あの先の未来で待っていて 9

 行き先もなく歩いていたスザクの脳裏に浮かんだのは、この世界で最初に目にした石碑だった。
 あそこから来たのなら帰るためのヒントもあそこにあるはずだ。そう考えたのは後付けの理由で、本当はこの世界に残されたルルーシュの痕跡をもう一度訪れたかっただけなのかもしれない。
 まだ陽は高く、街のほうに近付くにつれてすれ違う人も多くなった。ここは日本だからもちろん日本人に遭遇する率が高いけれど、時折ブリタニア人と思われる人も見かけた。しかしどちらかが一方的に迫害するような光景はなく、中には親しげに挨拶を交わす姿もあった。
 (本当に平和なんだな。日本人もブリタニア人も関係ない、皆が一緒に暮らせる世界が実現しているんだ)
 百年後の世界情勢を調べたとき、実を言うとひどく緊張していた。
 ここが自分たちの願いとは程遠い世界になっていたら。ゼロレクイエムが無駄になっていたら。もし自分のせいで世界が間違ってしまっていたら。
 いくつもの最悪の事態を想像しながら百年の歴史を追った。そして、いまだに小さな諍いはあるもののゼロレクイエム以降は大きな戦争もなく、各国の首脳が話し合いを継続しながら平和な世界を作っていることを知った。
 万が一にも世界が悪い方向に向かっていたらルルーシュに顔向け出来ないと思っていたから、あのときは心の底から安堵した。
 (君はこの世界を見たかもしれない。自分がいなくなることで叶うこの世界を)
 それはどんな気持ちだっただろう。
 思い描いた通りの未来がいずれ来ることは嬉しい。でも、すべてはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという存在が抹殺された上で成り立つ未来だ。いくら頭でわかっていても、来るべき自身の未来から逃げ出したくなるのが普通だ。
 だけどルルーシュは違った。元の世界に戻るのは怖くないと、笑って戻った行ったのだと『スザク』は言っていた。
 (僕に対して申し訳なく思う必要なんてないのに)
 当時はルルーシュへの気持ちを隠しながら最期のときを待つ日々で、自分が思い悩んでいたのは確かに事実かもしれない。結局、大切なものを守れなかった自身の不甲斐なさに何度絶望しかけたか。
 しかし、自分たちの選択を後悔したことはなかった。自分にはルルーシュとの約束があったし、後悔すればルルーシュの死そのものが無駄になってしまう気がしたから。
 (僕は君の願いによって生きている。恋人や夫婦よりも強い絆だと思うのは自己満足かな)
 しばらく歩いていると、最初に立っていた国立公園までたどり着いた。緑の多い場所は涼やかで、人も少ないからゆっくり時間が流れているように感じた。
 綺麗に整備された小道を記憶を頼りに歩いていくと、やがて大きな記念碑が目に入った。石碑の前でおもむろに立ち止まる。
 (ルルーシュは自分が殺される場所を見たのかな)
 出来れば見ていて欲しくないと思ったけれど、彼なら自ら探し出してでも訪ねていそうだ。

「皇暦二〇一八年、この地で悪逆皇帝ルルーシュは英雄ゼロによって討たれ、世界は彼の恐怖から解放された……か」

 石碑に刻まれた世界史を改めて読むと、自分は確かにこの場所でルルーシュを殺したのだと実感する。
 百年が経って周囲の様子はだいぶ様変わりしているが、あの日、あの瞬間に、自分がルルーシュの命を終わらせたのだ。
 目を閉じると柔らかい風が髪を揺らした。
 一年前も同じような風が吹いていたのだろうか。あのときは仮面を被っていたから、風も匂いも、頬を撫でてくれた指先の感触も何も感じられなかった。仮面の奥に涙も嗚咽も押し込めて、くず折れないよう足に力を込めて立っていたことしか覚えていない。
 過去へと思いを馳せていた思考は、しかし草を踏み締める微かな音によって中断された。反射的に振り返ると、紫の瞳とまともに目が合った。

「え、」
「あ、」

 お互い声を漏らして固まった。
 そこにいたのは、『ルルーシュ』だった。
 一瞬、逃げ出すように足を下げたルルーシュだが、何かを決心するように唇を引き結ぶと歩を進めてスザクとの距離を縮めた。手を伸ばせば触れられるところまで近付く。

「どうしてここがわかったの?」
「朱雀さんが最初にいた場所だからもしかしてと思って……。あの、」

 スザクを真っ直ぐ見たまま、ルルーシュの唇が動いた。

「ひとつだけ、教えてください」
「何?」
「大切な人を殺したと朱雀さんは言いましたよね。そのことをあなたは後悔していますか?」
「後悔はしていないよ。さっきも言ったけど、それが彼の願いであり、僕たちの約束でもあったから。あのときも間違ったつもりはなかったし、この世界に来たことで、自分たちの選択は間違っていなかったんだって確信した。でも――」

 少しだけ躊躇ったあとに、再び口を開く。

「本当にこれしかなかったのかどうかはずっと自問自答している」

 平和な世界がある。自分たちは生まれ変わって幸せに生きている。
 でも、百年前の世界ではルルーシュもナナリーも幸せに出来なかった。それどころか兄妹を永遠に引き離してしまった。
 一番最初に願ったのは彼らの幸せで、彼らを守りたいと思っていたのに、最初のささやかな望みは叶えることが出来なかった。

「その人のこと……好きだったんですか?」
「好きとか嫌いとかそういう言葉では言い表せないかな。好きと嫌いの基準も僕にはもうわからないけど、彼のことを愛していたことだけは確かだよ」
「彼――、やっぱり」
「ん?」
「いえ、そこまで熱烈な告白を出来る相手がいるなら、俺には勝ち目がないなと思って」
「へ?勝ち目?」

 ルルーシュが小さく笑う。その顔に怯えや恐れの色はもうなかった。

「今から俺が何をしても黙ってそのままでいてくださいね」

 告げると同時に最後の距離を詰められる。そして、スザクをぎゅっと抱き締めた。

「ルルーシュ?」
「いいですよ、あなたの好きな人の名前を呼んで」
「いきなり何を言って……」
「俺は、あなたの愛した人の身代わりです。目を閉じれば顔の違いなんてわからないでしょう?だから、いいですよ」

 ルルーシュに何をさせているのだと冷静な自分が訴える。
 たとえ同じ姿形をしていても違うのだ。自分と共に生き、自分が殺したルルーシュではないのだ。こちらで暮らすうちに彼に対しての情も湧いてきたからこそ、身代わりなんてさせてはいけない。

「――スザク」

 でも駄目だった。違う人間と知りながら、同じ声で名前を呼ばれたら誘惑に抗うことは出来なかった。

「ルルーシュ、……ルルーシュ、ルルーシュ!」

 背中に腕を回し、柔らかい黒髪に顔を埋めた。
 抱き締めたのは生きている体。感じるのは生きている人の感触。真っ赤な血に染まり、少しずつ固くなり、冷たくなっていく人の感触ではなかった。

「ルルーシュ……」

 こうして『ルルーシュ』を抱き締めたことで、自分は確かに彼を失ったのだと改めて思い知る。ともすれば零れそうになる涙を必死に堪えた。
 どのくらいそうしていたのか、きつく目を閉じたスザクはルルーシュの肩に手を乗せた。体を離し、自分を見上げる彼に「ありがとう」と告げる。

「もういいんですか?」
「うん。ところで、僕がこんなことを言っても説得力はないけど、こういうことは他の人にはしちゃ駄目だよ」
「どうして?」
「君はスザクのことが好きだろう?」

 ぽかんと口を開けたルルーシュは、ワンテンポ遅れて「えっ!?」と叫んだ。

「だって、スザクと一緒にいた黒髪の人のことを話すとき、いつも寂しそうだったから。これは嫉妬しているのかなと思って」
「ち、違います!俺とスザクはただの幼馴染で、そもそも男同士だし、とにかく有り得ない!絶対に有り得ないです!」

 言い募る姿は記憶の中のルルーシュと似ていた。慌てる様はかえって本音を言っているようなものだと気付いていないのだろうか。

「男同士だからって簡単に諦めることはないと思うよ」
「当事者じゃないからそんなことが言えるんです……」
「でも言わないで後悔するなら、言って後悔するほうがよっぽどいい」

 無責任なことを口にするなと思われるかもしれない。だけどそれは事実だ。同じ後悔でも、言わなかった後悔はいつまでも自分の中に残り続けてしまうのだ。

「……確かに、それも一理あるかもしれませんね。あっ、いや、俺がスザクを好きというわけではなくて」

 誤魔化そうとするルルーシュに吹き出す。今さら隠しても意味はないのに。

「まあ、アドバイスはありがたくいただいておきます。じゃあ、もう帰ります」

 ぺこりと頭を下げた彼に手を振った。小道を歩いて行く後ろ姿に、さようならと心の中で告げる。
 しかし、ふいにその足が止まった。

「朱雀さん!」

 振り返った彼が名前を呼んだ。
 その瞬間、死んだルルーシュが自分の本当の名前を呼んでくれたような気がした。元の世界ではもう二度と、誰にも呼ばれない名前を。

「また会えますか?」

 スザクはまばたきをして、そして笑った。

「会えると思うよ」

 嘘ではなかった。百年後の世界で自分たちはまた会えるのだ。

「また会えるのを待っています」

 ルルーシュが泣き笑いのような顔をした。今度こそ背を向けて木々の間を抜けていく。
 その背中はどんどん小さくなり、やがて見えなくなった。

「ありがとう、ルルーシュ」

 届かない声を唇に乗せる。
 それは両方のルルーシュに対する感謝の言葉だった。

* * *

 公園の敷地を出て、横断歩道を渡るために信号の前で立ち止まった。車が通り過ぎて行くのをぼんやり眺める。
 振り返り、そこに誰もいないことに安堵するような落胆するような気持ちだった。風が黒髪を柔らかく揺らす。

「本当は、ちょっと本気で好きになりかけていたんですよ」

 ぽつりと呟いた声は風に乗ってすぐに消えた。

「って言ったら、あなたは俺を選んでくれたのかな」

 彼の好きな人が男だと知っていたら、もっと早く行動に移していただろうか。知っていたとしても、やっぱり踏み込むことは出来なかっただろうか。
 だって彼に抱き締められたことで、自分はやっぱりスザクが好きなのだと、どうしようもないくらい好きなのだと気付いてしまったから。
 目を眇め、ルルーシュは再び前を向いた。信号が青になり、家に帰るために足を踏み出す。
 もう後ろは振り返らなかった。

「さようなら朱雀さん。いえ、――枢木スザク」

 (12.09.25)