ブルースター

 ペンドラゴンに戻ってすでに三週間。
 数ヶ月のブランクなどなかったかのように、ルルーシュの日常は以前と変わらない慌しいものとなっている。決裁の山も、引っ切りなしに来る文官たちも、会議の数々も、事件前と何も変わらない。
 体が長い長い休養に慣れてしまったため、最初の一週間はさすがに目が回りそうだったが、三週間経ってようやく元の感覚を取り戻せた。
 そうして忙しく働くルルーシュに、騎士であるスザクは「無茶をし過ぎないでください」と早速苦言を呈してきた。怪我が治ったばかりの体を気遣って夜はしっかり眠るようになったから調子は良いと言っても、少しは休憩を挟んでくださいと小言を言われる。
 あんまりうるさいので、「あの城での最後の一ヶ月のほうがよほど不健全で不健康だった」と意地悪く言えば、箍が外れたように抱き合ったことを思い出してか、スザクは申し訳なさそうな顔をした。
 そうしてスザクをからかいつつ、いつもの日常を滞りなく過ごしている毎日だ。当たり前というのはありがたいことだと、ルルーシュはしみじみ思った。
 シュナイゼルからの呼び出しを受けたのは、それからさらに二週間が過ぎた頃である。
 二人きりで話したいことがあるからスザク君は置いてきなさいと言われたので、スザクは宰相室の前で待機させた。戻って早々、面倒事を押し付けられるのだろうかと警戒して訪ねると、異母兄は優雅にお茶を飲んでいる最中だった。

「やあ、ルルーシュ。美味しい菓子をもらったから君もどうかな」
「いただきます」

 すぐには本題に入らないシュナイゼルに付き合ってお茶を飲む。趣向を凝らしたプチガトーがテーブルに並び、ほかにもあるからナナリーのお土産に持って帰りなさいと勧められた。
 この異母兄は滅多に感情を表に出さない人だが、今日はどこか楽しげに見えた。何か良いことでもあったのかと訝しがりながらカップを傾けていると、ところで、とようやく話を切り出してきた。

「近々、父上が引退されるようだよ」

 さらりと告げられた衝撃的な内容に、ルルーシュはカップを持ったままシュナイゼルをまじまじと見つめた。

「と言っても、今すぐではない。実際に引退するのは数ヶ月、場合によっては一年以上先のことだ」
「ま、待ってください、それは本当ですか? 兄上の冗談ではなくて?」
「こんな冗談を言っても面白くないだろう」
「なぜ急に」
「急な話ではないよ。以前から引退については何度か口にされていたが、父上もお年だ。そろそろゆっくりされたいのだろう」

 生まれたときから父は皇帝だったので、皇帝を辞めた父というものを想像するとなんだか変な感じがした。
 ゆっくりすると言うけれど、あの父に何か趣味があっただろうか。母上と一緒に海外旅行でもするつもりかと首を傾げる。

「もっとも、後継者の問題があるからね。いくら父上が希望しても、次期皇帝を正式に決めるまでは引退できないよ」
「そうですね。でも、それはすぐに決まるのではないですか? 次の皇帝は兄上でしょう?」

 皇宮内の人間も世間もルルーシュ自身も、当たり前のようにそう思っていた。シュナイゼルは為政者として完璧だ。皇帝という地位が欲しくないと言えば嘘になるけれど、誰からも文句を言われない人選となればシュナイゼルのほかに適任はいない。
 すると、異母兄はどこか意味ありげに笑った。

「私はね、次の皇帝に相応しいのはルルーシュ、君だと思っているんだ」
「――は?」

 想定していなかった発言にルルーシュは今度こそ固まった。
 これもシュナイゼルの冗談だろうか、それとも甘い餌をちらつかせて何かを試しているのか。数秒の間に頭の中でいくつかのパターンを考えていると、「私は本気だよ」とシュナイゼルが告げた。

「本気で君を皇帝に推薦したいと思っている」
「な…っ、ちょっと待ってください。兄上以上に皇帝に相応しい人間はいません。私はまだ若輩者ですし、経験も少ない。とても皇帝の器ではありません」
「謙遜だね。それとも本心で言っているのかな」
「もちろん本心です」
「やれやれ、自分の魅力を本人が一番わかっていないということか。これは困りものだ」
「冗談はやめてください、兄上」

 ぴしゃりと言えばシュナイゼルが肩を竦めた。

「私を担ぎ上げて何かするおつもりですか」
「心外だなぁ。私は弟の能力と才能を正当に評価しているつもりだよ」
「誤魔化さないでください。何か裏があるのでしょう? 兄上だって皇帝の椅子を狙っていたのではないのですか。私なんかに譲る理由があるとはとても思えません」
「随分と警戒されたものだ」

 わざとらしく嘆くシュナイゼルだが、この異母兄が一筋縄ではいかないことをルルーシュはほかの誰よりも知っている。なんの魂胆もなく美味しい話を寄越すとは到底考えられなかった。

「先日の事件、最初こそ皇宮内では君や枢木君を非難する声があったけれど、世間では美談として浸透しているようだよ」

 突然変わった話題に怪訝な顔をする。シュナイゼルは口元に笑みをたたえた。

「君を守るために騎士のスザク君が怪我を負い、怪我をした騎士を守るために君が敵と対峙し、撃たれてしまった。君たちの美しい主従愛をブリタニア国民は信じ、感動しているらしい」
「らしいって、その話を流したのは兄上でしょう」
「だが、最初に頼んできたのは君だよ。そして、そのとき君は私と約束したはずだ。私の頼みをなんでもひとつ聞いてくれると」

 まさかここでその約束を持ち出されるとは思わず、ルルーシュは目を瞠った。ソファから腰を浮かせかけ、しかし諦めたように背もたれに寄りかかった。

「確かに聞くとは言いましたが、俺が想定していたのはもっと別の……」
「なんでもと言ったことをもう忘れたのかな?」
「しかし、スザクの件はもともと兄上が請け負うとおっしゃっていたことで、私はただお願いをしただけで」
「約束は約束だよ、ルルーシュ」

 にこにこと笑うシュナイゼルが憎らしい。ルルーシュは溜め息をついて額に手を当てた。
 スザクを非難する向きがあることは目覚めた当初にジェレミアから聞いて知ったことだ。そんな非難をするのは日本人のスザクが日頃から気に入らない連中や、これを機にルルーシュを蹴落とそうと企む連中ぐらいなものである。
 普通の感覚を持った人々は、毒ガスが宰相府にばら撒かれることを身を挺して阻止したルルーシュや、ルルーシュを守るために必死に戦ったスザクに対して同情的だった。
 しかし、非難の声を放置していたらそのうちゴシップ紙にリークされ、騎士としての適正を疑う声が上がるかもしれないと危惧した。だから意識を取り戻してすぐに、不本意ではあったけれどシュナイゼルにある依頼をした。
 動けない自分の代わりにスザクにまつわる不名誉な評価や非難を潰してくれないか、というのがその内容だった。
 スザクの不利益にならなければ内容は問わない。とにかく騎士としてのスザクの評判を落とすような話が世間に出回ることを阻止してほしい。それが叶った暁には、異母兄の頼みをなんでもひとつ聞く。
 それがそのときの約束である。
 (――だが、頼み事がまさか皇帝とは)
 予想も想定も超えていて言葉が出ないし、気持ちも考えもまったく整理がつかない。
 皇帝になりたいという野心はある。だけど、それを叶えるには様々なハードルを越えなければいけない。その最大のハードルが異母兄のシュナイゼルで、懐柔するにしろ政敵として倒すにしろ、こちらも無傷ではいられない相手だと覚悟していた。
 なのに、最大のハードルのほうから皇帝の椅子を差し出してきた。こんな都合のいい話があるだろうか。
 (いや、ない。絶対にない)
 身を起こしたルルーシュはシュナイゼルに挑むような目を向けた。

「もう一度お聞きします。兄上は何を企んでいるのですか」
「本当に心外だね。私は素直な気持ちで君を皇帝にと思っているのに」
「ですから、その言葉がすでに嘘くさいのです。皇帝の椅子を譲られてほいほい座ったところで上から剣が落ちてきたらたまりません。ご自分の傀儡にしたいのでしたら、もっと担ぎやすい人間を選んでください」
「私に向かってそういう物言いができるのは君くらいなものだよ。だからこそ、私は君を皇帝にしたいと思っている」

 どういうことかと眉をひそめる。シュナイゼルは皇族らしい笑みを浮かべてみせた。

「私自身は皇帝になりたいわけではない。ただ、人々が私に皇帝を望めばそれに応えようとするだけだ。そして、望まれれば私は完璧にこなすだろう。それは単なる期待や希望ではなく、事実だ」

 こんなことを言えるのはそれこそシュナイゼルくらいなものだ。
 現在の宰相の地位だって望んで手に入れたというよりは、人々がそれを当たり前だと思ったから期待通りに宰相となり、完璧な仕事をこなしているだけなのだろう。シュナイゼルとはそういう人である。
 だから、彼がもし皇帝になったとしても期待通りの働きをし、間違いなく賢帝となるはずだ。よく言えば完全無欠、悪く言えば面白味がない。
 本人も先がわかりすぎてつまらないと思っている節があり、だからなのか、シュナイゼルが絶対に選ばないであろう選択を政策検討の場で提案すると、その瞳が面白そうな色を浮かべる。
 (兄上は完璧な為政者だ。その判断に間違いはないし、母親の家柄だって申し分ないから周囲に疎まれたり恨まれたりすることもない。これほど皇帝の適任者はいないというのに)
 なぜ異母弟を皇帝に選ぶのか。
 最初の疑問に戻ってしまった。

「皇帝の責務を完璧にまっとうできる人間が皇帝になるべきです。皇帝は遊びではないし、ましてや権力欲を満たすためのものでもありません。それなのに、なぜ兄上が俺なんかを推薦するのか理解に苦しみます」
「私はね、君のさらなる成長を見てみたいんだよ」
「成長?」
「君の経験が浅いのは事実だ。君の優秀さは誰もが知るところだが、私に比べればまだ劣る」
「悔しいですが否定はしません」
「だからこそ、まだまだ伸び代がある。君がどこまで成長するか、私は間近で見てみたいんだよ。君には敵も多いが、敵の多さは裏を返せば君に人を惹き付ける強烈な何かがあるということだ。そして、それは味方に対しては強いカリスマとなる。まあ、君の身分に文句を言うような連中は君が皇帝になれば掌を返してくるだろうけどね」

 異母兄にしては珍しく多弁だ。そして、珍しく人を褒めてくる。
 なんだか気持ち悪いと思ったのが顔に出たのか、シュナイゼルが三度目の「心外だね」を口にした。

「これまで君には随分と宰相の仕事をさせてきたから、その能力については私が認めているというのに」
「宰相の仕事? 私が関わってきたのは宰相補佐の仕事で……」

 そこではたと気付く。やけに難しい仕事を押し付けてくるとうんざりしていたけれど、それらはすべて宰相の仕事だったのだ。そうすることで帝王学を直接学ばせる意図があったのかもしれない。

「それに、君の敵になりそうな人間はあらかた片付けておいたんだが」
「私は頼んだ覚えはありません」
「君はそう言うだろうと思っていたから、まあ少し早い誕生日プレゼントとでも思ってくれたらいい」
「何が誕生日プレゼントですか」

 先日の事件を機に不穏な勢力はシュナイゼルがすべて排除してくれていた。何か裏があるのではと薄々思っていたものの、まさか本気で弟のためにこの兄が働いたというのだろうか。単に恩を売りたかっただけなのではと胡乱な瞳を向けるものの、シュナイゼルは気にした様子もなく続ける。

「君はもともとマリアンヌ様効果で一般人気が高かったが、今回のスザク君との美談のおかげでさらに人気が高まっている。ここで君が皇帝候補となれば、皇宮内の思惑はともかく、国民的には大歓迎だろう」
「そのために俺とスザクの話を捏造したのですか」
「さあ、どうだろうね。とにかく、私は宰相のほうが性に合っているんだよ」

 やはり嘘くさいと思った。皇位継承権が高く、貴族からの信望もあり、ここまで皇帝として申し分ない人物がみすみす弟に皇帝の椅子を譲るだろうか。普通なら有り得ない。

「言っておきますが、兄上の傀儡になるつもりはありませんからね」
「そんなことは百も承知だよ」
「兄上の意見だからと聞くつもりもありませんから」
「万が一、君が誤った道に行くようなら諌めるが、それ以外で口を出そうなんて思っていないよ」
「では、私がエリア政策を見直すと言っても?」

 その質問にはさすがのシュナイゼルも即答しなかった。ルルーシュに注ぐ視線は普段と変わらないように見える。

「エリア政策か。それが困難な道であることは当然承知の上なんだろう?」
「ええ。昨日今日思い付いたことではありません」
「念のために聞いておくけれど、それはスザク君のためかな?」
「スザクはきっかけです。ナンバーズというだけで正当な評価を得られないこの世界は間違っているとずっと感じてきました。ですが、俺には制度の抜本的な見直しを実現できるだけの力はない。叶えられるのはブリタニアでただひとり、皇帝だけです」

 いつもスザクを傍に置きながら、彼がナンバーズである問題には気付かないふりをしてきた。平和な毎日が幸せで、その幸せを壊したくなくてずっと目を背け続けてきた。スザクは元ラウンズだし、今は皇族の騎士だから俺の傍にいれば差別に苦しむことはないとどこかで高を括っていたのだ。
 だけど、先日の事件でその認識は間違っていたと思い知った。
 今でも皇宮内でのスザクの扱いは日本人、いや、イレブンだ。日頃はあまり意識しないが、ひとたび問題が起こればその罪をなすり付けられる立場なのだ。
 しかし宰相補佐ではなんの権限もない。身分の低い皇子が口を出したところで効果はないし、下手すれば国家転覆の疑いをかけられるだけである。
 (だから兄上が皇帝になった暁には上手く取り入って進言しようかと思っていたが……)
 まだ計画段階にすらない、ただの夢想だったことを実現できるかもしれない。しかも自分の手で。
 それに思い至ったとき、ルルーシュの中で皇帝という地位が現実味を持ち始めた。
 この異母兄は本気で帝位を譲るつもりなのか。甘い餌を与えておいて、あとで騙し討ちにするつもりなのではないか。疑心暗鬼に苛まれそうだ。
 じと目で見てもシュナイゼルの表情は変わらない。もともと感情の読めない人なので、一連の発言が嘘なのか本心なのかを推測するのは無駄なことだろう。

「なるほど。つまり君には皇帝になる理由があるわけだね」
「理由というほどのものでは……。いずれにしろ、たとえ理由があったとしても即答できるお話ではありません」
「もちろん、今すぐここで決めなさいと言っているわけじゃないよ。父上が退位されるのはまだ先のことだし、君の心の準備も必要だろうからじっくり考えて、答えが出たらまた私のところに来なさい」
「――はい」

 お土産にと持たされた箱を抱えて宰相室を出る。廊下にはここに来たときと同じ姿勢でスザクが立っていた。
 そんなスザクに何かを言おうとして、しかしルルーシュは口を閉じた。箱をスザクに渡すと無言で廊下を進む。三つ目の角を曲がり、ようやく執務室のある棟に辿り着いた頃、「このあとの予定は何もないよな」と前を向いたまま尋ねた。

「宰相閣下とのお約束がありましたので、ほかは何も入れていません」
「そうか、ならば今日はもう帰ろう」
「わかりました」

 部屋に戻って急ぎの決裁だけを片付け、すぐに帰り支度をする。スザクとジェレミアを引き連れて一階まで下りると、迎えの車に乗り込んだ。
 ぼんやり景色を眺めながら、ルルーシュは頭の中でシュナイゼルの言葉を反芻していた。
 兄は本気で弟に皇帝の椅子をくれるつもりなのか。そもそも、父が引退する話は真実なのか。何かの折に出た話を勝手に広げているだけではないのか。こちらが退位を信じてなんらかのアクションを起こした途端、謀反だなんだと言いがかりをつけて捕えるつもりなのではないか。
 一癖も二癖もあるシュナイゼルなので疑い出せばキリがない。だけど、もし本当の話だとすればこれはまたとないチャンスでもある。
 シュナイゼルが帝位につけば永遠に皇帝の椅子は巡ってこないと半ば諦めていたから、皇帝に就けるかもしれないとわかったら急に欲が出た。
 (だが、すんなり皇帝になれたとして、スザクはどう思うだろう)
 出世を喜んでくれればいいけれど、ブリタニア皇帝に仕えるつもりはないと離れて行ってしまわないだろうか。
 もともとはラウンズだし、ブリタニア皇族に仕えている時点で今さらなことだが、スザクの心情はスザクにしかわからない。何かが琴線に触れ、最悪、主従関係の破綻を招くことになるかもしれない。
 どれも過度な心配だと言われるだろう。でも、未来のことは誰にも予測できない。
 心の中で溜め息をついているうちにアリエスの離宮に到着した。車を下り、自分の部屋へ真っ直ぐ向かう。
 しばらくひとりにしてくれとスザクに告げ、ルルーシュは部屋のソファに座り込んだ。背もたれに凭れかかり、顔を上げて天井を見つめる。
 (俺が、ブリタニア皇帝に)
 やはりにわかには信じがたかった。しかし、シュナイゼルが本気だとすれば、この話はルルーシュの一存では決められない。
 (まずはスザクに話して、母上とナナリーの了解をもらって、それからアッシュフォードにも話しておく必要があるか。ロイドは……別にいいか。あいつは俺が皇帝だろうと皇子だろうと、研究さえできればいいだろうし。アッシュフォード以外の貴族とはもともとあまり付き合いはないが、親しくしているところはいくつかあるから今のうちにリストアップしておくか。俺が皇帝になると知った途端、態度を変える連中が大勢出てくるんだろうな。待てよ、そしたらナナリーを妻にと求婚してくる男が増えるかもしれない。俺のことよりまずはそちらの対策が先か。とりあえずナナリーには咲世子を付けて、学校の送り迎え以外でも万全の体制で――)
 そこまで考えてルルーシュは小さく笑った。もう皇帝候補になった気分でいる自分が可笑しかった。
 はあ、と息をついて目を閉じる。
 本気で皇帝になるつもりなら、即位してすぐに動けるよう今から考えておかなければいけないことが山ほどある。皇帝の発言ひとつで国が動くのだ。責任は重大だった。
 (それを重圧だとは思わない。俺ならやれるし、その自信はある。でも、皆はついて来てくれるだろうか)
 ジェレミアも咲世子も、そしてスザクも。
 皇帝の側近と言えば聞こえはいいが、出世することで幸せになるとは限らない。かえって不幸を招くことだってある。母とナナリーも皇帝の生母と妹という立場になれば周囲の見る目が変わってくるだろう。自分ひとりの決断が近しい人々の迷惑になってはいけない。
 そう思う一方で、国をもっと良い方向に変えたいという純粋な気持ちもあった。
 ブリタニア皇帝になれば、これまで実現できなかった政策も容易に進めることができる。貴族が幅を利かせ、甘い汁を吸っているブリタニアの悪しき構造を劇的に変えるには皇帝の権力が必要だ。
 (しかし既得権益を奪われるとなれば連中の反発は大きいだろうな)
 最悪、反乱が起こるかもしれない。スザクとジェレミアがいれば鎮圧は可能だが、ブリタニア全土に広がると厄介だ。
 そう考えると、強硬手段ではなくもっと穏やかな方法で少しずつ変えていくほうがいいのかもしれない。しかし、手ぬるい方法では改革は進まない。
 匙加減が難しい、ともう一度溜め息をついてごろりと横になる。
 (こういうことはやはり兄上に相談しておいたほうがいいんだろうか。兄上には宰相を務めてもらわなければいけないし。だが、もし嫌がらせで宰相を辞められた場合は――)
 取りとめのないことを考えていたらいつの間にかうとうとしていたらしい。
 次に気付いたときには窓の外はすっかり日が暮れていた。しまったと慌てて起き上がる。
 ナナリーはとうに学校から戻っているだろう。しばらくひとりにしてくれという命令をスザクは律儀に守ってくれたようで、一度も様子を見に来なかったのはいいが、もしかしたら夕食を待たせているかもしれない。俺のせいで食事が遅れては大変だと、状況を確認するためにルルーシュは部屋の外へ向かった。
 この程度の確認なら通信で聞けばすぐに済む話だ。それをわざわざ自分のほうから訪ねるのは、場合によってはこのまま食堂に向かう必要があるからだと言い訳のように自らに言い聞かせる。本当はただスザクの顔を見たかっただけなのに、その思いは心の隅に追いやった。
 ドアを開けて廊下に出たルルーシュは、そこで目を瞠ってぴたりと足を止めた。
 視線の先にはスザクがいた。たまたま通りかかったという様子ではないから、ずっとここに立っていたのだろう。

「お前、何をしているんだ」
「殿下の護衛です」
「それならほかの者に任せればいいだろう」
「平時ならそうしますが、殿下のご様子が気になりましたので代わりに僕が」

 心配性なことだと思うと同時に、スザクにはばれていたかと小さく息をつく。

「ナナリーは?」
「学校からお戻りになっています。宿題があるそうで、今はお部屋です」
「では、夕食はまだだな」
「はい」

 それは良かったと胸を撫で下ろし、少し思案してからスザクに「中に入れ」と声をかけた。
 出てきたばかりの部屋に戻ってソファに腰掛けた。先ほどと同じ位置だ。目線で促すと、スザクはルルーシュの隣に座った。

「そんなに気になるなら中に入ってくればいいだろう」
「ですが、おひとりで考え事をされたいかと思って。また何か難しい案件ですか?」

 シュナイゼルの呼び出しと厄介な仕事は大抵がセットなので、今回もそれだろうとスザクは思っているに違いない。
 (厄介は厄介だが、まさか皇帝を打診されたとは夢にも思わないだろうな)
 体から力を抜いてスザクに凭れかかる。スザクは何も聞かず、そっと肩を抱き寄せただけだった。
 落ち着けるぬくもりを感じながら、ルルーシュはテーブルの一角をなんとはなしに眺めた。
 気が重いのとは少し違う。皇帝になりたいという気持ちはあるし、野心だって人並みにある。しかし、すぐに答えを決めるには大きすぎる問題だ。
 言い表しがたい気持ちが胸の中をぐるぐるしていて、だけどそれをスザクに洗いざらい打ち明けるにはルルーシュの中でまだ整理がついていなかった。

「スザク――」

 おもむろに顔を寄せるとキスをした。
 初めは触れるだけだったけれど、甘い口付けを繰り返しているうちに体が熱を持ち、自らスザクの舌を求める。
 いっそわけがわからなくなるくらい抱いてほしい。そう思って、息継ぎの合間に伝えた。

「抱いてくれないか」

 スザクが固まったのがわかった。
 日頃から恥ずかしい恥ずかしいと思ってきた科白がするりと出てきたことにルルーシュ自身も驚くけれど、口にしてしまったのなら仕方がないと開き直る。

「何も考えたくない。だからお前の好きなように抱いていい」

 しばらくルルーシュをじっと見ていたスザクは、おもむろに手を伸ばすと頬に触れてきた。いたわるように何度か撫でて、それから両手でむにっとつねられた。
 大して痛くはないけれど、意外な反応にルルーシュは目を丸くした。

「何を言い出すかと思ったら。そんな風に頼まれて、僕が喜んで君を抱くわけがないだろう?」

 騎士ではない、恋人のときの口調でスザクが少し怒ったように言う。

「抱きたくないのか?」
「そうじゃなくて。好きに抱いていいって言われて嬉しくないと言ったら嘘になるけど、それだと君の体だけが目当てみたいじゃないか」
「俺がいいと言っているのに」
「こういうのはちゃんと気持ちを通わせてやるものなの。君がいいと言っても僕はこんな状況で抱きたくないし、これじゃあ僕は都合のいい道具みたいじゃないか」
「そういうつもりではない」
「君にそういうつもりはなくても、そういう扱いをしたってこと」

 諭すように言われ、つねられた頬を優しく撫でられる。

「逆で考えてみてよ。僕がムシャクシャしているからって君を無理やり抱いたら嫌だろう? 君が嫌がることを僕はしたくない」
「意地悪はするくせに」
「あれはルルーシュのことが可愛くて仕方ないだけ」
「物は良いようだな」
「もう、茶化さない」

 わかったわかったと小さく笑えばスザクも口元を緩めた。

「僕も男だからそういう欲がないとは言わないけど、イライラをぶつける目的で君を抱いたりしないよ。そんなことはしたくないんだ。この気持ちはわかる?」
「ああ……」
「何も考えたくないって理由でセックスしてもかえって虚しくなるだけだよ。だから、そういうことは言っちゃ駄目」

 抱き締められ、子どもをあやすみたいに背中をさすられる。お説教をしつつも、スザクの口調は責めているものではなかった。
 俺のことを考えてくれているのだと思ったら嬉しくなり、同時に、軽率な発言をしてしまった自分が恥ずかしくなる。普通に誘っていたとしても、こちらの様子がおかしいことに気付いていたスザクはきっと何か察しただろう。
 スザクのぬくもりをもっと感じたいと思っただけで特に深く考えていたわけではないから、余計に自分がみっともなく感じられた。
 (これでは皇帝になる前に見限られそうだ)
 スザクが身を起こし、ちゅっ、と軽くキスをされた。本当に子どもを相手にしているようで思わず眉を寄せれば、眉間の皺を伸ばすように指先で撫でられた。

「でも、ルルーシュが本気で抱いてほしいって思ったときはいくらでも言ってくれていいから。いつでも大歓迎」
「うるさい。誰が言うか」
「素直じゃないなぁ」

 わざと軽口を叩いてくれるスザクの気遣いがありがたく、ルルーシュは「馬鹿」と言ってまた笑った。

「ナナリーの部屋で宿題の様子を見てくる」
「僕も一緒に行くよ」

 ソファから立ち上がれば、スザクの指がなぜか下唇に触れてきたので首を傾げる。

「キスの名残を残したままナナリー様のお部屋に行くわけにはいかないでしょう?」

 騎士の口調で囁かれた内容に、唾液を拭われたのだと思い至る。恥ずかしさに頬が赤くなったのを感じていたら、やはり殿下は照れてくださるほうが可愛いですね、とスザクがからかってきた。照れ隠しにムッとしてみせると、背を向けて部屋を出た。
 それからナナリーを訪ね、宿題のわからないところを見てから揃って食堂に向かい、家族三人とスザクとで夕食をとる。いつもと変わらない夜だった。
 母やナナリーの話に笑い、デザートに舌鼓を打ち、今度のお茶のときには同じものを作ってほしいとこっそりシェフに伝えてもらう。平和で穏やかなアリエスの夜だ。
 今のままでもこの平和は守れるのだろう。
 努力は必要だが、無茶をする必要はない。安寧とした暮らしを求めるのならば、いっそ何もしないほうが得策でもある。
 (だが、波風が立たないようただただひっそりと過ごすだけの毎日は俺の望んでいるものではない)
 皇族として生まれたからには義務がある。上に立つ人間としての責務も果たせないで何がブリタニアの皇子だ。そんなに穏やかな生活を望むのならば皇籍なんてさっさと返還してしまえ。そう思っている時点でルルーシュの腹は決まっているようなものだった。
 それでも、覚悟を決めたとはまだ言い切れない。幸い、異母兄はじっくり考えろと言ってくれた。これが罠だった場合、すぐに結論を伝えるのは危険だろう。
 (やはりシュナイゼル兄上への返事は先延ばしにしよう)
 夕食の時間が終わると部屋に戻り、ソファで読みかけの本を手にした。一緒について来たスザクも向かいで好きなように過ごしている。
 事前の予想通り、ペンドラゴンに戻ったらプライベートはなくなってしまったので、アリエスの自室にいるときだけがスザクと過ごせる貴重な時間だ。スザクへの脅しではないが、散々休暇を満喫したため今後数ヶ月、下手すれば年単位で休みはないかもしれない。皇帝になればプライベートは皆無だ。
 そんな生活を果たしてスザクは受け入れてくれるだろうかと思い、無意識に溜め息が出る。

「疲れてる?」

 心配そうな声に顔を上げれば、声と同じく心配そうな表情が目の前にあった。ルルーシュは笑って誤魔化した。

「疲れてはいないが、しばらく早寝早起きの規則正しい生活をしていたから眠くなるのが早くなったかもしれない」
「それならお湯を準備してもらうよ。明日もあるし、今日はもう寝よう」
「ああ」

 まとまらない考えは疲れるだけだと、勧められるままに浴室へ向かった。一日の汗を流し、入浴のあとは鏡の前でスザクに髪を乾かしてもらう。その頃になると本当に眠気が襲ってきた。

「僕は自分の部屋でお風呂に入るから、ゆっくり休んで」
「ん……」

 スザクと離れがたくて、でも、変な誘い方をしたばかりだから一緒に寝ようと言ったら誤解されるかもしれない。そしたら今度こそ軽蔑されるかもしれない。眠気のせいか、つまらないことをぐるぐると考えては勝手に落ち込むような気分になった。
 すると、スザクがするりと腕を回して後ろから抱き締めてきた。鏡越しに視線が合う。

「そんな顔しないで。すぐに戻ってくるから、そしたら一緒に寝てあげる」

 まさか心の声が漏れていたのかと慌てていると、鏡の中のスザクがにっこり笑った。

「ルルーシュは寒がりだから、僕と一緒なら温かいだろう?」
「今は夏だぞ」
「はいはい、じゃあすぐにお風呂終わらせてくるから待ってて」

 適当にあしらわれて唇をムッと尖らせる。だけど、スザクがいなくなったのを確認した途端、口元が勝手に緩んだ。
 ひとりでいたくないという気持ちが伝わったのか、様子がおかしいから傍で見守っておこうと思っただけなのか、いずれにしろこちらの思いを恋人は汲み取ってくれたようだ。
 ソファに移動し、スザクが戻ってくるまで本の続きを読むことにした。が、待っているうちに本格的に眠ってしまったようで、気付いたのはちょうどベッドに下ろされたときだった。

「ごめん、起こした?」
「いや、俺のほうこそすまない」
「気にしないで。やっぱり疲れてるみたいだから、今日は早く寝ちゃおう?」

 寝室の明かりを落とし、スザクが隣に潜り込んできた。体を寄せると抱き締められて、ルルーシュは思わず安堵の息を漏らした。

「おやすみ」

 おやすみ、と返して目を閉じる。
 安心できるぬくもりを傍で感じながら眠りに落ちるのは、ほかの何よりも幸せなことに思えた。

***

 (殿下の様子がおかしくなってから一週間か……)
 目の前には普段通りてきぱきと書類を片付けるルルーシュがいた。
 これだけを見れば様子がおかしいとは誰も思わないだろうし、実際、スザク以外の人間はルルーシュの異変に気付いていない。
 しかし、四六時中彼の傍にいると言っても過言ではないスザクにとって、その異変は明らかだった。心配事や悩み事ではなさそうだが、何かをずっと考え込んでいて、時折上の空にもなる。
 人目があるところではいつものルルーシュだから、スザクの前だけで上の空になるのは気を緩めてくれている証拠だろう。それはそれで嬉しいものの、考え事の内容はいつまで経ってもわからない。
 深刻そうな雰囲気ではないため、無理に聞き出すことはせずにルルーシュが打ち明けてくれるのを待っているのだが、悠長に構えているふりもだんだんつらくなってきた。
 (またシュナイゼル殿下に何か言い付けられたのかな)
 一週間前のシュナイゼル訪問後から様子がおかしいので、原因は十中八九シュナイゼルにあるのだろう。
 あの帝国宰相は為政者としては素晴らしいが、何かにつけルルーシュを巻き込むのだけは迷惑なのでやめてほしい、というぼやきは心の中に留めておく。皇宮でうっかり口を滑らせたら間違いなく極刑ものだ。
 そんなことをつらつら考えているうちに、ルルーシュの仕事はあっという間に終わっていた。今日は書類だけを処理すると言って珍しくアリエスの執務室に朝から籠もっていたのだが、時計の針はまだお茶の時間にもなっていない。昼食を挟んでこれなのだから、相変わらず脅威の事務処理能力だと舌を巻く。

「全部終わったからジェレミアに渡しておいてくれ。今日中に各部署に届けてくれればいいから急ぐ必要はない」
「わかりました」
「それと――」

 時計をちらりと見て時間を確認したルルーシュは、両手を組むとスザクのほうに顔を向けてきた。

「少し付き合ってくれないか」
「どちらへ?」
「この城のてっぺんだ」

 連れて行かれたのはアリエスの最上階で、使用人たちが展望台と呼んでいる場所だった。
 エレベーターを使って上まで行くと、廊下をしばらく歩いた先に古めかしい扉があった。扉の向こうには階段があって上まで続いている。

「アリエスの中はだいぶ詳しくなったつもりですが、こんな場所があるとは知りませんでした」
「このフロアは滅多に来ないからな。俺も頻繁に足を運ぶわけじゃないし、子どもの頃は立ち入り禁止だったんだ。危ないからと母上に言われて、だから言い付けをちゃんと守っていたんだが、どうやらナナリーはひとりで何度も遊びに来ていたらしい」

 苦笑いしたルルーシュに、さすがはナナリー様ですと笑い返す。
 可愛らしい雰囲気のナナリーだけど、実はとても活発で、幼い頃はなかなかのお転婆だったそうだ。運動神経も抜群で、兄妹なのにどうしてここまで違うのかしらとたまにマリアンヌ皇妃が不思議がっているらしい。
 ユーフェミアも「さすがはマリアンヌ様譲りの身体能力ね」とナナリーを褒めたあと、ルルーシュを見てくすくす笑うそうで、そのたびにルルーシュは機嫌を悪くしている。
 (殿下の場合はとにかく体力がないから、そこを克服すればだいぶいいと思うんだけどな)
 リハビリのときは必死に頑張っていたのであの頑張りを継続すれば問題ないのに、元気になった途端、またいつものルルーシュに戻ってしまったから、これ以上はうるさく言っても無駄だろう。
 階段を上るルルーシュの息は少し切れている。だからやっぱり体力向上をですね、と思ったものの口には出さなかった。
 ルルーシュと同じペースで一番上まで上り、外へと繋がるドアを開ける。

「わぁ……」

 そこにはペンドラゴンの広大な景色が広がっていた。
 奥へと進み、欄干に手を乗せて下を覗き込む。眼下にはアリエスの庭園があって、庭師が何やら作業をしているのが見えた。

「すごいですね」
「夕暮れ時や朝焼けのときはもっと綺麗だ」
「それは見てみたいです」

 昼間の青空と白い雲のコントラストも素晴らしい。ここで日がな一日景色を眺められたら贅沢だなと、しばらく無言で世界を見下ろす。

「実は、お前に話があるんだ」

 その一言でルルーシュの意図を察した。
 ここまで連れて来たのはこの景色のためではなく、恐らく一週間前から考え込んでいる何かを打ち明けるためだったのだろう。部屋ではなく、絶対に盗み聞きをされない場所で。
 スザクのほうは見ず、視線を真っ直ぐ前に向けたままルルーシュが口を開いた。

「次の皇帝にならないかと、シュナイゼル兄上から打診された」
「え……?」

 何を言われても平常心でいようと覚悟していたが、まったく想定していなかった単語を耳にした気がして、ルルーシュを見つめたまま思わず固まる。

「冗談ではないからな」
「それは……、おめでとうございます、と言ってもいいのでしょうか」

 素直な感想を漏らせば、ルルーシュが可笑しそうに笑った。

「とんでもない大出世だ。一応、おめでとうでいいんじゃないか?」
「そうですね、おめでとうございます。しかし、シュナイゼル殿下はどういうおつもりで?」
「兄上の考えはさっぱりわからない。高みの見物が好きな人だから、俺に面倒なことを押し付けただけという線は捨て切れない。俺が何か失敗すれば美味しいところだけ持っていくかもしれないし、全面的にはまだ信用していない」

 だが――、とルルーシュがスザクを振り向いた。

「俺は失敗するつもりはないし、兄上に足を掬われるようなヘマもしない。それに、どういう理由があるにしろ、兄上が俺のために敵対勢力を排除してくれたのは確かだ。だったら、俺はこの誘いに乗るべきだと思う」

 次期ブリタニア皇帝はシュナイゼルだろうというのが大方の見方だ。
 ここでルルーシュが皇帝になると判明すれば国内はちょっとした騒ぎになるだろう。中には、皇位継承権の低いルルーシュでは相応しくないと言い出す人間もいるかもしれない。でも――。

「殿下が皇子でも皇帝でも、僕は殿下をお支えするだけです」
「反対はしないのか?」
「なぜです? 殿下のご決断を反対する理由などありません」
「決して楽な道ではないし、今までのような自由はなくなるだろう。それは騎士であるお前も同じだ。だからもし――、もし、お前が平穏な生活を望むのなら、俺の騎士を辞めていい。日本に帰りたければその手続きをするから」
「僕を見くびらないでください」

 思わず強い口調で遮れば、ルルーシュが微かにびくりとした。怖い顔をしているのかもしれないけれど、今はルルーシュの考えを訂正するほうが先だ。

「あなたが銃弾に倒れたとき、僕は騎士失格だと思いました。こんな役立たずの騎士は辞めてしまったほうがいいと一時は本気で考えた。でも、あなたを守る役目をほかの誰かに渡したくはなかった。あなたの一番近くにいるのは僕じゃないと嫌だった。あなたを守るのは僕だけで、あなたの傍にいられるのも僕だけだと、そんな我儘なことを思ったんです。だから、僕は何があってもあなたから離れるつもりはありません。殿下がブリタニア皇帝になっても、逆にただの一般人になると言われたとしても答えは同じです。僕は殿下の騎士です」

 息を詰めた様子で聞いていたルルーシュは、スザクの言葉が終わると安堵するような息を漏らした。
 皇帝になることをさらりと宣言していたのに、内心では緊張していたのだろうか。

「まさか、この一週間どこかご様子がおかしかったのは、皇帝になることを迷われていたのではなく、僕の反応を気にされていた……わけはないですよね」

 最後のほうは冗談っぽく言ったのに、スザクをねめつけるルルーシュの頬がほんのりと赤い。

「え……、本当に?」
「っ、うるさい!」

 一喝するとルルーシュはぷいと顔を逸らした。

「――別に、自信がないわけではない。皇帝になってこの国を正しく治める自信はある。つまらない貴族がのさばるブリタニアを正したいという思いはあるし、間違った政策はいずれは正さなければいけない。そしたら、お前に日本を返してやれるから」
「まさか僕のために」
「自惚れるな。お前のためではない。間違いを正すだけだ」

 失われた祖国を諦めたつもりはなかった。でも、現状に満足してその気持ちを心の隅にしまい込んでいたかもしれない。そもそも、ブリタニア相手に取り戻せるはずがないとどこかで思っていなかったか。
 故郷の人々が今のスザクを見れば腑抜けになったと言うのだろう。でも、ルルーシュの騎士になったことは後悔していないし、選んでくれた彼には感謝している。
 その上、故郷を返してやれるとまで言ってくれるのだ。騎士が日本人だからその考えに至ったと思うのはやはり自惚れだろうか。

「ありがとうございます」
「お前のためではないと言っているだろう」

 唇を尖らせて否定するルルーシュは子どもっぽい。ついつい笑えば、また睨まれた。

「皇族である以上、皇帝の椅子をまったく意識してこなかったと言ったら嘘になる。父上や兄上の仕事ぶりは間近で見てきたから、国を治めることの意味はほかの誰よりも理解しているし、その点について不安も心配もない。ただ、お前が嫌になって離れてしまわないだろうかと、それを考えたら怖くなった」
「僕が殿下を嫌になるなんて有り得ません」
「わかってる、だからこれは俺の取り越し苦労だ」

 照れたような、でもどこか泣き出しそうな横顔に胸を締め付けられた。普段は自信たっぷりなルルーシュがこんなに弱いところを見せてくれるのは恋人である僕だけなんだと思えば、たまらない嬉しさも生まれる。
 一歩近付き、ルルーシュの手を取った。いずれこの手がブリタニアの未来を握ることになるのだ。どれだけの苦労を背負い込むことになるのだろうと、騎士であり恋人でもある身としては心配になる。
 だけど、ルルーシュならば必ずやり遂げるのだろう。ルルーシュに対する絶対的な信頼はスザクの誇りでもあった。

「――ルルーシュ」

 二人きりのときに呼ぶ名前を声にした。どうしたと尋ねるようにルルーシュが小さく首を傾げる。

「ここで僕たちの永遠を誓おう」
「は?」
「僕たちの関係を公にすることはできないけど、ここでお互いに誓い合おう」
「何をいきなり……」
「だって、これからは皇帝になる準備のために忙しくなるだろう? 周りも騒がしくなって、二人きりになれる時間なんて取れなくなるよ。下手したらこれが最後かもしれない」
「それはそうだが、でも性急すぎないか」
「皇帝になれば、君はこの国のものになってしまう。だからその前に、君は僕だけのものだと誓ってほしいんだ」

 なんて我儘だろう。ルルーシュの都合も考えず、自分勝手もいいところである。
 だけど、誰にもルルーシュを渡したくない。相手が誰であろうと、この国であろうと、ルルーシュは僕だけのものだ。

「お前な、そういうのはもっと順序を考えて――」

 諭すように言いかけたルルーシュは、ああもう、と髪をぐしゃぐしゃと掻き乱すと大きく息をつくた。

「そういう我儘が嬉しいと思っている時点で俺もどうしようもない」
「ルルーシュ――」
「誓えばいいんだろう、誓えば」

 ぶっきらぼうな口調は照れ隠しに違いない。その証拠に、目元が赤くなっている。

「神の前ではないが、この世界が証人だと思えば問題ないだろう」
「なんだか壮大だね」
「ああ、だから約束を違えたときの罰は覚悟しておけよ」
「わかってます」

 神妙な口振りで頷くと、二人一緒になって笑みを零した。
 繋いだ手を大事に握り締め、深呼吸をひとつする。

「枢木スザクは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアただひとりを愛すると誓います。僕と生涯、共に生きることを誓ってくれますか?」
「はい――。死が二人を分かつまで、共にあることをここで誓います」

 指輪の代わりに薬指に口付け、それからルルーシュの柔らかい頬を包むと唇にキスをした。

「約束だよ」
「ああ、約束だ」

 愛しさを込めて細い体を抱き締める。
 二人きりの誓いを知る者は誰もいない。誰かに打ち明けるつもりもない。ただ、二人だけが知っていればいい。これは二人だけの愛の誓いだ。
 秘めたまま終わらせようと心に決めていた恋が、こんな形で実を結ぶことになるとは思ってもいなかった。あの頃の自分に今の状況を伝えたら嘘だと言われるに違いない。
 好きだという気持ちを素直に打ち明けることができて、この想いを拒絶されることなく受け取ってもらえて、僕はなんて幸せなのだろう。

***

 皇帝の話を打診されて半月後。
 ルルーシュは再びシュナイゼルの部屋を訪ねた。今度はスザクを伴って。

「二人揃って来たということは、色よい返事をもらえるということかな?」
「はい。先日のお話、正式にお受けいたします」
「それは良かった。父上もお喜びになる。では、このあと父上に会って報告しよう」

 側近のカノンを呼んだシュナイゼルは、皇帝陛下に謁見したいから時間を取ってほしいと指示するとルルーシュに向き直った。

「時間が決まるまでしばらくお茶にしようか」
「お忙しいのではないのですか」
「ルルーシュとお茶をするぐらいの時間はあるさ。スザク君もそこに座りたまえ」
「しかし……」
「スザク、兄上のお心遣いだ」

 振り向いてにやりと笑えば、スザクが困ったような顔をした。皇族二人に勧められてはさすがの元ラウンズも断われるはずがなく、失礼いたしますとルルーシュの隣に腰掛けた。

「今日はチョコレートをもらってね。私ひとりでは食べきれないからちょうど良かった。たくさんあるからナナリーにも持って帰ってあげなさい」

 先日と同じような科白を聞きながら、皿に乗ったチョコレートを手にした。口に入れるとすぐに溶けてしまうチョコレートは不思議な食感だった。
 アリエスのシェフに聞けば作り方がわかるだろうかと思っていたら、「ところで」とシュナイゼルが切り出した。

「ルルーシュが皇帝になったらスザク君はどういう扱いにするつもりかな。普通に考えればラウンズに戻すのだろうが」

 その質問にルルーシュは口元を緩めた。

「いいえ。スザクはラウンズには戻しません」
「え?」

 隣から意外そうな声が上がったけれど、そちらのほうは見ないまま口を開く。

「スザクにはラウンズを超えるラウンズ、ナイトオブゼロとして私のもっとも近くで働いてもらいます」

 これはまだルルーシュの構想でしかなく、スザクにも話していないことだった。隣のスザクは当然驚いているし、目の前のシュナイゼルは「それはそれは」と面白そうな顔をしていた。

「なるほど、ナイトオブワンをも超えるラウンズとは考えたね」
「もちろんラウンズは残します。ですが、それでは今までと何も変わらない」
「既存のブリタニアとは違う、君の創る新たなブリタニアということか」
「はい。――というわけだ、スザク。俺は俺のやり方でこの国を変えていこうと思う。そのためにまずはお前のナイトオブゼロ就任となる。事前の相談はまったくしていないが、いいな?」
「異存はありません。僕は殿下の騎士です。殿下の行くところへついて行きます」

 ありがとうと礼を告げる代わりにルルーシュはふわりと笑んだ。顔を引き締めたスザクが小さく頷く。
 そこへ、皇帝陛下への謁見の許可が下りたとカノンが知らせに来た。

「あっという間でしたわ。シュナイゼル殿下とルルーシュ殿下がお揃いだとやはり早いですね」
「なんだかんだ言って、父上はルルーシュに甘いからね」
「何をおっしゃっているのですか。父上が甘いのは兄上でしょう?」
「とルルーシュに言われるのが私は少々不服でね。どう思うかな、スザク君」
「自分のことは自分ではなかなかわからないものですから」
「そういうものだろうか」
「そういうものですわ」

 何やら話が通じているらしい三人に首を傾げる。どういう意味だとスザクの袖を引いても苦笑いを返されただけだ。自分ひとりがのけ者にされているようで面白くないと眉を寄せれば、ご機嫌を損ねないでくださいとなだめられた。

「陛下はルルーシュ殿下がお好きだということです」
「冗談だろう」

 短く否定すると、シュナイゼルが声を立てて笑った。

「だからなんなんですか」
「いや、ルルーシュは可愛いと思っただけだよ。さて、それより謁見の間に行こう。あまり待たせると父上がやきもきしてしまう」

 シュナイゼルを追いかけてルルーシュも部屋を出る。前を行く異母兄とカノンの背中を眺めながら、兄上は俺を褒めているのか貶しているのかわからないと小声でスザクにぼやいた。

「もちろん褒めていらっしゃるのですよ」
「そうか?」
「そうでなければ今回のようなお話はないでしょう?」
「まあ、それは一理あるが」

 異母兄に担がれているという疑いはまだ消えていない。しかし、父に報告した時点でこの話は正式なものとなり、本格的に動き出す。もう後戻りはできない。
 ルルーシュ、と名前を呼ばれたのでシュナイゼルの隣に並ぶ。

「君にはこれからさらに学んでもらわなければいけない。のんびりしている暇はないよ」
「わかっています」
「色々と大変になるだろうが、うるさい外野は私がなんとかしよう。私の楽しみを奪われては興醒めだからね」
「やはり面白がっていますよね、兄上」
「楽しみなだけだよ」
「まあ、そういうことにしておきます」

 ちらりと後ろを振り返ればスザクと目が合った。再び前を向き、頬を緩める。

「大丈夫です。私には枢木スザクという頼もしい騎士がいますから。そうだろう? スザク」
「イエス、ユアハイネス」

 スザクの視線を背中に感じながら、ルルーシュは口元の笑みを深めた。
 こんな形で想いが実ることを誰が想像しただろう。ただ傍にいられればいいと願った相手と生涯を誓うなんて、あの頃の自分が知ったら驚き呆れ、嘘だと一蹴するに違いない。
 でも、これで終わりではない。ここからが始まりだ。
 むしろ、これからのほうが困難かもしれない。茨の道であることは皇帝を決意したときから覚悟している。最初のうちは何かと問題が起こるであろうことも想定済みだ。
 でも、怯みはしない。
 (俺の傍にはスザクがいるから)
 スザクといればきっとなんだってできる。不思議とそう思えた。
 一生秘めておくつもりだった想いを伝えられて、同じ気持ちを返してもらえて、同じ未来を目指すことができて、俺はなんて幸せなのだろう。
 俺はお前だけのもので、お前は俺だけのものだ。
 だから共に生きよう、スザク。
 (16.08.31)