こういうとき、騎士から主に何か贈るものなのだろうか。
そんな疑問がふと浮かんだのは、ルルーシュの皇帝即位が正式発表されて半月が経った頃だった。
いつもと変わらず書類仕事に精を出す主は、皇帝になることが決まってその忙しさに拍車がかかったようだ。
日々の仕事に加え、父親である現皇帝から引継ぎを受け、さらには帝国宰相からもレクチャーを受けている。「一日二十四時間では足りない。せめて倍の時間をくれないか」というのが最近の彼のぼやきだ。
そうしてルルーシュがどんどん忙しくなるのと反比例するように、スザクは空き時間が増えた。
もちろん、望んで暇になったわけではない。主が忙しいのに騎士は暇という状況が心苦しく、忙しい彼のために少しでも何か手伝いをしたいと訴えた。
しかし、「父上や兄上と会っている間は外していい、むしろ外してくれ、お前がいてもなんの役にも立たない」と言われてはすごすごと引き下がるしかなかった。
ではせめて護衛をと思っても、皇帝や宰相となればその警備の厳しさはブリタニア随一である。皇帝付きの護衛に任せていればルルーシュの身の安全は保証されるため、スザクがわざわざでしゃばる必要はない。
そういうわけで、急に空き時間ができてしまった。
時間ができたからと言ってのんびりだらだら過ごしていいわけではないし、ルルーシュが勉強会の間に書類を仕分けたり、終わった決裁を届けたり、こまごまとした仕事はたくあんある。
でも、どれもすぐに終わってしまうものばかりなので、すぐに暇になってしまうのだ。
「殿下が皇帝になられたら貴公も忙しくなるのだから、今のうちに暇を満喫すればいいではないか」
ジェレミアからはそう勧められたものの、ルルーシュが一生懸命勉強をしている最中に騎士が暇を持て余しているのはやはりどうにも落ち着かない。
ならばとランスロットのシミュレーションに励んだところ、データはしばらく必要ないからもう来なくていいよと、ロイドからも追い出されてしまった。こちらはナイトオブゼロ専用機としての改良作業に忙しいらしい。
改良が済んだらまた呼ぶからそれまでは出入り禁止とまで言われ、結局、スザクひとりが暇な状況が続いている。
だからかもしれない。普段なら思い付かないようなことを考えてしまったのは。
(騎士が主に何かを渡したなんて聞いたことないよなぁ)
主から騎士には騎士章が渡されるけれど、騎士から主に対しては特に渡すものがない。それが当たり前で、前例も慣例もないのだから気にする必要はない。
(でも、一応プロポーズのようなものをしたわけだし……)
ルルーシュから次期皇帝のことを打ち明けられたとき、二人で永遠を誓った。あれは間違いなくプロポーズだ。
プロポーズの際に何か贈り物をするのは不自然ではない。むしろ自然である。
(となれば、ここはやはりエンゲージリングかな)
窓辺に立って外の景色を眺めながらスザクは腕組みをした。
騎士として、恋人として、ルルーシュに永遠を誓った証を贈りたい。誕生日でもないのに贈り物なんてとルルーシュは嫌がるかもしれないけれど、永遠を誓おうと言い出したのはこちらなのだから、流れとしてはおかしくないだろう。
(やっぱりこれは独り善がりな考えなのかな)
毎日はめてくれとは言わない。ルルーシュの立場を考えればそんなことは到底できないと理解している。世間一般的なカップルの真似事をしたいわけではなかった。
ただ、彼に持っていてもらいたいだけだ。約束を形にしたいというただの我儘だ。
だけど、その我儘をルルーシュに嫌がられたらと思ったら二の足を踏んでしまった。
ここは本人から率直な意見を聞いたほうがいいのかもしれない。でも、こっそり用意して驚かせたいという気持ちもある。そういう考えが結局のところは独り善がりなのか。
堂々巡りに陥ってしまい、腕を組んだまま考え込んでいると、「どうされました?」と可憐な声が聞こえてきた。
「ナナリー様」
顔を横に向けると制服姿のナナリーがいた。そういえばここは自分の部屋ではないのだと今さらながらに思い至る。
「学校はもう終わったのですか?」
「もうすぐ試験なので今日は早く終わったんです。スザクさんは何か考え事ですか?」
「考え事というほどのものではないのですが……」
「お兄様のことですか? 私で良ければ相談に乗りますよ」
ルルーシュのことで悩んでいますと顔に書いていたのだろうか。それとも、スザクが悩むのはルルーシュのことしかないと思われているのか。
いずれにしろ、彼の妹には全部ばればれのようで少々情けない。
「お兄様はお部屋ですか?」
「宰相閣下からの宿題に頭を悩ませているようです」
「ああ、なるほど、だからスザクさんは追い出されたわけですね」
最近のスザクの状況を彼女は正確に把握していて、そうなんですとスザクは苦笑いを浮かべた。
「でしたら私の部屋――、だとお兄様が嫉妬しちゃうからやめておいて、サロンでお話を聞きますよ。お腹が空いちゃったのでお茶をしながらでもいいでしょうか」
「今日も部活を?」
「はい。だからお腹ぺこぺこで」
よく食べてよく動くのはいいことである。厨房に頼んで食事を用意してもらう間、ナナリーは着替えのために一旦部屋へ戻った。
サロンではお茶の準備が進められていて、スザクは邪魔にならないよう端っこで待っていた。ナナリーが到着する頃にはセッティングが終わり、二人で席に着く。
温かい紅茶が並ぶと、ふいにナナリーが笑い出した。どうかしたのかと首を傾げる。
「スザクさんと一緒にお茶をしたと知ったらお兄様が拗ねるかも」
「まさか」
「だってお兄様、最近ずっとお忙しいからスザクさんとゆっくりできないってぼやいていらっしゃいましたよ」
「でも、お部屋にいようとしても殿下に追い出されてしまうのですが」
「お兄様は素直じゃありませんから。本当はスザクさんにいてもらいたいけど、傍にいると甘えてしまうからわざと冷たくしているんですよ」
嬉しいことをさらりと言って、ナナリーはサンドイッチにぱくついた。どうやら騎士のことだけでなく、兄のこともお見通しらしい。
これがほかの人間ならばなんの根拠があってと疑うところだけど、彼女の言葉なら素直に信じられたし、単なる慰めだったとしても都合良く信じたい。
ナナリーがサンドイッチを食べ終わるまでの間、彼女の学校や部活での出来事、最近の流行りものについて話していたけれど、やがて話題はルルーシュの皇帝即位に関する世間の関心の高さへと移っていた。
二人とも一番大切なのはルルーシュなので、ルルーシュという共通話題になると無意識に熱が入った。
次期皇帝が発表された当初は、シュナイゼルを差し置いてルルーシュが皇帝に選ばれたことに驚きと歓迎と批判が入り混じっていた。
以前からシュナイゼルが異母弟を皇帝に推すのではないかとの噂はあったものの、実際にニュースとして流れると、若き皇帝に期待する人がいる一方、ブリタニアという大国を任せるには若すぎるのではないかと不安を抱く人も多かったようだ。
しかし、もともと世間でのルルーシュの人気は高く、皇帝と宰相が揃ってルルーシュを評価していることは大きなポイントとなった。
滅多に皇子や皇女と一緒の姿を撮らせない皇帝が、様々な場面でルルーシュを同席させたり、頻繁に謁見を行うようになったことで、後継者はルルーシュであると国民にアピールしたのは大きい。
また、メディアを使ってこれまでの実績を大々的に宣伝し、ルルーシュのイメージアップを図ったことも人気上昇に貢献したようだ。
このメディア戦略はシュナイゼル主導によるのもので、ルルーシュ本人は「だいぶ脚色されている」と眉をひそめていたが、スザクやナナリーを始めとする近しい人々の間では好評だった。
シュナイゼルはルルーシュの魅せ方をよく知っているというのが妹たちの評で、さすがは弟を密かに溺愛しているだけのことはあるとスザクはこっそり思った。
いずれにしろ、次期皇帝の発表から半月が経った現在、国中が次期皇帝を歓迎するムード一色になっていた。
「でも、お兄様が皇帝に即位される日が来るなんて思ってもいませんでした。お兄様の能力が低いとかそういう意味ではなくて、私たちを取り巻く環境を考えたら到底不可能なことだと思っていたので。シュナイゼル兄様がいくらお兄様を推していたとは言え、皇宮も世間も次の皇帝はシュナイゼル兄様か、あるいは皇位継承権の順番通りにオデュッセウス兄様かってところで予想していたでしょうから」
「ルルーシュ殿下が一番驚いたのではないでしょうか」
「本当に」
くすくす笑ったナナリーが、あっ、と何かを思い出したような声を上げた。
「スザクさんはご存知ないでしょうが、次期皇帝の話を初めて私やお母様に打ち明けたときのお兄様、まるでこの世の終わりのような顔をしていたんですよ。また何か大変なことがあったのかとさすがのお母様もちょっと緊張されていたのに、『次の皇帝にならないかと言われた』って深刻な様子でおっしゃるから、これは喜んでいいニュースですよね? って思わずお母様と目を合わせてしまいました」
スザクに打ち明けた翌日、ルルーシュは家族にも次期皇帝の件を話している。
二人に話さなければいけないけどどんな顔をして話せばいいのかわからない、歓迎してくれればいいが、もしこれを機に絶縁するなんて言い出されたらどうしようと、冗談ではなく本気で心配していたのが昨日のことのように思い出された。
どうして不安になる必要があるのかスザクには理解できなかったけれど、身内が皇帝になれば何かと面倒なことに巻き込まれるから、今まで通り二人が接してくれるかどうかわからないとルルーシュは心配していたらしい。つまり、ただの杞憂だ。
いつもは冷静な判断をするルルーシュが、大事な母と妹に対してはその判断力が鈍る。と言うより、自分に向けられる好意にとことん鈍いのだ。
ルルーシュが皇子だろうが皇帝だろうが庶民だろうが、彼を好きな人たちが離れることはないのに、そのことがいまいちよくわかっていないのである。
(人心掌握は得意なのに、なんで自分に対する好意には気付かないかなぁ)
今さらながらの疑問を抱きながら紅茶に口をつけた。
ナナリーは食事をすべて平らげ、今はケーキに手を伸ばしている最中だ。上に乗っている苺をぱくりと口に入れ、ふわふわのスポンジケーキと絶妙な味わいの生クリームに頬を緩めたかと思えば、ところで、とやけに真剣な表情をスザクに向けてきた。
「スザクさんの悩みはなんですか? そろそろ聞かせてください」
「あ……」
「このまま言わずに終わらせるのはなしですよ」
悪戯っぽく笑った顔は、初めて出会ったときよりもだいぶ大人びていた。彼女ももう高校生なのだと感慨を抱くのは年寄りじみているだろうか。
「悩みと言うほどのものでは……」
ナナリーがにこにこと見つめてくる。スザクは観念して口を開いた。
「僕は殿下から騎士章をいただきましたが、騎士から主に何か渡すべきだろうかとふと思ったんです。もちろん、そんな習慣がないことは知っています。ただ、今度は皇帝の騎士となるわけで、僕からも何か誓いの証を差し上げたいなと。でも、皇族の方はそういうのをどう感じられるかわからないし、いずれにしろ僕の勝手な自己満足で、誰かに相談するような内容じゃないんですけどね」
だからナナリーが気にすることではないのだと言外に伝えれば、彼女はフォークを握ったまま何やら考え込んでいた。
「あの、これは僕が考えればいいことで、ナナリー様が真剣になる必要はまったく」
「ちなみに、贈り物の候補はあるんですか?」
「えっ、いや、候補っていうか、とりあえず指輪なんかどうかなとは思っていますが」
「――なるほど、確かに誓いの証ですね」
にこりと笑ったナナリーは何かを察したらしい。その笑顔が策士の顔に見えるのは気のせいか。
「ちょっと待っていてください」
席を外すと、サロンの入口で侍女に何やら話している。一体何を思い付いたのだろう。
期待と若干の不安を抱いているとナナリーが戻ってきた。
「せっかくですから特別なもののほうがいいと思うんです」
「へ?」
「でも、新皇帝が身に付けるとなるとやはり注目されてしまいますし、人前ではなかなか無理ですよね」
「えっと」
「だから普段はお部屋に仕舞っておくか、もしくはネックレスとして首にかけておくかどちらかになると思いますが、でも大丈夫です、お兄様はきっと喜ばれます」
「あの、一体なんのお話で……」
「結婚指輪のお話ですよね?」
やはりそう理解されたか、と思わず天を仰ぎたくなった。
察しのいい皇女様に隠し事はできないらしい。最愛の兄に関することであればなおさらだ。
彼女には関係を知られているどころか、兄たちが上手くいくようぐいぐい背中を押された経緯があるので隠し立てする必要はないのだが、さすがに指輪はストレートに打ち明けすぎたかと少々反省する。
「ナナリー様、これは僕の問題で、贈れたらいいなぐらいの思い付きですからそこまで真剣に考えていただく必要は」
「だって騎士章に匹敵するものでしょう? 一生に一度の贈り物ならば真剣に考えないと」
単なる思い付きなのは事実だ。プロポーズをしたら指輪だろうと思っただけなので、言葉通り真剣な様子のナナリーに、さほど真剣に考えていなかった自分が恥ずかしくなる。
しかし、一生に一度というのは確かだとも思った。
永遠を誓った証なのだ。ナナリーがここまで親身になってくれているのに、当の本人が適当でいい加減なことを考えるのは良くないと、今度は別の反省をする。
そうしていると、先ほどナナリーと話していた侍女がやって来た。手には何やら持っていて、それを受け取ったナナリーは楽しげに紙をめくり始めた。
「皇宮に出入りしている宝石商が置いて行ったものです。定期的に新作をお知らせしてくれて、いつか好きなものを買えたらいいなと思ってこれまでのものを取っておいたのですが、その中に指輪のシリーズがあったのを思い出して」
差し出された数枚のリーフレットを見て、スザクは目を瞠った。
「ね? どうですか?」
ナナリーがわざわざリーフレットを持ってくるようお願いした理由がわかった。
皇族御用達だけあってとても品のいい、しかもひと目で上等とわかる宝石の数々が載っていた。その中に指輪もあり、気付けばスザクは真剣にリーフレットの中身を見比べていた。
どれも値の張るものばかりで、さすがは皇族専用だと唸る。
幸い、ラウンズ時代の貯金はたっぷりあった。もともと物欲があまりなく、資産運用にも興味がないからただ溜め込んでいただけなのだが、借金をしたり指輪を買って無一文になったりするような事態は避けられそうだ。
そうして順にリーフレットを見ていると、先月の新作として紹介されている指輪に目が留まった。
「良さそうなのがありますか? 指輪だけのカタログもあるので、必要でしたら取り寄せますけど」
「いえ、これで充分です」
もう選んでしまったことが声で伝わったのか、ナナリーがリーフレットを覗き込んだ。
そこに載っていたのはシンプルなデザインの指輪で、小ぶりな石がついていた。ひとつはアメジストで、もうひとつはエメラルドだ。
その下に紹介されている文章も気に入った。
アメジストは『真実の愛を守りぬく石』で、エメラルドは『幸せな結婚のお守り』である。これほど相応しい言葉はほかにないだろう。
「お兄様とスザクさんの瞳の色ですね」
「気障すぎるでしょうか?」
二人の目の色の宝石で指輪を選ぶというのはなかなかロマンチックだが、狙いすぎて逆に恥ずかしい気もする。
一生ものの指輪ならばもっとデザインにこだわって、石ももっと大きいほうがいいだろうかと、選んだばかりなのに迷いが浮かんだ。
「いいと思います。私は好きですよ、この指輪」
しかし、ナナリーのその一言で不安が一気に晴れた。
我ながら単純だけど、彼の最愛の妹からお墨付きをもらえたのだ。ほかの誰の言葉よりも信用ができる。
「お兄様はあまり派手な装飾は好みませんし、このくらいシンプルなもののほうが喜ばれると思います。せっかくだから裏にお名前を入れてはどうですか?」
「そうですね、どうしようかなぁ」
「たくさん悩んでくださいね。お揃いで持つものですから、スザクさんの想いをたくさん込めてください」
女の子らしい発言にスザクは口元を緩め、選んだばかりの指輪をそっと撫でた。
今はリーフレットの紙の感触しかしないけれど、実物はどんな触り心地なのだろう。早くこの指輪が手元に届けばいいのにと、気の早いことを考える。
愛する人への贈り物は、選んでいるだけで心の奥が温かくなった。
***
「お疲れ様です」
部屋に紅茶を運んだとき、ルルーシュはソファでだらりと横になっていた。
スザクの言葉にも生返事で、普段ならお行儀が悪いですよと一応小言を言うのだが、連日の勉強会が終わるまでは黙っておこうと口を噤んだ。
今日も今日とて朝から大忙しだった主は、すっかり疲れ果てた様子である。机の上には様々な資料が広げられていて、難しい文字の羅列は眺めているだけで頭が痛くなりそうだった。
「まだ起きていらっしゃるのですか?」
「んー……」
「今日は早くお休みになられてはいかがですか? 明日は久しぶりのお休みなのですから、休めるときにゆっくり休養してください」
「んー……」
「眠いですか?」
「まだ眠くない……。――スザク」
呼ばれたのでソファに近付く。幼子が抱っこをねだるときのように両手を伸ばされ、スザクは身を屈めた。
首に両腕が回り、ぎゅっと抱き締められる。潰さないよう気を付けながらわずかに体重をかけると、腕に力がこもった。
「お疲れ様です」
二度目の科白には小さな頷きが返ってきた。
「スザク不足なんだ」
「はい」
「自分で選んだこととは言え、お前とゆっくりお茶もできないのはこたえる」
「はい」
「だいたい根回し根回しって、それが一番疲れるんだ。政策や外交のことを考えているほうが何十倍もマシだ。皇族も貴族も面倒なやつばかりで、兄上が一緒だからいい顔をしているものの、どうせ裏では俺の悪口ばかりに決まっている。我こそは次の皇帝だと息巻いていた連中はさぞかし恨んでいるだろうな。そのくせ、ここで俺に反抗したら兄上の手で確実に潰されるとわかっているから黙っているんだ。どいつもこいつも根性がない。くそ、やはり貴族制度をさっさと潰してしまうか」
「お口が悪いですよ。いきなり強硬手段に出たら反発が大きいから、少しずつ手懐けていくんじゃなかったのですか?」
「まどろっこしいやり方は嫌いだ」
「シュナイゼル殿下と相談されて決めたことですし、ここは抑えてください」
「お前は兄上の味方か」
「僕はいつでもルルーシュ殿下の味方です」
ふん、と拗ねたような反応をするルルーシュの髪を優しく梳いた。すると、ルルーシュがスザクの肩に額を押し当てた。
次期皇帝となる人が子どもみたいな反応をすると誰が想像できるだろう。こんな姿は彼の大事な妹たちでも見たことがないはずだと思ったらたまらない優越感に満たされた。我ながら独占欲が強いと苦笑いする。
ルルーシュ、と囁いて形のいい耳にキスをした。それからこめかみの辺りに触れれば、ルルーシュがわずかに顔を上げた。
にこりと笑いかけて唇を塞ぎ、しっとりと、しかし官能を刺激しない程度の口付けをする。
ルルーシュが落ち着くまでは手を出すまいと我慢していたため、こうして触れるのは久しぶりだった。
三週間、いや、もっとかな、と考えているとふいに舌先が触れた。たったそれだけなのに体の熱が一気に上がる。
「ン、んぅ……」
唇の隙間から漏れるルルーシュの吐息が鼓膜を震わせた。
このままだとまずいという危機感と、もっと貪りたいという欲求の狭間でなんとか自制心を取り戻したスザクは、ルルーシュの顔を半ば無理やり引き剥がした。
しかし、それを嫌がるように引き戻され、今度はルルーシュのほうから口付けられた。
「ルルーシュ、これ以上はまずいから……っ」
キスの合間に訴えれば、ぴたりと動きを止めたルルーシュが下から覗き込んできた。
「まずいって何が?」
「男なんだからわかるでしょう」
「わからない」
「ルルーシュ」
咎めるように呼ぶと、彼はふいと視線を外した。拘束する腕はそのままで。
「いいじゃないか、明日は休みなんだから」
「でも……」
「言っただろ、スザク不足だって。たまには息抜きがしたい」
「明日の朝、ベッドから起き上がれなくても知らないよ」
「ほう、手加減する余裕があると? それは心外だな」
「もう」
にやりと笑ったルルーシュの唇に啄ばむようなキスを繰り返す。その間、ジャケットや邪魔な装飾を外して床へと放り投げた。
「とりあえず、先にお風呂に入ろうか」
背中と膝裏に手を回し、軽い体を抱き上げると、慣れた様子で首にしがみ付かれた。
「隅々まで綺麗に洗ってあげるね」
「言い方が変態くさい」
「じゃあ自分で洗う?」
「――どっちでもいい」
スザクの肩に頭を預けたルルーシュはそのまま目を閉じた。早く連れて行けという合図らしい。
自ら誘っておきながら、黒髪から覗いた耳は赤くなっている。何度抱いても初々しさが消えないルルーシュの可愛さに、スザクは締まりのない笑みを浮かべたのだった。
水を飲むたびに喉がこくりこくりと動く。
よほど喉が渇いていたのか、ルルーシュはグラスの中身を一気に空けた。最後の一滴まで飲み干すと、人心地が付いたように息を吐いた。
「まだいる?」
「ああ」
水差しの水でグラスを満たし、再びルルーシュに渡そうとした。しかし、振り返ると当の本人はベッドに倒れ込んでいた。枕に頭を預け、ぼんやりと寝台の天蓋を眺めている。
その姿にふと思い付いたスザクは、グラスの中身に口を付けた。それからルルーシュに覆い被さって口移しで水を飲ませる。ルルーシュの喉が嚥下のために動いた。
「――もっと」
ねだる声に二度、三度と水を与え、最後はルルーシュが水を飲み込んでも唇を離さなかった。静かな寝室に、唇の重なる音と寝衣の擦れる音が響く。
触れるだけのキスは心地よくて、それだけで充足感を覚えた。さっきまでの時間が嘘のようだな、と頭の片隅でちらりと思う。
浴室では互いの昂ぶったものを吐き出し、体を洗ったらベッドに移動しようというのがスザクの予定だったのだが、その予定は見事に狂った。
一ヶ月近く触れていなかった反動か、一旦行為に及んでしまうと寝室に移動するほんのわずかな時間すら惜しくて、もうここでいいから、と感じすぎて泣いているルルーシュにお願いされたら理性の糸なんて簡単に切れた。
熱を解放してもすぐに力を取り戻し、結局一度もルルーシュの中から扱くことなく立て続けに求めてしまったことは、我に返って冷静になってから大いに反省した。
反省点はほかにもある。
浴室の床にルルーシュを押し倒すわけにはいかないので、対面した状態で彼に乗ってもらったのだが、最後のほうはスザクが好き勝手に動いてしまったこととか。
足にも腰にも力の入らないルルーシュは揺さぶられるままで、何度目かの吐精のあとにぐったりと凭れかかって「もう無理」と訴えたのに、「あと一回だけ」と無理やり続けてしまったこととか。
ひとりでがっつき過ぎたと反省したスザクは、ルルーシュの体をいたわりながら約束通り隅々まで洗って綺麗にした。
湯上りの体に真新しい寝衣を着せ、髪を丁寧に乾かし、寝室に運んできたのはほんの二十分前のことだ。
すぐに意識を落としてしまうかと思われたルルーシュは、しかし意外にも元気で、眠そうにしながらもまだ起きている。
「ンっ……」
触れるだけのキスを繰り返す。浴室で満たされたので、再び行為に耽ろうという気はさすがに起きなかった。
唇を離し、乾かしたばかりの黒髪を梳く。
「もう寝ないと」
時計を見れば、すでに早朝と呼べる時間だ。本当ならばもっと早く寝かせてあげるべきだったのを、こちらの我儘に付き合わせてしまったとまた反省する。
「まだいい」
「せっかくの休みだからって一日中寝ているわけにはいかないだろう?」
「だって、寝たらお前の顔が見られなくなる」
拗ねたような物言いに、スザクは一瞬思考を止めた。
普段のルルーシュだったら絶対に口にしない言葉だ。疲れすぎて自分が何を口走っているのかわかっていないのかもしれないけれど、こんな風に甘えられたらますます離せなくなってしまう。
ああもうこういうところが反則すぎるんだよ、と胸のうちで唸ってルルーシュを抱き締めた。
『お兄様は素直じゃありませんから。本当はスザクさんにいてもらいたいけど、傍にいると甘えてしまうからわざと冷たくしているんですよ』
先日、彼の最愛の妹から言われた言葉を思い出した。確かに、ルルーシュはこんなにも甘えてくれる。
だけど、二人きりだからといっていつでも甘えてくるわけではない。優先順位をつけて自分のやるべきことをきちんと全部こなした上で、明日は休みだからとようやく甘えるような生真面目さが彼にはあった。
自分のことよりも国のことを考える。これまでも為政者としてその意識はあったのだろうが、皇帝となる日が徐々に近付き、より強く自覚するようになったのかもしれない。
そんな主がスザクの誇りだ。
何があっても必ず守ると改めて心に誓い、それからあることを決めた。
(本当は朝になってからと思っていたけど……)
むくりと起き上がり、ルルーシュの額にキスをひとつ落とす。渡したいものがあるからちょっと待っててと言い置いてベッドから離れた。
寝室を出たスザクは、ルルーシュの部屋の出入り口ではなく、別のドアに向かった。そこを開けた先にはスザクの私室がある。
このドアを取り付けたのは二人が恋人になってからで、二つの部屋を自由に行き来できるようになっていた。
相談したいことがあったらすぐにスザクを呼びたいし、いちいち廊下に出ていたら見張りの兵に気を遣わせてしまうから、というのはルルーシュが周囲に説明した表向きの理由だ。
もっともらしい理由に誰もが納得し、すぐに工事に取り掛かってくれたけれど、実際のところは誰にも見咎められることなく会いに行きたいというのが本音である。
もちろん、騎士の顔をしているときは廊下から訪ねるし、日中はほとんど使わない。ただ、今日のような逢瀬のときには大いに活用され、こそこそ部屋を抜け出す必要がないので非常に助かっていた。
皇帝になったら皇帝と騎士の私室も繋げようとルルーシュは画策していて、二人だけの秘密がまた増えることにくすぐったいような、気恥ずかしいような気分である。
部屋に戻ったスザクは、荷物の中から二つの小箱を取り出した。
ちょうど昨日届いたばかりで、今日はルルーシュが一日中アリエスにいるから、タイミングを見計らって渡そうと思っていた。
(これでルルーシュが寝ていたらちょっとかっこ悪いよな)
そしたら笑い話になりそうだと思いながら寝室に戻る。幸い、ルルーシュはまだ寝ていなかった。
だいぶ眠そうにはしているが、律儀にベッドから起きてスザクの帰りを待ってくれていた。
「待たせてごめん。眠いよね?」
「いや、まだ大丈夫だ。それより、渡したいものとは?」
「うん。目を瞑ってくれる?」
不思議そうに小首を傾げたルルーシュは、素直に目を閉じてくれた。
キスを待っているときみたいだなと小さく笑い、スザクは彼の白い手を大事に持ち上げた。
左の薬指を支え、指輪を通す。サイズはぴったりだった。
「開けていいよ」
ゆっくりと瞼が開き、宝石のように美しい紫の瞳が現れた。自分の左手を見たルルーシュは、そこにはまっているものをまじまじと確かめて、それから目を瞠った。
「迷惑かもしれないと思ったけど、騎士として、恋人として、君に何かを贈りたいと思ったんだ。公の場で指輪をするのは無理だとわかってる。制度としての結婚をしたいわけじゃなくて、ただ、君と永遠を誓った証が何か欲しかったんだ。完全に僕の自己満足なわけだけど」
言い訳のように言葉を紡いだ。もっと堂々と構えていればいいのに、こういうときに己の器の小ささを感じて情けない。
茫然とした様子で指輪を見つめているルルーシュをスザクは緊張しながら見守った。綺麗な顔がゆっくり上がり、それから花の蕾が綻ぶような笑みを浮かべた。
「ありがとう、スザク」
嬉しい、と言葉のとおり嬉しそうに言ってくれたルルーシュに、スザクは安堵で息をついた。
「お前の分はないのか?」
「僕のはこっち」
掌に乗せたのはエメラルドの宝石がついた指輪だ。それぞれ裏には自分たちの名前を彫っている。
二人の名前を一緒に入れようかどうしようかぎりぎりまで悩んだけれど、万が一、人に見られたときのことを考えてその案はやめたのだった。
「俺のはアメジストか。自分の瞳の色の宝石とは、スザクにしてはよく考えたな」
「面と向かって言われると恥ずかしいからやめて」
照れくささに頭を掻けば、ルルーシュがくすくす笑う。
「――なあ、ひとつだけ希望を言ってもいいか?」
「何?」
「この指輪、交換しないか?」
「交換?」
「俺がお前の瞳の色で、お前が俺の瞳の色を持つんだ。そしたら相手が傍にいるような感覚にならないか?」
「それは考えてなかったな。ルルーシュって案外ロマンチストだよね」
「案外とは失敬な」
「でも、自分の持っているものに相手の名前が彫られていることになるけどいい?」
「なおさらいいじゃないか」
だからもう一回、と手を差し出される。
まさか指輪のはめ直しをすることになるとは想像していなかったので、スザクは可笑しさに笑いながら紫の石がついた指輪を一旦抜いた。
「じゃあ、今度はちゃんと見ててね」
「ああ」
緑の石がついた指輪をもう一度、今度は彼の見ている前ではめた。
嬉しそうに微笑んで左手を掲げたルルーシュが、次はお前だと掌を出す。そこへ指輪を乗せると、ルルーシュがスザクの手を取った。
まるで初めからはまっていたかのように、指輪は左の薬指に馴染んだ。
二人で顔を見合わせ、同じタイミングで笑みを零す。
「それにしても、よく俺のサイズを知っていたな」
「寝ているときにこっそり測ったからね」
「本当に結婚指輪みたいだな」
「誓いのキスをしないと」
「それなら前にしただろう。何回するつもりだ」
「何回でも」
指輪の上に口付け、そしてルルーシュの頬を両手で包む。永遠を誓ったときと同じ流れだと気付いたのか、ルルーシュの口元が弧を描き、再び瞼が下ろされた。
柔らかい唇にキスを落として細い体を抱き寄せる。
「ありがとう、スザク」
「どういたしまして」
「それと――」
少し躊躇ったあと、愛してる、と告げられた。
ルルーシュからの愛の言葉に、スザクは目を閉じて腕の中のぬくもりを確かめた。
「僕もだよ。愛してる、ルルーシュ」
彼はもうすぐこの国のものになってしまう。
一番に考えるのはこの国で、何があっても国のことを最優先にするだろう。それが彼の役目であり、それが出来ないのであれば皇帝になってはいけないのだ。
(だから、僕が君を最優先にする。何があっても君を守るよ)
ほかの誰にも譲るつもりはない。ルルーシュを守るのは僕だ。
自分自身に誓いを立てたスザクは、腕の力を強くした。
「愛してる」
大事に囁いた言葉にルルーシュがこくりと頷き、スザクの背中へ回した手に力を込めてくれた。
そうしていると、窓の外から小鳥の囀る声が聞こえてきた。ぴたりと閉めたカーテンの向こう側は先ほどよりも微かに明るくなっていて、今日という新しい一日が始まろうとしている。
このままルルーシュを抱き締めていたいという気持ちもあるけれど、さすがに夜更かしをしすぎてしまった。
「そろそろ寝ようか?」
ベッドに入ろうと促すけれど、ルルーシュは抱き付いたまま離れない。
「昼まで寝て、それから一緒にお茶をしよう?」
頭を撫ででそっと肩に手を掛ければ、ようやくルルーシュが顔を上げた。気が変わらないうちにとベッドに寝かせ、スザクも隣に潜り込んだ。
「先に部屋を出たら許さないからな」
子どもっぽいおねだりに口元を緩める。
「ルルーシュが起きるまで隣にいるよ」
おやすみ、と囁いて左手を握るとルルーシュは目を閉じた。
二人の指には新しい指輪がはまっていて、ルルーシュの寝息が聞こえてくるまで飽きずに眺めていた。
スザクの想いを込めた指輪に、これからは二人分の想いが込められていくのだろう。
いつかこの命が消え、この体が無くなるそのときまで君を想う。それは永遠と同じ意味である。
永遠に続く愛情を抱けること。
愛する相手がルルーシュであること。
それは最上の喜びだと思い、スザクも瞼を下した。
「ナイトオブゼロ用の特別メニューを作ってやったぞ。これでようやくお前も暇じゃなくなるな」
翌週、にっこり笑ったルルーシュにそう宣言され、スザクの暇は解消されたものの、今度はルルーシュ指導による勉強会で悲鳴を上げることとなる。
だけど、「これの準備をするのにも忙しかったんだ」との言葉に、忙しい合間を縫ってわざわざ教材を作ってくれたのかと嬉しくなった。
日頃は外されている指輪が、二人きりの勉強会のときにはルルーシュの指にはめられていることもスザクの気を良くした。
にこにこしながら講義を受けているので、お前そんなに勉強が好きだったか? と訝られたほどだ。
「だって、殿下と一緒にいられますから」
なんだそれはと呆れたように呟いたルルーシュの横顔は、しかしスザクと同じように嬉しそうな笑みを浮かべていた。
このひとときが終わってしまえば彼は帝国のものになってしまう。
だからこそ、束の間の穏やかな時間はほかの何よりも大切で、とても愛しかった。
(17.02.14)