あの先の未来で待っていて 4

「それじゃあ行ってきます」
「気を付けて」
「はい」

 元気な返事をしたルルーシュに小さく手を振った。するとルルーシュがはにかむように笑った。
 まるで新婚さんみたいなやり取りだなとこっそり苦笑いしながら後ろ姿を見送る。

「さて」

 その姿が完全に見えなくなると、スザクは玄関の鍵を閉めて脱衣所へ向かった。
 洗濯機に洗剤を入れてスイッチを押す。水が溜まって順調に回るのを確認すれば、今度は腕捲りをしてキッチンに行った。
 ランペルージ家に居候させてもらうことになって早四日。
 学校に行くルルーシュを見送ったあと、こうして洗濯や洗い物などの家事をこなすのがスザクの仕事になっていた。
 一日目は恐縮していたルルーシュだったけれど、衣食住を提供してもらうのなら当然だし、食事の準備はルルーシュに全部任せているのだから対価としてはむしろ足りないくらいだ、との説得に渋々頷いてくれたのだった。
 (洗い物なんていつぶりだろうな)
 泡立てたスポンジで二人分の食器を洗い始める。
 ナイトオブセブンになった頃から自分で食事を作ったり片付けたりということはしなくなった。それはゼロになってからも同じで、ルルーシュの計らいによりゼロ専用の料理人が付いているし、服はクリーニングに出せば問題ないので家事の必要がまったくない。つまり、部屋の片付けを除けば、身辺のことはほとんど人任せと言えた。
 最後の皿を洗い終えると、タオルで手を拭いてリビングを振り返る。
 この世界のルルーシュと暮らし始めてまだたった四日だけど、こうして彼の存在を感じられる日常がたまらなく愛しい。それは彼がルルーシュに瓜二つだからなのか、もしかしたら生まれ変わりかもしれない可能性があるからなのか。
 いずれにしろ、優しく穏やかに過ぎていく時間が愛しいことに違いはなかった。
 (それにしても、ルルーシュのあの防犯意識の薄さはやっぱりちょっと心配になるな)
 成り行きで運良く居候させてもらうことになったけれど、あのときはこれが夢だと思ったからあっさり頷いただけである。もし現実だと理解していたら、ルルーシュの生まれ変わりかもしれない相手だとしても誘いには乗らなかっただろう。
 ルルーシュもルルーシュで、幼馴染の親戚という嘘をあっさり信じすぎだ。仮に親戚の話が本当だったとしても、出会ったばかりの人間を家に招くどころか居候させるのは問題だ。これが強盗か何かだったら今ごろ命はないかもしれないと考えていないのだろうか。
 (知らない人間を連れてきたら駄目だって一応注意しておくかな。まあ、僕が言っても説得力はないけれど)
 捲くった袖を戻していると、朝の爽やかな空気の中、庭に飛んできた鳥の鳴き声が聞こえた。
 (時間ってこんなにゆっくり過ぎるものなんだな……)
 日本がブリタニアに敗戦したときから、当たり前の日常とは無縁になってしまった。ゼロレクイエムが成功し、ゼロとして尽力している今も同じだ。
 これが自分に課せられた罰であり、ルルーシュとの約束を果たすためにはそうあるべきだと思っていた。
 だから、部屋に差し込む陽射しの温かさや、のんびり流れる時間や、庭で囀る小鳥の声を知らなかった。
 (ナナリーから休暇をもらったばかりだし、ちょっと長い休みだと思えばいいのかな)
 本来ならば躍起になって戻り方を探さなければいけないところなのに、すっかり寛いでしまっている自分がいる。頭の片隅で、これは夢の続きだとまだ思っているのかもしれない
 ソファに座って新聞を手に取れば、そこには自分の知らない年号が書かれていた。
 ここはゼロレクイエムから百年後の世界。その現実はいまだに信じられないけれど、心のどこかで安堵する気持ちもあった。
 (僕たちの選択は間違っていなかった。そうだろう?ルルーシュ)
 ゼロレクイエムは成功した。でも、その後のゼロとしての活動が失敗すれば。どこかで間違えしまったら。
 あの日から一年、ルルーシュとの約束を守るためにがむしゃらにやってきたけれど、言い知れぬ不安はいつもスザクに付き纏っていた。
 本当に正しかったのか。今やっていることは正しいのか。
 誰に確かめることも相談することも出来ず、ひとりでずっと抱え続けてきた不安。それがまさかこんな形で回答を与えられるとは思ってもいなかった。

「良かった……」

 思わず声を漏らし、スザクは組んだ両手に額を押し付けた。
 ここが夢なのか現実なのか。どちらにしろ、自分は覚めない世界に迷い込んでしまった。
 それをようやく受け入れたときに抱いた感情が安堵だったのか絶望だったのか、スザクにはよくわからなかった。

* * *

「スザク!」

 自分のことを呼ばれたのかと思って振り返ったけれど、庭のどこにも見知った姿はない。
 首を傾げていると、「部活は休みだったんだな」とルルーシュの声がまた聞こえた。そこでようやく、自分ではなく隣の『スザク』を呼んだのかと合点した。
 家の壁から顔を覗かせてみたけれど、見えるのはルルーシュの後ろ姿だけで『スザク』の顔は見えなかった。
 (タイムスリップした先で未来の自分に会うのはNGっていうのが映画や小説のお約束だけど、生まれ変わりの場合も同じなのかな)
 こちらのスザクとはまだ顔を合わせていなかった。果たして彼も自分の生まれ変わりなのか気になったけれど、幼馴染の家に見ず知らずの怪しげな男が居候していると知ったら一悶着ありそうな気がしたからやめておいたのだ。
 (ルルーシュ曰く、僕たちはよく似ているらしいから、いきなり自分そっくりの人間が現れても驚くだろうし)
 こっそり思いながら、『ルルーシュ』と『スザク』の会話を盗み聞きする。

「言ってくれたら一緒に帰ったのに」
「ごめん、今日はちょっと用事があったから」
「夕飯は?お手伝いさんもういないんだろう?何か持って行くけど」
「僕のことは気にしなくていいよ。ごめんね、ありがとう」

 ばたんと扉を閉める音が聞こえた。どうやら『スザク』は幼馴染の申し出を断ってさっさと家の中に入ってしまったらしい。肩を落としたルルーシュが目に入る。
 いけないものを見てしまったようで、スザクはそっと庭に戻ると途中だった洗濯物の取り込みを終わらせた。
 ルルーシュがリビングに顔を出したのはそれからすぐのことだった。

「おかえり」
「あ、洗濯物。ありがとうございます。あとは俺がやっておくので」
「いいのいいの。僕は何もなくて一日中暇なんだから。こき使ってくれて構わないって言ってるだろ?」

 軽い口調で言えば、ルルーシュが小さく笑った。

「朱雀さんはやっぱり大人ですね」
「え?」
「いえ……、つい幼馴染のほうと比べてしまって。今日も夕飯いらないなんて言うし……」

 まさかここで彼の話が出てくるとは思わず、スザクはぱちくりと瞬きをした。

「隣のスザクのご両親は今、海外なんだっけ?家には彼ひとりだよね。食事はいつもルルーシュが?」
「ちょっと前までは俺がスザクのところに届けたりあっちで作ったり、ほかの家事も手伝っていたんですけど、ここ数週間はお手伝いさんが来ているからと断られていて。でも、そのお手伝いさんももういないって聞いて、だったらと夕飯に誘うのにあいつは全然……、ってこんな話を朱雀さんにしても困りますよね」

 肩を竦めたルルーシュは無理に笑みを作っているように見えた。
 何か理由があってぎくしゃくしているようだが、こちらの彼らはちゃんと友達の関係を築けているのだとホッとする。
 (再会した僕たちはまともな喧嘩なんかしなかったな)
 喧嘩できることが少し羨ましい。だけど同時に、ルルーシュにこんな顔をさせる百年後の自分は何をしているのだと腹立たしいような気持ちになった。

「最近、スザクが元気ないんです」

 そう話すルルーシュのほうが元気がないように見えることはもちろん指摘しなかった。

「どうして?」
「わかりません。けど、多分あの人が原因だと思う……」
「あの人?」
「いえ、俺の勘違いかもしれないし……。つまらない話をしてすみません、すぐに夕飯にします」

 これ以上この話題は続けたくないのか、着替えてきますと言ってルルーシュはリビングを出て行った。

「あの人、ってどの人だろう」

 百年後の世界に来たばかりの自分は、相手の名前を聞いてもきっとわからないだろう。それでも、『スザク』から元気を奪い、ルルーシュの表情を曇らせる人物が誰なのかは気になった。

「まさか女性関係とか……」

 あり得そう、と一瞬思ったところで頭を振った。この世界のスザクの行いを非難するとそのまま自分に返ってきそうな気がする。不誠実な付き合いをしてきた覚えはないが、周囲からは女性関係を誤解されていた節があったのを思い出したのだ。
 ルルーシュが夕飯の支度をするなら自分は洗濯物を畳んでおこうと、取り込んだばかりの服やタオルを隣の部屋に運ぶ。
 黙々と洗濯物を畳んでいるとルルーシュがリビングに戻ってきた。すぐに台所に立って手際よく夕飯作りに取りかかっている。
 こうしていると、まるで新婚カップルの新居での光景みたいだと思った。百年前のルルーシュが聞いたら、馬鹿じゃないのかと呆れた目で見られそうだけど。
 そんな幸せな戯れ言が浮かぶほどには穏やかなのだと、この世界の平和を噛み締めながら大判のバスタオルを手に取った。
 (12.09.20)