「ルルーシュ」
後ろから聞こえてきた声に振り返る。
ほんのわずかな逡巡があったことは隠して、俺は口元に笑みを浮かべてみせた。
「スザク。今、帰りか?」
「うん。電車、一緒だったかもしれないね」
「そうだな」
家と駅のちょうど中間地点にある横断歩道で信号待ちをしていると、必ずと言っていいほどスザクに声をかけられた。それは高校に入学したときからで、半ば習慣のようになっていた。
スザクの通う高校はアッシュフォード学園からひと駅だけ離れている。似たような時間割で過ごしているとは言え、毎回毎回よく同じ電車に乗り合わせるものだと、呆れを通り越していっそ感心するくらいだ。
高校が分かれたらスザクとはもっと疎遠になるかと懸念していたけれど、幸か不幸か、急激に距離が離れることはなかった。こうして毎日のように帰り道で顔を合わせているおかげだろう。
他愛ない話をしながら二人で一緒に帰る。中学までと同じことが、今はひどく貴重な時間のように思えた。
「それでさ、来週からテストなんだけど――」
相槌を打つふりをして、俺はちらりとスザクの横顔を窺った。
高校二年生になり、お互いだいぶ背丈が伸びた。スザクは童顔だからほかの同級生に比べるとあまり男くささは感じない。むしろ、女子から可愛いと言われる顔だろう。
それでも、出会った頃に比べれば断然大人になった。一緒に帰っている最中、他校の女子高生がスザクを見て「あの子カッコイイね」と囁き合っているのを聞いたことがあるから、女子受けするタイプなのかもしれない。
それを面白くないと一瞬でも思う自分は、スザクのことをどう思っているのか。真っ先に浮かぶ関係は友達だ。しかし――。
(俺たちみたいなのもセックスフレンドと言うんじゃないか?)
視線を外してわずかに口の端を上げる。
自分たちの関係がおかしいことにはさすがの俺も理解していた。
友達相手に体を許すなんて普通じゃないと、この年齢になるまで気付かなかった己にほとほと呆れるが、今さら後悔しても遅すぎる。
なぜあのときもっと強く拒絶できなかったのか、なぜ嫌だとちゃんと抵抗しなかったのか、悔いばかりが日に日に募って仕方がない。十四歳に戻ってやり直せるのならば、と無意味なことまで考える始末だ。
「ルルーシュ、聞いてる?」
「え……、あ、ああ」
「大丈夫? 歩きながら寝てない?」
「そんな器用なことできるわけないだろ」
取り繕うように笑えば、本当に? と顔を覗き込まれた。その近さに心臓が鳴るけれど、動揺を押し殺して笑みを深めた。
「それでなんの話だったっけ?」
「明日、土曜日だけど何か予定ある?」
土曜日。
その単語にまた心臓が大きく跳ねた。何度も何度も繰り返してきたのに、毎回緊張してしまう自分が嫌になる。
緊張するということは、まるで何かに期待しているみたいではないか。
(期待……? 何に?)
ふいに浮かんだ疑問を突き詰めて考えてはいけない気がして、慌てて打ち消す。スザクのほうは見ないまま口を開いた。
「――予定は、ない」
「良かった。じゃあ、いつもの時間に僕の部屋で」
「ああ……」
いつもの誘いに今日もまた頷いた自分への嫌悪感でいっぱいになる。だったら「行かない」と一言言えばいいものを、スザクの顔を見たらその決意が鈍ってしまう。
スザクが何を考えているのか、何を思って俺なんかと関係を続けているのか、その理由を聞ければもっと強く拒絶できるのに。
(いや、それは単なる責任転嫁か)
拒絶の意志が本当にあるのならもっと早く拒絶していた。拒絶しない理由はひとつ。
スザクに嫌われたくないからだ。
そんな思いが自然と浮かび、俺はぴたりと足を止めた。愕然とするものを感じて立ち竦む。
「ルルーシュ? 本当に大丈夫? もしかして具合悪い?」
心配そうなスザクの顔はいつもと変わらない。ふわふわとしてところどころ跳ねている髪も、新緑を感じさせる翠の瞳も、子ども時代の面影を残した顔も、スザクはいつものスザクだ。
(変わってしまったのは、俺なのか……?)
肩に掛けた鞄の紐を強く握り締める。
西日が眩しく感じられ、ぎこちなく首を動かして茜空を見つめた。スザクと一緒に日が暮れるまで外で遊んだ記憶が遠い昔のようだ。
「――なんでもない、大丈夫だから心配するな」
何か答えなければと必死に唇を動かす。
「本当?」
「ああ。今日は午後に体育があったからすっかり空腹なんだ。それで夕飯の献立を考えていた」
「献立で頭がいっぱいになるなんてルルーシュらしいね」
「お前も腹が減っただろう? 早く帰ろう」
無理やり笑みを作って歩き出す。あとをついて来たスザクに不審を抱いた様子はなく、ほっと胸を撫で下ろした。
同じ歩調で帰路を行く。会話はなくても心地良い空気だった。
だから、気付いてしまったかもしれない己の感情に蓋をする。
スザクの気持ちとか、自分の気持ちとか、そんなものはどうでもいい。こんな風にスザクの隣にいられるだけでいい。望むのはたったそれだけ。それ以上はいらない。
ただそれだけのことを叶えてくれないだろうかと柄にもなく願ったのは、弱い弱いもうひとりの自分だった。
***
どんよりとした雲にうんざりとした溜め息を吐き出し、窓を閉める。
朝からしとしとと降り続けている雨は午後になると勢いを増していた。これでは洗濯物が片付かないなと腰に手を当て、何気なくカレンダーに目を向けた。
「あと三週間か……。そろそろ試作品を作っておくか」
七月になるとスザクの誕生日が来る。
彼の誕生日には毎年枢木邸にお邪魔し、お手伝いさんと一緒になってお祝いのためのご馳走を作るのがすっかり定番になっていた。それは俺たちの間に体の関係が加わっても継続している。
今年で七回目の恒例行事。忙しいスザクの両親がなかなか家にいないため、俺とナナリーの二人でスザクを囲むささやかな会だ。誕生日パーティーと呼ぶにはささやかすぎるけれど、スザクは毎年喜んでくれた。
誕生日ケーキも手作りしていて、事前に試作品を作ってナナリーに味見をしてもらうのもすっかり恒例となっていた。
メニューやケーキのデコレーションを考えたり、誕生日プレゼントに贈る物を考えたり、スザクの誕生日パーティーを計画する時間はとても楽しい。スザクを祝いたい気持ちはもちろん、ナナリーを交えた三人での時間を大切にしたいという気持ちもあった。
(大事な友達だから)
その思いはいつまで経っても変わらないし、いつまでも続くものだと信じていた。
しかし、不変なものはないのだと現実を突き付けられたのは、翌週の土曜日のことだ。
珍しく母さんが帰ってきてるから、という理由でこの日は俺の部屋が勉強会の場所となっていた。母とナナリーは病院に行っていて、夕方まで俺とスザクの二人きりだった。
俺は朝から試作品の小ぶりなケーキを作っていて、夕食後のデザートとしてナナリーたちに振る舞うつもりでいた。でも、その前にスザクに味見をしてもらおうと思った。当日の主役に気に入ってもらえるものを作りたいという気持ちがあったし、スザクも心得ているので味見自体は特に珍しいことではなかった。
「ああ、そうだ、今年は誕生日のお祝いいらないから」
だけど俺が切り出す前に、スザクから信じられない言葉が発せられた。
「いらない……?」
「その日は彼女がお祝いしてくれるって言うから」
何から問い質せばいいのかわからなかった。
いつの間に彼女ができたのだとか、俺よりその女を選ぶのかとか、今まで俺とナナリーでお祝いしていたのにそれをあっさりやめるのかとか、言いたいことも聞きたいことも山ほどあるけれど、ショックで声が上手く出てこない。
「――そうか、それなら仕方ないな」
ようやく出てきたかと思えば俺の気持ちとは裏腹な言葉で、嗤ってしまいそうになる。こんなときでも自分を取り繕うのかと可笑しくてたまらなかった。
「誕生日を祝ってくれるなんて良い彼女じゃないか」
自分の声が遠い。目の前のスザクが遠い。
可愛い子なのか。どういう子なんだ。友達ならそういう当たり前のことを聞くべきなのだろう。でも、スザクの女の話なんて一言も耳にしたくなかった。
両手を握り締めた俺は、立ち上がると部屋のドアを開けた。
「もうすぐ母さんとナナリーが帰って来るんだ。これから夕飯を作らないといけないから、すまないが今日はもう終わりにしよう」
「ああ、夕方に帰って来るって言ってたもんね。じゃあ今日は帰るよ」
いつもなら無理やり手を伸ばしてくるスザクが、あっさり帰り支度を始めたことに眉をひそめる。自らそう仕向けたくせに、いざスザクが帰ろうとしたら不機嫌になるなんて自分勝手も甚だしい。
でも、彼女ができた途端、これまでの体の関係をなかったことにしようとするスザクにも腹が立った。結局、俺は都合良く抱ける性欲処理の相手でしかなかったのだ。
(最初に言われただろう? 友達だから助けてほしいって)
彼女ができて助けが必要なくなったからもう寝ない。わかりやすくていいじゃないかと心の中で嗤う。
「じゃあまた」
「ああ」
玄関先でスザクを笑顔で見送ると、俺は表情を消して踵を返した。そのままキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。
中には完成したばかりのケーキがあった。試食を兼ねてスザクとお茶をするつもりだったが、試作品も本番用のケーキももう必要なくなってしまった。
スザクの誕生日を祝うことも、ケーキを振る舞うことも、もう二度とないのだ。
ケーキの乗った皿を乱暴に取り出し、ゴミ箱まで運ぶと躊躇うことなく捨てた。作っている最中に抱いていた温かい気持ちまで一緒に捨てたような気分だった。
そのとき、何かが頬を伝った。
なんだろうと触ってみて、指の先が濡れていることに気付いた。
「はっ、馬鹿じゃないか、このくらいのことで、……っ」
込み上げてくるものを耐えるために唇を噛み締めた。
(なんで)
なんで俺じゃないんだ。
なんで昨日今日出会ったような女なんだ。なんでなんでなんで――。
「なんで……スザクなんかが好きなんだ……」
ぽつりと漏れた声に、ああ、俺はスザクを好きなのかと思った。
スザクに特別な感情を抱いていたことにようやく気付いた。気付くのが遅すぎると、泣きながら嗤った。
できれば気付きたくなかった。ずっと自分の感情に蓋をしたまま永遠に気付かずにいたかった。そしたらどんなにスザクが離れていこうと、こんなに虚しい気持ちは抱かずに済んだのだから。
今さら好きなんて言えない。スザクには彼女がいるし、手頃な性欲処理の相手として俺がいただけで、スザク自身は男に興味を持っていないだろう。
体の関係があるだけの友達なんて本当に最悪だな、と自嘲する。
声を上げずに泣きながら、母とナナリーが戻ってくるまで俺は薄暗いキッチンに突っ立っていた。
***
スザクに彼女がいるとわかって以来、スザクと顔を合わせないようにしていた。
メールや電話を無視するのはもちろん、朝はスザクが家を出たのを確認してから駅に向かったり、帰り道で一緒にならないようわざと遅い時間に学校を出たり、毎週の勉強会は予定があるからとキャンセルしたり、万が一スザクが訪ねてきたときはナナリーに協力してもらって居留守を使ったり、とにかくスザクと二人きりになることがないよう気を付けた。
俺たちの仲を心配したナナリーが「スザクさんと喧嘩でもしたのですか?」と聞いてきたけれど、理由を付けて誤魔化した。ナナリーに嘘をついている罪悪感はあったけれど、友達を好きになったから気まずいと答えるわけにもいかないので仕方がない。
スザクにも悪いことをしているという申し訳なさはあった。徐々に距離を置けばいいのに、いきなり何もかも断ち切るような真似をされたら彼も戸惑うだろう。
(いや、最初に距離を置こうとしたのはスザクのほうか)
だけど、高校生になっても毎週の勉強会は続けられていた。学校での繋がりはなくなっても、お隣同士という繋がりはそのまま残っていた。
それなのに、かろうじて残っていた関係を俺は無理やり終わらせようとしている。
こうやってスザクとの接触を無理やり断っていれば、最初のうちは心配してくれるスザクもそのうち諦めるはずだ。
何より、彼には彼女がいるのだ。突然つれなくなった友達なんかより、できたばかりの彼女のほうが大事だろう。
いずれ大学に入れば物理的な距離もできるだろうし、社会人になったらさらに関わりがなくなる。
スザクのことも、間違えて抱いてしまった恋心もすべて忘れよう。俺が考えていたのはそれだけだった。
そうして迎えたスザクの誕生日当日。
いつもなら朝から張り切ってケーキのスポンジを焼き、それを待つ間に前日から仕込んでいた料理を完成させ、夜の誕生日パーティーに備えていたけれど、今年からはその恒例行事もなくなるのかと思いながらベッドでだらだらと横になっていた。
時計を見ればまだ朝の七時だった。早起きする必要はないのに、すっかり習慣が身に付いてしまった己の体が恨めしい。
起き上がる気力はなく、このまま二度寝してやろうと自棄みたいにブランケットを頭から被る。だけど眠気は襲ってこないし、ただ息苦しいだけなのですぐに顔を出してしまった。
仕方なく部屋を出て顔を洗い、再び戻るとベッドを整えた。それから朝の空気を入れるためにカーテンと窓を開けた。
梅雨明けはまだだが、すっかり夏の匂いを纏った空気を吸い込んで何気なくバルコニーを見た。
そこで俺は息を止めた。
ビックリしすぎると息が止まるのかと他人事のように思った。
「おはよう、ルルーシュ」
のん気に挨拶をしてきたのはスザクだった。しかし、今の状況は爽やかな挨拶に似つかわしくない。
「お……、お前、な、何をしてるんだ」
「ルルーシュがここを開けてくれるのをずっと待ってた」
「待ってた? いつから?」
「昨日の夜。おかげで徹夜だよ」
「不法侵入で警察に突き出すぞ」
「やだなぁ、物騒なこと言わないでよ。それに昔はよくここから入ったじゃない」
「子どもの頃の話だろ。高校生が塀から隣家の二階によじ登っていたら完璧に不審者だ」
「だから人に見られないよう夜にしたんだよ。そんなことより入れてよ」
「は? 何を勝手に、おい…!」
靴を脱いで窓から入ってこられ、仕方なく体をずらす。床に足を付けたスザクは大きく伸びをした。
「ごめん、眠いからちょっとだけ寝かせてもらうね」
「身勝手すぎるだろ!」
「ごめんごめん」
謝りながらスザクはもうベッドに潜り込んでいた。なんて勝手なやつなんだと憤ったけれど、眠いと言っている人間を叩き起こして追い返すのも忍びない気がして、結局ベッドを明け渡してしまった。
よほど眠たかったのか、すぐにすうすうと穏やかな寝息が聞こえてきて毒気を抜かれる。
「何やってるんだ俺は……」
スザクに会わないと決めたそばから部屋に招き入れている。不可抗力とは言え、スザク相手だと邪険にできないのは幼馴染という長年の関係が染み付いているからだろう。
「ったく、なんで人の家のバルコニーにいるんだ。来るなら玄関から来いって言っていただろう」
ぶつぶつと文句を言うけれど、ここのところ玄関から来ても追い返していたから、それで強硬手段に出たのかもしれないと思い至る。
ルルーシュの部屋は二階で、隣の枢木邸の塀からさほど離れていないので、昔からスザクはこうやって直接部屋に入ってきた。そのほうがいちいち玄関に回るより近道だからという理由なのだが、家と家の距離がもっと近いならともかく、塀の向こうのバルコニーまで飛び移ろうと考える人間は普通いない。スザクだからこそできる技である。
しかし、あるときスザクの母にこれを目撃されてこっぴどく叱られたことから、塀伝いに俺の部屋に入るのは禁止されてしまった。あれは中学一年生のときだから、この状況は実に四年ぶりだ。
床の上に座り込み、久しぶりにスザクの顔をまじまじと見た。距離を置くようになってまだ日は浅いのに、随分と時間が経ったように感じる。
「人の気も知らないで……」
頬に手を伸ばす。何度もセックスをしたのに、スザクの顔に触ったことは一度もなかったかもしれない。キスだってほかのことだって、求めてきたのはいつもスザクだ。
そうすることで、嫌だけど仕方なくスザクに付き合っているのだと自分自身に言い聞かせていたのだろう。
腰を浮かせ、スザク、と小さく呼ぶ。
「お前にとって俺はただの友達でしかないのにな。――ただの友達でいられなくて、すまない」
考えてみればおかしなものだ。先に手を伸ばしてきたスザクはこちらのことなどおかまいなしに彼女を作って順調に青春を謳歌しているのに、わけがわからないまま抱かれてしまった俺はスザクを好きになってこんなに思い悩む羽目になっている。こんな馬鹿な話があるだろうか。
そう思ったらなんだか悔しくて、撫でていたスザクの頬をむにっと抓んだ。
「お前はちゃんと幸せになれよ。俺のことなんか忘れて、ちゃんと……」
涙の代わりに溜め息をひとつ零す。
とりあえず着替えようとベッドに手をつき、腰を浮かせかけたけれど、そこでぐいっと腕を引っ張られた。
「え……」
突然のことに呆気に取られる。目の前には白いシーツ、体の下には温かい体。
どうやらスザクの上に覆い被さっているらしいということは理解した。そして、さあっと顔から血の気が引く音がした。
「ねえ、今のどういう意味」
「な……、何がだ」
「惚けないで。ただの友達じゃないってどういうこと? ルルーシュにとって僕って何?」
「お、お前は幼馴染で友達だ」
耳元で溜め息が聞こえた。慌てて起き上がろうとするけれど、背中に回されたスザクの腕のせいで身動きが取れない。二人分の心臓が服越しにどくどくと伝わってくる。
「じゃあ質問を変えるよ。なんで僕のことを無視するの?」
「無視なんかしてない。たまたま予定が被ったり都合が悪かったりしてタイミングが合わなかっただけだ」
「メールや電話の返事がないのもタイミングのせい?」
「あれは……実は携帯が壊れていて、まだ修理から戻ってきていないんだ」
「嘘。駅でナナリーと電話していたのは知ってるし、僕が家を出て行くところをこの部屋から毎日毎日見ていたのも知ってるよ」
「知っていたのか!」
「あれだけ見ておいてこの僕が気付かないと思った?」
全部スザクに知られていたのだとわかり、ますます血の気が引きそうだ。
スザクの両手に力がこもる。セックスの最中にこんな風に強く抱き締められたことを思い出し、今度は頬が熱くなった。青くなったり赤くなったり我ながら忙しい。が、そんなことはどうでもいいと頭を振り、とにかく逃れようと腕の中でもがく。
「お前、彼女と約束があるんじゃないのか。彼女が祝ってくれるんだろう? こんなところでぼんやりしていていいのか、今日は誕生日だぞ」
「そうだよ。だから祝って」
「だから今日は彼女と」
「そんなの別れたよ」
当たり前のように告げられた一言に一瞬固まる。
「は?」
「って言うか、彼女ですらなかったし」
「はあ?」
スザクが何を言っているのかわからない。その顔を見てやろうと体を浮かせると、そこには思いのほか真剣な表情があって息を呑む。
「僕が彼氏だって友達に自慢したいから一週間の期間限定で付き合ってくださいって言われたから付き合っただけ」
「期間限定……?」
「彼女ができたってルルーシュに報告したのはちょうど七日目だった。だからあの日、別れた。ほかに質問は?」
「なんでそんな馬鹿な真似……」
「そしたらルルーシュが嫉妬してくれるかなって思ったから」
「嫉妬?」
「したでしょう?」
自信満々に聞かれ、思わず言葉に詰まった。しかし、次の言葉に今度は心臓が止まりそうな感覚になる。
「だってルルーシュ、僕のことが好きだよね?」
「す…っ、好きなわけがあるか! 俺もお前も男だぞ!」
「でもさ――」
背中からようやく離れたと思ったスザクの手が、今度は後頭部に当てられた。そのまま手前に引かれ、抵抗する間もなく唇が合わさる。
「ンぅ、……ッ」
下唇を噛まれて反射的に口を開く。その隙間から熱い舌が入り込み、咥内を探られた。
突然のことで腹立たしく思うのに、久しぶりのキスの感触が心地良くて我を忘れそうになる。
スザクに抱かれることに慣れ切ってしまった体だ。キスだけでその気にさせるのはスザクにとっては簡単なことだろう。
舌先が合わさり、唾液ごと啜られる。
「ふぁっ、ア……」
日曜日の朝から何をしているのだともう一人の俺が思った。必死にスザクとの接触を断とうとしたのに、キスだけであっさり陥落する自分が嫌になる。
ようやく唇が離れてもしばらくは息を整えるのに精一杯で、不本意ではあるがスザクの上に倒れ込んだまま動けないでいた。
「友達とこんなキスはしないって、奥手なルルーシュでもさすがに気付いているでしょ?」
「うるさい…っ」
「いくら友達でも、どんなに仲の良い幼馴染でも、男相手にキスやセックスをしたいって普通は思わないよ」
「――だったら、なんで俺にはしたんだ」
耳朶にキスをされ、軽く食まれる。その感覚に背筋が震えるのを堪えていると、「だって」と直接耳に吹き込むように囁かれた。
「好きだから。ルルーシュのことが好きだから、キスもセックスもしたんだ」
スザクに抱き締められたまま、俺は身を硬くした。
「ルルーシュは僕のこと、なんとも思ってなかっただろう? ただの幼馴染で、ただの友達で、それ以上の相手としては見てなかったでしょ?」
「当たり前だろ。でも、お前はただの友達じゃない。俺の大事な友達だ」
それだけはちゃんと伝えておきたいとはっきり言えば、微かに笑う気配がした。
「ルルーシュは僕に優しいよね」
「別に優しくは……」
「優しいよ。優しいから、僕の嘘に騙された」
抱き締める腕が強くなる。後悔しているような声音に聞こえたのは都合の良い思い込みだろうか。
「友達だからセックスするなんて有り得ないよね」
「それは……俺が無知だったから」
「ルルーシュがそういうのに詳しくないことは僕が一番知ってたよ。だから、その無知に付け込んだ。君は僕に騙されて、何も知らずにずっと付き合ってくれた。でも、いつかはちゃんと解放してあげなきゃいけないって思ってた。だからなるべく近付かないように気を付けて、高校も別のところを選んだんだ。けど、会えない時間が増えた分だけ抱くときにしつこくしちゃってたから、全然我慢できてないよね」
「え……、ちょ、ちょっと待て、高校って、だってお前、俺と距離を置きたいからわざわざアッシュフォードじゃないところに」
「たしかに距離は置きたいと思ったけど、それはルルーシュが考えているような理由じゃないよ。僕はただ逃げただけだ。このままだとルルーシュに本気になってしまうから、その前に物理的な距離を取ろうとしただけ。まあ、勉強会にかこつけて君を抱いてるんじゃなんの意味もなかったけど」
「お前は、俺のことが嫌になったのかと……」
「全部わざと。本気でルルーシュを嫌になるわけないよ。嫌だったら、毎日毎日君の帰りを聞き出して君の乗った電車を待ったりしないって」
「帰り? でも、あれは偶然――」
「じゃないよ。偶然はたまにあるから偶然なの。毎日繰り返す偶然は故意だよ。気付いてなかった?」
全然、と茫然として答える。
よくよく考えればこんな偶然はないとわかりそうなものだが、スザクというフィルターがかかった途端、通常の判断力が失われてしまうのは我ながら呆れてしまう。
「リヴァルにお願いしてさ、ルルーシュが校舎を出たらメールをもらう約束になってたの。いつもリヴァルと帰ってただろう? あれも僕のお願い」
リヴァルは中学のときからの友人だ。彼に声を掛けられて毎日一緒に帰っていたけれど、まさかそんな裏があったとは知らなかった。
なんて迷惑なと呟けば、お互い様だからいいのと意味のわからない答えが返ってきた。
会長を誘ってダブルデートに付き合ったり、プレゼント選びについて行ったりしたんだよとのことだが、どうやら俺の知らないところでスザクとリヴァルは友情を育んでいたらしい。
「ルルーシュは決まって同じ車両に乗ってたから、見つけるのは簡単だったよ」
「それになんの意味があるんだ」
「痴漢防止」
「は?」
「あとは転倒防止とか、乗り過ごし防止とか」
「お前、俺をなんだと思っているんだ」
「ルルーシュのことが心配だっただけだよ」
「俺とお前だからいいものを、一歩間違えればストーカーだぞ」
「ルルーシュにしかしないから大丈夫」
全然大丈夫じゃないと思ったけれど、そうやって密かに見守られていたとわかって嫌な気はしない。嫌な気がしない時点で俺も相当駄目だな、と胸のうちでぼやく。
「とにかく、僕がルルーシュを騙して一方的に始めた関係だったし、友達同士でセックスするのはおかしいって君が気付いて、そのうち僕を拒絶するかもしれないと思ったら気が気じゃなかった」
「だったらやめればいいだろ」
「そこはほら、ルルーシュだって高校生男子なんだから、思春期の性欲がどうにもならないことはわかるでしょう?」
「お前な……」
ちっとも反省の様子がないスザクに、顔を上げて睨み付けた。が、効果はなかったようで、苦笑いだけが返ってきた。
「それでさっきの話に戻るんだけど」
「どの話だ」
よいしょ、と抱えられたままベッドの上に起き上がる。改めて向かい合うとなんだか妙に照れくさかった。
「僕が初めて君を抱いたとき、どうして許してくれたの?」
「…っ、今さらそんなこと」
「今さらだからだよ。君が何を思っていたのかちゃんと知りたい」
「何って……、別に大したことは思ってない。何も知らなかったから驚くことばかりだったし、痛くて気持ち良さなんて感じなかったし、あっ、今はちゃんと気持ち良いから心配するな」
心配するなじゃない、と自分で自分に突っ込む。いちいちスザクを気遣ってしまうのはもはや癖だ。
「あのときの俺は、友達なら普通だと言われた言葉を素直に信じたし、俺でお前を助けてやれるのならなんでもしてやりたいと思ったし、それに……」
「それに?」
「――断わって、スザクに嫌われるのは嫌だと思った。最初のときだけじゃない、ずっとそう思っていた」
スザクに騙されたからそんなことを思ったわけではない。
そもそも、最初の行為から答えは出ていたのだ。たとえば求めてきたのがリヴァルだったら、俺は全力で拒絶しただろう。拒絶することに躊躇いすら抱かなかったはずだ。
それはリヴァルが嫌いだからじゃない。スザクのことが特別に好きだからだ。
スザクが好きだからなんの疑問も持たずに受け入れたし、関係が続くことをいけないと思いつつもやめられなかった。
スザクとセックスするのが嫌ではないということは、どうしようもないくらい好きだということだ。
「お前が俺から離れて行こうとするのが寂しくて、高校だって一緒にアッシュフォードに行くと思っていたから本当はすごくショックだった。言葉遣いや態度がどんどん変わっていくから、そのうち俺のことなんかどうでも良くなるんじゃないか、このまま俺たちの関係は終わってしまうんじゃないかって、そう考えたら怖くてたまらなかった」
溜め込んでいた気持ちが口をついて出てくる。こんなことを言うつもりはなかったのに、一度口から出た言葉は止まらなかった。
ずっと、ずっとずっと不安だったのだ。
スザクの気持ちが見えなくて不安でたまらなかった。俺の傍からいなくならないでほしいと願っていた。
俺は優しくもなければ強くもない。自分勝手で強欲で、ひどく醜悪な人間なのだ。
汚い部分をスザクに見透かされるのが怖くて、無意識に顔を俯ける。この期に及んでまだ自分を良く見せようとする俺はどこまでも往生際が悪い。
「口調を変えたのはルルーシュに相応しい男になりたいと思ったからだよ」
思いがけない打ち明け話に思わず顔を上げる。スザクはばつが悪そうに笑っていた。
「態度を変えたのは僕なりに君と距離を置こうと思っていたから。口調を変えたのは少しでも大人っぽく見せたかったから。と言うより、いつまでも子どもとして見られるのが嫌だったんだ」
「それだけ……?」
「僕としては一大決心だったの。乱暴者のままじゃルルーシュに本気で嫌われるかもしれないという危機意識の表れとも言うかな。ルルーシュはさ、初めて会ったときから僕とは全然違ってて、この子と仲良くなるにはどうしたらいいんだろうって子供心に真剣に考えた。仲良くなれたときは本当に嬉しかったんだ。でも、中学生になって君はどんどん綺麗になって、僕はこのまま置いて行かれるんじゃないかと焦ったよ。焦った結果が、君を騙して無理やりセックスするってのは人として本当に最悪なんだけど。そのくせ好きって伝える自信はなくて、君の優しさにつけ込んでずるずると体だけを繋げて……。こんな僕が今さら好きと言っても信じてもらえないよね」
どんどん小さくなる声に、スザクはスザクで後悔しているのかと気付いた。
気にするなと慰めるのも変な気がして、どうすればいいだろうと悩んだ末、言葉の代わりにスザクの手を握り締めた。
スザクのやったことは消えないし、俺たちの関係は世間的には後ろ指を指されるものだ。
でも、今この瞬間、俺は安堵している。
これまでのスザクの態度は俺のことが嫌いだからじゃない、むしろ好きだからあえてそうしていたのだとわかり、心の底から良かったと思っている。どこの誰とも知れない女にスザクを盗られることはないのだと歓喜している俺がいる。
「俺だってお前のことが好きなんだ」
告白の言葉は不思議なくらいするりと出てきた。スザクの後悔を打ち消すのに一番効果があると思ったからだろう。
スザクは目を瞠っていた。僕のことを好きだろう? と自信満々に聞いてきたくせに本人の口から直接言われたら驚くなんて、まだまだ可愛いところがあるじゃないかと笑う。
「俺はお前を好きで、お前も俺を好きな場合、次はどうすればいいんだ?」
「その答え、僕が決めていいの?」
「お前じゃないと決められない」
泣き出す寸前のような顔をしたスザクは、身を乗り出すと俺を抱き締めてきた。
「君から離れようって決めたのは僕のほうなのに、いざ君が僕を無視し始めたら我慢できなくなった。ごめん」
「不法侵入はとりあえずやめておけ」
「誕生日ももう祝ってもらえないんだなって思ったらすごく寂しかった。自分から言い出しておいて勝手だけど」
「まったくだ。今から食材を買いに行かなければいけない俺の身にもなれ」
「荷物持ちならいくらでもするよ」
「ナナリーにも準備を手伝ってもらわなければいけない」
「僕も手伝うよ」
「馬鹿。お前の誕生日だろ」
「ルルーシュとナナリーと一緒にいられるだけで幸せだよ」
「安い幸せだな」
「僕はずっとそれだけで良かったんだ」
「なんだ、俺と似たようなものだな」
「何が?」
「――俺も、スザクが傍にいてくれるだけで良かった」
叶えてくれるんだろう?
そう尋ねると、いくらでも叶えてあげるよ、とくぐもった声が聞こえた。
「もう逃げないから。何があってもルルーシュを守るよ」
「だったら、俺がお前を守ってやる。いいか、男同士で付き合う場合のリスクは普通の男女の付き合いに比べると何倍にもなるんだ。それらをどうクリアするか、将来に向けて今のうちから対策を練っておかなければいけない」
「将来のことを一緒に考えてくれるの?」
「当たり前だ。傍にいると約束したんだから、途中で反故にしたら許さないからな」
「さすがルルーシュ」
嬉しそうに笑ったスザクの顔が近付く。
「おい、まだ話の途中――」
続く声は唇の中に掻き消えた。
これからケーキを作らなければいけないし、食材の調達だってしなければいけない。時間がないから悠長にキスをしている暇はないんだと思うけれど、至近距離で合わさったスザクの視線がとても優しかったから、少しならまあいいかと瞼を下ろした。
口元は笑みを浮かべ、指先はスザクの指と絡まり、全身が幸福感に満たされる。
「そうだ、誕生日おめでとう」
息継ぎの合間に伝えれば、スザクが唇を尖らせた。
「ついでのように言うのはやめてよ」
「あとでまた言ってやるから今はこれで我慢しろ」
「じゃあ、誕生日プレゼントとして夜はルルーシュをちょうだい?」
「明日は月曜だから駄目だ」
「えー、僕の誕生日なのに」
「それとこれとは別だ。その代わり、土曜日になったらお前の部屋に行くから」
精一杯の誘いをぼそぼそと口にした。すると、一瞬きょとんとしたスザクは、すぐに顔いっぱいに喜色を浮かべた。あまりにもわかりやすい態度に、今まで素っ気なかったスザクは幻か何かだったのだろうかと思うほどだ。
「ねえルルーシュ、もう一度好きって言って」
面と向かって言うのは照れくさいけれど、何もプレゼントを用意していなかったからこのくらいはいいかと腹を括る。
「――好きだ」
短い一言に、しかしスザクは幸せそうな顔をしてくれた。
「僕もルルーシュのことが好きだよ」
大好き、と愛しげに告げてまた抱き締められる。
スザクが俺の傍からいなくなることはもう二度とないのだ。ふと浮かんだ思いがじわじわと胸に広がる。ささやかな願いがようやく叶った実感に、俺は頬を緩めた。
「思ったんだけど、今日が僕たちの恋人記念日ってことだよね? 僕の誕生日と一緒だから覚えやすいね」
へらっと笑ったスザクの額を小突く。
「とにかく準備だ。時間がないからさっさとやるぞ」
今までの空気が台無し、とぼやいているスザクを残してベッドを下りる。
「やることはたくさんあるんだ。恋人らしい時間を過ごしたければ土曜日にいくらでも付き合ってやる。ナナリーに話してくるからお前はあとで下りてこい」
そう言って部屋を出る。ドアが閉まる寸前に見えたスザクの顔は、笑ってしまうくらいぽかんとしたものだった。数秒後、「いくらでもって本当に!?」という声が聞こえてきたけれど、無視して階段を下りた。
「HAPPY BIRTHDAY」
その声はスザクには届かなかっただろう。でも、今日はまだ始まったばかりだ。一日が終わるまでに何度でも、スザクが飽きるくらい伝えてやろう。
俺たちの関係も今日からようやく始まるのだ。
(16.07.10)BACK<<