それからの未来について 1

 おはよう、の声に顔を向ける。同じようにおはようと挨拶をしてルルーシュは頬を緩めた。

「昨日も遅くまで電気が点いていたね。また夜更かし?」
「俺の部屋の電気が点いていたことを知っているということはお前も夜更かししていたんじゃないのか」

 いつもの道を歩きながら他愛ない話をする。
 家が隣同士だから、この光景は幼稚園のときから一緒だ。親に手を引かれて覚束ない足取りで歩いていたときも、初めてランドセルを背負って小学校に行ったときも、制服に身を包んで中学校に行ったときも、高校に通うようになってからもずっと変わらない。

「僕はいいの」
「だったら俺もいいだろ。それより、今日までの課題はちゃんとやったのか?」
「あ……」
「夜更かししたんだから当然やったんだよな?」
「えっと……」
「今日は絶対に見せてやらないからな」
「そこをなんとか! プリン一個で!」
「三個」
「二個!」

 なんの交渉だと吹き出すが、スザクの顔は真剣そのものだ。先週出された数学の課題を忘れたら一ヶ月の補習と言われているので必死なのだろう。だったらせめて前日に頼めばいいのに、勉強嫌いはいつまで経っても直らない。こんなことで大学受験は大丈夫なのかと今から心配である。

「じゃあ二個にしてやる。その代わり、購買部のじゃなくて学校前のケーキ屋のプリンだからな」
「えっ、そっちのほうが高いんだけど」
「文句があるなら三個にするが?」
「二個でお願いします……」

 しゅんとした様子のスザクにくすくす笑う。住宅街を抜けて大通りまで出れば通勤や通学のために歩く人々の姿が増えた。

「あ、信号変わっちゃう」

 行こう、と急に手を掴まれた。ちかちかと点滅していた信号が赤に変わったのと同時に道路を渡り切る。

「ちょっ…、いきなり走るな!」
「だって渡れそうだったから」
「朝から走らされる俺の身に、……あ」

 思わず漏れた声にスザクが振り返る。どうしたのかと首を傾げて視線を下ろした彼は、ひどく慌てた様子で手を離した。

「ご、ごめん」
「いや、大丈夫だ」

 謝りながら二人とも同じタイミングで目を逸らした。これまでの雰囲気が一変して気まずい空気が漂う。学校が近付き、同じ制服を着た生徒たちが楽しそうに通学路を歩いているというのに、自分たちは押し黙ったままだ。

「あ…っと、僕、部室に寄ってから教室に行くから」
「わかった」

 校門の前で別れると、スザクは部室のある棟へ駆けて行った。しばらく後ろ姿を見送っていたルルーシュは、溜め息をつくと教室のある校舎に向かった。
 (これでは以前に逆戻り、いや、お互いの気持ちを知った上での状態だから後退と言ったほうが正しいな)
 校舎には朝のざわめきが満ちていた。その中をひとりでとぼとぼ歩いていると、まるで何かに置き去りにされたような気分になる。
 (思い切って告白したものの、こんなことなら黙ったままでいれば良かった。朱雀さんはスザクと違って余裕があったのにな)
 無意識に比較するようなことを考えてしまい、すぐに否定する。
 (あの人とスザクは別の人間だ。それなのに二人を比べるなんて最低だ)
 自己嫌悪に陥ってしまい、教室へ向かう足がますます重くなった。このままではスザクとまともに顔を合わせられない。
 時計を見れば、ホームルームにはまだ十五分ほど余裕がある。しばし逡巡してルルーシュは方向転換をした。階段を上り、建物の一番上まで来ると鉄の扉を開ける。一歩外に出た途端、涼しい風が頬を撫でていった。
 朝の屋上に先客はなく、扉を離れると奥まで進んだ。柵に寄りかかって登校中の生徒たちをぼんやり眺める。
 (ちょうど一ヶ月か)
 自分がスザクに告白をしてから。
 あの人が帰ってしまってから。
 (まだ一ヶ月なのに、もう何年も前のことのように感じるな)
 目を閉じると下界の喧騒が遠くなった。
 一ヶ月と少し前、ルルーシュはひとりの人物と出会った。
 彼は『朱雀』という名前で、スザクの親戚だと言っていた。そして、成り行きで彼を自宅に居候させることとなった。
 改めて思い返しても、我ながら随分と大胆なことをしたものだと思う。両親は不在中だったのに見ず知らずの人間を家に上げて、しかも無一文だからと衣食住まで提供したのだ。普段の自分なら有り得ない。そもそも、そんな相手に声をかけようとすら思わないだろう。
 でも、彼の顔と幼馴染の顔があまりに似ていて、どこかでスザクと関係があるのではないかと信じてしまいそうになった。いや、スザクに似ているという理由だけできっと良かった。当時は自分の中であれこれ考えてみたけれど、余計な感情や思惑を削ぎ落とせば残るのはただひとつの理由だった。
 だから、彼の正体が何者なのかはあまり気にならなかった。ずっと家にいてくれてもいいとさえ思った。
 (俺が気付かないままでいたら、朱雀さんはずっとここにいてくれたのかな)
 そんなことは絶対にないと知りつつ、馬鹿みたいなことを考えてしまう。たとえその正体に気付かなかったとしても、彼の居場所がここでない限りいつかは別れが訪れたはずだ。ただ、遅いか早いかの違いでしかない。
 (朱雀さんを、いや、『枢木スザク』を帰さないなんて、世界を敵に回すようなものだ)
 朱雀と名乗った彼の正体。
 それは、百年前に世界を救った救世主ゼロだった。
 今となっては夢のような出来事だけど、間違いなく現実に起こったことである。悪逆皇帝の唯一の騎士であり、ゼロとして世界を平和に導いた偉大なる人物は、ある日突然百年後の世界にタイムスリップしてきて自分と出会ったのだ。
 あまりに荒唐無稽で信憑性の欠片もない。そもそも、ナイトオブゼロと救世主ゼロが同一人物であるという説を唱える歴史家はおらず、本人からはっきり教えてもらったわけでもない。だけど、あの枢木スザクはゼロだったと確信している。彼もそのことを匂わせる話をしていたから間違いない。
 (もしルルーシュ皇帝が過去に戻らず、ずっとこの世界に残っていたら朱雀さんと会えたんだろうか)
 自分と同じ名前の悪逆皇帝。枢木スザク同様、彼も過去からこの世界に来ていた。
 と言っても、彼が滞在していたのは幼馴染の家で、直接会ったことはないからこちらはあまり実感がない。
 百年の時を越えてかつての悪逆皇帝とその騎士が現代にやって来るなんて俄かには信じられないし、きっと誰も信じないが、自分たちは確かに彼らと出会った。
 枢木スザクは世界統一戦争の際に命を落とし、ルルーシュ皇帝はゼロに暗殺された。それが歴史として残っている事実だ。あるいは、彼らがあえて残した事実なのかもしれない。いずれにしろ、今の世界は彼らを踏み台にしてできたものである。
 だから、自分たちだけが知っていればいい。ルルーシュ皇帝を殺したのが枢木スザクだったことも、そうすることが二人の約束だったことも、彼らがお互いのことを深く想っていたことも。
 自分たちだけが本当の彼らを知っていればいい。
 予鈴が鳴った頃、ルルーシュはようやく教室へと向かった。中に入るとスザクが勢いよく立ち上がってこちらまでやって来た。

「何してたの。遅いじゃないか」
「校内をちょっと歩いていただけだ。お前こそ部活の用事はもういいのか」
「そんなのすぐに終わったよ。僕より先に教室に行ったルルーシュがいないから心配したんだよ」
「子どもじゃあるまいし、大袈裟だな」

 笑い飛ばすけれどスザクの顔は不機嫌そうだ。唇をむっとさせている。
 そんなに心配なら部室なんて行かず一緒に教室に行けばいいのだ、と思ったことは飲み込んだ。心配してくれたのは本当だろうし、朝から喧嘩はしたくない。
 そのうち担任が教室に来て、スザクは渋々自分の席へと戻った。朝礼が終わるとすぐに授業が始まる。予習済みの内容はルルーシュにとっては改めて説明を聞くまでもなく、黒板を見るふりをして二列前のスザクの横顔を盗み見た。
 こうしていると、好きだと言われたこともキスをしたことも嘘みたいだ。スザクと自分が付き合っているなんてもちろん誰も知らない。
 (付き合っていると言っても、恋人らしいことは全然していないけどな)
 スザクと一緒にいるのが当たり前すぎたから、恋人として何をすればいいのか見当もつかなかった。恋人ならばデートだろうかと思ったものの、今まで二人で街に遊びに行っていたのと何が違うのかわからない。巷では恋人の部屋でデートというのもあるらしいが、それとて過去十七年間の日常と変わらないものである。
 そのくせ、ちょっと手が触れただけでお互い過剰なほど意識してまともに顔が見られないのだから、付き合っていることの意味も必要性もまったく見出せない。
 片想いの最中は焦がれる気持ちに振り回されたけれど、まさか両想いになっても悩みが尽きないとは思ってもいなかった。おとぎ話はめでたしめでたしで終わるのに、現実はその先のほうがよっぽど大切で難しい。
 (キスだって一度きりだ)
 ファーストキスは涙の味がした。
 あのときは自然な流れでキスしたけれど、今はとてもそんな雰囲気にならないし、どんな顔をしてスザクとキスすればいいのかわからない。勢いというものはすごいと今さらながらに思った。
 授業は単調に進む。そういえば、スザクは今日締切の課題をどうするつもりだろう。朝はプリンを条件に手伝ってやると約束したけれど、そのあと気まずくなってしまったから自分のところには来ないかもしれない。
 窓の外には青い空が広がっていて、あの日も綺麗に晴れていたことを思い出した。
 (14.09.23)