顔を洗って寝起きの頭をすっきりさせてきたルルーシュは、テーブルの上に置かれた朝食を見て顔を綻ばせた。
茶碗にご飯をよそっていたスザクはそれに気付かないフリをして、しかしルルーシュからは見えない位置で笑みを浮かべる。
この瞬間が、スザクはたまらなく好きだった。
嬉しさを抑え切れない口元は締まりがなく、傍から見ればみっともないことこの上なかったけれど、誰にも見られることはないのだからと思う存分にやけた。
スザクが朝食にと用意したのは、味噌汁に鮭に卵焼きに白菜の漬物、それから白いご飯。ごくごく普通の和食だ。
もっと簡単にトーストとサラダでもいいのだが、ルルーシュはなぜかスザクの作る日本食が好みらしく、日本風の食事を食卓に並べるたびに喜んでくれた。その笑顔を見るのが好きで、スザクは自分が担当のときは日本食を出すようにしている。
ルルーシュほどではないが、スザクの料理の腕も悪くはない。
剣道を習いに道場へ通っていたとき、手伝いや合宿で料理をさせられることが多く、簡単なものはそこで覚えた。ルルーシュと一緒に暮らすと決まってからは、母親に頼んで少し手の込んだものも習った。おかげで、日本食ならばルルーシュの手を煩わせることなく用意できた。
家事は手の空いた者がする、というのが二人の間の取り決めである。
当然、食事の用意も時間のある方が担当することになっていた。スザクが忙しいときはルルーシュに、ルルーシュが忙しいときはスザクにその負担が多くかかってしまうけれど、お互い様なので決して文句は言わない。一緒に暮らしているのだから助け合うのは当然だ、というのが二人の認識だった。
そんなことを高校からの二人の友人であるリヴァルなどは「世のカップルが皆そうなら、確実に喧嘩はなくなるよな」と、感心しているのか呆れているのかよくわからない口調で評していた。ついでに、「それはもう恋人ではなく熟年夫婦の領域だ」とも言っていた。世のカップルの事情も熟年夫婦のあり方も知らないルルーシュとスザクは、そういうものなのかという感想しか出てこなかったけれど。
ルルーシュが席に着いたのを見計らって茶碗を手渡す。それから自分の分もよそうと、同じように席に着いた。
「いただきます」
「いただきます」
二人同時に手を合わせる。
ルルーシュの祖国であるブリタニアにそんな習慣はないけれど、長く日本に滞在しているのと、スザクがやっているからという理由で、いただきますの習慣がすっかり身に付いていた。自分が刷り込みしたみたいだ、とスザクは密かに嬉しく思っている。
「ルルーシュ、今日こそは絶対に買い物に行くからね」
「お前そればっかりだな」
お椀を持ちながら、ルルーシュが呆れた顔をする。対するスザクは、冗談じゃないという顔をしてみせた。
「だって一ヶ月!一ヶ月だよ!?前に出掛けて以来、一ヶ月も一緒に外出できないなんて有り得ない!」
「仕方ないだろう。俺もお前も忙しかったんだから。まぁ俺のほうは一区切り付いて姉上からも休みを取るよう厳命されているが、お前は大丈夫なのか?」
「卒業式が済んだからね。まだ終業式が残っているけど、今までに比べたら全然マシだよ」
「そうか、それは良かった。初めての卒業式だから感慨深かったんじゃないのか?」
聞かれて、スザクは卵焼きをぱくつきながら頷いた。
「うん。自分のときとはまた違う感動があるよね。でも今回は初めてだらけで準備に忙しかったから、あまりじっくり浸る余裕はなかったなぁ」
新任のしかも体育教師で、体力だけは有り余っているから力仕事ではいろんなところで重宝がられた。おかげで、自分の仕事に割く時間を削る羽目になってしまったけれど。
「男性教師でしかも担当が体育なら、力仕事以外に使う場所はないだろ」
「一応、ほかの科目もちゃんと勉強してきたんだけど」
「体力バカなところがお前の一番の売りだろう?諦めるんだな」
不服そうなスザクに、ルルーシュは笑う。
「そういうルルーシュは、体力ないくせに毎日残業しすぎだ」
「夜更かしは俺の得意分野だよ。それにお前だって残業ばかりじゃないか」
「それでも僕は日付が変わる前に帰ってるけどね。どうなってるの、君の会社」
「おかげ様で儲かってはいるけどな。世界中に支社があるから、時差を考えると仕方がない」
「だとしても働きすぎだ。もっと休み取れないの?」
「姉上から休みはもらった」
「とか言って、すぐ会社に戻ろうとするくせに」
「残念ながら、一週間は出てくるなと今回は本気で言われたからな。少し早い春休みだ」
「え。本当に?」
問いには答えず、ルルーシュは味噌汁に口をつけた。スザクの作る味噌汁が一番美味いなと思ったけれど、あまりおだてると調子に乗るので、感想は心の中だけに留めておく。
「ねぇルルーシュ、本当に休みなの?」
スザクがしつこく聞いてくる。そんなに俺の言葉が信じられないのかと一瞬ムッとしたが、仕事を理由にたびたび約束を反故にしてきた自分を思い出し、自業自得かとルルーシュは思った。
箸を握り締めたままじっと見つめてくるスザクに、小さく溜め息を吐く。
「本当だよ。もし会社に出てきたら減給だと姉上に言われた」
「コーネリアさんがそこまで言うのなら本当だね」
「だからさっきから本当だと」
「自業自得。わかってるだろ?」
自分でも思ったことをスザクに指摘され、ルルーシュはぐうの音も出ない。
ルルーシュが勤めるのは、父親がトップを務める多国籍企業の日本支社。その社長である姉のコーネリアのもと、日々経営について学んでいる。
本社をはじめ、世界各地に散らばる支社や系列会社、子会社にブリタニア家の人間が多く関わっていた。が、一族の人間だからといって簡単に勤められるわけではない。実力主義を謳う会社の方針で、入社の際には普通に入社試験を受けなければならないため、能力の低い者は書類選考の段階で落とされることもざらだった。
重要なポストも相応の実力がなければ任されない。ブリタニアの名前が付く分、ほかの社員よりもむしろハードルは高いといえる。しかし、会社の方針がかなり厳しいにも関わらず、要職を務めるルルーシュの兄弟姉妹は多い。決して身内を優遇しているわけではなく、それだけ優秀な人材が一族には多いという証拠だった。
そんな会社に、当然ルルーシュも実力で入った。高校生のころから姉の手伝いをしており、その実力と優秀さはすでに知られていたので、今はもっぱら姉の片腕のような存在になっている。
ルルーシュの頭の良さは昔からよく知っていたが、入社一年目からこれとは末恐ろしいと、自分とのあまりの出来の違いにスザクは溜め息を吐きたくなるときがある。
初めての卒業式の準備で張り切りすぎてしまったのも、式を成功させたいという気持ち以上に、社会人としてルルーシュに負けたくない、ルルーシュと対等でありたいという非常に個人的な理由が大きかった。
優秀すぎるルルーシュと、平凡な自分とが一緒にいていいのだろうかとたまに落ち込んでしまうスザクは、少しでも早く一人前になりたいと思っていた。もちろん、そんな心の内をスザクが誰かに打ち明けたことはなく、ルルーシュも知らない。
「忙しいのはわかるよ。でも、たまには休みも取らなくちゃ」
スザクの小言に、ルルーシュは黙って漬物へと箸を伸ばした。
自分だって最近はあまり休んでいなかったじゃないかと思ったけれど、ルルーシュの生活態度についてスザクが語っているときは、余計な反論をするとさらにしつこいと知っているので何も言わない。
それに、小言だと思えばうるさいが、自分の身体のことを心配してくれていると思えばありがたく感じられた。ただし、お説教が長いのでありがたさも少しだけだが。
漬物が口の中で気持ちの良い音を立てる。スザクの実家の漬物はやはり上手いな、とルルーシュは思った。
本当はスザクが自分で漬けたかったらしいが、社会人一年目の忙しさに糠床を毎日かき混ぜることができず、残念ながら傷めてしまった。以来、漬物はスザクの実家にお願いして分けてもらっている。
日本食がというより、スザクの家の味が好きなんだとルルーシュは自己分析していた。
「買い物。行くんじゃないのか?」
だったらさっさと食べろと、まだ小言を続けているスザクに告げた。
「家でも仕事しちゃダメだよ」
「メールと留守電のチェックぐらいはさせろ」
「じゃあ夜中の12時は越えないこと」
「考えておく」
「絶対だからね」
「それを言うなら、お前も早く帰って来い」
「うん。今週は絶対に早く帰る。だから君も家で待ってて」
満面の笑みを浮かべるスザクに、ルルーシュのほうが照れくさくなる。そういうことをさらっと笑顔で言うな、と心の中で思った。
熱くなった頬を誤魔化すように茶碗を空にすると、「ごちそうさま」と椅子から立ち上がる。
「早く食べろ。そろそろ出かけないと日が暮れる」
「うん」
最後の卵焼きを口に入れ、残っていた味噌汁を飲み干す。すでに流し台で洗い物をしているルルーシュに食器を預け、スザクはテーブルの後片付けを始めた。
こういうとき、一緒に暮らしているんだなということを強く実感する。作った料理をルルーシュが喜んでくれる瞬間と同じくらい嬉しい。
ルルーシュの後ろ姿を眺めながら、幸せの二文字をスザクは噛み締めていた。
(09.04.05)BACK<<