「それじゃあ始めるね。えっと、ブリタニアプロ所属の枢木スザクです。普段はユニット活動で歌やダンスをしていて、ドラマに出るのは三度目ですが、主演として一生懸命頑張りたいと思いますので」
「おい、ちょっと待て」
いきなり自己紹介を始めたスザクを遮る。隣合ってソファに座っている彼は、どうしたの? と言うようにルルーシュのほうを見て首を傾げた。
「本読み前の事前練習に付き合うとは言ったが、自己紹介から始めるやつがあるか」
「駄目かな?」
「ユニットと活動履歴のアピールをしたいのなら俺より社長に相談してくれ」
「やだよ、社長との練習なんてやりにくいもん」
「そういう問題ではないだろ。初めてのドラマのときは俺ですら直々に指示を仰いだんだぞ。お前もちゃんと社長に聞け」
「ええー」
「駄々を捏ねるな。とにかく今は台本の練習だ」
ほらやるぞと仕切り直す。
二人が手にしているのはスザク主演のスペシャルドラマの台本だ。
クランクインはもうすぐで、出演者が顔を揃えて台本を読み合わせる本読みは来週の予定である。
今回は二時間のスペシャルドラマなので、帯ドラマに比べたらさほど拘束はされないが、特別番組ということで局のほうも力を入れており、撮影期間もたっぷり取っていると聞いていた。
スザクのドラマ出演は三度目、主演は今回が初めてだ。決まったときはもちろん大喜びしていた。主演という大役もだが、特別番組と銘打った作品に出られるのはやはり光栄なもので、感無量といった様子だった。
ルルーシュの顔に泥を塗らないよう頑張るよと意気込んでいた彼に、そこは事務所の顔に泥を塗らないよう頑張るんじゃないのかと思いつつ、相方の初主演を心からお祝いした。
デビューを夢見てレッスンに励んできたスザクがドラマの主演をやるのだ。彼のマネージャーを務めていたルルーシュとしては嬉しくないわけがない。
二度の出演経験でドラマの現場にも慣れてきたし、主演がどう振る舞えばいいのかは先輩や社長から教えられてわかっているはずだから、あとは恥ずかしくない仕事をするだけだ。
と思っていたのだが、やはり初めての主演ということで相当緊張しているらしい。本読みのための練習をさせてくれないかな、と恐る恐る切り出されたのは二時間前のこと。
本日最後の収録が終わってあとは帰るだけ。明日は久しぶりのオフだからナナリーとゆっくり過ごせるなと思いながら着替えていると、いつの間にか背後にスザクが立っていた。びくりと振り返れば、彼はひどく深刻な顔で「ルルーシュ……」とこの世の終わりみたいな声を出した。
一体何事かと尋ねてもなかなか本題を言わず、用がないのなら先に帰るぞと脅してようやく聞き出したのが台本の練習だった。
本読みを控え、演技指導の先生や事務所のスタッフと何度も自主稽古を続けているが、それでもどうしても不安なのだと訴えられ、すぐに終わらせるからちょっとだけ付き合ってと泣きつかれた。
捨てられた子犬みたいなスザクに頼まれてルルーシュが断れるはずもなく、だったらちょっとだけなんて言わずにちゃんと練習するぞ、と彼の自宅に向かった。
どうせ明日はオフなのだ。どれだけ遅くなっても構わない。ナナリーと過ごす時間は減ってしまうが、スザクのためだと言えば賢い妹は理解してくれるだろう。
事務所スタッフにスザク宅まで送ってもらい、簡単な夜食を作って食べたあと、では練習を始めようとソファに並んで座った。
今回のドラマは恋愛を絡めたミステリー作品だ。メインとなるのはスザクと相手役の女優とのやり取りで、すれ違っていた二人がようやく心を通わせるところは特に大事なシーンである。そこがどうにも照れくさくて上手くできないと言うスザクのために、ルルーシュが女優のセリフを読むこととなった。
「とにかく、自己紹介の内容はあとで考えろ。今は中身の練習が先だ」
「はい、わかりました」
殊勝な返事をしたスザクがページを開く。
「あー、ルルーシュが相手だと余計に照れくさい……」
「うるさい。さっさとやれ」
いつまで経っても進まない練習に焦れたルルーシュが冷たく言い放つと、ようやく諦めたのか、大きく深呼吸をしたスザクは「始めるね」と告げた。
「じゃあ五十六ページから。――やっと見つけたよ。ずっと君を探していたんだ」
セリフに入った途端、スザクの声音が変わった。先ほどまでうだうだとしていた人間とは思えないくらい慈愛に満ちた声だった。
やればできるじゃないかと口の端を上げ、ルルーシュは相手役のセリフを読んだ。こちらはあくまで練習台なのでスザクの邪魔にならないよう、でも決して棒読みにはならないよう注意しながら口を開く。
「私は探してほしいなんて頼んでいない。あなたとは一年前に終わってるの」
「僕の中では終わってないよ。知ってるんだ、君が僕のために自ら身を引いたことを」
「何を言ってるの。私があなたのために身を引いた? そんなことあるわけないじゃない」
「僕は一日たりとも君を忘れたことはなかった。この一年、君のことしか考えられなかった。君がいないと僕は駄目なんだ。君だって僕のことが好きだろう?」
「私はあなたのことなんかもう好きじゃない」
「嘘だ」
「ストップ」
セリフを一旦止めた。どこが駄目だった? とスザクがまた首を傾げている。
「そこはもう少し感情を込めたほうがいいな。この男は一年も女を追い続けていたんだ。言葉はあくまで優しく、でもその奥にストーカー並の執念を見せろ」
「ストーカーって、これ一応純愛なんだけど……」
「たとえだ。そういうしつこさがなければどこにいるかもわからない女を追いかけられないだろ」
「愛だよ、愛。愛の力で探してたの」
「まあいい。売り言葉に買い言葉ではないが、ここからお互い感情が高ぶってくるんだから棒読みだと全部台無しだ」
「でも僕の役、怒鳴るようなタイプじゃないよ」
「だから感情を込めるんだよ。ただ激昂すればいいわけじゃない」
「うーん、じゃあこのあとは? 次のページのさぁ」
スザクが手を伸ばし、ルルーシュは言われたとおりにページを捲ろうとした。そのとき、二人の指先が触れた。
なんてことない接触だ。指先どころか手や腕を触るのは番組の中でもよくあるし、雑誌の撮影で肩を寄せ合ったこともある。
なのに、どうしてだろう。指と指がわずかに触れた瞬間、いけないことをしてしまったような感覚になり、ルルーシュはパッと手を払った。スザクが驚いて目を丸くしている。
「どうしたの?」
「な、なんでもない、静電気だ」
「ごめん、気付かなかったや」
「いや、俺が大袈裟に驚いてしまっただけだ。それでどこだ?」
心臓がばくばくしている。わけのわからない感覚に戸惑いながら、平静を装って台本に集中しようとした。だけど、文字をなぞるスザクの指がやけに気になって仕方ない。
指はもちろん、手も足も顔もどれも見慣れたものなのに、なぜこんなにドキドキするのだろう。これではまるでスザクを意識しているみたいではないか。
一度意識したら、すぐ傍にある横顔やふわふわとした髪の先まで気になって仕方ない。
(何を考えているんだ、俺は)
質問する声に応えながら、落ち着け落ち着けと心臓をなだめる。
ふと、スザクの視線が上がった。まともに見つめ合うこととなり、今度は心臓が止まりそうになった。
「ルルーシュ? 顔がなんだか赤いよ。もしかして具合悪い?」
僕が無理を言ったからとスザクが眉を寄せている。誤解させてはいけないとルルーシュは慌てて首を振った。
「別にいつも通りだ」
「本当?」
「ああ、体調はいいから気にするな。俺のことより今はお前のセリフの練習だろ。で、どこが照れくさいんだ?」
タイミングがいいのか悪いのか、スザクが照れると言っていたシーンの話をしていた最中である。なんだこの図ったようなタイミングは、と心の中でぼやく。
「ここだよ、ここ。今までの人生でこんな告白したことないから、ひとりで練習していても恥ずかしくって」
「ひとりで練習するから余計に恥ずかしいんだろ。今ここで言ってみろ」
「無理無理! 絶対無理! ルルーシュの前じゃもっと言えない!」
「それじゃあ練習にならないじゃないか。それに当日はほかの演者やスタッフもいるんだぞ」
「ううっ、そうなんだけど……」
芸能人は人に見られるのが仕事と言っても過言ではない。たったひとりを相手にできなければ本番なんて到底無理だ。
演技とは言え、告白したりキスしたりという本来ならばプライベートな場面を大勢の人間に目撃されるというのはよく考えればおかしな仕事である。が、そういう議論は後回しだ。
「今回の監督は細かいんだ。適当な気持ちでやると見抜かれるぞ」
「詳しいんだね」
「前に現場で顔を合わせたことがあるからな」
そのときなぜか気に入られてしまい、僕の次の作品に出ないかと何度も誘われたことを思い出す。しかし、どうせ社交辞令だろうとルルーシュは本気にしなかった。業界人の調子の良さは嫌というほど知っている。
「そういえば、この間監督に会ったとき、今度は僕とルルーシュとで撮りたいって言ってたな。あのときは社交辞令だと思ったけど、案外本気だったのかも」
「えっ」
「ルルーシュは綺麗だから撮り甲斐があるって。そんな風に言われたらお世辞でも嬉しいよね」
へへっと笑うスザクに、なぜお前のほうが喜んでいるのだと心の中で突っ込む。今回の主演は自分なのにすでに次回作の話を、しかもユニットの相方のほうを褒められて悔しくないのだろうか。
しかし、二人とも監督の言葉を社交辞令だと決め付けていたのはなんだか可笑しい。
「まあ監督のことはともかく、俳優陣もベテランが揃っているから、下手な演技をしたらアイドル風情がと馬鹿にされるぞ」
「それは今から胃が痛い……」
「だから練習するんじゃないか。ほら、セリフ。さっさとしろ」
「うっ……」
しばらく唸っていたスザクだが、ようやく腹を決めたのか、「だったら本番に近付けたいから立ってやろう」と提案してきた。ソファから下り、スザクと向かい合う。
こうして正面から顔を見るとなんだか照れくさい。指が触れただけで妙にドキドキしてしまったことを思い出し、なぜかルルーシュまで緊張してきた。だけど、恥ずかしがらずにやれと言ったのは自分なので、悟られないよう気を引き締める。
深く息を吸い込んで吐き出したスザクは、台本を閉じるとソファの上に置いた。
「じゃあ、いくよ」
「ああ」
その瞬間、スザクの纏う雰囲気が変わった気がした。
「好きだよ」
たった一言だけど、枢木スザクからドラマの主人公になっているのがわかった。先ほど以上の変化だ。恥ずかしがっていたのが嘘のように役に入り込んでいて、その変化に息を呑む。
セリフが棒読みで何度も注意されていたレッスン時代を知っているけれど、デビューしてからはスザクの演技に触れる機会がなかったから、いつの間にこんな役者になったのだろうと驚くと共に、自分が置いていかれるような感覚になった。
「君のことだけがずっと好きだった。君は? 僕のこと本当にもう好きじゃない?」
次のセリフ、と思い出して慌てて台本に目を落とした。
すると、スザクの手がルルーシュの腕を掴んだ。そのまま引き寄せられて、愛してる、と耳元で囁かれた。
あれ? と思ったときにはスザクの顔が至近距離まで近付いていた。反射的に目を閉じれば、柔らかい何かが唇に押し当てられる感触がした。
それが離れていったタイミングでゆっくり瞼を開く。鼻先が触れそうな距離にお互いの顔があり、微かに吐息を感じた。
キスされたのだ。
その事実を理解するのにしばらくかかった。翠の瞳をぼんやり見つめていると、スザクがハッとしたような表情を浮かべた。明らかに狼狽えた様子にルルーシュも我に返る。
「あ……、そ、そういえば、用事があったんだ、すまない、俺はもう帰るから」
「ルルーシュ…っ」
引き留めるように手首を取られ、咄嗟に振り払った。しまったと思ったときには遅く、スザクは拒まれた左手をそのままに茫然としていた。
すまない、ともう一度謝ってひったくるように荷物を掴むと慌ただしく玄関に向かった。急いで靴を履こうとするのに足がもたついてしまう。追いかけられたらどうしようと思ったけれど、最後までスザクは現れなかった。リビングの奥から物音が聞こえてくることもなく、安堵するようなガッカリするような、なんとも言えない複雑な気持ちに襲われた。
玄関のドアを閉め、通路を急ぎ足で進む。エレベーターのボタンを押し、なかなか上がってこない焦れったさに表示を見上げた。
ようやく到着した箱に乗り込むと、ルルーシュはよろよろと壁にぶつかってそのまま凭れかかった。頭の中は真っ白だった。エレベーターが一階に着いてもすぐには動けず、勝手に閉まろうとするドアをなんとなく目で追う。微かな機械音以外は何も聞こえない。
どのくらいそうしていただろう。このままだと誰かが乗り込んでくるとようやくまともなことを考えられるようになり、扉を開くためにボタンを押した。
エントランスに出てもまだ足下がふらつく感覚があったけれど、無様な姿は晒せないと両足を叱咤して夜道を歩いた。
ここからならタクシーを拾おうか。電車に乗ろうという気分にはとてもなれない。もし気付かれて握手やサインを求められてもいつもの笑顔で対応できる気がしない。
立ち止まり、今さらながらに唇を拭った。
あれはただの事故だ。役に入り込みすぎたスザクがキスシーンを実践しただけだ。自分は相手役の女優の代わりで、あのキスに練習以上の意味はない。
そう思おうとするのに、スザクとのキスの感触がどうしてこんなに生々しく残っているのだろう。これではまるで――。
(まるで、俺がスザクを本気で意識しているみたいじゃないか)
唇が熱い。顔が熱い。全身が熱い。
さすがにキスはやりすぎだと笑い飛ばせば良かったのに、あの程度のキスで自分がここまで動揺するとは思わなかった。
そして、スザクにとっては練習代わりのキスでしかないことがルルーシュの心を重くする。
(なんなんだ、これは)
無性に泣きたいような気持ちになって、ルルーシュは暗い夜空を見上げた。
認めたくない。認められるわけがない。
枢木スザクという人間を好ましいと思ってきたけれど、それはどこか友達のような感覚だった。
だから、こんなのは間違っている。
一時的に誤った感情を抱いただけで、本気なんかじゃない。
(ユニットを組んでいる仲間で、しかも同性の男だぞ。あり得ない。絶対に認めない)
スザクのことが好きかもしれないなんて、タチの悪い冗談に決まっている。目線を地上に戻してルルーシュは再び歩き出した。
背後のマンションは決して振り返らなかった。
(16.05.01)BACK<<