あの先の未来で待っていて 7

 スザクはクローゼットの前に立って中をじっと眺めていた。そこにあるのはゼロの服だ。
 この世界に来たときに着替え、以来一度も袖を通していない。着る必要がなかったから当然である。
 (僕は元の世界に戻れるのかな)
 そもそも戻りたいと思っているのだろうか。
 こちらでの生活があまりにも穏やかで、戻ることを拒んでいる自分が心のどこかにいた。
 自分が戻らなければ元の世界でのゼロは消え、この世界も消えてしまうであろうことはわかっている。それはルルーシュやナナリーだけでなく、世界に対する裏切りだ。決して許されるものではない。
 (戻る方法を考えないと。でも、いきなり来てしまったから原因も何もわからないし……)
 ふと、頭の中に記念碑が浮かんだ。
 最初に立っていた場所はゼロが悪逆皇帝を殺した場所だった。もしかしたらあそこにヒントがあるのかもしれない。
 もうルルーシュが帰ってくる時間だから明日にでも行ってみようと思い、スザクは部屋を出ようとした。するとドアの隙間から声が入り込んできて、階下が何やら騒がしいことに気付いた。

「いい加減にしろ、スザク!」

 ルルーシュの声にハッとした。どうやら『スザク』が来ているらしい。

「朱雀って人がここにいるんだろう?僕はそいつに話をしなきゃいけないんだ」

 しかも彼は自分の存在を知っている。あまり穏やかとは言えない雰囲気に、ここで顔を出すのは良くないだろうと息を潜めて事態を見守った。

「なあ、どうせどこかに隠れて聞いているんだろう!」

 玄関で大きく叫ぶ声は家中に響いた。ルルーシュは止めようとしているようだが、彼は無視して続けた。

「なんであの人を殺したんだ!」

 いきなり核心をついた言葉に息を飲んだ。
 それが誰のことなのか、彼は名前を一文字も口にしていない。だけど、『あの人』とはルルーシュのことだとスザクは直感的に悟った。
 (こちらの世界に来たルルーシュがあの悪逆皇帝だと知っているのか?そんなまさか……)
 ゼロレクイエムを知る人間は少ない。しかもそれは百年前の話だ。百年後の世界で、ゼロとも悪逆皇帝とも関わりを持たない彼が真実を知るはずがない。
 では何故、彼は「あの人を殺した」と断言するのか。

「僕が『戻るのは怖くないか』って聞いたとき、あの人は怖くないって答えた。でもその答えに違和感があって、どうしてだろうとずっと考えていた。それがやっとわかったんだ。あの人は自分の最期を知っていて、それでも怖くないって答えた。自分の未来を知りながら、自分が殺されるとわかっていながら怖くないって言ったんだ!」

 叫びに悲痛な色が混じる。

「誰だって死ぬのは怖いし、無残に殺されて死ぬのだとわかればそんな世界から逃げ出したいと思うに決まっている。だけど、あの人はずっと穏やかな顔のままだった。怖いなんて少しも感じさせなかった。あの人は自分が殺されることを最初から全部知っていた、そして自分を殺す相手のことも知っていたんだ」
「スザク、お前何を言って……」
「だけどあの人は笑って戻って行ったし、自分を殺させることでかえってその相手を困らせるかもしれないと言っていた。戻るのは怖くないけど、相手に申し訳ないと言っていたんだ」

 この世界でのルルーシュと彼のやり取りを初めて知り、スザクはその場から動けなくなった。

「お前が誰なのか僕は知らない。でも、お前ならあの人を殺さなくて済む方法を知っていたんじゃないのか。あの人を止められたんじゃないのか。なんで…、なんで殺したんだよ。僕はあの人を守りたかったのに……生きて欲しかったのに……」

 言葉が途切れ、代わりに嗚咽が聞こえた。
 ルルーシュが幼馴染を宥めながら外に連れて行き、途端に家の中は静まり返った。しんとした空気が身を切るようだ。
 スザクは壁に背を預けたままずるずると廊下に座り込んだ。

「まさか、未来の自分に説教されるなんて思ってもいなかったな」

 笑ってみようとして、しかし失敗した。
 (ここにいたままなら殺されることもなく、ずっと平凡に生きていけたかもしれないのに。それでも君は、自分のことじゃなくて僕のことを気に掛けていた。馬鹿だよルルーシュ、君は本当に馬鹿だ……)
 どうしてだろう。そんな場面ではないというのに、ルルーシュを好きだと言えなかったことを今さらながらに後悔した。
 そして、ルルーシュを守りたかったと素直に言える彼がひどく羨ましいと思った。

* * *

「あ……」

 リビングに入ってきたルルーシュと目が合い、あからさまに動揺された。スザクは椅子から腰を上げると彼の前に立った。

「さっきの、君の幼馴染だよね」
「ご、ごめんなさい!スザクがいきなり家に来るって言い出して、来たかと思えばあんなことを……。俺もあいつが何を話しているのかまったくわからなかったけど、殺したとか殺されたとか、そんなまるで殺人犯みたいな……本当にごめんなさい!」

 幼馴染の代わりに謝るルルーシュの肩に手を乗せる。顔を上げてと言っても彼は頭を下げたままだった。
 (殺人犯か。軍人だからそれがずっと当たり前だったけれど、確かにその通りだ)
 なぜ殺したのか。
 そう問うた彼は、決して理由が知りたかったわけではないのだと思う。きっと「生きていて欲しかった」という言葉にすべてが詰まっていたのだ。

「僕は気にしていないから大丈夫だよ。それよりお腹すいてない?簡単なもので良かったら僕が作るよ」

 この話題は終わりだと言うように軽く肩を叩き、キッチンへ向かった。頭を上げたルルーシュは何も言わずにフローリングの床の一点を見つめていた。

「……朱雀さんは、あいつの言うあの人が誰なのか知っているんですか?」

 ぽつりと声が聞こえて振り返る。こちらを向いた紫の瞳はどこか縋り付くような色をしていた。

「誰なんですか。朱雀さんもあいつもその人にばかり気を取られていて、でもその人が誰なのか俺には一言も話してくれなくて、さっきのことだってあいつはただごめんと言うばかりで、その人のこととか朱雀さんとのこととかちっとも教えてくれなくて、俺だけが蚊帳の外で、」
「ルルーシュ、落ち着いて」
「俺は、俺だって……っ」

 言葉を詰まらせたルルーシュは踵を返してリビングを出て行った。ばたばたと階段を駆け上がる音と、勢いよくドアを締める音が大きく響く。
 スザクはシンクにもたれかかって天を仰いだ。

「もう潮時かな……」

 これ以上、自分がここにいたら二人に悪影響を与えてしまう。
 この世界のルルーシュは過去からやって来たルルーシュの存在を知らないはずだ。だけど、幼馴染との間に入り込んでくる存在に気付き、ずっと心を痛めていたのかもしれない。
 (ルルーシュがこちらの世界とどういう関わり方をしたかはわからないけど、あまり干渉することは良しとしなかっただろうな。ならば……)
 リビングには夕陽が差し込んでいた。
 オレンジ色に染まった空は、それだけで無性に泣きたい気持ちにさせられる。夜の帳が降りる直前は、まるで命の灯火が消える寸前のように感じるからだろうか。
 (でも、青い空もあまり好きではないな)
 だって空の青は、大切な人を失った日のことを思い出してしまうから。
 青空は明日への希望であり、二度と取り戻せない過去への絶望でもあった。
 (12.09.23)