<C.C.との話
「なんだ、まだいたのか」
今日はもう訪問客はいないはずなのに、ナナリーを送って一緒に帰ったはずのC.C.がいた。
「なんだ、戻って来たのか」
「まったく、ナナリーには優しいくせに私には相変わらず厳しいな」
「当たり前だろう。君に優しくする理由がない。それに――、君といたら思い出す」
何を、とは言わなかった。
太陽はだいぶ傾き、夕陽が僕達の顔を照らしていた。
「お前まだルルーシュのことが好きなのか」
「はあ?」
唐突な質問に固まっていると、仮面の中の表情を読み取ったかのように「純愛ってやつか」としみじみ言われた。
「長生きしていたらそういうものとは無縁になるが、まだまだ若いな」
「好きだなんて一言も…っ」
「安心しろ。私の不在中にお前達がセックスしていたことは誰にもばらしていない」
二度目の衝撃に、しかし僕はすぐに気を取り直した。
「覗き見していたのか」
「人聞きの悪いことを言うな。自分達で証拠を残していたくせに。だいたい、私は被害者だ」
「被害者?」
「帰ってきたら部屋の空気がやけに澱んでいて、なんだなんだと思ったら事後の跡がそのままだし、お前達は部屋で抱き合ってぐっすり眠っているし、仕方ないからこの私が後始末をしてやったんだよ。感謝しろ。お前はともかく、ルルーシュがそのままにしておくとは思えないから、よほど気が動転していたんだろうな」
十年前の出来事が昨日のことのように思い出され、そういえばソファを散々汚したけど後始末もせずにベッドに潜り込んだんだっけ、と今さらながらに気付く。
ルルーシュが正気だったらとても許されない所業だが、疲れ果てていたからそちらにまで頭が回らなかったのだろう。表面上は平静さを保っていたものの、C.C.が言うとおり、内心はかなり動揺していたのかもしれない。
「それは……どうもすみませんでした」
「しかし、あのあとは一度もそういう素振りがなくて不思議だったんだ」
「当然だよ。ルルーシュを抱いたのはあの一度きりなんだから」
「ほう、本当に純愛だったのか」
茶化すような言葉ではあったが、C.C.の表情は柔らかかった。
「さあ、どうだろう。ルルーシュのことは好きだったけど、好きだって伝えたことはないし、ルルーシュは僕に友達の情けで付き合ってくれただけだろうし。ゼロレクイエムの大事な役者だから無下にできなかったんだよ」
「馬鹿だな。この私が隣に寝ていても指一本触れず、気持ち良さそうに安眠していたあいつが、何の気もなしにセックスなんてすると思うか? しかも男同士で、自分は抱かれる側で」
あけすけな言い草に、やっぱりC.C.は変わらないなと懐かしさを抱いた。
「でも、ルルーシュはもてたじゃないか」
「ばーか。もてたことと女と遊んでいたことはイコールじゃない。それに、あいつは童貞だって教えてやったろう」
「え? あれって冗談じゃなかったの?」
素で聞き返せば、C.C.が呆れた表情を浮かべた。
「ここまで誤解されるとはあいつも不憫だな」
「嘘……、まさか本当に? だったら、なんでルルーシュは僕と……」
友達だから付き合ってよと、半ば脅しをかけて強引に行為に及んだ。双方の合意はなかったと言われれば否定はできない。
でも、お前は大事な戦力だからと、最終的にルルーシュは僕とのセックスを受け入れてくれた。
「ルルーシュの気持ちを確かめなかったのか」
「ああ」
「お前の気持ちも?」
「ああ。――好きだって、言わなかった。言えなかったんだ。言ったところで僕達がやるべきことは変わらないし、ルルーシュが死ぬ未来も変わらない。だったら、伝えるだけ無意味だ」
「あいつも同じことを思ったんじゃないか?」
「まさか」
「即答されるとは、あいつも本当に不憫なやつだ。だが、何も言わなかったあいつ自身にも原因はあるか」
独り言のような言葉に、どういう意味かと首を傾げる。
C.C.が僕をじっと見た。緑色の長い髪が風に揺れていた。
「あいつは最後の最後まで嘘をつき続けたんだな。いや、嘘はついていないか。ただ、本当の気持ちを隠していただけで」
その言葉に心臓がどくりと音を立てた。
もしかしてルルーシュも、と期待のような感情が浮かんですぐに否定した。
(だって、たとえそれが本当だったとしても、今さら知ったところで意味はない)
運命が僕達を引き合わせたのだとしたら、その運命はどうして僕からルルーシュを奪ったのだろう。
どうして一緒に殺してくれなかったのだろう。
(置いて行かれることが僕への最大の罰なのかもしれない)
あの日から十年が過ぎた。
悪逆皇帝の記憶はまだ生々しく残っているものの、それでも人々の中から少しずつ消えている。今でもルルーシュ皇帝を憎む人はいるけれど、当時ほどの強烈な感情はない。
過去のつらい記憶を抱き続けるより、ようやく訪れた平和を享受することを彼らは選び、その状態に慣れていっているのだ。
そして、僕の中のルルーシュの記憶も少しずつ薄れている。
ルルーシュの声も、触れた身体の細さも、髪の感触も、身体の奥の熱も、すべてが幻だったかのようにぽろぽろと崩れ、いずれ消えてしまうのだろう。
ただ、彼の身体を貫いたときの嫌な感触だけを手の中に残して。
「もう一度、ルルーシュに会いたい」
気付けば声にしていた。
名前を呼ぶことすらタブーとしてきたのに、今まで押し留めていた感情が堰を切って溢れる。
「会いたい――、会って話がしたい。何を話したいのか自分でもわからないけど、話がしたいんだ。なんでもないことを話して、笑って、そういう普通のことがしたい。普通のことを、ルルーシュとしたかった」
ルルーシュもそうだったのではないだろうか。
彼が望んでいたのは妹と幸せに暮らせる世界で、それはとてもささやかで、人ならば誰もが抱く当たり前の願いだ。世界征服をしなければ手に入らないような大きな望みではなかったはずだ。
なのに、世界が彼の願いを拒んだ。
だから彼は、自ら行動するしかなかったのだ。
(やっぱり僕は、僕と君を、そして君とナナリーを引き離した運命に感謝なんかできないよ)
どんな運命でも感謝できるような心を僕はまだ持てていない。
海の向こうに夕陽が沈んでいく。波の音が聞こえる。
ルルーシュが偽の弟を埋めた場所に彼の遺体を埋めたのは僕の一存だ。あれで意外と寂しがり屋だから、二人一緒なら寂しくないだろうという理由からだ。
俺は寂しがり屋ではないとルルーシュは怒っているだろうか。それとも、仕方のないやつだと呆れつつも許してくれるだろうか。
「人生をやり直せると言われたらお前はそれを望むか?」
隣からの声に彼女をちらりと見やり、視線を元に戻す。僕は首を横に振った。
「これはルルーシュが選んだ未来だ。やり直すということは、あのときのルルーシュの選択と決断をすべて否定することになる。ルルーシュを否定することはもう二度としたくない」
きっぱりと言えば、C.C.が可笑しそうに肩を揺らした。
「お前も大概強情だな。でも、だからルルーシュの友達をやれたんだろうし、ルルーシュを好きになったんだろう」
「そうかもしれないね」
「――枢木スザク」
その名を呼ばれるのは随分と久しぶりだった。僕は咎めることはせず、彼女の横顔を見た。
「ルルーシュがお前に願っていたことを教えてやろう」
「え……?」
C.C.は僕に笑いかけ、それから墓標と向かい合った。
「あいつはお前に生きてもらいたかったんだ。たとえ生きることがお前にとって苦しく、絶望しかなかったとしても、お前に生きていてほしいと願った。それはお前の意思を無視したルルーシュの我儘だ。だが、それでもあいつは願わずにはいられなかった。だって、誰が好きな相手の死を望む?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
もしかしたらという期待はあったけれど、『好きな相手』という言葉にみっともなく動揺した。
不意に、目の奥が熱くなる。
感情なんてとうに涸れ果てたはずなのに、どうして涙が出るのだろう。
仮面の中の顔はC.C.に見えていないとわかっていても、僕は思わず顔を逸らした。
「…っ、ずるいよ、そんなの僕だって同じなのに、自分だけは僕の願いを聞かないなんてずるい」
「勝手なのはお互い様だろう? お前の言うことを大人しく聞くルルーシュなんてルルーシュじゃない。もっとも、お前とナナリーにはだいぶ甘かったけどな」
「あれで?」
「何を言う。必要以上にお前達を甘やかしていたじゃないか。ルルーシュの愛をまだ疑うようならカレンや神楽耶が殴りかかってくるぞ」
「ルルーシュの愛か……」
「あいつの愛は重いぞ」
僕をからかいながら、C.C.は慈しむような表情を浮かべた。
「あいつの願いを叶えてやれ。生きて明日を迎えてやれ。そしたらルルーシュも喜ぶだろうよ。お前が生きて、ナナリーが笑っている世界をあいつは誰よりも望んでいたのだから」
「そうだね――」
目を閉じるとまた涙が溢れた。忘れてしまったと思っていた感情は塩辛く、海の味がした。
(君の人生を意味がなかったとは言わせない)
その切なる願いを誰が無下にできるのか。
彼の代わりに生きようとは言わない。これは僕の人生だし、僕がルルーシュの代わりになることを彼は望んでいないだろう。
だから、僕は僕の人生を生きて最期まで全うしよう。彼が与えてくれた僕の人生を生きよう。
そうして堂々とルルーシュに会いに行くのだ。
「僕が死ぬまで待っていてくれるかな」
「待っているだろうさ。好きな人間が来たらすぐにでも会いに行くに決まっている」
「だってよ、ルルーシュ。C.C.にばれていたのは僕のせいじゃないんだから、あとで文句言わないでよ?」
膝をつき、名のない墓標を優しく撫でる。
運命がどんなに残酷でも、僕がルルーシュを好きだった過去は変わらないし、僕とルルーシュが一度だけ体温を分け合った過去も消えてなくなりはしない。
ルルーシュといた日々は戻らないけれど、ルルーシュが確かに生きていたことは僕が覚えている。
ルルーシュの感触が僕の中からすべて消えてしまっても、僕がルルーシュを好きな気持ちはいつまでも残るだろう。
それだけはルルーシュにも運命にも変えられないことだ。
(人の気持ちなんて一番移ろいやすいものだって君は言うかもしれないね。だから――)
もし本当にルルーシュが迎えに来てくれたら、真っ先に言ってやろう。
枢木スザクは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを愛していると。
(それが君に置いて行かれた僕の、最大で最高の仕返しだ。苦情は受け付けないからね、ルルーシュ)
夕陽は沈み、空には星が瞬いていた。
今日も一日が終わる。
そして、また明日を迎える。
そんな当たり前のことが、今はとても愛しく感じられた。
(17.09.28)