<日曜日
「おやすみなさい、お兄様、スザクさん」
「おやすみ、ナナリー」
「おやすみ。咲世子さん、あとはよろしくお願いします」
「はい」
ナナリーと彼女の車椅子を押す咲世子を見送れば、リビングにはスザクとルルーシュの二人だけが残された。昨日と同じシチュエーションだ。
「さてと。お前、明日の朝は早いのか?」
「学校があるときより少しゆっくり出来るかな」
「それならあと一時間くらいはいられるな」
「うん」
そのあとの会話が続かず、沈黙が落ちる。二人きりになったら例の告白の返事が待っているとお互いわかっているから、どこかそわそわと落ち着かない。
「こ、紅茶を淹れてくるから待っていろ」
「うん」
ルルーシュがキッチンに消えたのを確認すると、スザクは思わず息を吐き出した。一週間後と言ったのは自分だけど、いざそのときになるとこれほど緊張するなんて思わなかった。自分が緊張するのだから、返事を伝える側のルルーシュはもっと緊張しているかもしれない。
酷なことをしてしまったと今さらながらに反省する。だったら初めから言うなと先日も言われたけれど、あのときはあのときの勢いがあったから仕方がないのだと心の中でこっそり言い訳をした。
「待たせたな」
キッチンから戻ったルルーシュは二人分のカップを乗せたトレイをテーブルの上に置いた。陶器の中で琥珀色の水面が揺れる。
「それから……だいぶ遅くなってしまったが、これ」
「僕に?」
差し出されたのは小さな紙袋だった。中を覗くと綺麗にラッピングされた小箱が入っていた。誕生日や祝い事はなかったはずだが、と首を傾げる。
「プレゼントしてもらうようなことがあったっけ?」
「何を言っている。日本では昔からのイベントなのだろう?」
「え、何が?」
わからないという顔をすれば呆れたような溜め息をつかれた。まあスザクだからなとか、緊張していたこちらが馬鹿みたいだとか、ぶつぶつ文句が聞こえてくるけれど本当にわからない。
「二月十四日。その日付に心当たりは?」
「心当たりも何も、僕の誕生日は半年先だし、ルルーシュとナナリーの誕生日も終わったし、二月なんて……あ、」
すっかり縁遠い行事になっていたから頭の片隅にも残っていなかったけれど、もしかしてその日は――。
「バレンタイン、だろう?」
少しぶっきらぼうに告げられたイベント名にスザクは目を丸めた。ルルーシュの口からバレンタインという単語が出てくるとは、ちょっと信じられない。
「でもなんで急に?」
「だ、だから、その、日本ではバレンタインにチョコレートを贈って愛の告白をするのが習わしなのだろう?」
ふいと背けられた頬が赤い。もしかして、と心が勝手に期待する。
バレンタインにチョコレート。お膳立ては完璧だ。これであなたのことが嫌いですとわざわざ逆の告白をする物好きはいないだろう。
過度の期待は禁物だと言い聞かせながらも、ルルーシュの次の言葉を心待ちにしている自分がいた。
「――俺も、お前のことが好きだ」
「ルルーシュ……」
待ち望んでいた言葉を与えられ、感動で胸がいっぱいになりそうだった。
イエスでもノーでも受け入れるつもりだったけれど、実際にイエスをもらった喜びは想像以上だ。
「最初はそんなつもりなかったし、どうして告白なんかしてきたんだとお前を恨めしくも思った。どう考えてもお前のことは友達としか見れないと思っていたのに……、お前が悪いんだ」
「ええっ、なんで?」
「お前が告白されているからだ」
なんの告白かと確認するまでもなく、それは木曜日の出来事を指しているのだろう。
「ほかの女にお前を取られるかもしれないと想像したら無性に悔しくなった。最初は友達が遠くなってしまうようで嫌なのかと思ったが、それとは少し違う気がした。だから昨日一日お前と過ごしてみて、俺はお前のことが好きなのだと結論を出したんだ」
「昨日の買い物って、もしかしてテストだったの……?」
「自分の気持ちを確認してみただけだ」
そうやって告白の返事を導き出すところはとてもルルーシュらしい。スザクは口許を緩めた。
「ありがとう、ルルーシュ」
「礼を言われるようなことは……」
「僕も君が好きだよ」
ルルーシュの頬がまた赤く染まる。
これ開けていい?と尋ね、もらったばかりの箱を開けた。中には小ぶりで宝石みたいな形をしたチョコレートが入っていた。
「チョコレートの甘い匂いを部屋中にさせたらお前に気付かれると思って手作りはやめたんだが、バレンタインのことすら忘れていたのなら気にする必要はなかったな」
「だって軍隊生活じゃバレンタインなんて関係ないし。でもルルーシュの手作りチョコなら食べたかったな。あ、木曜日に皆がどこかそわそわしていたのってバレンタインのせい?」
「お前、本当に気付いていなかったのか?あのときの彼女だってバレンタインの日を選んで告白したと思っていたのに」
「チョコはもらわなかったよ」
「振られたから渡せなかったんじゃないか」
「そうかな?でも僕にとっての一番はルルーシュだから、ルルーシュ以外の人にチョコをもらっても嬉しくないよ」
もらえば食べるかもしれないけれど、それは単に食べ物を粗末にしたくないからという理由だけだ。見ず知らずの人からチョコをもらったところでなんの感動もない。
「お前はまた恥ずかしいことを……」
照れ隠しのようにルルーシュがカップを傾ける。
そんなルルーシュを微笑ましく見ながら、スザクはチョコレートを一粒取った。いただきますと言って齧れば、程よい甘さが口の中に広がった。
「美味しい」
「それなら良かった」
「ルルーシュは味見した?」
「いや、時間がなくて味見は出来なかったんだ」
「そっか。じゃあ……」
箱を持ったままテーブルをぐるりと回り、ルルーシュの前に立つ。
「はい、味見」
あーん、とチョコレートを口許に持っていくと眉を寄せられた。
「それはお前に渡したものだ。お前が全部食べろ」
「でも美味しいからルルーシュにも食べてもらいたいなって」
「だったら自分で食べる」
「僕が食べさせてあげたいの」
「お前な」
「あ、それならいいこと考えた。僕も食べてルルーシュも食べられる方法」
箱をテーブルに乗せ、摘んだままのチョコレートを銜える。紫の瞳はきょとんとしていて、自分が何をされるのかまったく気付いていない様子だ。
スザクはルルーシュの肩に手を置くと、顔を傾けて唇を近付けた。反射的に開けられた口の中へとチョコレートを転がす。触れた舌先はとても甘く、火傷をしそうなほど熱かった。
目を瞠り、背筋を伸ばしたまま固まっているルルーシュは自分の身に降りかかった出来事がまだ理解できていないのかもしれない。お互いの体温でチョコレートが溶けてなくなっても微動だにしないのをいいことに、スザクは口付けを深めた。
告白の返事をもらったばかりで浮かれて調子に乗り過ぎているという自覚はあったし、なんとか自制心を働かせようと試みるものの、甘い咥内と今まで抑えていた欲に煽られて唇を解くことが出来ない。
「ふ……ッ、ん」
やがておずおずと伸ばされた手がスザクの背に回り、つたないながらも舌を絡めて応えようとしてくれていた。漏れる吐息と相俟って体温がさらに上がりそうだ。衝動のままに服の上から肌をなぞる。
体勢を変えようと身じろいだスザクは、しかしテーブルにぶつかった拍子にカップががしゃんと音を立てたことで我に返った。それはルルーシュも同じだったようで、回していた手を慌てて離した。
お互いの荒い呼吸がリビングを満たす。
「ルルーシュ……」
居た堪れない様子で顔を俯けているルルーシュの手に触れればびくりと肩が震えた。
「ねえ、今日も泊まったら駄目かな」
「だ、駄目だ!ナナリーはまだ起きているだろうし、咲世子さんもいるし、お前だって明日は軍の仕事じゃないか」
「あれ?僕は泊まりたいって言っただけで、君の部屋で何かするとは言ってないよ?」
わざととぼけてみせれば、整った顔が茹蛸のように真っ赤になった。鈍いルルーシュだけど何を意図しているかはさすがに気付いたかと内心安堵しながら、ごめんごめんと謝る。
「ルルーシュが可愛いから苛めたくなった」
「馬鹿じゃないのか、だいたいあんなこといきなり…っ」
恥ずかしくてたまらないという様子のルルーシュは今にも泣き出しそうだ。自制が効かなくなったとはいえ、恋人になったばかりの相手にやり過ぎたと反省する。
「ごめん、やっと君に触れるんだと思ったら抑えられなかった。このまま君のところに泊まったら何をするかわからないから今日はもう帰るよ」
帰ると口にした途端、今度は寂しそうな表情を浮かべられた。せっかく紳士的に振る舞おうとしているのに、ルルーシュは無意識に人を煽る天才かもしれない。
艶めいた唇に触れたい衝動を堪え、額にキスをひとつ落とす。
「続きはまた今度だね」
「ばっ、馬鹿!」
悪態を吐く顔はまだ赤い。でもいつものルルーシュがそこにいて、スザクは笑みを浮かべた。
「好きだよ、ルルーシュ」
こちらを見上げた彼は、赤い頬のまま表情を和らげた。
「軍の仕事が終わったらまたうちに来ればいい。今度はちゃんと手作りのチョコレートを作っておいてやるから」
「うん!」
お互い顔を見合わせ、一緒になって笑う。
こんな結末が待っているなんて先週は想像もしていなかった。同じ月曜日なのに、明日を迎えるに当たっての気持ちは全然違う。
(ルルーシュとナナリーが幸せになれる世界を僕が作るから)
早くゼロを捕まえて、この世界を平和にして、二人が笑って過ごせるようにするから。その理想が実現したら、きっとルルーシュも喜んでくれるに違いない。
大好きだよと囁いてもう一度ルルーシュを抱き締める。
それはとても幸せなぬくもりだった。
* * *
スザクを見送ったあと、自室に戻ったルルーシュはベッドに寝転がって天井を見上げていた。無意識のまま唇に触れる。
普段は何も感じない場所なのに、スザクに触れられただけで体に電流が走ったような衝撃を感じた。キスだけでこうなるのだから、さらに先を続けたらどんなことになるのだろう。
ふと浮かんだ疑問がひどくいやらしいものだと気付き、慌てて唇から手を離す。赤くなった顔は誰にも見られることはないけれど、恥ずかしくてたまらない。
(スザクが変なことを言うから悪いんだ!そもそもキ、キスだって、いきなり過ぎて……)
告白をしてすぐにキスをするなんてどうかしている。最初の告白のときにキスはされていたから今さらなのかもしれないが、あんなに激しいものは初めてで、驚いて身じろぐことすら出来なかった。
でも突飛な行動に驚きつつも嫌悪感がないということは、つまりはそういうことなのだ。
一週間考えて考えて出したのが、自分もスザクを好きだという結論だ。
スザクをほかの誰にも取られたくないという気持ちは、行き過ぎた友情と呼ぶにはあまりに醜く、執着が強過ぎる。何より、キスに抵抗を抱かないのがわかりやすい証拠だ。
(しかし恋人というのは何をすればいいのか)
自分は経験値が足りないからリサーチしておく必要があるなと思ったとき、携帯が鳴っているのに気付いた。
身を起して相手を確認する。着信の主は黒の騎士団の一員である扇だった。
「――私だ。ああ、そうか、それで状況は?わかった、では三十分以内にそちらに向かおう」
会話が終わったときにはほんの数分前までの甘い気持ちなど忘れ、ルルーシュはゼロの表情を浮かべていた。
スザクの休暇が急に短くなったから何かあるかもしれないとは思っていたが、今夜彼を泊めなかったのはやはり正解だったようだ。
必要なものを準備するとすぐに部屋を出る。深夜の空気はひやりと冷たく、上着を着ているのに体の芯まで凍えそうだ。
(俺がブリタニアを壊し、ナナリーとスザクが幸せに暮らせる世界を作る。だからスザク、お前はそんなところから早く離れろ。お前がいるべき場所は俺とナナリーの隣なんだ)
そのためにももっと黒の騎士団を大きくして、ブリタニアに対抗できる充分な力を備えなければいけない。
スザクの匂いとぬくもりを思い出し、ルルーシュはそっと頬を緩めた。
次に彼が来たときはチョコレートを作ると約束した。些細な約束は、しかし胸の中にほんのりと温かいものを感じさせて幸せな気分だった。
(好きだよ、スザク)
冬の夜空の下で、吐く息が白く濁る。
一週間の終わりは次の一週間の始まりであるとともに、二人の新しい始まりを告げていた。
END
(13.2.17)