初日の宣言通り、三が日を過ぎてもシュナイゼルはルルーシュとスザクのマンションに居座っていた。
神社の参拝もルルーシュの実家訪問もついて来られ(久しぶりに会う次兄にナナリーは喜んでいたからそれは良かったと思うけれど)、気の休まる暇がなかった。そもそも、結婚して初めてのお正月なのだ。ルルーシュと二人きりでもっとのんびりいちゃいちゃと過ごすつもりだったのに、突然現れた義兄によってその予定はことごとく潰されてしまった。
「じゃあ行ってきまーす……」
スザクは玄関で力なく声を出した。もやもやとした気持ちを抱えたままこれから出勤である。まだ学校は冬休み中だが、いくつか仕事があるので出なければならない。
「早く帰って来られるのか?」
「うん、自分の仕事をやるだけだし」
「そうか。では、帰る一時間前ぐらいに連絡をしろ」
「いいけど、どうして?買い物でもある?」
買い物ならば今ここで聞くよと言えば、ルルーシュが視線を泳がせた。おや?と首を傾げる。
「その……お前が学校を出る時間に外で待っていればちょうどいいだろう」
ルルーシュにしては珍しく、ごにょごにょと言いたいことがはっきりしない。
「えっと、それってどういう……」
「っ…、せっかくだから、外で待ち合わせて食事にでも行こうと言っているんだ!」
理解しろ!この馬鹿!と叫ばれ、スザクはぽかんとした。ルルーシュの顔をまじまじと見つめてしまう。
「嫌なのか……?」
少し不安そうな顔をしたルルーシュに、ぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「――まさか!うん、行こう!絶対行く!すぐに終わらせて連絡するから!」
食事に出掛けるのは初めてではない。だけど、ルルーシュからこんな風に誘われるのは初めてだった。連絡を取り合って待ち合わせなんて、どこからどう見てもデートじゃないか。
「いや、そんなに気合いを入れなくても……」
スザクの勢いに押されたのか、ルルーシュが一歩後ずさる。その手をすかさず握り、自分のほうに引き寄せた。
「夕方前には終わると思うから。待ってて、ルルーシュ」
「スザク……」
そっと顔を近付けた。ルルーシュも抵抗しない。普段なら玄関先でふしだらな!と怒られるところだが、年明けから仕事に出る自分を気遣ってくれているのだろうか。夢だった『いってきますのキス』。あまりに新婚らしくて、スザクは口許に笑みを浮かべた。唇に触れるまであと数ミリ――。
「醤油が切れてしまったんだが、ストックはどこにあるのかな?」
「痛っ――!!」
声とともに思い切り身体を押され、玄関のドアに頭を打ち付けた。ごつんと良い音がしたのは決して気のせいではない。
「あ、あ、あ、に、うえ」
「どうかしたかな?ルルーシュ。スザク君がみっともなく蹲っているようだけど」
わざとだ。絶対にわざとだ。
痛む頭を押さえながら何とか目線を上げれば、にこやかな顔のシュナイゼルが醤油さしを持って廊下に立っている。が、その目は絶対零度でスザクを見下ろしていた。ちなみに、醤油は昨日の夜、ルルーシュが補充したばかりだ。いくら醤油好きの人間でもたった一晩で使い切ることは出来ないはずである。
せっかくルルーシュがシュナイゼルの存在を忘れてくれていたのに、これでは全部台無しだった。恐らく、邪魔をするために頃合いを見計らって出てきたに違いない。
どこまで自分の邪魔をするのだとふつふつ怒りが湧いてきたが、相手は世界的企業の社長でルルーシュの兄だ。権力に負けるつもりはないものの、下手なことをして余計な言いがかりをつけられたくはない。
「ところで今日の夜なんだが、ナナリーとマリアンヌ様とコーネリアとで食事の予定があるから、ルルーシュもそのつもりでいるように」
「は!?」
「えっ?」
シュナイゼルの言葉に二人同時に声を上げた。
それは今思い付いたことなのだろうか。それとも前々から予定されていたことなのだろうか。どちらにしろ、先ほどのルルーシュとスザクのやり取りを聞いた上で言っているのだとしたら、タチが悪いなんてものじゃない。
「しかし、今日の夜は」
「私と交えて食事をするのは久しぶりだとナナリーがとても喜んでいてね。もちろん、ルルーシュも来るだろう?」
言葉に詰まったルルーシュが、ちらりとスザクを見る。
ここでナナリーを選ぶと即答されないあたり、自分もちゃんと愛されているなぁと思った。が、事態はそんな呑気なものではない。
スザクを選ぶかナナリーを選ぶか葛藤してくれているのはありがたいけれど、彼をこれ以上悩ませるのは酷だろう。シュナイゼルを睨むとスザクはルルーシュの肩にぽんと手を置いた。
「僕はいいから。行ってきなよ」
極力不機嫌さを出さないよう優しく声を掛ければ、ルルーシュがぱっと振り返る。
「スザク……。だが、俺はお前と」
「たまにはお母さんたちと食事するのもいいんじゃないかな。僕たちは結婚しているから、ご飯はいつでも一緒に食べられるだろう?」
結婚、の二文字に力を込める。シュナイゼルの周りの温度が下がったような気がするが無視をした。
「……すまない。この埋め合わせはちゃんとするから」
「楽しみに待ってるね」
ここでキスの一つでもして出掛けたいところだが、義兄の目が光っているので渋々諦める。
「じゃあ、いってきます」
元気なふりをして手を振った。ルルーシュはどこか傷付いた顔で、それでも笑って「いってらっしゃい」と返してくれた。ルルーシュが悪いわけではないのに、かえって傷付けてしまったようで申し訳ない。
諸悪の根源といえば、ルルーシュの後ろで勝ち誇ったように笑ってスザクを見ているのだから腹が立つ。あれで本当にルルーシュを可愛がっているのだろうか。酷な二択を迫って無理やり選ばせるなんて、大事な弟に対して兄がやることではない。
(新年早々なんでこんなにムカつかなきゃいけないんだ…!!)
憤懣やるかたなし、といった風情でスザクは学校までの道のりを歩いて行った。
「だからさぁ……、八つ当たりで俺を呼び付けるのはやめてくれる?」
「そもそも!そもそもだよ!?いくら弟の家とはいえ、新婚家庭に正月からやって来る兄なんてこの世にいる!?」
こりゃ駄目だな、とリヴァルは料理の追加をした。
リヴァルって今日ヒマ?もちろん暇だよね?暇に決まっているよね?という強迫電話を受けたのが五時間前。俺は今日が仕事始めでまだ飲みに行くって気分じゃないんだけど……という訴えはあっさりと退けられた。
夕方の六時に待ち合わせをして店に入り、それから約三時間、スザクは延々とくだを巻いている。出てくるのはルルーシュの兄に対する不満ばかりだ。年が明けてまだ四日目だというのに、相当鬱憤が溜まっているらしい。
「でも、その兄貴がいるのは一週間なんだろ?あと三日の辛抱じゃんか」
「いいや、あれはずっと居座るつもりだ。また休みになったら絶対に邪魔しに来る。だいたい、僕はちゃんと結婚の挨拶をしに行ったんだよ?それを今さら反対だなんて、どうしろって言うんだよ」
「はあ……。ルルーシュはシスコンだけど兄貴はブラコンだな。どうなってるんだ、あの一族」
「ブラコンと言えるうちはまだ可愛いよ。そのうち本気で僕たちの離婚を画策してきそうなのが嫌なんだよ!」
ううっ、とテーブルに突っ伏して泣き始めたスザクに、それはご愁傷様とリヴァルは乾いた笑みを浮かべた。本人にとっては一大事だろうが、それに毎回毎回付き合わされる身にもなって欲しい。
(っていうか、スザクってこんなに酒弱かったっけ?)
記憶が確かならば、彼は酔っぱらったことがないはずだ。泣き上戸だった覚えもないし、それだけ今回はダメージを受けているということか。
「俺、明日も仕事なんだけど……」
聞こえないだろうと思いつつぼやいてみる。料理を摘みながら、さてどうしたものかとテーブルに肘をついた。スザクの愚痴に付き合わされると長いことは経験上知っているが、今日は特に長そうだ。
終電に間に合えばいいな……と思わず遠い目をしたとき、ポケットの中の携帯が振動したのに気付く。着信を確認し、表示された名前を見た瞬間にリヴァルは立ち上がっていた。
「ちょっとトイレ行ってくる!」
スザクの返事を待たずに席を離れた。喧騒から遠い場所まで行き、通話ボタンを押す。
「ルルーシュ!助けてくれよ!」
電話が繋がった途端に叫ぶと、回線の向こう側で苦笑いする気配がした。
『やっぱりスザクはお前と一緒にいるんだな』
「一緒も何も無理やり付き合わされてさ。明日も仕事だってのに、あの調子じゃ、あと六時間ぐらいは帰らないと思うぜ。兄貴がいて色々大変かもしれないけど、俺も大変なんですぐ迎えに来てくれよ」
『……スザクはほかに何か話していたか?』
ふいに声のトーンが下がったような気がしたが、電話が遠いだけだろうとリヴァルは気にしなかった。
「いや、ルルーシュの兄ちゃんへの愚痴ばっか。このままじゃ離婚させられるって喚いているぞ」
『なんだそれ』
笑う声はいつものルルーシュだった。
「俺としても新婚さんに波風立たせたくないんで、お願いします早く迎えに来てください」
『わかったわかった。店はいつもの場所か?』
「おう」
『悪いがあと二十分付き合ってやってくれ』
そう言い置くと通話は切れた。ベストタイミングで電話をかけてきたルルーシュにリヴァルは感謝したい気持ちでいっぱいである。そもそもの原因はルルーシュの兄にあるのだが、酔っぱらったスザクを回収してもらえるのなら事情なんてどうでもいい。
「俺を愚痴相手にするのはもうやめてもらいたいよなぁ」
ルルーシュにさっさと結婚しちゃえと言ったのは自分だけれど、結婚してまであの二人のごたごたに巻き込まれるとは思ってもいなかった。愚痴を言える相手ということはそれだけ気を許してもらっている証拠なのだろうが、どうにも扱いが悪い。
「なんか、俺ってずっとこういう役回りな気がする……」
はぁと溜め息をつき、再び酔っ払いに付き合うために席へと戻った。残り二十分の辛抱である。
「……あれ?」
目が覚めると外がやけに明るかった。ぼんやりした頭のまま身体を起こす。
「えっと……」
スザクはベッドに入るまでの記憶を手繰り寄せた。
仕事を終えた後、呼び出したリヴァルに付き合ってもらっていつもの店でお酒を飲んだ。そしたらルルーシュが迎えに来てくれて、一緒に家まで帰ったのだ。シャワーを浴びるのも億劫で、水を一杯もらったところで横になり――。
「そのまま朝?」
時計を見ればすでに正午を過ぎていた。隣にルルーシュがいないのは当然である。そんなに飲んだつもりはないのだがいつもより酔っぱらってしまい、ルルーシュの手を煩わせてしまった。しまったな、と思いながらベッドを離れる。とにかく謝らなければとリビングを覗けば、そこにいたのはルルーシュではなくシュナイゼルで一気に頭が覚醒する。
スザクの姿に気付いたようで、シュナイゼルは手元に広げていた新聞から目を上げた。
「あ、えっと、おはよう、ございます」
「やあ、こんにちは」
嫌みとしか思えない返事が返って来て、二日酔いの身体がさらに重くなる。ルルーシュは一体どこへ行ったのだろうと辺りを見回していると、
「ルルーシュならコーネリアに呼ばれて会社に行っているよ」
義兄が回答をくれた。
「仕事ですか?」
「確認したいことがあるそうだ。難しい内容ではないようだが、夕方までは返って来ないんじゃないかな」
優雅にコーヒーを飲む姿を見ながら、「そうですか」と相槌を打ったスザクは洗面所へ向かった。洗濯物はすべて片付けられていて、仕事もあるのにルルーシュに申し訳ないことをしたと思う。
冷たい水で顔を洗えばさっぱりした。
「はぁ……」
同時に自分の不甲斐なさをまざまざと感じてしまい、思わず溜め息が出てしまった。新年早々辛気臭くてどうすると、久々に感じる頭の重さを振り払うようにスザクは顔をぱしんと叩いた。
顔を拭き、部屋に戻って部屋着に着替えてからリビングへ戻ると、シュナイゼルは相変わらず新聞を読んでいた。日本語の新聞なんか読んで楽しいのだろうかと思ったけれど、彼の特技は何ヶ国語も話すことであったと思い出す。新聞程度を読むのはきっと朝飯前なのだろう。
朝飯、という単語にスザクは「あっ」と思った。
「あの、食事は……」
「それは朝食のことかな?それとも昼食のことかな?」
「どちらもです」
嫌味であることをわかっていて正直に答える。スザクがムッとしなかったことがつまらなかったのか、シュナイゼルは鼻白んだ様子で新聞を折り畳んだ。
「朝食ならルルーシュが作ってくれたのを食べたよ。昼食はそこの鍋の中と冷蔵庫にあるから勝手に食べてくれ、ご飯は冷凍しているものを温めろ、だそうだ」
「シュナイゼルさんはもう召し上がったんですか?」
「いや、これから食べようかと思っていたところだ」
「そうですか。では用意しますね」
ルルーシュがいつ家を出たのかは知らないが、朝と昼の分の食事を作って出掛けて行くのはさすがである。コンロの火を付け、冷蔵庫からそれらしき皿を取り出すと、冷凍していたご飯と一緒にレンジに入れた。温まるのを待ちながら時折鍋の様子を窺う。
結婚しても家事は分担するという決まりは変わっていない。しかし、こうしているとルルーシュのほうの比重が大きくなっているような気がした。お互い忙しさは変わらないのに、家事が得意で何かとよく気付くルルーシュが率先してやってくれるから、いつの間にかスザクの分担分はなくなってしまっているのだ。
(このままずるずるとルルーシュに任せきりになってしまいそう……)
それは駄目だと、心の中で首を振る。同棲していたころからの決まり事を結婚したからといって蔑ろにして良いわけがない。結婚したからこそ、きちんとしなければいけないことだってあるのだ。
(今日……は挽回するのはもう無理だから、明日からはちゃんとやろう)
新年五日目でそんな決心をする自分を少々情けなく思いつつ、鍋をかき混ぜながらスザクは決意を新たにした。
すべての料理が温まると二人分の皿によそい、テーブルの上に置いていく。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
シュナイゼルは箸を取り、日本式のいただきますをしてから食べ始めた。その様子はとても慣れていて、日本人よりも食べ方が綺麗かもしれない。思えば、シュナイゼルが箸を使って食べる姿をちゃんと見るのはこれが初めてだ。苦手意識のある人だから、今までは視界に入っても意識に留めなかったのだろう。よくよく考えれば、結婚相手の兄弟にそれも失礼な話だった。
「どうかしたかな?」
スザクがじっと見ていることに気付いたのか、シュナイゼルが箸を止めてこちらを見る。苦手とはいえ、彼が整った顔であるのはスザクも認めるところだ。その顔に見られるとなんだか緊張した。
「あ、いえ、箸の使い方が上手だなと思っただけです。それに、いただきますって……」
彼らの国にそんな習慣はない。ルルーシュがいただきますと言ってくれるのはスザクがそうしているのを見て真似てくれたからだが、シュナイゼルにスザクを真似する理由はない。不思議になって思わず尋ねれば、さも当然といわんばかりの顔をされた。
「食事をする前にいただきますと手を合わせるのは日本の習慣だとルルーシュが言うからね。郷に入れば郷に従えという言葉が日本にあるのだから箸の使い方もきちんとしろとうるさいんだ。ルルーシュに怒られたくないから練習したよ」
「そ…そうですか」
ブラコン。その単語がスザクの頭の中に浮かんだ。
シュナイゼルがブラコンであることは登場時からよくわかっていたことだが、ルルーシュに言われたから練習したのだと当たり前のように言われるとなんだか眩暈がしそうだった。この兄相手に自分が結婚相手であることを認めてもらうのは死ぬまで無理かもしれない。そんな予感に気が遠くなる。
「ところでスザク君」
ふいに名前を呼ばれ、スザクは背筋をぴんと伸ばした。世界規模の組織の社長だけあって、シュナイゼルの声には有無を言わせぬ力があった。
「新年早々二日酔いとは、いいご身分だね」
やっぱり来たか、と思う。ただでさえ心象が悪いのに、遅くまで飲んでルルーシュに迷惑をかけてしまったのだ。シュナイゼルにちくちく攻撃されるに違いないと起きた瞬間から覚悟はしていたが、正面切って言われるとげんなりしてしまうのは仕方のないことだろう。
「それは反省しています」
「君みたいな人間がルルーシュの相手とは、やはり私は納得いかないね。君は、自分がルルーシュに不釣合いだとは思わないのかな?」
その言葉にはムッとした。確かに自分はルルーシュと比べて駄目なところばかりである。ひとつもいいところがない。だけど、スザクが釣り合うか釣り合わないかを決めるのはルルーシュ自身だ。そして、スザクがどんなに駄目な人間だとしても選んでくれたのはルルーシュだ。兄であるシュナイゼルではない。
「お言葉ですが、ルルーシュは納得して僕と結婚してくれました。自分が至らない人間だということはよくわかっています。でも、ルルーシュが誰を相手に選ぶのか、それはシュナイゼルさんにとやかく言われることではありません」
反論してきたスザクに、シュナイゼルは目を細めると食事の手を止めた。組んだ両手に軽く顎を乗せる。
「では、ルルーシュが君を選ばなかったら君は諦めると言うのかな?」
「僕と一緒にいたくないと言えばそうするかもしれません」
「その程度で諦められるのなら、君の想いは随分と軽いんじゃないだろうか」
「ルルーシュが好きだからこそ、負担になるようなことはしたくないだけです」
もし顔を見るのも嫌だと言われたら、死ぬほどつらいけれどルルーシュの前から姿を消すだろう。もちろん簡単に諦めたりはしないし、関係を修復するための努力もする。だけど、人間の気持ちにはどうすることもできない部分があるのも事実だ。もしスザク自身の存在がルルーシュにとって邪魔になるだけなら、そのときは覚悟を決めようと思う。
「そうか、ならば質問を変えよう」
シュナイゼルが面白そうな口調で宣言した。
「物理的に君たちの距離が離れるとしたら、君はどうするかな?遠距離での別居生活を選ぶか、ルルーシュについて行くことを選ぶか、それとも別れてしまうか」
唐突な質問にスザクは眉根を寄せた。こんなことを訊いてくる意図がわからない。
すると、スザクの戸惑いがわかったのだろう、シュナイゼルが小さく笑う。
「ありえない話ではないだろう?君は私立の学校の教師だから転勤はないと聞いているが、ルルーシュはわからない。彼は非常に優秀な人間だ。その仕事振りは私のところでも噂になっていてね、いずれ本国に呼び戻されるかもしれない」
「え?引き抜き……?」
「たとえばだよ。もしもの話をしているにすぎない」
シュナイゼルはたとえばと言うが、本当だろうかとスザクは穿った。この義兄が無意味な仮定の話をするとは思えない。少しでも可能性があるからこんな話をしているのではないだろうか。
実際、ルルーシュはとても優秀だ。日本だけに留めておくのは惜しい人材である。シュナイゼルの言うとおり、引き抜きの話があってもおかしくはない。
(ルルーシュが、本国へ……?)
そう考えた瞬間、頭の中が冷えるような感覚を覚えた。何故、ルルーシュがずっと日本にいると思い込めたのだろう。充分あり得る話なのに、今までそのことに思い至らなかった自分はどれだけおめでたい人間なのか。
「それで、君は先程の三択のうちどれを選ぶんだい?」
シュナイゼルの口調は穏やかだが、その目は笑っていないような気がした。スザクの回答によっては権力を最大限に使ってでも二人の離婚を画策しそうな、そんな雰囲気すらある。
「僕は……」
どれを選んでも揚げ足を取られるに違いない。遠距離を選んだら、その程度の愛なのかと言われそうだ。ついて行くと言えば、仕事をはどうするつもりだ、家庭の事情を仕事に持ち込むのは無責任だと罵られそうである。別れるなんて選択肢は言語道断だ。
だけど、予想されるシュナイゼルの反応など関係なく、スザクの心は自然と決まっていた。
「僕はルルーシュについて行きます。結婚したのだから、二人一緒にいるのは当然のことです」
「ほう。ルルーシュが本国に戻る、それについて行く、ということはスザク君は今の仕事を捨てるつもりなのかな?」
「捨てるわけではありません。でも仕事を続けることが無理ならば、きちんと手続きを踏み、引き継ぎも済ませてから退職するしかありません」
「君は体育教師になりたくてなったのだろう?あっさり退職できるということは、君の夢はその程度だったということか」
その言葉に、スザクは首を振る。
「僕は夢を諦めるつもりはありません。もちろんルルーシュも諦めません」
きっぱり言い切れば、シュナイゼルがおや?と意外そうな目をした。
「だって、体育の先生はルルーシュやシュナイゼルさんの国にもいますよね?」
にこりと笑みを向ける。瞬きをした義兄は、スザクの言いたいことを理解したのか、くくっと笑い出した。
「なるほど。体育教師になるのは夢だが、日本の体育教師になることが夢ではないと。確かにどの国へ行っても教師は教師だ。だが、日本での免許は使えないよ」
「必要なら大学に入り直します。年齢や国の問題で無理なら自分でスポーツ専門のスクールを作ればいいし、教えることは日本じゃなくても出来ます。でもルルーシュは一人しかいない。だから、僕はルルーシュのいるところにいるだけです」
穏やかな表情のまま、しかし真剣な眼差しで告げた。それは嘘でも誇張でもない。紛れもないスザクの本心である。
互いに値踏みするかのように、スザクとシュナイゼルはしばらくじっと見合った。先に視線を逸らしたのはシュナイゼルのほうだった。
「……せっかくルルーシュが作ってくれた食事だ。冷める前に食べよう」
小さく息をつくと、シュナイゼルは箸を手に取り、あとは何も言わずに食事を再開させた。
何とも言えない変な雰囲気で、できれば今後は義兄と二人きりになるようなことがありませんようにとスザクは願った。そして、今の回答は果たしてシュナイゼルにとって合格だったのだろうかと思う。
不合格を出されたところで別れてやるつもりなんかないけれど。
心の中で呟いて、スザクは遅い朝食を食べ始めた。
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