again and again 3

「ルルーシュ、行くよー」

 玄関の三和土に立ったスザクは、リビングの奥に向かって声をかけた。
 朝食を終えたのは今から一時間半前。それから片付けをして歯を磨いて服を着替えて、スザクはすっかり準備万端の状態だった。あとはルルーシュが部屋から出てくるのを待つだけ。
 夜が遅かったとはいえ、シャワーは昨日のうちに浴びているからわざわざ風呂に入り直す必要はないはずだし、洗濯と掃除はスザクがやってしまっているからこちらも必要ない。着替えに時間をかけるタイプでもないのに、今日に限って何をやっているのだろう。ルルーシュにしては準備が遅すぎる。
 痺れを切らしたスザクが靴を脱ぎかけたところで、ようやくリビングの扉が開いた。

「すまない、待たせた」
「遅い。もうお昼すぎちゃうよ。何かあった?」
「あぁ…ちょっと電話に出てて…」

 口ごもりながら言うルルーシュの左手には、彼の携帯電話が握られていた。

「……やっぱり」

 話し声が聞こえてきたからそんなことだろうとは思っていたけれど、休日の出掛ける直前まで仕事に邪魔されてしまうのかと、スザクは溜め息をついた。

「仕方ないだろう。俺だって別に好きで、」
「うん、ごめん。ルルーシュのせいじゃないよ。僕の気持ちの持ちよう」

 ちょっとだけ顔を顰めたルルーシュが、しかし困ったように反論するのでスザクは慌てて謝った。
 がっかりしたのは事実。でもルルーシュを責めたいわけではないから、これ以上この話題に触れるのはやめた。久しぶりの外出なのだ。馬鹿みたいに些細なことで台無しにはしたくなかった。
 ルルーシュも似たような気持ちだったのか、スザクの謝罪に対して特に追及はせず、ただ小さく頷いた。
 スザクは玄関の扉を開けると、靴を履くルルーシュを待った。待ちながら、その格好を気付かれない程度にじっと見る。
 ジーンズに白のパーカーというラフな服装のスザクに対し、ルルーシュは黒のシャツと黒のパンツ。二人で打ち合わせしたかのような真逆の色の組み合わせに思わず笑みが漏れる。
 (黒もいいけど、ルルーシュは白も似合うのにな。黒は仕事に行くときによく着ているから、白い服を着ている姿が見てみたいかも。あ、そしたらもっと鎖骨が見える服がいいなぁ。鎖骨とかうなじとか……)
 ふいに顔を上げたルルーシュが、スザクの顔を見て眉を寄せる。余計な妄想をしていることがバレただろうかと内心冷や汗をかけば、

「何をじろじろ見ているんだ」

 案の定、不機嫌そうな口調で問われた。

「み、見てないよ。ぼんやりしてただけだって」
「ふぅん」

 スザクの言葉をあまり信用していないような相槌を打って、ルルーシュは鞄を肩に引っかけた。そうして玄関を出ると、スザクには目もくれずにエレベーターへと向かう。玄関の鍵を掛けたスザクは、慌ててルルーシュのあとを追った。

「ねぇ、服を買ってあげるよ」

 思い付きをそのまま口にしてしまったのは、一緒に出掛けられることに相当浮かれていたからかもしれない。

「はあ?何をいきなり」
「白の服なんてどう?もう春だし、今日みたいな黒もいいけど、明るい色のほうが春らしいだろ?」
「だからといってお前に服を買ってもらう謂れはない」

 ルルーシュの言葉が終わったのと同時に、ちんと軽やかな音がエレベーターの到着を知らせる。さっさと乗り込んだルルーシュは、一階のボタンを押すとスザクが乗ったのをさり気なく確認してから扉を閉めた。

「ちょっと早い誕生日プレゼントってことならどう?」
「俺の誕生日は終わったばかりだ。いくらなんでも気が早すぎる」
「だって何か理由がないとルルーシュはもらってくれないじゃないか」
「当たり前だ。それなら、」

 そこでルルーシュはふいに口を噤んだ。スザクは後ろからその顔を伺う。

「それなら?」
「……いや、なんでもない」

 なんでもないって顔じゃないだろう。そう言おうとしたのに、声が喉に張り付いてしまったかのように出なかった。浮かれていた気持ちの代わりに、もやっとした塊が胸に生まれた。
 妙な沈黙に包まれたところでエレベーターが一階に着く。何も言わずに降りようとしたルルーシュの手をスザクは反射的に掴んだ。素早くボタンを押して扉を閉めると、ルルーシュの身体を抱き締め、乱暴にならない程度の強引さで唇を合わせる。

「っん、す、ざく…!」

 ルルーシュが慌てて顔を逸らした。

「お前…、ここをどこだと思っているんだ!」

 土曜の昼のエレベーター。一歩外に出ればエントランスホールがあるし、エレベーターからは死角になっているが管理人だって常駐している。いつ誰が来るともわからないそんな場所でのスザクの暴挙に、ルルーシュがカッとなったのがわかった。
 スザクは小さく笑うとすぐに身体を離した。さらに無体を働かれると覚悟していたのか、ルルーシュが呆気に取られた顔をしている。その頭をひと撫でして、何事もなかったかのようにスザクはエレベーターの扉を開けて外に出た。
 後ろを振り返れば、顔を赤くさせたルルーシュの姿があった。スザクを睨み付けると、不機嫌オーラを隠すことなく歩き出す。エントランスを抜け、マンションの入口を出てもむっつりと黙ったままだ。しかし、スザクが並んで歩いても本気で嫌がっている様子はないので、怒ってはいるけれど同じくらい許されているなと思った。強引に振り回していることに対しては反省しつつも、そのことにひどく安堵した。

「お前、性格悪いぞ」

 スザクがほっと気を緩めたのがわかったのだろう、見咎めたルルーシュが刺々しく言う。

「隠し事するルルーシュが悪い」
「だからってあんなこと…。もし誰かに見られたらどうするつもりだ。エレベーターの中には監視カメラだってあるのに」
「監視カメラなんて事件でも起こらない限り誰も確認しないよ。それに僕は見られたって別にいいけど」
「スザク!」

 ルルーシュが歩みを止めて鋭く名前を呼んだ。対するスザクは凪いだ表情で、口角だけをわずかに上げた。

「君は僕のものだって、もっと皆が知ればいいんだ」

 ルルーシュが息を飲み込んだのがわかった。
 少しでも僕に翻弄されればいい。
 そんなことを思ってしまった自分に、スザクはすぐに後悔する。ルルーシュが好きなだけなのに。どうしてこんな意地悪をしてしまうのだろう。言っていることとやっていることと思っていること、全部がぐちゃぐちゃだった。

「でも、お前は……」

 ルルーシュの目が伏せられる。

「僕は?何?」
「いや、なんでも」

 そこまで言いかけて、これでは先ほどと同じだと気付いたのか慌てて顔を上げたルルーシュに、スザクは小さく苦笑いする。

「さすがに往来ではキスしたりしないよ」
「往来でなければするということか……」
「だってルルーシュが素直じゃないから」
「言うほどのことではなかっただけだ」
「そっか。でもさ、言わなくてもいいってことは、言っても構わないってことじゃないの?」

 いつもなら軽く受け流すようなこと。自分の感情を素直に吐露できないルルーシュだから仕方ないと普段ならば笑っていられるのに、今日はやたらと絡んでしまう。責めるような口調になっている自分をスザクは自覚していた。
 馬鹿みたいに些細なことでせっかくの外出を台無しにはしたくない。そう思ったはずなのに、出掛ける直前まで仕事に意識を向けていたルルーシュに対して面白くないと感じている。
 (完全に八つ当たり。いいや、これじゃただの嫉妬だ)
 何をやっているんだろうと心の奥底で自己嫌悪に陥った。余裕のある態度で接しようと思うけれど、実際にはこんなにもみっともない。ルルーシュだって呆れているだろう。
 そっと様子を窺えば、紫の瞳とまともに目が合った。思わず心臓が跳ねる。

「……ごめん」

 スザクは素直に謝った。
 買い物に行くことを望んだのはスザクのほうだ。ルルーシュが忙しいのはわかっていたけれど、何度も何度もしつこく誘った。こうしてようやく二人の休日が合ったことを喜んだ。一緒に外出できることも嬉しいが、一緒の食卓につけるだけでも十分嬉しかった。だから今朝はとても幸せだった。それなのに、つまらない嫉妬をした。
 じっとスザクの目を見ていたルルーシュは、ふいっと前を向いて歩き出した。

「あ、ル、ルルーシュ!」

 焦って追いかければ、ルルーシュが再びぴたりと足を止めた。

「俺だって……」
「ん?」

 正面に回り、俯けられた顔をそっと覗き込む。ルルーシュの瞳が微かに揺れていて、スザクは今さらながらに激しい後悔に襲われた。
 (……本当に、僕は何をやっているんだろう)
 嫉妬して、機嫌を悪くして、挙句の果てにルルーシュを困らせてこんな顔をさせて。一体何をやっているというのだろう。
 公共の道路のど真ん中で抱き締めることはできないから、その頭にそっと手を添えた。

「……俺はただ、お前が俺に何かくれるというのなら、俺もお前に何か贈りたいと思っただけだ」

 それが先ほどルルーシュが言い淀んだ言葉の続きだと気付いて、スザクはハッとする。

「それは、僕がルルーシュに服を買ってあげたいって勝手に思ったことなんだから、ルルーシュは気にしなくていいのに」
「だとしてもだ。お前がそうしたいと思うように、俺だって……」
「うん、ごめん。本当にごめん」

 スザクは謝った。自ら希望した外出を出鼻から挫いてしまったこと。ルルーシュの想いに気付かず勝手に不機嫌になったこと。
 後悔ばかりが胸の内を渦巻く。

「自分勝手でごめん」
「…………」
「ごめんね、ルルーシュ」
「っ、もういい、わかったから謝るな」

 ルルーシュが顔を上げる。

「俺もお前と同じくらい、出掛けるのを楽しみにしていたんだ」
「うん。僕が勝手に嫉妬しただけ。ルルーシュはちっとも悪くないよ」
「さっきの電話も、本当に急ぎの用件で」
「わかってる。ちゃんとわかってるから」
「でも、仕事はしないと約束したのに、結局休みの日にまで仕事を持ち込んだ俺も悪いんだ」
「メールと留守電のチェックは夜の12時を超えなければいいって僕も約束したよ」
「だけど出掛ける直前まで携帯で仕事の話をしていたら、お前が嫌な気分になるのも当然だ。俺だってそんなの嫌になる」
「急ぎだったんでしょう?」
「急ぎは急ぎだが、もう少しタイミングを考えれば良かったんだ。だから、」
「ルルーシュ」

 なおも言い募ろうとする口を人差し指で封じた。

「わかった。僕と君の両方が悪いんだよね。だからこれ以上は謝らないで」

 悪いのはどう考えてもスザクなのだが、自分にも責任の一端はあるとルルーシュは思っているようで、このままでは謝り合戦になって収拾がつかなくなってしまう。そんな事態だけは避けたかった。
 困ったような笑みを浮かべれば、ルルーシュも大人しく口を閉ざし、こくりと小さく頷く。その様子に、よくできましたと言うようにスザクはルルーシュの頭をそっと撫でた。
 (二人とも頑固で、たまにちょっと分からず屋で。要は似た者同士ってことなんだろうけど)
 ややこしいところばかりが似るなぁ、とこっそり苦笑いを浮かべた。

「もう行こう?」

 人目のある場所で手を繋ぐのはルルーシュが嫌がるとわかっていたから、手を引くように指先を一瞬だけ絡め、すぐに離す。歩を進めればすぐにルルーシュも付いて来た。並んで歩きながらスザクは口を開く。

「僕たちはさ、きっと言葉が足りないんだ」

 ルルーシュはわずかに顔を動かしただけで何も言わない。スザクは気にせず続けた。

「昔もよくあっただろう?言いたいこと言わなくても意思疎通ができると思ってて、それで誤解して喧嘩して。よくよく話をしてみたら、お互い相手がわかってくれてるだろうって思い込んでた」

 あのころからちっとも変わってない、と笑ってみせる。

「中学からずっと一緒でさ、ほかの人に比べたらルルーシュのことはよくわかっているつもりだけど、君と僕は同じ人間じゃないんだから全部が全部わかるわけないんだよね。君には君の、僕には僕の都合ってものがあって、そんなの当たり前なことなのに、また忘れていた。ごめんね」
「……そうだな」

 ルルーシュがぽつりと呟く。

「だけど、言いたくないと思うことだってあるじゃないか。それをお前は言葉が足りないと言うけれど、さっきみたいなことはわざわざ言わなくてもいいだろう?」

 さっきみたいなことというのは、スザクが贈り物をするならばルルーシュからも贈り返したいという話のことだろう。

「うん、だからさ、なんて言うのかなぁ。あー、こういうのって難しいよね……」

 何もかもを話せというわけではない。家族にも決して言えないような秘密を、人間ならば誰だってひとつやふたつは抱えているはずだ。
 でも、だからといって隠し事をしてほしいわけでもない。二人にとって必要なことならば、どんな些細なことでも話してほしい。
 それはとても簡単なようで、ひどく難しいことだった。
 矛盾だらけの気持ちをなんと言えばいいのだろうとスザクが唸っていると、

「お前も……」

 ルルーシュがスザクの横顔を見つめながら言葉を発する。

「ん?」
「お前も、俺には言いたくないって思っていることがあるか?」

 やけに真剣な目で問われ、スザクは少しどきりとしながら首を傾げた。

「僕はないよ。全部ルルーシュに伝えたいし、伝えているから。まぁ、僕が伝えているつもりになっているだけって可能性もなくはないけれど……」

 嫉妬丸出しで先ほどのような態度を取ったばかりなので、あまり信憑性はないかもしれない。だけど、ルルーシュに隠し事なんかしていないと、それだけは胸を張って言える。

「……そうか」
「どうして?」
「いや、お前にもそういうことがあるのかなと思っただけだ」

 ルルーシュが再び前を向いてしまったので、スザクも視線を元に戻す。気付けばすでに駅が目の前だった。
 その声がどこか暗かったのがスザクは気になった。無理やりキスされたことにまだ腹を立てているのだろうか。この雰囲気のまま買い物に出るのは少々どころかかなり寂しい。自分が全面的に悪いことは十分自覚しているので、本当に後悔ばかりが募る。

「なぁ、本当に服を買ってくれるのか?」

 しかし、ルルーシュが明るい声で尋ねてきて、それだけで気持ちが浮上した。見れば、いつものどこか少し偉そうな笑みを浮かべているルルーシュがいた。

「ルルーシュが嫌じゃなければ」
「それは俺が選んでいいんだよな?」
「え?」
「なんだ不服か」
「だって僕が選んであげようかと……」
「お前の趣味で選ばれたら外に着ていけない」
「えぇっ!?」

 バッサリと自分の趣味を否定され、スザクはいかにもショックですという顔をしてみせた。ルルーシュが悪戯っぽく笑う。

「まぁ、家の中で着るのならお前が選んだものでもいいけどな」
「そっちの言い方のほうがなんか余計ショックなんだけど……」

 ぼやきながら、とぼとぼと改札を抜ける。

「じゃあ俺はお前にシャツとネクタイでも買ってやるか」
「えっ」

 しかし、ルルーシュの一言にスザクは顔を輝かせた。お返しなんて必要ないとは言ったけれど、ルルーシュが何かくれるのならばやはり嬉しい。

「卒業式は終わったけれど、4月になったら入学式があるだろう?卒業式と同じネクタイじゃ面白みがないじゃないか」

 ルルーシュが笑って言う。
 その申し出は正直ありがたかった。教壇に立つ機会が少ない体育教師という立場に甘んじ、スザクは普段の出勤時もラフな格好で、ほとんどスーツを着ていない。普通のサラリーマンに比べたらスーツの数が少ないという自覚はあったものの、まぁいいかと放っておいたため、卒業式間近でスーツの出番が多くなったときは困った。当然、ワイシャツとネクタイもそれほど持っていなかった。
 だから、いい加減きちんと揃えるかと思っていたところでのルルーシュからの思いがけない言葉は、二重の意味で嬉しい。

「うん、ありがとうルルーシュ!すごく助かる!」
「大袈裟だな」

 嬉しさを全身で表現するスザクに、ルルーシュが笑みを深めた。
 (あ、やっと普通に笑ってくれた……)
 暗い顔をしていたルルーシュが、いつも通りの笑顔を向けてくれる。ごく当たり前のことがスザクには至上の喜びに感じられた。そして自分の言動を大いに反省し、もう二度とルルーシュの笑顔を翳らせるものかと心の中で誓う。
 時間通りに来た電車に乗り込みながらスザクがそんなことを考えていただなんて、もちろんルルーシュはこれっぽっちも知らなかった。
 (09.05.30)