その理由 前編

 枢木スザクは女好きだ。
 そんな噂がまことしやかに流れるようになったのは一体いつからだろう。入学式から夏休みを迎えるまではどこにでもいる普通の大学生だったはずだ。では長い休みを境に大いに変わってしまったのだろうか。
 いや、そもそも高校時代から女好きだったと言う同級生がいる。いやいや、あいつの女好きは中学時代からだと訳知り顔で話す同級生もいる。彼らの多くは枢木スザクの顔と名前を知っている程度の付き合いで、実際に彼と友達だった人間は皆無に等しい。となれば、それらの話には嫉妬や羨望が大いに含まれている可能性がある。
 しかし火のないところに煙は立たないとも言う。では、どれが枢木スザクの真実なのだろう。
 彼の友人の一人がこんなことを話していた。

「あいつは中学生の頃から彼女に困ったことはないんじゃないかな」

 実際、入学した当初から彼には彼女がいた。しかも年上のやけに色気のある先輩だった。
 ほかの学生たちが慣れない大学生活にあたふたしている中、年上の彼女を作って堂々と構内を歩くスザクはやけに目立ったけれど、この頃はまだ有名人ではなかった。が、数ヶ月、短いときでは数週間で隣の彼女が変わるとさすがに目を引くようになる。大抵が年上の彼女であったことも目立った理由の一つだろう。
 その上、彼女たちはほぼ全員が美人だった。スザクのどこか幼い顔立ちとふとしたときに見せる大人びた目つきのギャップがたまらないのだと、ある元カノは言っていた。彼を貶めようとする噂の一部には、やはり美人とばかり付き合っていることに対する嫉妬が大いにあったに違いない。こうして、枢木スザクは女好きで女遊びが激しい男というイメージが付いてしまい、大学で知らない人間はいないほどの有名人になっていた。
 そんな枢木スザクとルルーシュ・ランペルージが付き合っている。その噂が流れたとき、大学ではちょっとした激震が走った。
 ルルーシュ・ランペルージという名も枢木スザクに負けず劣らず有名だ。しかし、理由はスザクとはまったく逆だった。
 美貌の天才。ドラマや小説に出てくるような呼び名がルルーシュに密かに付けられた名前である。
 一番の成績で入学し、顔もスタイルも抜群で、教授からも一目置かれているルルーシュは男女問わず憧れの的だった。しかし本人には有名人である自覚がないらしく、彼のファンの子たちが言うには、何もかも完璧なのに時折見せる天然なところが非常に魅力的らしい。
 枢木スザクとルルーシュ・ランペルージ、まるで水と油のような二人の有名人の間に接点はまったくなかった。友達付き合いをするような関係だとは思えなかったし、彼らが構内で会話を交わしている姿も目撃されたことはない。だから、この二人が付き合っているらしいという噂に誰もが動揺したのである。中には、絶対に嘘だと咽び泣く学生がいたほどだ。
 だけど、構内で仲良く連れ立って歩く二人を見たとか、同じ講義のときは必ず隣同士になっているとか、目撃報告が多数報告されると信じないわけにはいかなくなってきた。
 どうやらこの噂は真実らしいと悟り、泣いたり落ち込んだりする学生が多く見られたのは大学二年目の春のことだった。
 ここに一人の学生がいる。
 スザクとは中学時代、ルルーシュとは高校時代の友人で、二人にとっては唯一共通する友人だ。もっとも、自分たちが同じ友人を持っているとはお互い気付いていないだろう。
 友人の名はリヴァルと言った。スザクに常に彼女がいたと証言したのも彼だった。しかし、彼は悪意があって証言したのではなく単に事実を述べただけで、それがスザクの女好きという噂に繋がるとは夢にも思っていなかった。悪いことをしてしまったとしばらく反省するくらいにはお人好しである。
 その彼に今、ひとつの指令が与えられていた。
 気乗りしないなと溜め息をついて顔を上げた先にはカフェテラスがあった。昼休みは過ぎたので学生はまばらにしかいない。
 その一番奥で、一人静かに本を読んでいる学生がいた。カフェテラス内の学生たちがちらちらと彼を見ているのが遠目でもわかった。
 毎日こんな環境で過ごしていてノイローゼにならないのかとリヴァルは不思議に思うけれど、彼にとってはそれが日常なので気にもならないらしい。有名人も大変だと思い、その有名人と知り合いであることも大変だと心の中でもう一度溜め息をつく。
 リヴァルに与えられた指令。それは、ルルーシュが本当にスザクと付き合っているのかどうかを確かめる、ということだった。
 確かにリヴァルも驚いた。まさか正反対のあの二人が付き合うことになるなんて、ほかの人間より多少は二人を知っているリヴァルでも想像していなかった。でも彼らが自分たちで付き合うと決めたのならまあいいかと思っていた。
 だが、ルルーシュ信奉者たちにとっては青天の霹靂、この世の終わりとも呼べる事態だったのだ。
 ちなみに、スザクのほうが好きな人たちは、数ヶ月も経てば飽きてまた別れるだろうとやけに落ち着いていた。これはルルーシュ派も共通の意見のようで、だからこそ不安なのだと誰もが訴えていた。
 つまり、自分たちのルルーシュが枢木スザクに遊ばれて捨てられるなんて許せないと、まだ現実にもなってもいないのに憤っているのだ。スザクがまるで人非人の扱いだが、彼らにとって枢木スザクとはそういう人間だった。
 ルルーシュが選んだのならば仕方ない。だけど、もしかしたら枢木スザクに騙されているだけかもしれない。それならば早く目を覚まさせなければならない。そういう前提の上で、事の真偽を確かめるために白羽の矢が立ったのがリヴァルだった。
 お前なら聞けるだろうと熱い期待を受け、お人好しのリヴァルに断ることは出来なかった。それに、二人が本当に付き合っているのかどうかはリヴァルとしても気になることではあった。まあいいかと思ったものの、すんなり信じられない気持ちがあったのも事実だ。ならばこの際、思い切って本人に直接確かめてみるのが一番すっきりするだろう。
 よし、と小さく気合いを入れるとルルーシュの席へ向かう。

「ここ座ってもいいか?」

 ちらりとリヴァルを見たルルーシュは、「ああ」と短く相槌を返すと本に視線を戻した。

「ルルーシュって次の講義なかったっけ?」
「教授の都合で休講になった」
「ラッキーじゃん」
「学生の本分は勉強だろう。休講になって喜ぶわけがない」
「……すみません」

 しばらく沈黙が続いた。普段なら意識することなく会話が続くのだが、今日は若干緊張しているせいかなかなか上手く言葉が出てこなかった。
 ゆっくりページを捲っていたルルーシュだが、何を思ったのか、ぱたんと唐突に本を閉じた。そしてリヴァルに視線を向けてくる。
 彼とは高校時代からすでに四年の付き合いになるけれど、こうしてまともに視線を受けるとリヴァルでもどきりとした。希有な色をした瞳に自分の姿が写っていることがなんだか不思議でもあった。

「何かあったのか」
「へっ?な、何かって何?」
「それを聞いているんじゃないか。お前が神妙な顔をしているときは大抵何か相談事があるときだろう」

 ルルーシュがにやりと笑い、リヴァルの背中に冷や汗が伝う。この優秀な友達には隠し事が出来ないらしい。
 (うっ…、でもどうせ訊かなければいけないことだし、ルルーシュのほうから話を振ってくれて助かったと思えば!)
 前向きに考え直したリヴァルは、咳払いをするとテーブルに肘を突いて身を乗り出した。人の姿がまばらとはいえ、あまり他人に聞かれたい話ではない。

「単刀直入に訊くけどさ」
「なんだ」
「お前ってスザクと付き合ってるの?」

 ルルーシュの顔に動揺の色はなかった。ただ、真意を確かめるかのようにじっと見つめられる。

「そうだ、と言ったら?」
「なんでスザクがいいんだよ。いや、俺も一応スザクの友達だからあいつのことは知ってるし、悪い人間だとは思わないんだけど、スザクをよく知らない人間も多いからさ。そういう連中はお前のことを心配しているんだよ」
「心配?何を心配するんだ?」
「いやあ、なんて言うか……、ほら、スザクは女好きとか女遊びが激しいとかで有名じゃん?俺はスザクが不誠実だとは思わないけど、そういう話を信じてると色々不安になるんだよ」

 なんで俺が弁解しながら説明しているんだと心の中でぼやく。仕方なく引き受けたものの、これでは自分がスザクに不信感を抱いているみたいじゃないか。もしルルーシュに誤解されたらあまりにも理不尽すぎる。
 泣き言でいっぱいのリヴァルをルルーシュが見つめ続けていた。ごめんなさいと謝ってこの場は逃げ出そうか。そんな弱気なことを考えていると、ルルーシュの表情がようやく緩む。不愉快なことを訊かれたにも関わらず、気分を害した様子はない。

「そう訊けと誰かに言われて来たのか?」
「えっ、あ、そういうわけじゃ」
「まったく、人が良いのもほどほどにしろよ」
「いや、俺は別に……」
「で?スザクは女好きだからやめておけと、そう忠告してこいってことなんだな?」
「う……」

 目的をすべて言い当てられてしまい何も返すことが出来ない。当然、ルルーシュは怒っているだろうと思ったが、その顔は相変わらず柔らかかった。

「嫌なら嫌と断われ」
「あー、まあ俺にも付き合いってやつがあるしさ。それに、正直なことを言えば、なんでお前たちが付き合っているのかは興味があるし」
「お前もスザクはやめておけと思っているのか?」
「俺は思わないけど」

 ふと、ルルーシュは訊いてもらいたいのではないかと思った。そんなのは勝手な想像だし、本当は付き合っていることを確かめられるのも不愉快に感じているかもしれない。でも今のやり取りで、ルルーシュは自分たちのことを訊かれたがっているような印象を受けた。あるいは、誰かに惚気たいのかもしれない。

「じゃあさ、俺の意志とは関係ないけど、ほかの連中の意見を代表して言わせてもらう。代理だから怒るなよ」
「怒らないから早く言え」

 促され、一瞬躊躇ってから思い切って口を開いた。

「スザクなんかやめとけよ」

 思いのほか真剣な声音になってしまい、リヴァルは自分で驚いた。対するルルーシュは先ほどの表情を消し、ひどく真剣な瞳をしていた。

「残念ながらそれは無理な話だな」
「なんでだよ」
「仕方ないだろう、俺があいつを好きなんだから」

 そして、ルルーシュは微笑んだ。
 自分に向かってではなく、ここにいないスザクに向かって笑ったのだとリヴァルは直感した。そうでなければこんなに綺麗に笑えるはずがない。一度も恋愛感情など抱いたことのないリヴァルですら少しドキドキしてしまうほどの微笑みだった。
 適切な反応を返すことが出来ず、リヴァルはしばし呆然と友人の顔を眺めていた。その視線に気付いているのかいないのか、時計を見たルルーシュは何事もなかったように席を立った。

「すまない、時間だからもう行くな」
「う、うん」
「それから」

 リヴァルを見下ろしたルルーシュが艶やかに笑んだ。この顔も初めて見る、と思った。

「言いたいことがある奴には好きなだけ言わせておけ。たとえスザクに騙されていたとしても俺は後悔なんかしない」
「ルルーシュ……」
「人を好きになるというのはそういうことなんだろう?お前が言っていたじゃないか」

 最後は悪戯っぽく笑うと、荷物を持ってカフェテリアを出て行った。誰もが熱い視線を送る後ろ姿をリヴァルは惚けたまま見送った。

「……こういうのがあてられるって言うんだっけ?」

 妙に疲れた気がしてテーブルに突っ伏す。だけど、不思議と心は温かかった。人付き合いが苦手そうだと心配していた友人二人が唯一の人を見つけてくれた。そのことが嬉しいからかもしれない。

「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、って日本では言うんだっけ?まさにその通りだな」

 可哀想だが、ルルーシュ信奉者にはルルーシュは本気だと伝えよう。もし二人を邪魔するようなことをすれば、ルルーシュ本人から制裁が下るぞと脅すことも忘れずに。
 そうなったときはもちろんリヴァルも二人を助けるつもりである。
 (もっとも、あの二人なら自分たちだけで邪魔者を蹴散らしそうだけど)
 テーブルと仲良くしたままリヴァルは笑った。自分も片想いの先輩に勇気を出して告白してみようかな、とそんなことを思う。
 春の日差しが暖かい午後のことだった。
 (11.06.04)