性能の良いものを開発してもらう約束となっています。資金面に関してはもちろんアッシュフォードが全面的に援助いたしますのでご安心を」
「感謝する。ルーベンにもあとで礼を伝えるとしよう」
「ありがとうございます。すでに開発に着手していますので、完成までもうしばらくお待ちください」
話を聞きながら手元の書類を捲る。スザクの視線を背中に痛いほど感じたが、ルルーシュは相変わらず気付かないふりをしていた。
「時間ができたらラクシャータ博士に会って色々と話を聞きたいな」
「それはぜひ。博士も殿下と直接お話ししたいとおっしゃっていました」
「では日程調整を頼む。私の予定についてはスザクに確認してくれ」
「イエス、ユアハイネス」
書類をテーブルに戻し、ソファに寄りかかると両手を組んだ。
「詳しい話はまた後日、ロイドも交えてするとして、今日はハロウィンだからナナリーたちにお菓子をもらってきてはどうだ」
「殿下はくださらないのですか?」
「欲しいならお決まりの科白があるだろう?」
口の端を上げてみせれば、そうでしたねとミレイが悪戯っぽい目をした。
「では失礼して。トリックオアトリート!」
楽しげな口調に笑い、ルルーシュはスザクのほうを振り返った。手を差し出すと包みがひとつ乗せられる。それをそのままミレイに渡した。
「殿下のお手製ですか?」
「ああ。不味ければ捨ててくれ」
「捨てるだなんてとんでもない。日本では殿下のお菓子が食べられなくて寂しかったんですよ」
「お世辞を言ってもこれ以上は何も出てこないぞ。ナナリーとユフィもお菓子を配っているから行ってやってくれ。またあとでお茶でもしよう」
「楽しみにしています。それでは、ナナリー様たちのところへお邪魔してきますね」
にこやかにお辞儀をし、ミレイは客室を出て行った。ドアが閉まった途端、しんとした空気が広がる。背後から若干ピリピリした雰囲気が伝わってくるのは決して気のせいではないだろう。
「殿下……」
「怒るなよ」
「怒ります。殿下専用機とはどういうことですか」
「そのままの意味だ」
「自分は聞いていません」
「お前には黙っていたからな」
再び振り返れば眉間に皺を寄せた騎士がいた。今にも怒鳴ってきそうな雰囲気だ。スザクが怒るのは想定していたがその通りだったなとこっそり思って笑みを見せれば、彼はさらに不機嫌な顔になった。
「皇族が戦場に出るのは特段珍しいことではない。コーネリア姉上を見てみろ」
「コーネリア様は殿下と違い、武人として訓練を積まれています」
「私もナイトメアの操縦訓練は受けた」
「そういう問題ではありません」
「お前や部下たちが前線で戦っているときに、私ひとり高みの見物をしろと言うのか」
「指揮を執るのが殿下のお役目です」
「指揮はナイトメアに乗りながらでもできる」
「殿下!」
とうとう声を荒げたスザクに対し、ルルーシュは腕を組んだまま翡翠の瞳をじっと見つめた。二人のほかには誰もいない部屋でしばらく睨み合いが続くが、勝敗はスザクの溜め息によって決した。
「おやめくださいとどんなに頼み込んでも殿下はナイトメアに騎乗されるのでしょう?」
「当たり前だ。そのための専用機だからな。私を出したくなければどこか人目のつかないところへ監禁でもするしかないな」
試すように言えば、スザクがもう一度溜め息をついた。
「そんなことを自分ができるとお思いですか?」
「いや」
「――くれぐれも危険な真似はしないでくださいね。決して単独行動はせず、護衛のナイトメアから離れないでください」
「まだ先の話だぞ。そもそもいつになるかわからない」
「今から言い聞かせておかなければ殿下はすぐに忘れてしまいますから」
「まったく、心配性な騎士を持つと大変だ」
「行動力のある主を持つと気苦労が絶えません」
小さく笑い、ソファから立ち上がる。
専用機のことをスザクに隠していたのは正直心苦しかった。でも、彼に話せば絶対に反対されるとわかっていたから周囲の人間にも口止めしていた。
これまでは宰相補佐として国内で主に活動してきたが、そろそろ遠征に同行してみないかという話が出ている。ルルーシュ自身、いつかは自分も戦場に出たいという希望があったので話を断わるつもりはない。むしろ願ったり叶ったりだ。
しかし、戦場に出るとなるとひとつ懸念があった。それはスザクだ。
現在の彼は自分の専任騎士で、主を守ることが彼の役割である。だが、元ラウンズという実力は指揮官にとってはほかのどの兵よりも魅力的なはずだ。騎士はその皇族にのみ仕える存在とは言え、ラウンズになったほどの実力を無駄に遊ばせるわけにはいかないだろう。
もしも自分が遠征に同行すれば、シュナイゼルは間違いなくスザクを戦場に投入する。そこに拒否権はない。拒絶すれば己とスザクの評価が下がるだけだ。だからスザクを出すのは仕方がないと割り切っていた。
ただ、そうなったときにスザクだけを送り出すのは嫌だった。騎士が前線で戦っているときに、後方の安全な場所でのうのうと指揮を執るなんて己の矜持が許さない。だからこそ、スザクには内緒でアッシュフォードにナイトメアの開発を頼んだのだ。どんなに反対されようとこの計画を止めるつもりはなかった。
とは言え、彼の反応がまったく気にならなかったわけではない。渋々といった様子ではあるものの、ひとまず認めてもらえたことに密かに安堵した。
「では、我々もハロウィンの続きをしに行くか」
「はい」
バスケットを片手にスザクが口許に笑みを乗せる。その顔に笑い返し、妹たちの元へ行くためにルルーシュは一歩踏み出した。
(殿下が無茶をするのはいつものことだし、今さら僕が反対したところで素直に聞き入れるような方ではないし、わかってはいるんだけど……)
出かかった溜め息を飲み込む。
皇族である以上、いつかは戦場に出ることもあるだろうと覚悟はしていたが、まさか前線に出るつもりで専用のナイトメアを依頼していたとは。四六時中一緒にいたのに迂闊だったと言わざるを得ない。
(そこが殿下の長所であり、僕にとっての心配の種なんだよな)
ルルーシュが守られるだけの皇族なら良かったのにと思い、しかしそんなルルーシュはルルーシュではないとすぐに否定する。ルルーシュはすでに覚悟を決めているのだ。騎士である自分が主を支えなくてどうすると己を叱咤した。
アリエスの広間では使用人たちがルルーシュたちからお菓子を受け取り、礼や感想を伝えている。ちょっとしたお祭り気分に皆どこか楽しそうだ。
微笑ましく見守っていると、ルルーシュの背にひとりの女性が伸し掛かった。
「殿下! 私にもお菓子をください」
「さっき渡しただろう」
「久しぶりの殿下のお菓子なのですから、もう少しいただいてもいいでしょう?」
「わかったわかった、次のお茶会にはちゃんと呼ぶから今日は我慢しろ」
「殿下のけち」
「けちではない」
ミレイ・アッシュフォードは幼馴染のようなものだと聞いている。マリアンヌの後ろ盾であり、ルルーシュとナナリーの兄妹とも親しいという話だが、先ほどよりも砕けた様子は本当に仲が良さそうだ。
(って、殿下の背中に胸が当たっているのはいいんだろうか……)
慣れっこなのか単に鈍いだけなのか、どんなにミレイにくっ付かれてもルルーシュが気にした様子はない。周囲も二人のやり取りに慣れているようで、この場で悶々としているのは自分だけだ。
「どうかしたか?」
賑やかな場を抜け出し、こちらにやって来たルルーシュが不思議そうに首を傾げる。なんでもありませんと答えて彼からバスケットを受け取った。
「私は部屋に戻るが、お前はもう少しここに残るか?」
「いえ、ご一緒いたします」
「そうか。咲世子、私は残っている書類を片付けてくる」
「かしこまりました」
咲世子に一言告げ、階段を上って行く主のあとをスザクもついて歩いた。広間の賑やかさが嘘のように上階は静かだった。
部屋にたどり着くとルルーシュが小さく息を吐き出し、ソファに座り込んだ。
「お疲れですか?」
「大人数を相手にするとさすがにな」
「お茶でも淹れましょうか」
「ああ、頼む」
疲れたように瞼を下ろしたルルーシュは言葉以上に疲れているらしい。連日の忙しさで張っていた気が緩んだのだろう。お菓子作りにも随分力を入れていたようだし、いくら気分転換とは言え少々無茶をし過ぎたようだ。
(人一倍体力がないのに、こういうところで頑張るのが殿下なんだよな)
騎士としては諌めるべきなのだろう。無茶をするなと言って、無理にでも休ませたほうがいいのはわかっている。
だけど、たとえ部屋に閉じ込めたとしてもこっそり抜け出して仕事をするのがルルーシュだ。ならば、せめて倒れることがないよう細心の注意を払い、ぎりぎりまでは見守るのが自分の役目である。
(本当にそれでいいのか、正直迷いはあるけど……)
ただ見守るだけの自分が不甲斐なくも感じた。それでも、騎士として主の意志を無視することはできないのだ。
「お茶が入りました」
声をかけると、身を起こしたルルーシュと目が合った。しばらくこちらを見上げていた彼がおもむろに口を開く。
「余計な考え事か?」
「え?」
「そういう顔をしている」
「いえ、考え事と言うほどのものではありませんが……」
「が?」
「――自分は本当に殿下のお役に立てているのかと思いまして」
「なんだいきなり。役に立っていなければ傍に置くわけがないだろう」
「そうですね。ありがとうございます」
カップを取ったルルーシュが紅茶を一口飲んだ。温まるな、と呟いた声は優しかった。
「それを言うなら私はお前を困らせてばかりだな。勝手にナイトメアを作らせるし、意地を張って無茶をするし」
「そのようなことは」
「だが、これが私の性分なんだ。すまないな」
「殿下……、申し訳ございません」
「お前が謝るな」
主にこんなことを言わせてしまい騎士失格だと反省する。心身ともに守るのが役目なのに、主のほうに心配されてどうする。
「今日はせっかくの休みだったのに、結局なんだかんだと付き合せてしまったな。代わりに何か褒美をやろう」
「褒美をいただくほどの働きはしていません」
「遠慮するな。何がいい?」
「急におっしゃられても……」
ふと、先ほどの光景が蘇る。ミレイのように気軽にルルーシュに抱き付くことができれば、と考えて馬鹿じゃないかと思い直す。それこそ騎士として有り得ない。冗談でも口にしてはいけないことだ。
「――では、自分も殿下のお菓子がいただきたいです」
「そんなものでいいのか? お菓子ならバスケットに、……あ」
テーブルに置いたバスケットの中身は空だった。広間ですべて配り切ったことを失念していたらしい。
「すまない、お前にも渡すつもりだったのに残すのを忘れてしまった。なんなら今から、」
「ルルーシュ殿下」
身を屈め、形のいい耳に唇を寄せた。触れることはできないけれど、せめてこれだけは許してくださいと心の中で詫びる。
「お菓子をくれないと悪戯しますよ?」
ソファの上でびくりとしたルルーシュはまるで猫みたいだ。可愛さに思わず頬が緩む。
「悪戯って」
「お菓子がなくて残念です」
「お前、面白がっているだろ」
「ご褒美をいただけるのですよね?」
にこりと笑えばルルーシュが唇をむっとさせた。嘘はつかない、と小さな声で返ってきたのに笑みを深める。
「ならば目を閉じていてください」
「目?」
「ええ」
訝しそうにしながらも瞼が閉ざされた。
印象的な瞳が隠れてもルルーシュの美しさは変わらない。絶妙に配置されたパーツのひとつひとつを間近で見られる幸せに溜め息が零れそうだ。頬は滑らかで、肌に影を作る睫毛は長く、赤く艶めいた唇はこのまま塞いでしまいたい衝動に駆られる。ついさっきまで騎士としての自分に悩んでいたと言うのに現金なものだと苦く笑い、スザクは顔を寄せた。
そして、柔らかい頬にそっと口付ける。その途端、紫の瞳がぱちりと開いた。
「悪戯成功ですね」
わざと明るく言えば、ルルーシュの顔が見る見るうちに赤くなった。
額や頬へのキスなんて慣れているだろうに、そんなに恥ずかしいものかと首を傾げる。馬鹿なことをするなと怒られることは想定していたが、これは予想外の反応だ。
「殿下?」
「な、なんでもない! そ、そうだ、私は書類の整理をするからお前は外に出ていろ!」
「えっ、しかし、」
「すぐに呼ぶから!」
書類の整理ならしばらくかかるだろうし、すぐに呼ぶ必要はないのでは。不思議に思っている間に追い出され、呆気に取られたままスザクは廊下に出た。
「……やり過ぎたかな」
唇にそっと触れる。初めての感触はとても甘く、柔らかかった。
もしも唇にキスをしていたら。そんなことを考えて慌てて首を振った。
「ご褒美、ありがとうございます」
扉の向こうに囁き、口許を綻ばせる。落ち込んだ自分を励ましてくれたルルーシュに感謝して、見張りのためにスザクは背筋を伸ばした。
ハロウィンの趣旨をだいぶ間違えている気もするが、これはこれでいいのだろう。
「あの馬鹿……」
ぽつりと呟いたルルーシュは唇が触れたばかりの頬にそっと触れた。顔が熱いのはきっと気のせいではないだろう。
ほんの一瞬だったとしても、戯れだったとしても、スザクにキスをされたことに違いはない。どうせ悪戯するなら頬ではなく別の場所にすれば良かったのにと思い、願望を丸出しにした自分の思考にまた恥ずかしくなった。
頬に当てていた手を大事に握り締める。スザク、と囁いた声は扉の向こうの彼には届かない。
でも、とても幸せだった。
「来年もハロウィンをやろうとユフィにお願いしておくかな」
そんな思い付きに小さく笑う。ハロウィンの趣旨には沿っていないけれど、たまにはこんなイベントも悪くない。
(14.10.31)