「おはよう、ルルーシュ」
「ああ、おは……」
よう、と続けようとしてルルーシュは嫌そうに顔を顰めた。
「新年早々、眉間に皺を寄せていたら幸せが逃げるよ。昔の人が言ってただろ?」
「残念ながら、先人がそのようなことを言っていたという記憶は俺の中にはない」
スザクを一瞥すると、ルルーシュは台所に身体を向ける。ちょうど朝食の準備をしていたところだったのだ。何もない一日とはいえ、朝の時間を無駄に過ごすのは性分に合わない。
「まあまあ、細かいことは言わないで。それより何でそんな顔するんだよ」
しかし、ルルーシュの邪魔をするようにスザクが引っ付いてきた。後ろから腕を回され、腰を抱かれる。その上、肩に顎を乗せられて身動きが取れない。
「おい、離れろ」
「お正月からつれないね」
「包丁を持っているんだ。危ないだろ」
「じゃあそれは一旦置いて……」
握っていた包丁を無理やり外された。
「ちょっ…、スザク!」
何をするんだと振り返ってスザクを見た。
「いい加減にしろ!」
「いいからいいから」
「何がいいんだ!」
手元に包丁があるので下手に暴れることも出来ず、ルルーシュはスザクに為されるままだった。手を取られ、身体をひっくり返される。文句を言おうと口を開きかけたが、随分と近い位置にスザクの顔があってどきりとした。
「あけましておめでとう」
「――ぁ」
「新年の挨拶、まだだったろう?」
にこりと笑みを浮かべられ、ルルーシュもつられるように「おめでとう」と言った。
「新年一日目なんだからもうちょっと優しくしてよ。なんで挨拶しただけで嫌な顔するの?」
先程、ルルーシュがおはようと言いかけて止めたことについて言っているのだろう。わざとらしくしくしくと泣き真似をするスザクに、ルルーシュは再び眉根を寄せた。
「お前が気持ち悪い顔をしているからだ」
「してないよそんな顔!」
うるさく訴えてくるので、ルルーシュはふいと顔を背けた。
「していたじゃないか。気持ち悪いくらいにこにこと」
挨拶を返そうと振り向いた先には、やたら笑顔のスザクがいた。スザクはいつもにこにこしているが、さっきのは度を越していたように思う。にこやかすぎて朝から気持ちが悪い。
「お前があんな顔をしているときは碌なことがない」
「碌なことって……酷い言われようなんだけど」
「事実だろ」
いいから手を離せと振り解こうとするが、がっしり掴まれていて叶わない。
「スザク」
「だってさ、嬉しかったんだ」
ふいにトーンの落とされた声が耳を擽り、ルルーシュは動きを止めた。目の前にはなんとも言えない顔をしたスザクがいる。しかし、それは負の表情ではない。たとえるならば、まるで抑えきれない喜びを噛み締めているかのような――。
「初めてだろう?こうして二人で新年を迎えるのは」
スザクの言葉に首を傾げる。
「今まで何度も一緒に迎えたじゃないか」
同棲を始めてからもう何年も経っている。二人で新年を迎えるなんて今さらなことだ。すると、スザクが少しだけ眉尻を下げて笑った。
「それはそうなんだけどさ。僕が言いたいのは、結婚してから初めてだねってこと」
そう言われ、ルルーシュは瞬きをした。
スザクの言葉を頭の中で何度も反芻し、ようやく意味を理解した瞬間、頬が紅く染まった。
「なっ、そ、そんなことは…、け、結婚してもしなくても同じことだろう」
殊更恥ずかしいことを言われたわけではない。ごく普通のことをごく普通に言われただけだ。しかし、何故かやたらと恥ずかしかった。
スザクと結婚してから約九ヶ月が過ぎた。同棲期間が長かったから生活が変わったという印象はない。それでも、ふとしたときに自分たちは結婚したのだなと思うと無性に居た堪れない気持ちになった。九ヶ月が経った今も慣れることはなく、ルルーシュはスザクのように結婚の二文字をすんなり口にすることが出来ない。
「ルルーシュ、真っ赤」
「う、うるさい!」
くすくすと笑われ、さらに顔の温度が上がったような気がする。
「あー、ホント可愛いなぁ」
握ったままの手を持ち上げたかと思えば、スザクの唇が左手の薬指に触れた。そこにはシンプルな指輪が填まっていた。結婚しようと言われたときにスザクから贈られた指輪は、あれ以来ずっとルルーシュに指にある。
「僕は単純だからさ、ルルーシュと初めてのことはなんでも嬉しいんだよ。あ、もちろん初めてじゃなくても嬉しいけど、なんて言うか、特別な感じがするじゃないか」
だからあの気持ち悪いくらいの笑顔だったのかと、理由を知れば納得する。
「ねえ、もう一回言って」
「何をだ?」
「新年の挨拶」
「なんだ、それ」
可笑しくて笑った。新年の挨拶とはこんな風に乞うものだっただろうか。しかし、思い返してみれば先程の自分の態度は悪かったし、確かにまだちゃんと挨拶していなかったと反省する。
「あけましておめでとう、スザク。今年もよろしく」
ルルーシュは口許に笑みを浮かべ、スザクを真っ直ぐ見つめて言った。たったそれだけのことにスザクが満面の笑みを浮かべた。
「うん、よろしくね。ルルーシュ」
自然と互いの顔が近付く。ルルーシュは瞼を下ろし、いまだ握ったままの手にきゅ、と力を込めた。
唇に吐息を感じ、あと少しで温もりに触れる。お互いがそう思った。
ピンポーン
が、やけに間の抜けた音に、ぱちりと目を開けた。
「……宅配便?」
「こんな時間に?」
まだ朝の七時半だ。どんな用事にしろ早すぎるだろう。しかも今日は元日。人がひっきりなしにやって来るような家ならともかく、マンション住まいの二人のところへわざわざ訪ねてくる人間には心当たりがない。母や妹が来る予定もない。一瞬、仕事の関係ではという考えが頭を過ぎったが、それならばまず携帯に連絡を入れるだろう。しかし、夜のうちにリヴァルや知り合いから来たおめでとうメールのほかは、ルルーシュの携帯は実に静かなものだった。
ならば一体誰が。
思ったところで再びインターホンが鳴る。しかも今度は連打だ。
「――っ、くそ、誰だ!」
「あ、ルルーシュ」
別にスザクとのキスを邪魔されたから怒っているわけではない。新年早々、騒音を撒き散らかされるのが嫌なだけだ。誰に聞かせるわけでもなくルルーシュは心の中で言い訳すると、ひったくるようにして玄関と繋がっている受話器を取った。
「どちら様ですか!」
普段ならば決して他人に出さないような大声を出す。このマンションはオートロックなので暗証番号を知らない人間はエントランスにさえ入れない。外にいるのが誰かは知らないが、このまま追い返してやろうと思った。
『久しぶりに声を聞いたかと思えば、君も随分とがさつになったね、ルルーシュ』
しかし、自分の名前を呼ばれ、ルルーシュはその場で固まった。
「ルルーシュ?誰?」
後ろでスザクの声がするが、反応を返すこともできない。馬鹿みたいに棒立ちになっていた。
『それはそうと、そろそろ入れてくれないかな。さすがに外は寒い』
聞き慣れた声。仕事で何度か電話をしたことはあるし、親族の集まりでときどき顔を合わせることもある。しかし、この人の生活拠点は日本から遠く離れた地のはず。ルルーシュとスザクの住むマンション前にいるはずがない。
「……兄、上…」
「え?お兄さん?え、ええぇ!?」
スザクの驚いた声がする。ルルーシュは溜め息をついた。新年早々、眉間に皺を寄せてしまったことがいけなかったのだろうか。
スザクの言っていたことは正しかったのかもしれないと思いながら、無言でオートロックの解除をした。
「スザク、俺の二番目の兄のシュナイゼルだ」
「はじめまして、枢木スザクです……」
「君がスザク君だね。話には聞いているよ。ルルーシュがお世話になっているみたいだね」
「いえ。以前、ブリタニアのご実家に伺ったときはお仕事だったようで、ご挨拶が遅くなってしまってすみません」
「何かと忙しくてね、こちらこそせっかく来てくれたのに留守にしてしまって申し訳ない」
互いににこにこと会話を交わしている。どことなく空気が痛いのは気のせいだとスザクは思いたかった。
「……で、新年早々何か用ですか」
腕を組んだままのルルーシュが顔を顰めて兄を見る。朝一番に見た顔よりもさらに嫌そうだ。ルルーシュの機嫌がどんどん下降していくのを隣でひしひしと感じた。
「兄が弟を訪ねてはいけないのかな?新婚さんの家を見てみたかったしね」
「忙しいんじゃないんですか?そもそも、一族の新年会はどうしたんです?」
「君だって出ていないじゃないか」
「俺はもう何年も前から出ていません!」
「だったら私がいなくても平気だろう」
ルルーシュが額に手を当てて嘆息する。
そんな二人のやり取りをスザクはぼんやり眺めていた。ブリタニア家は一族揃って美形揃いと聞いていたが、この二人を目の前にすると噂は本当だったのかと思う。ルルーシュの母や妹のナナリー、姉のコーネリアも美人だし、一族が勢揃いしたらさぞかし壮観だろう。
(って、現実逃避しちゃいけないいけない……)
突然現れた次兄のシュナイゼル。彼は二十代の若さで本社の社長に就任し、今もその敏腕を振るっている世界的にも有名な人物だ。現在のブリタニア家の繁栄は、父のシャルルとシュナイゼルの力によるものだと言われていた。
そのような人物がアポなしで、しかも元日にやって来た。ルルーシュの言うとおり、忙しいはずの人が何故わざわざ日本まで来たのか。
先程の空気といい、なんとなく嫌な予感がするのは気のせいだとどうしても思い込みたい。
「ところで、何も食べずに飛行機に乗ってしまったから空腹なんだ。朝食を食べさせてもらっても構わないかな?」
「すぐ帰るんじゃないんですか!?」
「ああ、それなら大丈夫だよ。一週間休みをもらったからね」
にっこりと、実にさわやかにシュナイゼルが笑った。スザクとルルーシュは固まり、同時に顔を見合わせた。恐らく、二人とも考えていることは同じだろう。新年最初の以心伝心がこれとは少々嬉しくないが。
「一週間お世話になるからよろしく頼むよ」
やっぱりーーー!!!
と、ルルーシュの顔が言っている。スザクも心の中で思い切り叫んでいた。
「ルルーシュもコーネリアから一週間の休みをもらっているんだろう?最近、食生活が貧しくてね。久しぶりにルルーシュの料理を食べられるのだと思うと楽しみだよ。スザク君はいつから学校なのかな?私のことは気にせず、仕事に行ってくれて構わないからね」
笑顔が悪意に満ちているように見えるのは果たして目の錯覚だろうか。
新年早々、新婚家庭を邪魔しに行ってはいけないと、そういうのは出歯亀と言うのだと、どうしてこの人に誰も言ってくれなかったのだ。
スザクは誰彼構わず訴えたい気分だった。
「これがお雑煮というやつか。話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだ」
「それを食べたらさっさと帰ってくれませんか」
「どうしてかな?一週間お世話になると言ったじゃないか」
「…………」
ルルーシュとスザクは無言で餅を食べた。シュナイゼルの笑みがやけに嘘くさく感じるのは仕方のないことだろう。
ルルーシュにとっては兄であり上司であり、スザクにとっては義兄だ。非常に邪魔であるが、無碍には出来ない。
「ところで、君たちのこれからの予定は?」
「神社に初詣に行って、母さんとナナリーのところに挨拶に行くつもりです」
「そうか。じゃあ私もお土産を持って行かないとね」
「ついて来るつもりですか!?」
とうとうルルーシュが立ち上がった。椅子の音が大きく響く。お椀の中身が零れないよう、スザクはさり気なく位置をずらした。
「ナナリーは大切な妹だし、マリアンヌ様とは血の繋がりはないけれど義母に当たるからね。挨拶をするのは当然だ」
「だったら兄上一人で行ってください」
「残念ながら道がわからなくてね。君たちについて行くしかないだろう?」
箸を握るルルーシュの手がふるふると震えている。怒り心頭といったところだが、それを理性で何とか抑えているようだ。
「そもそもお付きの人たちはどうしたんですか!?秘書のカノンさんは?」
「カノンにも休暇を出しているよ。もちろん所在ははっきりさせているから問題ない」
「……本当でしょうね」
「嘘だと思うのなら確かめてみるかい?カノンとコーネリアあたりに訊けば間違いないと思うよ」
シュナイゼルが携帯を取り出してひらひらと振ってみせた。ルルーシュは眉根を寄せると奪うように受け取った。操作をして目的の番号を見つけ、携帯を耳に当てたままテーブルを離れる。シュナイゼルの言葉を本当に確かめるようだ。
ソファに座って何やら話している姿を見ていたスザクは、自分に突き刺さる視線を感じて恐る恐る正面を向いた。
にこにこと穏やかな顔のままシュナイゼルがこちらを見ていた。その笑みが怖く感じるのは何故だろう。
「ルルーシュとは上手くやっているようだね」
「おかげ様で……」
「君たちが一緒に暮らしていることは知っていたけど、そういう関係とまでは思わなくてね。突然の報告に嘆く兄弟も随分いたよ」
「す、すみません」
「知っているとは思うが、私たち兄弟姉妹は皆がルルーシュを可愛がっている。本国にいたころは私たちの母親や親戚たちのせいで何かとつらい思いをさせてしまってね、本当に悪かったと思っているよ。口さがない連中はだいぶ処分したのだが、あのころの嫌な記憶があるせいか、ルルーシュはなかなかこっちに戻ってきてくれない」
処分、という単語が妙に生々しく聞こえた。一体どんな処分をしたのか訊くのはやめようと思った。
「その上、今回の結婚だろう?ルルーシュが帰ってきてくれる可能性はぐんと減ったわけだ」
「はあ……」
「そういうわけだから」
その瞬間、シュナイゼルの目が光ったような気がする。
「私は君たちの結婚は認めないし、ルルーシュの相手が君であることも否定するから、そのつもりでいるように」
にっこりと宣戦布告され、スザクは固まった。シュナイゼルは笑みを浮かべているが、纏っている空気は絶対零度である。すなわち、彼の発言は嘘でも冗談でもなく真実であり、世界有数の大企業の社長をスザクは敵に回したということだ。
(今さら結婚反対って言われても…!)
ルルーシュへの愛情で負けるつもりはないが、その他に関してはとても勝てる気がしない。
背中に冷や汗が流れるのを感じ、なんでこんなことに……と、スザクは新年早々泣きたい気持ちになった。
(10.01.03)