特命少年警視ルルーシュの厄災 7

「浮かない顔をしてるわね、ルルーシュ君」
「うわっ!」

 突然目の前にひょこっと現れた顔に、ルルーシュは驚いて思わず身体を仰け反らす。その拍子に椅子から転げ落ちそうになり、慌ててバランスを取った。

「セ、セシルさん!驚かさないでください!」
「あら、ルルーシュ君が人の気配に気付かないなんて珍しいこともあるのね。恋煩い?」
「こいっ…!?ば、馬鹿なこと言わないでください!そんなことあるわけないでしょう!」
「必死になって否定するところが余計に怪しいわ」

 くすくすと笑われ、ルルーシュがムッと眉を顰める。

「からかわないでくださいよ」
「ふふっ、だってルルーシュ君のぼーっとした顔って本当に珍しいんですもの。考え事をすることはあっても、心ここに在らずってことは滅多にないでしょう?」

 はいどうぞ、とテーブルの上にカフェオレが出される。ルルーシュはマグカップとセシルの顔を交互に見比べて首を傾げた。

「俺は頼んでませんが」
「私からの奢りだから気にしないで」
「でもそれじゃあ店の売り上げが……」
「カフェオレの一杯でお店が傾いてしまうような経営はしていないから大丈夫よ。最近は平和になったからか、お客さんも増えてきたし」
「――そう、ですね」

 呟いて思わずカップの水面をじっと見つめる。ルルーシュの目の前に座ったセシルが少しだけ声のトーンを落とした。

「邪悪帝国ブリタニアは崩壊して、ギアスの存在意義もなくなってしまった。いまや世界は平和そのものよ。あなたは自由の身になったの。それなのにまだ不安なことがあるの?」

 心配そうなセシルに、ふるふると首を振る。

「ナナリーとも再び一緒に暮らせるようになりましたし、母さんも旅先から以前よりは頻繁に戻ってくるようになりました。ギアスの特命少年警視としての俺の役割も終わり、今は普通の学生として学生生活を満喫するだけ。セシルさんの言うとおり、実に平和ですよ」
「だったら、どうしてそんな浮かない顔をしているのかしら」
「それは浮かない気持ちにもなりますよ。なぜなら――」

 そのとき入り口の扉が開き、メイド喫茶アッシュフォードに客が入ってきた。メイドの格好をした従業員が出迎える。客をご主人様と呼び、もてなす立場のはずのメイドたちが何やら色めき立っている。
 聞こえてきた声だけで相手が誰なのかわかってしまったルルーシュは、気付かれないよう顔を背けた。

「やあ、ルルーシュ。今日も元気にしているかな」

 が、弟の姿をしっかり確認した兄は、無駄に爽やかな笑みを浮かべて声を掛けてくる。
 その声に、ルルーシュはがたりと音を立てて椅子から立ち上がった。

「ブリタニアが崩壊してあの家族とももう会うこともないと思っていたら、毎日毎日誰かしらアッシュフォードに通ってくるんですよ!これで穏やかな気持ちになれると思いますか!?」

 訴えられ、セシルは困ったような顔をする。

「でも、皆さんすっかり常連さんで、うちの売り上げ的にはとっても助かってるし」
「百歩譲って兄弟姉妹は許せるとして、あのくるくるロール髪がメイド喫茶に通ってくるなんて許せますか!?」
「いけないなルルーシュ。たとえそれが事実であろうと、父親のことをそんな風に言うなんて。ああ、私にはコーヒーをお願いするよ」

 実の父に対してさらりと暴言を吐きながら、シュナイゼルが当たり前のように席に座る。その間も、メイドである従業員たちへのさり気ない気配りは忘れない。
 ルルーシュはいらいらと椅子に座り直した。

「……狡猾参謀シュナイゼルともあろう人がこんなところにいていいのですか」
「残念ながら、邪悪帝国ブリタニアはなくなってしまったからね。私も御役御免だよ」

 ははは、と笑う声を聞きながらルルーシュは不機嫌そうにカフェオレに口を付けた。
 邪悪帝国ブリタニアは崩壊した。皇帝や幹部メンバーも今やただの人である。それはすなわち失業ということでさぞかし困っているかと思いきや、もともとビジネスにも手を出してそれなりに成功を収めている組織だったので、趣旨を鞍替えしたというだけでまったく問題なく活動を続けているらしい。
 そして、ルルーシュの父親や異母兄弟姉妹たちは、そんなに暇かとツッコミをいれたくなるほどメイド喫茶アッシュフォードを訪れては、お茶をしながらルルーシュにちょっかいを出すようになった。
 兄弟姉妹たちはまだいい。メイド喫茶という空間の中で若干異質ではあるが、そこまでの違和感はない。問題は父親である前ブリタニア皇帝だ。
 相変わらずの威圧感で、メイドと何か会話をするわけでもなくむっつりと顔を顰めたままコーヒーを飲み、一時間ほどしたら出て行く。その間、視線はルルーシュに注がれたままだ。居心地が悪いことこの上ない。
 皇帝という地位についていた人間なので、周りの人間に傅かれる姿はある意味見慣れたものなのだが、ここはあくまでメイドが接客することを謳い文句にした店である。ただコーヒーを飲んで、息子を観察する場所ではない。ルルーシュがいないとわかったときは店には入らず回れ右をしてすぐに帰るそうなので、まさにルルーシュに会うためだけに通っていると言っても過言ではない。
 世界が平和になったというのに、ルルーシュの気がまったく晴れない原因はそれだった。
 ブリタニアが崩壊したことで秘密武装警察ギアスの活動も必要がなくなり、組織は解散した。ルルーシュも今はただの学生で、学校にちゃんと毎日通っている。
 そして、普通のメイド喫茶として今も営業を続けるアッシュフォードのアルバイト店員として働くようになった。もっとも、男のルルーシュがメイドの格好をするわけにもいかないので(一部熱烈に支持する者もいたが綺麗に無視した)、玄人顔負けの料理の腕を生かしてときどき厨房に立っている。
 しかし、ロイドから「ルルーシュ君は席に座って何か飲んでいるだけでいいからぁ~。それだけで充分目の保養になるからね~」と不思議なことを言われ、仕方なく飲み物は自腹で払い、あとは本を読んで過ごすことがいつの間にかルルーシュのアルバイトになっていた。
 ちなみに、ルルーシュが座らされるのは店で一番目に付く席で、こんな目立つ場所を占領するのは悪いと何度か直談判したのだが、いいからいいからとなだめられ現在に至っている。

「ブリタニアとの関わりがなくなり、これでようやく平和に過ごせると思っていたのに、兄上たちはそんなに俺のことが嫌いですか」
「嫌いだなんてとんでもない。私たちは皆、君のことが好きだよ」
「だったら、なぜ嫌がらせのように毎日毎日ここに顔を出すのですか!」

 激昂するルルーシュに対して、シュナイゼルは涼しい顔をして、

「可愛い君の様子が気になるからに決まっているだろう?」

 さも当然とばかりに言ってくる。ルルーシュの機嫌がさらに下降した。

「単なる観察でしょう?」
「違うよ、見守りだよ」
「そんなのはただの御託だ」

 言い捨てると、頬杖を付きふいと顔を背ける。拗ねたような仕草はどこか子どもっぽく、シュナイゼルはそんな弟の様子を微笑ましく見ていた。

「だけど、こうして兄弟仲良く同じ場所で会話を交わせるというのは、世界が平和になった証拠よね」

 二人の間に座っていたセシルが、フォローするように口を挟む。

「こんな仮初の平和なんて」
「でも、もう誰も傷付かなくて済むのよ。それはルルーシュ君が望んだ世界じゃないの?」

 ルルーシュが言葉に詰まった。セシルはにこりと微笑む。

「それに、私たちもあなたが普通の学生をやれるようになったことをとても嬉しく思っているのよ」
「…………」

 顔を逸らしたままルルーシュは黙り込んだ。セシルは思わずシュナイゼルのほうを向き、二人顔を見合わせて小さく笑った。

「ところで、スザク君とは会っているのかな?」

 その質問にぴくりと反応する。

「そういえば、最近は学校にも来ていないってシャーリーちゃんが言ってましたよ」
「もしかしたら私たちから隠れているのかもしれないな」
「ブリタニア崩壊の原因を作った張本人ですから、気にしているのかもしれないですね」

 二人の会話に、ルルーシュはあの日のことを思い出していた。
 ユフィに無理やり連れられ、父親からブリタニアに戻って来いと言われ、助けに来たジェレミアと共に逃げた。ああいうことは度々あったので、ルルーシュとしてはまたかという気持ちだったし、今回もいつものように隙を見て逃げ出せばいいと思っていた。だが、イレギュラーが存在した。
 スザクだ。
 皇帝や幹部の面々と血が繋がっていることを話していなかったのはルルーシュの失態だが、あんな馬鹿らしい会話を初めて聞かされたスザクには同情してしまう。きっといろいろショックだったに違いない。スザクを残していくことに申し訳なさを感じつつ、彼はブリタニアの幹部のひとりだし危険なことは何もないだろうと、ルルーシュはジェレミアと逃げた。そこまではいつも通りだ。
 しかし、アッシュフォードに戻ったルルーシュを待っていたのは、ブリタニア崩壊の報だった。一体何が起こったのかと愕然としたが、よくよく話を聞いてさらに唖然とした。
 なんでも、ひとり大暴れしたスザクがブリタニアの建物をことごとく破壊し尽くし、あの土地はたった一晩で焦土と化してしまったらしい。そんなギャグみたいなことがあるわけないと思ったが、建物がなくなってしまってはもう活動できないねとシュナイゼルが邪悪帝国の崩壊を何でもないことのように認め、ブリタニアはあっさりその歴史に幕を下ろしたのだった。
 なお、親馬鹿と罵られたブリタニア皇帝は、失意のあまり皇帝の座を辞してしまったという話をルルーシュの耳は聞かなかったことにした。
 そしてその日以来、ルルーシュもスザクの姿を見ていない。学校には休学届けが出されているらしく、戻ってくるつもりがあるのかないのかもわからない。
 誰も座らない隣の席を見るたび、ルルーシュの口からは自然と溜め息が零れていた。
 (って、なぜこの俺がスザクの不在に溜め息をつかなければならないのだ!あいつは敵で!……いや、もうブリタニアは存在しないから敵ではなくただの同級生になるのか、いやしかし)

「でも心配ですね」
「ユフィには暇をもらうとちゃんと告げてからいなくなったようだよ。ただ、ブリタニアはもうないからあの二人の主従関係も解消されているんだよね」

 頬杖を付いたままルルーシュがぐるぐる考え事をしている横で、セシルとシュナイゼルはのんびり会話を続けていた。

「それならスザク君は今は自由の身なんですね」
「ああ。どこで何をしようと本人の勝手というわけだ」
「まあ、それは良かったわ。ね?ルルーシュ君」
「はっ!?」

 突然名前を呼ばれ、ルルーシュは勢い良く振り返った。
 そこにはニコニコとしたセシルとシュナイゼルがいて嫌な予感がする。

「な、なんでそこで俺に話を振るんですか」
「だって、スザク君の姿が見えなくて一番がっかりしているのはルルーシュ君でしょう?」
「そんなことありません!」
「最近ずっと浮かない顔をしているのも、スザク君と会えないからじゃないの?」
「だから違うと言っているじゃありませんか!」
「嘘をつくのは良くないよ、ルルーシュ。自分にもっと素直にならないと」
「兄上は金輪際、俺に話しかけるのをやめてください。それから、あの父親共々ここにはもう来ないでください」
「父上はここで君に会えるのを楽しみにしているからね。反対するのは無理だよ」
「毅然と反対してください!そもそも母上を捕まえるというあの男の目的はどこにいったんだ!」
「いつか追いかけるのかもしれないけど、待つのも愛だとかなんだとか言っていたしね」
「母上が先に愛想を尽かしてくれることを俺は願ってますよ」
「それに、今は君からパパと呼ばれることを最優先事項にしたみたいだよ」
「誰が呼ぶものか!」

 残っていたカフェオレを一気に呷ると、だんっ、と音を立ててルルーシュはカップを置いた。そして勢いよく立ち上がる。

「セシルさん、すみません。今日はこれで帰らせてもらいます」
「そう?店の売り上げが落ちるってロイドさんがガッカリするわ」
「俺がいなくても、セシルさんやシャーリーがいれば問題ないでしょう。それじゃあ」

 ルルーシュは笑みを浮かべて荷物を持つと、シュナイゼルには見向きもせずに店を出て行った。
 閉じられた店の扉を見つめてセシルははあと溜め息をつく。

「私とシャーリーちゃんでは女性のお客様には満足していただけないのに」
「ルルーシュは自分の魅力というものをあまりわかっていないようだね」
「そうなんですよ!女性に対する褒め言葉はすらすら出てくるのに、肝心の女心がわかっていないんです!なんでロイドさんがルルーシュ君をこの席に座らせるのかもちっとも理解していないんだから」

 ルルーシュを厨房という奥まった場所ではなく、店の目立つ席に座らせる。それこそがロイドの考えた売り上げアップの方法だった。
 メイド喫茶という主に男性客を対象にした店で女性客の獲得を狙うにはルルーシュの存在は打ってつけで、最近はメイドではなくルルーシュ目当ての客が男女問わず増えてきている。それと共に店の売り上げも右肩上がりで、メイド喫茶の店長として一生過ごしたいと本気で思っていたロイドにとっては非常に喜ばしいことであった。
 しかし、そんなロイドの思惑にルルーシュはこれっぽっちも気付いていない。

「だからきっと自分の気持ちもわかっていないんだわ」
「おや、それではまるでルルーシュが誰かに恋をしているみたいだね」
「お兄さんは気付いていらっしゃらないんですか?」
「それは愚問というやつですよ」

 ふふ、と二人は笑い合う。

「そうですよね。あんなにわかりやすい反応、気付かないほうがおかしいですよね」
「おかげで最近は父上がすっかり拗ねてしまわれて。もっと早く大将軍を処分しておけば良かったなんて言っているんですよ」
「あら、でもそんなことをしたらルルーシュ君にますます嫌われてしまいますよ」
「進言はしているのですが、やはり子どもの親離れが寂しいようでしてね。だからパパと呼ばせるなどと意気地になっているのです。ルルーシュももう少し素直に甘えてくれればいいものを。今までが今までだったから仕方ないのでしょうが」
「恋人です、ってきちんと紹介すれば泣きながらも案外あっさり認めてくれるかもしれませんよ?」
「それはどうでしょう。まあ、そのためにはあの二人にちゃんと付き合ってもらわないと、話がまったく進まないんですけどね」

 困った弟だと言いながら、シュナイゼルは少し温くなったコーヒーを飲む。

「仲の良いご家族ですね」
「今度は家族全員で伺わせていただきます。もちろんルルーシュのいるときに」
「お待ちしています。そのときはスザク君も一緒だといいですね」
「ええ。楽しみにしていますよ」

 シュナイゼルの返事に、セシルはにこりと微笑んだ。
 もとはブリタニアとギアスのメンバー。敵対する者同士のはずの二人は、いつの間にかすっかり意気投合していた。
 (09.09.03)