おかしい。
何がおかしいのかと問われれば「何かが」としか答えられないが、とにかくおかしい。
最初は怒っているのかと思ったけれど、それにしてはいつもと少し雰囲気が違う。あえて表現するなら、不機嫌かつ消沈していると言えばいいのだろうか。
スザクは前を歩くルルーシュの背中を見つめた。
前といっても、ほんの二歩だけ前を歩いているにすぎない。しかし、二人で外に出るときは隣同士になって歩くのが常だから、たとえ一歩だったとしてもスザクにはその距離が随分と離れているように感じる。違和感の原因はそこにもあった。
(僕、何かしたっけ……?)
自問自答してみるけれど、思い当たるものがこれっぽっちもない。
ルルーシュの様子が何かおかしい、と気付いたのは彼がスーパーから戻ってきてからだ。
スーパーに食材を買いに行く前までは普段通りだったと思う。しかし、買物袋を片手に下げて帰ってきたときにはどこかいつもと違っていた。
最初は気のせいだろうと思った。スザク自身少々疲れていたし、ルルーシュも人混みに酔ったのかもしれない。その程度に考えていた。
だけど帰るために駅へ向かい、電車に乗り、マンションまでの道を歩いていくうちにどんどん違和感が募っていった。あと三分ほどで家に着くという段階で、スザクは自分の中の疑問を抑えることができなくなり、
「ルルーシュ」
とうとうその名前を呼んでしまっていた。
呼んだ瞬間、失敗したかもという思いが生まれる。家に帰ってからでいいじゃないか。家を出るときもちょっとしたいざこざを起こしてしまったのに、また外でルルーシュを追い詰めるようなことをするのか。
ふいに浮かんだ懸念に、ルルーシュを追い詰めることは自分の中で決定事項になっているんだなと思わず嗤ってしまう。
「……なんだ?」
ぴたりと立ち止まったルルーシュは、左半身だけをスザクに向けてきた。視線は外されている。いつもならしっかり正面を見てくれるのに、この態度はスザクの話をあまり聞きたくないと思っているのかもしれない。
「僕、何かした?」
「……別に」
「嘘だね」
「どうしてそう思う」
「ルルーシュが怒っているから」
「だからといって、どうしてお前が何かをしたことになるんだ?別のことに対して怒っているかもしれないだろう?」
「いや、僕に対してだ」
「なぜそう言いきれる」
「ルルーシュはほかの人に対しては怒らないよ。イライラすることがあってもそれを上手く隠すし、ほかの人には決して本気で怒らない。怒るのは僕だけだ。ずっと一緒にいるんだから、そのくらいわかるよ」
言い切ったスザクに、ルルーシュが笑う。
「随分な自信だな。だったら、俺がお前の何に対して怒っているのかもわかるだろう?」
「残念ながら、そこがわからなくてさっきから困ってる。まったく心当たりがないんだ」
肩をすくめて言うスザクにルルーシュは笑みを引っ込め、目を眇めてみせた。感情の籠っていない紫の美しい瞳は、ともすれば人形のような無機質さを感じさせた。
「別にいいだろう?俺が何を考えていようとお前には関係ない」
その言葉にスザクはムッと顔を顰めた。
「関係ないわけないだろ」
思わず語気に力が入る。
「どうして」
「どうしてって……、僕たちは付き合ってるし一緒に暮らしているんだよ。君との仲を拗れさせたいなんて思っているわけないじゃないか。出掛ける前にも言っただろう、僕たちには言葉が足りないんだって。言いたいことがあったら言ってくれないとわからないよ」
スザクの言葉を黙って聞いていたルルーシュは、ふいと顔を背けると口許を笑みの形に歪ませた。
「……たしかに、隠し事はしない約束だったな」
「そうだよ」
「では訊くが」
顔を上げ、真っ直ぐにスザクを見つめてくる。その瞳の奥には怒りとも悲しみともわからない色があって、スザクはたじろいだ。喧嘩をしたときだってルルーシュがこんな目をすることはない。
「さっきスーパーの前で話していた二人組は誰だ?」
「え?二人組……?」
予想もしていなかった質問に面食らう。ルルーシュが何を訊いているのか一瞬わからなかったけれど、スーパーと二人組というキーワードに先ほどの場面をようやく思い出した。
「もしかして、君が買い物に行っているとき、僕がベンチで話していた子たちのこと?彼女たちは卒業生だよ。体育を教えていたから顔を知っていて、たまたまあそこで会ったんだ」
「楽しそうだったじゃないか」
「楽しそうっていうか、元生徒なんだからあんまり邪険にできないだろ。それよりルルーシュ、僕が彼女たちと話しているのを見ているってことは、あのとき買い物はもう終わっていたんだよね?」
しかし、ルルーシュが戻ってきたのは生徒たちと別れてから15分ほど経ってからだ。もしかしたら彼女たちと顔を合わせるのが嫌であの場を離れたのかもしれないが、それにしても時間が経ちすぎている。
そのことを暗に指摘すると、
「邪魔しては悪いと思ったからな」
やけに刺々しい返事を返してきた。
これはもしかしたら嫉妬というものだろうか。それとも単に何かを勘違いしているだけだろうか。スザクには判断が付かない。
「だから邪魔なんてことは、」
「お前、本当はああいうのがいいんじゃないのか?」
「……え?」
とにかく怒っているらしいルルーシュを宥めようとしたところで聞こえてきた科白に、スザクはぽかんと口を開けた。
「あんな風に、可愛くていかにも女の子らしい子が好きなんじゃないのか?」
吐き捨てるように言うルルーシュの言葉をぼんやりと聞き流す。
何を訊かれているのか、今度こそ本当にわからなかった。
「ごめん、何を言いたいのかわからないんだけど……」
戸惑った声に、ルルーシュが睨み付けてくる。
「しらばっくれるつもりか?まぁいいさ。どうせお前は俺とそういう付き合い方をするつもりなんだから、どれもこれも今さらなんだろうな」
「ちょっ、ルルーシュ、だから」
「お前はもっと誠意のある人間だと思っていたが、そうだよな、よくよく考えてみれば、お前みたいなやつが俺なんかとずっと一緒にいることのほうが不思議だったんだよな。――信じていた俺が馬鹿みたいだ」
「っ、ルルーシュ!」
スザクを非難し、自分を卑下する言葉をそれ以上聞きたくなくて、叫ぶように名前を呼んだ。
「……ごめん、君が何を言いたいのか本当にわからないんだ。僕が気付かないうちに何かしてしまったのなら謝る。だから、君自身を貶めるようなことだけは言わないでほしい」
口を噤んだルルーシュは、何も言わずに顔を俯かせる。その様子に、怒りよりも悲しみのほうがこみ上げた。
隠し事はなしにしようと言ったけれど、スザクを信じていないような言葉を聞かせられるのはやはりツラい。
それでも、反射的に言い返さなくなっただけ自分も少しは成長しているのだろうかと、こんな状況だというのにこっそり思った。少し前の自分ならば激高し、売り言葉に買い言葉でルルーシュとすぐ喧嘩をしてしまっていただろう。しかし、ルルーシュはなんの理由もなくスザクを怒ったりしない、彼が怒るときは何らかの正当な理由があるのだとわかってきた。
スザクにとっては理不尽でも、ルルーシュの中ではちゃんとした理由がある。ならば、まずはその理由を理解してそれから怒るなり宥めるなりしよう、というのが長年の付き合いでスザクが学んだことだった。
もっとも、その割にはすぐ嫉妬して不機嫌になるじゃないかと指摘されれば、間違っていないので何も言い返せない。怒ることと嫉妬することはスザクの中では別物なのだが、微妙な感情の違いは自分でも上手く説明できないため、とにかく違うのだとしか言いようがなかった。
スザクはルルーシュに一歩近寄った。
二人とも両手に荷物を抱えているから、ただ距離を縮めることしかできないのがひどくもどかしい。
「ルルーシュ、お願いだからちゃんと話して。そうじゃなきゃ、僕は言い訳も弁解も反論も何もできない」
俯いたままのルルーシュがわずかに身じろぐ。両手の紙袋がかさりと音を立てた。
「ルルーシュ」
静かに呼べば、ようやく少しだけ顔を上げてくれた。そして小さく口を開く。
「お前、昔から年上の女性に可愛がられることが多かったよな」
「うん…、まぁ否定はしないけど……」
それがルルーシュの不機嫌とどう関係あるのだろうと内心首を傾げつつ、スザクは素直に答えた。
「俺と付き合う前に、クラスの女子とか先輩とか、違う学校の女子とも付き合ってたよな」
「だ、だって、あのころはまだルルーシュのことをそういう意味で好きだって自覚していなかったし、中学生とか高校生って誰でも彼女がほしいと思うものだろ?」
「俺は別にほしいなんて思わなかった」
それはルルーシュだからだ、と言いそうになったけれど寸でのところで飲み込んだ。ルルーシュは頭はいいのに、恋愛事にはとことん疎かった。思えば、ただの友達だったころから、恋愛に関する話題については話したことがない。
思わず黙ったスザクに、ルルーシュがなおも言い募る。
「しかも結構とっかえひっかえだったじゃないか」
「とっかえひっかえって…、そこまで酷くなかったよ。確かに、ほかの人に比べたら付き合った人数は多いのかもしれないけど……。でもそれは、ルルーシュのことを好きだとわかっていなかったからだ」
「……どういう意味だ?」
「もしかしたら、僕とぴたりと合う人をずっと探していたのかもしれないって今は思ってる。だけどどの人とも合わなくて、合わないと感じた途端に別れてた。それが彼女をころころ変えていると思われていたのかもしれない」
「随分と勝手な言い草だな。相手に対して失礼だと考えなかったのか」
「考えたよ。考えたけど、自分の中の違和感はどうしても消し去ることができなかったんだ。そんなときに、ルルーシュと違う大学に進学するってことがわかって、ようやく僕はルルーシュのことが好きなんだと気付いて、それで……」
一体自分は何を暴露しているのだろうと思った。
たしか彼女をとっかえひっかえしていたことについて弁解していたはずだ。女遊びをしていたわけではないと、ちゃんと理由があったのだと説明しようと思ったのだ。なのに余計なことまで喋っているような気がするのはどうしてだろう。
そんなことを思いながら、スザクは言葉を続けた。
「今まで付き合ってきた女の人たちには悪いと思っているけれど、おかげでよくわかった。僕にはルルーシュだけなんだよ」
「…………」
ルルーシュは迷ったような顔をしてわずかに視線を逸らした。何と言おうか考えあぐねているのかもしれない。そうして一旦きゅっと唇を引き結ぶと、意を決したように顔を向けてきた。
どんな言葉がもたらされるのかまったく想像できなくて、スザクは知らず緊張する。
ルルーシュの口がゆっくりと動いた。
「だけど……、お前は俺のこと、本当はそんなに好きじゃないんだろう?」
「――っ!」
この分からず屋、と言いたいのをスザクは辛うじて堪えた。
自分はすべて曝け出しているのに、どうしてわかってくれないのだ。
無性に悔しかった。だけどこれ以上何を言い聞かせればいいのかわからず、ねめ付けるようにしてルルーシュの瞳を見た。
そんなスザクに、ルルーシュは疲れたような溜め息をひとつ吐く。
そして――。
「俺たち……もう別れよう」
意味を理解するよりも先に、スザクの目の前は真っ暗になった。
深く胸を抉られる。
その言葉を冗談にすることも、笑って許すことも、今のスザクにはできそうになかった。
(09.07.04)BACK<<